研究会抄録
ウェブ座談会シリーズ1「世の中何が問題なのか-アラコキ(古希)連が斬りまくる」
講師:参加者は五十音順で伊藤、江目、佐藤、中堤、三井各氏。司会は加藤、事務局は平川。
場所:メロンディアあざみ野
発言広場
【遅牛早牛】 時事寸評「新政局となるのか、ガラス細工の石破政権の生き残る道」
まえがき
・国民民主党の、とくに玉木代表の周辺がいろいろとかまびすしい。醜聞もあるが、とりわけ103万円の壁問題が脚光をあびている。くわえて、106万円あるいは130万円の壁までが取りあげられて、土俵が拡大しているようだ。「○○の壁」というキャッティーな用語だけではない注目性があるのかもしれない。ということで自公国の協議の方向性が定まるまでは、まだまだ争論状態が続きそうである。
・今日的には「103万円の壁」は象徴としてあつかわれている。さまざまな年収の壁(超過することによって制度の適用が変化し手取り減と認識される額)を代表し、103万円にかぎらず広範な議論のハッシュタグとなっている。もともとは「手取り増」であるから給与明細書の「引き去り(控除)欄」の減額、とくに公租公課(所得税、地方税、社会保険料)の減額が中心課題であろう。
この課題は1970年頃から主婦のパートタイマーを中心に指摘されていた。現在においても所得税や地方税の課税基準として、また扶養控除の基準としても用いられている。そのことが主たる家計者の扶養控除(38万円)や特定扶養控除(63万円)、あるいは給与の扶養手当などにもかかわってくるところが不利益感を増長しているといえる。
・また、公的年金制度や健康保険制度の加入資格とも関係する制度上の難題として当時から認識されていた。今日でも、たとえば130万円超となると国民年金の3号被保険者の適用外となり、1号あるいは2号被保険者として加入し、保険料を支払うことになる。(1号の場合、月額16980円なので年額はおよそ20万3千円で結構な負担増となる。ちなみに3号は負担ゼロである)
また、企業等の従業員が加入している健康保険(健保組合)でも、130万円超となると扶養家族認定を外されるので、就業先の健保に加入するか、それがなければ国民健康保険に加入することになる。(筆者の居住地では年収130万円の保険料は月額9825円で年額は11万7千円である)
いずれにせよ保険料の支払いが発生するので、11月12月のパートタイマーによる出勤調整が勤務体制に負担をあたえていた点も不評であった。
・もともと、世帯による扶養関係をベースにした税制や社会保障制度に個人単位の所得の扱いを接合させるという多少無理のある制度設計からもたらされる問題であり、既存制度をそのままにして解決策を見いだすには困難があるということで、問題意識はあるものの小幅な対処策にとどまっているといえる。
あらためて、問題の全体像を俯瞰すれば、手取り増の方法論としてとらえることは当然であるとしても、家計所得分布で中位数以下の世帯の生活をどのように描き、現実的にいかに支えるかという目的下において「国民負担」を全体としてどのように設定するのかという視点でいえば、単身家計と世帯家計のバランスはひつようである。さらに、最低賃金の伸びをどの程度勘案するのかも、最低賃金1500円時代を展望すればあらためて、労働再生産費用への課税についの合意を得るひつようがある。こういった領域での社会対話を長年にわたり為政者が拒んできたと認識している筆者と、そういった政治に支配されてきた各税調あるいは省庁との考え方の溝は大きいように思われる。
という大いに政治性の高い意識で考えれば、現在おこなわれている「103万円の壁」についての議論には、政策・制度としての内容にかかわる課題と、有権者が直面している生活上の苦難に政治としてどのように向き合うのかという政治プロセスの課題があると思われる。
二つの課題はいずれも難問である上に、政策・制度としての難しさが政治プロセスの黎明的進展を阻害するフィードバックとなる危険性もあり、報道にも注意深さがひつようであろう。
・たとえば、社会保障と税の関係は給付と負担の本質的関係であり、個々人の利害得失を包含した巨大な複雑系システムであるから、簡単に抜本改革といっても正直な話、検討段階での着手でさえ躊躇せざるをえないであろう。何がいいたいかといえば、課税最低限(基礎控除+所得控除)の引き上げという簡単な要求であったとしても、派生する課題は山のようにでてくるのであるからていねいな対応が必須であろう。
・派生する課題の中には、それぞれの制度を直撃しかねない抜本的構造的課題もあると思われる。また、当然減税であるのだから、国税と地方税の分担も大きな課題であり、これについては地方税の減収について早々と警鐘が鳴らされるのも、ややフライング気味とは思うが、宜(むべ)なるかなと思われる。
・くわえて、理論的に合理性の高い新制度が設計できたとしても既存制度との切りかえや接続問題が残ることになり、その解決に膨大な資源を消費することも頭の痛いことであろう。ということで、正直いって迷宮のような世界であるから、ともかく議論をすればよいという対応に終始するのであるなら、議論が議論をよび出口を見失うことになるであろう。関係者の知恵に期待するものの、短時間でこなせる議論だけではないと思われる。
