遅牛早牛

時事寸評「天の配剤なのか四人衆、もう昔のことはいうまい-立憲民主党の代表選-」

◇ ざっくり言って、二人に一人は「自民党は政権から外れればいい」と思っている。しかし、そう思っている人たちがこぞって「立憲民主党の政権をのぞんでいる」ということでもなさそうで、もちろんそう思っている人もいるのであるが、それは全体でいえば10パーセントぐらいで、(少なくはないが)決して多いとはいえないのである。

 というのが立憲民主党の評価としての時価であって、あいかわらずこの党の客の入りは悪いといえる。といった状況がこの国の民主政治を展望するうえでの確とした障壁になっているといわざるをえないのである。これがいわゆる「野党がだらしないから」説であり、そういいながらも野党を応援したりテコ入れすることはないという現実こそが、確とした障壁のひとつなのである。

 「ふつう」といっていいと思うのだが、挑戦者である野党第一党には独特の緊張感がただよっているもので、とくに与党に醜聞が発生した今回のような場合には、ビリッビリッと空気を震わししぜんに腰が浮くような昂ぶりが生まれるものである。

 で、どうであろうか、ビリッビリッとしているのか。まあ感じ方であるから意見が分かれるのは仕方がないが、全議員が轡(くつわ)をならべての出陣態勢にはないように感じられるのである。勇躍として総選挙にむかうという風でもなく、どちらかといえば心中に臆するものがあるようにも見える。どうしてそうなのか、都知事選の失敗を引きずっているためなのか、ともかく分からない暗がりがあるように思えるのである。

続きを読む


時事雑考、「2024年8月の政局-岸田氏不出馬で波乱よぶ総裁選-」

1.岸田氏、総裁選不出馬で条件が大きく変化

「岸田氏、総裁選不出馬!」8月14日11時30分のことであった。前回の弊欄では「総裁選の前月である8月段階で強力な挑戦者が見えてこないということは岸田氏の時間切れ続投が第一シナリオになりつつある、、。」と、また「岸田氏の続投では打つ手がかぎられると思われる。そのうえ、負ければ全責任を押しつけられ引責辞任となるのだから、、。正直なところおすすめできない、、。」と記した。

 選挙の予想は評論の対象ではないが、それがないと面白くないのである。今回は、筆者をふくめ多くの人が外したわけで、まあ意表を衝かれたということである。

 岸田氏続投には盟友も友党もまた側近も表だって反対はしなかったが、なにかしら気分がのらなかったということで、空気がわるかったといえる。というのも、どう考えても総選挙の勝パターンがでてこないのだから、岸田氏続投には意味も価値もないということで、ぎりぎりのタイミングでの不出馬表明になったということであろう。

 正直なところ思考の連続性に支離滅裂感がないわけではないが、最高権力を手放すという決断であるから、結論としてはそれでいいのではないかと思う。

 ということで、さてこれからどうなるのかと思いをめぐらせながらも、正直なところ困った感がひろがっているのである。いいたくないけど、メディアで騒がれただけの、すこしも準備ができていない人が総理総裁になるようではこの国の行く末が思いやられる。

 とはいっても、自民党の総裁選挙は世論の圧力をうけながらも、決めるのは自民党であるから、さいごは党内事情で決まると予想すべきであろう。弊欄ではいく度となく紹介してきた「一選、二金、三党、四理、五政(いちせんにきんさんとうしりごせい)」が、全員とはいわないが過半の国会議員の内心ではなかろうかという筆者の仮説を再掲するまでもなく、総裁選における議員行動のさいごの決め手は「本人(じぶん)の再選」への利用価値であると推察しているのである。これは内心の問題であって、けっして非難しているのではない、実相を指摘しているだけであって、もちろん良い悪いでもなく普通選挙をベースにした民主政治がもつ本質的な「現象(あらわれ)」であるというのが筆者の考えである。

 たとえば妄想的ではあるが、何らかの方法で4回目の当選を確定された議員の3期目の仕事ぶりは刮目すべきものになると思われる。そうでないケースが生じるかもしれないが、それはコストであって、選挙から解放された議員が当初の志を思いおこし、今一度挑戦してみようと奮いたつ環境を用意することが、現状の有権者のもやもやした気持ちを解消できる理想的な状況をうみだすのではないかと長らく考えてきたのであるが、実現性はきわめて低いといえる。

 であるのになお強引に記しているのは、現在政治改革にかかわる多くの批判や提言が政治家(多くは国会議員であるが)の能力や意欲など属人的要素に集中しすぎていると懸念しているからで、そもそも環境が変わらないのに行動が変わるはずがないというのが筆者の人間観である。

