遅牛早牛
時事寸評「2025年4月の政局、石破政権とトランプ流の絡みあい」
まえがき
◇ 「格下も格下」発言が不適切とは思えない。赤澤氏は役目を果たしているというのが大方の受け止めではないか。問題はこれから先の交渉であり、本格的にやれば何か月もかかるから、今は期限内で日米間でどのような議論ができるのかについて入口での整理の段階であろう。
行動が心の表現系であるなら、大統領閣下のお出ましは差し詰め「まんじゅう怖い」ではなく「売却怖い」ということであろう。米国債の急落は金融パニックの引き金になりかねない。そうなればすべてを失う。わが国の政府系ではそのようなことはないと思うが、民間は別であろう。「格上も格上」であっても焦燥を隠すことはできない。
◇ トランプ関税はそれとして、とくに安全保障については多角的、重層的な議論がひつようである。ごく一部で語られている米国が海洋大陸に閉じこもるといったことは、たとえてみれば地球の自転が止まるような話である。
離れる必要性がでてくれば、すなわち条件が整えば米軍は日本から離れるが、それは構造的な緊張緩和(デタント)ということであり、わが国にとっても悪い話ではない。と同時に構造的というのは簡単に実現できるものではない。
今日の米中対立の出口は緊張緩和でしか成しえない。トランプ関税の逆説的評価は民間レベルでの日中欧交流の促進であろう。某国の覇権主義の角(かど)がとれればすべてが円滑になる。皮肉なことに相互関税が触媒効果を発揮しはじめると思われる。わが国も欧州も中国との交易は古く、新大陸云々以前の話である。あくまで民間が中心の話であるが。
◇ 4月23日の党首討論は筆者にとっては感慨深いもので、野田氏、前原氏、玉木氏の三氏はともに旧民主党の仲間であった。「この三人はどうして一緒にならないの」と聞かれて困ったが、「一緒になってもすぐに別れるから」と答えてしまった。労働組合ははじめに団結があり、その団結を守るためには綾絹をあつかう繊細な心がいる。政党はどうなのかしら。
それにしても、石破氏は足利義昭(室町幕府第15代将軍)なのか、兵力不足なのに応答自在である。日米交渉が有権者の視野にはいってくれば、石破氏にとって得点のチャンスであろう。あんがい勁草なのかも。
1.後半国会は政局がらみ、焦点は内閣不信任案の大義と提出時期
さて例年のこととして、予算が成立したあとの4月からは「後半国会」と呼ばれている。今年は閉会予定の6月22日が日曜であり、都議選の投開票日ともかさなる。また、7月には参議院選挙があるので、会期延長はないと思われる。ということで、日程的にはそうとうに窮屈であり、くわえて6月、7月は政局も最高潮に達することから、その下ごしらえの4月、5月は各党の思惑が水面下で交錯すると予想している。
そういった日程に対して、マンネリ感を指摘する人も多いが、今回は少数与党であるところがいつもとは違っているのである。
ただし、トランプ関税に対応するためという求心力が働いているので、麻のような乱れ方はしないであろう。しかし、なにやらきな臭くざらざらとした空気感にただならぬ気配を感じる。大政局という予想は排除できない。
では具体的にどういう政局になるのか。すでに1月、2月段階での筆者の見通しは掲載しているが、かなり迫力不足であったと反省している。
そこで改めて現下の見通しをいえば、4月第4週から国会対策的に使えるのは7週(セット)ほどであり、生活減税、企業・団体献金、夫婦別姓、日米交渉などの主要テーマをめぐり連休明けから摩擦や衝突が音となって騒がしくなると思われる。さらに、事実上の会期末である6月20日にむかう週は都議選一色となり、そのまま石破総理としてはこれといった目玉をもたずに参院選になだれ込むのか、手品レベルの対策を講じるのか、超ど級の大技をくりだすのか流れは三択にしぼられつつあると予想している。
いいかえれば、地面が揺れるような液状化政局に対し、ガラス細工政権が主導権をとることは困難である。つまり、石破氏にとっては不本意なかたちで参院選を迎えることになる可能性が高い。それでは改選組としては納得できないので、生活減税などの即効的政策をつよく求めるであろう。こうなると党内政局のはじまりといえる。
減税派と規律派の党内議論が活発化し、大きい党から揺れる?
