遅牛早牛
時事雑考「賃上げはキシダ政権の生命線か?」
(権力の具体構造がどうなるのかが不明な中で、国葬の閣議決定は高度な政治判断といえる。筆者は、分断の予防こそが政治家の矜持ではないかと日ごろ思っているので、賛成ではない。されど旗をふってまで反対する気もない、静かにおくるべきである。棺を蓋(おお)いて事定る、といわれているが、蓋いても定まらないであろう。
さて、キシダ政権の重要な仕事は雇用者所得の向上つまり賃上げであることは自明のこととなっている。まず、〈A〉最低賃金である。次は、〈B〉春の賃金交渉。この二つは交渉事である。交渉事でないのが、〈C〉労働組合が未結成の中小規模企業の賃上げと〈D〉不安定雇用といわれている非正規労働者の賃金改善である。これらの4項のなかで〈C〉と〈D〉は制度としての仕組みがなければ実現できないもので簡単ではないといえる。ということで、労働への分配が期待ほど改善できるのかどうか、注目の一事である。経済政策的には、交渉組合の賃上げ結果ではなく、交渉していない、交渉できない労働者の賃上げ結果のほうが重要なのである。文中、不安定雇用あるいは非正規労働者などとしているが、厳密な使い分けはしておらず、文脈にそって適宜使っている。)
前途霧中、問題山積、流動化
◇ 参院選を無事くぐり抜けたキシダ政権がつぎに取り組むべき課題は多い。とくに、憲法改正については多くの意見とさまざまな見通しがあふれている。一般的にいって、関心の高い話題ではあるが、前回述べた通り存外に難しく、隘路もあり、お試し項目でさえ簡単とはいえないであろう。9月27日の葬儀までは、党内政局はおもてむき休業と思われるので、それまでに主要人事を仕上げ、秋の臨時国会にそなえる段取りであろうが、考えれば考えるほどに「故人」の後が埋まらない。ポストではなく、役割において人がいないということであろう、確かにイライラとしたものを感じる。こういった状況になると抑圧されていた情動が活性化し、世代交代あるいは党派再編のエネルギーが生じるもので、そうなると自民党として流動期に入るかもしれない。1955年の保守合同から数えて67年、この党もどこか疲れているのではないか、歴史的転換期かもしれない。
自民党内には、守護神を失った喪失感情に浸っている時間はないであろう。気合を入れなおして、感染症(Covid-19)対策を急ぐべきである。
ところで、キシダ政権がなんともいえない運を持っているように思えるのは、昨年10月の衆院選と今月の参院選がいずれも感染拡大の谷間にあたったからであろう。時期がひと月ずれておれば、選挙結果に悪影響があったかもしれない。爆発的感染拡大あるいは医療ひっ迫は、人びとに大きな不安をいだかせるもので、後手にまわれば統治能力に疑問符がつく。
また、インフレへの対応も優先度が高い。このままでは国民生活は確実に劣化していく。2%台でとどまればまだしも、3%を超えてくると、低賃金層や年金生活者が耐えられなくなるであろう。来春の統一地方選挙への影響も考えられる。先の参院選では多党化傾向がみられたが、奇をてらう新党の主戦場が地方選挙に移ることもありうる。さらに、シニア層の政治に対する感応力はもともと高いことから、与党としては注意が必要であろう。ということで、当面の野党の攻めどころは明確である。立憲民主党と共産党にとって統一地方選はリベンジマッチであり、争点は「インフレから生活を守る」というのが分かりやすい。
まず最低賃金、賃金交渉の外にいる低賃金層からの期待
◇ さて、最低賃金については、中央での議論がすすんでいる。例年8月は中央での方針を受け、地方での額の議論が始まるが、これは賃上げの前哨戦といえる。来年の賃上げシーズンへむけて、政府が影響力を発揮できる数少ない機会となるから、ここで躓くと賃金交渉の外にいる低賃金層の期待感が大きくしぼみ、キシダ政権の配分政策への熱意が疑われることになる。となれば、低賃金層のがっかり感が急速に広がり、消費意欲がさらに減退し景気への悪影響が心配になる。そうなると物価上昇と景気後退の同時進行(スタフグレーション)の不安が高まり、なんとなくいい感じの内閣支持率が急落し、一挙に求心力を失うかもしれない。「たら、れば、かも」の三段跳び予想でいささか恥じいるが、そのぐらい今の与党はふらふらな感じである。選挙では勝ったのに不思議である。
