遅牛早牛

時事雑考「2025年6月の政局-地球規模の変動が米国を襲う」②

まえがき

[ 6月に入ってからイーロンマスク氏が減税をふくむ予算案に異議を唱えるなど反トランプ姿勢を強めている。ここでどうつぶやくのか、インフルエンサーなら腕の見せ処であるが、見せ処は見られ処なので気をつけるべしというか滑りやすいのである。

 しかしまあよく分からない世界というか、1日で12兆円も資産を減らしても平気な地球で一番の大金持ちであるマスク氏と、唯一の超大国の代表者でほぼ王様になっているトランプ氏の関係をぺらぺらとしゃべってみても「ところであんたいくら持っているの?」と突っ込まれたらそれでオシマイでしょ。

 とにかくナミの金持ちではない超々々々々超金持ちなんだからマスク氏は、いや正しくは50兆円があのマスク氏のマスクを被っているのさ実存的には、だから仮にマスク氏がフツーの人であっても50兆円の心情なんて分かるわけがないでしょ。

 心情が分からない以上外見的にいうしかない。そこで今回のことは、ご主人さまは王様よりも王様的なので、人気者が嫌いなだけ。にもかかわらず、客人待遇のクラウン(ピエロ)が勘違いしてはしゃぎすぎて捨てられた、つまり処分されたということでしょうね。

 そもそも、選挙で選ばれたわけでもなく、巨額の選挙資金を評価されただけなのだから、いいタイミングだったと思う。それにしても夢のような130日間ではなかったかしら、だれでも金さえ積めば経験できるというものではない権力の満漢全席が一日あたり3億円余りなんだからけっして高いとはいえない、そこは運がいいというかマスク氏自身が掴んだものといえる。で王冠の飾り羽がうれしげによく揺れるのでいよいよ邪魔になり、それで捨てられたのであろう。こんな話は中国の王朝ではよくあることなんでしょうが、それでも王朝の評価には関係しない。殉死をまぬがれただけでもましでしょ。

 が、政府効率化省(DOGEドージ)が生みだした数々の悲劇の後始末を引きうけるのは誰か。また恨まれるのは誰か。名声3日恨み万日なので、これ以上ドジをふまないように。

 さて、つづきコラムの途中でのまえがきは異例であるが、気候変動ならぬ「地球規模の変動が米国を襲う」というタイトルは「トランプは結果である」との仮説から寄せたもので「何かに襲われている米国政治」といいたいのである。もちろん、気候変動の厳しい襲撃を受けることもふくめての話である。

 ところで、中国のトランプ取説はずいぶんと充実しているようで、6月5日の電話会談も伝わっているところでは習氏の対応は完ぺきだったと思われる。それでも中国側の悩みがつきないのは、トランプ氏には過去はあるが過去概念がなく、昨日のことは昨日で終わり、今日は今日で新しいのだ、というあまり「考えない哲学」つまり今だけを生きる超人なのであるから、不確実そのものではないか。思想なき者を思想の網では捉えられない。彼は自由なのかしら。]

-つづき-

7. それにしても、トランプ氏は多国間交渉についてはもともと嫌いで、やる気がないようにみえる。それよりも関税を梃子にした二国間交渉(ディール)のほうが面白いのでお気に入りなのであろう。ミラン氏の手引書は多国間交渉が中心なので、トランプ氏にとっては余計な指図になっているから、気に召さないのであろうか。

 40年前のプラザ合意は主要国による協調的なドル安誘導であった。表向きはともかく、この地球上でトランプ氏からのドル安要請に協力する国を見つけるためには、トランプ関税の撤回が必須条件となるのではないか。その上で安全保障の見返りを求めるということであるのなら、「米国が損を承知で民主主義国を守ってやっている」ことを実証し、さらに将来の安全保障をも具体的に確約しなければ、ど真ん中のピースが何個も欠けたジグソーパズルを売りつけていると非難されるだけである。

 トランプ流のとてもギザギザしたところは、これ見よがしの報復であろう。内政でも外交でも容赦なくたたみかける報復の連打を見て、多くの国は足がすくむ思いであろう。そこで、ひと呼吸おくとかあるいは柔らかく受け流すといった、とりあえずの対応で時間稼ぎをしているようで、まるで取扱説明書を見ての対応のように思われる。時間稼ぎであれば、米側のストレスは亢進し、交渉促進のためにさらなる圧力を加えるであろう。

