遅牛早牛

時事寸評「総選挙の先-安定か、波乱か、騒擾か」

◇ 今年は世界的にみて国政選挙が多いと年初からいわれていたが、いよいよわが国もその仲間入りをはたしたといえる。しかし、今日時点での選挙の見通しをいえば視界ゼロメートルである。まあ、ゼロといっても28日未明には全議席が確定するのであるが、ただ議席が確定してもその内容によっては波乱というか騒擾というか、じつにゆゆしき事態にいたる可能性がありうるわけで、それは自公あわせて233議席にとどかない場合のことであり、さらに自民党として200議席を割るケースのことである。

 前回(10月3日)の弊欄ではその場合には「連立くみかえ必至」と予想した。で、ここまでは一般的な総論の範囲であって、誰もがそう予想していることから、常識的といえる。

 さて問題は、党名・グループ名・人名をあてはめた各論であり、理念や政策をきな粉のようにまぶした人間関係であるから、その細部は筆者には分からないのである。おそらく27日の午後8時テレビ報道のヘッドラインが「どのように各論と人間関係に火がつくのか」を知らせてくれるであろう。

 もちろん投票傾向は出口調査で明らかになるので、メディアとして出口調査から異変を感じとれば報道のトーンがシグナルとなるであろう。つまり、泰山鳴動し地滑りがおこるのか、それともネズミの退避でおさまるのか、おおむね見当がつくと思われる。おそらくこの時点から永田町での工作がはじまると思っている。安定か、波乱か、騒擾か、有権者の投票行動がもたらす歴史的な事態、すなわち政局の動向については正体不明の不安がただよっているのである。その原因は人びとの不機嫌さにある。なんとなく不機嫌というか、ここはひとつ夕立でも来ればいいのにといった波乱をまつ大衆心理である。そういった気分というか気配がたかまれば思いがけない事態が生じるであろう。

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時事寸評、「いつまでもつか、石破VS野田時代 まずは総選挙」

 [ 10月1日石破政権がスタートした。さっそく内閣支持率が報道されているが、ほぼ50%程度で低めのスタートといえよう。日ごろから保守系政党には辛口でならしているA新聞もやや右寄りのB新聞も、石破氏の安全保障政策に対して所信表明の前にもかかわらず、きびしい批判をあびせている。とくに、「アジア版NATO(北大西洋条約機構)の創設」が石破氏の持論であり、また総裁に決する直前にハドソン研究所に寄稿されたことなどをふまえた、おそらく警告の意味をこめた批判だと思われる。もちろん、批判は妥当といえる。

 しかし、筆者からいえば取りあげることすら過剰反応なのであって、実現性ゼロのアイデアというのは昔でいえば座敷芸つまり余興の類なのであるから目くじらを立てることもないのである。ただ、そういった芸が身を亡ぼすこともあったので、政権としてめざすものをはやく提示したほうが上策であろう。という意味で4日の所信表明や15日からの選挙公約に注目したい。

 ところで、アジア版NATOの問題よりも、「成長失速から衰退にむかう中国」が引きおこす不都合な事象への予防的対処のほうがアジア各国にとってはよほど重要であるから、極端にいえば王朝終末期のリスク管理に各国とも関心が移りつつあるのではないか。

 さて、政権がスタートしたとはいっても形式だけであって、3年前の岸田政権の時と同じように総選挙で信任されなければ政権は本格化しないである。さらに、どの程度の信認であるのかによって、石破政権のその後が占えるのであるから、注文づけはそれからでも遅くはないといえる。

 現段階で予想できることは8割以上の確率で岸田政権の継承者として、いい意味で後始末役に徹すると思われる。ただし、単独過半数をこえて250議席台にたっすれば、石破カラーが可能になるだろうが、その方が波紋をよぶからと危険視する人がいるかもしれない。

 総理大臣にふさわしい政治家ランキングではつねに高い人気をたもっていたわりにはご祝儀相場が少なかった理由は、人びとの政治にたいする口が肥えてきたからで、悲観することも楽観することもない中立的な反応であったと思う。ともかく、総選挙の結果待ちであり、米国大統領選挙の結果もふくめ11月は大忙しであろう。]

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時事寸評「大詰めをむかえる自民党総裁選は誰のものか?」

[「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(藤原敏行)」とかいってみても、秋分を前に猛暑日の話をしていたのだから、風情も何もあったものではない。とグチっていたのであるが、今日は23日天気予報では秋の気配、服装に注意ということで、ようやく季節を楽しめそうになった。

