研究会抄録

ウェブ鼎談シリーズ(第10回)「労働運動の昨日今日明日ー労働運動と生産性ー」

講師:山﨑弦一氏、中堤康正氏

場所:電機連合会館4階

 日本における民間労組の多くは企業別に組織化され、企業内での活動特に福利厚生、能力開発、経営参加などに積極的に関与しています。国際的にもユニークな存在となっています。また改善活動など現場における効率化などに対し協力的で企業競争力を支えています。特に生産性向上運動は労使協同事業とも思える内容でありまた長い歴史を持っています。今回、この生産性に関し先駆的な取り組みを展開してきた松下電器産業(株)で社員としてまた組合役員として多方面における活動にかかわってこられた山﨑弦一氏を中心に「労働運動と生産性」について、研究会事務局長の中堤康方氏を交え鼎談を繰り広げました。学術博士をお持ちの、いわゆるコースドクターは労働界では珍しい存在ですので、労働運動へのかかわり方についてもご自身からお話しいただきました。最近、政治の世界においても生産性という言葉の使い方をめぐり議論がありましたが、本来の意味に立ち返り、経営との関連も含めオーソドックスな議論になったと思います。国際化が激しく進展する経営環境にあって労使ともに生産性について議論を膨らませるべき時期と思います。その一助となれば幸いです。(2018年10月11日午後収録)
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加藤  今日は、連合大阪山﨑会長をお迎えし、研究会事務局長の中堤さんにもご参加いただき、労働運動と生産性についてお伺いしながら、議論を発展させたいと思っております。最初に、山﨑会長からエピソードを交えながら、お話をお願いします。

鉄工所の息子です

山﨑  私は1957年の生まれで、61歳になります。生まれたのは大阪市内で、父親が鉄工所を営んでおりました。私が生まれた時はまだ小さな工場で、2階に自宅があって下で工場をやっていました。そのうち昭和30年後半から40年にかけて、非常に景気のいい時代を迎える中で、工場も拡張いたしました。まあ大きいという程でもないですが、新しい工場を作りましてその当時は元気よくやっていたと思います。

 その後、私も弟も後を継がなかったものですから、もう廃業して20年ぐらいになるのでしょうか、父もすでに亡くなっております。父がそういう鉄工所を経営していたので、子どもの頃から、仕事の手伝いをしながら、仕事ってどういうことなのかとか、それからある意味マネジメントみたいなことも、教えられたと思います。

 また、後から考えますと生産性というようなことも、当時その言葉を使った記憶はないですが、教えられたと思っております。で、父は鉄工所を本心は私に継がせたかったと思います。私は、小学校のころはあまり勉強が好きではありませんでした。父は公立の中学校ではなくて、中高大と入ってしまえば大学まで自動で出られるという私立中学に入れました。男子中学高校でしたが、自営業をされている家庭のご子息が多く、将来的にもそういう人間関係が役に立つだろうということを、おそらく考えて入れたのだろうと。その当時私は坊主頭にならなくていいということだけに惹かれて、まあいいよ、ということで行き始めました。ところが中学校に入って勉強が面白くなってきまして、比較的成績が上位になりましたので、そのまま私立大学に進学せずに、国立大学に進学しました。父は喜んでくれまして、お前が国立大学へ行くと安い授業料で済むので、払った税金が返ってくるようなものだと喜んでいました。それと、もう一つは小さいころから、父親がこれからの時代は電気だ、電気だと言っておりましたので、自分の頭の中も、電気科というものがもう出来ていた部分もあって、工学部の電子工学科に入学をするということになるわけです。クラブは探検部です。昔、川口浩という人がいました。彼がテレビ番組でやる以前から私自身洞窟探検をけっこうやっていました。

 それで大学を出て大学院、まあ修士ぐらいは出たほうがいいだろうということで、修士課程を出たのですが、ちょうど私が修士課程を終わるころに博士課程が出来たということで、指導教官から、博士課程を勧められまして、学科ができて、誰もいないというのは困るということで、多分呼ばれたのだろうと思いますが。それで博士課程へ進学して、3年間おりましたので、結局、大学4年、大学院5年ということで大学に9年間おりました。もともと博士課程に進学するときに、大学の先生にはなりたくないと思っており、ビジネスをやりたいと思っていたのです。父親の鉄工所を継ぐことは考えておりませんでしたが、当時、もっとも最先端であった半導体の研究をやっていまして、もちろん親父の鉄工所で半導体はできませんので。博士課程をでて企業に就職をするということで、結果的に、松下電器の中央研究所に入るということになりました。この時先生からは、富士通と松下電器をすすめられました。これは、博士課程でやっていた研究と関連する研究をやっている企業ということで薦められたわけです。

 どうしようかなと悩んでいましたが、まあ大阪だし、父も松下電器からの仕事もやっていたということもあり、松下電器に入ったのです。今から思い返しますと、その時富士通に入っていれば、今のように労働組合の役員はやっていない可能性があると思います。

加藤  なるほど、別な役員をやっていたかもしれませんね。

中堤  そうですね。

その父親の鉄工所でいろいろ学びました

山﨑  富士通の親しい組合役員の方にはよくこの話をしました、ひょっとしたらおたくに入っていたかもしれないと。まあですから、もともとは研究者といいましょうか、そういう出身ということになります。しかし、父親が鉄工所を経営していたこともあって、子どもの頃から現場で働いておりましたので、その時に、最初に生産性ということを勉強したのが、その現場だったと思います。

