研究会抄録

ウェブ鼎談シリーズ(第8回)「労働運動の昨日今日明日ー官公労働運動について①ー」

講師:吉澤 伸夫氏、山本 幸司氏

場所:電機連合会館4階

 国家公務員、地方公務員はじめ公務に従事する労働者には多くの制約が課せられています。特に労働組合の活動については、先進国とは思えない縛りがあり、憲法28条が保障している権利(団結、交渉、行動)が満たされているとはとても言い難い。  制約の多い環境の中ではありますが、労使交渉はその形式、実態に関わらず、公務の現場を円滑にまた国民から要請される水準を維持、向上させるためにも必要不可欠であり、現実的に存在し機能発揮に努めてきました。そして70年の年月を経て、今日ある意味日常性の中で均衡状態にあるといえますが、その実何も解決あるいは整理されておらず形而上時計の針が止まった状態にあります。具体的には次の三項目ではないかと思います。  その一は、協約締結権と争議権の付与であり、ここ20年余関係者間の討議や調整がなされたものの、着地に至っていません。  その二は、労働者性の確認であります。例えば高度プロフェッショナルな業務についている者に関し労基法上の視点からその労働者性を論じる場面と、公権力の行使などにかかわる公務員等の労働者性を論じる場面には大きな違いがあり、それは前者が内向性の、後者が外向性の方向分析が議論をわかり易くするもので、前者の場合働く個人の働き方や心的態度に議論が集中するのに対し、後者は個人の働きの向かう対象との権力関係に議論が集中するものです。ともに性格の違う議論であり、神学論的な罠に陥りそうな議論ではありますが、私立学校の教員に関しては、その手の議論に拘泥することなくすんなり三権を付与している現実をくみ取れば、論理構造から離れた判断の存在が推測されるもので、乾いた手が粘着物に触れたような気持ちの悪い感じがします。  その三は、財政からの圧迫であります。予算すなわち財源が枯渇すれば窓口閉鎖に陥ります。ここは企業倒産のおそれに見舞われる民間企業と相似であり、ある意味共通するものといえます。財政民主主義との葛藤は、今日のように眼をむくほどの財政赤字が常態化している状態においては厳しく張りつめているといえます。 といった問題意識を持ち、今回は公務公共サービス労働組合協議会(略称は公務労協)の二代の事務局長による問題提起であります。なお後半は次回としました。
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【加藤】 今日はお集まりいただきありがとうございます。ウェブ鼎談シリーズも第8回ということで、今回は官公労働運動を中心に話を進めたいと思います。本日は公務公共サービス労働組合協議会の吉澤伸夫事務局長、また元連合副事務局長の山本幸司さんのお二方に来ていただきました。山本さんは教員組合、日教組のご出身、吉澤さんは地方公務員の労働組合、自治労のご出身です。

さて、公務員の皆さんに対しては世論としてバッシングとか色々ありましたが、連合結成30年を迎えるにあたって、いろいろな意味で労働運動としての到達点と言いましょうか、さまざまな場面を乗り越えられてのことだと思います。はじめに吉澤事務局長から官公労働運動の中でも公務労協中心に、その目的だとか役割あるいは実態等についてお話をしていただいて、その後、色々な課題について意見交換をしたいと思います。

公務公共サービス関係、10組織、140万人

【吉澤】 よろしくお願いします。まず私どもの組織紹介ということから申し上げると、連合構成組織の中で公務関係、民営化前の加盟組織で現在はオブザーバーのJP労組を含め全部で10組織あります。組織人員は140万人となっています。私の前任事務局長で先輩が山本さんです。それこそ山本さんの時代に公務労協を結成したのが200310月。それから随分長い時間が経っているのですが、年々実は組合員数、そもそも公務員がずっと減少してきているということがありまして、結成時が、確か180万人ですから約40万人減っています。これが今の私どもの組織実態です。公務労協としての最大の役割としては、連合との関係のもとにおいて活動するというのは当然ですが、基本的に私どもが担っているのはいわゆる交渉体としての役割、即ち公務員と言っても様々な職種が国家公務員、地方公務員という大きく二つのカテゴリーのもと存在しているところ、例えば給与など国家公務員を主体として地方にも影響していくというのが現実ですから、そうなると対政府・人事院との関係あるいは国会との関係、これは後程議論になると思いますが、このような観点から公務員関係全体としての交渉体という立場、これが私どもの基本的な任務ということになっています。