同様の動きが立憲民主党にも生じている。選挙を前にした議員が不安の中で迎合的政策にかたむくことを一概に非難することはできない。当選することがすべてなのであるから当然のことといえる。問題は政党として基本方針を貫けるのかということであり、たとえば立憲の枝野氏が減税派に対して発した(減税は)別の党でやるべしというニュアンスはいささか乱暴ではあったが、それはそれで理解できることである。国の将来を考えれば財政規律は重要であり、その時々の風潮に安易に流されてはならないという主旋律を失っては政党とはいえない。だから、国民民主の大型減税には冷淡であったと思われる。
野田氏が代表でいるかぎり立憲が減税策を参院選にもちこむことは自己否定にもつながるので、ありえないというのが筆者の見解である。さまざまな議論があった中で党名に立憲を冠したのは、原理ではなく原則をつらぬくという趣旨であったと受けとめている。
とはいえ、国民生活への配慮も重要なテーマであるから、自民、立憲ともに悩みは深い。筆者の見通しをいえば、立憲が減税に動けば自公も動く。野田代表が背負っている一番の荷物は内閣不信任案の大義と提出時期であろう。石破政権が生活減税を明確に否定すれば、その時点で野党側の倒閣ランプが点灯し、一か八かの解散総選挙も現実味をおびてくる。政権が成立するまでは関税交渉は中断せざるをえないが、一呼吸おけるかどうか、またいい目がでるのかは分からない。
[ 6月11日以降の解散であれば、40日以内におこなわれる総選挙が参院選と同じ投開票日となる同時選挙の可能性がでてくる。野田代表が同時選挙を回避したいのであれば、5月第5週までの不信任提出となるが、それでも7月13日を投開票日とすれば選挙期間の過半がかさなる同時期選挙となるため、野党の選挙協力は難しくなるといえる。衆参の投開票日をさらに離すためには5月中旬での提出が考えられるが、タイミングが早すぎるという意味で全野党がまとまることが逆に難しくなるなど方程式の変数がふえるばかりである。]
選挙を前に政党再編は不発、壁となるのは資金繰りの問題
ところで、与野党をこえて減税派と規律派に分かれていることから、政党再編を予想する記事も見うけられる。その可能性は否定しないが政党再編の条件としてはそれだけでは不十分であろう。尚早である。
ともかく、この段階での減税各論の発生は政党としての弱さの現れであり、早急に終息をはかるべきであるが、そのためには参院選では有権者に何を問うのか、これを明確にしなければ議論すらはじめられないということであろう。何を問うのか、それによって8月の政局が見えてくる。
ひそかに解散総選挙(同時選挙)という自滅シナリオがささやかれるのも、不安心理の裏返しであると思っている。
2.参院選は政権選択のリハーサル(試演)
ところで参院選はいわゆる政権選択には直結しないが、政権選択リハーサル(試演)という位置づけにはなると思われる。したがって、5月、6月はリハーサルのための下ごしらえであり、審議されている法案ごとに賛否の組合わせが参院選後の連立をイメージさせると思われる。
つまり、有権者の視線の先に参院選後の連立政権のイメージが鮮明になるように演出されるということである。という意味で予備政局、あるいは演出政局と表現したほうが分かりやすいと思う。
多くの国民が物価高に苦しんでいる
ここで、政治的伏線を指摘すると、まずは有権者側の事情である。物価上昇による生活痛をどれだけ共感してもらえるのかという切実な思いを有権者は参院選にぶつけてくると思われるので、選挙に臨む国会議員と予定候補者にとっては大きなストレスとなるであろう。政治家は、物価高による生活苦については頭では分かっているものの、本当のところは体験していない。それを有権者に見抜かれてしまうのがじつは怖いのであろう。10年以上2日に1度は買いだしをしている筆者にいわせれば、最近の食料品や生活用品の値上がりは異常である。これは継続して観察しなければ分からない。スーパーマーケットなど小売りの現場には政治の影すら見られず(期待感もないが)、人びとは不満と不安を感じている。
その頂点にあるのが米価である。主食が90パーセントも値上がりして、それでも先進国といえるのかと参院選では問われるであろう。にもかかわらず動きが鈍い。とくに野党の動きが鈍い。対策は消費税減税などで十分という建前論なのか。そういうことで米価追求を緩めているのであれば、それは判断ミスといえる。
米(コメ)が生活の一丁目一番地というのであれば、農政は自民党の一丁目一番地であるから、自民党の責任は重いといわざるをえない。米の値段が2倍近くになるというのはまさに生活破壊そのものではないか。家計の半数には経済的余裕などないのである。米価の高騰は長年にわたる自民党農政の失敗であるから、野党はきびしく追求すべきである。
大凶作でもないのにと有権者は思っている。そのうえ備蓄米の効果はいつ現れるのか。5月に入っても米価が大きく下がらなければ、農水省が責任を問われるはずである。緊急輸入も考えられるが間にあわない。生活者に背をむけた農政であっては困るのだが、現状はそのようで、これでは政治が役割をはたしているとはいえない。
