遅牛早牛
時事雑考「2025年8月の政局 米国の外交は引き算、中国は足し算―戸惑う同盟国と友好国」
まえがき
【今回も、7月13日、7月17日に引きつづき、2025年のリスクについて妄想を重ねてみた。2025年も早や半ばを過ぎ北半球はうだるような暑さに悶えているのだが、悶える原因は猛暑だけではない。
今や、トランプ関税が地球を覆っている。政治が経済を振り回している。かつては経済が政治を規定していたが、今日立場は逆転した。トランプ氏は「アメリカファースト」に忠実なあまり、世界経済におかしな鉄槌を打ちこんでいる。しかし、トランプ関税が最終的にトランプ氏を支持する人びとにプラスになるのか、現時点では分からない。
それよりも、同盟国あるいは友好国に対する容赦のない過酷な要求はかならず同盟劣化として米国にはね返り、予想外の事態をまねくであろう。悲観的すぎるかもしれないが、地政学的液状化という時限爆弾のカウントダウンは止められないかもしれない。この段階で覇権国の洞察力をこと挙げするのはさすがに一方的すぎるかもしれないが、トランプ関税が国家間の搾取をもくろむ罠であることは自明であるとしても、罠にかかった獲物の多くが同盟国であり友好国であることがこの先何をもたらすのか、あれこれ考える余裕もなく「よき時代」は確実に終焉にむかっている。
リスクを論じているうちはまだまだ幸福なのであろう、なぜならそれは直(すぐ)に惨禍に姿を変えるから。また、悪いことは重なるので気をつけないと。
前回にひきつづき、ユーラシア・グループの「2025年10大リスク」のリスク項目は、本文中では「」で示し、日本語はユーラシア・グループ「2025年の10大リスク」日本語版リポートから引用した。】
10.世界最大級の核兵器保有国が5番目のリスク
「ならずもの国家のままのロシア」が5番目のリスクであるとユーラシア・グループはリストアップしている(前回も引用)。もちろん、世界最大級の核兵器保有国であることがこのリスクを膨らませているのであろう。核兵器の存在がロシアの生存にかかわる最終的な実力であるから、国際社会がロシアの動きを制止することが難しくなっている。
たとえば、ウクライナでの戦闘停止すなわち停戦については、トランプ氏の動きに注文をつけたくなる人も多いであろう。つまり、発想は悪くはないが、もともとプーチン氏にはその気がないのに同意を装っているのは戦術としての時間稼ぎにすぎないという見方が大勢であり、トランプ氏の理解とは大きなギャップがある。もちろん、停戦への期待が強かったことが逆に跳ねて「プーチン氏に甘すぎる、それでは調停がうまくいくはずがない」という批判に転じたのかもしれない。
とにかく傲慢ともいえるロシアの思わせぶりに、さすがのトランプ氏も苦々しく思っているのであろう、ロシアへの圧力を得意の関税を武器に強めている昨今ではある。
その気がないのに米国大統領でさえ手玉にとるといったプーチン氏の不誠実な態度はどこから生まれているのか。ひとつは関税交渉に象徴される米国と同盟国との不調和が安全保障体制にひび割れをもたらすと、プーチン氏は先取りしているのかもしれない。つまり、東西冷戦を深く理解している氏にすれば現在のトランプ氏のディールが軍事同盟にとっていかに危険であるのかが十分わかっているから、たとえ米国であっても仲間がいなければ怖くはないと侮っているのかもしれない。これはロシアにとって危険な兆候ではあるが、理屈は通っている。そういえばトランプ政権2.0は安全保障には重きをおいていないのであろうか。
