遅牛早牛

時事雑考「2023年の展望-正直わからない年になりそうだ-」

(新年は恥ずかしいぐらい輝いている。しかし、いろいろと祈ることばかりである。とくに、最低24本掲載をめざしたい。文中は例によって敬称を略す場合があるので悪しからず。)

正月早々、岸田総理5月広島サミット準備に大忙し

◇ 岸田総理は5月予定の広島サミットを念頭におきながら、1月9日の仏をかわきりにG7構成国を順次(伊、英、加)訪問し、13日バイデン米大統領との会談を最後に14日帰国の途についた。とくにバイデン大統領とは、11日の日米安全保障協議委員会(2プラス2)の内容をふまえ、日米協力のあらたなステージについて確認しあったと思われる。国内では低調な支持率になやまされているようにみえるが、一連の外交は及第点をこえていると思う。

 ところで、国内での議論をすっとばした点については、23日からの国会においてきびしいやりとりが予想されるので、それらには誠実に対応すべきである。しかし、手順が気にいらないからといって、いまさら各国首脳との話をなかったことにできるわけがない。また、首脳会談の内容について事前に国会での議論がひつようであるのかについては、そもそも行政権と立法権とは分立しているのだから、両者の議論のありかたや組みたてが違っていてもおかしくはない。また、議会が事前に政府の手足をしばって不自由な外交を強いることは百害あって一利なしというべきであろう。

 筆者は前回のコラムでは暴走宰相と表現した。ときに暴走もひつようではないか、つまり暴走でもないかぎり状況をきりひらくことができない、という意味をすこしふくませていたが、もちろんほめ言葉ではない。むしろ爆走といった方がいいかもしれない。ということで、岸田総理の爆走が東アジアの安全保障のあり方に一石どころか大石を投じたとうけとめている。しかし、それを成果というのはまだ早い。次は中国の出方である。台湾海峡の平穏すなわち現状が維持されるなら紛争はおこらず、相互繁栄の道がひらかれるというのが、今回の主旋律である。

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時事雑考「2023年になっても、とても気になること、ウクライナと国内政局」

(2022年は、もうすぐ過去になる。しかし整理のつかないことが多い。そこで前回書ききれなかったことを書いてみた。追補である。それでも、まだまだ不足感があり、おそらく年があけてもつづきそうで、筆者の2022年は当分おわらないであろう。)

ロシアのウクライナ侵略は破壊と殺戮が目的だったのか、違うだろう

◇ これは破壊であり、殺戮である。ロシアのウクライナ侵略がはじまってから十か月がすぎたが、どのようにいいつくろっても、破壊を目的とした破壊のむごさをおおいかくすことはできない。また、得ようとして得られなかったからといって、それをこなごなに破壊していいのか。あるいは、特別軍事作戦というのは「ルールなき戦争」という意味だったのか、などと自問しながらもふつふつと沸いてくる怒りをおさえることはできない。

 ここにきて、当初の目的がなんであったのか、プーチン(例によって敬称を略す)ですら分からなくなっているのではないか。もともとのNATO(北大西洋条約機構)との緩衝地帯を確保するという目的にたちかえってみても、結果としてウクライナを永遠の敵にしてしまったのだから、プーチンの作戦はみごとに失敗したといえる。

 この特別軍事作戦となづけられた「戦争」は、構造的に出口をもっていないのではないか。というのは、二週間ですべてが完了するシナリオだけしか用意されていなかったという、まるで演習のような作戦であった。という、とんでもない「お粗末さ」からすべての問題が発生しているのである。またその作戦は、あまりにもロシアにとってつごうのいい展開だけを描きこんだ、おとぎ話のような計画であったために、たったひとつかふたつの思惑違いによって、全体が破綻してしまう粗悪品であった。 だから、喜劇役者出身でまるで役に立たないはずのゼレンスキーが、思いのほかクールで勇敢であったというだけで、計画のすべてがくるい、残虐非道ともいえる惨禍をもたらせたのである。犠牲者のおおさから考えても作戦は完全な失敗であったといえる。たとえいいわけが山ほどあったとしても、失敗は失敗である。もちろんそのまえに武力で国際関係を変えようとすること自体が国際法違反であり、とりわけ常任理事国のなすことではない。

 ということで、ロシアの安全保障のための特別軍事作戦が、強固な敵対国をうみだし国際社会の非難をあびたのであるから、これ以上の皮肉にはめったにお目にかかれないであろう。