3.苦しむ生活者への支援策が難航
そういった物価高に苦しむ生活者への支援策が難航している。給付金などにはバラマキとの批判もある。しかも、非課税限度額をめぐっては財源を盾に石破政権が引きあげを値切ったと世間は受けとめている。財源を盾にしたことが石破政権の手足を逆に縛っているというか、給付金をだせる財源があるのなら課税最低限(いわゆる103万円の壁問題)のさらなる引あげができたのではないか、という人びとの反感が、石破政権の政策だけでなく可能性をもせばめたように思われる。
もともと死にものぐるいで突破するしか道がないのが少数与党の宿命である。そういう文脈でいえば、あの時の国民民主の提案を呑んでおれば事態は変わって(筆者は反対であったが)いたかもしれない。さらに、党内権力関係が石破政権にそれをやらせなかったという解釈が浮上すれば、参院選では厳しい結果が跳ねかえってくることになるであろう。
いずれにしても、物価高に苦しんでいる人びとから見れば政府・与党ともに口先はともかく、実効性のある策をもっていないと感じているのではないか。
また、年金受給者の令和7年度の年金額改定率は1.9パーセント増で前年物価上昇率2.7パーセントを大きく下まわっている。年金受給者のうち受給額内で暮らしているのは41.7パーセント(意見回答)であるが、物価上昇と同率以上の改定となるのは、現在の制度にマクロ経済スライド調整がある以上なかなか難しいといえる。つまり、インフレには弱い仕組みなのである。そのことの是非はここでは論じないが、いえることはインフレがつづけば一般傾向として年金生活者の不満と不安が増進するということであり、政府に対しては反感亢進的である。このあたりは政治家として心すべきであろう。
[ちなみに、6月13日には改定後の年金(2か月分)の振り込みが予定されているが、平均的には7~8千円増と思われる。コメの消費量を1日あたり2人で300グラム(コンビニのおにぎりで約6個分)とすれば月9キログラムとなり、2か月で18キログラムである。兵庫県下の生協扱い(以下消費税込み、4月第3週)でのブランド米が5キロ約4800円、ブレンド米が5キロ約4000円程度なので、値上がり分(約90パーセント)はキロあたり455円と380円になる。したがって、2か月分の消費量18キログラムの値上がり分はブランド米で8190円、ブレンド米で6820円と推算され、年金増についてはほぼ米の値上がり分に消えていくと。さすがに政府のやることはそつがないということではなく、自分の選挙を心配するのであれば、その前に人びとの生活を心配しろということであろう。]
4.7月になっても労働者の多くにとって賃金事情は体感的に実質マイナス
高めの回答がつづき順調に推移している連合賃上げも8割方の労働者にはまだ行きわたっていないことから、今の時点では実質賃金の回復はまだまだといわざるをえない。ということは7月になっても労働者の多くにとって賃金事情(懐具合)は実感としてはマイナス領域にあると思われる。
今回は政局を軸に妄想をかさねているのであるが、政局を語る以前に、現役の賃金労働者も年金生活者も物価上昇の猛攻に苦戦を強いられているという現実が浮かびあがってくるのである。このいわゆる生活苦を何とかしなければ、とくに与党にとっては選挙戦略の立てようがないといえる。
賃上げについての政府の姿勢をいえば、10年前よりもはるかに積極的であり評価できるといえる。また、経営者団体においても積年の賃上げ不足の悪影響についての率直な反省もあるようで、そのあたりはもっと評価されてもいいと思っている。そういった事情を踏まえて2025年の賃金交渉は連合レベルにおいて5パーセントをしっかりこえる回答を実現しているもので、日本的労使関係の成熟をみるといったところであろう。
とはいえ、2025年の推定組織率が16.1パーセントであったことから、非組織化職域における賃金改定についてはまだまだ不安定であり、たとえば今般のトランプ関税についての日米交渉の行方を理由に回答を先のばしする事例が頻発するかもしれない。
とくに、自動車産業にかかわる中小規模企業においては、経営計画の見直しを理由に7月前の回答が難しくなると思われる。もちろん産業別労働組合傘下の労使においては、すでに回答済みのところが多いと思われるが、俯瞰すれば労働者の83.9パーセントが未組織でもあり、3月の回答水準に追随していけるのか大きな不安があると思われる。
努力は評価するものの、現在の賃上げの仕組みでは限界がある
この一年間の政府なり経営者団体の改善努力は広範囲にわたり、賃上げが長期間にわたって停滞してきたわが国の賃金構造を多角的に分析し、地道な改善を積み重ねていく方向性はすこぶる妥当であると思われるのであるが、それもここにきて石破政権の苦境と息をあわせているのか、少なからず息切れ感もあり、この先についての不安を覚えるものである。