 まさか無理に「嫌われるための作戦」を敢行しているわけではないと思うが、面従腹背の国々が増える中で米国の孤立がますます深まると予想される。多くの国の政治家が正しいことをいうとひどい目にあうと思いこんでいるので沈黙し、この先は「裸の王様」の世界になると思われる。

 さて、米国が中心となっている安全保障に関する条約は、NATO、ANZUS、AUKUS、日米安保、米韓相互防衛、米比相互防衛などである。ここに顔出ししている条約国の多くは、多額の米国債をすでに保有しているし、条約に定められたさまざまな債務を問題なくこなしている。わけても、日韓は余分な条約外負担まで背負っている(少なくとも日本の有権者はそう思っている)。

 という現状を踏まえて、ミラン氏が手引書で述べている、米国が現在提供している安全保障の枠組みと運営が財政的にも持続不能になりつつあるという問題意識をベースに「(米国の)負担の軽減化をシステム化したい」という趣旨は、少なくともトランプ関税が巨大な岩塊として各国の面前にあるかぎり、まったくのところ活かされていないということであり、この先もそうであろう。ここがミラン氏の手引書の弱点といえる。

 つまり、あまりにも関税にスポットライトが集中しすぎて、為替対策(ドル安)や米国債の短期の売り圧力の解消を目的とする政策でさえ、まだまだ机上にとどまっているようであり、まして安全保障の費用負担システムといったきわめて硬質なものの変更などは、5年10年単位の時間軸で議論されるべき(実際にそのぐらいかかる)ものなので、安直に取りくめるものではなかろう。(だいたい抑止力にカネを払えという理屈自体、実証されていない性能を言値で売りつけるようなもので、同盟の信頼性に引っかき傷をつけるようなものである)

 さらに、恒久負担なのか臨時徴収なのかといった入口のそもそも論でさえぼやけているのだから、中核の議論にいたっては推して知るべしであろう。もっとも、このタイミングでなぜ関税と安全保障をリンクさせなければならないのか、といった端的な質問に対して、ミラン氏からの的確な答えがなければ、件の手引書はさらに意味をなさないといえる。

 また、もし安全保障をからませるのであれば、関税交渉は同盟国とそれ以外に区分するべきであろう。というのも仮に同盟国との関税交渉が不調に終わる場合において、米国として交渉不調を理由に前述の軍事同盟をゆるめる方向に改訂するのかという重要な問いかけが残るわけで、そういった疑義が発生する事態こそが条約締結の趣旨に違背するといえる。

 そもそも、米国こそが軍事同盟よりも関税を優先させるという勝手なふるまいで、同盟国の足元を見ながらの過大要求によって状況を混乱させているといえるのである。

 ということで、筆者の結論は「ミラン氏の手引書」は巷間騒がれるほどの重要性を有するものではない、少し面白いけど、ということである。

 ただし、この程度のドラフトが重要だと騒がれる事態こそが超大国がかかえる今日の予見不能性を見事に示しているともいえるわけで、これからも同盟国や友好国との連携協力に、1セントの価値でさえ見いださないという態度をつづけるならば、MAGAははるか彼方に遠のくと思われる。

8. とりあえず、サービス収支についてはわざと目をつむりながら、貿易収支の巨額赤字についてはトランプ関税で対応するとして、それで財政収支の赤字についてはどうするのか。これについてはイーロンマスク氏に担当させて、政府効率化省(DOGE)により米国政府の経常費用の大幅削減をはかり、あわよくばトランプ減税の深化と恒常化の財源の一部にしようということであろうが、行政機関のダウンサイジングは簡単なことではない。

 またそのような政策は経済活動としては縮小均衡策であり、雇用縮小をともなうことから当面の間のマイナス感はさけられない。もちろん、別のチャネルで大量に金(かね)をばらまくことができれば、行政リストラによる穴を埋められるかもしれない。問題はその金をどこから引いてくるのかということであろう。

 イーロンマスク氏の仕事ぶりは他のどの先進国よりもストレートで大胆であったとみられているが、その分副作用も大きく、その反動はマスク氏が政府を離れた後に顕在化するとみられている。マスク氏が恨まれながらも現金化し、それを減税にあてるという仕組みはそれなりに合理的ではあるが、それでいつまで支持者の気持ちを引きつけられるのかという持続性が問われているのである。

