遅牛早牛

労働の規制緩和ー経済活性化に役立つのか?

 「規制緩和」論が下火になった。労働規制を緩めることが経済活性化につながるとの思い込みからようやく解き放たれたのか、主張が小振りに、その分トガリがきつくなっている。労働者派遣法の改正にみられるように、何でもかんでも派遣できるようにと業界は政権に圧力をかけ続けてきた。以前には見られなかったことだが、審議会にも上陸している。

 規制緩和に経済政策上の効果があるのなら、元祖小泉改革以来日本経済はもう少しましなことになっていたのではないか。商売をやり易くするという業界の利害を動機にさんざ政府に圧力をかけることが、普通の圧力団体として普通のことだとしても、それが日本経済の活性化のために役に立つとの宣伝はやめてほしい。

 年間1000万円も払っているのに、さらに残業までして手当を稼いでいるのはけしからん。こういう場合は法適用を外すべきだ。というのは(利己的主張の極みであるが)わかり易い。それを時間から業績へ評価軸を変えるから、労働基準法も変えなければならないと主張するからおかしくなる。評価軸の変更は企業の勝手である。お好きにどうぞといいたい。現行の労働基準法はそれなりの柔軟性を含んでいる。業務とのかかわりで時間制を薄めている部分もある。企業内での工夫の余地があるのではないか。加えて不払いという法違反を解消する姿勢も努力も見えないということでは話にならない。

 そもそも年間1000万円を超える賃金労働者が輩出することは経済活性化の観点からいって喜ばしいことではないか。時間単価が高いことは高付加価値労働そのものであって推奨されていいことだ。それとも、だらだら時間をかけて残業手当を稼いでいるなどと言いがかりをつける点に主題があるなら、それは業務構造に問題があるのだから精出して管理改善につくすことが経営者の正しい在り方ではないか。経営者の矜持の問題であって法律の問題ではないだろう。

 これについてはいろいろな議論があるだろう。しかし「高度プロフェッショナル制度」の時間外手当がこれほど大問題になるとは思わなかった。もともと賛否分かれるテーマであるが経営を左右する重大問題とは思われない。また人手不足の時代に残業代をケチってどうするのと首をひねりたくなるが、多分近年盛んになった業界ロビー活動のトガッテしまった、つまりイデオロギー化してしまった事態の後始末ではないだろうか、と勝手に解釈している。

 ロビー活動である業界圧力を真に受けすぎると「無理が通れば道理が引っ込む」現象が起こり、当座はいいけど肝心要のその時に道理がでてこなくなり、労働行政が歪められることになりはしないか。そう懸念しているが、働き方改革の経営側に対するバーターであるなら、なるほど法案一本化と合わせ何かしら分かったような気にはなる。ということなら、やはり本命は「働かせ方において経営側は労働に益する」ことで、結果労働分配率が向上しひいては経済活動の活性化につながり、政権にとってもめでたしということか。

 都合の良い議論のようだが、規制緩和が経済活性化に寄与する経路とはその出口までに必ず労働分配率の向上をもたらす仕組みを持つものでなければならない。ところが労働者派遣法の議論でみられるように、派遣業界の関心は自らの事業継続と利益確保に集中しすぎており、労働を公正価格で仲介するという本来の社会的役割を軽んじている観がある。大切な労働力の涵養なくして業界の未来はないと思われるが。

 ひるがえって労働費用はすべてコストだとの思い込みほど経済を害するものはない。コストではあるが投資でもある。特に労働者の生活を支える賃金は労働の再生産と消費を支えるもので、いわば経済の根太である。やせ細る根太への危機意識を個別の企業経営者に求めても詮ないことかもしれないが、経済人なら少しは考えてほしいものだ。「世に際限なく膨らむものは国の債務と企業の内部留保、これからどうするのですか。」と問いたい。

 さて労働にかかわる規制緩和の本命は労働市場の流動化である。

 労働市場の流動化とは、経営の視点に立てば「雇いやすく」「解雇しやすい」そして「安い」ことである。であるなら働く側は「雇われやすい」「解雇されにくい」「高い」ことである。この対立構造のままでは話し合いは頓挫する。だから「みんなが得する流動化ってあるのか?」に応えなければならない。特定の人だけが得するようではダメである。

 雇用の不安定化策を選挙で掲げる政党を私は知らない。労働市場の流動化は雇用の非安定化あるいは不安定化に通じる。雇用が非安定化しても動揺する労働者がいなければいい。労働者に害にならない非安定化とは、極論すれば雇用が不安定であっても生活が安定していればいいわけで、これには社会コストがかかる。

 社会コストは税などで賄われる。企業の徹底した収奪から起こるあらゆる不都合を膨大な社会費用で後始末する。まさかこんなモデルを考えているわけではないと思う。今さら新自由主義のシステムバグを実証しなくてもいいでしょう。

 一方現実は相当に流動化しているのではないか。若年層の就労後数年間の離職率は高い。また非正規就労者は2000万人に及ぶ。能力開発の観点からいえば耕作放棄に近い状況ではないか。労働能力に対する開発投資を怠れば、いずれこの国は低賃金国となる。本当に労働市場の流動化が必要なのか。人材開発投資、ジョブの標準化、企業年金の携帯化など基盤整備についての議論もふくめ未だ生煮えである。このままでは何の話なのか見えてこない。

 私の結論は働く者が希望を持てる流動化策でない限り実現性は低いし意義もないということである。

2017年9月15日

加藤敏幸