遅牛早牛

「労働運動と雇用問題(1)労働運動における位置づけ」

(ほぼ3年間塩漬けにしていた「2020年からの課題と予想-雇用と労働運動」をタイトルを変えて掲載することができた。2020年2月にほぼ書きおえていたが、気がのらなかったので、そのままにしていた。やっと吹っ切れた。筆者の思いの断捨離である。

 ところで、春の賃金交渉は順調といっていいのであろう。満額回答が踊っているが、正念場は5月6月に発表される中小企業の回答であり、夏の最低賃金交渉であろう。よく考えれば、「労働動員策」ではないか。木陰でお茶をすればいいだけなのに、「なに、もうひと働き」と街場に出かけていく、賃労働に。この賃労働がGDPに計上され、課税もされる。欲もないのに稼ぎに向かう、国民負担率が50%だから5公5民か?、、、。みんなでプライマリーバランスを改善しなければとか、あるわけないよね。

 ピン止めされたメモに、世襲議員と二院制と書いてあるが、夏までには仕上げたいと思っている。が、実家の夏は草莽々だからどうなることやら。

 なお、2万字をはるかに超えたので、分割した。)

1.労働運動にとっての雇用問題の位置づけ

 労働運動にとって雇用はきわめて重要なテーマである。とくに、経営合理化にともなう人員削減は組合員の生活を直撃するもので労働組合にとっても、また提案側の会社にとっても深刻な課題であった。

 1945年(昭和20年)以降の混乱期には、人員整理という言葉が多くの職場を震撼させまた殺気立たせた。当時は、「首切り・馘首」と生々しい言葉をもちいるケースが多く、戦後の騒然とした空気のなかで労使ともに壮絶な闘いをくりひろげたと、関係資料などに生々しく記載されている。

 1945年末に合法化され、またたくまに全国に広がっていった労働組合にとって、組合員の雇用維持が最重要課題と位置づけられたのはとうぜんの流れといえるが、同時に困難な代物(しろもの)であることに気がつくのに時間はかからなかった。つまりストライキなどの争議行為をもってしても、雇用を完全に守ることはできない、ということが経験を重ねるなかで認識されていったと思われる。

 また社会主義、共産主義を標榜するグループの指導をうけても、思うような解決策がえられない、否むしろ闘うだけ闘わされ、後は野となれ山となれが関の山であるということが明らかになり、またそのような政治に傾いたはげしい方針で闘ってみても、会社提案を撤回させることはできなかった、という経験もあって、結局これといった特効薬のないきわめて困難な課題として認識されていったと思われる。こういった認識の共有化が、その後のわが国の労働運動の道筋に強い影響を与えたことは、筆者のような労働運動の現場から中央共闘組織、全国中央組織、単位組織と垂直的に役割を経験していった者には、暗黙知となっていると思う。さらに、引退後においても重要テーマとして意識のなかに強く「ピン止め」されているのである。

2.雇用の重要性は焼印のように刻み込まれてはいるが、対策は未確立である

 さて、そのピン止めであるが、ピン一本だけなのでクルクルと回るのである。つまり、重要テーマではあるが、全面のり貼りではないので、刺された場所から移動できないが、クルクルとまわるのである。つまり、位置づけは変わらないとしても、斜めになったり横向きになったりするのである。

 そのことを具体的に述べると、事業所や企業ごとに組織化された労働組合においては、組合員の雇用維持を最優先とする方針が確立されているものの、問題発生のタイミングによっては対応がきわめて困難になることも多く、労働組合としての戦術が限定されることから、結局のところ強い「執着」をしめすことによる使用者側への牽制と注意喚起にくわえ、問題発生を最小化する経営参加による「迂回」、すなわち執着と迂回という二面作戦に集約されていったと考えられるのである。

 すなわち、労働組合側に雇用維持についての直接的な対応策はなく、隔靴掻痒とはいわないが、間接対策に限られているといわざるをえないのである。このことが、労働組合と雇用の関係を考えるうえでの重要な鍵といえる。

