遅牛早牛

「時事雑考」 北朝鮮を考える今日この頃

◇ 過日といっても古い話となったが、今年2月ハノイで行われた第二回米朝会談は不首尾であった。が、「もしそれがまとまっていたとすれば、どのような内容になっていたのか」との問いに、「まああり得ない」との結論に達するのにそう時間はかからない。どう考えても両者の立場も主張も平行線で、簡単に交わるものではない。

◇ 協議といわれているが、正しくは終戦交渉であり、半島に本格的な平和がもたらされるのか、特に東アジアにとって極めて重要な交渉といえる。もとより非核化は関係国や周辺国にとっては絶対条件であり、国際的にも核保有は決して認められるものではない。一部の関係国の思惑もあって、段階的非核化というまやかしが徘徊しているが、速やかに完全かつ非可逆かつ検証込みの非核化でなければならない。この原点に議論の余地はないことを、北朝鮮は肝に銘ずるべきであって、核兵器と長距離ミサイルを持つことにより何らかの交渉上の強い立場を得られるのではないかといった幻想を抱いてはならない。それらを保有することが何らかの利益をもたらすという悪い事例を国際社会は許すわけにはいかない。むしろ保有することが耐えられないほどの大きなリスクをもたらせる、という仕組みを生み出す方向に動くべきであるし、おそらくそうなると思われる。ということから経済制裁は厳しく継続されるべきである。

◇ ところで、北朝鮮が求める体制保証とはどんなものなのか。これを明らかに出来る人はいない。とりあえず休戦から終戦そして平和条約の締結といったプロセスが考えられるが、では非核化のプロセスをどうするのか。最も重要なことは、北朝鮮が核保有国として平和条約に臨むことは許されないということである。したがって早い段階で非核化の議論をはじめなければならないのだが、議論をはじめる条件に制裁緩和を強く求めてくると思われるが、それを認めるとその後の交渉が難しくなる。宿題を1ページやった褒美に何かをねだる子供のように、狡猾な交渉を展開するだろうし、それに応じてしまえば彼らは遅延策を講じ、交渉相手が変わればまたいろいろと要求を繰り出してくると思われる。彼らにとって永久交渉が次善の策で、交渉を続けている間は枕を高くして眠れるのだ。この状態も体制保証の一形態といえる。

◇ 北朝鮮は国家ではあるが、外交交渉の相手国としてははなはだ厄介な状況にある。それは議会を持たない専制国家という国の在りようそのものである。実質議会を持っていない。だから国民への説明責任はなく、確証の高い公的情報は表に出ない。またどんな約束をしても議会という連帯保証人がいないことから、条約履行の信頼性がはなはだ低い。いわば、たった一人の意向と動向に振り回される国家であり、今までに米国を中心とする国際社会は何度も煮え湯を飲まされてきたが、それは北朝鮮国家の本質に由来するもので、方針とか政策の問題ではない。また北朝鮮が求めている体制保証の中身は確定していない、と思われる。それはその時の状況によって変わる。たとえてみれば、要求を確定してない労働組合と交渉しているようなもので、疲れるだけである。交渉者としての内実(要求と妥協)を有していないから、ディールは無理である。

◇ このディールが無理であることをどのように認識するかである。トランプ大統領が、北朝鮮は資源に恵まれ、潜在力があるのだから、うまくやれば豊かになれる、とバラ色の未来を説き、そんな未来が欲しいのなら早く非核化を実行しなさい、とばかりに得意のディールを進めているようだが、金政権が一番に欲しているものがそういうものなのか不明である。さらにいえば彼らが欲している体制保証は他国が与えることのできないものではないのか。三代にわたる金政権は王朝そのものだし、人々に対しどのような恩恵を施してきたのか、と考えれば、中国でいう易姓革命が思い当たるばかりである。つまり指導部が最も恐れるのは人民の離反であり、復讐だと思う。だから統制の緩和に通じる開放策を取ることはできない。魚は頭から腐る。北朝鮮が豊かになる過程では汚職、風紀紊乱、憎悪、不正が蔓延し、社会秩序は悪化すると、勝手ではあるが想像せざるを得ない。