 手伝いで仕事をした日に、家に帰った父から「今日いくつ生産できたか」と生産量を聞かれるわけです。機械にはカウンターが付いていて自分がやった数字が出ていますから、今日はいくらだというと、父が「そうか」と「サボっていたのではないか」と言われて、「何で、サボってない」と答えると「いやいや、お前の隣で同じ仕事をしているパートのおばさんが、あなたより2割増しの生産量を上げている、だから君はサボっていたのではないか」という話をされて、「いやサボってない、一生懸命やっていた、言われた通りにやっていた」と言うと、隣のおばさんと何が違うのか、明日よく見てみろと言われたわけです。要するに、同じ仕事をしているのだが向こうの方が、タクトタイムが速いわけですね。

加藤  そうですね、作業研究的にいえばそうなりますね。

山﨑  だから、ああそうか、部品はちゃんとこういうふうに置いて、その部品を機械に入れてガチャンとやって、出来たものをここに並べるとか。そういう流れが非常にうまくできているなあということがわかるわけです。その時に勉強して、だからそういう意味では、それがおそらく生産性ということで、今から考えれば生産性との最初の出会いということなのかなと思います。やはり一日中同じ仕事を繰り返して、単純作業をやるのは大変で、だれてしまいますが、ちょっとした工夫をすると、生産量が上がり褒められたりすると、面白みがそこに出てくるのだろうと思っています。

 その後いろいろな仕事を経験してきたことも踏まえて、仕事の面白さとは、何か言われて、いやいややっているのでは不幸なので、それをどうしたら面白くなるかということを考えることが大事ではないかというのを教わったような気がします。父は一応社長ですから、朝10時ごろになると喫茶店にコーヒーを飲みにいくのですが、出ていく前に私のところへ来て囁くわけです。「ちょっと今からコーヒー飲みに行くんだが工場の中をよく見ておけ」と。「彼と彼が必ずサボるから」というわけです。そういうことを聞かされて作業しながら何気なく見ていると、あ、本当や!みたいな、父が出ていくとやっぱりサボるんだという、子供の頃にそんな経験をしていました。

 給与計算も父と母と二人でやっていましたから、その頃パソコンなんてありませんから、そろばんで計算して、それを明細に書いて、私とか姉がその明細をみて現金を袋に詰めるんです。また、春になると昇給がありますが、両親が二人で鉛筆なめながら、この子は今年よく頑張ったからちょっと上げてやろうかとか。そんな事を子供のころから見ていました。

加藤  なるほど、横で見ていたわけですね。

山﨑  見ていたり、手伝ったりしておりました。そういう意味ではもともと研究所で仕事をやっていましたが、俗に言う研究オタクではなく、結構現場の仕事だとか、管理ということも自然に身についていった気がします。

加藤  なるほど、管理とかもですね。

山﨑  それは父親の影響が非常に大きいと思います。父は文句も言わずに好きなことをやらせてくれました。それから、大学院最後の3年間だけは奨学金をもらいました。1ヶ月7万円でした。7万円×12か月×3年ですから252万円です。それだけの借金を背負って学校を出てきました。今の時代、奨学金が大変重たいものになっていますが、私の場合、利息なしの20年間返済で、毎年12万円くらいですか。1カ月1万円ちょっとの返済。大きな負担ではなかったです。ただ、家内と結婚したときに最初の年末が来て、ボーナスが出てそこから振り込んでおいてと言って、振り込みをお願いしたのですが、えらく叱られました。私はそんな借金のある人だとは思わなかったと。何で私があなたの借金を返さないといけないのよ、と言われまして。そういう意味では奨学金というのは、それなりに色々なところに影響があるということだろうなと思います。

労働組合ではスピード出世?でした

加藤  今和やかな雰囲気で、自己紹介をかねてお話をいただきましたが、労働組合との出会いは。

山﨑  労働組合は会社に入って4年後ですから1988年です。松下電器はユニオンショップ制ですので、ドクターであろうと何であろうと組合員です。松下電器労組の中央研究所支部で支部委員を頼まれました。職場で順番にまわってきますし、年齢的には31才ぐらいですから、まあそういうことなのだろうと思って引き受けたということです。2年間支部委員をやっていたのですが、当時の執行委員の方から、自分が退任するのでその代わりに支部の執行委員をやってくれと。しかもその執行委員ですが、平の執行委員ではなくて副委員長でという事でした。

加藤  いきなり副委員長で。

山﨑  それはちょっと抵抗したのですが。これもしゃーないかということで、おそらく労働組合の役員をやっておられた方は、そういう感覚がお分かりなると思うのですが。しゃーないなと思って、これも2年間やっていたのですが、今度は支部の委員長やってくれというわけです。

加藤・中堤  うん、うん、そうなるな。

山﨑  私は笑い話で言っているのですが、組合役員としての出世はものすごく速いと。

山﨑  平の職場委員を2年で、すぐ支部の副委員長になって、また2年で支部の委員長やっていますからね。

加藤・中堤  たしかに!最短コースですね。

山﨑  支部の委員長にという時には、当時の会社の上司も含めて反対でした。組合の役員をやるために会社に入ったわけではないと。

加藤  はい、会社の教育投資だってありますから。ずいぶん教育投資もされているし時間もかけているのに、何で、労働組合委員長なのかということですよね。

山﨑  それで当時の研究所の所長からも呼ばれて、「こういう噂を聞いているけど本当か?」と。「その通りです」と。「で、やるのか」と言われたので、「いや、それはやりたくない」、「お断りをしている」、「でもしつこく言われている」と答えました。そうしたら「私からもちょっとアプローチするわ、勘弁してあげてほしいという話だな。」と。「ぜひお願いします」ということになったんです。そうしたら、しばらくして当時の支部長に支部長室に呼ばれまして、そこで「まあ掛けろや。」ということで腰かけると、あんたに投書がきているのだが。」という話で、「投書って、私、別に悪いことした記憶がないので、何の投書ですか?」と言ったら、読めって言うんです。開けて読んでみると、当時の所長さんが、いろいろ書いておられるんですね。直接言えばいいのにと思うのですが、いろいろ書いておられて便箋に「ぜひ職場に返して欲しい」というわけです。