3.事業所単位に労働組合が設立されていった

 さて本論にもどり、1945年(敗戦の年)の末に労働組合法(旧)ができたことから、「まず労働組合をつくる」ことが優先され、最短距離にあった事業所ごとの組織化が先行したことにくわえ、法制上も産業別労働組合を優越させる仕組みをもたなかったことから、すこし例外があるものの「はじめに事業所単位、企業単位ありき」といった流れが大勢となり、そのことがわが国の労働運動の方向性を決定づけたといえる。とくに当時の製造業において顕著であった職員と工員の区分を包含するかたちで、すなわち企業内身分・職能制度をこえて職域拠点の組織化をすすめたことから、先々において企業経営幹部に登用された者のおおくが労働組合運動の経験者、それも組合長はじめ三役などの重要な役割をになっていたという、他の国においてはなかなかみられない事象が起こり、いい悪いはともかく、いわゆる「企業別組合」がわが国労使関係の特徴として今日においても、そのように語られているといえる。労働運動の黎明期の話である。

 また、当時の直面する課題が「もち代よこせ」とか「越年闘争」といった「切実な生活がらみ」であったことが、ミクロでの労働組合のイメージを、顔見知りの似たものどうしの一家共同体といったものとして定着させていったのではないかと思われる。この結成数年間における初期体験が、その後の運動や組織のありように強い影響を与えたことは、労働組合はもちろん企業はじめ各種団体においても同様であったといえる。

 また崩落現場を思わせる敗戦の惨状は民間製造業においても、経営上多くの困難をひきよせ、過酷な占領政策と相まって困難と混乱が混合されたという、今日の視座からはどうにも想像できないような状況だったと、想像できないといいながらその深刻さを真摯に受けとめざるをえないのである。そういった事象について、後世の批判はあるにしても、この敗戦直後の数年間を何とか切りぬけなければ、その後の時代が開かれなかったことも事実であるし、そういった先人の労苦については多とすべきであろう。

 窮地にあったたとえば民間製造業が、わずかながらも復活の光明をみいだしたのは朝鮮戦争(1950年6月)による特需であったが、占領経費負担という重圧から解放されるには、1952年4月の主権回復まで、さらなる時間を必要とした。

4.産業別労働組合は連合体で、直接加盟はすくなかった 

 この時期になると企業別労働組合やその企業内連合会を加盟単位とする産業別労働組合がさまざまに結成あるいは編成されていったが、そのほとんどが連合体であり、また団体加盟であることから、企業や事業所単位に発生する雇用問題へのかかわりは、発足まもない産業別労働組合にとっては荷が重く、どうしても後列にさがらざるをえない状況にあったといえる。もちろん、上部団体としての支援活動や資金面での援助など、さまざまな活動があったことは、産業別労働運動の実績として評価されるべきものであるが、最終局面まで中心的な役割をはたした事例はさほど多くはなかったといえる。

 ここで中心的な役割といっても、個別事例ごとに事情がさまざまなので確定的ないい方は難しいが、やはり労使関係あるいは労働協約上における産業別労働組合の位置づけ、さらに企業や事業にたいする知識不足などもあったのであろう、中心的役割を果たすことには限界があったといえる。 

 ともかく雇用危機に直面している組合員にたいし、どういう形であれ責任をとるのは単位組合(あるいは単一組合)であって、結成あるいは加盟機序からいっても、産業別労働組合とはならないケースが多かったといえる。もちろん、歴史に残る大争議など全国中央組織までもが、強くかかわった事例も少なくないが、責任をもって最終決着をはかるという文脈でいえば経済、経営を事由とするかぎり、雇用問題は企業労使の守備範囲であるとの認識が共有されていたと推測している。しかし、この認識は筆者にとっても大味すぎるもので、闘争ごとに詳細な検討が必要であることはその通りであるが、物語ともいえる本稿の文脈上とりあえず簡単に述べたものである。

5.企業間の熾烈な競争が日常化している場合、産業別労働組合の関与は制限的であった

 また、企業間の熾烈な競争が日常化している業界内で、個別事情ともいえる経営の失敗の後始末を、どのような理屈でなしえるのか、それも産業別労働組合という産業の共有財を活用しながらということになると、やれることが限られてくるのが現実であろう。

