遅牛早牛

米中経済闘争の行きつく先は不毛の荒野か

ただただエスカレートしているが

 米中経済闘争がエスカレートしている。正直なところはた迷惑と思っている国がほとんどだろう。当初、トランプ政権は中国との貿易赤字の解消を目指していたが、知的財産権侵害や技術移転強要あるいは国有企業支援など中国経済の構造にかかわる課題を厳しく指摘していく中で、争いは経済闘争の様相を強め、もともと情報通信などのハイテク分野での技術覇権をめぐる争いが底流にあったことから、終りのない闘いになりつつある。

不安感をあおり、景気に悪影響

 争いの内容が試験問題のように初めから確定されたものであればまだしも、真の狙いが隠されたまま、表面に浮かび上がる時々のターゲットが大きく浮動している状況が、周囲に不安感を生み出し、その不安感が高率の関税応酬による実害を超えて世界景気に悪影響をおよぼしている。

 「何とかなるだろう、両国ともバカではないのだから」と楽観的に受け止めたいが、現実は極めて深刻である。子供でも日々の遊びの中で理解していることだが、それは「状況打開のために対抗策を打つ、これが新たな反撃を呼び起こし事態はさらに悪化する。この悪循環から脱却するためには一度負けなければならない。しかし負けることが戦略的好手であったとしてもそれは政治的敗北につながることから選択できない。ということで双方とも行き着くところまで行かざるを得ないというチキンゲームの不幸(わな)に陥ってしまう」ということで、第一の問題はその「行き着くところ」である。いまそのシナリオをめぐり世界中が作家顔負けの創作活動に没頭しているが、確かなことはほぼ100パーセント悲観シナリオにならざるを得ないことである。第二の問題は、このことが世界経済にとっての強力なブレーキになっていることである。

なぜ、まとめなかったのか、好機は一回だけ

 米中の政治妥協が成立し収束するのか。そしてそれは「いつ」なのか。この問いかけに答えられるのは、当事者をふくめ一人としていないという頭の痛い状況になったのは、中国が今年510日までに90パーセントまとまっていたといわれている合意内容を撤回したからである。その理由についてさまざまな推測が飛び交っているが、その真偽よりも今の状況を正確に理解しあうことの方が大切であり、それは米中ともに解決への道筋を見いだせていない状況だということである。まさに「底なし沼」にはまっている。「底なし沼」では抜け出そうとあがけばあがくほど、つまり事態の改善につながる確信もないのにやたらに交渉カードを繰り出すことが、さらに深みに沈みこむ原因を作っているわけで、この状況では、パスしてもパンチをだしても改善されることはない。こうなってしまうとゲームは当事者間では解決できないものになり、残念ながらズルズルと沈んでいくだけである。それにしても、なぜ510日にまとめなかったのか、好機は一度きりである。

時に我慢することが勝ちを呼ぶかも

 聞き分けの良い子はお菓子を買ってもらえない、つまり損をする。良い子としてはとても受け入れがたいことだが、しかしそれが倫理にもとり、不道徳であるとは限らない。何事も状況次第である。損をする場合があったとしても長い目で見れば良い子は温かいケアを受けられ、結果として得をする。 つまり、ある状況下で損をすることを甘んじて受け入れることが人生には必要であり、場合によってはそれが成功の条件になるかもしれない。「負けるが勝ち」などと論理学から破門されそうな教えがいまだに闊歩しているわが国ではあるが、「負けを創る」ことが新たな局面での「勝を呼ぶ」相対関係の不思議さを説く教えは数多くある。これが今日の米中の交渉空間に応用できそうなどと口が裂けてもいう気はないが、他に何らの方策もなく、ただ、地獄へ周辺の者も引き連れてゆく道行であるなら、ひとこと「負けて勝つ」とかいってみたいものである。

当座の時間稼ぎは良策だったのか?大統領が変わっても構造問題は残る

 510日に大妥協がなされることが幻であったのか、本当のところは分からない。しかし、トランプ大統領の頭ごなしの要求はまさに理不尽そのもので、改革開放から積み重ねた努力と成果を台無しにする無理難題であるとの中国の思いは同感である。だから、これは来年の大統領選挙に原因があるとの認識に立ち、当座の時間を稼ぎ、様子を見るという対応はある意味合理的ではある。

 たしかに、「大統領選挙の一環」という動機に着目した分析があることも事実であるが、しかし、ここでその分析の正しさが証明されたとしても、すでに着手されこねくり回された米中経済闘争が直ちに収束するわけではない。発端時の動機がどうであれ、闘争は闘争として自己運動を始めることは歴史の教えるところである。

 大統領選挙に影響を与えるほどの価値のあるテーマであればこそ、引くに引けない闘争になるわけで、選挙が終われば陽炎のごとく消えていくことにはならないだろう。

また、大統領が変われば終わるものでもない。米国はだれが大統領になっても中国の構造問題の追及を緩めることはないであろう。だから、十年二十年を覚悟する必要があると思う。もちろん、大型関税の応酬が長らく続けられるとは思えないが、国家が正気を失ったときにはとんでもないことが起こることも歴史が示している。