 ともかく、トランプ減税の恒常化はポピュリズムとしては最高の施策ではあるが、経常赤字の累積と米国債の急増は長期金利の上昇を介してさらに政府財政の悪化をもたらせることから、トランプ減税の帰趨が明らかになる7月半ば頃から、いよいよ前門の虎(インフレ)、後門の狼(金利上昇)にはさまれ、正直なところ進退に窮するのではないかと思っている。また、そのように予想する向きも少なくないのである。

 ここで原点にたちかえって、トランプ政権2.0にとっての最重要課題は何かについて、今一度よく考えなければならないことは確かであるが、ではそれは何んであるのかについてはいまだに言葉にできない。つまり課題を選択し目標に集中することがなにより必要なのであるが、残念ながら政権発足時からの関税騒動が権力の散漫化をまねいているように思えるのである。

 もちろんアテンション効果は抜群であったが、対中交渉において110パーセントもの相互バーゲニングをやってしまったのはこの先失敗として記録されるかもしれない。

 つまりこけおどしであって、数字には強いこだわりとなる根拠などがないことを晒してしまった。したがって、例の取扱説明書には、提示された関税率のこけおどしの部分をどうやって剥ぎ落とすかという項目が追加されるであろう。

 さらに、トランプ政権1.0の対中政策と何がどう違ったのか、あるいは今回の交渉がゆるく映ったのはなぜなのかとか、さまざま点について解明されると思われるが、国民の我慢を背景にした交渉においては中国側にアドバンテージがあることや、中国側に隠された交渉カードがあるのではないかとか、さらにより準備をしたほうが有利になるといった教訓めいた話まで、取扱説明書のページはどんどん膨らんでいくと思われる。

 その中で、この何年かのあいだの中国保有米国債の漸減は無言の圧力となっているのではないか。明日から減らすかもしれないというよりも、わずかでも徐々に減らしているという進行形のほうが実行性という意味で不気味に映るであろう。「売らないのではなく、売れない事情があるのだろう」という見立てが日本には通じても、中国には通用しないのである。レアアースの規制もふくめ中国特有の外交術なのかもしれない。

 ということから、急所はレアアースの輸出規制と米国債売却であることが透けて見える。日本も英国もその他の国も民間はべつにして、米国債の政府保有分については「売る気はないし、売ることは不都合」なのであるが、おそらく大量保有国の中で中国だけが蛇口を自由にできるのかもしれない。という現実を直視すれば、残念ながら米国は対中国交渉では握力喪失過程にあるといえなくもないのである。ということで、ガマン比べでの交渉カードをどうするのか、米国がかかえる課題は重たいといえる。もちろん我慢比べにはめっぽう強い中国ではあるが足元の景気後退は隠しようがなく、限界線がそろそろ視野に入りつつあるということであろう。

9. 5月28日トランプ氏は自身についての揶揄的表現である「タコトレード(TACO:Trump Always Chickens Out)をどう思うか」と記者から質問されたという。筆者がひどく気にしているのは、「いつもビビッて最後は引く」といわれても、問題は何にビビっているのかということであり、それが取扱説明書の肝になるということである。

 この何にビビるのかは、4月9日だったか、90日間の延期を決めた時に見え始めた。だから、トランプ政権2.0に「ビビる弱点がある」ことが世界中に広まる前に、何とか決着をはからなければという焦りがトランプ氏にあるのなら、この壮大ではあるが人騒がせな関税をめぐるゲームはやむなく強制終了にいたるかもしれない。

 すなわち、米国の焦りに気がついた交渉相手があからさまな引きのばし戦術にでると仮定し、さらにそういった国が増えることになれば、米国といえども手に負えなくなるでろう、という連想から今後恣意的に対応する国が増えるかもしれない。

 だから、トランプ氏が求める「貢物」を「早期」にさしだすタイミングが石破政権にとってはなかなか難しいものとなる。とくに、駐留米軍経費負担の増額にいたっては、わが国にそれ相応の裨益があることが前提になることから、安易な決着は政権にとっての政治姿勢が問われ、場合によっては深い傷となる可能性があるのではないか。それでなくとも国際的に群を抜くわが国の経費負担率の高さは、時期はとかくかならず議論になると思われる。

 政治プロセスによる条約外負担として始まったことから、当初は「思いやり予算」という奇妙な存在であったが、現在では多くは協定による支出となっている。どちらにしても交渉による総額決定であることから、政治情勢の影響を受けることは当然のことといえる。

