遅牛早牛

今日的リベラル考「やっていることはかなりリベラル」安倍首相

 「私がやっていることは、かなりリベラルなんだよ。国際標準でいけば」と朝日新聞(1226日朝刊)は安倍首相の言葉を伝えた。「リベラリズム」あるいは「リベラル」は多義的かつ相反する意味をもつので、同紙は「ここで言う「リベラル」とは、政治的な立ち位置のことではない。経済を市場や民間に委ねるのではなく、政府が積極的に関与し、所得再分配の機能を強めていくという文脈で使った表現だ。」との解説を加えている。 

 筆者は団塊世代である。若い頃、リベラリズムの用語法がズレだし、最終的に真逆に近いところに落ち着き、面食らった記憶がある。以来使いたくない言葉の一つとなった。

自由主義(古典的自由主義)とリベラリズム(現代的自由主義)

 最近、政治学者の中では自由主義(古典的自由主義)とリベラリズム(現在的自由主義)とにかき分ける向きがあり、少し楽になった気がする。それでもいずれも英語表記はLiberalismでややこしいことに変わりはない。

 自由主義(古典的自由主義)は個人の自由が最重要で、他者の介入を嫌う。自己決定と自己責任である。特に政府の介入は最小にすべきで、結果小さな政府を指向することになる。また個人の権利は尊重されるべきであるが、平等に関しては「機会の平等」であり、「結果の平等」についてはあまり重要視しない。米国の共和党路線である。

 一方、リベラリズム(現在的自由主義)は個人の生活の実態に着目し、実質的な平等を確保すべきと考える。権利はあっても実現されないのでは意味が無いと考える。従って所得の再配分政策を重視する傾向にある。福祉政策や弱者保護など大きな政府になりやすい。米国の民主党路線である。

安倍政治のリベラル性

 さて、安倍政治の作風は、一億総活躍社会、女性活躍、働き方改革、最賃・賃上げ支援などを見るとリベラリズム(現在的自由主義)の色合いが濃い。だから国際標準など持ち出さなくても十分リベラルである。加えて財政再建への消極姿勢など改革を避ける姿はとても自由主義(古典的自由主義)とはいえない。

自民党の中のリベラル

 もう一つリベラルという言葉をめぐる興味深い記事があった。それは産経新聞(1222日)の「単刀直言」欄である。岸田文雄自民党政調会長へのインタビュー記事で宏池会(岸田派)について「自民党では「リベラル勢力」といわれますが、あくまで党内での相対的な見方です。党の外で、旧社会党的な「リベラル」という方々とは、中身も実態も全然違います。」と本人が語っている。

 この時のインタビュー記事には「野党の「リベラル」とは、中身も実態も全然違います」との見出しがつけられているが、岸田氏は旧社会党的なリベラルと限定しており、野党の「リベラル」とは言っていない。また立憲民主、希望、民進、共産などに共通するリベラル的何かがあるとは思えない。故に見出しは誤解を招く恐れがなきにしもあらずで、字数の関係だろうがはしょりすぎである。

 それでも先ほど列記した野党に共通するリベラル的なものを絞り出せば、民生を中心とした「ケア」政策に要約されるが、これは安倍首相の「私かなりリベラル」と重なる。

 これはまるで幾何の平行線が急に交わる感じがして、奇怪であろう。しかしこの奇怪さが今日の政治状況を読み解く鍵の一つである。もちろん現在の自由民主党は1955年当時の自由党、日本民主党の合体政党であるから、日本民主党の遺伝子を受け継いでいると考えればリベラル政策を採用しても不思議ではないが、第一次安倍政権あるいは第二次安倍政権の当初の政治姿勢からは相当の遷移があるのではないか。狐につままれた感じだが、規制改革を標榜する古典的自由主義者にしてみれば財政赤字を放置してポピュリズム政策に走るとは言語道断と怒るべき状況である。

二つの政権の継続性

 さて件の状況を読み解く鍵の一つが「二つの政権交代」(竹中治堅編、勁草書房)であり、同書は「0九年の政権交代により多くの分野で政策が変容し、一二年の安倍政権誕生後も政策の方向性は変わっていないということである。」と指摘した上で、帯に「安倍政権は民主党政権の「延長」だった!?」と記している。

 同書の指摘は「ひどかった民主党時代」と「救世主としての安倍政権」といった対抗的物語として語られすぎているひどくワンパターンで辟易するほど退行的なウェブ空間にまともな批判精神を吹き込める知性の矢となりうるものではないか、と思う。(余談)

 また0九年の政権交代がうみだしたシステムチェンジがその後の政権交代の有り様にかかわらず、以前の自公時代に立ち返ることを阻む非可逆的事態つまり安倍政権としてバックギアが入らない、あるいはむしろ継続した方が好都合な政治事態をもたらしたことを明らかにするもので、実に有意義である。

リベラル論争はもう古臭いのか

 安倍首相が「かなりリベラル」と自称する政策の多くは時代が持ち込んでいる回答期限付きの課題であり、今日的状況において権力維持に不可欠のシンボルテーマといえる。

 0九年の政権交代以前では決して取り組むことはできなかったと思われる諸課題を官邸主導で議会や行政機構に対し相当乱暴に押し込んでいる今日この頃の私かなりリベラルでないかしら。とのつぶやきが聞こえるようだ。

 安倍首相が「私かなりリベラル」と語った瞬間リベラリズムもリベラルも宇宙の彼方へ飛んでいった。民主(民進)党は改革の旗を小泉さんにとられ、リベラル政策を安倍さんにとられ、これから何で商売するのかしら。と思いながら今年も暮れゆく。

2017年12月30日

加藤敏幸