 そういった事情が大きく変化したのは、たとえば急激な円高とか構造不況などによる業界全体を覆う雇用問題が発生しはじめたからであり、政府あるいは全国中央組織(ナショナルセンター)をまきこんだ雇用対策や救済策が必要とされる事態の到来によるものである。この時点でようやく産業別労働組合が当事者として問題解決の中心に位置するようになったといえる。

 といっても、一人ひとりの組合員にすれば、自分の雇用の展望は企業内労使の交渉次第であるから、また業界内において比較劣位にある企業では、合理化策が相対的に厳しい内容になることからも、いずれにせよ注目すべきは企業内の労使交渉ということになる。

 ということから雇用問題という最重要課題にたいする組合員の注目が企業別労働組合に集中しているとの認識は、よほどのことがないかぎり揺るがなかったと思われる。

 見方を変えれば、組合員に直接対面しているかどうかが、労働運動における組織論上の要点であるとの考えが、雇用問題への対応をとおしてさらに強化された可能性が高く、またそういった考えが企業別労働組合の存在感をつくりあげたともいえる。

 そういった、企業別労働組合が中心的に対応しなければならないと、みんなが思いこんでしまった「雇用問題」という課題領域が、仮に形成されていなければ、もっと早い段階で産業別労働組合への権能シフトが進んでいたかもしれない。(ここでの仮定は、ある傾向を浮かびあがらせる、たとえば細胞染色剤のごとく便宜的に使っているもので、仮定された論旨そのものが中心ということではない。)

 つまり論旨としては逆説的ではあるが、労働運動全体の重心が企業別労働組合から産業別労働組合へ移りにくかった理由の一つが「雇用問題」という課題領域が形成され、それが心理的にも重たかったところにあったのではないかと推察している。

6.企業別労働組合と産業別労働組合との雇用に対する役割の違い

 ところで、企業別労働組合と産業別労働組合の役割論については長年にわたり議論がつづき、今では熾火(おきび)のようになっている。弱々しく見えるが決して消えてはいないのである。しかし、現状を変える実行プログラムがなければ、机上だけの論といわれても仕方がないわけで、くわえて当事者においてもその必要を感じていないのであれば、なおさら空論といわれても仕方がないであろう。

 これに関連して、「もし企業内労使が雇用問題への対応に失敗していたとすればどうなっていたか」という設問については、もちろんここでの失敗とは問題を企業内で解決できずに外部すなわち社会問題化していたならということであり、つまりそういう事例が相当数発生していたならば、企業別労働組合への失望が組合員のみならず政府あるいは経営者にも強く刻みこまれていたと考えられるわけで、あくまで場合によってはの話ではあるが、企業別労働組合が今日のように労働運動の中心を歩めたかといえば、おそらくはそうはならなかったと思われる。

 では、成功したのかと問われれば、直截に「そうだ」とはいえないであろう。内部処理としてはある種の完結性を有してはいるものの、当事者にとって決して満足とはいえない、つまりきびしい状況における受けいれざるをえない結論というべきで、よくてギリギリの納得であるというところであろうか。

 もちろん、これは当該企業内における使・労・本人の3者関係においての解決であり、社会的に大問題にはならなかったというニュアンスにおいての内部処理の完結であろう。それを成功ということには今でも抵抗があると思う。しかし、そうであっても企業内で完結しうるということが、社会的に定着していったことが、数多くの事例でもって裏付けられたことから、個別の雇用問題事例における当事者間による解決という枠組みが、全国的に確立していったと考えられるのである。

 ただし、それでよかったのかという問いかけが沸々と沸いてくるのも事実であり、その問いかけには「産業別労働組合の役割として個別の雇用問題事例への介入があり得るのか」というさらなる問がふくまれており、「企業内で手にあまった場合」だけではなく、「はじめから処理にあたる」ことについての問題提起が内在されているといえるのではないだろうか。もし、産業別労働組合への加盟単位が個人であれば、とうぜんはじめからとなるであろうが、団体加盟という構造が産業別労働組合をして、はじめからの介入を躊躇させているのであろうか。そう思うし、それだけではないようにも思うのである。