二つは、昔風ではあるが核保有国という全能感から生まれていると思われる。つまり、プーチンロシアの傲慢は核兵器の威力にもとづくものといえるのである。だから、結局のところ彼は核兵器の使用以外は何でもやるだろう、否ひょっとして使用するかもしれないという国際社会の危惧こそがロシアリスクの正体をいい表しているといえるのである。
つまるところ、トランプ氏が核保有国であるロシアのプーチン氏の意図を断念させることはできないということであろう。もちろん、米国の(直接の)軍事介入は筆者も避けるべきだと考えている。
という現実を、欧州のNATO加盟国はようやく正面の課題として受け止めはじめたといえる。欧州による欧州の防衛を、まさかバンス副大統領から浴びた外交的には罵詈雑言ともいえる高説によって決意したわけではないだろう。
そうではなく、むしろロシアに対して停戦交渉すらまとめられない米国の立場(力)を目にしたからだと解釈する方が自然ではないか。
もともと、欧州戦線への参戦をしぶるのは米国の伝統ではあるが、コロコロ変わる日替わり定食では困るわけで、また直前になって費用などいろいろと吹っかけられても、これもまた困ることから、それなら初めから荷が重くとも自前でやったほうがいいという気持ちになったと思われる。
さらにウクライナでの戦闘からロシアの通常戦力の限界を見きわめたということかもしれない。とはいっても、核の傘問題が根底にあるかぎりまた兵器開発や供給を考えれば米国の関与が必須であるから、トランプ氏の機嫌を損なってはならないと心に期していると思われる。
いずれにせよNATO諸国の軍事費負担を引きあげさせたことは米国にとっては作戦成功といえるが、これによって米国は見えない貴重なものたとえば政治的威信とか尊敬を失いつつあることは否定できないし、同盟国としては憂慮すべきことであろう。良い悪いではなく、これもGゼロ現象であろうか。
さて、「ならずもの国家のままのロシア」に今のところトランプ流ディールでは歯が立たないのであるから、強力な武器をウクライナに供給すること以外に他に手段がないということであれば、何のことはない前任のバイデン氏と変わらないではないかという批判がしずかに湧きおこると思われる。自明のことを7カ月もかけて証明したことは実践的現実主義者(?)としては面目躍如ではあるが、この一連の流れを同盟国はどういう思いで眺めていたのであろうか。
11.反トランプ的言説には用心をするにしても、ボスは馬に乗り1人で去っていくのか?
さて、前掲のユーラシア・グループの2025年10大リスクの2位が「トランプの支配」であり、4位は「トランプノミクス=トランプ政権の経済政策」となっている。とくに注目すべきは、ユーラシア・グループがプーチン氏よりもトランプ氏のほうがよりはるかに大きなリスクにかかわっていると認識していることであろう。
また、1位が「深まるGゼロ世界の混迷」で、「Gゼロとは、グローバルな課題への対応を主導し、国際秩序を維持する意思・能力を持つ国家や国家の集まりが存在しない状態だ。世界的なリーダーシップの欠如は危機的なレベルにまで深刻化している。」(同翻訳レポート版より引用)という。
ちなみに、3位は「米中決裂」となっている。しかし、米中間の関税交渉については、5月14日、米中はそれぞれの関税率を115%ポイント引き下げ、30%と10%に仮止めた。引き下げ分のうちの24%ポイントは90日間の停止とし、引きつづき協議を継続しており、7月30日の閣僚協議ではさらに90日間の停止の方向にあるという。
これは決裂ではない。しかし他の国々の関税率が結局どうなるのかによって、逆に米中間の険悪さの程度が推しはかれるわけで、他にくらべて少し高目という程度であれば米中関係はまま安心路線といえる。今のところ、米中対立とかいっても、できあがった結果そのものを見れば出来レースとはいわないが何となくほどほど感が漂っている。(フェンタニル問題分が+25%なので、これが解決すれば10%になるのか。中国が10%ということになれば日本もEUも韓国も立場がないといえる。さほどに情報があやふやである。)