 

◇ さらに深刻なのは、人権に対し無視、抑圧、破壊が日常化しており、そんな国家を簡単に承認していいのかという基本問題が横たわっている。それに強権による統治は体制の持続性を高められるのか、むしろ逆ではないかという見方もあり、さらに突発的事案による政権崩壊のリスクも高く、加えて、そのリスクを自力で克服できないジレンマにある。

 そういった今日の事態を理解するならば、決して望むものではないが、厳しい制裁を継続することのほうが当面の対応策として適切ではないか、北朝鮮が自らの立場を正しく理解し、交渉相手が満足しうる妥協策を準備するまでは、と思う。だから、基本的に安倍政権の方針に賛成であった、つい最近までは。

◇ それが、「前提条件なしの対話」とはどういうことなのか。前提条件のない外交交渉があるのか。今日までの経過をオールクリアにするのか。わが国のかの国に対する要求すなわち態度は明確であって、それは双方ともに分かっていることではないのか。それを今さら前提条件なしにとは、面妖なることはなはだしい。これは呼び水なのか、あるいは何かを秘めた高度な作戦なのか、国民には判断のつかぬことではあるが、わが国の基本方針を変えないことが前提ではないか。

◇ 北朝鮮にとって核兵器と長距離ミサイルとは何なのか。彼ら自身主観的にどう考えているのか。指導部や軍関係者にとどまらず市井の人々の考えや思いについても分析する必要があるだろう。おそらく国家存続の守護神、究極の切り札(兵器)と考えていると思われるが、そうであればなかなか廃棄にはいたらないだろう。今まで投下した莫大な資源や人々の犠牲を思えば、廃棄することは、わが身を削り捨てるような思いになるのかもしれない。また廃棄交渉の中で、核兵器と長距離ミサイルが本当に必要であったのか、人々をして疑問を抱かせることが出てくるかもしれず、多くの人々が生存ぎりぎりの生活を強要されているのではないかと疑われている中で、廃棄と引き換えに人々に分け与えられる何かいいものがあるのだろうか。おそらく人々までには回ってこないのではないか。

◇ 北朝鮮の統治はもともと窮乏を土台にしたもので、富を分かち合う原理・原則を持たない。これまでの厳しい人民抑圧を思えば、指導層の生き残りのために最も必要なものは、さらなる抑圧ではないか。はたして金一族を中心とする支配層の安寧と人々の幸せとが両立しうるのか。北朝鮮国家の底に横たわる、中国流にいえば核心問題である。

 いずれ、核兵器と長距離ミサイルに注ぎ込んだ金が無駄であり、そんな金があったのなら違う使い道があったのでは、との素直な疑問が滿汐のようにやってくるであろう。間違っていたのではないかという疑問を肯定することは、直ちに関係者の厳罰を連想させることから、隠してでも、嘘ついてでも廃棄はしないであろう。したがって経済制裁との取引は成立しない。漸次、金王朝の限界が迫っている。「すべて廃棄するから仲良くして欲しい」と、あの時トランプ大統領の耳元で囁くことができなかったことが躓きの始まりとなるであろう。逃した魚は大きい。わが国にとっても拉致問題を思えばきわめて残念なことである。

◇ 本当は何が欲しかったのか、ご自分でもわかっていなかったのでは、あるいは誰かの囁きに心眼が曇ったのか。そもそも、小国が保有するには核兵器と長距離ミサイルは危険すぎる。いずれ処分しなければならないのに、結局得られるものは何もなく、分不相応の兵器を持て余す、眠れぬ夜が続くであろう。

 余談ですが、まとめたいのなら相手がびっくりするぐらい出すのが交渉の極意でしょう、それも一発回答で。

◇ 路地に立ち朱花を撒くや老い柘榴

  

 

加藤敏幸