 また、読者において多少なりともモヤモヤ感があると思われるのは、労働組合の組織率が推定ではあるが16.5%(2022年)であること、さらに当事者たる労働組合の処理能力に大きなばらつきがあることなどが、労働組合が雇用問題の解決にかかわることにたいして、ある種の不足感を生じているなど、問題の大きさと労働組合の機能の小ささのアンバランスを無意識のうちにとらえているからではないかと思われる。

7.わが国の労働組合が産業別労働組合としてスタートしていたならば?

 さて飛躍するが、また「鶏が先か卵が先か」という原因と結果の前後関係論に近いが、1945年の労働組合法(旧)に産業別労働組合を優越させる条項があれば事情が違っていたともいえる。といったところで「今さらそんなことをいっても」論を超えることには到底ならないが、「現状」にたいする体系化された批判を基盤にして、さらによりよい状態をめざす立場からいえば、そういった空想をともなう「もしも~であったならば」という思索は、科学的ではないが、かかる問題への被写界深度あるいは解像度を高める意味で、役立つ作業であると思われる。もちろん勝手な思いこみであると言われればそれまでであるが。

 というのも、今日労働運動にたいし、そうとうの閉塞感を感じながらも、なお労働運動に期待するグループや、社会の改革前進をはかるためには国民の多数をしめる労働者の意識的参加が必須であると考えるグループにとっても、企業別労働組合と産業別労働組合の役割についてあらためて整理することは、今日のような変革期において、おそらく近いうちにはじまるであろうクリエイティブかつ本質的な論争にそなえるためにも、必要な作業であると信じているからである。

 歴史にイフはないことは承知のうえで、しかしイフを用いながら代替経路を明らかにし、「ありえた他の道筋」に光をあてることは、未来のどこかの時点において、いずれかの道筋を選択しなければならない立場になるであろう人びとにとって、有意義というか役に立つものであると、これもそう信じているのである。その事例として、個別企業において発生する雇用問題への対処が、産業別労働組合が中心であったならば、どのような様相となっていたであろうか、興味深いと同時に、雇用問題への対処を切り口として、労働市場のあり方をふくめ発想の違うアプローチもありえたのではないかと、後で労働市場の流動化にもふれるが、ある意味行きづまりさえ感じる今日の雇用構造の改革を考えるうえで、一つのアイデアになるかもしれないなどと、例によって妄想の世界へ向かいつつあるのだが、すこし休憩がひつようのようである。

8.閑話休題 

【筆者が父親から聞かされた話のなかで、とくに鮮烈な印象をうけたのは「オルグから会社にぺんぺん草が生えるまで闘うと聞されたときに、家族はどうなるのか、お前を育てられるのか、すごく心配になった。それで組合(活動)は止めた。」というもので、直面する課題への解決策はおろか、問題意識においても組合員とオルグには決定的なズレがあったことをしめすものであった。当時のオルグと表現されていた産業別労働組合の活動家とその指導方針には、生活を支える命綱としての雇用といった切実感をともなう視点はなく、国や産業全体を雇用の受け皿とする概念的な視点がにじみでていたが、それは組合員にとって、いちじるしく現実ばなれをした、さらに生活破壊的でもあったといえる。また演説から匂ってくるのは共産主義や社会主義への期待であり、目の前で聞き入る組合員にたいしては、実のところそのための手段となるよう求めているもので、だから「ぺんぺん草が生えても」良いという理屈になるのだが、それとは対抗的に組合員が最後までこだわっていたのは、愛社精神などとは別次元であるギリギリの生活を支えるものは何かということであって、それは今いる職場に強く拘泥せざるをえない組合員の現実をいいあらわしているもので、それこそが一人ひとりの組合員にとっての労働運動だったということであろう。そしてそれは今も変わってはいないのである。