 ということで、人びとが期待している役割を政治家が直にうけとめ実践しその成果をあげるためには、有権者が積極的にそのための環境整備をはかっていくべきではないか、むしろそのように努力すべきではないかという提言である。スーパーマンではない政治家に、スーパーマンであれと求めるのは酷なことであるし、同時にムダであるといえる。

 そもそも民主政治における選ばれる側と選ぶ側との役割分担のあり方については、選ばれる側には百の注文があるのに選ぶ側には棄権するなのひと言というのはあまりにもバランスが悪いではないか。政治家に期待するのは善意のエネルギーであるが、荒野を100メートル10秒以下で走れといわれてもほとんど無理であって、そういう無理な期待をしてみても意味がないから、むしろ期待する前に整地でもしたらどうですかということである。

 表むきはともかく、新総裁新総理によって年内の解散総選挙をのりきり自公連立政権を維持していくというのが自民党議員の一等の本音ではないか。党内改革とか政治改革はそのための方便であって、「ぶっこわす」とまでいっておきながら、自民党は変わらなかったことをふと思いだし、次のレトリックはなにかしらというのが世間のうけとめであろう。

 だからあえていえば、新総裁が「選挙の顔」になるにしても、「選挙の顔」で選ぶというのはまるっきりの間違いではないが、操り人形風で有権者をバカにしていると思う。党員ではない有権者の多くは政治と金、とりわけ裏金についてはどういう始末をつけたのかと疑問に思っているだろうし、岸田氏の総裁選不出馬で一件落着とは考えていないので、世間の関心はそこに集中すると思われる。

 という有権者の視点を大切にするのであれば、まずは今回の総裁選の性格をしっかりと定義しておかないと、号砲一発の自由競争ではしまりのないお祭り選挙に堕し、生徒会長選挙をめぐる学園ドラマ風になるのではないかと思われる。すでにバラエティ番組や報道番組ではそういったストーリを予見させる動きがみられるが、「政治不信」を再定着させるような興味本位の報道はやめるべきである。といっても、視聴率がからむと節操がなくなるから、「おもろうてやがて白ける総裁選」ということになるであろう。

 党内のことではあるが、この総裁選が重要であることはまちがいない。がそれ以上に深刻な側面がある。深刻というのは今回が納得できなければ「仕方がない、つぎを待とう」ということにはならない、自民党にとって次はないということである。つまり、有権者としてはリスクがあっても本格的な政権交代にとりくまなければこの国は危ないとマジで思っているのである。

 なんといっても天下の宰相えらびである。しかし、それにしては深沈さというか重みが足りないと思う。ひらかれた総裁選が最適解をうみだせるかどうかはやってみなければ分からないわけで、老舗政党である自民党として本当に再生をかけたものになるのか、たしかに興味深くはある。

 そこで筆者としては「政治不信」の現状には有権者の側にも多くの課題があると考えている。つまり、時として真摯にみまもるべきと思う。ということで、とりあえずといえば失礼とは思うが、あえてとりあえず100点は無理としても方便としてせめて60点ぐらいは期待したいものである。

続きを読む


時事雑考「2024年8月の政局-同盟の底にある困難-」

1.米大統領選は新たなステージへ、(まるで口論プロレス)

 暑熱の日々、ニュース番組はパリオリンピックでの日本選手の活躍でもりあがっているが、いささか食傷気味である。ところで、米国の大統領選挙はバイデン氏撤退のあと、トランプ(前大統領)対ハリス(副大統領)の大激戦が予想される中、あらたなステージに移ろうとしている。トランプ氏優勢であることには変わりがないものの、老老対決から老壮対決へと選挙戦のモードが変わることの影響もあり、ふりだしとはいえないが、未知の部分がでてきそうである。大統領選にあわせて上院の三分の一と下院の選挙も同時におこなわれることから、シビアな感じがヒリヒリと伝わってくる。この三つの選挙すべてを共和党が制すれば、ほぼトランプ独裁となり選挙期間中の氏の発言が現実化する。そういう意味ではリベラル派にとっては上・下院選挙のほうが気になるのかもしれない。将来においてどんな文脈で語られるかは今のところ不明であるが、おそらく歴史にのこる選挙戦になることだけは確かである。

 もとより、日米の選挙制度には大きなちがいがあるので、いまさら比較してもと思うが、盛りあがりという点では米大統領選にはなんともいえない迫力がある。

 まあ、(くどいようだが)単純に比較してもしょうがないことではあるが、あの悪口三昧にたえられますかといったことではではなく、言ったもの勝ちの、筆者の体験でいえば小学校までしか許されていなかった口論プロレスの世界が地球上唯一の超大国の内側でくりひろげられているのである。