加藤  副委員長時代は専従だったのですか。

山﨑  専従じゃないです。

加藤  非専従ですね。

山﨑  それで、読み終えて便箋を戻して、「どうだ」という話になって、「いや、だからここに書いてある通りです。ぜひ職場に戻して欲しい」と、「もう2年間支部委員、副委員長2年やって4年間、一応貢献したではないですか」と話しましたら、当時の支部長が「分かった」と言ったんです。あ、やったと、これで逃げられたと思ったんです。その後、彼はおもむろにその便箋封筒を持って立ち上がって、ゴミ箱のところ行ってビリビリビリと破って捨てて「これでいいだろ」と言ったんです。

加藤  なにか狐につままれた感じですね。

山﨑  それで結局心を動かされてしまうわけです。そこまで言ってくれるのか、と。

加藤  なるほど。

古賀伸明氏に呼ばれて労組本部へ、やがて中央執行委員長に

山﨑  やってほしいという強い思いを、ひとつのパフォーマンスでしょうが、ということで心が動いて、じゃあやりましょうか、ということになりました。そのころ組織再編があって、R&D支部と言っていましたが、そこの委員長ということになりました。R&D支部の委員長をやって2年後には、全社には研究所がいくつもありますが、それをまとめた形の連合支部というのがあり、そこの委員長もやる事になりました。

 支部長になったのが1992年ですから、研究職として仕事をしていたのは8年間ということになります。その8年後、2000年になって、もういいだろうということで、退任する準備をしていたら、当時の松下電器労組の古賀伸明(前連合会長・元電機連合委員長)委員長から電話がありまして、「おう山ちゃん、久しぶりに飯でも食わんか」というわけです。

 ところが、その2年前かな4年前かな...研究所から一人本部に送っていたのですが、その時も古賀さんから電話があったのです。その時は私自身の身が危ないと思ったので、「人事の話やったら行かへんで!」と言ったのですが、「お前じゃない。別の人を出して欲しい」という話だったので、それでは協力するわという経過があったので安心していたのですね。一人出していたのでね。それで、気軽にいいですよって行ったら「お前が本部に来い」と言うわけですよ。「いやいや、うちから一人出してるやんか」と、「いや、彼は退任や」と、「その代わりにお前が来い」ということですね。で、「いやいや僕はもう降りる準備をしているし、復帰する職場もほぼ固まってきているし、本部に行ってしまうと更に長くなる」、「そういうことで会社入ったわけじゃないし」と、そんなことも言いながら、私、言ったんですよ、「あなたは私の人生を変えるつもりか!」と。そしたら古賀さんが言った話が面白くて、「せやなぁ、すまんな」と。「だけどな、俺も変えられたし。ええやんか」と。結果的に、2000年に副委員長ということで本部に上がることになったのですが。その後古賀さんが電機連合に出られたりして、2004年には松下電器労組本部の委員長ということになりました。

加藤  本部に行って、4年で委員長になられたわけですね。

山﨑  そうです。

加藤  松下電器労組も大変多くの組合員さんを抱えて、支部の数も、拠点数もずいぶん多いビッグユニオンで、そこの最高責任者になったということですね。松下電器の役員さんの中でも、先ほど言われた結構スピード出世、出世というのかどうかはともかく、非常に短期間に、もともとの発射台が高かったということもあると思いますが、本部の委員長なられたときには何歳ですか。

山﨑  委員長になったのは2004年ですから、47歳です。

 ですから、その当時の大先輩に若造ですが、とご挨拶をすると、俺たちがやっていた時はもっと若かったよ、という話がありました。

働くことと生産性の繋がりについて

加藤  たしかに有名な高畑さんも含めて委員長になられたのはまだ30才前後ではないですか。だからそれは時代がそうですけど。

 そこで「生産性」をテーマに捉えたのは、山﨑会長からお話の中で、先ほどの子供のころの経験があったというか、こういうふうなことを聞きながら、日本人にとって働くということは苦痛なのかどうかというテーマがありまして、ヨーロッパでは例えばキリスト教の影響を受けてそれは神が与えた罰だからということで、労働が苦役だというこういうふうな考え方と、ところが日本人の職場、特にモノづくりの現場を見ますと、働くことは決して苦痛ではない。先ほど言われたある種の喜びでもあり、そしてさらにやりがいであるとか、あるいは社会的な貢献だとか、自分を高めるという意識が強いとも言われます。松下電器は、そもそも創業者の松下幸之助翁ご自身の意識が時代の中では最先端というか、非常に高い意識をお持ちで、経営者としてその後の日本社会にも大きな影響を与えていくわけですが、いわばロジカルにあるいは数値的に生産性と言う前に、「働くこと」をどう労働組合は捉えていくのかと、例えば産業用ロボットが30年前に導入されたときに、諸外国では自分たちの対抗相手だという見方が、特にヨーロッパとかアメリカでは強かったのですが、日本の社会はモモコちゃんとかニックネームをつけて共存するというのか、そういう風土があったと思います。このあたりは会長どのように捉えていますか。

