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加藤としゆき
民主党
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column──コラム

格差問題について考える(その2) 

2006.9.1  


  前回(「格差問題を考える」その1)は、現在、大きな議論となっている格差問題について、OECDの対日報告や『経済財政白書』の分析から、格差の測定方法や定義、またとくに若年者の雇用問題や非正規雇用労働者の増大が格差問題と深く関連していることを確認し、とくに若年者の雇用・労働問題への対応が重要であることを指摘しました。
  今回は、格差問題がもつ社会的側面、とくに資産格差の問題や、社会的な格差が次の世代に継承されるのかどうか、つまり階層的に格差が固定化するかどうか、といった問題を考えてみたいと思います。

1、資産の格差はあるのか

  「持てる人」と「持たざる人」との間にある格差については、一般的に人々は不合理なものを感じます。高い所得を得ている家庭や大きな資産を持つ家庭に育つ子供は、当然、恵まれた環境のもとで質の高い教育を受けることができます。その結果、その子供は高い所得が得られる社会的地位に就く可能性が高まり、併せて資産を親から継承して社会の上層部にとどまることができます。

  資産は、主として土地・家屋などの不動産資産と預貯金などの金融資産に分けられますが、我が国の金融資産は総額で1500兆円、一世帯当たり約3000万円と推計されています。また、持ち家の比率は全国平均で62.5%となっていますので、我が国の6割以上の世帯は不動産資産を保有していることになります。これらの資産の「ある、なし」が社会的格差としてどのような影響をもたらしているのか、これは今日、非常に興味あるテーマとして扱われています。

  本年度の『経済財政白書』は、所得格差の他に資産格差についても若干の分析を行っています。結論的には、我が国では大きな資産格差の拡大は観られないということです。この他にも研究者による資産格差に関するいくつかの分析がありますが、総じて『経済財政白書』と同様な結論が導かれています。

  その主な論拠は、@資産の中心である土地・住宅がバブル崩壊で資産価値が大きく低下したこと、A金融資産のうち、不況などで株価が下落したため、金融資産に占める有価証券比率が低下し、結果的に金融資産の格差が縮小していったという二点が上げられます。簡単に言えば、地価が上昇したり株価が上がると資産格差は広がり、逆に地価が下がったり株価が低下していくと格差は縮小するということです。

  このことは当たり前のことなのですが、一方で近年、少々のリスクを犯しても有価証券の比率を高めて金融資産を増やしていこうとする層がじわじわと拡大しているという新しい傾向が出てきています。

 

家計資産のジニ係数 資産格差の水準は所得格差と比べて大きい

『平成18年度経済財政白書』より

  前述のように、現在、我が国の家計の金融総資産は1500兆円あると推計されています。しかし実際の分布は、上位にある少数の世帯が1500兆円の大きな部分を保有しているわけで、これらの人々はリスクを恐れずに高利回りの資産運用をする傾向にあり、低金利の状況が続く中で、「貯蓄から投資へ」の資産運用のシフトが起きているのです。こういった傾向が今後ますます強まれば、持てる者はより多くを持つことになり、結果として金融資産についての格差が拡大していくことになります。さらに、最近の地価の下げ止まりの傾向、あるいは大都市市街地では地価上昇に転じているところもあり、不動産についても資産格差の拡大が推測されます。

  表では、資産格差のジニ係数は0.6前後で、所得格差の0.3台に比べれば大きな格差があることが読み取れます。これは、「持てる人」と「持たざる人」の違いがはっきりしているという資産所有の特徴からきているわけで、「善い・悪い」の判断はできないところです。しかし、基本的に、所得格差より資産格差の方か大きいということ、そして、この資産格差が広がっていけば社会全体としての格差も急速に拡大する懸念があることを認識し、今後は、相続税のあり方や、親の介護の社会的負担と個別負担のあり方などを含め、大いに議論していく必要があると考えます。

2、格差と社会の活性化

 格差の拡大は望ましくないのか、あるいは受け入れられるかどうかの判断基準は、それぞれ個人がもつ社会観や道徳観、あるいは人生観に大きく依拠するものだと思います。一般的には、格差が過度に拡大するのは社会的公正の面からも望ましくない、という否定的な考え方が強くなっています。