 さらに、知性ではなく反射神経、運動神経が支配するリングのない格闘技の世界とも写るのである。それをディベートというのであろうか。であれば、わが国の中学高校大学ではひたすらディベートを避け、あるいは抑制してきたのでなじめないということであろう。今でもディベートよりも忖度の世界である。

 「トランプVSハリス」の舞台において忖度が機能する余地はまったくないわけだから、迫力にちがいがでるのは当然であろう。 

 ということで、忖度の訓練にあけくれてきたわが国のサラリーマンとしては、筆者もふくめ「お前はクビだ!」と指さされると、ちょっと腰が浮いてくるような居心地の悪さをおぼえる。日本のサラリーマンの多くは罵倒しあうシーンには不慣れであるから(一方的に罵倒されるシーンは時々あるが)戸惑うところもあると思われる。そういうシーンについていけない時には気持ちを観客席におき、しばし鑑賞するというのはどうかしら、アメリカ式がすべてではないのだから。

 ところで、報道機関はじめさまざまな組織によるファクトチェックも活発におこなわれていると聞くが、その成果が日本にまで届いているのか。それをあきらかにするほどの時間の余裕はないから、結局つきあってはいられないということである。

続きを読む


時事雑考「2024年7月の政局-都知事選は何だったのか」

【何やかやと、諸事にかまけているうちに都知事選後10日以上が経過した。今さらの都知事選ですかと言われそう。くわえて、都知事選でさえもローカルなのである。というのも、その時期を実家(四国)で過ごしていたので、もともとローカル色の濃い地方ではあったが、なぜか都知事選もローカルなことで、小池氏3選のひと言であった。それよりも梅雨の合間の暑さがひどく、草刈りを中断せざるをえなかった。何のための帰省だったのかと悔いばかりがのこっている。

 ところで、MLBの大谷翔平選手の活躍がとまらない。それはいいのだが報道過剰だぜ、といっているうちにトランプ前大統領が狙撃された。右耳の包帯が痛々しい。そのこともあってか米国共和党が盛りあがっている。もしトラがほぼトラにさらにまじトラになったそうで、各国とも慌てているようであるが、民主党の対応が注目されている。どうするバイデンさん。

 一般論ではあるが、後期高齢者という失礼きわまりない呼称にはやはり意味があるのである。生活のスローダウンからは逃れられない。とくに言い間違えが日常化するのは政治家としてはリスク要因であろう。一寸先は闇であるのは米国もおなじことで、先のことは分からない、がとても気になる。

 ところで、まだまだネット空間でのやりとりがつづいているようである。もう都知事選はおわったのに。このコラムは労働運動の継承を目的にしているので、その視点で都知事選について書きつづってみた。そういえば連合結成以来、都道府県知事をはじめ首長選挙での地方連合会の対応は無所属であれば現職支持のケースが多かったように思う。要請事項への対応などを評価すると自然とそうなるのかもしれない。連合から支持されていると思っている政党にしてみれば合点がいかないということであろう。その気持ちは分からないわけではないが、もともと国政とは違うから、より現実的な対応になったということであろうか。】

続きを読む


時事雑考「2024年6月の政局-国会閉幕、総裁選と代表選へ、どちらも波乱?」

【2024年の通常国会が閉じた。議論の多くは政治資金規正法の改正を中心にした「政治と金」に集中した。どんな国会であっても意義があるもので、とくに予算・決算は国の運営にとって必要不可欠のものであるから年中行事化しているとはいえ真剣な議論でなければならない。それが、今や膨張予算となっている。といっても、国立大学などは通常経費の不足を理由にいよいよ値上げにふみきるようである。折からの物価上昇のなかにあって、家庭の教育費負担がさらに重くなりそうである。

 膨張予算。悪いことだけではない。高血圧と同じで、金のめぐりがよくなる。倒産、閉店が先送りされる。反面、財政が不健全になり、国は破綻しないがインフレがひどくなり、弱い者から受難する。つまり、生活破綻が増える。

 幸せをもたらす青い鳥はいない。政治に過大な期待は禁物であるが、政治家も政党もそうはいわない。米国では青と赤が競わずに争っている。あと4か月あまりで決着がつく。時間の問題ではあるが、歳の問題もある。

 鬼に笑われてもいい、2025年は衝撃の年になると予想している。過去の延長としての未来予測は既決的で陳腐である。創造にもとづく未来予測は不確実であるが教訓となる。で、鬼より先に、人に笑われそう。