というのも、日銀が最も警戒していると思うのだが、連合とかは別にして、全体としての賃上げが物価上昇率を1パーセントポイントも下回る結果となれば、とうぜん個人消費に少なからず悪影響が生じると思われる。くわえて、トランプ関税による世界的な景気後退のおそれに先立ち、わが国の景気に黄色信号が灯ることは極力回避すべきであるから、正直なところ「きわめて難しい局面」を迎えることになるのではないか。つまり、「賃上げと物価上昇の好循環」が蜃気楼であったとなると、打つ手がなくなるということである。なぜなら、「賃上げと物価上昇」が並立しながらも実質購買力が低下していくというのは景気後退の入り口ともいえるもので、好循環を目指しながら悪循環に陥るというのはブラックジョークにほかならない。
実質賃金がマイナスでも「物価目標2パーセント」が金融の正義なのか
労働者にすれば「賃上げゼロでも実質賃金維持」のほうがマシということになる。それでも、ウクライナ侵略などの影響をうけ国外からのインフレを甘受するとしても、日銀として円が安すぎるのではないかとの生活者の声を無視することはできないであろう。金利の問題は複雑ではあるが、金利のない世界をつづけ過ぎた弊害を現時点においてもなお指摘せざるをえない。賃上げゼロでも「物価目標2パーセント」が金融の正義なのか、「賃上げを上まわる物価上昇」を容認するのかなど、日銀の基本姿勢が問われている。
労働者である生活者は年率2パーセントで生活を割り引かれているのである。2013年からの金融政策についてはいまだに疑問が残っている。日銀として前任者を批判することは組織的に難しいかもしれないが、政策論としては大きな課題を残したことは間違いないわけで、2013年当時の政権の方針ともあわせ政治としても反省すべきではないかと考えている。
さて、連合はいまや16.1パーセントを天井とする世界であり、そこでの賃上げとわが国全体の賃上げとは別世界の様相を呈しはじめたと考えている。
労働者の総所得が実質価値を維持するためには、連合の賃上げ率が現状の3倍程度にならないかぎりむつかしいのではないかとさえ思うのである。(これは労働者における格差拡大であって好ましくない。)
実態として連合などに賃上げの仕組みは残ってはいるが、総労働としての組織的賃上げは今では不在であって、日銀が期待するような国をあげての賃上げは、労働の需給関係を背景にした相対(あいたい)の微細市場に粉砕されているといえる。
現在の賃金決定システムでは社会的に広く期待されているような賃上げは無理?
いいかえれば現在の賃金決定システムでは社会的に広く期待されているような賃上げは、労使ともに賃金統制力を欠いていることからも無理であるといわざるをえない。これから先も政府、日銀としてさらなる賃上げを目指すのであれば、労使交渉のあり方をも抜本的に変革し、さらに労働法制をも変える必要があると思われるが、それを定着させるには10年以上かかるであろう。今年や来年に間にあう話ではないのである。
それにしても、実質賃金のマイナスが長期にわたり、つづいていることは労働への分配がなお縮減していることであり、筆者などの感覚でいえば不正義社会にどんどん近づくことであるから、じつにゆゆしき問題であり、経済人こそこの事態を問題視しなければならないと思っている。ところが、その経済人にしてしかり、さらに経済人が支援している自民党がそういった問題意識をもつこともなく、ただただ国政選挙を怖れるだけの体たらくに陥っているのである。
ということで、国全体にいきわたる賃上げの仕組みについて石破政権としては今一度方策を講じるひつようがあるということで、あらためて気合を入れなおすべきではないか。でないと、賃上げに期待していた人びとの気持ちが離れていくことは少数与党にとって痛手となるばかりか、賃金への期待感が支えている個人消費に水をかけることになるであろう。与野党ともに政局を意識するあまり大事なことを置きざりにしているのではないか、そんな危惧が広がっている。
5.トランプ関税、徐々に軌道修正へ、広がるのか反対運動
トランプ関税へのわが国の対応については、変化する米国側の事情へのすばやい適応につきるものの、もともと無理筋であるから米国の要求に追随できるものではない。
また、インフレとかさまざまなマイナス事象を契機に反トランプ運動が広がりつつある。政権が発足してから、その動きを評するならば、「急速な戦線の拡大と反対勢力の創出はトランプ政権側に取りかえしのつかない困難な状況を生みだすと予測するのが妥当であろう」ということであり、なぜこうも短期間に国の内外を問わず敵を作りだすのか。まして、「ハーバード大学まで敵にまわす必要などない」のにと、政権のバランス感覚に誰しも疑問を持ちはじめているのではないかと思うのである。
全体からいえば30パーセントほどのコアな支持層は今のところ何をやっても歓声をあげつづけているが、おそらくやせ細る財布(目減りする預金や膨らむクレジット負債)にやがて音をあげるであろう。
政権にとってやっかいなのは「反トランプ姿勢」に対する評価や損得を周到に計算したうえで、ハーバード大学などが権力に対抗する姿勢をしめしたと世間が解釈していることから、その深層の動機などを聞くこともなく多くの人びとは抵抗運動に同調することになると思われる。
ともかく、反エリート主義を売りものにしているトランプ氏とその陣営に対し、ばらけていたリベラルエリートの再結集が大学を中心にはじまるとは思えないが、ゆるやかなトランプ包囲網がスタートすることだけは確かであろう。
