遅牛早牛

暑い夏は静かに国体を思うべし ①

 夏休みのメインテーマは宿題であった。残された数日でどうやりくるか。毎年同じことの繰り返し。計画は立てるが一つも実行されない。正しくは実行できない、そんな怠け者の自分に対する自己嫌悪。積もり積もった自己嫌悪の山に埋もれて、いつも宿題はやり残され、ただ時間だけが経っていった。

 夏休みの宿題とそれをまじめに処理できなかった自分に対するいやな感じは今も滓のように意識の底に積もってはいるがもう慣れてしまった。またどうでもいいことである。

 しかし、人生には別の宿題がある。怠け者だから仕方がないとあきらめたり、放り出すことのできない宿題がある。それは自分が為したことではないが深くかかわっていることである。

 私は昭和24年の生まれである。いわゆる戦後ではあるが、まだまだ戦争の傷は市井のあちこちに残り、大人たちのよもやま話の端々に被害と加害の凄惨な片りんが見えていた時代で、神社の境内には秋祭になると傷痍軍人たちがそれともなく集い、さあどうしてくれるのだ、と何かを強要している感じが漂っていた。そんな記憶が、手足に巻かれた包帯の白とともに残る。

 「あんな大きな強いアメリカと戦争したんだぞ、すごいよな」と友は言うが私は答えなかった。『やらなければよかったのに』『どうして馬鹿なことをしたのか』と思っていたから、人から聞いた話を素朴に伝える友を傷つけたくはなかった。

 中学に入って「あの人は戦争反対だったから」と母親から印象付けられていた祖父に「なぜあんな馬鹿な戦争を始めたのか」と聞いた。しばしの沈黙の後「それは機密費じゃ、軍人は機密費を守りたかったんじゃ」そういうこともあるのかと心の封筒に入れた。

 中学三年の時、担任が慌てて教室に入ってきた。「学習の記録、書いているだろ、見せて」、校長が急に点検を指示したのだ。「お、ビンお前なら大丈夫だろ」と私のとじ込みを手にそそくさと校長室に向かう。『何が大丈夫なものか。えらいことになるぞ』と思いながら後姿を追うと、担任は素早く内容を確かめながらこちらを振り返り1ページ分を剥ぎとった。

 『校長は朝礼で、さかんに大和民族というが、今の日本にはいろいろな人がいるし、昔も渡来人がいたではないか。使うべきではない。』と書いておいた。

 担任は宥和主義者である。が熱心な体育教師であった。嫌いではなかったが、やっぱりねと思った。同時に悶着を回避した処置に内心感謝した。今もめても仕方がない。いや、生徒が校長の言葉遣いをいちいち咎めていたのではどうにもならないだろう。私にしてみれば負ける喧嘩はしたくなかっただけである。私も相当に宥和主義であった。

 しかし、戦後目指した教育は「皇民」から「公民」へ、すなわち人権、民主、平和の浸透であったはずなのに、教育現場は旧制高等師範学校出の教員に支配されていた。息をするがごとく人権意識を身に着けることができるのか。権威、権力によらず物事を決めることができるのか。他を傷つけるぐらいならそんなものはいらないときっぱり言えるのか。試されるべきことは多かったが、簡単には身につかない、民主主義なんて異国からの漂着物だから浜辺に打ち上げられていずれ朽ちていく。それでいいのか。いいわけないだろう。と思っていた。

 中学には給食がなかった。しかし金曜日の昼には牛乳が一本配給された。ゆっくりと飲んでいると、窓の向こうから「米軍の余りもの、脱脂粉乳から作った牛乳を子供たちに飲ませるな。アメリカでは豚の餌。」と、宣伝カーががなり立てる。共産党の街宣車だ。「飲んでるときに言うな」と誰かがわめく。

 脱脂粉乳だって、今さらなにを。小学校の六年間はアルミの椀で生暖かいミルクをあてがわれた。裏庭には子供が何人でも入れそうな紙製ドラム缶が転がっていた。脱脂粉乳の缶、アルファベットがスタンプ印刷されていた。

 大岡正平の『野火』は少年にはきつかったが、この国が飢えと病気で自国の兵隊を殺している事実を受け入れることは、さらにきつかった。だから、脱脂粉乳のどこがいけないのかと反問するのだった。

 と、私小説的にこれ以上続ける気はない。問題は宿題が積みあがっているが一向に捌けないことだ。それでも少しは仕訳けられた、と思う。

たとえば『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』(井上 寿一 講談社現代新書)によれば、戦後幣原首相が戦争調査会を設置し、自らの手で敗戦の原因を調査することに着手したが約一年後、1946930日報告書の完成を待たず事実上解散させられてしまう。2016年、その未完の報告書の資料がようやく日の目を見た。第一級の史料だと思うし、今後戦史にとどまらず多方面において活用されると思う。

 ではこれを読めば私の宿題の答えが見出されるのか。貴重な証言はあくまで材料である。質の高い材料で戸棚はいっぱいになっても、肝心の料理法がわからなければ、答えは出せない、すなわち宿題はできないことになる。

では料理法とは何か。心の底に滓のように積もった疑問に単純に答えていくだけでは満たせないものがある。つまり部分を積み上げるだけでは全体にはならない。だから初めから全体としての本質につながる旋律が必要であって、それは一体なんであるのか。それが見いだせなければ、調理台の上に高価な材料を並べつくして、さてどうするのだというとんでもなくみっともない状況に陥ることになる。

台の上の材料を全部鍋に突っ込んで火にかけてどうするの。材料に合わせて下ごしらえがいるし、また材料どうしの相性や組み合わせもあり、それぞれの特性を生かすには相当の知見、洞察が必要ではないか。

だから材料集めも大事だが、それ以上に歴史の真相に迫る、独自の視座がなければ、宝の持ち腐れになってしまう。せっかくの材料ではないか。それらに輝いてもらうためにも、仮説の洗い出しが必要ではないか。

例えば前出の戦争調査会の報告から戦争回避の機会が何回となくあったことがうかがえる。だが回避できなかった。なぜか。ここが解明されなければ、同じことがおこるぞ。だから気をつけろと子供たちに言わなければならない。

 わかっているけどやめられない集団病。同調圧力に屈する弱虫。長いものに巻かれる事なかれ主義。などなど、どうして克服できないのか。ここを解かなければ子供たちも合点がいかないのではないか。

どうしてもやらなければならない宿題。残された時間は少ない、暑いし。

◇蝉なかず灼熱に落ち昼下がる 

加藤敏幸