遅牛早牛

時事雑考「残党ではない、新党だ」

◇ さて政治は安倍三選を受け臨時国会を迎える。召集は10月第4週、24日あたりと予想されている。12人もの新閣僚を迎え波乱含みの展開を期待する向きもあるが、地味であっても中身の濃い議論が大切である。特に、米中経済闘争と米朝協議の進展は我が国にとって重要事項である。また2020年のオリパラの準備状況もしっかりと確認する必要がある。コンパクトといいながらも会計検査院から「すでに8000億円を超える支出があった」と指摘されている。来年秋には消費税率の引き上げが予定されているが、財政規律以前に政治規律が緩んでいるのではないか。世界一の借金大国であることを忘れずに真剣な議論を期待したい。とキレイに締めくくりたいが、相当に期待薄である。特にモリカケはいつまで尾を引くのか。質問する野党をいじる発言が散見されるし、確かにこのことでどんなに頑張っても野党の支持率が上がるものではない。しかしだからといってパスするわけにはいくまい。質問する野党が悪い、報道するメディアが悪いというのは勝手だが、スッキリさせられない政権側に問題があるのであって、さらに政治の遅滞による逸失利益は大きい。国益をいうのなら体勢を変えた方が良かったのではないか。もちろん変えられないのが生きた政治だと分ってはいるが、一言いってみたかった。

◇ 政権が胡坐をかくのは野党が分断状況にあるからだ。これも耳にたこができるほど聞かされてきた。だが分断状況にあっても不思議なほど「私が悪かった」という声を聞かない。みんな被害者のような顔をしている。この場合加害者という概念がクリアではないので、論理展開に無理がでてくるが、あえて話を進める。最近「元はといえばあなたがミシン目を入れたのが発端ではないか」とある人からきつく詰められた。どのことを指しているのか即座には分からなかったし、今もピンとこない。「何を言ってんだい、バカも休み休みにしろ」といいたいのを抑えしばらく思いを巡らせたが一向に思い当たらない。そこで「うむ、こういう鈍感さが問題なのか」と気がついた。つまり被害者のような顔をして事態を傍観しているだけで、口を開ければやれ前原が悪い、小池が悪いと悪口雑言に事欠かない。これはわが身を守るための防衛機制の一種かもしれないが、やはり卑怯である。自らが集団の一員であったことの責任は重い。選挙で選ばれた国会議員が被害者面をしてどうするのよ。あえて加害者とはいわないが、「みんな原因者であり当事者ではないか」被害者は有権者であり支援者である。

◇ その多弱の一角が国民民主党であるが、ようやく「改革、中道」の旗を揚げた。しかし近年の劇場型政治を考えれば中道政党の進む道は険しく困難に満ちている。また自らの理念に誠実であればあるほど穏健かつ地味な存在となる。現状を批判しその破壊からスタートする左派勢力の派手はでしさは望むべくもないが、現状を肯定する姿勢からは与党との違いは見えにくい。そして左右に挟まれ目立たないから選挙は強くない。と芳しくないことが目につくが、そうはいっても中道政党の存在は政治全体の安定に大いに寄与するもので、世論のぶれに対しスタビライザーの役割を果たす。とかく分断状況に陥りやすい今日の政治状況にあって政治的スタビライザーの存在は貴重である。また産業を支え、穏やかな改革を目指す産業別労働組合と、中道政党が持つ「現状を肯定しつつさらなる改革向上を目指す」行動様式は親和性が高い。地味であっても必要なものは必要なのだ。ただし中道政党単独では政権をつくることは難しいので、常に政権構想を掲げ他党との連携を模索する姿勢が大切である。国民の政治意識を大くくりにまとめていくのが政党であるから、右派、左派、中道など多彩にあってしかるべきで、頭から否定することはない。何となく民主党から民進党へ、民進党・希望の党から国民民主党へ縮小化のイメージがあるようだが、決して民進党などの残党ではない。立派な新党である。そのことを証明するためにも「改革、中道」の旗をわかり易く堂々と掲げてほしいものである。野党が議席を増やさず政党数だけを増やしていることはたいへん残念であるが、野党間の切磋琢磨がこの国に新しい政治文化を生み出す力になる可能性も大いにあるわけで、支援者としても息長く、また新しい政治文化の涵養に力を尽くすこと、これが憲法にいう国民主権ではないかと、ともすれば悲観と皮相に走りがちな自身を叱咤しつつ秋冷の日々を楽しんでいきたいものだ。

◇ それにしても野党間の切磋琢磨にはルールが必要だ。それは節度であり仁義である。仁義なき争いはいずれ自壊につながる。数段の論理飛躍を恐れずにいえば、ここに連合の悩みありということでしょう。

◇ 螳螂が踏みつぶされて秋冷に

加藤敏幸