 さて、猛暑にむけて岸田おろしと泉おろしの競演になるのか。前者は釜の焦げ飯を洗いながすがごとく、後者は炊きあがる飯にむらがるがごとく、争いあう姿も審査対象であろう。なんたってこの国は美を尊ぶ国であるから、涼やかに願いたいものである。】

1.なんとか乗りきった国会だが、総裁選に向けてネガティブイメージが暴走するのか

 9月には総裁選挙があるというのに、党内であからさまに岸田おろしに走るのはみっともないことである。とりわけ「何が問題なのか」を明らかにせず雰囲気だけで危機的と煽ることは幼児的な感じをあたえるだけであろう。で、間髪をいれずその反旗のイメージはまたたく間に全国にながされ、「いよいよだな」とか「レイムダック化」といった連想ワードが蔓延しはじめるのである。暴走宰相に対するネガティブイメージの暴走である。

 ところで、派閥解消や政治資金パーティーの限度額の引きさげが「禍根をのこす」との党重鎮の指摘はそのとおりであり、通常の討議プロセスを逸脱していたといえる。事後の根回しでは根回しにはならない。

 筆者でさえ、自民党の伝統的な討議プロセスからは逸脱しているとうけとめていた。とはいっても、今国会で自民党提出の政治資金規正法の改正(修正)案の成立をはかることこそが、事後の政局に決定的な影響を与えるキーストーンであるとの認識は一部の議員をのぞき、共有化されていたと思っている。つまり、党の緊急事態である。

 まさに死地といっても大げさでない状況にあって、他に方策があるのか、また間にあうのかといった視点で考えれば、それなりの対応であったと評価している。ここで評価してしまうと白い目でみられそうであるが、長年政界を観察してきた経験からいって、衆人がこぞってボロカスにいう場合にかぎって、後日評価が反転することがある。

 もちろん最善策とはいえない。しかし、そういった批判は「たら、れば」の世界であっていつも完全試合を求めるようなものである。だから、「それはそれで勝手に」というのが筆者の感想である。というのも、野党第一党である立憲民主党がきわめて高いボールを投げつづけ、議員立法なのにまとめる気がないというのは、むしろこのまま総選挙にもちこみたいという思惑が強かったからではないかと疑っている。

 だから「禁止、禁止、禁止」でとりつく島がないのに、党首会談がなかったとごねるのはご愛嬌のいきすぎであって、無理筋であろう。今では政権交代を真剣に考える人が増えているというのに、とっておきの見せ場では野党根性まるだしではないか。これにはがっかりしたという感想も多かった。

 期待された久しぶりの党首討論も面白くはあったが、最後に政党交付金を増やせばいいというのでは、納得感に欠けるといわざるをえない。まあ討論の勢いででた発言なので、ここでつっこむこともないとは思うが、早めに補足したほうがいいのではないか、と思っている。

 立憲も汗をかいてギリギリの内容をまとめあげれば、政権政党に近づけたのにと思っている。つまり惜しいことをしたものだと愚痴っているだけのことなので気にすることもなかろう。

続きを読む


時事雑考「2024年6月の政局-自公維の賛成スクラムが呼びよせるものは」

1.珍しいドタバタ劇  政治資金規正法改正案、再々修正へ

 政治資金規正法の改正なくして、政治資金パーティー還流金の不記載(裏金)事件に端を発した政治改革の出口はない、というのが筆者の基本ラインであった。逆にいえば、適切な改正をおこなえば事態は収拾するということであり、適切なのかどうかは立場によって変わるものであるが、国会での議決において余裕のある多数派を形成することが当面の決着となるのであるから、自民党としては公明党はもちろん中道に位置する日本維新の会の賛同をえることが最重要かつ優先度の高いものであったということであろう。

 さて、どの程度の改正におさめるべきなのかについては、与党内の軋轢、野党間の駆けひき、世論の圧力などが複雑にからみあっているので、まさに湧水で鯉の切り身を洗うようなキリキリとした運びであったと思われる。

 そんな中、5月31日自民党から岸田氏の意向を反映した再修正案がしめされた。その主な内容は、パーティー券購入者名の公開基準額を27年1月から「5万円超」に引きさげる、また政策活動費の支出状況が分かるよう10年後に領収書を公開するというもので、岸田総理が公明党の山口代表、日本維新の会の馬場代表と個別に会談し、それぞれの要求を受けいれ合意に達したという。

 その結果、今国会で同法の改正案が成立する運びとなった。ようやく迷路から脱けでることができるという意味で、政権としては一安心と思われたが、ツッコミどころが多くのこされており、たとえば27年1月からという開始時期には遅すぎるという非難が噴出すると予想される。