そうはいっても、交渉経過が分からないために、別に伏せられた何かがあるのかないのかなど、論評のベースとなる諸条件が見えてこないので妄想記述は休止せざるをえない。
米ロが悪化すれば米中は緩むやじろべえ
筆者の世代は、米中対立とか決裂といったフレーズにはとても敏感で、多少なりとも歴史的感慨を覚えるのだが、トランプ氏が全方位での関税交渉を開始したことから、少なくとも米国が問題とする「中国イッシュ」がそれに紛れこんでしまった感がある。つまりここ数か月をいえば「中国イッシュ」そのものの姿さえ見えなくなっているのである。(前述のとおり米側からの中国イッシュとは隠れた「チャイナファースト」問題なのである。)
とくに、双方115%ポイントもの同時ディスカウントと聞いた瞬間には、耳を疑うというかどうなっているのかとも思ったし、ひょっとしてレアアースの輸出規制に虚をつかれ弱気になったのではないか、といった憶測が脳裏に浮かんだのである。そういった憶測はすぐに消えたものの、米中間というのは暗箱のようなものという印象が強化されただけのことであった。中に何があるのか分からないのである。ということで、おそらくトランプ関税の斉一性については人びとはひどく疑問に思っているのではないか。
また、一連の交渉において名うての閣僚でさえ最後は大統領がきめることだと判で押したように予防線をはっているが、その最終判断の理屈がブラックボックス化していて、まずは解説不能となっている。この時々刻々と変化(へんげ)するトランプ氏の思考過程が結局「分からない」ものであることから、世界とくに同盟国や友好国は戸惑うばかりなのであろう。つまり、外交としては不全といえるのである。
米国にとって軍事同盟が重すぎるのか、「今さらどうしてくれる」といってもムダか?
指摘されている「米中決裂」のまえに同盟決裂が生じることはないと断言できるのであるが、金がかかるだけの同盟は不要であるということであれば、それぞれが生きていく道を考えていくしかない、とサバサバするだけであろう。というのは逆説の度がすぎるかしら。
そういえば、報復関税を持ちだした中国に意外な拍手が向けられていうようで、まったくのミスリードなんだろうが、もはや自由貿易の破壊者となった米国に対する反感がそういう現象を起こしているのかもしれない。
あるいは「TACO」を見越しての揶揄の類かもしれない。ともかく、米中関係はこれからも形を変えながら問題化していくのは必定であって、ことの大小を問わず決裂が米中と世界に何をもたらすのかを考えれば巨大な課題であることはまちがいない。という意味でリスク中のリスクといえる。
12.米中対決よりも、対EU、対日など対同盟国との対決がこの先本格化するのではないか
そこで、どちらがメインなのか、中国イッシュなのか関税なのかと聞いても「今日は関税ファースト、明日のことは分からない」というだけであろう。だから、たとえばすでにある半導体製造装置などの対中輸出規制と、今回の高関税による赤字削減策とが同時並行ですすむとしても、民生品を中心に相互依存関係にある日中貿易は世界経済にとっても重要であるから、また対米貿易が量的に減少していけば中国はじめ各国とも米国以外のウェートを高める方向に動くことから、トランプ氏の希望通りの対米依存度の計画的降下がこの先の長期トレンドになる可能性がかなりあると思われる。