さらに、移民排斥を行政レベルで強化し、市民生活のさまざまなシーンで人びとの自由を侵害することは、社会的ストレスを亢進するものでかならず反動となって政権を攻撃しはじめると予想できる。
あるいは、やり過ぎ感のあるDEIに対する見直しとの関係は定かではないが、例を見ない軍首脳の更迭は逆に反トランプ陣営を元気づけるかもしれない。
ともかく、不本意な処遇をうけた者が味方になることだけはないといえる。確実に敵となるかどうかは不明であるが、網はじわじわと絞られていく。敵だけが増えていくのは、トランプ氏にとって政治的にマイナスといえる。
5月に入れば、トランプ関税だけではなく政府効率化省やDEIにかかわる人事(更迭・解雇)あるいは国際援助の削減など大胆というか極端というか、剛腕ともいえる政策展開が結局のところ何をもたらせたのかが明らかになるであろう。
もし米国の貿易赤字を、関税を梃子にしたディールによって現金化できるならば、さらに政府効率化省によって政府機関や大学などへの支出を現金化できるならば、くわえて同盟国の米軍駐留費を用心棒代として徴収できれば米国史に残るビッグマネーの誕生であり、それを原資に支持者が吃驚するほどの減税やバラマキをやれば、2026年の中間選挙の大勝利はまちがいないと、確証はないがそういう筋書であるように思われる。
といった権力動機ともいうべき政権のディーププランに強い関心を寄せるのは、人の金をあつめて儲けようとする朝からタキシードを着こんだ自称投資コンサルであろうか。
投資家や金融の世界がそういった儲け話をどうのように評価しているのかはどうでもいいことであるし、ましてわが国の政局とはかかわりのないことである。しかし、何かにふりまわされたとしても、そしてその原因が個人の思い違いとか、伝聞による錯誤であったということなら、ふりまわされた結果ケガをしたり資産を失ったり最悪の場合は命を失ったりとか、そういった甚大な被害を受けた人びとに、あなたが被害にあった本当の理由はこうであるとはいえないし、まして補償などもできないのである。
そこで傍(はた)迷惑はいい加減にしろと大声をだしたとしても、残念ながら状況は変わらないのである。理不尽とはこういうことをいうのであろう。
とはいえ、統合性を欠く一連のオペレーションについては、米国内だけをみてもじつに不安定であるし、まして国際的には対中結集をはかるという文脈にてらしても準備不足というか支離滅裂感を禁じえないのである。とくに、FRBのパウエル議長の解任話にいたっては、たとえ発信者が否定したとしても、その思考の短絡性がすけて見えてしまったのであるから、前回ふれた「トラ取(トランプ取扱説明書)」にも一項目が追加され、「トランプ発は間(あいだ)3日をおいて開封するのがよい、もちろん開封するのは次便のほうである」となるであろう。
おそらくこのひと月で、政権の持続性に対してもネガティブな見方もでてくるのではないか。世界を揺るがせたトランプ関税にも潮時があって、秋風が吹く頃には交渉そのものを終息させなければ米国社会がもたないというのが本当のところではなかろうか。おそらくそうなるであろうが、対中交渉だけは継続し成果をださなければ、トランプ政権としては襤褸(らんる)をまとうことになりかねない。
それにしても、今のところスタグフレーションを心配することはないとしても、強度のインフレの確率が高いことから消費不振に陥る可能性が残る。おそらくその対策として超大型減税(2025年末まではトランプ減税が敷設されているのだが)や直接給付が施行されると思うのであるが、インフレに油を注ぐことになるのか、あるいはバブル化するのか筆者には想像がつかない。
不都合がおきればその原因(犯人)がでっち上げられるのはよくあることだが、今でさえ米国の信認が低下しているのであるから、リスクマネーの米国離れが加速すれば「想像すらしたくない」事態が生じるかもしれない。偏西風だけでなくマネーの蛇行が心配なのである。
6.政権発足から100日、オールドメディア始動開始となるか
4月9日急きょ相互関税の上乗せ部分の延期がきまったが、延期せざるをえなかった事情が首尾よく改善されないかぎり元には戻せない。巷間いわれている債券売買による金利の急上昇が直接の原因であるなら、7月7日までに状況が改善される見込みはないと思われる。過激な関税の導入が米国経済にもたらす負の影響を悲観してのドル資産売却であるなら、トランプ関税問題が終息しないかぎり金利上昇のリスクは消えないということになる。
しかし、「世界から搾取されている」と勝手な自己解釈を宣(のたま)いながら、逆に世界から搾取しようとする天地大逆転の「富の奪取大作戦」を手助けする輩がことを複雑にするのであろう。損を避けるべきか、それとも度胸を決めて儲けに走るべきか、金儲けを生きがいにする連中が水面下でコイントスを始めたようである。
トランプ政権発足後100日を迎えるが、壁時計のゼンマイが巻き過ぎで切れる日、つまり時計の針が止まる日がいつになるのかは分からない。が、切れる前に巻くのを止めたほうがいいに決まっている。スローダウンさせるためにはわが国が早く選挙モードに入ることだねと仙人はいうであろう。これも妄想であるが。