働くとは傍を楽にすることと教えられた

山﨑  ちょうどたまたま、今年の7月、今は松下と言わなくてパナソニックといっていますが、労働組合の顧問という立場をいただいておりますので、顧問就任の挨拶で大会に伺ったときに話したことがあるのですが、私が教えてもらったのは、働くというのは「傍を楽にすることだ」という事です。

加藤  傍を、周りをという事ですね。

山﨑  周りを楽に、だから要するにチームワークですね。お互いのそういう気持ちで働くということが大事だと。ただ一方で「働く」という言葉の最後に「く」がついている。で、それは実は楽なことではないと、やはり苦しいことでもあると。

加藤  なるほど

山﨑  だけどその苦しさを乗り越えて行くのがまさにチームワークであったり、仲間であったり、同じ会社の同僚であったり、という考え方を持った方がいいのではないかということを、言われた事がありました。私も労働組合の役員がずいぶん長いですが、さっきおっしゃったように松下電器ですので、松下幸之助イズムがものすごく染みついている部分があるのです。だから私の労働運動のなかには松下幸之助さんの労使観がベースにあります。私がこれまで経験した中で、今申し上げたことが言い得て妙だなと思っています。だから今も仕事というものは簡単ではないし、それを乗り越えて行くためにはそれなりの苦労もしないといけない、それを乗り越えることによって自分の成長があって、その成長が周りから認められるという好循環を作って行くことが、良いのではないのかなと思っています。

加藤  高度経済成長期、特に各家庭に家電品が普及していくと、また、例えば電機産業が発展することによって付加価値がいろいろな分野に波及していく。その流れの中で購買力ができて、さらに高価な家電品の購入ということで、いい感じで日本経済が回ったという、今思えばユートピアのようなことでした。その最前線に松下電器株式会社という企業体があって、そこが労使関係だとか、マネジメントグループと現場というこの関係において、いわゆる働きがいに繋がる仕組みを作り上げたし、別に松下電器だけではなく、その他の企業の皆さん方もさまざまな活動をやってきて、それが日本の戦後のモノ作りの成功物語としてありえたと思います。で、そのときに例えばアメリカだとかヨーロッパの企業の現場でいうと、形式的に出来高だとか、時間あたりという管理上のノルマというのか、狭義の意味での生産性を前面に出す管理理論というものを展開してきたわけです。しかし日本の場合は最先端を行っている松下電器においても、ややそこのところは情緒的に、いわばチームワークを中心におき、ある意味計数性を排除したと思うのですが、しかし結果として企業は計画通り成長している。

 ここのところを工学博士の会長に是非お伺いをしたい。同じ生産性という概念を用いたとしても、方法論として違っていたのではないのかと。で、このことが生産性の議論したときも、出発のときの生産性についての私たちの理解がいわばそういう理解であったために、計数性だとか科学的な分野とは違った受け止め方、もっと言えば夢を追いかけていた感じもあったのではないかと思ったりするのですが。

1959年のヨーロッパ生産性本部のローマ宣言

山﨑  確かにそういう数字というデータで管理をしていくということもあるのでしょうが。それも重要だと一面思います。が、やはり心の問題っていうのか、私は現在関西生産性本部の副会長をしておりますが、今会長をされているのが、レンゴーという段ボールを作っている会社の会長・社長さんです。この方がいつもおっしゃっているのが、私もそれで勉強したのですが、1959年のヨーロッパ生産性本部のローマ宣言というのがあります。そこには「生産性とは何よりも製品の状態であり、現存するものの進歩、不断の改善を目指す精神の状態である。それは、今日は昨日よりも明日は今日よりも勝るという確信である。それはまた条件の変化に経済生活を不断に適応させていくことであり、新しい技術と新しい方法を応用せんとする努力であり、人間の進歩に対する信念である。」と書かれていて、要するに心の持ちようだと。

加藤  いや不思議な感じがします。

山﨑  私はやはりそうだなと思います。それで、少し調べてきました。松下幸之助も同じようなことを言っているのです。「難しい職場ほどおもしろい」と。

加藤  うーん、なるほど。

山﨑  職場に配属されてああいいところに来たな、という人もいるし、えらいところへきたなという人もいる。しかしどこへ行ってもいいのです。その人の考え次第によってそれが成功への場所(配属先)です。人間は悲しみだしたら際限がなく、やはりこれは心の持ち方です、っていう創業者の言葉が残っているのです。もう一つ紹介すると、これも松下の元社長で山下俊彦さんという、この人は工業高校を出られて。

加藤  十何段跳びの社長就任と聞いていますが。

「仕事が楽しみならば人生は極楽、仕事が義務ならば人生は地獄だ」

山﨑  ええ、社長になられました。で、「僕でも社長が務まった」(1987年東洋経済新報社)という本があります。それによると、山下さんは入社後しばらくの間はなかなか仕事に身が入らずに悶々とした毎日をおくっていたらしい。そんな折に出会ったのが、「仕事が楽しみならば人生は極楽、仕事が義務ならば人生は地獄だ」という、ロシアの作家ゴーリキーの「どん底」の中でのセリフであったと。で、これを読み、一瞬目から鱗が落ちる思いがした。更にその後「之を知るものは之を好むものに如かず、之を好むものは之を楽しむものに如かず」という論語の一節にも出会った。だから、仕事を楽しむからこそ良い仕事ができるという考え方をベースにするようになったと書いておられます。ということでありまして、だから私は先ほどのローマ宣言と、松下幸之助さんの言葉が通じている部分があって、これだけ近代的な、スマホを使ってパソコンを使っている社会ですが、仕事に取り組んでいく心の持ちようですか、これが大事ではないのかなと。で、高度経済成長時代というのはやはり皆、お金、物でした。それがバブル崩壊で時代が変わったと思います。で、幸福論では、人間の幸福度は一定の金銭的なところにいけばもう飽和してしまうと。