さらに、そのことは決してマイナス面だけではなく、国際貿易の均てん化というプラス面があるといえる。レトリックとしてはそうなのだが、小さなプラスがあるからといっても、マイナスが巨大であれば人びとは安心できない。つまり、多くの人びとが不安であることがあらたなリスクになるという課題(リスク)に直面するのである。
ここらあたりについては、トランプ関税の世界図と各国の対応策がまだまだ不明なので、米国を外した多国間貿易などの新展開については、今は議論の入口にさえ至っていないといえる。しかし、苦しみながらも模索されていくと思われる。
もともと世界史におけるビッグイベントの多くは原理原則のある話ではなく、手段が目的になり目的が手段化する(手段であった関税が目的になっている)というように、スパイラル状にイベントの輪廻転生を繰りかえしていると考えれば、今回が例外ということではない。
とりあえずはこれがトランプ流だということにして、対策に集中したほうが政治的には賢明といえる。そこで、対策の本線は宥和と離脱と開拓であると仮定し、宥和は状況適応型であるが主権国家としては屈辱的である。離脱は米国との交易の縮小均衡化を受けいれることであるが、国内産業の一部に淘汰を強いることになる。開拓は米国以外の国々とさまざまに協力し合うことで新しい顧客や市場の開拓をはかることであるが、成否は不明といえる。
流れは混合型と予想できるが、報復関税を放棄できるのかどうかが各国にとっては政治上の争点になると思われる。触れたくはないが、最も強気で交渉に臨んだ中国が結果的に一番の交渉成果をえることになれば、15%を成果のごとく納得した国々は国民からひどく非難されるであろう。そういったところはまさに国情によるといえるが、中身をいえば火器を使わない国家間闘争の様相を呈するもので、感染症の次の災厄が姿を現しつつあるといえる。
ということで、トランプ氏の目論見は入口はともかく出口ではそうとうにリスキーな事態を引きおこすことになるので、この先短ければ半年、長くとも一年ぐらいで局面を変えざるをえない可能性が高いと思われる。もちろん、生きた経済なのでやってみなければ分からないが、急減速や急加速が限界点を超えればクラッシュが生じることは確実であろう。
ところで、当面の自衛策がいつしか恒久性をもつというのは歴史の通例であるから、今回のことは最強権力者の古い認識を基盤にした(WTOの)ルール破りのイレギュラーな自衛的対外攻勢であることから、仮にディールがまとまったとしても、非対称な関税関係が定着すれば、摩擦熱により想定外の二国間トラブルが頻発すると思われる。
とくに、反米あるいは嫌米感情への対応については今なおノープランのようで、そこが不用心な超大国らしいといえばそうなのだが、米国が考えているほど事態は生易しくはないということであろう。
今回のことは、米国からの一方的な権利主張であり、腕力を背景にした押しつけであると広く認識されているので、人びとの対米感情はしばらくは悪化していくと思われる。
安全保障を口実に50%もの関税を吹っかけたりしながら、本気で安全保障を考えていないのではないか、という疑念の中でウクライナ侵略やガザ問題に対応しなければならない国際社会の悩みは深い。すべては「アメリカファースト」という呪文から始まったのだ。安全保障も「アメリカファースト」だから同盟は結局成立しないのである。EUも事の重大さにようやく気づきはじめたのであろう。残念ながら日本がいまだに夢見心地であるのは、長年にわたって保護国なみの依存に安住していたからであろう。このままでは数年を待たずにボスは立ち去っていくと思われる。まあ追いかけても無駄であるが。
13.日米安保条約が完成の域に達したときに、その使命は終わるのか?
