研究会抄録

ウェブ座談会シリーズ1「世の中何が問題なのか-アラコキ(古希)連が斬りまくる」
講師:参加者は五十音順で伊藤、江目、佐藤、中堤、三井各氏。司会は加藤、事務局は平川。
場所:メロンディアあざみ野
発言広場
【遅牛早牛】 時事寸評「2025年2月の政局①-熟議を実らせるには決断が必要-」
◇ 先週末からの衆予算委員会での石破総理の答弁は丁寧ではあったが、かなり頑なであった。慎重なのは分かるが、特有の素っ気なさは喧嘩腰なのかと誤解されるかもしれない。おそらく米国で7日に開催される日米首脳会談に気が向いていたからだと思われる。もちろん、そのことについては多くの人びとがトランプ氏との相性を気にかけたりとか、むしろ好意的にとらえているわけで、世間はまだまだ穏やかであるということであろう。
そこで件の首脳会談であるが、それなりに評価されるものに仕上がると95パーセントの確率で予想している。残りの5パーセントは突発事故ともいえるものでいわゆる想定外である。ともかく日米ともに成功させなければならないのだから、中身はよく分からないが成功すると考えるのが自然であろう。
で、帰国後の石破氏の言動に変化がみられるのかがかなり気になるところで、というのも予算委員会での答弁のままでは維新も国民民主も賛成できないだろうから、当面の間は来年度予算の成立が不透明なままで推移することになる。そこで、帰国後はいよいよ濃霧を切りひらくべく石破総理の強力光線の発射が求められる「切羽詰まった状況」にいたるとやや物騒な予想をしている。
視点をかえれば、少数という致命的弱点を背負っている与党が率先して大胆に動かないかぎり立憲も、維新も、国民も引きつづき同じ主張を繰りかえしても賛成にむかって積極的に動くことができない、つまり金縛りから脱却できずにいる膠着状態におちいってしまうと思われるが、これこそが真の問題といえるのではないか。
とくに立憲においては、各基金からの取り崩しを含め高めの数兆円規模の修正を目指している(と聞いているが)ものの、仮にそれが達成できたとしても直ちに「予算案の賛成」に動けるのかといえばおそらく90パーセント以上の確率で無理と思われる。もちろん、生きた政治には常に「まさか」がへばりついているので、たしかに「103万円の壁」問題の所要額にも匹敵する歳出削減に成功すれば政権担当能力の証明にもつながることから、出来高はさておき有権者目線でいえば「政権のあり方」に強くかかわる認識の変更が政界の風景を一変させるかもしれない。多少ぞくぞくするところもあるが、冷静にいえば立憲の予算案賛成という超ど級の大技なしには歳出削減は無理であろうから、議論は一回りして立憲・国民民主との協議に回帰すると思われる。
いずれにしても時計の針は止められるが自然現象の時間は止められない。残された時間が少ないなかで、立憲の賛成をもとめる交渉や歳出削減の可否に内閣の命運を賭けるわけにはいかないというのが常識であろう。しかし、政権としては立憲の機嫌を損ねることは何かと好ましくないので数千億円の削減は議会運営負担(コスト)と割り切り、対外的には熟議の成果と喧伝するに違いないと筆者は非難をふくまず受けとめている。肝はどんなに歴史にのこる熟議を行っても立憲の予算案賛成はまずない、またそうすべきではないと考えるべきであろう。
もちろん、これを契機に参議院選挙後は大連立さえ射程にはいるのではないかとの大胆な予想をたてる向きもあるが、憲法改正、安全保障、エネルギー政策などについては当座のつじつま合わせでさえ時間が足りないうえに、そもそも支援団体が容認できることではないから、そんなことを強行すれば石破自民も野田立憲も党内混乱の末におそらく大量の離党者の発生や分裂騒ぎによって、結局あわせても過半数に達しないという最悪のケースの可能性もあることから、冒険が過ぎるということであろう。
つまり、大連立しても自民と立憲だけでは少数与党にとどまりかねず、早い話が元の木阿弥ということになると思われる。
もちろん、今年(2025年)の参議院選挙がおわれば3年間は国政選挙の予定がないことから民意を気にせず好き勝手(消費増税?)ができるという声があるようだが、岸田前政権の時もそういわれたものの結果は退陣となった。石破氏の党内基盤はまだまだぜい弱なので都合のいいようには政局を動かせないだろう。また立憲内には反自民勢力も多く、さすがの野田氏といえども党内で大連立の大義名分を整えることは困難ではないかというのが今日の相場観である。
ということで、結局のところ少々高くついても維新あるいは国民民主の「助け船」に乗るしかないだろうというのが筆者の見立てであり、そういう意味では昨年から状況は変わってはいないといえるのである。(まあ平たくいえば、安いほうがいいに決まっているというのも真理であろう。先進国の製造業が開発途上国によって追いつめられたのは品質・性能がくすむほどの圧倒的な安さであったというのは筆者の余分なおしゃべりであろうか。)