【加藤】 官公労働運動に対する、私なりの理解あるいは印象から申し上げれば、やはり労働基本権の問題が大きな課題として、組織の目標とされていると認識しています。特にILOとの関係が非常にビビットで、そういう意味で第2回目、第3回目にILOのテーマでお話をいただいたときも、やはりILOこれはもう官公労働運動の専売特許と言いませんが、非常に重要なテーマだったと熊谷さんからも聞いています。この労働基本権の現状なり、なぜ長い時間をかけ、要求として背負っているのか、このあたりは民間の労働組合から見るとよく分かっていない部分もあると思いますので、少しお話を続けていただきたい。

労働基本権は人権の最たるもの、労働組合の一丁目一番地 しかし厳しい現状

【吉澤】 まず労働基本権はオーソドックスに申し上げれば人権の最たるもの、しかも労働組合、労働者の立場からすれば、団結権が例えば消防職員あるいは刑事施設・刑務所の職員には否定をされていることは一般的な社会的視点からしても、おおよそ非常識ではないか、という事実があります。ましてや使用者と向き合って、勤務条件はもとより国民そして住民により良いサービスを提供するため労使で議論する、ということを含めて物事を決めることができない。で、その延長でこれはまたいろいろ議論がありますが当然ストライキもできません。と言うのが大雑把に申し上げると今の公務員の労働基本権制約の実態ですから、組合というものを一般的に結成はできても、その機能は大幅に制約をされていて、普遍的あるいは人権的な観点からも民間の労働組合、労使関係と比較すれば、制度的に大きく異なっています。さらに、あえて申し上げると、自治体にしても国にしても労組の経営参加という事も排除されており、そのことも極めて重要な課題の一つだろうと思います。そして、連合全体からすれば組合員の中で、組合権が著しく制約されている存在があるということは、やはり連合主体の責任という観点からも何とかしなければならないというエネルギーとなって、特に今の連合運動の中でも非常に大きなインパクトのあるテーマとして対応いただいていると思います。ただ、あえて誤解を恐れず申し上げると、連合結成から間もなく30年、あるいはILOも創設100年で、そういう節目に向けてこれからどうするのかいうことがあると思います。そのことで申し上げると、1948年の国家公務員法改正とその前提となったマッカーサー書簡で初めて日本の公務員の労働基本権が制約されるということが端緒となって、今年はちょうど70年、ある意味で節目になります。で、もう少し幅を広げさせていただくとこれもまた歴史的にいろんな議論があるのは事実ですが、昨年2017年というのが官公労の中で、昔の枠でいうと三公社五現業のうちの国鉄が分割民営化をされてちょうど30年、それからJP郵政についても民営化から昨年でちょうど10年となります。

【加藤】 そうですね。

1973年全農林警職法事件判決の重石、半世紀にわたって前進せず

【吉澤】 一方、イデオロギー・政治問題という観点の他、それとは異なる要素として、これは少し最近の議論でもあるのですが、早稲田大学の清水先生、今年の3月末で早稲田大学を退職されたのですが、数少ない公務員労働関係法制度の研究者のお一人だったのですが、実はイデオロギー、要するにマッカーサー書簡とはGHQの占領政策ということだけが原因ではないのではないかとおっしゃっています。といいますのは昭和21年に、教職員の身分法おそらく今の法律で言うと教特法(教育公務員特例法)に繋がっていくことになっていくと思うのですが、当時の政府・文部省の案の中に、その時から全体の奉仕者、要するに公務員というのは一部の奉仕者、戦前で言うと天皇の官吏であったものが、国民全体の奉仕者に変化する、そして、ゆえに労働基本権は制約されてしかるべきという論理があったというのです。その議論あるいはそういう考え方が、実はマッカーサー書簡が発せられる以前から官僚機構に存在していた、つまり公務員とは、戦前は天皇の官吏、端的に申し上げると労働者ではないという位置付けで、それが戦後になって、憲法の規定を含めて労働者であることが疑いの余地もないところ、その内在にあるのは公務員の労働者性というのは一貫して現実的に否定されてきたのではないか。そう考えるとこの問題はイデオロギーだとか、政治対立がということの以前にもっと根深いものがあって少し深刻なのではないかという問題提起になります。こうした歴史のもとで、改めて公務員の労働基本権問題をどう考えるのか、そして更に近年極めて深刻な問題として捉えなければならないのが公的債務つまり財政問題があると思います。