  一方、小泉首相が国会で答弁したように、「格差があって競争があって何が悪い。それは社会の活性化につながる」とか、「成功者をねたんだり、能力のある者の足を引っ張ったりする風潮を慎まないと社会は発展しない」という主張があります。これは、社会を発展させなければならないという価値基準からの判断であり、財界人の一人も「格差は社会の活性化につながる限り望ましい。お金をもうけてこそ活力だ」「成功者を嫉妬せず称賛することが経済的反映に不可欠」と格差是認論を主張しています。

  これら小泉首相や財界人の主張は、自由競争社会のもとで、個人も企業も「下からはい上がろう」と頑張ることで社会が活性化し、経済活動の活発化する。そして、そのことで社会全体が発展するのであるから、競争で落ちこぼれる人々は格差があるといって文句を言ってはならない、というものです。

  この考え方を経済・社会政策の観点から見ますと、社会をより競争的にする政策、あるいは所得再分配機能を縮小して経済活動へのインセンティブを強める施策が重要ということになります。また、努力の結果として獲得した利益についても、次なる投資や消費あるいは資産形成に十分にまわせるような施策が重要だ、ということになります。したがって、累進課税や社会福祉施策の充実は社会の発展を阻害するということになります。

  これらの政策体系は、新古典主義、新自由主義あるいはマネタリズムと言われ、古くはイギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領などが推進しました。しかし結果的には、経済の再生は実現できたものの、社会保障制度は大きく後退し、貧困層の増大、教育の荒廃、犯罪の増加などの社会問題を誘発しました。また、その対策のために大きな「後発コスト」がかかってしまうことになりました。

  一方、我が国においては、経済財政諮問会議が2001年6月に打ち出した「骨太の方針」にこのような考え方が出されました。「方針」は、わが国は「努力が報われない」社会と特徴づけ、静態的な格差の小ささ、つまり「結果の平等性」が社会移動への努力要因を阻害しているとし、格差縮小施策を重視する平等主義を暗に批判しています。さらに、近年では、「努力したものが報われる社会」を創るための努力誘因として、むしろ「結果の不平等性」を積極的に是認しようではないかという論調が強まっています。まさに、小泉首相の「格差があって何故悪い。格差と競争は社会の活性化のために必要だ」という主張がこの立場を象徴しています。

  しかし、この主張を押し通そうとすると、競争の中で落ちこぼれていく人々を放っておいてよいのか、という疑問や反論が起きてきます。これについて、格差を認める立場の論調は2つの解決策を示しています。一つは、生活保護のように、憲法で保障された人間としての最低限の生存権を保障すれば足りるというもの。もう一つの考えは、負けた人にもう一度チャレンジするチャンスを与えるというものです。つまり、不公平な現在の分配状態を自らの努力によって修正できる、いわば敗者復活の可能性が大きい社会経済の仕組みを作っていくべきだという考えです。現在、自民党の総裁選挙の有力候補者である安倍晋三・官房長官も、この立場に立つ政策理念を強く打ち出しています。

  しかし、かつて「活力ある福祉社会」「市場の適正なコントロール」といったスローガンを耳にしたように、今日では、経済学や社会学などの成果により、所得格差の拡大を食い止めながら、同時に社会を活性化させ、個人を奮い立たせる政策のあり方が提示されています。たとえ、敗者復活戦への参加や再チャレンジを推奨するにしても、制度的・予算的な整備とともに、社会全体としても、敗者の再挑戦を見守り、支援するという体制をつくっていかなければなりません。例えば、フリーターの正規従業員への就労支援策などは、社会全体が共通の意思と責任を持って臨まなければ十分な成果は得られないと思います。

