遅牛早牛

希望を創るのはあなた達ではないか!

 「あなた明日が見えますか」と流れる演歌を聞きながら、明日が見えれば苦労はない。と盃を傾ける日があった。「労働戦線統一、出来るわけないだろう」と半ば嘲笑を含みながら先輩たちが話す。統一運動に身を投じた大昔のことである。

 今見えない道を多くの同志が進もうとしている。民主党から民進党そして希望の党へ。ここ数年選挙に敗れるたび解党的出直しをと多くの議員が叫んだ。が具体策は示されなかった。解党的出直しの答えは解党である。この「的」一文字を外すのに何年もかかった。一歩前進である。民進党の進が効いたのだろうか。次は希望を手にすることができるのか。

 しかし明日どころか目の前の道すら見えない。目を開けてもつむっても同じこと。とても不安だと思うが、自分たちで決めたことだから仕方がないだろう。新しい道を切り開くことは苦しい。創造することに喜びの一面があるのは事実だが、ほとんど苦難である。体中の神経がじりじり焼けるような思い。99パーセントの苦しみから1パーセントの喜び、希望が生まれてくる。

 奇襲解散が前原代表の捨て身の決断を呼び込んだ。その決断は肉を切らせて骨を切る戦術と一体である。他の選択肢はなかったのだろうが、深く切られた肉が癒える日は来るのだろうか。年寄りの心配は尽きない。

 だが同志諸君、振り返ってはならない、賽はすでに投げられたのだ。あれこれ言うな。なぜならあなたたちは、賽が投げられるまで動く気がなかったのだから。

 だから同志諸君、振り返らずに変わりたまえ。脱皮の日だ。号令をかける人と走者は違う。杯は走者のもの。号令をかけた者には与えられない。これを信じて全力で走り抜けよ。走り抜いたとき、号令をかけた人に感謝すればよい。

2017年9月29日

加藤敏幸