 だからもう一つ幸福度を上げようと思うと、もう一段その価値観の変換みたいなことをしないと上がらないといわれているのです。そういう意味で今、高度経済成長が終わり、人口がどんどん減少してきて、まあ働き方改革をしなければいかんとか生産性をあげなければいかんということを一生懸命、それこそ係数的にいうとそういう話になるのですが、でもその根本は、働くということに対してそれぞれ皆さんの意識をどう上げていくのか、で、働くことの質をどう上げていくのかということが、私は本来的には問われているのではないのかなと。だから、掛け声だけかけて、生産性を上げろと言われても、多分うまくいかないのではないかと思います。

加藤  そうですね。少し視点が変わりますが、30年ほど前から、いわゆるMBA、経営管理学士という称号をハーバードビジネススクールだとかで受けたマネジメントの流れがありました。当時、戦後の混乱期を乗り越え、労使紛争期を乗り越えた労使関係を論ずる人達が引退されていった時期です。で、そういう若手の、管理技術に精通した方々が企業の中で頭角を現していった時に、業績をどう考えるかとか、賃金と業績の連動性をどうするかとか、そういう経営学的なアプローチが喧伝された時代があったと思います。それがある意味企業の中では新時代だという認識ができて、いろいろな動きが出てきたのですが、今落ち着いて考えると、あれは何だったのかと。それが一体企業の中で何を残したのか、例えば評価制度だとか、いろんな管理手法がコンサルタントの手を通して紹介されたし、導入実施された。まあしかし嵐の後の畑の状態というのでしょうか、やはり何だったのかなと疑問に感じることも多いのです。そういった手法よりもむしろ今言われた本来的に仕事が楽しく面白く、そして意義を見いだせれば、それに勝るものはない。それで皆が一生懸命働けばという伝統的な、今のローマ宣言に近いような状況が実現している職場もたくさんあると思います。

 経営管理的な手法による生産性、そしてそれを運動として推進してきたことについてどうだったのかということはどうでしょうか。

ディベートをベースにした制度は日本人には馴染まないのでは

山﨑  だから、たとえば成果管理がありますね。私もやり始めたころから関わっていますから、もう30年ぐらいですが、あの当時は必要だと思っていました。

 きちっと成果を評価して、フィードバックをして、どこが足りないとかこれもうちょっと頑張ったらいいよとか、そういうコミュニケーションをとって、やっていくのがいいだろうということで、やってきた経過がありますが、今はちょっと失敗だったのかなと思っています。それは日本人には、あまり馴染まないですよね。

加藤  日本人にそういう手法が馴染まない。

山﨑  ではないかと思っているのです。今の若い人はどうか知りませんが、要するにディベートみたいなことになるわけです。だからアメリカ的な成果管理というのは、上司が例えばあなたはC評価ですと言ったら、いやいや俺はCではない。

加藤  いやそうじゃないという反論をして

山﨑  なんでCなのか。こうこうこうだからCだと。いや違う、こういうことで俺はBだと。そういうことを、きちっとやらないといけないのですが、日本人はそれが得意ではない気がします。

 もう一つは、こういうことを言ったら生意気かもしれませんけど、尊敬できるような人が、例えば企業経営者とかに、さすがにあの人は人物だなとか、あの人の教えを乞うてみたい、という人が少ないのではないかと思います。私なんか若い時にこの労働組合の世界に入って、その当時の経営者の皆さんと話をしていると、「わーすごいな、そんなこと考えているんだ」とかですね。私が労働組合の世界に足を踏み入れた時に、最初のいわゆる師匠が、これは会社の副社長でして、この人にいろんなことを教えてもらいましたが、いやー凄い人だなという尊敬の念がありました。最近はどうなのかなと思います。それから企業不祥事が多いですよね。隠ぺいしたりとか、中央官庁でもやっていますが改ざんしたりとかで、私は、言い過ぎかもしれませんが、そういう成果管理の一つのマイナス面が表れてきているのではないかなという気がしています。だから、その成果管理だけで良い点だけを取っていく人がそのままトップマネジメントになれるのかなと思います。

加藤  大経営者になれるかと。

山﨑  大経営者にしていいのかというと、多分違うのだろうと思います。ですからそれは職場でも同じで、課長さん部長さんという人達は、そういう「マインド」というんですか、それを持っている人を育てていかないと、なんか技だけは得意だけど、気持ちの無い人に人を育てられるのだろうかとか、そういうことを感じたりします。

加藤  話の奥行がだんだん深くなってきて、中堤さんはどういう感想をお持ちですか。

中堤  全く同感です。別な観点ですが、役割給と職能給とがあったと思うのですが、ある時期から役割給に給料制度、資格制度を変えた時から様子が変わった感じがします。職能給だと、自分の事を棚に上げてしまう事になるのだけど、今はまだまだだけど、自分が潜在的に持っている能力が生かされて、明日はもっと良い仕事ができるはずだ、もっと良い給料になっていくはずだと希望を持てるような仕事の仕方、そういうのがある気がするのです。ただもうコストに見合わない人も出てきたので、役割給に変わってしまって、あなたはこの役割だからこの給料ですよという形になったので、そこに、職場の気持ちの持ち方に変化が出たように思います。