難しい雇用者所得の向上、総理が旗をふっても
◇ かつて、筆者が参議院本会議(注1)での質問にあたり、雇用者所得の引き上げこそが喫緊の課題であると主張した。2014年の秋である。当時、OECD、世銀、ILOがそろって雇用の質や雇用者所得の向上を強く求める提言をまとめていたが、長期トレンドからいえば雇用者所得が低迷しつづけたのはOECDでいえばわが国だけであった。
この前年あたりから、当時のアベ政権は春の賃金交渉(賃上げ)について、経団連や連合への働きかけを強めた。これには、労使自治云々という批判もあったが、まあ悪いことではないというのが世間の受けとめであったと記憶している。しかし、官邸による民間の賃金交渉への督励という異例の行動にもかかわらず、雇用者全体としてみればさほどの成果は見いだされず、しかも停滞はつづき、今日では先進国内の低賃金国という不名誉な地位に甘んじているといえる。
日本は「安定的低所得政策」をとったのか、結果は「日本の衰退」となった
◇ ということで、雇用者所得の改善あるいは向上という長年の課題に対し、キシダ政権がいかなる施策をこうじて、どのような成果を上げられるのかが大きく注目されるところとなっている。思いだせば1980年代は、高すぎる賃金が企業経営を圧迫していると、経営者団体からは長らく目の敵にされていたのに、今では180度向きが変わり、まるで政労使がスクラムを組み協力しながら賃上げを促進させようというのだから、時代も変われば変わったものである。といった甘すぎる感慨は捨て、今日のわが国経済が、「安定的低所得政策」の成功例ではないかといいたくなるほどの惨状にあることを直視するべきであろう。なぜこういったことが許されたのか、いまさらながら義憤に駆られる。まさに国家衰退の一本道ではないかと怒りながら、ひょっとして愛国主義者でさえ、この「日本の衰退」を目の当たりにしたならば、怒りの果てに涙を流すのではないかと思ったりもするのである。だからなおのこと、政治家なり経済人なり学者なりが、憂国の辞を発してもいいのではないか、いや是非にも発するべきではないかとさえ思うのである。
もちろん、雇用者所得の向上は、愛国主義者に手伝ってもらうものではない。しかし、働く者の賃金が停滞する国はやはり停滞するという経済原則を、さまざまな立場にあっても理解してもらいたいと願うもので、またそういった国全体にわたる共通認識があってこそ、雇用者所得の向上という30年来の難問中の難問がほどけていくのではないかと、そう思っての発信なのである。
督励すべき対象が違う、中小企業労働者と非正規労働者が本命
◇ 総理あるいは官邸が賃上げを督励することの是非を離れ、むしろその効果性そのものについて少しくふれるならば、督励すべき対象を外しているということであろう。方向が間違っているということではない。ただ、経団連と連合が代表する現場においては、自律的にまた精力的に交渉が展開されているもので、その成りゆきについては数百万をこえる組合員が厳しく見つめているのである。だから介入の余地はない、また監視の必要もないのである。
問題は、労働組合が未結成の企業に働く者の賃上げ、また不安定雇用にある者の賃金改善である。さらに詳述すれば、多くの中小規模企業(中小企業)にとって、取引先つまり発注元企業の意向を無視して賃上げをおこなうことは相当に難しいのである。これは現実である。発注替えの心配があるかぎり、また発注単価の引き下げが心配される限り、単独での賃上げは事実上無理といえる。ここが肝心なところで、春の賃上げが春闘と呼ばれ、列島の恒例行事となっていた時代では、労働組合が未結成の企業においても、交渉組合の成果を「相場」として相応の賃上げをおこなうことができたのである。全国に波及する相場であるかぎり取引先からの干渉はさほどのものではなかった、といえる。
