遅牛早牛

時に苦みも要る、甘いだけでは切り開けない政治

◇ 山道では足元に気を配りながらうつむきに歩くので、谷に落ちることも石に躓くことも少ない。そのかわり目標とした山を見失い道に迷う。ふもとでは高い山は簡単に遠望できるがひとたび森に入ると木や近くの山に遮られ見えなくなる。

 だからといっていつも上を仰ぎうろうろしていると足元がおろそかになり谷底へ転落してしまう。このように、状況にもよるが遠望を保つことは難しい。

◇ 政治の世界においても同じことがいえる。当面する諸課題をそつなくこなし日々賄っているように見えても何のためにどこに向かっているのかが分からなくなってしまうことがある。つまり、遠望を欠き森に迷うがごとき事象が起こっている。

◇ いま民進党由来の二党は遠望を欠いている。85日立憲民主党枝野幸男代表から国民民主党玉木雄一郎代表に党首会談の申し入れがありその席上一枚の文書が渡された。その文書には「院内会派『立憲民主党・無所属フォーラム』に加わって、衆議院でともに戦っていただきたく、ここにお呼びかけさせていただきます。」と丁寧ではあるが、本旨は吸収併合を呼びかける、いわば降伏勧告である。

 たしか「永田町の数合わせには与しない」といい放ち先の参議院選挙での野党選挙協力に後ろ向きだったはずなのに、芳しからざる選挙結果を見ての心変わりなのか、疑心が走る舞台回しといえる。

◇ 一方の玉木代表であるが、「大きな固まりを作る」と日頃述べていたから受け取ることに抵抗はなかったのだろう。「もちかえる」のは礼儀作法かもしれないが、「大きな固まり」との整合が注目されることになった。詰めていくと難しくなるのではないか。たとえば、文書の中段には「本年529日の『立憲野党41会派の政策に対する市民連合の要望書』に記された13項目にわたる政策要望を踏まえるとともに、立憲民主党の政策、すなわち、立憲主義の回復など憲法に関する考え方、いわゆる原発ゼロ法案等のエネルギー関連政策、および、選択的夫婦別氏制度や同性当事者間による婚姻を可能とする一連の民法一部改正法案等の多様性関連政策などにご理解ご協力いただき、」と一方的にいい値を張っているが、普通は協議の進め方から入るもので、団体間協議としては類例を見ない提起である。さすがに枝野代表の作ではなかろう、衣の下から鎧が覗くとのたとえがあるが、鎧そのまんまではないか。

◇ そもそも政党と会派はどう違うのか、すらっと説明できる人は百人に一人ぐらいのもので、世間の認識は政党中心である。しかし、議会は登録された会派を運営単位とするもので、委員長や理事、委員の配分から質問時間など多くの事項が会派所属議員数によって決まる。つまり、議会では会派が表面、政党は裏面である。

 また議決もほとんどの場合、会派ごとに決められるもので、本会議においては直前の会派の議員総会で議案(法案)ごとに説明と確認が行われる。確認された議決と違った場合は釈明をもとめられ、会派の懲罰対象になる場合もある。棄権も同様であるが扱いはやや軽い。まれに議決に拘束をかけないケースもあるが、議決がばらけることが多発すると何のための会派か、単なる数あわせではないかとの非難を浴びることになる。

 だから「数あわせに与しない」とは議決もそろわないのにグループだけを作っても意味はないという真っ当な考えであるといえる。

◇ このように会派は議会の日常であり細部である。神は細部に宿るとすれば、議会の神髄は会派にあるともいえる。その会派を同一にすることは議員にとっての重要事項であるからいろいろ悩むのはあたりまえである。

 ということで、会派の糾合については当事者同士が十分詰めることが大切なので、外野が口出すことは控えるべきと思う。しかし、前出の申し出の文中にある基本政策あるいは方針について政党を支援してきた立場からなんらの発言もないというわけにはいかない。支援する動機すなわち本質にかかわる問題である。政党と支援団体を結びつける契約事項が政策ではないか。その重要な契約が他の事情で反故にされようとするときに黙っていられるはずがない。そもそもこれらの契約事項に齟齬が出たからこそ異なる政党を形成してきたわけだから、今さら何事か、という問いかけは不自然ではないだろう。