加藤  (職能給の場合)では例えば自分としてはまだまだだけども、能力はあると思えるという事ですか。

中堤  まだ自分で自分の能力を出しきってないが、その可能性はあると思えてしまうという事ですね。

加藤  江戸の昔からうぬぼれと瘡気の無い人は居ないというぐらいの、人間にとってうぬぼれは生きる原点というか力だと思いますが。そういう人に、あなたの仕事はこれだからと仕事が先になって、初めに仕事ありきで決められると、本人にしてみるとでは明日も同じ仕事なのか。給料も変わらないのかという、なんかマインドに影響するということですか。

中堤  そんな感じがしました、自分でね。役割給だと、「私はそういうことなんですか」みたいに割り切ってしまう感じになったように思います。

成果主義で経営者が育つのか

山﨑  だから何かしら自分の仕事が社会の役に立っているという、これは創業者の松下幸之助さんの考え方ですが、無駄な仕事というものはなくて、それぞれみんながやっている仕事は、その製品を通して社会のお役に立っている、そういう立派な仕事をしていると考えなさいと言われていたと思います。そうすれば、もっと良くしよう、お役立ちを上げるためにはどうしたらいいのか、という方向に転がっていくという教えだと思います。

 ですから、これもどなたかが言っていましたが、一つの山を越えると、つまり良い仕事をすると、次の良い仕事の声がかかると。それが終わるとまた次の良い仕事の声がかかると。そういう好循環をやっていくということだろうと思います。

加藤  今会長が言われたのは、成果主義などには良い面もありますし、私たちはしっかりと使っていかなければならない。またコミュニケーションツールとしても優れた面もあると思います。ただし、アメリカのようにディベートの結果、つまり交渉で自分の評価を上げていくのはまだまだ日本人には馴染めないし、馴染めないことを無理にやっていくとマイナス面が出てくることを色々心配しなければならないという反省期に入っていると思います。

 もう一つお聞きしたいことは、では中国にある工場についてですが、中国の皆さん方は、さらにたくさん金が欲しい、そのためには馬力を出して頑張るというわかり易い、頑張りがきく状況にあるようです。だから、ニンジンをたくさんぶら下げると、さらに馬力を出して働くという職場だと聞いているのですが。日本人がいうような社会に役立つだとか、自分がさらに成長するとかいう、そういう人間成長論のようなものがあるのかないのか。 そして日本のこのやり方は国際的に普遍性を持つものなのか。さきほどの宗教的な背景のある働き方という考えの人たちとの関係において、日本だけのものなのか、少し課題があると思いますが、どうでしょうか。

山﨑  最近は海外に行っていないのでよく分かりませんが、松下電器労組の委員長のときにずいぶん海外の工場、事業場を周りました。

加藤  世界で30万人以上雇用していますね。

山﨑  ですからそれぞれの地域によって全然違うのではないかと思います。松下電器は松下電器イズムみたいなことを世界各地で一生懸命やろうとしている部分があるのですが、みんながそうなっているかというと必ずしもそうでもないような気がします。だから東南アジアでも一生懸命人材育てても、ジョブホッピングで出ていくとか。だからそれぞれの地域性、民族性があるのではないかなと思います。ただ今の若い人達がどうなのかは分かりません。

加藤  逆に日本の若い人達が、僕らのような仕事への向かい方、ある種生産性を超越した働き方があったと思います。それはそれで意味もあったし評価すべきだと思いますが、現在はそんなことよりも、いくらお金くれるのですか、いつ帰れるのですかとか、売り物としての労働になっているのではと感じるのですが。

中堤  うーん、そうですね。

自らの労働の価値をブラッシュアップすることが大切

加藤  売り物としての労働というのが、労働組合が教えなくても、学校で教えなくても、なんとなくそういう仕事の捉え方を若い人達が持っているのではないか。ドライとかウェットとかいうことではなくて。

山﨑  昨日ですか、中西経団連会長が、就職協定のことで発言されましたね。私はいよいよそういう時代が来たのかなと実は思っていまして。昔、研究所支部の委員長の時に、我々もいろいろと勉強して成果評価制度を入れようとか、裁量労働制をやろうとか、その当時はホワイトカラーエグゼンプションもいいじゃないかとか言って研究していたのです。で、その時の問題意識は、特にアメリカでは、アメリカの大学の博士課程を出てきた連中が、即戦力で入ってくるわけです。それで、年俸いくらかというと当時で1,000万円前後です。日本の場合は大学を出て、年俸ではないので、それこそ各社いろんな給与制度がありますが、福祉なんかも入れると、ほぼ同じような額になります。会社での育成費用だとか考えると。そうすると日本で採用するよりも、ドライに考えれば、アメリカで採用した方が安くて優秀な人が採れるという企業の経済合理性のようなものが出てくるのではないか。だから、我々自身をもっとブラッシュアップをしていくと言うのですか、そういう仕組みが必要だという議論を実はしていたのです。

 今回、経団連が就職協定をやめようというのは、要するに日本の大学でなくても、どこの人でも優秀な人は、いつでも採りたいというところへ、いよいよ踏み込んできたと思います。だから、そういう時代に働く側が、これから社会に出て、何を考えて仕事をしていくべきなのかということが、非常に重要だという気がしています。