ところで、日米安保条約を基軸とした武装同盟が長い歴史的論争をへて、一定の理解にいたっているわが国の世論にあって、防衛負担の引き上げ要求が不用意に持ちだされると、それへの対抗心理として「ゼロからの見直し」論が頭をもたげてくる可能性もあり、さらに日中関係の改善によるわが国の安全保障環境の緩和などが、政策的にも有権者には案外新鮮に映るかもしれないのである。現行の政治体制に対抗する立場としては、もっとも取りかかりやすい領域といえる。日米中は微妙なバランスで均衡しているので些細なことであっても事態を動かしうるのである。
そもそも国家間関係は相対化されるもので、トランプ氏が強硬に、他方習氏が柔軟に応じれば、国民感情の天秤は水平にまで戻るかもしれない。たしかに中国の覇権主義が後退すれば、わが国の対中感情は大きく改善すると思われる。なんとなく中国においても世代的流れがあるようで、劇的な改善がゼロではないことは頭の隅においておくべきであろう。
とくに、70代のシニア層は政治的には現実主義であっても、心情的には愛国的であるから、昨今の米国のやり方には違和感をおぼえているようでもあり、今では不動の日米同盟基軸も揺らぐ糸口がないとはいえないのである。もちろん外交方針を見直さざるをえないほどの変化は想定外ではあるが、20%ほどの有権者が外交政策でのセカンドオピニオンを模索しはじめると、地政学的条件からして存外にややこしいことになると思われる。
今は米国と中国に対する評価はあまり変わらないとされているが、一部の価値観や政治手法において米国が中国に近づいていると感じている人びとの比率がわずかづつでも増えていると仮定すれば、年末あたりの世論調査が米中両国をどう評価するのか、またわが国の曲がり角になるのか、などなど例によって筆者は今から神経質になっているのである。
ただし、米国以上に中国もデリカシーに欠けるので、たやすく中国への親近感が増すとは思えない。しかし、世論工作を考えれば油断できないのである。
それよりも、中国としては国内経済がむつかしい局面をむかえるなかで、国民生活にもストレスがたまっていることから、軍用から民政への資源移転がすすめば、日中関係は経済交流を中心に新機軸を見いだせる可能性があるといえる。
苛斂誅求ともいえるトランプ関税が、とくに同盟国や友好国をも対象にしているが、二国間の安全保障を保持するうえでもわが国としては関税を丸呑みにするわけにはいかない。つまり、共益性を失っては軍事同盟は成立しないのであって、共益性がなければ保護関係にほかならない。それでは恣意的に解消されるという悪夢に苛まれることになるだろう。
たとえ国家間であっても、不満が横溢すればトラブルが増えるのは当然であろう。
そもそものデカップリングとかサプライチェーンのあり方といった高度な議論はどこへいったのか。結局銭勘定だけだったのか、というところに残念ながら議論は帰着するように思われる。
中国では、上に政策あれば下に対策ありといわれている。小さな諺のようだが、おそらく抜け道さがしに人びとの知恵が結集されるとの意味であろう。
そこで、たとえば管理通貨である人民元が対ドルで30%も安くなれば驚天動地ではあるが、他の条件において変化がなければ、市場での販売価格を上げることなく中国は輸出数量を確保できるし、米国は莫大な関税収入を手にいれることになる。
一方、米国からの中国への輸出品は人民元安で30%割高に、さらに10%の関税で都合43%程度の値上がりとなる。ここまで値上がりすれば販売不能であろうが、個々の中国側の事情をいえば産業用などの装置や部品などは高くても買わざるをえないかもしれない。すでに厳しくなっている中国の経済状況を考えれば元安に活路を求めてくることも想定できるのであるが、30%もの為替安はあらたな火種になることは確実であろう(5%でも大騒ぎであろう)。
ドルが基軸通貨、決済通貨でなければ米国の貿易赤字はドル安で調整されるのがモデル的といえる。通貨によっては多少ドル安ではあるが、対円では残念ながらそうはなっていない。つまり、この文脈においてはドル安を希求することは合理的といえるが、その実現性は今のままではゼロに近いといえる。
また、国内に余剰生産力をかかえる中国は対米輸出においては節度が求められるが、節度の解釈で失敗するかもしれない。実のところ、完全な自由貿易体制ではないのだから、何かしらの方策を講じるべきである。
ところで、中国は対日輸出拡大に拍車をかけてくると思われるが、米国のいう「中国イッシュ」は日米共通の部分もあるので、ただちに代替ということにはならない。もっといえば、経済においても日本に米国の代わりは務まらないということである。
トランプ関税が示しているのは経済は政治に従属せざるをえないという今日の現実であり、この点にかぎれば米中はよく似ているのである。とうぜん、EU加盟国も日本も韓国もその傾向を強めるであろう。何のことはない、格差が酷くなれば人びとは政治を使って経済に復讐しようとするのであろう。それがうまくいくとは思えないが、他に手段がないのも事実である。
14.トランプ政権の狙いは、俗にいう「やらずぶったくり」であって、夜店への出店料を手にいれることに似ている?