【加藤】 これは現場からの報告と問題提起ということだと思います。吉澤さんのこの話を受けまして、山本さん、官公労の運動を背負って、そして連合では副事務局長として色々仕事をされた立場から、また日教組の活動経験など含めて、この基本権の問題を今日どのように定義をされておられるのか、加えて、戦後史の中でも極めて重要なラインだと思いますので、なかなか難しいことでもあるのですが、しかし、基本権の基本すなわちレゾンデートル(存在価値)と言うのでしょうか。基本権そのものの在り方論のベースをどのように捉えていたのか、連合自身がという事と山本さん自身がどう思っておられるのか、ちょっと質問が難しく、ややこしいのですが、お話をお願いします。

戦後政治の大きな流れの中で、背景にある行政改革

【山本】 吉澤さんが話されたことに幾つか重要なポイントがあったと思います。1つはこの国の公務員あるいは行政機構の根底に貫かれている考え方のレベルで、解きほぐさなければいけないような問題が歴史的に、今日に至るまで横たわっているのかなと思います。ご案内のように1947年の2.1ゼネストを受けて、吉田内閣が倒れ、マッカーサー書簡が出され政令201号を発令した芦田内閣に行くわけですが、それ以降この基本権問題を運動課題として掲げて一貫してやってきてはいるのですが、その流れにはILOとの絡みで、何回かのサイクルがあると思います。

 公務労協の事務局長を務め、連合に行った自分の体験との関わりでと言うと大きな問題だったのは2000年の省庁再編成です。それに先立って、橋本内閣が6大改革を最重要課題と位置づけました。社会経済構造が大きく変わる下で日本の社会の在り方を全面的に見直すということです。その時正面にかかげられたのが財政構造改革、要するにこれだけ国債が積み上がってどうするのだ、財政再建をどうするのか、加えて経済構造、社会保障、金融システム、教育改革、その扇の要としての行政の在り方、行政改革そのものを進めなければいけないのだということで、日本社会の全面的な改革プランが政権与党から提出をされました。

 同時に国際的にはそれに先立ってイギリスのサッチャーが小さな政府、新自由主義の旗を掲げた。アメリカのレーガンがそれとタイアップした。日本でもまさに小さな政府論の嵐が吹き荒れた。その中で行政改革の重要な柱の一つとして公務員制度改革が政治の重要テーマとして浮上したという経過があります。具体的には例えばこれまで国営事業体であった電電公社とか郵政公社とか、そうしたものが全部民営化されていくわけです。その官から民へという大きな流れがあって、非現業の公務員について言えばニューパブリックマネージメントという効率性を重視した実績に基づいた処遇をすべきだという考え方が打ち出されました。具体的な政策としては定員の削減、給与の削減、それから民でできるものは全て民でやるべきだという大きな流れがでてくる。定員削減について言えばこれは生首に直結しかねない10年で20%というような提案が2005年段階に出てきました。これは生首問題にもなるので、当然労使交渉でやってもらわなかったら困ると。それから給与削減についても民間準拠の大原則そのものを否定して政策的に何パーセント下げるという話ですから、当然交渉のテーブルに乗せてもらわなければ困ります。公務員産別は連合の力を借りながら一千万署名運動を提起して、民主的で透明な公務員制度、国民のための公務員制度に変えるべきだと主張しました。

 その我々が目指す公務員制度の中では、「公務員労働者にも当然労働基本権は与えて、プロセスにも関与させるし、結果に対しても責任を負うという労使関係への移行を前提とした公務員制度でなければまずいのではないですか」と訴え取り組みで進めてきました。

またILOにも提訴をし、連合にも全面的な協力をいただいて、連合としても連合が目指す公務員制度の在り方という案を取りまとめてその中の柱の一つに、そこでの労使関係はどうあるべきかという提言を出してもらい、政府との交渉を進めたという経過があります。