 さて、今後ウクライナの発電設備などのインフラを破壊し、ウクライナの人びとをどれほど苦しめたとしても、プーチンの失敗をリカバリーすることはできないであろう。もちろん、彼にもいいわけがあるとしても、死者は生きかえらないし、失われた財産は戻ってこない。また、ウクライナの人びとの恨みが消えることもないだろう。さらに、この先ながきにわたり両国が敵対しあえば、どちらも傷つきともに貧乏になるだけである。

 このように、一見だれにも利益がないように思われるが、旧ソ連の主要メンバーであったウクライナを反ロシア陣営にひきいれ、強力な反ロ橋頭堡を築けたのであるから、フィンランド、スウェーデンの動向もあわせ、NATOの優位は決定的なものになったといえる。とにかく、NATO諸国にとって、支援コストをはじめエネルギーや物価などでのマイナスも決して小さなものではないが、NATO域内が拡大され強化されたと考えれば、それは何よりの成果であろう。とにかく悪いのはロシアあるいはプーチンであり、援助負担に国民の不満がのこるにしても、正義の戦いであるといいくるめれば、政治的には乗りこえられると考えているのではないか。ということからも、ウクライナ支援はNATO諸国の政権にとっても最初から最後まで生命線というべきものであろう。

 それに、欧米流の手練手管でいえば、後はロシアのミスをまてばいいわけで、ミスのたびにロシアの国際社会での影響力が剥離していくと踏んでいるのであろう。そのためにも、正義の旗印であるゼレンスキーをまもりきらなければならない。

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時事雑考「2022年のふりかえり-年の瀬に、防衛力強化を考える-」

(一か月をこえる空白ができたが、実家の整理や登記手続きが主な理由であった。また四国への行き帰りのおり、大塚国際美術館や大原美術館などを楽しんだもので、ホテルでは登録時にひとり三千円分のクーポンを受けとり、年がいもなく喜んでしまった。気がつけば2022年もあとわずかとなり、すこし焦っている。あいかわらず書くべき種にはこまらないが、判断にこまることがふえている感じがする。)

内閣支持率が低いのは

◇ 内閣支持率が低調である。発足から今夏まで、意外にも高い支持率を維持してきたことについては「何もしてないから」と話していたのであるが、ここのところ低調なのは「何かをしたから」で、世間でいう「差し障り」のあることを、たとえば「国葬儀」を強行したからであろう。また、問題ぶくみの閣僚の更迭が遅い、といったメディアからの批判の影響もあったと思われる。

 もちろん、「大臣を辞めさせる」ことが重大事であることに異論はないが、どのぐらい重大であるのかは個別に判断すべきである。「やめられても惜しくはない」という世間の本音からいって、報道はかなり過剰だったと思っている。だから、岸田総理の任命責任をことさら問うてみても、褒められたものではないことはたしかだが、「だからどうしたの」といった蛙の面になんとやらの域をでることはないであろう。

◇ そんなことよりも、この総理には暴走の性癖があるのではないかと心配しながら、どうじに期待もしている。つまり凡ではあるが異能をはらむタイプではないか。というのも、昨年二階幹事長(当時)に対し任期制限というピンポイント攻撃におよび、「やるときはやるもんだね」という評価をえたようであるが、そのときの突然の「青々しさ」が印象的であった。

 べつにキシダ応援団ではないが、その青々しさが気にいっているので、いまは模様ながめをきめこんでいる。それと、さみだれ的に内閣支持率で政権を威嚇するマスコミが気にくわないので、あまのじゃく化しているのであろう。

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時事雑考「当世言葉の重み事情2『日銀さん、お先に信用落としてます』政治の言葉」

(当初、一本(2万字)であげていたが、あまりにも長いので分割し、すこし加筆した後半部分である。あいかわらず、漢字とひらがなの比率に難儀している。今回のながれは、ややごういんな展開だと自覚しているが、言葉がかるくなると実態まで軽くなるようで、心配で筆をとってみた。しかし、あんがい実態がかるくなったので、言葉もかるくなったのかもしれない。ところで5パーセント賃上げ要求にはエールをおくりたいが、「遅くない?」早められないのかしら。みんな首をながくしてまっているから、急いでほしい。年があければ、年金生活者の怒りが爆発するから、春の地方選挙は雰囲気がかわると思われる。)

