政策レポート

2015年8月 7日

「最低賃金」をめぐる新たな動きと課題

  民主党の「共生社会創造本部」は、「共生社会の構築」に向けた政策作りのために、順次、有識者などからヒアリングを続けていますが、その中で、ドイツの労働政策に関し、「最低賃金制度の導入」と「労働格差の解消政策」についての報告を受けました。

 このうち最低賃金制度に関しては、ドイツで今年1月から新たに導入された全国一律の「最低賃金制度」について、これまでの経緯や背景にあるもの、あるいは今後の課題などについて学びました。

  一方、この最低賃金制度に関わる動きとしては、7月22日、アメリカのニューヨーク州の賃金委員会がファストフードの最低賃金を大幅に引き上げすべきだとする勧告を行い、また日本では7月29日に中央最低賃金審議会が全国平均で18円引き上げとなる目安を決定しました。

  これらの一連の動きについては、各国とも事情の差はありますが、低賃金労働者層の増大と格差拡大を食い止めようとする労働運動などの活発化、そして経営側の反対を押し切り政策的に具体化しようとする政府の前向きの姿勢が伺えます。

  このような状況の中で、以下、低賃金対策や格差是正対策としての最低賃金政策のあり方について考えてみます。

1.ドイツにおける最低賃金制度の導入

   ドイツは、これまで多くの国が採用している「最低賃金制度」はありませんでしたが、近年、ドイツでも非正規労働者など低賃金の労働者層が増大する中で、賃金水準を下支えする最低賃金制度を新設すべきだとの声が高まってきました。

  この流れを後押ししたのが、2013年9月に実施されたドイツ連邦議会選挙でした。この選挙では、それまでキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と連立していた自由民主党(FDP)が全議席を失い、新たにキリスト教民主・社会同盟(CDU/CSU)と社会民主党(SPD)の連立政権が樹立されました。自由民主党は、旧連立政権時代に最低賃金制度創設に反対していましたが、新しい連立政権は、連立協定『ドイツの未来を形づくる』において「一般的に拘束力を有する最低賃金の導入によって被用者のための適切な最低保障を確保するものとする」ことを約束しました。

  そして両党は、本年4月2日、全産業を対象に法定最低賃金を導入する「協約自治強化法案」を閣議了承し、連邦議会に提出された法案は昨年7月2日に可決され、新制度は、本年1月1日から施行されました。

  今回決められた全国一律の法定最低賃金は、1時間当たり8.5ユーロ(現在のレートで1,153円)で、2年間は経過措置が取られますが、2017年1月1日以降は、未成年者、職業訓練受講者、長期失業者の就職時、一部のインターンを除いて、すべての労働者に適用されます。

2.背景にあるドイツの労働運動・社会情勢の変化

   ドイツは、ヨーロッパでは珍しく法定最低賃金制度がない国でした。それは、労働組合の力が強く、産業別の賃金交渉の結果が未組織労働者に波及していく「協約賃金の拡張適用」という仕組みがあったからです。この仕組みは、「労働協約法」や「経営組織法」などで規定されているものですが、とにかくドイツでは、これまで労働組合と使用者団体が高い組織率を保ち、産業別に締結された労働協約が一定の要件のもとで未組織労働にも拘束力をもって適用されるという協約システムが形成されてきました。

  しかし、1990年代から、ドイツにおいては産業構造の変化などによって労働組合の組織率が低下し、これに伴い産業別労働協約の適用率も低下していきました。例えば、1996年時点は70%あった適用率が2013年には52%にまで低下し、その結果、協約の適用を受けずに低賃金で働く労働者が増大していきました。

  これは、労働組合の組織力が大きく低下したという一面を表しているわけですが、労働組合としても、このような危機的状況を乗り越えるために組織化活動を一段と強めるとともに、最低賃金制度の法定化を求める運動を開始しました。そして、この運動の高まりと社会民主党の政権参加によって、協約拡張適用に関わる「一般的拘束力宣言制度」における要件緩和(カバー率50%以上の要件を削除)と、全国一律に適用される最低賃金制度を創設する法整備が今回実現したわけです。

  なお、今回の全国最低賃金制度の導入に関しては、①最低賃金額の算出の際にどの賃金部分を対象にするのかという定義が明確でないこと、②労働時間をいかに正確に把握できるのか、特に待機時間など報酬のない特別な時間をどのように扱うのか、③労働時間の記録義務をどのように遵守させるのか――などの課題が残っているようですが、この課題は我が国の最低賃金改定の課題にも繋がるものがあり、ドイツにおける今後の推移を見守っていく必要があります。

3.アメリカの貧困問題と最低賃金制度の新たな動き

   アメリカ合衆国の法定最低賃金は、「公正労働基準法」で規定され、連邦議会が決める全国一律の最低賃金と各州が決める最低賃金の二本柱となっています。しかし、連邦議会は2007年5 月の最低賃金引き上げの法改正で、1時間当たり7.25 ドル(約900円)を決めた以降は法改正を行っておらず、最低賃金は今日まで据え置かれたままになっています。オバマ大統領は、繰り返し法定最低賃金の引き上げを訴えてきましたが、議会で多数を占める共和党の反対で関連法案は成立しませんでした。