7.広まるか、トランプ流への「取扱説明書」
グローバルな言論空間において「トランプ流ディールの第一撃からいかにして身をかわせばいいのか」が周知されていくのではないかという楽観が主流になると考えたほうが気が楽であるし、おそらくそうなると思われる。そのうえで、トランプ流ディールの第一撃後のわずかなタイミングをとらえ軽く対抗しておくことが、攻撃心を萎えさせるには効果的であることを共有できれば先ほどの楽観はさらに輝くものになるだろう。
あくまで、軽くいなすということで、穏やかに「不同意の空気」をグローバルに形成していくのである。イエス、イエス、バット、イエス、バット、イエス、イエス、、、、とリズミカルに。
そういえば、関税引き上げがディールにおける強力な切り札であると思いこんでいる「かの人」には、世界中のどの国もそれを恐れているとの自己投影があるのであろう。くわえて、それが米国にとっての自傷行為であることを完全に忘れているのか。であるなら、どの国も恐れていないことをしめし、さらに自傷行為であることをしらせるために、米国自身に痛みを感じてもらうことが必要といえる。
もともと関税競争というか、貿易戦争には勝者はいないもので、いるのは犠牲者だけなのであるから、脅されていい分を聞くだけでは悪い前例を作ることになる。つまりそういった宥和的対応は取り返しのつかない失策といえるもので、たとえば時限的な報復関税などには自国責任でやってみる価値があるといえるかもしれない。
しかしそれは、安全保障において米国との連結の弱い国々への推奨であって、非対称性の強い安全保障関係にある国々については他の方法を選ぶべきである。とくに、わが国には同盟関係においては今のところ他に選択肢がないのであるから、相手をして万が一にも間違わせないという一段と厳しい条件がついてくる。
それにしても、トランプ関税の各国のGDPにおよぼす影響であるが、国際通貨基金(IMF)が4月22日に発表した「世界経済見通し」によれば、2025年の世界の実質経済成長率を2.8パーセントとしている。これは前回1月の見通しから0.5ポイントの引き下げとなっている。ちなみに米国については1.8パーセントで、0.9ポイントの引き下げである。わが国の場合は0.6パーセントで0.5ポイントの引き下げとなっている。えっ、その程度なのと思えば憂いが消えそうで、多少のマイナスは覚悟しなければとも思う。米国の場合は大幅な落ち込みのようで、本当に我慢できるのか疑問である。トランプ政権の綱渡りがしばらくつづきそうである。
ことわざに「山より大きいイノシシは出ない」というのがある。大げさにもほどがあるということのようである。おもちゃも花火もほとんどを中国や東南アジアから輸入しているのに100パーセントの関税など論外であるが、10パーセントなら「どうぞ、お好きに」ということであろう。競合ではなく相互依存関係にある物品については、トランプ氏のいう「ディール」は成立しないのではないか。(上がるのは輸入国の物価、輸出国は関係ない)ということで、交渉の範囲は絞られていくと思われる。が、中国にとっては交渉のテーブルにつくことが最大の政治リスクなのであろう。
[付録]前回の後半の残り部分
◇ 今では昔話となったが、去る2月28日ホワイトハウスで開かれた米・ウクライナ首脳会談の顛末は異例の口論事件として歴史にのこると思われる。しかし、停戦から和平に向けた長い困難な道のりを考えれば、一瞬の出来事であったといえるものであろう。もちろん、一瞬のことだから瑣末なものとはいえないのであるが、あえていえば戸口でのよくある躓きであっていずれ忘れさられると思う。
というよりも、ある意味必要なプロセスであったとも考えている。まずはほとんど勝っているつもりのプーチン氏とロシアの世論を考えれば、プーチン氏をテーブルにつかせることは米国大統領といえども簡単なことではない。したがって、ロシアを交渉の席に着かせるためにはいくつかの心理工作が必要であったといえるのだが、その主要な柱はプーチン氏のいい分を受けいれることであると、トランプ氏は持ち前の直感力で把握したのであろう。
もちろん、そのことを多くの人が怪訝に思ったのは当然の反応であったといえるが、この「プーチンの世界観」の片言をほとんどオウム返しにつかってしまったことは悪印象このうえないことであったから、中立的な立場からでさえ異論がふき出し、さまざまな波紋が生じたのである。
だからといって、そういったトランプ氏の認識についてはなにがなんでも矯正しなければならないなどとは考えずに、むしろ矯正しようとしてもムダであることを前提にやわらかく反応すべきであると今も思っている。
もちろんゼレンスキー氏も欧州首脳も不安になるのは当然ではあるが、作戦としての心理工作であるから、納得できないとしても理解の隅には置いておくべきであると思う。
しかし、ゼレンスキー氏としてはまともな説明もないままに、プーチン氏の影響を強くうけたと思われるトランプ氏の操り人形になることはできない。さらに、バイデン氏からトランプ氏への権力移行によって、ウクライナにかかわる方針が大きく変更された事実をふまえれば、そのことを呑みこむためにもゼレンスキー氏には時間が必要であろう。