 しかし過ぎ去ったとはいえ猛暑の中で、立憲民主党の代表選やら自民党の総裁選では、13人の立候補者が文字通り汗を流していたのである。こういった場合はねぎらいの言葉のひとつもかけたいと思うのが人情であろう。しかし、「お暑いのにご苦労さん」なのは市井の人びとの方であって、与野党といった線引きにかかわらず政治家は異界の住民であるから、たまにそうでない人がいるにしても、見かけの大汗に同情することなんかないと思う。

 市井の人びとにとって政治家に同情することは百害のはじまりであるから、けっして騙されてはいけないのである。と今回も妄想全開である。

 この9月は、代表選と総裁選のダブル興行ですこし盛りあがったはずなのであるが、いよいよの収穫期をむかえてとても出来高が気になるところである。

 来月になれば組閣に総選挙と政治イベントが目白押しで、米大統領選もせまるしなにかと落ち着かなくなるであろう。

 それにしても、日銀はいつの間に株価支え人になったのか。気を配ることはひつようであっても、過ぎると怯懦(きょだ)と評されるであろう。下手すりゃ金利の正常化が永遠の課題になるかもしれない。株価暴落が怖いのか、それとも政府が怖いのか。いずれ株価は戻るのに、いつまでも膾を吹くなよ、といいたい。]

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時事寸評「天の配剤なのか四人衆、もう昔のことはいうまい-立憲民主党の代表選-」

◇ ざっくり言って、二人に一人は「自民党は政権から外れればいい」と思っている。しかし、そう思っている人たちがこぞって「立憲民主党の政権をのぞんでいる」ということでもなさそうで、もちろんそう思っている人もいるのであるが、それは全体でいえば10パーセントぐらいで、(少なくはないが)決して多いとはいえないのである。

 というのが立憲民主党の評価としての時価であって、あいかわらずこの党の客の入りは悪いといえる。といった状況がこの国の民主政治を展望するうえでの確とした障壁になっているといわざるをえないのである。これがいわゆる「野党がだらしないから」説であり、そういいながらも野党を応援したりテコ入れすることはないという現実こそが、確とした障壁のひとつなのである。

 「ふつう」といっていいと思うのだが、挑戦者である野党第一党には独特の緊張感がただよっているもので、とくに与党に醜聞が発生した今回のような場合には、ビリッビリッと空気を震わししぜんに腰が浮くような昂ぶりが生まれるものである。

 で、どうであろうか、ビリッビリッとしているのか。まあ感じ方であるから意見が分かれるのは仕方がないが、全議員が轡(くつわ)をならべての出陣態勢にはないように感じられるのである。勇躍として総選挙にむかうという風でもなく、どちらかといえば心中に臆するものがあるようにも見える。どうしてそうなのか、都知事選の失敗を引きずっているためなのか、ともかく分からない暗がりがあるように思えるのである。

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時事雑考、「2024年8月の政局-岸田氏不出馬で波乱よぶ総裁選-」

1.岸田氏、総裁選不出馬で条件が大きく変化

「岸田氏、総裁選不出馬!」8月14日11時30分のことであった。前回の弊欄では「総裁選の前月である8月段階で強力な挑戦者が見えてこないということは岸田氏の時間切れ続投が第一シナリオになりつつある、、。」と、また「岸田氏の続投では打つ手がかぎられると思われる。そのうえ、負ければ全責任を押しつけられ引責辞任となるのだから、、。正直なところおすすめできない、、。」と記した。

 選挙の予想は評論の対象ではないが、それがないと面白くないのである。今回は、筆者をふくめ多くの人が外したわけで、まあ意表を衝かれたということである。

 岸田氏続投には盟友も友党もまた側近も表だって反対はしなかったが、なにかしら気分がのらなかったということで、空気がわるかったといえる。というのも、どう考えても総選挙の勝パターンがでてこないのだから、岸田氏続投には意味も価値もないということで、ぎりぎりのタイミングでの不出馬表明になったということであろう。

 正直なところ思考の連続性に支離滅裂感がないわけではないが、最高権力を手放すという決断であるから、結論としてはそれでいいのではないかと思う。

 ということで、さてこれからどうなるのかと思いをめぐらせながらも、正直なところ困った感がひろがっているのである。いいたくないけど、メディアで騒がれただけの、すこしも準備ができていない人が総理総裁になるようではこの国の行く末が思いやられる。