  こうした中で、7月22日、アメリカ・ニューヨーク州のファストフード賃金委員会が、時間当たりの最低賃金を現在の8.75ドル(約1,085円)から段階的に15ドル(約1,860円)まで引き上げるべきだとする勧告を決めました。この賃金委員会は、ニューヨーク州の最低賃金を引き上げようとした法案が州議会で否決されたことに対し、民主党のクオモ州知事が特別の諮問委員会として設置したものです。したがって、「ファストフード賃金委員会」の決定はあくまで「勧告」であることから、対象となるマクドナルドやバーガーキングなど全米で30店舗以上を展開する外食チェーンがこの勧告を受け入れるかどうか注目されています。

  格差拡大と貧困層の増大は先進工業国において共通の社会問題となっており、アメリカにおいてもこの問題は深刻化してきました。世界的なニュースとして取り上げられた2011年の「ウォール街占領運動」以降、市民の間で社会的不平等や格差拡大に関する認識が拡がりましたが、その後、アメリカの都市部におけるファストフードで働く非正規労働者を中心に「最低賃金15ドル」を求める運動が高まりました。そして、デモやストライキを含む運動が一段と高まる中で、ファストフード労働者が多いニューヨーク州において、進歩的な民主党の政治家であるクオモ州知事やデブラシオ・ニューヨーク市長らが最低賃金引き上げ要求を支持し、紆余曲折を経て、今回の賃金委員会の勧告へと至ったわけです。また、全国的に見ても、2010年時点で14州が全国最低賃金を上回る最低賃金が実施されており、さらにロサンゼルス市やシアトル市などにおいては「最低賃金15ドル」が実現しています。

  以上、アメリカにおける最低賃金の引き上げは、「時給15ドル」を目標とする労働者の運動の中から実現しつつありますが、競争の激しい大都市のファストフード業界がニューヨーク州の「勧告」を受け入れる意義は大きく、その影響は国際的にも拡がっていく可能性もあると考えられます。

4.我が国における最低賃金制度と課題

   7月29日、厚生労働省の中央最低賃金審議会は、2015年度の最低賃金の引き上げ額の目安について、全国の加重平均で18円となる答申を行いました。

  我が国の最低賃金制度は、1978年から「中央最低賃金審議会が、各都道府県の地方最低賃金審議会で審議する地域別最低賃金の改定に関して、その引き上げ額の目安を示す方式」をとっています。

  中央最低賃金審議会は、労使の代表と大学教授ら公益委員の3者で構成され、賃上げ状況をはじめとする所得水準や物価・生活水準などの指標をもとに都道府県をA~Dの4ランクに分け、そのランクごとに最低賃金の引き上げ目安を示します。具体的には表1のとおりですが、東京など都市圏のAランクが19円、Bランクが18円、Cランク・Dランクが16円です。今回の「18円引き上げ」は、この4ランクの引き上げ額について都道府県毎の対象労働者人数を加味した加重平均の値となります。なお、各都道府県がこの目安どおりの最低賃金引き上げを決定すれば、最低賃金の全国平均は780円から798円になります。

  中央最低賃金審議会での審議過程においては、労働側は、格差是正や貧困対策、そして今春闘の賃上げ実績や物価動向を踏まえ50円の引き上げを求めましたが、経営側は、中小企業の支払い能力などから小幅な引き上げに止めるべきだと主張し、労使の意見は最後まで対立しました。最終的には、公益側が、消費増税などで昨年物価が上がったことや、ランク間の最低賃金の差が広がっていることなどを踏まえて、平均で「18円引き上げ」となる目安額を提示し、決着に至ったというわけです。

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  我が国における春の賃金改定では、企業業績の回復を反映して大企業を中心に昨年を上回る賃上げとなりましたが、一方で中小零細企業の労働者や製造業やサービス産業などで働く非正規労働者には賃上げは十分に波及しませんでした。このことから、労働側委員は、これらの労働者の待遇改善のための有力な政策手段として地域別最低賃金の大幅引き上げを要求しました。さらに政府も、当面の政策目標である景気対策と格差是正をはかるために最低賃金引き上げに積極姿勢を見せ、これらのことから、結果的にB・C・Dの引き上げ幅は、時給額で示すようになった2002年度以降で最大のもとなりました。 

  しかし、我が国の最低賃金制度は依然として次のような課題が残っており、今後、関係者による的確な対応と努力が期待されています。

(1)最低賃金額の絶対的低さ

  賃金格差が拡大し続け、相対的貧困率も上昇傾向にある中で、最低賃金の役割は以前にも増して高まっていますが、基本的に、その絶対額が低すぎるという問題が第一に指摘できます。

  前述のようにドイツの全国一律最低賃金が8.5ユーロ(現在レートで約1,153円)、アメリカが2009年以降据え置かれたままになっている全国一律最低賃金が7.25 ドル(約900円)。今回ニューヨーク州のファストフード労働者を対象にした最低賃金の勧告額は15ドル(約1,860円)です。