 もちろん、中国は大胆な妥協を呑み込むことができる国ではあるが、同時に策謀の国でもある。タイミングと規模と方向を見極めたうえでの判断であると好意的にとらえても、たぶん、時間がかかるだろう。加えて、国内事情も複雑であると思われることから、策謀の国であるだけに難しい面もある。もちろん、解決の可能性はあるが決して楽観できる状況ではない。

この対立は歴史の必然か?円滑な着地を

 両雄並び立たず、残るのは冷戦だけ。ということで思い返せば中国が対米関係を覇権ゲームにしてしまったことが失敗の本質ではなかろうか。独りよがりの覇権シナリオに酔ってしまった。やはり、中国共産党政権の目論見は拙速であったといわざるを得ない。「だれのせいでもありゃしない、みんな〇〇〇が悪いのさ~~」。この世界に共通の倫理観などないわけで、武力行使以外の力を駆使して決着をはかることが、一見不条理とみえるが結局合理的なのであって、それが現実である。

 さて、米中経済闘争が本格的な景気後退を引き起こす可能性が高く、いくら金利を引き下げても限界があるだろうから、中規模の経済ショックは避けられそうもない。いつの日か、人々はトランプショックと呼ぶだろうがそれはそれとして、もっとも気を付けなければならないのは中国において共産党政権の正統性に火がつくことである。

 建築規制には「既存不適格」という用語がある。建築物は、建築時の基準に適合していても時代の進展とともに建築基準が強化されることによって不適格となりいずれ建て替えなければならない。しかし、直ちに打ちこわし建て替えることは現実問題として難しいことから、既存不適格状態が続くことになる。

 経済運営において不首尾が生じたとき、それが原因で中国国民の多くが不利益を受けたと強く思い込んだ瞬間から、かの国は既存不適格になる可能性が高い。たとえ話は表面をなぞるだけで深層には達しないので、筆を止めるが、結論は巨大な隣国の混乱は好ましくなく、円滑な着地を期待するばかりである。まして、歴史の歯車が逆回転することだけは避けてほしいものである。

日本の被害予想が大きく深刻である

 他方、わが国が受ける被害は計り知れない。いささか旧聞にすぎるが、20089月リーマンショックに襲われ、当初「蜂に刺された程度」といわれたが、10月から年末にかけて株価暴落、為替(円)急騰が瞬間凍結に近い経済の不調を呼び、明けた2009年には著しい落ち込みを記録した。まさに「夢であって欲しい」状況であった。このようにわが国は世界経済の影響をもろに受けやすい体質であり、今回もそれは例外ではないだろう。

 特に為替においては、世界的な低金利競争にすでに入っており、金融緩和の余地の少ない「円」はどうしても高くなりがちである。円高が輸出企業の業績を直撃することは避けられない。いい意味で狡猾な政府であるから抜かりはないと思うが、日銀やGPIFを使いすぎると底が抜けるかもしれない。おそらく意図的にMMT(現代貨幣論)についての議論を盛り上げ、債務への忌避感を和らげ強力な財政出動をはかるだろうと予想しているが、この際あまり他党の悪口をいう必要はなかろう。要は、「アメリカファースト」という露骨な一国主義のとてつもないとばっちりの後始末とアベノミクスのこれまた後始末であるのだから、自信をもってやればいいだけでのことある。しかし、傷は深くなるだろう。

関係ないが「年次改革要望書」を思い出す

 余分なことではあるが、ここ一年余の米中の交渉展開を見るにつけ反射的に思い浮かんだのが「年次改革要望書」であった。「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」という。2001年に作成されているが、もともとは19937月の日米(宮沢、クリントン)首脳会談で確認され、1994年に最初の要望書が作成されたといわれている。

 日米の対話が結果として日本国内の政策に強い影響を与えた事例として、独占禁止法強化、持ち株会社解禁、大規模小売店舗立地法、建築基準法改正、司法制度改革(裁判員制度、法科大学院設置)、労働者派遣法改正などが挙げられている。

 2004年頃から、関岡英之氏はじめ国会議員をふくめ幾人かが「日本改造」「主権在米」などのキーワードを用いて問題の一端をシャープに切り出したものの国民の認識として広く定着するまでにはいたらなかった。

 指摘されている事例は法案としてすべて国会で審議されている。また、すべてが米国発のオリジナルとはいい切れない。国会でも年次改革要望書との関係が厳しく問われた郵政民営化は小泉首相(当時)の長年の主張でもあったし、他の事例にある改革項目の多くは国内の識者あるいは団体がさまざまに掲げてきたものでもあった。

 また、タイトルが同一であったとしても制度の細部や法執行の内実は多様であり、必ずしも要望通りに仕上がっているとは限らない。

強引な米国の要望に鍛えられたか

 経済規模において長らく両国が一位、二位であった時代に、米国が自国の利益のため、経済社会制度の改変を日本に求めることは、ナイーブな日本人にしてみれば随分と強引に思えたかもしれないが、世界史的にいえば普通のことで、表向きの「日本の消費者のためになる」親切なことという説明を意地になって否定する必要はなかろう。