 とはいっても、自民党の総裁選挙は世論の圧力をうけながらも、決めるのは自民党であるから、さいごは党内事情で決まると予想すべきであろう。弊欄ではいく度となく紹介してきた「一選、二金、三党、四理、五政(いちせんにきんさんとうしりごせい)」が、全員とはいわないが過半の国会議員の内心ではなかろうかという筆者の仮説を再掲するまでもなく、総裁選における議員行動のさいごの決め手は「本人(じぶん)の再選」への利用価値であると推察しているのである。これは内心の問題であって、けっして非難しているのではない、実相を指摘しているだけであって、もちろん良い悪いでもなく普通選挙をベースにした民主政治がもつ本質的な「現象(あらわれ)」であるというのが筆者の考えである。

 たとえば妄想的ではあるが、何らかの方法で4回目の当選を確定された議員の3期目の仕事ぶりは刮目すべきものになると思われる。そうでないケースが生じるかもしれないが、それはコストであって、選挙から解放された議員が当初の志を思いおこし、今一度挑戦してみようと奮いたつ環境を用意することが、現状の有権者のもやもやした気持ちを解消できる理想的な状況をうみだすのではないかと長らく考えてきたのであるが、実現性はきわめて低いといえる。

 であるのになお強引に記しているのは、現在政治改革にかかわる多くの批判や提言が政治家(多くは国会議員であるが)の能力や意欲など属人的要素に集中しすぎていると懸念しているからで、そもそも環境が変わらないのに行動が変わるはずがないというのが筆者の人間観である。

 ということで、人びとが期待している役割を政治家が直にうけとめ実践しその成果をあげるためには、有権者が積極的にそのための環境整備をはかっていくべきではないか、むしろそのように努力すべきではないかという提言である。スーパーマンではない政治家に、スーパーマンであれと求めるのは酷なことであるし、同時にムダであるといえる。

 そもそも民主政治における選ばれる側と選ぶ側との役割分担のあり方については、選ばれる側には百の注文があるのに選ぶ側には棄権するなのひと言というのはあまりにもバランスが悪いではないか。政治家に期待するのは善意のエネルギーであるが、荒野を100メートル10秒以下で走れといわれてもほとんど無理であって、そういう無理な期待をしてみても意味がないから、むしろ期待する前に整地でもしたらどうですかということである。

 表むきはともかく、新総裁新総理によって年内の解散総選挙をのりきり自公連立政権を維持していくというのが自民党議員の一等の本音ではないか。党内改革とか政治改革はそのための方便であって、「ぶっこわす」とまでいっておきながら、自民党は変わらなかったことをふと思いだし、次のレトリックはなにかしらというのが世間のうけとめであろう。

 だからあえていえば、新総裁が「選挙の顔」になるにしても、「選挙の顔」で選ぶというのはまるっきりの間違いではないが、操り人形風で有権者をバカにしていると思う。党員ではない有権者の多くは政治と金、とりわけ裏金についてはどういう始末をつけたのかと疑問に思っているだろうし、岸田氏の総裁選不出馬で一件落着とは考えていないので、世間の関心はそこに集中すると思われる。

 という有権者の視点を大切にするのであれば、まずは今回の総裁選の性格をしっかりと定義しておかないと、号砲一発の自由競争ではしまりのないお祭り選挙に堕し、生徒会長選挙をめぐる学園ドラマ風になるのではないかと思われる。すでにバラエティ番組や報道番組ではそういったストーリを予見させる動きがみられるが、「政治不信」を再定着させるような興味本位の報道はやめるべきである。といっても、視聴率がからむと節操がなくなるから、「おもろうてやがて白ける総裁選」ということになるであろう。

 党内のことではあるが、この総裁選が重要であることはまちがいない。がそれ以上に深刻な側面がある。深刻というのは今回が納得できなければ「仕方がない、つぎを待とう」ということにはならない、自民党にとって次はないということである。つまり、有権者としてはリスクがあっても本格的な政権交代にとりくまなければこの国は危ないとマジで思っているのである。

 なんといっても天下の宰相えらびである。しかし、それにしては深沈さというか重みが足りないと思う。ひらかれた総裁選が最適解をうみだせるかどうかはやってみなければ分からないわけで、老舗政党である自民党として本当に再生をかけたものになるのか、たしかに興味深くはある。