 こういった事象の多くが過去のものとして消えてしまったが、それぞれの職場という現場において、また組合員という立場で体験したものごとが、どのように伝わっていったのか、さらに消えたようで消えていない何かがあるのか、考えることはじつにおおいのである。昭和30年代の話である。】

【また1945年からの数年間において、労働運動における日本共産党の跋扈ぶりは相当なもので、明日にでも共産党政権ができると感じた人がいたかも知れないし、またそれが無理だとしても、それに近い連合政権ができると信じた活動家も多かったと推察される。しかし、第二次世界大戦後の冷戦構造が鮮明になるにしたがい、被占領国日本の進路は鋳型に入れられたように狭まり、とうぜんのことではあるが西側の一員であると、国内においても認識されていった。

 という変化をうけ、国内の労働情勢も大きく変わっていくのであるが、このあたりの経緯は「ウェブ鼎談シリーズ第14回」を参考にしていただければと思う。

 父親から聞いた話から類推するに、党員活動家にたいしては概して不信感があったようである。という程度の情報でいえることは少ないが、大きな雇用不安をかかえるなかで、彼らが組合員のこころをとらえたことはなかったと思われる。】

9.産業別労働組合にとっての雇用問題とは

 職域組織で、集団体験が語りつがれることが仮になくなったとしても、直感的な反応というか対応にその痕跡がのこされているように思われる。その一つが、産業別労働組合がとらえている雇用問題は、組合員が感じているものとはそうとうに違うものだという認識が、とくべつに説明されたわけではないが、それとなくそうではないかと多くの人が感じていたようで、またそれはいわゆる共通認識として集団的に格納されているように思えたのである。身から遠い組織は自然と疎んじられるものであるが、労働界においても組織の階段を上がればあがるほどに問題意識が薄れていく好例が雇用問題かもしれない。それが産業別労働組合の冷たさの一つと感じていた組合員も多くいたと思う。

 そういった感情的すれ違いがあったのかもしれないが、それはある意味やむをえないことであったと思う。ストレートにいえば個別の雇用問題から遊離というか解脱というか、距離をたもつところに産業別労働組合の存在価値がある、と思う。ということであるなら雇用拡大につながる経済運営あるいは産業政策またセイフティネットとしての雇用支援策などを産業別労働組合の主な担当課題とし、個別の雇用問題は個別企業労使で解決にあたると役割分担を明確にした方がいいのではないか。いずれにせよ現実はそうなっているし、またそうせざるをえないわけであるから、これは割りきりの問題だと思う。

 またこの雇用問題分離論は、産業別労働組合として雇用を忖度しながら当面する労働条件を交渉していくという心的負担を、少なからず軽減できるというプラス面もあるのではないか、ここではこの程度とするが、労働条件わけても賃金水準の大幅改善が、わが国にとって喫緊の課題であると考える立場からいえば、早急に賃金交渉の環境整備、すなわちテーマの簡素化をおこなうべきと考える。ストレートにいえば、賃金交渉の場で賃金と雇用をパッケージにすることはもういいのではないか、30年来の経験がそう語っているのである。

10.雇用問題に火がつくのは、後始末段階に入ってからである

 さて、雇用問題において労使の争いがピークをむかえるのは常に最終局面である。それは選択肢の少ない労働組合にとってはまことに厳しいものとなる。もちろん、単位組合としては始めから終わりまで誠実に対応しているのであるが、ほとんどの場合、はじめから条件闘争が想定されているといえる。もし対応方針が強ければ強いほど、最終決着の落ち込みがひどく、組合員の落胆を直(ちょく)にうけとめるのはつらいことである。そういった経験を積みかさねるなかで、雇用問題でのダメージを最小化していく工夫も生まれてくる。古くは繁忙期には時間外労働で対応するという方式もその一環だと論じられてきた。

 また、企業別労働組合の運動方針には雇用問題が発生する前段階で十全な対応をとるために、たとえば労使経営協議の深化などがうたわれている。しかしそれらの方策は、運動の意義と活動領域にかぎれば広く支持され、また評価されてはいるが、本筋である雇用の担保からいえば決して十分なものとはいえないのである。