 関税の話をしながら駐留経費負担増で最終決着をはかることは筋違いではあるが、安全保障がからむのではないかとの当初からの危惧に、そのとおりと直球で返球されたようで不思議な感じである。しかし、ミラン氏の手引書には安全保障の見返りというベースアイデアがあることから、トランプ政権2.0としては自然な成り行きといえるのであろう。

 ただ、日米安保条約についての米国側の発言に、米側の超過サービスといったニュアンスが感じられるが、メディアやネットにはひつよう以上に増幅する傾向があるので、たとえば対中国戦略などとの関連でいえば、容易に認知戦に利用されてしまう危険もあるので、いいたい放題もいいけれど、最後に頼りになるのは同盟国であることは米国としては頭のどこかにおくべきであろう。

 米中対立が現状以上に先鋭化するとは思えないが、トランプ関税の悪影響がトランプ政権2.0の想像をこえて浸透しつつあるのではないか。たとえば、米国が日本列島に軍事基地をもつことの戦略上の価値は決して小さいものではない。また基地機能は物理的支え以上に社会的支えが必要であるから、無理に駐留してやっているといったニュアンスは百害があっても一利もないといえる。

 関税はいつでも撤回できるしそのための理屈は自在であろう。しかし、在日米軍基地は継続性に価値があるのだが、日本国内のすべての人々が歓迎しているわけではない、という微妙なバランスの上に乗っかっているのだから、関税交渉と安全保障をからめすぎるのは逆効果になるリスクがかなりあると思われる。という視点に立てば、ミラン氏の手引書はあくまで内部資料扱いであって、わが国としては「だからどうしたの」と当座はとぼけるしかないであろう。

 つまり、同盟国としては面従腹背を超える関係にまで傷を深めることにはならないと思っている。さらに、今のままだと通貨協定にまではとどかないと思われる。

 ただ、日米同盟への米側の不満については、最近では控えられているのでひと安心であるが、日本人の気質からいって額面通りに受けとめやすいので過剰に反応しているのかもしれない。同盟の継続性からいえば政治家の発言は抑制的であるのが何よりも安全といえる。

 負担することが問題であるということではない。負担の議論以前の問題として、地位協定をふくめてわが国の負担感を公平に評価すべきであるという意見は尊重されなければならない。

 いずれにせよ防衛費の大幅な増額とも連動する問題であり、日々の生活に苦労する人びとにしてみれば、防衛費も医療費も負担である点では同じであって、できれば少ないほうがいいと切実な生活の中でそう考えているのである。

10. 筆者は、武装同盟を選択するのであれば、文官統制もそうとうに浸透していることから、攻守一体型がのぞましいと考えている。もちろん中朝ロの方針(出方)次第ではある。とりわけ中国がデタントに走れば東アジアの安全保障環境は共栄の方向へ激変するであろう。

 といった状況への対応も日米共通課題であるから、条約にもとづく日米軍事同盟について、トランプ氏がときどき口にする「オールドな認識」のままで、たとえば「金銭決着」に走ることがはたしていいのかという疑問が、日本列島にはあちらこちらに散在しているが、日米同盟を基軸とする安全保障体制を是とする筆者としても正直なところ気分が悪いわけで、トランプ氏の誤解を解くことなく在日駐留米軍経費の増額で関税交渉を糊塗するのは、とがっていえば両国国民に対して大いに失礼ではないかと思っている。

 このような指摘はある意味冒険的なもので、一年前なら筆者自身けっして使わなかったと思う。それがふと使ってみる気になったのは、主権者たる国民の内心に生じている揺らぎと、その揺らぎがよびよせる小さな変化であり、また激変する安全保障環境に対していつまでも問題を受動的にとらえつづけることの意気地なき虚しさを、多くの人びとが感じはじめたと思っているからである。

 そのきっかけがロシアのウクライナ侵略にあったことは自明のことであろう。あるいはプーチン氏の戦術核の使用をほのめかす脅しも、わが国の人びとの胸中に深く突き刺さっていると推察している。ほとんどの日本人にとって核兵器の保有すら許されないことなのに、使用をほのめかすとは何ごとかと思いつつも、ほのめかすだけで実際に現実が動いてしまうのである。といった起こってしまった信じられない事象をいかに受けとめればいいのか、今なお悶絶しているのである。