 そこで筆者としては「政治不信」の現状には有権者の側にも多くの課題があると考えている。つまり、時として真摯にみまもるべきと思う。ということで、とりあえずといえば失礼とは思うが、あえてとりあえず100点は無理としても方便としてせめて60点ぐらいは期待したいものである。

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時事雑考「2024年8月の政局-同盟の底にある困難-」

1.米大統領選は新たなステージへ、(まるで口論プロレス)

 暑熱の日々、ニュース番組はパリオリンピックでの日本選手の活躍でもりあがっているが、いささか食傷気味である。ところで、米国の大統領選挙はバイデン氏撤退のあと、トランプ(前大統領)対ハリス(副大統領)の大激戦が予想される中、あらたなステージに移ろうとしている。トランプ氏優勢であることには変わりがないものの、老老対決から老壮対決へと選挙戦のモードが変わることの影響もあり、ふりだしとはいえないが、未知の部分がでてきそうである。大統領選にあわせて上院の三分の一と下院の選挙も同時におこなわれることから、シビアな感じがヒリヒリと伝わってくる。この三つの選挙すべてを共和党が制すれば、ほぼトランプ独裁となり選挙期間中の氏の発言が現実化する。そういう意味ではリベラル派にとっては上・下院選挙のほうが気になるのかもしれない。将来においてどんな文脈で語られるかは今のところ不明であるが、おそらく歴史にのこる選挙戦になることだけは確かである。

 もとより、日米の選挙制度には大きなちがいがあるので、いまさら比較してもと思うが、盛りあがりという点では米大統領選にはなんともいえない迫力がある。

 まあ、(くどいようだが)単純に比較してもしょうがないことではあるが、あの悪口三昧にたえられますかといったことではではなく、言ったもの勝ちの、筆者の体験でいえば小学校までしか許されていなかった口論プロレスの世界が地球上唯一の超大国の内側でくりひろげられているのである。

 さらに、知性ではなく反射神経、運動神経が支配するリングのない格闘技の世界とも写るのである。それをディベートというのであろうか。であれば、わが国の中学高校大学ではひたすらディベートを避け、あるいは抑制してきたのでなじめないということであろう。今でもディベートよりも忖度の世界である。

 「トランプVSハリス」の舞台において忖度が機能する余地はまったくないわけだから、迫力にちがいがでるのは当然であろう。 

 ということで、忖度の訓練にあけくれてきたわが国のサラリーマンとしては、筆者もふくめ「お前はクビだ!」と指さされると、ちょっと腰が浮いてくるような居心地の悪さをおぼえる。日本のサラリーマンの多くは罵倒しあうシーンには不慣れであるから(一方的に罵倒されるシーンは時々あるが)戸惑うところもあると思われる。そういうシーンについていけない時には気持ちを観客席におき、しばし鑑賞するというのはどうかしら、アメリカ式がすべてではないのだから。

 ところで、報道機関はじめさまざまな組織によるファクトチェックも活発におこなわれていると聞くが、その成果が日本にまで届いているのか。それをあきらかにするほどの時間の余裕はないから、結局つきあってはいられないということである。

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時事雑考「2024年7月の政局-都知事選は何だったのか」

【何やかやと、諸事にかまけているうちに都知事選後10日以上が経過した。今さらの都知事選ですかと言われそう。くわえて、都知事選でさえもローカルなのである。というのも、その時期を実家(四国)で過ごしていたので、もともとローカル色の濃い地方ではあったが、なぜか都知事選もローカルなことで、小池氏3選のひと言であった。それよりも梅雨の合間の暑さがひどく、草刈りを中断せざるをえなかった。何のための帰省だったのかと悔いばかりがのこっている。

 ところで、MLBの大谷翔平選手の活躍がとまらない。それはいいのだが報道過剰だぜ、といっているうちにトランプ前大統領が狙撃された。右耳の包帯が痛々しい。そのこともあってか米国共和党が盛りあがっている。もしトラがほぼトラにさらにまじトラになったそうで、各国とも慌てているようであるが、民主党の対応が注目されている。どうするバイデンさん。

 一般論ではあるが、後期高齢者という失礼きわまりない呼称にはやはり意味があるのである。生活のスローダウンからは逃れられない。とくに言い間違えが日常化するのは政治家としてはリスク要因であろう。一寸先は闇であるのは米国もおなじことで、先のことは分からない、がとても気になる。