 つまり、企業別労働組合においても、雇用の維持に関しては十分な方策が用意されているとはいえないのである。

 いずれにせよ、現在の雇用の維持、あるいは将来の雇用の確保、また雇用の量だけではなく質の向上といった今日的課題において、産業別労働組合にしろ企業別労働組合にしろ、効果的な手段を有しているとはいい難いのであるが、この状況はなにもわが国に限ったことではなく、世界の労働組合少なくとも資本主義経済を選択しているところでは共通する弱点といえる。

11.雇用は経済の従属変数だから、いかに企業にがまんさせるかがポイントであった

 もともと、雇用といわれるものは経済活動の従属変数であって、分かりやすくいえば、はじめに雇用ありきではなく経済活動により決まるものといわれている。つまり、景気変動の影響を直に受けやすいものなのである。

 政府などが直接的に雇用を増やす方法としては、政府支出による有効需要の創出があるが、財政上の制約が大きい。また、強引に労働時間を短縮する法制変更などが考えられるが、現実的に採用できるとはいえない。選択できる手段はすくないのである。

 

 ということから、労働組合の雇用にかかわる戦術は、いかにして景気後退期に余剰人員を企業に抱えこませるか、つまり我慢させるかということにつきるといえるのである。それゆえ、景気後退期における余剰人員対策は企業別労働組合にとっては、きわめて優先度の高い任務といえるもので、現に組合員にとっても切実度の高いものとなっている。

 ということから、企業としての総合的な判断において企業内に余剰人員を抱え込むことになる。もちろん新規採用には、教育訓練はじめ採用コストなどがかさむことから、コスト上もさらに熟練労働の温存からいっても、社内失業といわれている余剰人員の抱え込みが合理性を欠くとは即断できない。しかし、長引けば労使にとって厳しい状況にいたるといえる。先の見通しのないまま社内失業をつづけることはできない。政府系の支援金があったとしても経営見通しとの整合性をきびしく問われるもので、限度があるのはやむをえないことである。

 そこで、企業に我慢をもとめるには、交渉上の対価が必要になることから、労使交渉のメインストリートの賃金交渉に少なくない影響をおよぼす可能性については、これを否定することはできないであろう。微妙にしかし確実に、そして未来にむかっても、企業労使交渉では重みのある暗黙の論点すなわち「雇用確保」がベースになってくるのである。そういった雇用と賃上げとのトレードオフ関係はけっして計数的ではないが、かといって情緒的でもない。ともかく交渉団においては確実に認識されているといえる。

 という雇用についての労使間の共有認識が、各企業労使においてもそれぞれ堆積されていることを理解しあった舞台に、産業ごとの賃金交渉がのっかってくるのである。

 そこで、わが国の労働運動において、企業別労働組合の存在やその役割が全体に負の影響をおよぼしていると考える立場にすれば、雇用問題にたいする労使の雇用優先という暗黙の認識が、賃金上げ交渉への引き算になるといったことなどは、あってはならないし、許しがたいことであるという強い非難が発せられるのはとうぜんであり、仕方のないことである。

 しかし、そうはいっても現実に交渉の任にあたる企業別労使が、ながらく積みあげてきた実績やものさしをベースに交渉を開始することは、それ自体がデファクトスタンダードを形成しているわけであるから、なかなか変えられないのである。

 すこしまとめれば、雇用にたいし、より重い責任感をもつ企業別労働組合を賃金交渉の最前列におくことは、積極賃上げが必要な場面では不適切というべきである。それでも、企業別労働組合を最前列におかざるをえないのであるなら、雇用責任を別の仕組みでカバーするなど心的負担の軽減策をはかるのが現実的であろう。