 80年にわたって実践的議論をかさねながら、今日の日米安全保障条約という武装同盟にたどり着いたが、その情勢認識をさらに一段あるいは二段厳しい方向に引き上げなければならないと日米政府は重々しく語る。しかし、その重々しさと不釣り合いなのが、関税交渉に紛れての在日駐留米軍経費の負担増なのである。常識的にはまず重々しい話であるわが国をとりまく厳しい情勢のほうが先だろうと主張するのは生真面目すぎるということか。そういった厳しい情勢についての日米の認識を漠とさせて、頭ごなしにGDP比を3パーセントにせよといった米国側の腕力だけがなぜか目立っているのは不可解なことである。

 気になるのは、米軍の責任ある立場からの(ほとんど公的な)発言の趣が温厚であるのにくらべ、閣僚あるいは高官の言葉が威圧的に感じられるのであるが、彼らの立場と意味は分からなくもない。もちろん、任命者に似るのはよくあることである。しかし、トランプ関税はもちろんウクライナやガザでの停戦についても過度の独断性がみられることから、各国ともに困惑させられているのが実態であるといえる。

 問題は、同盟国や友好国が困惑させられているという事実をトランプ政権がどう受け止めているのかということであり、従来からの協調プロセスがないがしろにされていると不満を持つ国々が、さまざまな場面で非協力的になれば、長年にわたって積みあげられてきた米国のリーダーシップがいつかは機能しなくなるのではないか、というのが筆者の懸念なのである。

 衆人環視の中で、また分かっているはずなのに易々と歴史の罠にはまってしまう。戦術にこだわるあまり大局を見失い、味方を減らしてしまう。対抗する国は易々と味方を増やしている。何もしなくとも、いな何もしないからこそ味方が増えていくのであろう。某国にとってはそういう流れとなっている。

 米中対立は非常に重要な内実を有していると考えているのであるが、トランプ関税がその重要な内実を覆いかくしている。カモフラージュなのか陽動なのか紛らわしいところがある。また行動変容を求めている対中国政策からいってもピントが甘いとの懸念がでてくるであろう。

 

11.外交は内政に直結するものであるから、対米交渉が不健全な決着だと人びとが受けとめれば直近の国政選挙にすこしは影響すると思われる。

 日米安全保障条約は軍事同盟とするにはたしかに非対称的構造となってはいるが、当面の情勢でいえば中朝ロの対日侵攻性の程度によって対応が違ってくるといえる。なかなか難しい議論ではあるが、周辺領域における民間をもまきこんだトラブルや武力での示威行動また一方的な変更などの、懸念すべきことが多いのも事実である。

 とくに中国は、「うまく立ちまわり日本の鼻を明かす」ことが評価されるという、隣国にとってはやっかいなノルムが依然として幅を利かせている。この現実を良い悪いといっても仕様のないことであって、まして価値観をコントロールすることはできないうえに、ベースとなっている人びと(人民)の心的態度は簡単には変わらないであろう。

 そこで率直にいって、中朝ロへの対抗には米国の核の傘が必須であり、そのようなリアルな軍事力をはずした空想的な議論だけでは、わが国の防衛全体を支えることはできない。ちなみに、米国の核の傘という概念を捨象して、中ロそれぞれとの間に平和条約をわが国として構想できるのかという純粋な思考実験でさえ端からいき詰まるであろう。まして、核保有の最終段階に達していると思われる北朝鮮にいたっては分析すらむつかしいとしかいいようがなく、東アジアの安全保障を考えるうえで未曽有の障害となる可能性が危惧されるのである。

 というように米国抜きあるいは米国の核抜きで東アジアの安全保障は現実的にも抽象的にも考えられない、という残念な状況にあることについてのわが国の人びとの認識はようやくまとまりつつあると思われる。

 近未来にむけて、さまざまに情勢あるいは状況が変化したとしても、一般論として対日侵攻を思いとどまらせる、あるいは侵攻があればそれを実力で阻止するという目的は変わらないもので、そのためには米国さらに友好国との連携を強化していくという、およそ一本道の国防方針にはそれなりの状況適応力があると考えられる。ゆえに、「日米安保条約を基軸に」という文言を政党の多くが使っているのであろう。ということが日米間の交渉ごとにおいて「不動の日米同盟」というポジティブな受けとめが交渉への安心感を生みだしているといえる。

