遅牛早牛

時代が人を創る

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「時代が人を創る」故竪山利文氏のことばである。もうかれこれ30年になるが「連合」結成を画期とし労働戦線統一は終結をみた。この統一事業は氏の存在なくして成立したとは思えない。氏のみとは言わない。多くの人々の努力の賜物である。と言いつつも「竪山利文」抜きで現在の官民統一はできなかった。

私は1984年7月から1987年11月まで全日本民間労働組合協議会(全民労協)議長であった氏のかばん持ちを、以後1989年11月(20日)まで全日本民間労働組合連合会(連合*)会長であった氏の部下の一人として指導を受けた。

統一のことや5年余に及ぶ氏の想い出は別の機会にと思う。

問題はこのコラムの表題をどうするかである。一つは氏の著書の表題「遠交近攻」**を候補にと準備を進めたが最後の踏ん切りがつかない。しばらく悩んだが、弟子筋であっても弟子ではないので本人承諾がないのに使うわけにはいかない、と言うことで残念ながら断念した。

で次善として「遅牛早牛」を考えた。「遅牛も淀、早牛も淀(おそうしもよど、はやうしもよど)」とは早い遅いと論じても夕暮れには共に淀川べりで草を食んでいるではないか、あくせくすることはない。君たち何を議論しているのだい。無駄な議論は止めて本来の理を求めたら、との意だと思う。

さてコラムで無駄な議論はやらないと大見得を切っちまった。「大丈夫か」。とも思うが第一旋律を「遠交近攻」、第二旋律を「遅牛早牛」とし主題目を「政治と労働の接点」に置き思索は遅牛、原稿出しは早牛で進めることにした。

政治と労働の接点については、長らく思い悩んできた。労働戦線統一の目的の一つが労働界としての政治参加であり、参加する以上一体の態勢が必要である。同時に要求項目の整理と組織結集が求められる。また政党との協力関係とその在り方が問われる。

政治と労働、いかにも抽象過ぎるので、ここは政党と労働組合と読み替えて見れば生々しい現場の絵が自ずと浮かび上がる。

生々しい現場の絵。団体間の折衝はどうにもならない建前の衝突であるが、裏側は生身の触れ合いである。生と生。理念、主義、主張もあるが相性もあって、話の成り行きはとってもミステリアスだった。あれから30年。

「第二の統一」どんな方が舞台に上るのかしら。

脚注
* 連合:現在の日本労働組合総連合会(連合)と区別するため「民間連合」と表されることが多い
**遠交近攻:竪山利文著、東海大学出版部(2006年1月発売)NDC分類366.621

加藤敏幸