もともと、米国内の旺盛な消費に原因があるということなので、価格上昇による購買減が実現すれば貿易赤字は縮減できると思われる。例年100本の花火を消費していたのであれば、70本ですませればいいだけである。
貿易収支からいって過大消費であれば関税による市場価格の引き上げは輸入量を抑制する方向に働くわけで問題はない。というのは花火だからいえることで、これが生活必需品であれば話は面倒なことになる。
くわえて、基軸通貨であることが米国内への資金還流を支えているので、赤字でも日銭が入れば倒産しないのである。さらに、それにくわえてトランプ氏が世界から莫大な投資を呼びこんでいるから、薪ストーブに灯油を注ぐようなもので、減税を継続しさらに関税収入を戦果のようにばらまけば米国経済は超過剰消費でバーストするかもしれない。おまけに温暖化ガスを野放図に放出するというから、何年か先には反動政策(普通の気候変動対策)に戻らざるをえなくなるであろう。
関税分を日本企業が吸収してくれれば米国は天国になるだけ、関税分は値上げを
そういう悲惨な予想がある反面、トランプ政権2.0としてはできれば関税分のコストを日本サイドで吸収してもらえれば、まさに米国は天国になるわけで、それは日本が米国の奴隷になることであり、競争条件としては他の国への義理もあるのだから率先していい子ぶるのは止めるべきであろう。それ以上に内外価格差問題として国内では火を噴くと思われる。
ということは、関税分はかならず値上げするという路線こそが矛盾を最小化する適切な方法であるということで、以心伝心でもって関税分だけはかならず値上げする同盟を結成するしか手立てはないということである。どんなに辛くとも、この原則を守らなければ関税は半永久的につづくことになる。世界規模の嫌米ムードと値上げしか対抗策はないと思う。
中国をWTOに加入させたのはどこの国か知らないが、どうするWTO?
トランプ氏が二国間交渉にこだわるのは、多国間では話題にすらならない面妖な話であることが自明だからであって、要するにWTOの基本原理を破却し、グローバリゼーションを逆まわしにしようとする企みが世界をいかに貧しくするかということで、これは米国との二国間にかぎった問題ではなく、地球規模の災厄といったほうがあたっていると思う。
米国にとっての私利私欲路線が「アメリカファースト」の名のもとに、共益を求めてきた国際機関を破壊するという、ほとんど暴力こそが正義だというこういった流儀は、これもコロンブスの卵的ではあるが、残念ながら人間界のひとつの真理ではある。であるならば、啓蒙主義を基盤としている先進国というものが、結局のところ人類にとっての指導規範にはなりえなかったという、とても重たい事実をその旗振り役であった米国の変身(裏切り)によって出現したわけであるから、まことに皮肉というか頓馬な話ではないか。
また、国によって税率を変えているのは、同率だと競争条件に差がでないので一斉値上げをされると米国としてこまるからで、形を変えた分断策と思われる。21世紀の合従連衡策といえる。わが国の当面の対応は面従腹背的なんだろう。
さて7月23日、日米関税交渉は急転直下、決着にいたった。早い話が25%を15%にディスカウントするという。しかし、5500億ドルの投資とかコメの輸入増あるいは航空機100機購入さらにはアラスカ天然ガスなどへの投資といった詳細不明の項目がならんでいる。これらの論評は別稿に譲るが、詳細は国会で大いに議論してほしいものである。
それにしても協定文書すらないという。ひょっとして中身を自由に変えたいということかしら。当分の間、米国では大統領の職務権限についての議論がかまびすしくなるというか、おそらく民主政治の実践的確認作業に入るのであろう。たとえば三権分立とか、FRBの独立とか、公文書の扱いとか、統計とか。
トランプ流が唯一無二の選択ではないというのが米国でのコモンセンスであると(願望的に)仮定して、冷静な見方もセカンドオピニオンとして片方のポケットに入れておくべきである。
交渉がかなりうまくいったというエビデンスはない、甘いのではないか