「闘争宣言」が懐かしい世代です

◇ 労働界には、「闘争宣言」文学があると筆者は考えている。ごくせまいジャンルなのだが、にがてで嫌であった。

 さて、「闘争宣言」というのは鼓舞の文学であるが、どうじに安定剤としてはたらく。たとえば「総力を結集して断固闘う」とか「要求満額をめざし最後まで闘う」といった、いわゆる定型文があって、何回も聞くとなんとなく心地よくなってくる。それが、最後までたたかうと宣言した翌週には、だいだい妥結するわけで、「最後まで」の最後とは解決までということなので、妥結とはすなわち解決なのであるから、最後までたたかったことになる。ごまかしではなく、そういうことなのである。

 では「総力を結集しているのか」ときかれれば、「総力を結集しなければいい回答はえられない」ということであるから、いつも総力を結集している(はずな)のである。また「総力を結集していない」と立証することはほぼ不可能であろう。もともと、総力とか結集といった言葉は、筆者の語感でいえば紙風船のようなもので、普段は折りたたまれて引きだしにはいっている。出番がくればふくらませるが、中はからである。しかし、そうであるからといって不要なものではない。大衆参加型の運動においては、節目をしめくくるイベントとしての全員集会、そして節目であることをあらわす「印」がひつようで、その「印」が「闘争宣言」なのである。

 で、まず大げさでそらぞらしい。そして、心にもないことを作文するわけにはいかないので、その気にならなければ書けない。また、文案をひねっているうちに、書いた文章に触発されて、さらにその気になって自分で盛りあがっていくのであるが、そこが嫌であった。べつに憑きものという状態ではなかったが、芝居とおなじように「自己励起」していくのであろう。

 ベテラン組合員は「闘争宣言」を、そろそろ終わりだなとうけとめ、新人はいよいよ始まるのかととらえるのである。かつて、「闘争宣言」が数次にわたった時代があったが、毎年とりくむ交渉で、毎年爆発していたのでは労使ともにもたない。ということで妥協をルーチン化せざるをえないのである。

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時事雑考 「当世言葉の重み事情1、『日銀さん、お先にふくらんでいます』政治の言葉」

(棺を蓋いてもなお事定まらず、ということか。過日の追悼演説を聞きそう思わざるをえない。立憲+維新-共産≒政権となるのか。旧統一教会問題は心臓に刺さった一本の矢であるのか。もう一本で絶命、抜けば出血多量となる。ここは政治シャッフルしかないだろう、国民のためにも。)

労働組合の言葉遣い

◇ いまとなれば古い話であるが、春の賃金交渉にむけて「たたかい」を「闘い」と書くか「戦い」とすべきか、当時の全民労協の事務局でちょっとした論争になったことがあった。もちろん「春闘」または「賃闘」と総評、同盟、中立労連、新産別の既存団体が表現していたので、結論は「闘い」におちついた。が、「だれも血を流していないのに」と不満顔が一人いた。なにが不満なのか気になっていたのであるが、そのあとの新宿での会議では聞きそびれてしまった。(全民労協とは、全日本民間労働組合協議会の略で民間先行による統一にむけての組織母体。1982年~1987年)

◇ 「ひどく大げさ」ということか、あるいは言葉どおりはげしく「闘え」ということだったのか、または職場でのうけとめと表現がかけ離れることの弊害をいいたかったのかもしれない。表現は過激化するが実態は過激化しないから、古い組合員にはそんなものだと思ってもらえるが、新人にはどんな団体なのかと警戒心をもたれるかもしれない、ということであろうか。

 その後、協議会から連合会(現在の連合の前身組織)に移行し、ずい分と本部組織が大きくなったころ、「むかし先輩から『目にゴミが入ったではだめだ、目に土砂がとびこんできたぐらいに書け』と指導されたんだよ。」と笑いながら教えてくれたのが、故河口博行氏(元連合副事務局長)であった。笑いながらであったから氏の本心を知ることはできなかったが、大げさでもいいからとにかく目だつようにということであったらしい。これにはおどろいたが、正確に書くことを譲ってでも、組合員をひきつけることが大切であるという理屈があってもいいと思う。とはいっても、やはり「それでいいのか」と問題意識をもったことが、労働界での表現方式のありかたを考えるのに役立ったと思っている。それもあって河口さんにはいまも感謝している。

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時事雑考「年内解散総選挙は凶、政界再編は吉、政界再編解散総選挙は大吉」

線状降水帯に襲われているキシダ政権

◇ ここのところ週末になると雨が降る。あるいは台風に襲われる。9月は休日もおおくかっこうの行楽月であるが、宿泊先で閉じこめられる、あるいは交通の乱れで帰れなくなるなど、むしろ不向きではないかと思う。いっそのこと敬老の日を10月に移すとか。しかし、10月は10月で、大型台風があばれるだろうから同じことか、まあ思いつきはいつも竜頭蛇尾である。