 ところで、まだまだネット空間でのやりとりがつづいているようである。もう都知事選はおわったのに。このコラムは労働運動の継承を目的にしているので、その視点で都知事選について書きつづってみた。そういえば連合結成以来、都道府県知事をはじめ首長選挙での地方連合会の対応は無所属であれば現職支持のケースが多かったように思う。要請事項への対応などを評価すると自然とそうなるのかもしれない。連合から支持されていると思っている政党にしてみれば合点がいかないということであろう。その気持ちは分からないわけではないが、もともと国政とは違うから、より現実的な対応になったということであろうか。】

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時事雑考「2024年6月の政局-国会閉幕、総裁選と代表選へ、どちらも波乱?」

【2024年の通常国会が閉じた。議論の多くは政治資金規正法の改正を中心にした「政治と金」に集中した。どんな国会であっても意義があるもので、とくに予算・決算は国の運営にとって必要不可欠のものであるから年中行事化しているとはいえ真剣な議論でなければならない。それが、今や膨張予算となっている。といっても、国立大学などは通常経費の不足を理由にいよいよ値上げにふみきるようである。折からの物価上昇のなかにあって、家庭の教育費負担がさらに重くなりそうである。

 膨張予算。悪いことだけではない。高血圧と同じで、金のめぐりがよくなる。倒産、閉店が先送りされる。反面、財政が不健全になり、国は破綻しないがインフレがひどくなり、弱い者から受難する。つまり、生活破綻が増える。

 幸せをもたらす青い鳥はいない。政治に過大な期待は禁物であるが、政治家も政党もそうはいわない。米国では青と赤が競わずに争っている。あと4か月あまりで決着がつく。時間の問題ではあるが、歳の問題もある。

 鬼に笑われてもいい、2025年は衝撃の年になると予想している。過去の延長としての未来予測は既決的で陳腐である。創造にもとづく未来予測は不確実であるが教訓となる。で、鬼より先に、人に笑われそう。

 さて、猛暑にむけて岸田おろしと泉おろしの競演になるのか。前者は釜の焦げ飯を洗いながすがごとく、後者は炊きあがる飯にむらがるがごとく、争いあう姿も審査対象であろう。なんたってこの国は美を尊ぶ国であるから、涼やかに願いたいものである。】

1.なんとか乗りきった国会だが、総裁選に向けてネガティブイメージが暴走するのか

 9月には総裁選挙があるというのに、党内であからさまに岸田おろしに走るのはみっともないことである。とりわけ「何が問題なのか」を明らかにせず雰囲気だけで危機的と煽ることは幼児的な感じをあたえるだけであろう。で、間髪をいれずその反旗のイメージはまたたく間に全国にながされ、「いよいよだな」とか「レイムダック化」といった連想ワードが蔓延しはじめるのである。暴走宰相に対するネガティブイメージの暴走である。

 ところで、派閥解消や政治資金パーティーの限度額の引きさげが「禍根をのこす」との党重鎮の指摘はそのとおりであり、通常の討議プロセスを逸脱していたといえる。事後の根回しでは根回しにはならない。

 筆者でさえ、自民党の伝統的な討議プロセスからは逸脱しているとうけとめていた。とはいっても、今国会で自民党提出の政治資金規正法の改正(修正)案の成立をはかることこそが、事後の政局に決定的な影響を与えるキーストーンであるとの認識は一部の議員をのぞき、共有化されていたと思っている。つまり、党の緊急事態である。

 まさに死地といっても大げさでない状況にあって、他に方策があるのか、また間にあうのかといった視点で考えれば、それなりの対応であったと評価している。ここで評価してしまうと白い目でみられそうであるが、長年政界を観察してきた経験からいって、衆人がこぞってボロカスにいう場合にかぎって、後日評価が反転することがある。

 もちろん最善策とはいえない。しかし、そういった批判は「たら、れば」の世界であっていつも完全試合を求めるようなものである。だから、「それはそれで勝手に」というのが筆者の感想である。というのも、野党第一党である立憲民主党がきわめて高いボールを投げつづけ、議員立法なのにまとめる気がないというのは、むしろこのまま総選挙にもちこみたいという思惑が強かったからではないかと疑っている。