 もし、来年も積極賃上げを期待するのであれば、岸田総理は雇用問題をていねいかつスピーディに処理できる新たな枠組みの提起と現行制度の拡充をはかり、企業別労働組合の雇用責任の軽減をはかるべきである。同時に求職者側に有利な労働市場の改善策をとりこみ、流動化をすすめるべきである。それには労働市場の流動性が低いことは、労働者にとってさまざまな不利益を形成すること、つまりハイリスク・ローリターンであることを明確にし、この点について労働団体(主に連合など)と協議し改善をはかるひつようがあるのではないか。どう考えても、「適材適職」が労働生産性向上の切り札なのであるから、政権が挑戦すべきは労働者に魅力的な労働市場の流動化策であると考える。

12.政権も日銀も物価と賃上げの好循環を期待しているが、そのためには労使交渉だけに依存していては間にあわない(今年はCPI依存型である)

 

 安倍元総理時代から、雇用者所得増をはかるために春の賃上げ交渉への派手派手しい口だしがはじまったといえるが、労働関係者もそのことを一概に否定することはないと思う。もっともその効果について否定的な考えをもっていたとしても、それでも雇用者所得の向上をはかるという趣旨には賛成できると思う。

 問題は手段であって、既存の賃金決定プロセスのままでは、いくら外野からかけ声をかけてみても、流れは変わらないのである。この点は誤解されているところであって、いまだに春闘とかいって、あたかもわが国の主要産業や企業の賃率を決定する場があるといったふわふわした議論が残存しているが、そんな全体におよぶ賃率決定の仕組みなどはないというべきであろう。

 現在あるのは「連関する組織における価値秩序としての賃金体系の改訂」であって、その目的の大半が内部の秩序維持であり、これはあくまで内向きのことなのである。また相場性に着目する議論があるが、これも連関のありようをどう捉えるかによってその機能が変わってくると思われる。たとえれば、万有引力と同じで遠い組織間ではごく弱い相場性にとどまるということである。

 全国規模の賃金動向でいえば、名目を支えるのは物価上昇と経済成長であり、この二つで賃上げのほとんどが決まるといっても過言ではないであろう。だから低成長がつづくかぎり実質ベースアップが1パーセントを超えることはむつかしい。(というよりも、0パーセントを維持することさえむつかしいというべきであろう。)

 逆にいえば、実質ベースアップが1パーセントを超えることが珍しい国において、2パーセントを超える実質経済成長が達成されることはありえないといえるのではないか。であれば、経済成長を手にするには国民のインフレ期待をかきたて、名目であっても経済成長を実現すれば、税収増あるいは負債減(実質)が可能になるとだれかが考えてもふしぎではない。

 (それが難しいのであるなら、できないできないというのも、多数による思いこみであるから、とつぜん狂ったように賃上げが社会流行となれば、それはそれで理論はともかく消費拡大がにわかに実現するかもしれない。令和お伊勢参りのような、産業振興、需要創出につながる賃上げが実現すればといった、例の妄想がはじまるのである。景気の気の字は気鬱の気の字、気をつかわず金つかえ、とはいかないものかしら。)

 今や高齢者に偏在する悠々資産の世代間移転の促進が俎上にあがりつつあるが、相続だけではまにあわない。悩みはつづく、どこまでもである。

 ところで、2023年の賃上げ交渉が3月中に満額回答のオンパレード状態になったが、その満額回答をもって実質賃金を確保したといえるのかどうか、個別には微妙なところであろう。まあ、今回の主演賞は物価上昇であったことは間違いないところであるが、定期昇給が賃上げの主役になるようでは「演目錯誤」と批難されるべきで、場違いも甚だしいといえる。

 賃金体系が、買いいれる労働の価値秩序であるなら、年々の個別労働の価値向上分に対応しているのが、定期昇給分であると解釈するべきで、そういった価値秩序をひつようとしているのは、使用者側の管理における事情なのであるから、「今年も定期昇給はちゃんとやりますから」というのは、単にゼロポイントの表明であり、それをもって回答らしき風を装うのは、そうとうにおためごかしがきついといえよう。たしかに、わが国の賃金停滞の30年間には、仕方なく「定昇で勘弁ね」といった不本意なことが多々生じたものであったが、世界から見れば長期の賃金停滞あるいは後退はきわめて異常なことであるとの自覚がなければ、この先においても縮小経済におちいるに違いないと、だれしも思うであろう。

