研究会抄録
ウェブ座談会シリーズ1「世の中何が問題なのか-アラコキ(古希)連が斬りまくる」
講師:参加者は五十音順で伊藤、江目、佐藤、中堤、三井各氏。司会は加藤、事務局は平川。
場所:メロンディアあざみ野
発言広場
【遅牛早牛】 時事寸評「厳しくなる世界情勢にあって石破政権を揶揄するだけでいいのか」
1.箸の上げおろし云々の前に、政権の強化をはかることが全体益につながる(トランプ外交に対応できるのか)
箸の上げおろしは些事である。そうではあるが、それが時の宰相(石破氏)のことであれば天下の些事となり、SNSなどで用事の合間に突(つつ)くのは息抜きにはもってこいなのであろう。まあ息抜きなので本人は気にすることもないと思うが。
また、ウェブ上ではインプレッション稼ぎの投稿も多く、そういったアテンションエコノミーが世の中をざらつかせて不寛容にしている。という指摘もすでに陳腐化している。陳腐化したということはその害毒性が日常化したということであり、被害が蔓延しているということであろう。そこで政治家が格好のターゲットになるのは仕方のないことかもしれないが、「人の悪口をいえば小銭が入る」とか「嘘ついて儲ける」といった社会がまともでないことだけは確かである。
ところで、今のわが国に宰相の箸の上げおろしを突いている暇があるのかといえば、そんな余裕などはないはずで、正面の外交にかかわる議論を急がなければならない。
まず、アジアの大国(中国)を念頭に「法による支配」と大上段に構えていたわが国の「近過去」外交が、その大国の急接近をうけてすこし揺らいでいるようだ。外交的にはかなり剛性であったその「近過去」を急に変えるわけにはいかない。そこで変幻自在な相手を用心しつつもそれなりの荷捌きが求められるのだが、わが国単独では荷が重いから、同盟国や友好国と相談することになるはずなのに、年が改まれば米国の大統領はトランプ氏に代わるのであるからはたして話が通じるのか。たとえば「自由で開かれた」といったきれいごとも年内限りになるのかと不安がよぎる。
米国抜きで「法による支配」とか「自由で開かれた」といってみても空念仏のようで、迫力不足であろう。で、その米国が世界に向けての不確実性の発信地となっているのだから、とりわけガラス細工の石破政権としては気が気でないということであるし、米国も軍事力抜きの関税だけで微妙な東アジアの今日的課題を解決できると本気で考えているのか、疑問である。そうであれば相手からは足元を見られ、結局のところ米国の地政学的勢力圏はどんどん縮小していくのではないかと危惧される。
とくに、ロシアのウクライナ侵略は1950年代の朝鮮戦争を思いおこさせるというか、かなり相似な様相を呈しており、この70年あまり国際社会が進歩していないことの証明であるともいえる。つまり、武力による解決、核による脅しが有効であるというよりも、それ以外に解決手段をもたない悲惨な人類文明の欠陥が露呈したということであろう。関係ないようであるが、言葉こそうまく調整されていたリベラルがそういった発言のわりには実のところ無力、無能であったことがヨーロッパを中心に選挙での右派躍進につながっているのではないかというのが筆者の感想である。