加藤  今の話は働く側が主体性に基づいて、自分の労働の価値をどうやって上げていくかという、またその本質的な責任は本人、あなたにあると。個別に自立した関係としてお互いに交渉をしあう関係、そういう時代にならざるを得ない、そして既にそれは現実にそういう面がでてきているということの宣言を中西経団連会長が象徴的にされたのではないかという捉え方ですね。そうすると、労働組合も賃上げとかいろいろ集団的労使交渉をやっていますが、では今交渉に出している売りものとは言いませんが、交渉の中で働くみなさん方Aさん、Bさん、Cさん、Dさんの今日(こんにち)における価値、社内における価値をどう捉えていますかと。それをある意味自分たちで評価する、そういう仕組みだとか、あるいはそういう考え方があると思います。

 なんとなくみんなでワイワイと要求して決めていけばいいということになると相当ずれているのではないか。集団全員の労働がどんどんブラッシュアップされているという保証書もなければ、証明書もないではないかと突き付けられていると思います。少しレベルが落ちている人も一つのバスケットに入れて、総額いくらということでは状況に合わなくなっているという見方もあります。

生産性が小学校高学年の算数に閉じ込められている

山﨑  ですから働く側もそうですが、私が最近財界のみなさんに申し上げているのも、企業も意味のある仕事をもっと作らないとだめだと。今大手企業は、人口減少日本なので、全部海外に出て行こうとするわけではないですか。市場を海外に求めるわけで、それも大事ですが、結局日本に籍を置いている企業としていえば、日本の社会を支えていくという意味において、日本の社会に役に立つ付加価値の高いビジネス・仕事をどうやって作るのかということを、日本の経営者のみなさんは問われている、ということをもう少し考えていただかないといけないと。で、その価値の高い仕事をするためには、どうしても付加価値の高い人が必要なのです。そういう高いスキルを持っている人とか、マインドを持っている人とか、そういう人を育てていくというようにしていかないといけないのではないか。結局生産性というのはいつも分母・分子をいじって生産性上げようと思う、分子を大きくしたり、分母を小さくしたりだとか。

加藤  小学校高学年の算数に閉じ込められるわけですね。

もっと付加価値の高い仕事を国内に生み出すべきで、経営者はその努力を

山﨑  日本の社会問題を解決するような事業をもっと開拓していくことが、今問われていると思います。

加藤  経営者の仕事は高付加価値の仕事を作り出して、それをみんなに配り力不足の人には勉強して来いとか、努力もさせることでしょう。従来にない仕事を作り出していくという経営者の創造的役割というのは、日本においてはエアポケットになっていると思います。先ほどの日本の経営者への提言は同感です。

 特にここ20年少し陳腐になっている、経営者の経営的行為が。MAなどはワイワイやっているが、今の企業経営は円安に助けられているわけで、本質的な企業活動の付加価値を増やしていくという面で日本企業があまり評価されていないのは、経営者自身の創造性の問題が大きい気がします。

中堤  そうですね、確かに。

加藤  たとえば日本は人口減少だから、海外に行かざるを得ないとか、海外から労働力を入れなければいけないというその判断はなんとなくルーチン的な意識に立脚していると思います。他方人口が減るからということで、機械化、ロボット化を進めるとか、あまり面白みのない、誰にだって思いつくことです。むしろ、よりよく働いてもらうためには、いい仕事って何なのかという、そこの研究あるいは洞察が少し薄っぺらになっているのではないか。

 戦後の20年間に、働く喜びをベースに力を引き出していこう、そして生活が向上することによって、需要が伸びてくるから、その需要に応えることによって経済の好循環が生まれてくるという発想は、私は非常にクリエイティブだったと思っています。しかし、現在の日本の経営者はどこで頑張っているのですかと言いたいですね。

山﨑  頑張っておられる方もおられますが、だけど、今機械化されて、コンピュータ化が進んで、AIが入ってきてという話になっていますが、私なんかが大学で研究室に入って最初にやらされたのはレタリングなんです。レタリングというのは、実験室でデータを取ってグラフを書くのですが、論文に出せるようにキレイに書かないといけないのです。たとえば(図表を示しながら)これ全部自分で描くわけです、こうやって。

中堤  ええ、型版を使ってやっていました。

山﨑  自分で書いているわけです。それを最初にまず勉強しなければいけないわけです、実験する前に。それで先輩が取ったデータを、グラフに書いて、キレイに清書して、それをどっかの論文に発表するのですが。グラフもだから今のようにエクセル(Excel)なんてありませんから、全部手で書いたわけです。今の人たちにはそう言った仕事はないわけですよ、一切。全部パソコンがやってくれますから、だから時間が余るはずですよね。

加藤  余るだろうと思います。

AIを使うとAIに使われる人

山﨑  だから余った時間を何か価値のあるものを生み出していくことに振り向けていくことができるようにならないと、みんなエーアイ(AI)に使われてしまうことになるのではと思います。

 AIというのは、今安倍政権の政策も社会の分断化を進めていますが、ここにAIがのってくれば、さらに社会の分断化が進む可能性があると。で、これは危ないと思うのですね。使う側が間違うと、結局AIに使われる人とAIを使う人というふうに、完全に分かれていきますから。これは将来的に考えると非常に怖い話になっていくのではないかと思っています。そういう意味でも教育とか、さきほどの心の問題ではありませんが、そういうところをしっかりと教育も含めてやらないといけないと思います。