  「社会の活性化」という政策目的のために、格差の維持・拡大を敢えて活用しようとする発想は、やはり一面的過ぎます。とくに、社会の格差問題が個別のサラリーマンの間の格差、あるいは個別世帯の所得格差や資産格差の問題を飛び越えて、地域間格差問題にまで広がっている現状をみますと、そのことがより明白です。地方経済の疲弊や活力の喪失は、地方交付税や補助金に頼る地方の体質を放置してきたことも一因と言われています。そのような財政を使った中央集権システムと国土の均衡発展という悪しき平等主義を推進してきたのが戦後政治を担ってきた自民党であったわけです。首相や首相候補者が今さら「はい上がっていく」活力に期待するのは、責任逃れとしか言いようがありません。

3、格差は固定化・継承されるか

  現在、我が国における経済格差の拡大の理由として、@経済の不況、A単身高齢者の貧困化、B母子家庭の増加、C若年者の二極化に伴う低所得若年者の増加、D非正規労働者の激増、E最低賃金水準の停滞――などが上げられています。

  専門家による研究でも明らかにされていますように、所得格差の拡大はその時々の景気状況に大きく左右されます。しかし、格差拡大の要因が、例えばBの母子家庭の増加といった構造的な要因にもとづいていますと、景気が回復してもこの格差は簡単に解消されません。個別的に見れば、相対的な貧困層から抜け出せない世帯が増加していくことが予想されます。当然、これが子供の世代にまで続いていくとなると、我が国は、社会階層が固定化されている社会、あるいは階層間の流動性がない閉塞的な社会ということになってしまいます。

 かつての我が国は、家庭の置かれた状況にかかわらず、子供は努力し学ぶことで親が属した社会層から脱し、より上を目指すことができました。「結果の不平等」があっても「機会の平等」が十分に機能する社会の仕組みがあったわけです。しかし、今日の我が国は、この「機会の平等」が徐々に機能しなくなってきた状況にあります。

  佐藤俊樹・東京大学大学院助教授は、数年前の著書『不平等社会日本』で、1985年以降、専門職や企業の管理職につく知識エリートへの道は親が高学歴の層に固定化され、いわゆる階層相続が戦前以上に強まっていることを指摘しました。そして、この「階級社会化」こそが、企業や学校の現場から責任感を失わせ、無力感を生んだ現在の閉塞の要因となっていると警鐘を鳴らしています。このような分析に対して、一流会社の管理職や官庁の官僚が幸せで、肉体労働を伴う労働者は幸せではないのか、という反論がありますが、佐藤氏の分析はそのような価値判断を保留して、階層化が進捗している現状を捉えたものです。

  一方、韓国においても格差が世代を通じて継承されている現状が報告されています。韓国では、1997年のアジア通貨危機後、労働市場の自由化政策がとられ、派遣・契約社員などが増大し、所得のジニ係数はあがり、格差が拡大していきました。その後、当然、経済は回復してきましたが、とくに教育面において世帯間の格差が残ってしまいました。高度成長期は貧しい家庭から多くの優秀な人材が育っていきましたが、現在は勝ち組になれなかった親の「結果」が子供の「教育機会」を奪っている状況のようです。所得格差が教育格差として表面に出てきたわけですが、韓国政府も危機感をもち、近年、教育格差の解消のために膨大な教育予算を投入しているとのことです。

  日本においても、また韓国においても、かつては高学歴は「個人の努力」の結果と見られていましたが、今では親から相続するものになっているようです。おそらく、この教育格差が社会的格差の継承・固定化をもたらす最大の要因だと思われますが、例えば優秀な子供が高等教育を受けるチャンスに恵まれないとなると、それは社会全体としても大きな損失になるということです。当然、このような教育格差は次なる所得格差を生み、「希望格差」や「健康格差」と言われているように、生活面や社会面など様々な分野で新たな不平等や不公平を誘発していくものと思われます。

  政治や経済のリーダーは「社会の活性化」を主張していますが、現状は所得格差や資産格差が「機会の平等」までも奪う領域に達している状況にあり、逆に社会が活力を大きく失っていくことになるかも知れません。このような現状を放置することなく、税制や社会保障政策における所得再分配システムのあり方を真剣に検討していくとともに、教育に関しては奨学金制度の拡充を含む教育行政の改革、若年者対策や非正規労働者対策を中心にした雇用政策の充実など、制度改革や予算獲得に向け尽力していくべきだと考えます。

 
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