 経営側にすれば好業績であっても賃金コストがあがらない夢のような世界であっただろうが、結果として経済衰退を誘因するとの教訓は生かしてほしいものである。

 就業規則なり、労働協約できめられた賃金構造を維持できないことがつづくようだと、それは景気動向というよりも基礎疾患というべき状況ではなかろうか。経営的には赤ランプがつきっぱなしということである。

 この20年以上にわたって、傾向としては実質賃下げがつづいたわけであるが、その原因が低成長あるいはゼロ成長、場合によってはマイナス成長であるというのが通り相場となっている。しかし筆者としては、そうではあるが、そうではない、つまり原因と結果の関係が逆のケース、すなわち実質賃金の下落を放置し、雇用者所得を収縮させたことが、低成長やゼロ成長ひいてはマイナス成長の原因となった、という認識である。それは、好循環の反対表現としての悪循環であって、原因と結果がいれかわりつつ悪い方向に連鎖していくというものである。

 この責任は、働く者つまり労働者には一切ないというべきで、負うべきは経営者と政治家である。もちろん、政権政党の責任が最もおおきく、具体的には、自民党、公明党そして昔の民主党である。民主党でいえばもっと活躍できたはずなのにという「失望残念政権」におわった。リーマン・ショックの後始末と東日本大震災および原発事故への対応に力をとられ、せっかくの機会を失ったといえる。不運としかいいようがない、もちろん労働者にとってである。

 さて、自民党、公明党の責任であるが、一言でいって「賃金低迷の病魔に気がつくのが遅かった」ということであろう。筆者の妄想ではあるが、今世紀に入った時点で、小泉政権が所得倍増策を打ちだすぐらいが、政策的にもタイミング的にも適温であったと思っていた。が、財政規律を重視し、政策的にも新自由主義に傾きすぎて、やみくもに規制改革に走ったことが、労働者困窮化の道筋をつけてしまったと考えている。世の中がよくなるような話ではあったが、「改革なくして景気回復なし」の実相は格差拡大でしかなかった。

 また、企業部門から家計部門への波及(トリクル・ダウン)のおくれは、低賃上げが原因であり、さらにリストラ、非正規労働の拡大による労働コスト削減が追いうちとなり、デフレを悪化させたということではないか。ということで、むしろ「賃上げなくして景気回復なし」のほうが数段すぐれていたのではないか、今となっては後の祭りではある。

 政治が逆噴射した小泉時代の最大の犠牲者は当時の15~24歳若年層で、この層の失業率・学卒未就職率が考えられないほど高かった。これが今日大騒ぎをしている少子化の淵源となったといえる。少子化という課題で、自民党および公明党は、小泉時代の無策をネタに、異次元の少子化対策を掲げて政権の継続を正当化しているが、筆者には悪い冗談としか思えない。「反省なくして前進はない」のだから、まずは反省すべきであろう。悪政は改革という不渡り手形を乱発し、さらに未来を毀損しているといえる。

 ここは、ワンフレーズという口舌の政治家を選んだ国民の責任も重く、さらに提灯をつけたマスメディアと、見識もないのにお先棒を担いだ学者や評論家も同罪といえるであろう。

 ところで、経営者の責任を語るにはさらなる議論がひつようである。30年間の低迷をふりかえれば、彼らを賢人とするのがそもそもの間違いで、金儲けに専念しなければならない彼らにとってもありがた迷惑であろう。経済人とは経世済民をめざし日々格闘する人であると思うが、それは歴史にだけ登場するもので、現世では語るべくもない大昔のことなのか、悲しいかぎりである。(続く)

◇すぼめたる木蓮の花さや揺れん

注)推定組織率:雇用者数に占める労働組合員数の比率を組織率というが、雇用者数は総務省「労働力調査」の雇用者数(毎年6月分)を用い、労働組合員数は厚生労働省の「労使関係総合調査(労働組合基礎調査)」の労働組合員数を用いて計算するが、この場合、推定組織率という。

加藤敏幸