 政府間でやるから対話なんだろうが、たとえば在日米国商工会議所がまとめてくる項目はほとんどビジネスベースであり、そこには「そこまでいうのか」とわが国の関係者なら誰しも眉間にしわ寄せるほどの厚かましいさがあった。

 はるか昔(30年前)連合事務局にいた時代から彼の団体の要請を受けていた身であるので、「相変わらずのお仕事ぶりで」と普通に揶揄ってみてもなんの効き目もないことなど少しも気にならない。ロビー活動とはそういうものなんだろう。国益を担いあうという立場では米国政府と在日米国商工会議所は同志であり、事実強く連携している。

 年次改革要望書にある項目で実現しなかったものの一つがホワイトカラーエグゼンプションであったが、名前を高度プロフェッショナルに変えて昨年実現した。同じものであるのかどうか、また鳩山政権において「日米規制改革委員会」が廃止され、同要望書は交換されなくなったのに、数年経た後の法案の取り扱いを見ると何かしら義務的忖度があったのではとの疑問が残るが、はっきりしないことがよくわからない空間に消えていく感じである。

 よくわからない空間を放置しているのが日本のマスメディアではないかとの指摘があるが、これこそよくわからないことの代表であろう。また、占領時代の被検閲の習性ではないかと指摘する向きもあるが、実証の術がない。どこまでいってもマスメディア自身の問題ではないか。

実存的総合関係が大事であって、各論は部分でしかない

 たとえ善意の衣を羽織ってみてもこれは内政干渉である。しかし、グローバリゼーションが地球の風景を大きく変えていく過程にあって、この程度の干渉に対し子供じみた拒否感情に囚われてどうするのよ、といいたい。換骨奪胎もある。主体性があれば何とでもなる。また、「いわれなくとも」ではなく「いわれてからやる」方がかっこ悪いが統治としては実利がある。敗戦から74年、実力なきプライドをどう養ってきたのか、依って立つべき政治哲学を磨いてきたのか、少し大げさにいえば日本開びゃく以来の霊魂が静かに問いかけてくる。

 だから、日米同盟が「非対称ではあるが片務的ではない」とのいいわけを聞いてただちに連想するのが「ベニスの商人」で、シェークスピアによるこの喜劇には多くの興味深い視点が含まれている。ここは軽い連想で、「胸の肉一ポンドが借金3000ダカットの担保になりうるのか」という設問も突き詰めれば「命を金で買えるのか」となり、それは「傭兵」であるから、正しい政治的回答としては「命をあがなうものは命でしかない」という同盟の常識にいたるもので、論理は簡単であるが今のわが国においてはすこぶる重苦しいものである。

 まあ、どんな理屈を並べてみても安全保障同盟には命の対等互換関係がなければ十全な機能発揮は難しいのではないか。「大義とリスク」についてそろそろ本気で議論しなければ、もちろんこれは「いわれなくとも」やるべきことではあるが。

腹立ちはごもっとも、しかし遠望すれば道は通じる

 さて、中国にはペリー来航以来の米国の立ち居振る舞いをあらためて研究してほしいものである。わが国よりもはるかに巧緻に対応している中国政府に対し口幅ったいが、力くらべゾーンに入ってしまうと、中国以上に硬直するかもしれない、米国民は。「負けるが勝ち」とはいわないが、上手な負けは負けではないのだから、また、改革はどの国にも必要なもので、「いわれてからやる」いい機会ではないか。もともと、この衝突は必然であるから、ここを上手に越えなければ先は難しいと思う。しかし、もし中国が年次改革要望書を突きつけられたらどうしただろうか、と思うと夜も寝られない。受け取らないし、米国も突きつけないだろう。本当にそうだろうか。突きつけられるほどの柔らかさを平然と中国共産党が身に着けてしまったら、それこそ本格的脅威である。

人権が絡んでくると出口がなくなる

 トランプ大統領が唯一賢明であったのは「人権」を持ちださなかった点であろう。もちろん、もともと人権には関心がなかったようではあるが、貿易赤字に集中した点だけは評価できるのではないか。しかし、香港あるいは台湾など一国二制度の構造矛盾線である人権と民主政治に火が付くと米中ともに安穏としていられまい。不用意に解決不能地帯に足を踏み入れることだけは避けなくてはならない。

 それでなくとも米国の威信は地に落ち、「元はといえばあんたが作ったんだろう」いろいろなシステムが呻き声をあげながら地べたを転がっている。きっと「覆水盆に返らず」なんだろうが、誰が修復するのか。地上の悩みは果てしなく深い。冷戦終結から30年、あらゆる固定観念から解放され、新たな秩序に向けて世界は大きくうねり始めているが、いつものことながら、日本の政治は大丈夫か。

◇ 長月のぬるい暑さを涼となし

加藤敏幸