 また、政策活動費の「領収書10年後公開」についても期間短縮の要求がでてくるであろう。一定期間後に公開できるということであれば7年、5年と短縮しても事務作業としては変らないということで、さまざまな議論がおこると思われる。

 そういった議論にくわえ、修正と引きかえに賛成にまわる公明党と日本維新の会にとって、それが党内で「納得できる内容」といえるのかなどと、あれこれ想像するのであるが、両党とも党内での議論が平穏にすすむとは思えない。まあ、参議院本会議で可決されるまではザワザワすると思われる。

 というのは、もうすこし厳しくてもよかったのではないかという相場観もあって、いわゆる「のりしろ」の幅が気にかかるという向きも少なくないのである。いいかえれば、100パーセント丸呑みというほどのものであったのかという疑問もあって、ウエストのゴムがゆるい感じを禁じることはできないのである。ということで、一部でささやかれていた自民党内の不満については徐々に鎮静化していくと思われる。

 と書き終わってから、政策活動費の開示基準を50万円超とする自民再修正案をめぐり維新の反発が急浮上し、6月4日の総理出席予定の委員会、衆本会議の日程が延期された。丸呑みといいながら小さな骨がひっかかった模様である。大小にかかわらず喉に刺されば大事であるからか、再々修正のうえ明日にも本会議で可決される見込みであると報道されている。(6月4日14時記)

続きを読む


時事雑考「2024年6月の政局-政治資金規正法国会の出口」

1.政治資金規正法の改正が焦点なのに自民党案は遅すぎゆるすぎで失敗

 「早くやらないから劇症化しちまったじゃないか」と隠居が愚痴っている。「政治と金」で紛糾した場合は「早期発見、早期治療」が一番であるのにどうしたことか。自民党が迷走をつづけていることはまちがいない。政権与党が迷走というとんでもない事態をおこすことを予想できなかった。自民党がこんなにだらしがなかったという点で、筆者の予想もあまかったことはたしかで、少なからず反省している。

 当初から政治資金規正法の改正が避けられなかったのだから、肉を切らせる覚悟できびしい案をだすべきであった。だが、党内がまとまっていないというのか、あるいは指導力の欠如というべきか、ようするに時間がかかり過ぎたうえに改正内容が中途半端であったことから、野党やマスメディアからはしっかりコケにされてしまった。改正案のとりまとめに気をとられすぎて、党内の危機感を整えられなかったことが災いしたといえる。これはよくある組織的症状で、所属議員全員の連帯責任であると思う。

 改正案を与党でまとめられなかったのがすごく痛い

 とくに、友党である公明党との溝がうめられなかったことは問題処理において致命的であり、くわえて自民党内には司令機能が存在しないことの証明といえる。富士川の合戦以降の平氏に似ているといってもいいのではないか。

 にもかかわらず、「連立解消につながる」といった匿名のお気楽な発言がでたりして、それで公明党をけん制しているつもりなのが可笑しい、今の立場がまるで分かっていないのであろう。この段階で公明党の裏書がないのだから国会対策的には「とても恐ろしい事態」であることを党内で思い知るひつようがあるだろう。

 念のためにつけくわえれば、自民党は参議院では過半数にとどいていない、また衆議院では単独過半数ではあるが三分の二超ではない。

 ということは、衆議院での採決を強行突破しても参議院では否決されるであろうし、さらに衆議院へ返されたとしても憲法第59条の再議決(出席議員の2/3超)ができないので廃案となる可能性がきわめてたかい。つまり、衆議院で強行突破してみても出口はなく、かえって支持率が下がるであろうから、いずれにしても現状は「空拳かつ無力」といえる。

 いいかえれば、現在の自民党案については原形をとどめることはむつかしい。では、いわゆる「落としどころ」はどうなのかということであるが、最低でも他党と同等か、できれば世間をおどろかせるレベルの厳しさでまとめるということであろう。しかし、全野党相手の修正作業は困難であるから中道政党の主張をとりいれること(修正)が考えられるが、話にのってくれる野党がいるのか分からない。つまり確実性についてはなんともいいがたいのである。

 だからどう考えても、与党である公明党と連携すべきであろうが、同党には支援組織からの反発が大きいという事情があるのであろう、生半可な妥協では公明党自身の選挙がむつかしくなるリスクがあって、「同じ穴のムジナと見られたくない」ということであろう。「政治と金」問題に限定すれば連立状態にはない、離脱の可能性もゼロではない、ということは大再編時代の幕開けかもしれない。(どこかで折り合う可能性がないわけではないが)