この仕組みは「春闘方式」として労働史に輝く素晴らしい社会的発明であった。ところで、この春闘方式が崩れていったのは、国際競争において高すぎる賃金を経営者が許容できなくなったこと、1990年代にデフレが進行し物価上昇という毎年の賃金改定の根拠が薄れたこと、労働組合の組織形態が企業別を中心としたものであったため、「雇用か賃上げか」でいえば雇用を優先せざるをえなかったこと、1990年代後半からの就職氷河期において不安定雇用が増加し、また2000年代に入って労働市場の規制緩和が小泉改革としておしすすめられ、不安定雇用と低賃金をセットとして定着させたと思われること、などが要因として考えられる。
もし、キシダ政権が賃上げを通じて雇用者所得の向上をはかり、もって適正な配分を実現しようとするならば、労働組合が未結成の中小企業における新たな賃上げ方式の確立をはかる必要がある。現在でも、労働組合が結成されている中小企業では労使交渉を通じて賃上げを実現していることから、労働組合結成が正門からの道筋といえるが、それではずい分と時間がかかることは否めない。
ということから、当座は「賃上げ促進税制」の活用が中心となるが、利益ゼロ以下の中小企業も多いことから、税額控除には制度的に限界があることも事実である。決して悪い制度とはいわないが、賃上げはより多くの企業が参加してこそ効果が増すものであるから、より均霑性の高い仕組みを模索すべきといえる。
必要な労働市場の改善と流動化、労働者に利便と利益がなければ失敗する
◇ つぎに、不安定雇用下にある労働者の賃上げであるが、最大の問題は「雇用か賃上げか」という二項対立構造を許している限り、賃上げの余地はないといえる。労働側に、選択肢があるようでないという不公正な構造になっているのである。このような構造にメスを入れるのが政治の役割であるのだが、現状では放置されているといっても過言ではないと思う。では、どうすればいいのか。解決策の一つは、賃上げが認められないのであるなら、転職するという選択肢を底上げし、「雇用か賃上げか」という構造を「賃上げか転職か」に転換することである。そのためには、長年の論点であった「労働市場の改善」をはかり流動性を高めることであろう。もともと、労働市場の流動化は経営サイドあるいは規制緩和論者の強く求めるところであったし、すでに実態として解雇のしやすさを中心にその方向に流れていると思われる。
そこで、労働市場の改善のためには仕事の標準化が必要であって、この標準化が未整備のために、労働市場におけるマッチングがうまくいかないところがある。もちろん、部分的には漸進的に改善されていると思われる。また、近年ジョブ化を進める企業も増えていることから、汎用性のあるジョブ記述、形式などさまざまな工夫がなされることにより、標準形式が広く普及することによって、企業が労働者を求める「求人」と、労働者が職を求める「求職」の、いわゆる突合(マッチング)が正確に、精緻に、効率的にすすめられることになると想定できる。このことは、とくに求職側からはマッチングシステムへの信頼感の向上と受けとめられるうえに、現に高い信頼性のもとで迅速に求職情報がえられるわけであるから、今まで転職を躊躇(ちゅうちょ)させていたのは、多くの場合入職時に思わぬトラブルや苦労に遭遇するのではないかという求職トラブルへの心配に原因があったとすれば、その発生が防止されることから、転職の活性化が促進されると思われる。
労働市場の流動化とは、転職の活性化として捉えることもできるわけで、そのためには労働者すなわち求職側の利便と利益が保障されることが重要といえる。
小泉改革による規制緩和は非正規労働者を拡大しただけで賃金は停滞した
