研究会抄録

ウェブ鼎談シリーズ第(14回)「戦後の労働運動に学ぶ」

ウェブ鼎談シリーズ第(14回)「戦後の労働運動に学ぶ」

講師:仁田道夫氏、石原康則氏

場所:三菱電機労働組合応接室

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発言広場

【遅牛早牛】 時事雑考「2024年4月の政局-裏金事件と日米首脳会談-①」

【まえがき 新年度となる4月には新入社員と新入生が桜の花にむかえられる。むかえる桜木は'染井吉野'がほとんどで、これはエドヒガンとオオシマザクラの交雑によるものの中の一樹を始原とする栽培品種であり、生まれは江戸時代後期の染井村、現在でいえば豊島区駒込のあたりで、当時は大名屋敷の植栽を請け負う植木業がさかんな地域であった。接ぎ木による栽培なので同一地域での開花時期がそろうことから、また花弁がややおおきく開花期間もすこし長いなど、ことのほか豪華でいわゆる花見が成立する品種(クローン)であるといわれている。

 多様性の時代にあっても、愛でるサクラは均一性、斉一性の象徴ともいえる'染井吉野'のクローンであるのがなにやらおかしくもある。そのクローンにむかえられる新人に求められるのが個性と創造性であるから'染井吉野'とは逆方向にということであろうか。

 ともかく、整然と散っていくサクラ吹雪が好まれるが、なにも散りぎわまで揃えることもないのにと思う。そういえば、同年同月同日に生まれんことを得ずとも同年同月同日に死せん事を願わんと『三国志演義』では劉備、関羽、張飛の三人がぶちあげる桃園の誓いはとてもよくできていて見事なクライマックスシーンとなっている。話の筋でいえば結局そうはならなかったが、「共に散る」ことが同志愛の頂点といいたいのであろう。清く壮絶でありまたなまめかしさをふくんでいる。

 なまめかしいといえば有名な『同期の桜』の原詩といわれている『二輪の桜』(西条八十作詩、雑誌『少女倶楽部』昭和13年2月号掲載)は少女のつたない恋の歌であろうか。詩は表むき軍装である。妖艶さにはさらに日を要するというのに、あと数日もすれば散っていくのだから、熟することのない青いままの恋であろう。などと想像はつきない。

 ところで、わが国の労働界では連合結成時から会長と事務局長として名コンビと称された山岸章氏と山田精吾氏にも別れの時が1993年におとずれた。1989年から2期4年の激務を終え山田事務局長が退任することになったのである。この時点において山岸会長の3期目に対しいろいろな声があがっていた中で、「散る桜残る桜も散る桜」と連合本部の役職員をまえに己が心境を良寛の辞世の句に託した。良寛というよりも海軍航空隊のにおいを感じたが、本人は一年後の退任を予告したかったのであろう。その場に居あわせたなら、だれだってそう受けとめたと思う。名コンビといえども「共に散る」ことはむつかしい。いや、散りぎわこそ思うようにはいかないのが人生である。

 散りぎわこそ思うようにはいかないというべきなのだが、二階俊博氏の次回不出馬宣言はさすがに手際がいいと感じてしまう。突き落とされるのであれば自分で飛び降りるといわんばかりに「全責任は自分にある」と決した。評論は勝手であるが実践はむつかしい。筆者などは二階氏がいなくなった自民党あるいは与党がうまくまわるのか疑問に思っている。ほめているのではない、それほど彼我の価値観にはちがいがあるのだが、さりとて貶(けな)すこともないのである。

 かなり塩味のきいたところと脱藩議員(失礼!)を自派に受けいれるあたりが「あしながおじさん」風であり、さらに主要紙から花まるなどをもらっていないところが本物ぽいということである。などと評価をすると、おそらく立憲民主党や日本維新の会からは「てんご(悪ふざけ)いうな」といわれるであろう。

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