【加藤】 その連合で取りまとめたのは何年ぐらいですか。

【吉澤】 2006年かな。

【山本】 そうですね、2005年のですね。

【吉澤】 専門調査会の議論のとき。

重要だった2006年の動き、本格化した政労の水面下の調整

【山本】 2005年の10月に連合大会で笹森・草野体制から高木・古賀体制に変わりました。その年の12月に当時の総理大臣である小泉さんと、連合の高木会長にトップ会談をやっていただき、「定員削減、給与の切り下げ、一連の民営化、これらは労使交渉の課題そのものであるわけだから、ちゃんと協議の場を作れ」と求めました。

 政府が提案している中身を処理しようと思えば従来の公務員の労使関係制度を変えない限り、前に進まないわけだから、基本権を全面的に制約するという考え方を見直すということを含めて検討をするべきだというボールを高木会長が投げまして、それに対して小泉総理は前向きに考えたいと回答したわけです。こうした経緯で話し合いが必要だとなり、当時長勢甚遠官房副長官でしたが、長勢甚遠さんと話を詰めとくれという話もあり、それと並行して公務員産別も当事者としてかかわっていました。年が明けて2006年の1月、労働側は連合を代表して古賀事務局長それから公務員産別から当時自治労の岡部さん、国公総連・全農林の丸山さんの3人、政府側は中馬行革担当大臣、竹中総務大臣、川崎厚生労働大臣の三者で話し合いがもたれ、そこで協議の場を設けるとなりました。つまり基本権の制約を見直すという事も含めた協議の場の設置の合意という流れになりました。

【加藤】 あの時は2005年の秋に郵政解散、総選挙がありましたね。それでいうなれば起死回生のホームランを打った小泉さんの郵政改革については参議院も白旗を揚げたわけですから、小泉政治の最終局面、第三コーナーを回った後の、どうやって花道を作っていこうかという時代だったと思います。山本さんのお話は2006年ですね。中馬さんそれから川崎さんもう一人は

【山本】 竹中さん

【加藤】 竹中さんね、まあ労働界の評価はいろいろありますが、ある意味その自民党の中にあってはややリベラルな、あるいは中道からリベラルという雰囲気の方なのかなと思います。だから完璧な右寄りと言う事ではなかった。それが2007年の夏にはいわゆる逆転の夏ということで参議院が与野党逆転、すなわちねじれ現象が起こるわけです。そうすると小泉さんの最後の段階で置き土産と位置づけ、やり方によっては結果にうまく繋がる事が出来たのかも分からない。これは歴史のイフ(if)ですが。

背景に雇用に直結する定員削減の提案の含みが、ある意味毒性をもっている

【山本】 私は、そこは詳細は分からないので、断定的なことは言えないのですが、非常に特徴的だと思うのは、やはりあの政府の提案そのものが生首を切る可能性を含めた、定員削減という労働者の息の根が止まるのか止まらないのかに直結しかねない課題を提起してきた。基本権制約の代償としての人勧制度は、建前は民間準拠で調査をしてやっている訳ですが、そんなもの脇に置いて、それがどうであろうと賃金を何%減らすのだという提案です。公務員の労使関係制度の扱いは依然として政治的・イデオロギー的でしたが、それ以上に事柄の性格がいくらなんでも公務員にも交渉の場や交渉権を与えるなりしなきゃまずいよねと言う世論がありました。具体的には毎日新聞が社説で基本権を付与すべしと。読売新聞も協約締結権まではいいのではないか。各新聞社が揃って社説でそこは言っていましたね。

経済界もスト権はともかくとして協約締結権まではという雰囲気がかなり社会的に広がっておりました。連合としても民間の多くの労働組合も、官公労の多くはかつて総評で左の勢力だったのではないのかみたいなことではなくて、素朴に労働組合として労働運動として、これは当たり前だよねというそういう理解は急速に広まっていったと思います。

