遅牛早牛

野党結集の壁 (岡田さんの気持ちはわかるけれど、、)

今年はひどい以外の何物でもないと衆院会派「無所属の会」代表岡田克也氏が12月5日午後の記者会見で語ったという。 また、党員・サポーター、有権者のみなさまに本当に申し訳ないとの思いを表したうえで、謝っているだけではいけないので、どういうふうに力を結集していくか、今までの様々な信頼関係をもとに話し合いをしていきたいと結んだとのことである。

 しごく当然のことだと思う。岡田氏は2014年12月の総選挙の後、落選した海江田氏の後任として民主党代表に就き、蓮舫氏に代表を譲る2016年9月まで厳しい状況にあった党の立て直しのため尽力し、維新の党の議員との合流の上、民進党を立ち上げた中心人物である。民主党からの党名変更なのか、新たな政党発足なのか、認識は別れるが民進党の初代党首は岡田氏であることに間違いはない。だから忸怩たる思いであろうと推測できる。

よく分からないことが多すぎる

 ただ今回、氏がひどいと語る事態の生起については不可解なことが多い。ひどいといわれる状況はだれが見ても惨状と映る。ではなぜそうなったのか。事は前原前代表の独断のみによるものか。また小池氏との会談について当時の役員会はどのような報告を受けていたのか、加えてどんな議論を為したのか。など多くの疑問が残るが、いずれ真相が明らかにされる日が来ると思う。当然検証報道への期待もあるが、当時の役員会には説明責任があり、時期はともかく当事者自身の証言を求めたい。

9月28日両院議員懇談会、総会では何を議論したのか 

 また9月28日両院議員懇談会、総会への提案事項の事前審査についても明らかにする必要がある。重要事項の審議にあたっては通常、総会の前に役員会、常任幹事会など所定の組織対応が設置されているが、それらは機能したのだろうか。加えて議員一人ひとりの認識と判断は那辺にあったのか。献身的に支えてきた党員・サポーター、有権者が「藪から棒を突き付けられた上に置いてきぼりを食らった」ことこそが「ひどい」ことの本質であったわけで、その人たちに真実を伝えることが誠実な態度ではないか。

 本来紛糾して当然である事態にもかかわらず28日の両院議員懇談会、総会は淡白なやり取りに終始したと聞く。それは「みんな(希望に)行けるのではないか」との希望的観測が独り歩きし、民進党のままでは60議席に届かないのではという超悲観的見通しから、小池カラーに便乗すれば何とかなるのではとの集団幻想に陥ったからではないか。どう考えてみても、民進党の人と政策を丸抱えしたのでは新しい組織を作る意味がないわけで、それを知った上で甘い見通しの方に溺れるようでは政治家としての資質に欠けると言わざるを得ない。

 確かに9月28日の前原代表の説明はゆるかった。そのゆるさを指摘するのであれば「代表一任」に値する中身に欠けているのだから、事後の対応として常任幹事会での報告など組織対応として一拍ぐらいは用意するべきではなかったか。「あとからなら何とでもいえる」とはいえ、この一拍のあるなしが「どういうふうに力を結集していくか」という難題への足掛かりに直結するものであり、加えて岡田氏の「今までの様々な信頼関係をもとに話し合いをしていきたい」との抱負の実現性を支える根太のようなものだから、今さら詮無いことではあるが状況に流されすぎた会議運営であったと思う。

希望の党サイドって誰なの?稚拙すぎないか

 次に希望の党への合流交渉と悪化する事態への対応である。「排除」発言だけでなく「三権の長経験者はご遠慮願う」発言や真偽が明らかでない「排除リスト」と意味不明の「政策協定書」原案などの喧伝により国民の多数が眉をひそめる醜聞空間が瞬く間に広がり、公示日を控えリカバリーできえない事態に至った。加えて希望の党公認名簿の作成と公表が遅滞しまた公認原則が統一性を欠くなかで「候補者をもって党の方向性を示す」という政党政治の基本機能の一部が毀損される中、一強打破への期待が急速に萎えていった。ここは希望の党サイドの責任であり、実に残念なことであった。有権者の判断を受けるべく俎上に載せられる前に醜聞事案として取り上げられたことは、有権者からいえば選択肢の一つが異物混入状態になったわけで、中道右派への評価をどうするかという重要な判断が適正に行われなかったことは将来に禍根を残すことになった。この点希望の党サイドの責任は大きい。