  これに対し日本の地域別最低賃金は、最高の東京都が888円で今回の目安通りに引き上げが行われても907円。一方、最低の高知・鳥取・長崎・大分・宮崎・熊本・沖縄は677円で、目安の16円の引き上げが行われても693円です。

  つまり、日・独・米という先進工業国において、物価水準の違いや為替レートの影響があるとは言え、日本の最低賃金はかなり低い水準にあるということです。この693円を単純に月給に換算(平均的1ヵ月労働時間=173.8時間)すれば、12万443円にしかなりません。通勤手当が支給されない場合や、社会保険に加入できない場合もあり、最低の生活を保障するには至らないケースも考えられます。

  2008年7月から施行された「改正最低賃金法」は、第9条第3項において「労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする。」としました。これは、表向きは生活保護費との逆転現象の解消を求めたものですが、基本的には、地域別最低賃金は、「全ての労働者の賃金の最低限を保障する安全網として十全に機能させ、勤労者生活の安定と向上に寄与する役割・機能を持つ制度」として位置づけられるべきものです。

  現在、労働組合や民主党をはじめとする野党の最低賃金の要求額は、「時給1,000円」です。この金額は「きりがよい数字」ということでなく、実態生計費や最低生計費モデルなどから導かれるものであり、同時に、最低賃金で働く労働者のみならず、地域別最低賃金を全体の労働者の賃金改定に影響を与える「社会的賃金決定メカニズム」の中に位置づけようとする意図をもった要求でもあります。

  一般的な賃金改定においても、また最低賃金の引き上げにおいても、当該事業における賃金支払い能力を重視した交渉や調整が行われますが、こうした最低賃金をめぐる議論が活発化すれば、生計費の実態や実質可処分所得などをより考慮する賃金決定プロセスが一般化していくのではないかと考えます。

  我が国においても、「最低賃金の引き上げがコスト上昇になり、そのため企業はとくに若年者の雇用を減らす行動に出る」ということを実証的に検証する研究もありますが、「低賃金労働者をそのままにして全体の雇用を確保すること」が社会政策として正しい選択肢となるか、疑問を呈せざるを得ません。今後とも、地域別最低賃金の大幅な引き上げを求めていくべきでしょう。

(2)産業別最低賃金(特定最低賃金)の機能強化

  わが国の場合、都道府県別に決定される「地域別最低賃金」とともに、特定の産業について設定される「産業別最低賃金」(法律上は「特定最低賃金」)というものがあります。この最低賃金は、関係する労・使の申出に基づき、それぞれの都道府県の最低賃金審議会の調査審議を経て、同審議会が地域別最低賃金よりも金額水準の高い最低賃金を定めることが必要と認めた産業について設定されるものです。

  2015年3月末日現在で、特定最低賃金の件数は232件で、適用される使用者数は約11万人、適用される労働者数は約323万人となっています。参考事例として、表2に、北海道と東京の特定最低賃金を掲載しています。

  この特定最低賃金制度については、近年、深刻な問題を抱えています。その一つは、経営者側がこの特定最低賃金に対して消極的になっており、特定最低賃金廃止論まで出ている状況にあります。その背景には、中小企業の厳しい経営事情があるわけですが、特定最低賃金は、当該地域と産業において企業の枠を超えた労働条件決定システムとして重要な役割を担っており、例えば、特定最低賃金の設定過程がある意味で労使交渉の補完機能を果たす部分もあること、また最低賃金の設定が「公正な競争」を確保するものとなることから、使用者側にとってもこの制度の維持は大きなメリットなると考えられます。この制度は、とにかく労使がイニシアティブを発揮することが不可欠ですので、まずは地域の産業内における労使の意思疎通を密にしていく必要があると考えます。

  また、派遣先の特定最低賃金が派遣労働者にも適用されることも意識し、「同一価値労働同一賃金」を基本とした非正規労働者の賃金の底上げを図るという労働組合としての社会的使命を果たすためにも、特定最低賃金の引き上げに積極的に取り組んでいく必要があると考えます。

  二つ目の問題は、表2の東京都に見られるように、特定最低賃金が地域別最低賃金を下回っている事例が増えているということです。これは、近年、地域別最低賃金の引き上げが続いたことと、前述のように使用者側が特定最低賃金の引き上げに消極的になって金額改定が進まないという事情があります。すでに、経営者団体は、地域別最低賃金を下回った特定最低賃金は、「その存在意義や役割・使命を終えたものとして速やかに廃止すべきである。」と主張しています。しかし、非正規雇用労働者が増大し、社会の格差が拡大する中で、逆に特定最低賃金の存在意義や役割・使命はますます高まっているのです。

  労働組合としては、この逆転現象の解消にために全力を尽くす必要があると考えます。まずは、企業内最低賃金(高卒初任給や年齢別最低賃金など)の引き上げについて粘り強く交渉して協定を締結することです。そして、使用者の理解を求め、特定最低賃金制度を活用して、その成果を未組織労働者にまで波及させていく活動をあらためて構築していく必要がると考えます。

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