急変したのは米国であってウクライナではない。立場をいえば弱いゼレンスキー氏が米国の急変に遭遇したことから、それへの疑問というか懊悩の中で多少のミスがあったからといって、ことさらに攻め立てることもないというのが筆者の受けとめ方である。
だから、2月下旬のホワイトハウスでの口論については、外交的には不用意であったと酷評されたとしても、ゼレンスキー氏がとったとっさの反撃は当然のことであったし、今でも正義の決着を求めているウクライナ国民の気持ちをまとめていくうえでも必要なことであったといえる。唯々諾々と米国のシナリオに従ってばかりではいられないということであり、まして虎の子の鉱物資源を安売りすることはなおさらできないといえる。
米国が仲介しているウクライナ・ロシア停戦交渉は入口からして難しく、始まったようで始まらずにスタートから膠着することは目に見えていたのである。つまり膠着する最大の原因はひとえにロシアの認識にあるのであって、プーチン氏もロシア国民も「時間経過とともにさらに有利になる」と本気で思っているのであろう。
ロシア経済がウクライナよりも先に崩壊することはないと信じきっていることにいちいちクレームをつけることはないが、別の見方をすればそういった勝手な状況判断に立ち、のらりくらりと時間稼ぎをするのはある意味優勢であることの証といえなくもない。しかし、プーチン氏には優勢であると認識しているがために、実のところ打つ手がないのである。また、その状況をかえる意志もないように思われる。
難解な文脈になったが、ロシアには居心地の良さに溺れる面と果報は寝て待てという実利が重なっていることから、少なくともトランプ氏を怒らせないかぎり損はない、また仮に怒らせたとしてもさほど不利にはならない、つまりトランプ氏の方が手詰まりであるとプーチン氏は考えているのであろう。
もとはといえば、自信のあまり最初に手の内をさらしてしまったことであろう。交渉の期限を勝手に宣言しみずからの手を縛ってしまった。そのツケをウクライナに押しつけようとしている。米国が条件を明らかにすればウクライナにとってそれは動かしがたいラインであって、屈辱的であろう。トランプ氏はいざ知らず米国民の半数は心中負い目を感じるかもしれない。
さらにいえば、停戦がロシアにとってはパンドラの蓋を開けることになるかもしれない、というのがプーチン氏がかかえている不安ではないか。
不道徳きわまりないことではあるが、侵略による紛争状態がロシア社会の安定を支えていると仮止めすれば、停戦によってロシア社会も次のステージに動かざるをえなくなり、動くことは戦時経済として平衡を保っていたロシア社会の矛盾を解放し、権力への批判の自由化がはじまるかもしれないという悪い想像をかきたてるのである。想像というよりも妄想といったほうがいいのかもしれない。単純な停戦ではロシア社会はひどく弛緩し民心は発散するのではないか。
◇ よくよく考えれば、2022年2月からの3年間にわたり、先進国からの経済制裁をうけながらロシアなりに耐えてきたことは事実であろう。逆にいえば、経済制裁の効果に疑問があるだが、この問題が顧みられることはおそらくないと思われる。
たとえば航空機のメンテナンス部品にも事欠いているなどとまことしやかに聞かされたが、それでも具体的にプーチン施政に穴があいているとは思えないのである。さりとてまったく無傷であるというのも信じられないことなので、おそらく停戦で社会が弛めば何かが起こると思われる。そうなれば和平がプーチン政権を痛打するとは皮肉ではあるが意外なことではない。
だから、ゼレンスキー氏がホワイトハウスで口論にいたったのは、プーチン氏の本質をしかと伝えたかったということであろうが、外交的にはもっとも高度なコミュニケーション能力が求められる場面で、どの言語を用いるかについては慎重に吟味するひつようがあったのではないか。
ただし、背後で聞いているウクライナ国民に対して、団結を維持しまた気持ちを離散させないためにも、またさらに納得のできる決着の困難さを分かってもらうためにも、あの場の激情からの決裂という事態は必須のものであったと考えるのは少なくとも停戦が成立してからのことで、その出来方次第ともいえる。
ところで、ヴァンス副大統領のヒールぶりは大したもので、欧州の伝統的なインテリにすればその言は噴飯ものであろう。しかし、その指摘は半面の真理であり歴史にのこるものといえる。すなわち、大戦後の東西冷戦にあっては安易に米国依存を継続し、つづくソ連邦崩壊後もNATOを転がしつづけ、その影響圏をかぎりなく東進させた。しかし、核戦力においては張りぼて状態を放置し、さらに欧州自身による東方への備えをもサボタージュしていたのであるから、ヴァンス氏指摘のとおり米国が外れれば欧州が転ぶのはとうぜんのことといえる。いわば欧州は米国のふんどしでロシアと相撲をとっていたのである。ウクライナ問題では米国からふんどしの返還をつきつけられて、ようやく事の重大さに気がついたようである。ヴァンス氏の発言はタイミングの問題をはらんではいるが間違ってはいない。タイミングというのは、今ここでそれをいうかということである。