指令機能を失ったのではないか

 一方民進党として10月2日の立憲民主党の結党宣言までの9月27日から10月1日までの5日間、党の主体、主座はどこにあったのか。長年応援団として苦楽を共にしてきた連合がこの間いくつかの疑問とささやかな要望を伝えたと思われるが、結果から類推するにしっかりと受けとめられたとはいえない。いや受けとめる、受けとめないということではなく、むしろ当事者能力を欠いたがゆえに責任ある対応ができなかったというべきではないだろうか。緊急重大事態に遭遇したのに、代表の一人舞台というのでは組織として情けないことである。ガバナンス、何回言っても身につかず。弱点克服が間に合わなかった、といえる。対する連合にしてみれば「目の色が変わる」事態である。怒髪天を衝くなどもはや死語なのか。労働界もクーラーの効きすぎではないか。

 連合との関係をいえば、ここ3年「連合にはつれない態度」が常態化していた。党と労働組合、冷たいとはいわないが「脱労組」的温感が普通になったと思う。邪魔だからと廃棄処分した自転車をいつしか懐かしくまたもったいなかったと思う日が来るのだろうか。無くなって初めて気づくありがたの類いのひとつが労働組合の支援ではないか。

またまた「戦犯」論議は逃避?

 今回のひどい状況について、前原前代表が党内外から「戦犯」と指弾を受けていると聞くが、民主党が2014年12月総選挙で大敗したときのことを思い出す。あの時も似た話があった。勝敗がすべて、そして結果責任ではあるが、それだけでは賢くなれない。難事に連帯することの大切さを知って欲しいし、学んで欲しい。その意味で被害者意識は学ぶことを拒絶するものだ。「戦犯」論議は被害者意識の発露であり、成長からの逃避である。まっとうな議論もせずに「代表一任」したうえでの嵯鉄である。共同責任以外の何物でもない。である以上連帯してことにあたるしかないだろう。

結党以来の体質に潜むもの(基本をおろそかにしないで)

 それにしても時の代表の責任は重大であり、その時のことは生涯ついて回るであろう。とはいえ、今回のことは首脳一人の責任に帰すべきものではない。民主党・民進党にあるいわば積年の体質の灰汁が鍋の表面に浮かびあがったもので、民主党結党以来の本質である。この程度の灰汁はどの政党にもあるもので、さらに毒性の強い灰汁もある。

 問題は適切な管理と解毒能力の確保ではないか。危機管理が苦手なのは組織運営が素人レベルで、日の当たらない部署を守る人が少なく、泥をかぶってでも砦を守り抜く人材に欠けているからだ。裏方を処遇する気がない。献身者が馬鹿を見る。これだけ指摘されても何のことだか気づかない、おぞましいぐらいの社会経験の欠如。これが病原である。   

 だから今日この事態を招いたのは、政権を目指す中道政党として必須の、あるべき基本政策の集約という難事業をごまかし、安易な目先の事象と政府追求に多くの政治資源を投入しすぎた小手先路線に埋もれたことにある。政党としての自立とは有権者の中に確固たる政権イメージを確立することである。政府の失策の追求だけで政権交代は起こらない。外交・安保・治安などの国家基盤政策と国民生活の維持向上に寄与する基本政策の骨格を提示することなく政権を奪取することは不可能である。仮に奪取できたとしても長続きはしない。舌鋒鋭きことのみ評価する有権者はいない。自らの生活を託するにふさわしいかどうかである。 代表たるもの議場で自らの政権構想を語らなければならない。野党第一党の「提案」を聞きたかった。「勘違いの野党第一党20年の結末」との指摘は引退議員の胸に鋭く突き刺さる。

話し合いの壁

 岡田氏の今までのいろいろな信頼関係をもとに話し合いをしていきたいとの意欲は多とするが、現実に目前にあるのは信頼の瓦礫ではないか。少なくとも2009年9月からの8年余あるいは政権喪失からの5年間の党運営を顧みることなしに話し合いの緒に就くことは難しいのではないか。「最低でも県外」(鳩山時代)「突然の消費増税論」(菅時代)「社会保障と税の一体改革」(野田時代)「2013年参議院選挙責任」(海江田時代)「維新の党議員との合流、民進党へ」(岡田時代)「都議選敗退責任」(蓮舫時代)と難しい問題ではあったが一蓮托生と思う仲間同士なら違う議論の仕方があったのではないか。労働組合は激しい議論を通して団結を育んでいく。民主党・民進党は論争を通して割れていく。「そして誰もいなくなった」ことのないよう願いたい。(考えれば考えるほどにブルーな毎日である。)

加藤敏幸