・そこで、今回の議論の政治的意味合いを考えるならば、有権者が直面する具体的課題への政党あるいは政治家の応答性が問われている点が焦点であり、とくに各税調など専門性にあぐらをかき生活者の切実な要望を俎上にあげてこなかった雲の上の政治に対する抗議以上の実力行使ととらえるべきではなかろうか、と筆者は受けとめている。
とりわけ実力行使というのは、声をあげるだけの段階から投票行動という民主政治においてはスペードのエースともいえるカードを切っているわけで、またその投票行動の結果が現実に与党を震撼させ、全テレビ局が連日とりあげているという従来にない大きな反響を生んでいるわけであるから、そういった反応に投票者たちが逆に驚きつつさらに自信を強めつつあるという、新たな民主政治の新舞台が創出されつつあるのではないか、という意味で要求から実力行使のステージに移ったと受けとめているのである。
・これは、与党の過半数割れを契機に人びとが政治をみずからの生活の場にとりもどす奪回闘争であるとも位置づけられるもので(こういった表現は筆者の嗜好であって壮大な背景思想があっての表現ではない)、この本質的な変化に対して与党は刮目して真摯に向かうべきである。したがって、国民民主への回答というだけではなく、自民党と公明党が先々も政権に携わることの資格審査としての能力証明であると位置づけ、有権者宛に回答するのが政治的には正しいのではないか。
・ということで、本文中では「大盤回答」という言葉を使用したが、「満額回答」でも「丸呑み回答」でもない、「これからは働く人びとを中心に政策も予算も考えていきます」という姿勢がにじみでていなければ、与党のじり貧に歯止めをかけることができないであろう。要するに新しい支持層を獲得しなければ自公に明日はないといえるのである。いささか強引な印象を与えていると思うが、パラダイムシフトの予兆は静かであって、見逃すことが多い。また、失われた筋肉は再生しない。自公が過半数勢力に復帰するには従前の生息地にこだわらずに新領域を獲得しなければならない。そのためには雇用労働者からの信頼が第一であるから、そういうことを前提にするならば今回の対応が重要なのである。
最終受取人を念頭におき、この回答に高度な戦略性すなわち戦略的互恵関係を内包させれば天与の機会となるであろう。くどいようではあるが、与えることは取ることなのである。ということで「大盤回答」がひつようなのである。
・また、すべては国民の懐に残るもので、国外に流出するものではない。おそらく年末にかけて落ちこみゆく実質賃金の回復はむつかしいだろうから、また円安の加速から物価上昇の鎮静化ができなければ景気後退局面を迎えることになり、いずれにせよ財政出動が必要になると思われる。渡りに船とはいわないが、裕福でない国民への生活支援は緊急を要するということなので、できるだけ大きく早く実効の上がる施策をまとめるのが上策であるという判断で、協議をすすめればいいのではないか。
・総選挙前の8月の概算要求をまとめた立場にすれば、「103万円の壁」とかいって何兆円かかるか見当がつかない新規もの(国民民主の要求)が顔出しするのはまことに迷惑しごくであるとは思うが、選挙の結果として政権基盤が不安定化したことをふまえるならば現実的な対応を優先させるほかに手だてがあるとは思えないのである。
そんな流れにあって、財源論が集団走りしている。どういう仕掛けなのかおよそ見当がつくではないか。
・現状は報道が人びとの期待を掘りおこしさらに拡大し、時に水をかけている面もあり、こういった現象はプロセスが未定の場合に起こる現象であって、良い悪いはべつにして、政党間協議とは異なる方向に報道がながれているるかもしれない。ともかく時間の経過とともにおちつくものと思われる。
・ところで、国会の過半数は現時点では概算要求などを是認しているわけではない。ということは自公多数時代の事前審査の効用はゼロにちかいということであるから、省庁にとっては強烈なカウンターパンチとなっているのかもしれない。あくまで、予算案賛成の条件交渉というか、そういう前提での協議であることを明確にしないと、一般的な(反対を前提とした)与野党協議と混同してしまうのではないかと思う。
・ところで、今回の選挙の結果が「新政局」をもたらせたと受けとめるのであれば、政策立案における国会対策はゼロから再構築しなければならないであろう。
「新政局」は有権者の要請なのか。だとしたら、それに対する守旧勢力とは誰なのか。なども明らかにするひつようがあるであろう。ともかく、財源はどうするのかといった早めの決めゼリフをていねいに分析していけば評論家やマスメディアのリアルな魂胆が透けて見えるであろう。
・筆者としては「玉木要求の危険なほどの切れ味が際立つ」と記したように、国民民主にとっても危険な切れ味であると考えている。103万円の壁とかトリガー条項のことではない。少数与党に対し、予算案の賛否を取引カードにしたことの危険性をいっているのである。ガラス細工の石破政権への強烈なストレートパンチの反作用も強烈であるから修羅場となることはまちがいないであろう。国民民主も討ち死に覚悟なのであろうか。「新政局」には覚悟と団結がひつようと思われる。