 竜頭蛇尾といえば、強運と思われていたキシダ政権がきしみはじめた。直近の支持率のきつい低下は「国葬(儀)」と「旧統一教会問題」が原因だといわれている。まあそうではあるが、それだけではないだろう。たとえば、何もしなければ良かったのに、意を決すると裏目がでる、岸田さんにはそういう質(たち)があるのかもしれない。という話はよこにおき、不支持率が頭をもちあげている真の原因は物価上昇だと思う。与党はことの深刻さにまだ気づいていないようであるが、物価上昇は倒閣の下地をかためるものである。

◇ たとえば、週に4回は買いだしにでかけている炊事人の感覚でいえば、子育て家計の負担は千円札単位でふえている。そこで問題は、この負担をうめられない家庭がふえていることで、さらに悪化すると思われる。にもかかわらず、メディアは「国葬(儀)」と「旧統一教会問題」をピン止めしている。また「ウクライナ」が定番化し、くわえて「英女王の国葬」がスポット的に注目をあつめ、かんじんな「わたしたちの苦しい生活」が置きざりになったのが、9月のメディアであった。

 さすがに「国葬(儀)」騒ぎは27日でいったんおわるが、「旧統一教会問題」は核心をはずしたままダラダラとつづくだろう。キシダ政権にとってぬかるみはつづく。

 一日もはやく「わたしたちの苦しい生活」への対策をうちださなければならないのに、国会開会をおくらせたのは不誠実であると、とくに低所得層はうけとめている。誠実そうだと思っていたのに、ほんとうは不誠実なんだ、という評価がキシダ政権の憂うつの原因であろう。

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時事雑考「労働団体と政権のかかわり方-変化の予兆が」

◇ さて、7月の参院選の結果をうけ、あらためて「労働団体と政権のかかわり方」について、やや旧聞にぞくする部分も、また反省記のようなあるいは敗戦記のような内容もふくめ総ざらいしてみようと思う。(文中の漢字とひらがなの使いわけについては、前後のくぎりに漢字をもちいてみたり、また見た目感を優先したりと、そうとう気ままであること、くわえて8月後半には所用輻輳し掲載がおくれたこともあわせご容赦ねがいたい。)

1 参院選の野党選挙協力の不調は「懐柔」よりも「自壊」が原因

 2021年10月の衆院選挙後に、自民党副総裁の麻生氏らが国民民主党や連合を懐柔していたといわれている。その懐柔のねらいが、2022年7月の参院選における野党選挙協力のきりくずしや改憲議席の確保にあったとも。もちろん、そういった思惑をふくんでいたと想像することはまちがっているとはいえない。しかし、永田町で「飯でも食うか」となれば、メンバーの組みあわせの数だけストーリーがうまれるもので、いちいちまともにうけとめることもないと思っている。

 たとえば、野党選挙協力が参院選でさらに不調をきわめたことは、衆院選がおわった時点から予想できたことで、またその原因が野党間の基本政策の差異にあったことは衆知のことであろう。とくに、外交安全保障政策と原発をめぐるエネルギー政策の違いが決定的であったといえる。

 こういった溝は、社会党・民社党時代からあるもので、それがうめられたのはおもに民主党(1998~2015)時代であり、とりわけ政権担当時期(2009~2012)であったといえる。

 それが、2015年安保法制への対応をめぐり、当時の執行部(岡田代表)が共産党をふくむ野党共闘へ重心をうごかしたことにくわえ、2016年の民進党結成あたりから反原発が浮上したことなど、民主党政権時代のさまざまな妥協路線がつぎつぎと崩れていったといえる。また、これらのことが2017年9月の、希望の党結成による民進党分裂騒動のかなり重要な伏線となっていたとうけとめている。したがって、野党との選挙協力が不調にいたった原因は、他党からの懐柔などではなく、当面の選挙を意識した政策純化によるものといったほうあたっているといえる。それゆえ多くの民間労組にすれば不本意な路線変更であって、このことがその後の再編が不完全燃焼にいたる遠因となったというのが、筆者の解釈である。

 つぎに連合への懐柔であるが、連合の政治方針は文書のとおりであって、基本は機関主義であるから、懇談などが連合方針に影響を与えることはきわめて稀なことである。しかし、会長発言が注目をされ、ざわざわすることも多いといえるが、それは会長の個性に由来するもので、歴代においてはもっときわどかったともいえる。ということで、「懐柔」説はあたらず、選挙協力については「自壊」説のほうが適切ではないかと考えている。