◇ 一般に、労働市場の流動化は転職を通じて、より高い賃金がえられることから、賃金水準の上昇をもたらすと考えられる。ということであれば、労働サイドが、労働市場の流動化に対し反対一辺倒であることは合理的とはいえない、確かに賛否は割れているようであるが。わが国の場合、規制緩和策が浸透し、不安定雇用としての非正規労働者が急増し、現在では2000万人を超えているといわれている。しかし、雇用労働者のじつに約4割が非正規労働者という実態において、あいかわらずの賃金停滞が続いているということは、もっぱら非正規労働者を増やすこととなった一連の規制緩和策は、全体としての賃金上昇には結びついていないといわざるをえない。つまり、規制緩和論というのは、その政策目標に賃金改善が装着されていないことから、結果的にも非正規労働者の爆発的増大をもって事足りるということに堕したともいえなくもないのである。そうなると小泉改革のなかでの規制緩和、労働市場の流動化とはなんであったのか、筆者は露骨な人件費削減策であったと考えている。
当時の政策担当者がさまざまないい訳をしていると聞くが、雇用形態から生じる低賃金が、わが国経済の大きな重しとなって成長を妨げ、また足を引っ張りつづけていると認識するならば、そのことこそがわが国経済の不都合であり、結果責任を問われなければならないと考えている。
さらに教訓を交えながら述べれば、労働者の利益に反する方向ですすめられた規制緩和が結果としてもたらしたのが、経済成長を支えられない貧弱な雇用者所得つまり低賃金であり、それを生む元凶としての好ましからざる雇用形態の拡大であって、まさにその泥沼のような実態にキシダ政権は足をとられているのである。
ということで、低賃金労働者の確保をおもな目的に、規制緩和をおしすすめた結果、非正規労働者が2000万人をこえる規模に膨らんだのである。もちろん、バブル崩壊からの長期にわたる不況への対応として、また、途上国から離陸した中国、韓国、台湾などとの競争に備えるため、人件費の圧縮が至上命題となり、労働慣行上も労使交渉上も正社員に対する不利益変更には手がつけられないことから、外注化、請負化をすすめると同時に、期間工、臨時工そして短時間社員などを拡大し、また新規採用についても有期雇用の比率を増やしていったといえる。
ところで、新興国とのコスト競争はわが国にかぎったものではなく、欧米諸国においても同様であったと思われるが、産業構造の違いもあって、状況への適応に巧拙があったのではないかという見方もあり、詳細な事情は筆者としては把握できていない。ただ、わが国においては、とくに製造業を中心にコスト圧縮に異常なほどのエネルギーを投入した結果、国内経済の産業連関において取引価格の縮減圧力のあまりの強さに、デフレが自己目的化したというか、デフレを内部構造化したとも考えられる。もし、2%余の価格上昇が常態であれば、みんなで値上げをという価格転嫁連鎖をとおして、価値秩序を再体系化し、構造改革を組織することができたのではないか、その過程で労働分配として賃上げを継続できたのではないかと、素人考えであるがそう思うときがある。くわえて、今でも不可解なのは、賃上げにたいする経済人というべきか経営者というべきか、彼らの異常とはいわないまでも相当な嫌悪感に、正直あきれ果てた、のである。賃上げをしないことが経営者としての崇高な任務であって、本来は賃下げこそが正しいと本心から信じていたのではないか、と。確かに、経営会議では満点であろう。しかし、その結果が経済全体の衰退という資本主義としては、ばかばかしいかぎりの賞賛(?)をえたのである。コスト削減には大成功をおさめたが消費市場を貧血に追いやったという意味において。
コスト削減至上主義の暴走にブレーキどころか警告さえ発せなかったわが国の社会のあり方にも反省すべきところがあるように思う。
(注1:2014年10月2日第187回臨国、大臣演説への質疑)
◇ 陸橋に蝉悶絶の大暑かな
加藤敏幸
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