 野党の多くは自民党の衆議院での強行突破を誘発し、参議院での頓死をねらっていると推測される。いずれにしても本件はすべて自民党の責任であり、政治改革に不熱心であるとの心証を有権者にうえつけ、政局わけても総選挙における優勢をかためたいということであろう。自民党に策がなければ事態はそうなると思われる。この窮地からのがれるには、世間がおどろくほどの厳しいものを自公で修正案としてまとめるしかないのではないか。あるいは、恥を忍んで立憲・国民案をまるのみしてみせるとか。というほどの火急の事態となっている。

 ところで、世間をおどろかせるほどの厳しい内容で、はたして議員活動が円滑にまわるのかについては、ここでは判断がつかない。しかし、そういったいいわけが通用する状況ではないというギリギリの判断をするのであれば、きびしい規制によって、今後の政党・議員活動については思いきった痩身化をはかるしかないといえるし、それは自民党議員にとっての苦難の道になると思われる。

 筆者は、理屈ではなく現実問題としてここはやるしかないと考えるが、自民党議員の多くは今なお「飛び火をうけた」ていどの感覚でいるだろうから、党として大決断にいたらないかもしれない。たしかに「裏金事件」でいえば身におぼえのない議員も多いことから気の毒な面もあるが、くどいようだが現実は問題の質と領域が大きく変化したということであり、そのことをリアルに受けとめられない自民党議員が多いということであろう。派閥解消とかはまずまずであったが、要の政治資金規正法の改正案を現場にまかせたのが傷を深く大きくしたと思われる。それでも、有権者の多くは身からでた錆だと思っているだけのことで、かなしいかな晩秋の深夜にふる雪のような寂しさを感じる。

 この苦難は野党においても似たようなものであろう。もちろん、程度の差があるとしても、党財政の苦しさは各党とも同じであるから、我慢くらべの度が過ぎて体調を崩すところがでてくるかもしれない。

続きを読む


時事雑考「2024年5月の政局-4月補選は頂門の一針か、あるいはじり貧のはじまりか-」

【 3月の1人あたりの実質賃金が前年同月から2.5%減少した(厚生労働省毎月勤労統計5月9日発表)。名目賃金が0.6%増加したものの物価上昇率が3.1%であったために差引減となった。これで賃金が物価に負けている状態が24か月もつづいていることになる。来月からは春の賃上げの結果が反映されるので、いよいよ実質賃金が上向く見通しであるが、プラスに転じる時期については多数の専門家が秋ごろと予想している。しかし、中小規模企業の賃上げが低水準にとどまる可能性も高いことから、プラス転換は25年に持ちこすとの見方も浮上している。

 筆者はウクライナ紛争の長期化や中東情勢の悪化などから資源、物流コストが高止まりとなり、また円安の加速を考えれば、さらなる輸入物価の上昇が避けられず、くわえて価格転嫁の進展も予想されるので結果として3%台の消費者物価上昇がつづくと予想している。ということで、減税などの生活支援策をそうとう強化しないかぎり、年度内のプラス転換はむつかしいと考えている。ということは、賃上げが物価を追いこせている少数の家計と、物価についていけない多数の家計とに分断されると同時に両者の所得や生活の格差が拡大していくと思われる。ということで、低所得層においてはひきつづききびしい状況がつづき、否応なく生活の質をおとさざるをえなくなると思われる。追加の生活支援策が必要だと思うが。

 ところで、政治資金規正法の改正協議が急ピッチですすんでいる。会期内に仕上げるべきであろう。くわしいことはまだ分からないが、公職選挙法にならった連座制の導入には筆者は反対である。この連座制というのは現行法体系からしても異様なもので、そこまで法曹にたよらなければならないのかと嘆じている。そもそも有権者が投票で決着をつける道があるのにと思うし、選挙で当選した者に落選以上の罰をあたえることでどれほどの正義が達成されるというのか、大いに疑問であり、やりすぎになるとも思う。さらに投票の価値を不安定にする点においても主権者の権利の侵害ではないかとさえ思う。

 筆者は公選法の連座制も憲法とは不調和であると考えている。たしかに最高裁の判断はあるが、連座制の適用例をみながら考えさせられることも多いのである。人生をかけている政治家にとって過酷な仕組みであると思う。