 AIの研究者は、「AI導入で仕事がなくなるのではと心配されるかもしれませんが、大丈夫です、仕事が無くなったほうがいいのです」と言うわけです。なぜかといえば、仕事がなくなって人がいらないとなると、企業は人件費が浮くでしょう。収益が増えるので、そこから税金を取って、ベーシックインカムにして、みなさんに還流する。だから、みなさんは仕事をしなくても生活ができるようになりますと言うわけです。その話を聞いて、ええ本当かなと。それもいいと思う人もいると思いますが、そういう社会が、果たして健全な社会かというと、たぶん違うのではないかなと。

中堤  違いますね。いや働かない人が増えるというのは、大変問題だと思いますが。

加藤  働かないことが幸せなのかという、簡単なテーマが出てきたときに、では仕事とはなんなのかという最初のテーマに返ってきます。仕事の喜びを全部取り上げられて、ではゴルフが、ゲートボールが楽しいのかということになると、再び、人間とは何かという根源に返ってきます。おそらくそんな社会を作って、それでまともな社会と言えるのかというのが、ご指摘だろうと思いますが。

山﨑  でも私が話をうかがったAIの専門家の人は、そういうことを平気で言う。

加藤  平気で言うわけですか。平気で言うところに問題があるのではないかと。

山﨑  えっと思うのですが。だから、日本社会の有り様も、中長期的に考えていかないといけないと思います。今、連合大阪でも「働く事と労働組合」というテーマで大学生のところへ行って、話をしたりしていますが、やはり日本があと20年、30年、40年、50年先にどんな国になっているのかということをもう少し考えて、いろいろなことを掘り下げていかないと、なんか付け焼刃というのか、その場しのぎで大丈夫かと心配になります。

 少子高齢化問題にしても40年前から言われてきたことを、なんら手を打たずにやってきたからこうなっているわけで。もっと早く手を打っていれば、違う社会になっていたかもしれません。

加藤  堺屋太一が1970年に「団塊の世代」という本を書いたときから、指摘されていたことがほぼ80何%以上当たっている。人口統計が非常に正確だということが実証されたし、言われていた問題が全部顕在化しているということから言って、ご指摘のことは若い人たちに明日の労働運動を背負って引き継いでいただくということからいえば、今の根源的な働くとはなんだとか、あるいは社会はどうあるべきだとか、その中で労働はどう位置づけられるのか、そのようなことも含めて多くの課題があるということですね。

労働運動も大きな目標を持つことが大事だ

山﨑  だから労働組合がどういう存在価値を発揮していくのか。私も長く労働組合活動をやってきましたから、労働組合は必要だと思います。健全な労使関係の中で、いろいろなことが進むということが大事ですし、社会の中においても労働組合の位置づけを、私はもっと高めていくべきだろうと思います。

 昨日も、連合の神津会長が「私たちが働くことを軸とする安心社会を目指そうとすると、法律を変えないといけない。」と、そのためには政治と向き合わないといけないのだという話をされていましたが、それは否定しませんが、しかし連合30年を迎えて、もちろん政治も必要ですが、労働組合としての政策力が、その社会の中における政策の発信力、本来的にいえば政権が変わろうとなにしようと、やはり労働組合の意見は聞かないといけないということになっていないと本来はいけないのではないのか。だから我々はまだそこまでいけていないというのが今後へ向かっての一つの大きな課題になるのではないのかという気がします。だからそういう意味において、労働組合が社会のステークホルダーとして、きちっと認識をされるためには何をすればいいのかと考えるべきです。今連合は1000万連合と言っていますが、私は2000万連合にした方がいいと思います。今、組織率は17%ぐらいですか。

加藤  今17%を切っているかもしれませんね。確かに組織率30%、40%を臨めることになると状況ががらりと変わります。だけど2000万っていえば非正規労働者の推定数が2000万人ですから。ボリューム的にはそんな感じです。

山﨑  そういう意味で、そこに目標をおいたときに今どうすべきかを考えた方がいいと思っています。

加藤  目標としては2000万、3000万の方がいいではないかという、単純そうだが、そういうものが、自分達を大きく、なんですかね、エンリッチですか、大きくしていくのだという、そういうこともあるような気がします。では話は尽きませんが終わりたいと思います。多くの示唆を頂いた鼎談でした。(了)

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【講師】山﨑弦一氏、中堤康正氏

山﨑 弦一(やまざき けんいち)
連合大阪 会長
1957年 大阪市生
1984年3月 神戸大学大学院自然科学研究科物質科学専攻修了 学術博士
1984年4月 松下電器産業株式会社 中央研究所入所
1985年6月 同社半導体研究センターにて次世代超LSIの研究開発に従事
1992年7月 松下電器産業労働組合 R&D支部執行委員長
1994年7月 同 研究所連合支部執行委員長
2000年7月 同 副中央執行委員長
2004年7月 同 中央執行委員長
2006年7月 松下電器産業労働組合連合会(現、パナソニックグループ労働組合連合会)中央執行委員長
2012年9月 電機連合 大阪地協 議長
2013年10月 日本労働組合総連合会 大阪府連合会(連合大阪)会長
現在に至る。

中堤 康方(なかつつみ やすまさ)
三菱電機関係会社労務懇話会事務局長
1986年4月 三菱電機㈱ 計算機製作所入社、汎用計算機の開発に従事
1988年8月 三菱電機労組 鎌倉支部 支部委員
1989年8月 同 コンピュータ支部 支部中央委員
1994年8月 同 コンピュータ支部 副執行委員長
1998年8月 同 情報システム支部(改称)執行委員長
2010年8月 労組役員退任、メルコ保険サービス㈱へ転籍
2015年4月 メルコ保険サービス㈱役員退任、三菱電機㈱人事部嘱託(三菱電機関連会社労務懇話会事務局長)
現在に至る    

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