【加藤】 これは歴史に残すべきポイントとして非常に大事な所だと受け止めていますので、聞き方もすこし変化球みたいになってしまいますが、つまり手足を縛って首を切るとは何事かと、それはもう正義に著しく劣るではないかと、せめて手足は自由にしたうえで切りかかるなら、真剣白羽取りとかでかわせるではないか。という意味では新聞社とか含めて、そこまで酷いことを提案するのならせめて手足の自由ぐらいは与えてやらなければいけないというある種の

【山本】 常識的な

【加藤】 バランスを取る反応だったと思います。

現実対応の中で苦い経験を(自治労など)

【吉澤】 そういう面では少し世の中に誤解があるのかも知れませんが、公務員というのは「親方日の丸」で経営がどうなろうと首にはならないではないかという、多分そういう誤解があるかもしれない。これは論理的には、公務員法において、定員の改廃、予算の減少あるいは過員が生じた場合は、分限免職されますよ、という明確な規定があるのです。ところが一方で、労働基本権が制約されていることから、逆に当局・使用者サイドもこれは簡単にできないという現実的な意識がそこに働くのです。民間で言う整理解雇四原則が公務員は適用されない、とくに労働組合の関与ができない仕組みになっているので、だからこそ丁寧に例えば配置転換を行うとか、あるいは雇用を守るという前提でなんとかならないのかというふうに多分対応されてきたものと考えられます。

 しかしながら実態でいうと、実は自治労では結構苦い経験が、これは70年代80年代で、いうところの地方行革が相当踏み込んで行われた時代には、例えば公立病院の関係とかは現実のところ分限免職というのは起きているのです。でもそれについては組合も何もできない。基本権を制約されていますから。他方で、労使関係としての雇用問題と捉えたとき、免職はおかしいのではないかと言っても少なくとも現行法制度においては、そういうことが認められているので、太刀打ちできない。

【加藤】 うーん

【吉澤】 というのが、やはり現行法制度における歴史であり現実の実態としての事実です。

ストライキでは雇用問題は解決できないというのが民間の経験

【加藤】 いやもうその議論はその後もずっとなにができるのかできないのかとか、やればできるのではないかとか、ということもあったし、それから国鉄を民営化していく、電電公社を民営化していく、つまり政府が抱えている機関、組織を全部民営化していくということです。大きな流れの中で、雇用問題がどんどん発生したし、まあ国鉄の問題でいえば1008人の処遇の問題は、民主党政権になるまで抱え込んできたという流れの中で、では基本権が仮に回復したとして、今の国が大上段に定員削減20%ということを目標化してしまったら、後の後継内閣が全部引き継いでいきますから、権力としては、それは達成しなければならないという状況になった時に、果たしてどういう戦い方が想定されたのか、というところが官民の交流の中で、民間企業における雇用問題はもう戦後から、首切り反対闘争を含めてずいぶんと経験していますから、これはなかなか争議行為では止められないということです。

 ずいぶんと苦い経験を民間は持っていますが、山本さんが連合に入られた時の労働運動の幹部の皆さん方はもう既に世代が変わっていまして、戦後の首切りだとか、朝鮮戦争で一息ついたとか、そのあとも数度にわたって民間の雇用問題、いわば首に手がかかるという事態の経験者はもう大体引退されていたのです。

 私に言わせると仮に基本権が争議行為まで三権全部回復したとしても、戦い方としてどうなのかということについては非常に課題も残ってくるし、なかなか難しい側面もあったような気もしますが、この辺は少しいやらしい質問ですが、どうですか。

人事院勧告制度の矛盾と限界(民間からは見えない)

【吉澤】 三権を少し分けて考える必要があると思います。そこで、争議権と団結権を少し横において、では交渉権って一体どういう意味があるのか。一つは、今の公務員の勤務条件特に給与については国には人事院勧告、地方には人事委員会勧告がありますが、ほぼ一体として考えていただいて構わない。ただ、これは当事者以外の方からすると非常に分かりにくい制度だというところはありますが。では、人事院勧告を踏まえて決定するときに、論理的には人事院勧告とは労働基本権制約の代償措置、自分たちで決められないから、第三者機関による給与の勧告に基づいて決めますよというのを大雑把に申しあげるとそういう仕組みなんですが、人事院も人事委員会にも財政については何の権限もなく、それは政府であり自治体の優れたもう裁量事項というか権限に属しているという関係からどうなるのか。分かりやすく申し上げるといくつかの起きてきた事例があります。一つは、連合結成89年、時代はバブルそしてバブル崩壊に。で、この90年代というのは、世の中全体がものすごく疲弊した時代ですよね。いろんな意味で。その時何が起きたのか、ということでいうと、公共事業の大幅拡大・増発によるところの財政出動によって、景気回復をはかるというオーソドックスなケインズ主義が主流にあった。