ところで、25が15になってホッとしている雰囲気もあるが、冷静にいえば錯覚であろう。もちろん、米国市場を視野にいれている企業や投資家にすれば米国への利益移転や資源移転は経営的には保障行為として合理的といえるものの、それは日本列島の空洞化をさらに促進すると思われる。ほとんどの人びとにはプラスはなく、とくにこれで国内投資も期待できず雇用の悪化やさらなる円安の進行など苦しみだけが倍加される列島困窮の道といえるのである。
今日、資本と国民とは完全に分離されており、資本の増殖は国民のためになるものではないのである。長年にわたって蓄積され、満足な労働分配さえ30年余にわたって控えてきた企業(資本)と自民党政権の米大陸への資本と技術の移転が何をもたらせるのか、「関税よりも投資」とのキャッチフレーズは人びとにとっては最悪のシナリオなのである。
思い起こせば1990年代に始まった中国への工場移転が国内労働者にもたらしたものは何であったのか。だから、冷静に考えればなんのことはない、中国が米国に替わっただけではないか。今回の投資は、利益は米国と資本に与え、リスクは国内で負担するという「悪質な収奪構造」にほかならない、という大きな疑念が横たわっているのである。少なくとも国の資金は使うべきではない。野党は、とくに保守系野党は国民国家の貧窮化に手を貸すべきではないだろう。はっきりいって、企業と資本は国を捨て国民を見放し、自分らだけで新天地に向かおうとしているのである。こんなダーティな企てに手を貸す保守政権があるとはとても信じがたいのである。
日本のプラスの海外資産を米国に投資させ、日本へは利益の10%分の配当ですませ、投資が失敗しても日本の債権が赤くなるだけであるから、トランプ氏が喜ぶのもあたりまえであろう。トランプ氏はいい間違えているのではない、そうしたいと考えていることが口からでているだけである。また上書きの人なので、かならずそうするであろう。
ということをあわせ、「アメリカファースト」というのは反対するひつようはないが、けっして日本のためになるものではないのだから、ウィンウィンの関係というのは世紀の欺瞞であると筆者は考えている。国の金を使うのであれば、疑い深さや慎重さはいるのである。だから、投資をするのであれば、米国議会の保証を求めるべきである。
ということで正直なところプーチン氏よりもトランプ氏のほうがリスクとのかかわりという点でははるかに巨大なのである。
15.リスクを因数分解して、現実を直視しなければ21世紀型の植民地に
あらためてリスクとは、主題の発生確率とそれが発生した時の総損害の積であらわされるもので、発生確率は統計数値から推定されることが多い。また、総損害も起こってからでないと確定できない、だから起こる前の議論としては推定あるいは予想値を用いることになる。
という定義を明確にした議論とは別に、物語風に好ましくない事象についての未然の警告論として多用されている。今回も、物語風にまた警告的なニュアンスで使用している。
今回のユーラシア・グループのいうリスクについても、その発生確率について細かく検討できるものではない。だから課題あるいは問題といった表現でもいいと思うが、それでは危機感が薄れるということであろう。
したがって、極論すればトランプ氏そのものがリスクという見方に近づくのであるが、筆者の立場はそうではなく、「原因としてのトランプ氏ではなく、結果としてのトランプ氏」ととらえているので、固有名詞をもってリスクと考えるのは出口のない洞窟に突入するのと同じで賢明とはいえない。トランプ氏を選んだ政治状況こそが原点であり原因なのである。したがって、トランプ氏の○○と表現されることがあっても、その多くはトランプ的状況の○○という意味として理解すべきであろう。
そういいながらも、もちろんトランプ氏固有のリスクがあることは注目すべきで、たとえば氏が前大統領に放った年齢がらみの指摘はかならず本人を直撃すると思われる。そうならないことを願いつつも、前に「トランプ取扱説明書」が普及すると述べたように、個性ともいうべき行動様式や判断傾向が解析されるであろう。たとえば、「最後はビビる(TACO)」かどうかは怪しいものだが、これも取説の一種であろう。感想ではあるが、ウクライナ停戦とか米中関税交渉を見ているとそうかもしれないと思ってしまうのが我ながら不思議である。
