遅牛早牛

世に三塞あり、国会、日銀、民進党

 世に三塞あり。国会の閉塞。日銀の閉塞。民進党の閉塞である。

 国会での審議が3月19日再会した。「財務省が森友学園との国有地取引に関する決裁文書を改ざんした問題」が当面のテーマとなっている。現在参議院予算委員会が舞台であるが、議論が分かりづらくなっている。その原因の一つは野党が7つもあり、事前ヒアリングは6党で合同して行っているが、質問点を含め質疑構成などについて十分調整されていないところにある。

 また土地取引にかかわる疑惑解明なのか、改ざん理由解明なのか、はたまた政府に対する責任追及なのか、質問の都度、主題が変わり集中できていない。

 もし真相解明に軸足をおくのであれば、そのための場を国会の責任において設けるべきであろう。一方、土地取引にかかわる疑惑解明については、国有財産を不当な価格で処分したという背任容疑が中心なので国会では難しい。検察の仕事である。

 残る政府に対する責任追及については今述べた2点とはべつに行政府が立法府に改ざん文書を提出した責任をわけて取扱うべきである。行政府が立法府に対し嘘をつくことは民主政治の根幹を揺るがす問題であるから、これは重大課題として本質的対応が必要である。

 いま国会が問われている、野党も問われている、のだから野党としては相当な決意と工夫をもって質疑に当たるべきと思う。

 「首相官邸や自民党が隠蔽をこじ開けた」などと冗談にもならないことを真顔で口にされる状況では建設的な議論は生まれない。いわんや後日所属党によって削除された部分については論外である。国会答弁は政府の責任でおこなわれるもので、[国会+内閣]対財務省という構図を無理やり作り出す意図は不純である。内閣も被害者といいたいのか。理解に苦しむ。

 国会対[内閣⊃財務省]という構図でなければ、内閣の連帯責任は成立しないことになる。基本中の基本である。一部とはいえこのような考えが与党にあることがどんよりとした空気を作っている。

 ということを含め国会に対し国民が感じる閉塞感は、多くの与党議員が一歩引いていることに由来するのではないか。内閣に連帯する立場から、最後の一線が越えられない、否それどころか批判がましいことも遠慮せざるを得ないという空気感を払しょくしなければ、閉塞感を払いのけたうえで、さらに国会の権威回復を図ることは難しいのではないか。加えてどれだけ追及に尽力してもそれだけでは野党の高評価につながらない厳しい現実も指摘したい。追求とは別領域での野党への信頼回復がなければこの閉塞感を解消することはできないと思う。この点野党の奮闘に期待したい。

 日銀の閉塞とは何か。それは国債保有残高449兆円(昨年末、時価ベース)、保有割合41.1%にある。また上場投資信託の保有残高は17.2兆円で、間接的ではあるが大株主になっている。

いま金利が上昇すれば保有国債の時価は減少する。その分日銀のバランスシートは痛み、政府の利払いは増加する。それを避けるためには低金利をつづけるしかない。勤労者の貯蓄は老後生活の支えである。過去勤務による労働の対価の蓄積がわずかな利子しか生まないとなると、いくら自助努力を説いてもうつろに響く。だからといって株式などリスク商品を政府が勧めるのは筋が違う。超低金利にしろ、物価目標にしろ、庶民生活を置き去りにした金融政策の結果、自らの政策選択の幅を狭めている日銀を国民はどう見ているのか。カカシとはいわないが、庶民の味方でもないし力強い存在でもないことだけは確かである。

 日銀の閉塞感は打つ手が限られている手詰まり感からくるもので、またそのことがわが国の金融面の脆弱性、被虐性あるいはつけ込まれやすさを高めているのと同時に不安心理を生み出している。つまり日銀の金融政策を変えろ、変えないという議論ではなく、だれがやっても同じ、かじ取りが難しいという空気が醸しだすたちの悪いしろものである。

 

 民進党の閉塞は党に対する国民の期待喪失、あるいはネグレクトに由来する。民進党は昨年の928日解党を決め、総選挙では候補者を立てなかった、その結果、衆議院では希望の党、立憲民主党、無所属の会の三つの流れになった。

そこで国民から見てわかりにくいのは残された民進党参議院議員の動向である。できるだけ大きな固まりを作りたい、作るべきだという理屈は分かる。であるなら、その方向で話を進めればいいわけで、それがいろいろ試行した結果、現状において難しいということであるなら、速やかにグループ分けを行い、それぞれ旗幟を鮮明にすべきである。

 それを、選挙結果を見てから「やりかたが間違っていた」のでやり直しとばかりに無所属の会のメンバーを含めて路線論議に血道をあげている。で、民進党は存続している。民進党の存在理由が「やり方が間違っていた」ので元に戻すというのではどうにもならない。存在理由が意味不明である。だから支持率がきわめて低いのではないか。

 衆議院無所属の会は、党籍が残っていることは承知しているが、民進党ではない。それが証拠に民進党で選挙をたたかっていないではないか。国会活動は無所属の会、政治活動は民進党というのは国民の理解から遠く、落ち着きが悪い。そもそも国民の多くの理解は民進党自体が宙に浮いているというもので、そのような状態にある民進党の党籍を根拠とするのは消極的存在証明にすぎず、一年生議員ならいざ知らず百戦錬磨の錚々たる面々に世間が求めるのは大きな芝居であり、自主、自立の道ではないか。しがみついているとは思わないが、「がっかりさせるなよ」と大向こうから声が出そう。

 流動しないコンクリートは固まってしまう。国民は悪意をもってネグレクトしているのではない。「あれから半年」いつまで時間をかけているのか。そしてなぜかけるのか。あまりにも自分勝手な理屈と内輪の事情に拘泥しているのではないか。という疑問をもちながら、「あなた方にはおそらく国民の姿は目に映っていないのでしょう。なら付きあう必要はありません。」というのが国民の声ではないか。

実績、政策力、議員の資質を考えれば、少なくとも5パーセント程度の支持率があってもおかしくないのに、そうでないのはどうしてなのか、ということだ。

 民進党の閉塞感は自家製である。速やかに閉塞状態から脱却し、世にある閉塞の打破に力を発揮してほしいと思うが。(本来閉塞を打破する人が閉塞の原因になってどうするのよ。)

加藤敏幸