 当時小渕政権ですが、この時代のバブルそして崩壊は、今なお我が国社会全体の重圧となっており、さらに相当将来に向けても引きずっていくということになるのでしょうが、とくに自治労の関係で申し上げると、当時地方自治体にも現実的には強制的に公共事業の発動が強要され、当然それが借金つまり公債でまかなってきたという時代があって、それが90年代の後半から借りたものは当然返さないといけないということで相当重たく自治体財政にのしかかってきたのです。自治体財政は大雑把に申し上げると、人件費と公債費(借金返し)それから扶助費、これは生活保護を中心としたものですが、大体その三つの枠組みが経常経費。そして、その中で当時は公債費が膨れ上がり、収入に対して、支出がパンク状態になってしまったというのが、もう全ての都道府県政令市は大体90年代後半から財政運営が立ちゆかない事態になった。そのときに自治体の労使関係で何が起きたかと申し上げると、もう入る分は決まっていますので、出る分をどう抑えるかということでいうと、お金がないので公債費・借金返済を待ってくれとはいえない。扶助費は、例えば生活保護は絶対切れないとなると、結局人件費で我慢してくれということにならざるをえない。そこで、人件費はP×Q(人員×給与)ですが、生首を飛ばすなんて選択肢は当然ありえないので、そうすると全体として一人当たりの給料など我慢してもらうしかないという提案がなされ、最後は労使間で苦渋の選択ながら合意せざるをえない。それは、労使ともに赤字債権団体にするわけにもいかないということで、かなり深刻な事態がおきたのです。見方を変えると、経営参加しているのですね。しかも労働基本権制約の代償措置とされる給与勧告によらないところで、給与カットを決めざるを得ないということですから、現実的に交渉が機能しているのです。交渉権が。これは地方公務員の事例です。

 国家公務員で申し上げますと、2011年東日本大震災、国の財政は相当の借金をその時点で、公的債務を抱えていますので国民に復興のために、これは今も続いていますが、所得税・法人税含めて負担(復興税)をお願いせざるを得ないという時に、では国家公務員として何もしなくていいのかというもとにあって、当時の民主党政権との関係でしたが、7.8%の給与カットを2年間で復興のための財源として6000億を負担するということを私どもとしては労使合意、つまり交渉により決めた。以上、労働基本権制約の代償措置とされる人勧ではなく、労使関係・交渉により決定したという二つの事例を紹介しましたが、ではこのときに世の中の反応はどうだったのか。是非の問題は別ですが、公務員の基本権ってなかなかやるじゃないかというふうに実はマスコミから評価されたというのは記憶に新しいところです。ただ一方で、例えば国家公務員の組合では相当数の脱退者を生じることとなりました。

【加藤】 減ったよね。

【吉澤】 はい。ですから経営参加という問題と、そのことがどういうふうに我々組合にとってもあったのか、やはり事実としてそんな経過をお話ししておいた方がいいかということで。

「3.11対応の賃金カット」は経緯を含め高い評価

【加藤】 民間の労働組合の立場から、一連の官公労の取り組みをどう受けとめていくかということが大事なことだと思っています。だからいま言われたように柔軟に、ある意味大胆に対応されたという評価でした。それは言わば根拠法がない、基本権を支える底のところはまだ整備されてないのに、実態論的に交渉テーブルについて当事者としての役割を果たしている。それは何かを獲得するための交渉ではなくて、自分達として負担をしていく、つまり7.何%の給与減額です。やはり減額に応じるという対応を、責任をもってやっているという、このことが評価されるべきことだと思いますが、しかし、それで何が得られたのかという疑問も残るわけです。

