遅牛早牛

まったなし、国会改革(国会は行政府から独立せよ)

 来週22日、通常国会が開会される。課題山積の中、国会への要請が各紙を賑わせる時期となった。各方面からの要請あるいは注文はそれぞれに意味のあることであるが、問題は国会を構成する衆参両院の国会議員自身の考えであろう。

国権の80%は行政府、15%が国会にそして5%が裁判所

 三権分立と教えられ、国権の最高機関と称揚されてきた国会であるが、果たしてそれだけの中身を有しているのだろうか。と疑問に思うことが多い。まず三権分立であるが、国権の80%は行政府に、15%が国会にそして5%が裁判所にあると思う。形式ではなく実態からの話である。国会が文字通り国権の最高機関であるのは首班指名時であるが、これも与党の代表選挙、総選挙の結果、連立形成の時点で決まることで、国会での投票は象徴的行為にすぎない。1994年の政治改革以来、内閣総理大臣の権限を強化し、党優位の選挙制度を推し進めてきた結果、両院の過半数を制する内閣総理大臣の権限は絶大となった。最高裁判所の人事権も、両院の議長人事も大きな影響を受けることなど、三権分立を支える工夫はなく、次の国政選挙まで主権者にはブレーキは与えられていない。加えて「解散は総理の専権事項」などとどこにも根拠のない伝説を振りまわし、行政府の監督にあたるべき国会議員を腑抜けにし、閣僚人事を餌に党内支配の網をめぐらせ「党内忖度状況」を加速しているところに三権分立なぞ存在すべくもないではないか。

実態は立法機関ではなく法案審査機関

 わが国の国会は立法機関ではあるが、審議されるのは内閣提出法案がほとんどであり、予算案は内閣が提出する。議員立法すなわち議員提出法案は件数こそ多いが実際に本会議あるいは委員会で付議されるのは、議院運営委員会で賛成を得られる、すなわち与党の意向に沿ったものに限定される。特に重要法案において与野党の賛否が分かれる場合、反対する立場から対立する内容を柱とする対決型法案を議員立法として提出する場合があるが、実際に審議されることは少ない。ということから、多くは内閣提出法案が審議のテーマであり、野党の質問にどう答えるかが焦点となる。したがって野党の対案との相互比較において議論を発展させることにはならない。与野党の華々しい議論を通じてよりよい結果を生み出す、と考える方々には申しわけないが、構造的にそうはなっていない。

 加えて国会資源のキャパシティには限りがあり、150日間という通常国会の期間は長いようで、可能稼働期間は存外短い。また予算委員会優先であるから、二月は衆の予算委員会、三月は参の予算員会ということで、他の常任委員会の開催は四月以降となることが多い。となると実質12週で法案処理にあたることになるが、二院であり衆参対等が原則だから、曜日で衆参の振り分けを行わざるを得ない。参議院では常任委員会は火木原則開催であるから、12×224すなわち24コマが最大キャパシティとなり、提案、質疑、採決の一連の流れで最低3コマ。質疑に2コマ3コマ費やすとたちまちはみ出す法案が出てくる。つまり8法案を超える場合与野党の合意に基づく日程処理が必要になってくる。ということで議員提出法案の審査が行われる余地は少ない。

 他に、本会議、決算委員会、調査会、特別委員会など目白押しである。また政府責任者(大臣、長官)の出席が前提であることから、議会の都合だけでなく行政府の都合もあり、与党の関係者は日程パズルを前に日々頭をひねっている。法案審査機関であるとしてもアップアップが実情である。

過剰防衛になっていないか与党の国会対策

 与党としては、限られた国会日程の中で内閣提出法案を遅滞なく成立させるため、特に「強行採決」との批判をかわしながら法案成立の成果を上げるためには、遅延の原因となる要素は極力排除せざるを得ないと考える。もともと「仕方がないことだ」ということであったが、最近は「当然だ」に変わったと思う。特に与党の質問時間を増やすという聞こえのいい提案であるが、野党の質問時間の削減であり、不規則答弁のリスクを減らす工夫である。与党として防衛的工夫を考えることは当たり前であるが、国会は国民のものであり、説明責任を果たす場でもある。国民の方を向かず、総理の顔色を窺っていると思われるのでは、過剰防衛とのそしりを免れないではないか。もちろん与党議員の質問の内容によって評価は変わると思うが。

国会対策委員長の矜持と国会改革

 現場の司令塔である与党の国会対策委員長の評価軸は「有意義な審議」「円滑な国会運営」ではなく「早く無傷で成立」「ややこしい質問をさせない」ことに変異している。一方の野党の国会対策委員長の評価軸は「どれだけ妨害したか」に集約される。以上は衆議院での実情である。一方の参議院は政局から遠い。また第二院の宿命から常に議会の存在意義を問われてきたことから、与野党ともに議論の内容にこだわりを持っている。衆議院の二番煎じでは意味がない。さりとて2005年の郵政法案否決のような離反はできない。そのはざまでの工夫ではあるが、意地のような展開が時々みられる。真剣に意義のある議論を作っていかないと一院制でもいいではないかという世論が沸き立つと思われる。

 議院内閣制であるから内閣提出法案を与党が否決することはありえない。そうであるなら総辞職か解散である。これは滅多にないことで、ふつう国会では内閣提出法案をいかに早く無傷で通過させるか、という技術論に意識がむかう。だから与党議員の質問には迫力が不足する。迫力がでるのは政府と与党の事前審査の場である。こういった矮小化している審議過程をつうじて与野党が法案の質を高めることは困難である。これではダメである。特に国の命運にかかわる、あるいは国民生活の基本にかかわる法案については国会で生きた議論をこなしておかないと将来国論の分裂を招く。野党の立場あるいは視点を取り込むことも大切であって、国民の総意をはぐくむことも国会の使命である。議会は議会。内閣の持ちものではない。国民のものであり、あくまで国民議会である。

 国会は国会議員が変えていかなければ変わらない。1994年からの政治改革の行き止まり局面にあると思う。内閣総理大臣の権限は想定以上に強くなり今や副作用(忖度現象)が心配ごとになっている。政権交代も経験した。次は国会改革である。

加藤敏幸