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時事雑考「賃上げはキシダ政権の生命線か?」

(権力の具体構造がどうなるのかが不明な中で、国葬の閣議決定は高度な政治判断といえる。筆者は、分断の予防こそが政治家の矜持ではないかと日ごろ思っているので、賛成ではない。されど旗をふってまで反対する気もない、静かにおくるべきである。棺を蓋(おお)いて事定る、といわれているが、蓋いても定まらないであろう。

さて、キシダ政権の重要な仕事は雇用者所得の向上つまり賃上げであることは自明のこととなっている。まず、〈A〉最低賃金である。次は、〈B〉春の賃金交渉。この二つは交渉事である。交渉事でないのが、〈C〉労働組合が未結成の中小規模企業の賃上げと〈D〉不安定雇用といわれている非正規労働者の賃金改善である。これらの4項のなかで〈C〉と〈D〉は制度としての仕組みがなければ実現できないもので簡単ではないといえる。ということで、労働への分配が期待ほど改善できるのかどうか、注目の一事である。経済政策的には、交渉組合の賃上げ結果ではなく、交渉していない、交渉できない労働者の賃上げ結果のほうが重要なのである。文中、不安定雇用あるいは非正規労働者などとしているが、厳密な使い分けはしておらず、文脈にそって適宜使っている。)

前途霧中、問題山積、流動化

◇ 参院選を無事くぐり抜けたキシダ政権がつぎに取り組むべき課題は多い。とくに、憲法改正については多くの意見とさまざまな見通しがあふれている。一般的にいって、関心の高い話題ではあるが、前回述べた通り存外に難しく、隘路もあり、お試し項目でさえ簡単とはいえないであろう。9月27日の葬儀までは、党内政局はおもてむき休業と思われるので、それまでに主要人事を仕上げ、秋の臨時国会にそなえる段取りであろうが、考えれば考えるほどに「故人」の後が埋まらない。ポストではなく、役割において人がいないということであろう、確かにイライラとしたものを感じる。こういった状況になると抑圧されていた情動が活性化し、世代交代あるいは党派再編のエネルギーが生じるもので、そうなると自民党として流動期に入るかもしれない。1955年の保守合同から数えて67年、この党もどこか疲れているのではないか、歴史的転換期かもしれない。

 自民党内には、守護神を失った喪失感情に浸っている時間はないであろう。気合を入れなおして、感染症(Covid-19)対策を急ぐべきである。

 ところで、キシダ政権がなんともいえない運を持っているように思えるのは、昨年10月の衆院選と今月の参院選がいずれも感染拡大の谷間にあたったからであろう。時期がひと月ずれておれば、選挙結果に悪影響があったかもしれない。爆発的感染拡大あるいは医療ひっ迫は、人びとに大きな不安をいだかせるもので、後手にまわれば統治能力に疑問符がつく。

 また、インフレへの対応も優先度が高い。このままでは国民生活は確実に劣化していく。2%台でとどまればまだしも、3%を超えてくると、低賃金層や年金生活者が耐えられなくなるであろう。来春の統一地方選挙への影響も考えられる。先の参院選では多党化傾向がみられたが、奇をてらう新党の主戦場が地方選挙に移ることもありうる。さらに、シニア層の政治に対する感応力はもともと高いことから、与党としては注意が必要であろう。ということで、当面の野党の攻めどころは明確である。立憲民主党と共産党にとって統一地方選はリベンジマッチであり、争点は「インフレから生活を守る」というのが分かりやすい。

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時事雑考「憲法改正あれやこれや」

(2022年7月の参院選の結果をうけ、また安倍晋三議員の痛ましい遭難と逝去がもたらす政治環境の動的変化をとらえ、今年後半から来年前半の政局と課題を予想する。まずは憲法改正についての議論の扱いを中心に取りあげる。なお表題として「たたかいすんで、日が暮れて、探し求める明日への道」(その2)を予定していたが、分かりやすい「憲法改正あれやこれや」に変更した。文中敬称略。)

「黄金の3年間があるから憲法改正が加速される」のか?