ところで、トランプ氏、習氏、プーチン氏の三人にはどことなく似た風情があると前にも述べたが、権力集中型の為政者という点では共通しているようだ。ただし、そういった独善的権力者という文脈に固執しすぎると「排除」することが効果的な手段であるといった悪魔の思考ループにおちいるので注意深く言葉を選ぶひつようがある。
たとえば、「プーチン氏のいるロシア」と「プーチン氏のいないロシア」を比較する意味があるのかといえば、前者には膨大なエビデンスがあるものの、後者には空想しかないことからもとより議論は成立しないのである。
ということで、ここではたとえばプーチン氏を指導者に推戴しているロシア国民とプーチン氏とをあわせた集合体が世界におよぼす影響あるいはその危険性についての議論をしているわけで、人物伝を議論しているわけではない。この点はトランプ氏あるいは習氏においても同様である。
したがって「ならずもの国家のままのロシア」が招く問題状況がテーマとなっているわけで、プーチン氏に問題を集約することはこの場合においては適切とはいえないのである。
さて、ロシア発だけではなく、残念ながら独立事象の発生確率にしたがって紛争は頻発するであろう。すべて米国に原因があるということではない。むしろ、警官が急にいなくなっただけなのに、どうしてこんなに物騒になったのかという分かりきったことを一年生にかえって考えなおさなければならないのである。消えた警官を非難してみても解決にはならない。ではどうすればいいのか、米国にたよらずに国際機関の再建が可能なのか、と誰でも問うことができるが、誰もが答えられないのである。また、どの国にも、どの組織にもリーダーシップをとることはどの国もが許さないのである、という醜い国際社会の現実がある。
したがって、米国がみずから必要を感じるまでは警官としては動かないと考えるのが現実的ではないだろうか。まことに夢のない話ではあるが、犠牲をいとわない国が主導権をにぎるということになれば、選挙をかかえる国はおそらく不利になるであろう。という国際秩序の現実を念頭にトランプ関税が構想されているのであれば、妄想としては15%が国際治安税に相当するということかもしれないと連想してしまうのである。しかし、それで米国が警官に復帰するのであろうか。実のところ分からないのであるが、筆者にはなかなか困難なことのように思える。
だからというか、警官に復帰する気がないのに、貿易赤字だけを根拠にべらぼうな関税を吹っかけるのであれば、それは「やらずぶったくり」というものであろう。
本当のところは何がおこっているのか分からない中で、たしかに非難ごうごうであるからトランプ流を否定してもいいのであるが、それだけでは虚しさしか残らないのではないか。そして非難の裏側にある無力感に足をとられると100年前の世界へと逆戻りすることになる。
今日、直接紛争の恐怖、核兵器使用の恐怖、気候変動の恐怖、という3種混合の恐怖を人類は管理することができるのか、が問われているのであるが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して...」、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない...」とは、わが国憲法の前文であるが、わが国として国際平和のために犠牲をいとわないといいきれるのか、80年もの平和を曲がりなりにも享受してきたわが国として、「本当のところどうなんだろう」、「自国のことのみに専念しているのではないか」と考えてしまうのである。
それにしても80年もの長きにわたって犠牲をいとわなかった国々へ「お疲れさま」のひと言さえも発することができないのか。こういうのは、汗だくの熱帯夜にはふさわしくない問いかけであるし、いささか深読みの感じもする。
◇ 鷺足に 光が燃える 夏の浜
加藤敏幸
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