 理屈としてあの時は責任ある交渉にしっかりと対応しているという現実が先行することによって、交渉団体として信頼されるのではないかということで基本権の回復も世論的には許容されるのではないかということが、実は期待感としてもあったと思います。

 ただ問題は、基本権問題はILOにおける取り組みが長く、やはりロジカルにきちっと書いた文書で双方を縛り合う、結構厳格な取り決めを、例えば国会で批准するぐらいの中身でないといけないのではないか。お互いうまくやれたねという現実だけでいいのか、つまり慣例や事例があったから後世、その慣例を評価して裁判所もいいと判断してもらえるという、民間の労使関係ではいいかもしれないが、やはり国家組織を相手にしている官公労組としてそこのところは厳密にやる必要がある。でないと単に「働く側が損した」と表面的に受け止める人がでてくるかもわからない。

 だからそれを含めて、吉澤さんの立場でいうと結構背負っておられるのではないかなと思います。そこのところに、民間労働組合が共感していく場面がありうるのか。また、どういうふうに伝えていくのか。それは民間の労働組合において、それはそうだね、よくがんばったねという共感の場面が広がっていくものなのか。

 これは2011年段階の話ですが、それ以前では地方自治体におけるいわゆる定員削減問題、これは結構給与カットで切り抜けていて、例えば北海道なんかも大体10%給与削減を先行させていました。だから民主党のマニフェストでは10%人件費カット、それを岡田さんが20%に増やしました。10%カットの議論をしたときに、もう地方自治体においては50数%の単位自治体が施行済みになっている。みんな済ましているという議論をやってきたわけです。

 まあ2006年の段階で、翌年には民主党が追い上げているという状況下で、自民党の中で労働組合や連合の窓口としていろいろと対応してきたのに、知らぬ間に共同宣言(民主党、連合)を結んで、自民党政権を倒すために参議院選挙であれだけ協力し合っている。はっきり言ってもう協力はしないという雰囲気になっていきました。

 これは政権交代という歴史的な出来事に巻き込まれていった部分もあって、本来基本権の回復というのは、そういう政権交代とは独立したところで、難しいかも分かりませんが、ある種中長期的なレンジの中で、基本権回復はどの程度どこまでどういう理屈で、またそれは国民からどう理解してもらえるのか、という文脈において主要な政党であった民主党と自民党が意見交換をし、方向性の一致が得られたということでないと、まあ政権交代の勢いで成し遂げられるものではない。当時の公務員制度改革の取りまとめ事務局長であった私としては歴史観から言っても少し無理筋になるかもという思いはありましたが、山本さんその辺はどうですか。

基本権を認めず、現状の問題を解決していくのには無理があるのでは

【山本】 先程も申し上げましたが、省庁再編で2001年に新しい体制に移行して行政改革について言えば一段落しました。で、残ったのは公務員制度改革ということで公務員制度調査会が立ち上がります、2001年に。でここでの認識は、基本権は動かさないというスタートでしたが、それが2005年の段階になって行革の重要方針を自民党が決めて、ここでは明らかに以前よりもはるかに踏み込んだ定員削減の問題、賃金カットの問題があったものですから、基本権制約というこれまでの方針を見直すことも否定しないという方向に一歩変わったわけです。その際地方ではすでに定員削減とか賃金カットとか、そういう嵐が吹き荒れていたという経過があります。ただ、その時に地方自治体の職員、自治労を中心として、地方公務員部隊は、誤解を恐れずに申し上げると制度的限界はありましたが実体的に労使関係は機能していたのです。

 だからそれはどういうことかっていうと今回しんどい状況を飲むけれども、実はそうじゃない逆の(何かを)、とってくることもあったわけです、事実上。しかし、事の性格からして、こういう定員削減、本来であれば法律や条例に基づいてなすべき制度化されたもの、言ってみれば力づくで、政策を遂行しようということになれば制度としてもきちんと担保しないと具合悪いよね、という流れですね。でそのことについて言えば連合というものができたことによって、公務員であろうと民間であろうと、同じ労働者の仲間だと、まして労働運動の一丁目一番地、生首がかかってきたら、それはしっかり基本権問題を始末つけるのが当たり前だし応援するよ。で経済界もマスコミもそういう意味での一定の理解というか、スト権までいいという人も居ましたが、そこまでいかなくても最低協約締結権は認めようということについて社会的に、許容されるムードが大きく広がったと思っています。