 さて、政治資金収支報告書の記載不備あるいは判断の過誤さらに解釈のちがいなどが失職や公民権停止をもって贖わなければならないほどの罪であるのか判断が難しいと思うし、個々の事例にもよるが悪質性の抽出がむつかしいことをいえば現行と同じではないかとも思う。さらに一票を投じた有権者の付託はどうなるのかなどについて考えをめぐらせれば巡らせるほどに、不均衡がすぎるように思うのである。また、法廷で議員をどんどん辞めさせられる手だてをもうけることには慎重であるべきで、議員を委縮させることは民主政治の退行をまねくのではないかと危惧もする。あるいは政権側の武器となり、実質専制政治の道をひらくかもしれない。公開情報であるから詳細に記すれば記するほどAI分析の精度が向上することの意味する危険についても考慮すべきではないか、世界的に個々の議員への干渉が強まっているといわれているが、そういったことへの予防策も同時に考えてほしいものである。(例によって文中敬称略とする場合がある)】

続きを読む


時事雑考「2024年4月の政局-裏金事件と日米首脳会談-②」

はじめに 世の中が連休の話題で盛りあがっている。しかし、そうでない人たちも多い。ところで4月の第3週に用事があって3日ほど箱根強羅に滞在した。予想通り国内外からの旅行者が多く、混雑の一歩手前であった。連休中は箱根も想像できないほどの人込みになるだろう。

 そうこうしているうちに、円安が進み、対ドルでの円の下落が止まらない。ドルをもつ旅行者にとってはウキウキする話であるが、円をもらって海外で暮らす人々には悲惨なことである。

 所得や資産において中位値以下の家計にとって為替で得することも損することも縁遠いことであろう。しかし、輸入物価の高騰は迷惑かぎりないことである。毎度の主張をくりかえすが、日銀は庶民の味方ではないことはたしかで、ときどき敵になる。さらに円安がすすめば物価目標(2%)が達成できて大手をふって利上げができると踏んでいるのであろうか。おそらく来年の高めの賃上げを期待しての金融緩和維持と思われる。

 ところで物価上昇をカバーしきれない家計がどのぐらいあるのかなどは日銀にとってはどうでもいいことかもしれない。だが、低所得者ほど物価上昇に痛めつけられるのだから、庶民にとって物価優先の日銀が敵であることは変わらないのである。(物価の番人が物価上昇を期待しているのだから困ったものである。)もちろん金融政策よりも政府の分配政策のほうが直接的ではるかに責任重大であり、最低でも物価目標の2%程度は制度としてカバーできるように政府も日銀も手をつくすべきだと正論ぶった主張をしておくが、世の中なぜかしら低所得者への目線はいつも冷たいのである。

 くわえて、現在のところ実質賃金の低下に歯止めがかかっていない。雇用労働者の50%程度は春の賃金改定の恩恵(これも考えてみれば変な表現だが)に浴すると思われるが、残念ながら残りの50%の人たちの賃金がどうなるかはまだまだ分からないのである。また、非労働力人口の中の未就業者(学生など)は物価上昇にはきわめて弱い立場にある。さらに非労働力人口の主力である高齢者は年金とたくわえで日々の暮らしをしのいでいる、つまり多くの家計のキャッシュフローは赤字で、貯蓄からの補填で穴埋めしているか、もしくは生活の質をおとしていると思われる。

 このように投資性貯蓄の恩恵にあずかれない家計の困窮度がたかまる中で、貧しさを加速しているのが高物価経済であるから、適切な分配政策を欠いた物価目標ははっきりいって貧困増殖政策の側面を有しているといえる。ということで、筆者は庶民の生活に無頓着な日銀を庶民の敵であると表現している。

 しかし、輪をかけて冷淡なのが自民党ではないかしら。単独過半数を制する政党として前述の問題に対しては関心が低すぎるということである。その気になれば立法できるのだから、まあ偏食しているのだろう。現在、裏金事件で評判が悪いが、それ以上に「弱いものの味方」でないと人びとが実感しはじめている。自民党の「おれたちの天下」感が横溢するようでは低所得者の生活がよくなることはなく、このことは過去30年間を直視すれば明らかであろう。格差拡大と深刻な貧困がわが国の現実である。このことを正面で受けとめなければ支持者が増えることにはならない。ということで第一党ではあるが限界政党というべきである。

 格差問題や貧困対策について、政府は行政的にも努力をしているようではあるが力不足で途中で投げだすのではないかと危惧している。そのぐらい根の深い問題なのである。ところで、自民党の支援者の多くが経営者(多くは小規模)であるのだが、後援組織をつうじて従業員への配分増を自民党が要請したという話は聞かない。つまり軸足は労働者におかれたいないのである。いい悪いではなく政治的立ち位置として自民党には限界があるのであって、新しい支援層に対する政策をつうじての開拓を怠っているといえる。地方の衰退が自民党の未来をかき消している。つまり政治的な投資対象ではないと思われはじめているのではないか。(ここが最重要なのある。)