◇ 「黄金の3年間があるから憲法改正が加速される」ことに、なるかならないかと聞かれたら、「なるわけないでしょう」と答えることにしている。「とくだん加速されることはない」ことの理由は簡単である。

 その1は、そんな時間的余裕はない。2は、集団的自衛権は解釈において合憲であるから、条文を変える理由が見つからない。3は、内閣の条文解釈権を剥奪し、憲法裁判機能を閣外に設置すべきとの気運がでてくると、手に負えなくなる、からである。

 1は、現実問題として政治的優先度が高くないということにつきる。べつに今でなくてもいいではないか、それよりも○○を急がなければ、という○○は行列ができるほどに多いのである。

 2は、(集団的自衛権について)解釈による改憲を強行したことが不都合というのであれば、それを破棄して、条文改正による改憲をやらなければならない。しかし、不都合でなければ、条文による改憲の利益がないといえる。

 3は、それでも改憲をすべきであるというなら、集団的自衛権の解釈変更の後始末として、内閣による恣意的な解釈改憲を抑止するため、憲法にかかわる解釈権を内閣の外におくべきである、そのための憲法判断機能を新たに設置すべきといった議論が、提起されるとおそらく手に負えなくなるであろう。

 また、これが最大の問題であるが、だれが困難を乗りこえるだけの使命感と熱量をもっているというのだろうかということで、よくよく見渡せばとどのつまり「旗は振りつつその場足踏み」となる可能性が高いのではないか、と思う。

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時事雑考「たたかいすんで日が暮れて、探し求める明日への道」(その1)

「まったりモラトリアム選挙」だった参院選

◇ さびれゆく鉱山町にも似た光景のなかで、わが国は昨日のつづきの今日をおえ、つづきとしての明日を迎えようとしている。そんな中、第26回参議院選挙は当事者あるいは組織にとって悲喜こもごもなる思いを残しながらも、大勢としては事前予想にそった結末を迎えたといえる。

 その主旋律は、「今は変える時ではない」というものであろうか。この旋律は、押しこめられたわが国の状況を、まずは受けいれなければならないとの有権者の思いからもたらされているもので、逆にたとえば打ってでるとか自力で状況を変えるといった、積極果敢な行動に対しては否定的であると思われる。やはり安全保障環境へのとぎすまされた感受性が主役であったと思うが、さらに習近平、プーチンの両氏が反面的に影響を与えたといえばいい過ぎであろうか。いずれにしろ、つねに優柔不断である国民性に照らせば、かなり明確な意思表示であったと思う。

 では、今回の選挙でしめされた民意すなわち国民の政治的意図とは具体的に何であろうか。そのひとつは、政治プロセスを通して選択されてきた「この道」をそのまま歩み続けることが、国あるいは国民にとっての最善策であるという、筆者には迷信に近いと思えるのであるが、ことに臨んで何もしないことが上策であるという、まるで禅問答のような考えに集約されているように思える。

 だから、はたしてそうであるのかといった議論よりも、やがて襲来するであろう巨大な暴風雨に備えるため、とりあえず身をひそめ動き回らないことを約束しあっているような感じではないかと思う。けっしてパニックに陥っているわけではない、ちょっとした思考停止のように見うけられるのである。

 といえば、何か「いいがかり」のように聞こえるかもしれないが、そうとでもいわなければ収まらないのである。というのも、30年を超えて賃金が上がっていない、あるいは統計がおかしいのではないかと思うほど実質生活が劣化している、またかつて黄金色に輝いた産業業種の衰退が目にあまる、くわえて近隣国との関係が厳しくなるばかりで、相手が悪いということしか説明されていない、とくに核保有国との関係が悪化し米国依存が底なし沼状態になっている、さらにいつまでたっても少子化、高齢化に歯止めがかからず社会保障制度がゆらいでいる、そのうえ労働力不足に対しては無策に近く、まして財政は大丈夫かなどなど、なにからなにまで政治が責任を負うべき課題が山積みなのに、今回の参院選のいいようのない「まったり感」は主権者たる国民としてまことに緩すぎると痛感するものである。

 全くのところどうするつもりなんだろうか。何十年も口の中でかみ砕けずにたまってばかりで、呑み込めないでいる。また吐き出す勇気もなく、結局栄養失調でやせ衰えつつあるということであろうか。

 だから、何かしなければと思うべきなのに、何かしてそれがダメであったらどうしようと、後の心配が先に立つ。まさか民主党政権に懲りたというわけではあるまいに。しかしそういうことでは主権者として少しだらしがないのではないか、すえ膳以外は受けつけないというのでは民主政治は成りたたない。現下の問題山積み状態は、主権者が受け身を貫いて打開できるほど容易ではなくきわめて深刻だと思うのだが、という意味においても「まったりモラトリアム選挙」であったといえる。

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