遅牛早牛

第二の統一(その一)

 1989年11月21日「日本労働組合総連合会」の統一大会は、「連合」と官公労組による統一大会として開催された。起算年は人により異なるが、おおむね20年余にわたる難事業の完成であった。これが「第一の統一」である。では「第二の統一」とは何か。

 普通に言えば、唯一無二の全国中央組織の完成を意味するものとなるのだが、それは違う。現「連合」は十分に全国中央組織の役割を果たしている。加えて藁科満治氏が語る「連合ができた最大の要因は、『天の時』『地の利』『人の和』に加えて、日本の労働界がイデオロギーの虚妄から目覚め、現実を直視したことにある。」(「語り継ぐ連合運動の原点」*)に尽きるわけで、イデオロギーの呪縛のある限り、日本における唯一無二のナショナルセンターの誕生は絵空事であり、意義もない。

 では「第二の統一」とは何か。それは外形ではなく内容である。1991年10月連合政治委員会(委員長・得本輝人自動車総連会長)は「連合の政治方針について**」において「政権を担いうる新しい政治勢力の形成にむけ、連合と目的と政策・要求を同じくする政治勢力の最大限結集をめざす。新しい政治勢力は、これまでの経済産業優先の政治から生活重視の政治の実現をめざすものでなければならない。そのため、すでに機関での討議をすすめている『新しい政治勢力の結集は、自民党に代わる政権交代可能な政治勢力の結集を基本とし、究極的には二大政党的体制をめざす。プロセスとしては当面、共産党を除く連合と政策・方針の一致する政治勢力の最大限結集をはかる。そのためには、外交、防衛等を中心とする国の基本政策の合意形成が重要である。この場合、世界の現実を直視する立場に原点を据える。』との基本的な方向の合意形成をはかる。」と提起した。特に私が太字で表した部分が重要である。

 これは世界の現実を直視し、外交、防衛等を中心とする国の基本政策の合意形成をはかることが二大政党的体制をめざす必須条件であり、政権形成には基本政策における意見集約が必要であることを意味する。この時点(91年10月)における二大政党的体制とは93年誕生の細川政権のイメージではなく総選挙を通じて形成される政権とのイメージであった。当然のことで、何が起こるかわからない、一寸先は闇といわれる世界で基本政策で政権内ががたつくようでは失格である。政権を支える強固な基盤としての意見集約が必要であるとの提起は正しい。また現実の世界は日々変化する。そこでは昔の理屈は通用しない。固定観念をすて現実を直視せよ。まさに痛快至極であった。

 ではこの言葉は誰に向かっているのか。当然政治勢力と表現されたグループに対してである。加えて連合およびその構成組織にもむけられている。二大政党的体制を目指す以上自らも内部において同様の努力をなすべきではないか。私の記憶ではそのような雰囲気であった。

 この後議論は国連平和協力法案や湾岸戦争への対応など激しく動く国際情勢の影響を受け1993年10月第3回定期大会での「連合の政治方針」確定に向け白熱化していく。

*「語り継ぐ連合運動の原点1989年~2014年」日本労働組合総連合会発行

**得本委員会の「連合の政治方針について」は討議資料であるため「連合運動史第1巻」には未収録。本文は藁科満治著「連合築城」(日本評論社)から引用。

加藤敏幸