 最近では政権交代派のほうが過半との報道もあるようだが、リベラル立憲民主党の偽善性が気になるとしても、このまま自公でいくのとリスク的には同程度と人びとが割りきれば次の総選挙では自民党は大敗し、連立政権の組みかえが必至となるであろう。(あるいは勢いで非自民政権が可能になるかもしれないがその場合の連立は混迷すると思う)そのぐらいわが国の貧困化が急速にすすんでいるのである。先進国の中の低賃金国であるわが国がさらに目に見えて貧困化しているのである。これを他国は喜劇とよぶであろう。といった状況を放置すると急進的政党がうまれ、その跳梁を阻止するためにさらなる急進政党がうまれるのではないか。こんな時に、政治改革論議をちまちまとやってどうするの、もっと大胆にやらないとアリ地獄からは抜けだせない。野党が腰を抜かすほどのことを提案しないとダメな情勢であるといえる。文中敬称略】

続きを読む


時事雑考「2024年4月の政局-裏金事件と日米首脳会談-①」

【まえがき 新年度となる4月には新入社員と新入生が桜の花にむかえられる。むかえる桜木は'染井吉野'がほとんどで、これはエドヒガンとオオシマザクラの交雑によるものの中の一樹を始原とする栽培品種であり、生まれは江戸時代後期の染井村、現在でいえば豊島区駒込のあたりで、当時は大名屋敷の植栽を請け負う植木業がさかんな地域であった。接ぎ木による栽培なので同一地域での開花時期がそろうことから、また花弁がややおおきく開花期間もすこし長いなど、ことのほか豪華でいわゆる花見が成立する品種(クローン)であるといわれている。

 多様性の時代にあっても、愛でるサクラは均一性、斉一性の象徴ともいえる'染井吉野'のクローンであるのがなにやらおかしくもある。そのクローンにむかえられる新人に求められるのが個性と創造性であるから'染井吉野'とは逆方向にということであろうか。

 ともかく、整然と散っていくサクラ吹雪が好まれるが、なにも散りぎわまで揃えることもないのにと思う。そういえば、同年同月同日に生まれんことを得ずとも同年同月同日に死せん事を願わんと『三国志演義』では劉備、関羽、張飛の三人がぶちあげる桃園の誓いはとてもよくできていて見事なクライマックスシーンとなっている。話の筋でいえば結局そうはならなかったが、「共に散る」ことが同志愛の頂点といいたいのであろう。清く壮絶でありまたなまめかしさをふくんでいる。

 なまめかしいといえば有名な『同期の桜』の原詩といわれている『二輪の桜』(西条八十作詩、雑誌『少女倶楽部』昭和13年2月号掲載)は少女のつたない恋の歌であろうか。詩は表むき軍装である。妖艶さにはさらに日を要するというのに、あと数日もすれば散っていくのだから、熟することのない青いままの恋であろう。などと想像はつきない。

 ところで、わが国の労働界では連合結成時から会長と事務局長として名コンビと称された山岸章氏と山田精吾氏にも別れの時が1993年におとずれた。1989年から2期4年の激務を終え山田事務局長が退任することになったのである。この時点において山岸会長の3期目に対しいろいろな声があがっていた中で、「散る桜残る桜も散る桜」と連合本部の役職員をまえに己が心境を良寛の辞世の句に託した。良寛というよりも海軍航空隊のにおいを感じたが、本人は一年後の退任を予告したかったのであろう。その場に居あわせたなら、だれだってそう受けとめたと思う。名コンビといえども「共に散る」ことはむつかしい。いや、散りぎわこそ思うようにはいかないのが人生である。

 散りぎわこそ思うようにはいかないというべきなのだが、二階俊博氏の次回不出馬宣言はさすがに手際がいいと感じてしまう。突き落とされるのであれば自分で飛び降りるといわんばかりに「全責任は自分にある」と決した。評論は勝手であるが実践はむつかしい。筆者などは二階氏がいなくなった自民党あるいは与党がうまくまわるのか疑問に思っている。ほめているのではない、それほど彼我の価値観にはちがいがあるのだが、さりとて貶(けな)すこともないのである。

 かなり塩味のきいたところと脱藩議員(失礼!)を自派に受けいれるあたりが「あしながおじさん」風であり、さらに主要紙から花まるなどをもらっていないところが本物ぽいということである。などと評価をすると、おそらく立憲民主党や日本維新の会からは「てんご(悪ふざけ)いうな」といわれるであろう。

続きを読む


1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11