遅牛早牛

民進党は依存症を克服していくだろう

 あれは2005年の8月だった。時の総理小泉純一郎は衆議院で可決された「郵政改革法案」が参議院で否決されたことを受け衆議院を解散した。反対したのは参議院。なのに賛成した衆議院が解散された。とばっちりもいいところだ。引きつった顔つきの小泉総理がテレビで、国民に信を問う選挙だと訴えた。「寄らば斬るぞ」とばかりのピリピリした会見だった。

 蒼白痩身。大菩薩峠の眠狂四郎もかくあらんや。迫真の絵姿に総選挙は自民党否小泉の大勝利に終わった。一方民主党は敗退。岡田克也代表は即座に辞意を表明し、国会議員による新代表の選出に移り、前原誠司が菅直人を2票差で破り若き執行部が誕生した。

 10月も過ぎたある日、古賀伸明連合事務局長(当時)から電話があった。宵闇迫る赤坂、道すがら「前原代表の脱労組発言で地方がおお事になっているんやわ。どうしたもんやろう。」と携帯電話からやや戸惑い気味の声が聞こえた。就任早々の彼にすれば降って湧いたような出来事だ。

 「脱労組」と言ったのではない。「脱労組依存」で党の地力を高める趣旨の発言だったと前原代表は火消しに走る。当時労働局長の私は連合加盟組織の都内事務所を巡回訪問し理解を求めた。「労働組合をないがしろにする気は毛頭ありません」「このままではいかん自立しなければとの思いが脱労組依存となったわけで」と説明を重ねひたすら頭を下げ続けた。そんな日が何日も続いた。60か所余り。「言ったのは前原代表、謝っているのは加藤さん」だから気が楽であった。ねぎらいの言葉を背に受け事務所を辞することも多かった。

 そう言えば、何年か前にも「脱労組」で揉めた。鳩山由紀夫代表の発言でひとしきり揉めた。民主党の鬼門事かもしれない。労働組合が言うのならともかく、目一杯応援してもらっている側の言うことではない。今回もそういうことであった。だから怒る人の気持ちはわかるが大したことではあるまいと思っていた。が、これがなかなかの難事であった。

 そこで収拾のため意見交換会を始めた。党は松本剛明政調会長を中心に5名、連合側は山本幸司公務労協事務局長(当時)はじめ5名、で都合十数回の会合を重ね何かしら話し合った。土台本音がポロッの世界。回数重ねているうちに何のためにやっているのか分からなくなった。いつまでもやっていられないので、公務員の基本権問題は双方協力してその実現に努力する。公務員の人件費削減は労働組合である以上認められない。これは対立事項だ。大きな政府小さな政府など行政の在り方については多々弁ずるものであるが、これは党が主体的に決める。と口頭でまとめて打ち切った。口頭ではあったがこれが後の公務員制度改革に繋がって行くから不思議だ。

 「脱労組」私は賛成である。社会党時代から脱労組をすべきと考えていた。長期低落傾向からの脱却は社会党、特に地方組織の足腰を強くして、と選挙が終わるたびに聞かされた。大新聞の論調も同様であった。「労組べったり、甘える社会党に明日はない」とみんな思っていた。そしてそうなった。だから「脱労組」でも「脱労組依存」でもいいから是非やって欲しい。何が脱労組でどんなふうに脱労組依存をやるのかが問題ではないか。との声が聞こえるが外野は黙れ、本人たちが考えろ。前原代表には中途半端な説明をせずに、そうだ脱労組だ。どこが悪い、と啖呵を切って欲しかった。「大した票も出せないのに偉そうに言うな」と言えば言い過ぎではあるが、そのぐらい揉めないと本質が見えてこないし、面白くない。世の中耳目を集めて始まることがある。そのうえで理解してもらえる、のだ。「芝居が小さい」客が集まらないから売り物が広がらない。広がらないから力にならない。今からでも遅くない「脱労組」を本気で考えて。それが自らの依存症を克服する第一歩となり、腹が立つほどしたたかな政治集団へと成長していく契機となるだろうから。

加藤敏幸