 では具体的に基本権をどうするかという議論になると、これはその判例法理はどうなっているのか、その制度論として基本権を付与することはどう平仄が合うのか合わないのかとか、そういう神学論争的なことは政治的に避けられません。教員の場合異常な長時間労働をやっています。中学の教員は今、半数以上が過労死ラインを超える時間数になっています。それがほんのわずかの教職調整額で法制上問題なしになっている。

【加藤】 4%でしたか。

私立学校の教員にはスト権まで付与されている 教育労働者を理由にした制限は破たん

【山本】 その4%のもとの方、賃金本体の方も縮められてきていますが、それは置いといて公立学校の教職員は交渉協約締結権もなければ当然スト権もない。ところが文科省の学習指導要領のもとに教育実践が義務付けられている私立学校の教員はスト権まであるわけですよ。そうすると、教育労働者だから基本権を制約しなければいけないという理屈は成り立たないわけです。そういう極めて政治的な、同時に官意識、あるいはお上意識という、吉澤さんも言われていた、非常にねじ曲がったものを解いていく作業のようなものが運動のなかでは避けられません。同じ教育労働に携わっていても私立か公立かで働く者の人権が差別化されていることによって民間の労働者、民間の仲間たちも少し分かり難いとか、確かに基本権というのは民間と違うのか、と思われたりして、そういうマイナスの効果の方がいつもつきまとったりする。

【加藤】 うーん。(横で聞いている)中堤(事務局長)さんも、こういう話を聞いていてやはり民間からみると良く分からないという事でしょう。僕も分かるようになったのはずいぶん時間が経ってからですよ。

 今言われた局面が一歩前進すると次のステージではにわかに神学論争的にいろいろなグループがどんどんこのテーブルの上にいろんな立場から

【山本】 出てくる。

【加藤】 出てくる。で、結果的にあまりにもテーマが多すぎていわゆる処理ができなくなるということから仕事が遅滞して列車が遅れていって、結局列車が到着しないではないかと、なかなか待っても来ないではないかというような僕は宿命論のようなマイナス面があったと思います。ということで、一つは政権交代してしまえば、その余分の雑音だとか余分な仕事だとか神学論争はある程度整理ができて、本体の一番大事な基本議論をしっかりしたうえで国民の皆さん方にも納得がいく形で説明もするし提起もできたのではないかというのが政権を獲得した2009年の830日以降の、山本さんも含めて、連合の首脳陣それから吉澤さんも含めて、ある種の期待があったと思います。それが20107月の参議院選挙の結果、参議院がねじれて、民主党政権として力を失ったということが。

20107月参議院選挙が大きかった(残念)

【山本】 そこがやっぱり一番大きかったと。

【加藤】 2010年の7月の参議院選挙では菅さんが消費税について日替わり的に発言を変え、失速しました。まさにあの参議院選挙ですね。あの時点で参議院を失ったことが。

【山本】 もう全てですよ。

【吉澤】 そうですね。

(前半はここまでとします。続きは第9回です。)

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【講師】吉澤 伸夫氏、山本 幸司氏

山本幸司氏:労働者福祉中央協議会 アドバイザー、日本労働者協同組合連合会 顧問(副理事長)
1990年再建埼玉教職員組合書記長、1998年日本公務員共闘会議事務局長、2003年公務公共サービス労働組合協議会事務局長、2007年連合副事務局長、労福協副会長、2011年(公財)日本労働文化財団専務理事(2015年退任)、2015年労福協専従副会長退任、同参与。法制審議会民法成年年齢部会委員、国家公務員労使関係制度検討委員会委員他
吉澤 伸夫氏:公務公共サービス労働組合協議会事務局長
1987年10月 鹿児島県霧島町職員組合書記長、1989年10月 自治労鹿児島県本部執行委員、1994年10月 鹿児島県霧島町職員組合執行委員長
1995年10月 自治労鹿児島県本部書記次長、1999年 9月 自治労本部中央執行委員、2007年10月 公務公共サービス労働組合協議会事務局長(現職)
1960年2月生まれ(58歳)

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