 そうではあるが、反面「米国の対日優越性」というコインの裏側も十分意識されており、そのような二面性が歴史上生成されたものとして、日米同盟の基本構造に組みこまれているのである。そしてこの構造はわが国としては今さら議論する必要のない与件であり、今回のミラン氏の手引書が提起している貿易システムに安全保障をからめるというアイデアについても、全面否定はしないものの「対日優越性」という、注意を怠ればわが国の身体を傷つける棘を野性的に保持したままでは、真実と信頼にもとづく交渉にはなりえないと、これもまた多くの人びとはそのように感じているのではないか。

 さらに端的にいってしまえば、トランプ政権2.0が当面の目標としていることは、米国内の財政上のつじつま合わせのために同盟国からもガッチリいただこうということであろうと推察しているのも、安全保障についてはまだまだ本気ではない、すくなくとも米政権中枢の認識はいまだ過渡的であるとわが国の人びとが考えているからであり、そういうレベルに日米関税交渉がつきあわされているというのが、人びとの今日的解釈だと思っている。 

 という解釈に立つ人びとの防衛への理解をさらに一段あげ、現実には負担増という方向へ押しあげるためには、その目的と目標の説明を積極的におこなわなければ、国民を置いてきぼりにした軍備増強に堕してしまうのではないか、と危惧しているのである。(そうなりそうな雰囲気であるが)

 今のところは、トランプ氏の論理的脈絡や全体的な整合性に欠けるアジ演説だけが独り歩きしているのである。それも大いに不足感のある説明なのであるから、わが国の人びとからはディールだけによる負担強要と受けとられてもしかたないであろう。

 とくに、トランプ政権2.0の対中国戦略が描いている先々の絵姿が具体的に示されていないことが、「理解の外にあるトランプ王国」の不思議な物語という印象を摺りこんでいるだけで日米間の人びとにおける理解がすすまないことの原因ではないか。わけても米中関係ではトランプ氏が難癖をつけている風ではあるが、民主制度への順化を期待した「関与政策」の失敗があらわになった時点から米国の対中硬化がはじまっており、そこに米国側から見た中国問題の原点があるといえる。

 とくに問題なのが、経済をこえて安全保障の分野にも対立が広がっていることであり、その主たる原因は鏡をもたない中国の鈍感さにあると筆者は考えている。

 さてものづくりを、おそらく不用意に中国に依存してしまった今日の米国に対して、トランプ氏は歴史時間の巻きもどしに躍起になっているのではないか、と受けとめ、そしてその姿勢にある種の共感を抱く人びとがわが国には少なくないと筆者は感じている。そこには「ものづくり日本」への郷愁もあるだろう。もちろん「後の祭り」感もあるが、日本政府にはできないことに対し米国政府は乱暴(ランボー)ではあるが少なくとも取り組んでいる、という彼我のちがいは何処から来ているのか、と考えればため息がでそうになる。

 製造業にかぎれば、米国ではラストベルト(錆びた地帯)だが、わが国は列島全体が錆びているのである。

 製造業の復活を関税政策で切りひらこうとするトランプ氏を今日のドン・キホーテと見なすのは的外れであろう。なにしろ彼が乗っているのは痩せ馬ロシナンテではなく超大国であり、従えているのは小太りのサンチョ・パンサではなく世界最強の軍隊なのだ。だから、世界は驚倒し困惑しているのである。あえていえば、二人に共通しているのは高齢なところだけである。

 高齢さをいささかも感じさせないトランプ氏の攻撃的にみえる政治スタイルは、考えてみれば襲われたときの対応(防御)なのかもしれない。一見して主人公のように見えるし、そう振舞っているのであるが、そうとうに追いつめられた挙句の挙動にも見える。

 また、啓蒙思想以来の系譜がはるか昔のもので、全く役に立たないということであるなら、たしかに王政以外にすがるものはないということかもしれない。米国にとって初めての王政だが、どのようにあがいてもトランプ氏に王権はない。おそらく、征服王以外には推戴される者はいないであろう。

 などと妄想しながら、たしかに米国の政治は見えないが恐ろしく破壊的な嵐に襲われているのかもしれない。で、それがわが国を襲うのに10年とかからないのではないか。というのは、これは「国体」にかかわる議論なのであるから。

◇雨待つ日 アジサイ白く うずくまり

加藤敏幸