だから、米ウ首脳間での感情的わだかまりは、これから起こるロシアの揺さぶりにくらべればうぶ(ナイーブ)な面があるものの直線的で分かりやすいもので、わだかまりはいずれ溶けていくと思われる。ウクライナにとってはわだかまってはいられないほど厳しい状況なのである。
ゼレンスキー氏の直情径行にくらべ、プーチン氏は100パーセントを超える策略家であるから他国からは信用されていないのであろう。欧州各国や近隣国から信用されていないからこそロシア国民はプーチン氏を指導者として認めているのかもしれない。天邪鬼のようないいぶりになるが、そういうロシア国民の判断はある意味適切だと思う。
もちろんわが国の人びとの評価はそうではなく、さらにオールドメディアのプーチン氏に対する論調も散々なものであることは承知しているし、ままそうであると思っている。
だから2022年2月のロシアがいう「特別軍事作戦」に対し、2月26日の弊欄では「ロシアによるウクライナ侵攻」としていたが、3月12日には「生活空間を破壊し、民間人を死傷せしめ、避難者を苦しめている」ことから「プーチンのウクライナ侵略戦争」と表現をかえたのである。侵略とは武力侵攻による占領によって領土を奪取することである。
筆者の立場はそういうことであるが、停戦を実現するためにはロシアとウクライナの合意が必須であることから、調停者のトランプ氏がプーチン氏を侵略者と決めつけると話をすすめづらくなるので、本意であるのか不本意であるのかはべつにして、作為的な中立性の表現のためにプーチン氏側に立っているというのがそうとうに戦略的な解釈であったが、今ではその解釈は違っていたような気がする。
それでも、ロシア側に現時点での停戦の必要性がなければテーブルにつかないであろうし、ロシアが米国を無視してトランプ氏を怒らせるとウクライナへの軍事支援の質量が強化されるリスクがあるので、ロシアとしては「ウクライナが飲めそうもない条件をつけながらの時間稼ぎ」に徹すると思われる。、
ということはすでに衆知のことであり、プーチン氏をテーブルにつかせ交渉に引きこむためには、米国側には強力なカードがひつようなのであるが、トランプ氏の手にそういったカードがあるのかという「トランプのカード」問題については多くは悲観的であり、とくに関税を使ったディールが通用するとは誰も考えていない。あとは制裁解除をカードとするとしても、米国の一存では決められないであろう。であれば、米国の提案はかぎりなくウクライナにとって涙の結果となるであろう。米国とロシアによるウクライナ処分というあまりにも残酷な現実に多くの国は戦慄するかもしれないが、後世の教訓として残るであろう。米国とロシアにも失うものがあるのだが、それは目には見えない大切なものである。
◇ ホワイトハウスで「ウクライナにはカードがない」とゼレンスキー氏をなじったのが2月28日なのであるが、今はロシアにわがままをいわせず停戦を飲ませるだけのカードが米国にあるのかと問われているのである。
今でも「ウクライナへの強力な軍事支援」こそがロシアを追いこむ手段であるとの考えが残っているのかもしれないが、この3年間のウクライナへの支援の基本は、紛争を局部にとどめることを前提にした抑制的なものであったといえる。つまり、全面的な多国間紛争に発展させないための制限的支援であったといえる。
この3年間の西側の支援は、悪くいえばロシアの戦術核におびえながらの中途半端なもので、戦術的には低質なものにならざるをえなかったといえる。
というのも、正直なところバイデン氏が主導したころからではあるが、NATO側には戦略目標がなく、そういった議論はおざなりにしてきたといえる。つまり、経済制裁をふくめ状況対応的につまりは場当たり的な対応に終始していたという批判にはそれなりに説得力があるといえる。
もっといえば、NATOの東進に不安と不満をたかめていたロシアへの警戒を怠り、ウクライナに身の丈をこえる実現性の低い望みを抱かせたのは誰なんだという、時代を巻き戻す問いかけの中から、当事国としてのロシアとウクライナそして仲介にあたる米国にくわえ足元の安全保障のほころびが目立ちはじめた欧州など、それぞれの不都合がなにげに浮かびあがってくるのである。
筆者がトランプ流を全面否定しないのは、原因がトランプ氏にあるというよりも、世界の現状が米国民をしてトランプ氏を選ばせたと逆順にとらえたほうが合理的であると考えているからである。トランプ氏の登場は結果ともいえるもので、とくに彼の反知性主義とポピュリズムの関係については、市場型資本主義経済が行きづまり、民主政治が大きく後退しつつある現実を直視するなかで、あらためて問題のありかを反芻してみるひつようがあると思っている。
ときに因果関係はうつろうもので、そもそもが確定的ではない場合が多いことも念頭におくひつようがあると思っている。
そういう意味ではすべては始まりなのである。
◇ 石鎚や 清明遥か 峰に雪
加藤敏幸
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