 だから「禁止、禁止、禁止」でとりつく島がないのに、党首会談がなかったとごねるのはご愛嬌のいきすぎであって、無理筋であろう。今では政権交代を真剣に考える人が増えているというのに、とっておきの見せ場では野党根性まるだしではないか。これにはがっかりしたという感想も多かった。

 期待された久しぶりの党首討論も面白くはあったが、最後に政党交付金を増やせばいいというのでは、納得感に欠けるといわざるをえない。まあ討論の勢いででた発言なので、ここでつっこむこともないとは思うが、早めに補足したほうがいいのではないか、と思っている。

 立憲も汗をかいてギリギリの内容をまとめあげれば、政権政党に近づけたのにと思っている。つまり惜しいことをしたものだと愚痴っているだけのことなので気にすることもなかろう。

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時事雑考「2024年6月の政局-自公維の賛成スクラムが呼びよせるものは」

1.珍しいドタバタ劇  政治資金規正法改正案、再々修正へ

 政治資金規正法の改正なくして、政治資金パーティー還流金の不記載(裏金)事件に端を発した政治改革の出口はない、というのが筆者の基本ラインであった。逆にいえば、適切な改正をおこなえば事態は収拾するということであり、適切なのかどうかは立場によって変わるものであるが、国会での議決において余裕のある多数派を形成することが当面の決着となるのであるから、自民党としては公明党はもちろん中道に位置する日本維新の会の賛同をえることが最重要かつ優先度の高いものであったということであろう。

 さて、どの程度の改正におさめるべきなのかについては、与党内の軋轢、野党間の駆けひき、世論の圧力などが複雑にからみあっているので、まさに湧水で鯉の切り身を洗うようなキリキリとした運びであったと思われる。

 そんな中、5月31日自民党から岸田氏の意向を反映した再修正案がしめされた。その主な内容は、パーティー券購入者名の公開基準額を27年1月から「5万円超」に引きさげる、また政策活動費の支出状況が分かるよう10年後に領収書を公開するというもので、岸田総理が公明党の山口代表、日本維新の会の馬場代表と個別に会談し、それぞれの要求を受けいれ合意に達したという。

 その結果、今国会で同法の改正案が成立する運びとなった。ようやく迷路から脱けでることができるという意味で、政権としては一安心と思われたが、ツッコミどころが多くのこされており、たとえば27年1月からという開始時期には遅すぎるという非難が噴出すると予想される。

 また、政策活動費の「領収書10年後公開」についても期間短縮の要求がでてくるであろう。一定期間後に公開できるということであれば7年、5年と短縮しても事務作業としては変らないということで、さまざまな議論がおこると思われる。

 そういった議論にくわえ、修正と引きかえに賛成にまわる公明党と日本維新の会にとって、それが党内で「納得できる内容」といえるのかなどと、あれこれ想像するのであるが、両党とも党内での議論が平穏にすすむとは思えない。まあ、参議院本会議で可決されるまではザワザワすると思われる。

 というのは、もうすこし厳しくてもよかったのではないかという相場観もあって、いわゆる「のりしろ」の幅が気にかかるという向きも少なくないのである。いいかえれば、100パーセント丸呑みというほどのものであったのかという疑問もあって、ウエストのゴムがゆるい感じを禁じることはできないのである。ということで、一部でささやかれていた自民党内の不満については徐々に鎮静化していくと思われる。

 と書き終わってから、政策活動費の開示基準を50万円超とする自民再修正案をめぐり維新の反発が急浮上し、6月4日の総理出席予定の委員会、衆本会議の日程が延期された。丸呑みといいながら小さな骨がひっかかった模様である。大小にかかわらず喉に刺されば大事であるからか、再々修正のうえ明日にも本会議で可決される見込みであると報道されている。(6月4日14時記)

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時事雑考「2024年6月の政局-政治資金規正法国会の出口」

1.政治資金規正法の改正が焦点なのに自民党案は遅すぎゆるすぎで失敗

 「早くやらないから劇症化しちまったじゃないか」と隠居が愚痴っている。「政治と金」で紛糾した場合は「早期発見、早期治療」が一番であるのにどうしたことか。自民党が迷走をつづけていることはまちがいない。政権与党が迷走というとんでもない事態をおこすことを予想できなかった。自民党がこんなにだらしがなかったという点で、筆者の予想もあまかったことはたしかで、少なからず反省している。