 

◇ さて遠望に欠けるとは何を意味するのか。簡単にいえば、当面の課題に専念するあまり長期の課題を見失ってしまうことで、木を見て森を見ず、ということであろう。

具体的に金融政策でいえば、日銀が抱える「出口戦略」である。今日各国が利下げに走る中で為替レートをどうするのか。早い話円高を傍観するのか。

 つぎに財政規律。日本の状況こそがMMTの証明事象といわれて喜んでいる向きはいないだろう。また、通貨発行権を有する限り財政破綻はありえないのはその通りだが、その挙句に起こる事象は国民にとって耐えうることなのかが問題である。MMT1000兆円を超える今までの借金の安逸性を説明できても、つぎの100兆円の借金が何をもたらすのかについては何の示唆もしていない。ハイパーインフレになったら増税をし、年金を削減しなさいというばかりで、「病気になるまでは元気です」と、これではまるで藪医者ではないか。

 3番目は、暗礁に乗り上げている外交。ロシアとの平和条約交渉。北朝鮮の非核化と拉致問題。日韓の不信の連鎖。米中経済闘争の展開。いずれも簡単ではないが、国会で何も語らないのか。

 4番目は、わが国を取り巻く安全保障。どんな事態を想定し、どのようなリスクを考えるのか。国民はじめ関係者の犠牲をどのように考えるのか。まことにやむを得ないものがありうるなら、そのように説明するべきなのか。

 5番目は、環境問題とエネルギー政策。原発ゼロと温暖化対策は両立するのか。そのロードマップは可能なのか。国民生活への負担要請はあるのか。

 6番目は、社会保障に限らず現行の国民負担と給付は持続可能といえるのか。 

 まだまだあるが、要は国民に負担を求めるのか、借金でごまかすのか。直面する政治課題に真摯に向き合うべきことを政党として整理すべきではないか。これらの重要事項の議論なくして国民の多くを動かすことはできない。他党をポピュリズムと批判する前に、自分たちが国民にとって苦い政策を提起するべきではないか。それでは選挙に負ける、選挙にならないとその場駆け足を繰り返しているだけではちっとも前に進まないではないか。

 会派の統一も大事だが、国民と対峙する政策の議論も大事であろう。今日の政治に欠けるもの、それは真の課題を遠望し、途中どんなに苦しくとも最終的に国民を救う道を求め、示すことではないか。と、両党に格段の思い入れを持つ立場から指摘したい。

◇ 次の国政選挙は政権を問う総選挙である。政権選択を問う選挙に臨むにあたって、いかなる争点を提起するのか、これから様々な議論が始まると思われるが、安倍政権は小さなことは山のようにこなしてきたと思う。それを非難しても国民の共感を得ることはできない。ポスト安倍を枝野が担う意義は、今日まで自公政権が逃げ回ってきた困難な重要課題に挑戦することにあるわけで、そうでない限り、右派の砂糖まぶし政策から左派の砂糖まぶし政策に転換するだけの、それでもその限りにおいて意味はあるのだろうが、国あげての甘やかし路線に変わりはない。

 それでは砂糖壺の中の争いではないか。急激なデフレ政策を薦めるものではないが、国民自らが問題の当事者であることに気付いてほしい、またそこからスタートしなければ問題の解決につながらないと思う。国民に対峙し覚醒を求めることが政治家の役割ではないか。枝野、玉木両代表の奮闘を祈りたい。

 (国民民主党は、「国民、生活者本位の政治を実現するために衆参両院で統一会派を結成する。統一会派結成に向けて政策的方向性、必要な事項について誠実に協議し、合意を形成する」旨の方針を10日開催の両院議員総会で正式決定した。今後立憲民主党側に回答する方針。)

◇ 幸せを灯に託すかカナブンは

加藤敏幸