研究会抄録

ウェブ鼎談シリーズ第(14回)「戦後の労働運動に学ぶ」

ウェブ鼎談シリーズ第(14回)「戦後の労働運動に学ぶ」

講師:仁田道夫氏、石原康則氏

場所:三菱電機労働組合応接室

研究会抄録 記事一覧へ

発言広場

【遅牛早牛】 時事雑考 「低々支持率をめぐる騒動を越えて岸田政権は中道へ向かうのか」

〔くる年の暦丸めつ店仕舞う。コロナ後は人手不足で閉店する飲食店が多いと聞く。労働者はどこへいったのか。長年粗末にあつかったことの報(むくい)などとはいいたくないが、たしかにこの国には労働者を消耗品のごとくあつかう癖というか作風があるようで、これを改めないかぎり消費と生産のバランスのとれた経済にはならないであろう。また、労働者を使い捨てる風土で労働生産性を伸長させることはむつかしい。というのが筆者のベースラインである。とにかく労働者を中心とする考えなので、まあこのぐらい偏向すれば誤解されることもないわけで、気分はこのうえなく涼やかである。

 とはいっても世にたとえば労働党なるものがあらわれたとしても、それが労働者の代表だなんてちっとも思わない。どんな政党であれ「私たちはあなたがたの代表だ」という呼びかけには嘘がまじっているから、「あなたたちは、ほんとうに私たちの代表なのか」としつこく問いただしつづけないと、いつか手にした如意棒とともに飛びさり見えないところで何かをして、都合が悪くなると帰ってくる孫悟空になってしまうのである。労働者はいつも仕事でいそがしい。だからといって見張りを怠ってはいけない。政治家の中には飽きっぽく、支持者との同床異夢関係をすこしも気にしない強い人たちがまじっている。だからよくよく見張っていなければ、どちらが「ご主人さま」か分からなくなる。(選挙の時だけははっきりしているのであるが)

 たしかに政務三役の任命責任もあるが、有権者として選んでしまった責任もあるように思う。(これからは納税証明書もいるのかしら)

 ところで、師走は一年をシメて新年をうかがう月であるのだが、ウクライナもパレスチナガザ地区もこのままではシメようがない。残念なことに悲惨は立ち去らないので、2023年をシメることはできず、新年を祝うこともできないのか。

 さて前回は「任怨分謗か是々非々か」とかいいながら、日米同盟をどこまで深化させるべきかと悩んでみたが、現在の非対称な関係であるかぎり軍事同盟としては十全に機能するとは思えないというのが結論であった。とくに、「米軍は矛で自衛隊は盾」という役割分担論も「日米安保は瓶の蓋」論の各論にすぎない、つまり自衛隊を盾に閉じこめておけば対外的には無害であるという理屈なのである。だから、専守防衛論が実戦上機能するのかといえば、専守だけでは防衛上不十分なところが出現すると思われる。

 もともと専守防衛というのは、有事ではなく無事を前提とした考えといえる。この点を神経質につめていくと敵基地攻撃をふくむ反撃論が浮上するのであるが、理論上は100点をねらえても、実戦で100点がとれるかは不明であるから、結局のところ国民の犠牲の程度をどう考えるかである。

 仮に国民のゼロリスク追求レベルが高く、かつ反撃能力の保持を否定するのであれば、受動化した防衛では、莫大な費用を用意しなければならないであろう。とうていGDP比率2パーセントには収まらないと思われる。それ以上に現在北朝鮮が開発中の攻撃アイテムに対して有効な対処策には技術面での困難がともない、どんなに予算をかけても対応できないケースがでてくるかもしれない。

 となれば、ゼロリスクをあきらめ報復攻撃のための強力な打撃力を用意した抑止策に切りかえるひつようがでてくるかもしれない。いずれにしても反撃能力の保有がなければ成立する話ではない。ということで、ロ朝の軍事連携がすすめば東アジアの安全保障のステージを激変させると思われる。

 2024年は、気分としてはブルーで、危機管理ランプはオレンジあるいはレッドの可能性が高いであろう。仮定の話ではあるが、まことにおぞましいことといえる。例により、文中の敬称は略す場合もあり。】

遅牛早牛 記事一覧へ