 当初から政治資金規正法の改正が避けられなかったのだから、肉を切らせる覚悟できびしい案をだすべきであった。だが、党内がまとまっていないというのか、あるいは指導力の欠如というべきか、ようするに時間がかかり過ぎたうえに改正内容が中途半端であったことから、野党やマスメディアからはしっかりコケにされてしまった。改正案のとりまとめに気をとられすぎて、党内の危機感を整えられなかったことが災いしたといえる。これはよくある組織的症状で、所属議員全員の連帯責任であると思う。

 改正案を与党でまとめられなかったのがすごく痛い

 とくに、友党である公明党との溝がうめられなかったことは問題処理において致命的であり、くわえて自民党内には司令機能が存在しないことの証明といえる。富士川の合戦以降の平氏に似ているといってもいいのではないか。

 にもかかわらず、「連立解消につながる」といった匿名のお気楽な発言がでたりして、それで公明党をけん制しているつもりなのが可笑しい、今の立場がまるで分かっていないのであろう。この段階で公明党の裏書がないのだから国会対策的には「とても恐ろしい事態」であることを党内で思い知るひつようがあるだろう。

 念のためにつけくわえれば、自民党は参議院では過半数にとどいていない、また衆議院では単独過半数ではあるが三分の二超ではない。

 ということは、衆議院での採決を強行突破しても参議院では否決されるであろうし、さらに衆議院へ返されたとしても憲法第59条の再議決(出席議員の2/3超)ができないので廃案となる可能性がきわめてたかい。つまり、衆議院で強行突破してみても出口はなく、かえって支持率が下がるであろうから、いずれにしても現状は「空拳かつ無力」といえる。

 いいかえれば、現在の自民党案については原形をとどめることはむつかしい。では、いわゆる「落としどころ」はどうなのかということであるが、最低でも他党と同等か、できれば世間をおどろかせるレベルの厳しさでまとめるということであろう。しかし、全野党相手の修正作業は困難であるから中道政党の主張をとりいれること(修正)が考えられるが、話にのってくれる野党がいるのか分からない。つまり確実性についてはなんともいいがたいのである。

 だからどう考えても、与党である公明党と連携すべきであろうが、同党には支援組織からの反発が大きいという事情があるのであろう、生半可な妥協では公明党自身の選挙がむつかしくなるリスクがあって、「同じ穴のムジナと見られたくない」ということであろう。「政治と金」問題に限定すれば連立状態にはない、離脱の可能性もゼロではない、ということは大再編時代の幕開けかもしれない。(どこかで折り合う可能性がないわけではないが)

 野党の多くは自民党の衆議院での強行突破を誘発し、参議院での頓死をねらっていると推測される。いずれにしても本件はすべて自民党の責任であり、政治改革に不熱心であるとの心証を有権者にうえつけ、政局わけても総選挙における優勢をかためたいということであろう。自民党に策がなければ事態はそうなると思われる。この窮地からのがれるには、世間がおどろくほどの厳しいものを自公で修正案としてまとめるしかないのではないか。あるいは、恥を忍んで立憲・国民案をまるのみしてみせるとか。というほどの火急の事態となっている。

 ところで、世間をおどろかせるほどの厳しい内容で、はたして議員活動が円滑にまわるのかについては、ここでは判断がつかない。しかし、そういったいいわけが通用する状況ではないというギリギリの判断をするのであれば、きびしい規制によって、今後の政党・議員活動については思いきった痩身化をはかるしかないといえるし、それは自民党議員にとっての苦難の道になると思われる。

 筆者は、理屈ではなく現実問題としてここはやるしかないと考えるが、自民党議員の多くは今なお「飛び火をうけた」ていどの感覚でいるだろうから、党として大決断にいたらないかもしれない。たしかに「裏金事件」でいえば身におぼえのない議員も多いことから気の毒な面もあるが、くどいようだが現実は問題の質と領域が大きく変化したということであり、そのことをリアルに受けとめられない自民党議員が多いということであろう。派閥解消とかはまずまずであったが、要の政治資金規正法の改正案を現場にまかせたのが傷を深く大きくしたと思われる。それでも、有権者の多くは身からでた錆だと思っているだけのことで、かなしいかな晩秋の深夜にふる雪のような寂しさを感じる。

 この苦難は野党においても似たようなものであろう。もちろん、程度の差があるとしても、党財政の苦しさは各党とも同じであるから、我慢くらべの度が過ぎて体調を崩すところがでてくるかもしれない。

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