遅牛早牛

時事雑考「最低賃金2030年代半ばに1500円、墨絵のような目標」

(前回、気候変動ではことばが弱いから気候擾乱としたが、戻ることができない道のようである。ことこれに関しては世界の指導者は無能である。指導者以外も無能である。

 ところで、ロ朝会談ではプーチンとキムが手を握り、ウクライナ用弾薬と宇宙技術とを交換するという。あくまで予測であるが危なっかしいことこの上ない。どうかねぇ~、場末の二人組にならなきゃいいのだが、何をしでかすのか予想がつかない。前にも、プーチンのいるロシアとプーチンのいないロシアとではどちらが危険なのか、と問うたがどちらも危険と答えればタカ派で、プーチンのいないロシアと答えればハト派で、プーチンのいるロシアと答えれば馬鹿者だという人がいたが、そろそろ冗談もいえなくなりそうである。いよいよ煮詰まってきた。

 というややこしい時に内閣改造をやっちまった岸田はすごい、マジですごいという声がごく一部ではあるが流れている。税収は70兆円ベースで予備費たっぷりだからルンルン内閣のようである。

 ガソリンが高い。で、トリガー条項はどうなったのかしら。えぇ、その分円を安くしておきました、ということだろう。

 このごろ物価が上がって暮らしがいまいちで気分がよくない人がスポーツで機嫌をなおしている。もちろん関西はアレ待ちですな。HP掲載の時刻によっては修文しなければ。来週は久しぶりに東京です。例により文中敬称略です。)

岸田最賃、コップの中の画期、物価上昇をどうするの?

◇ 岸田首相の人気がいまいちなのは、たとえば最低賃金(以下最賃)について「2030年代半ばまでに1500円をめざす」と宣言するのはけっして悪いことではないのだが、それがまるで紙鉄砲のようで迫力を欠いているだけでなく、ポイントをはずしているというか、むしろ「はぐらかしている」と思わせる怪しさがあるからではないかと、ここ何日か思うようになった。

 今年の最賃は全国加重平均で1004円におちついたが、岸田首相の方針を実行すれば十年余で496円増えることになる。この長期間におよぶ引きあげ目標は、あくまで政府の目標であって審議会の目標ではないが、経営者団体の反応が好意的だという点もおりまぜれば、じつに画期的なもので、方針化とあわせ拍手をおくりたいと思う。しかし、政策として時代がもとめているものとは微妙にずれているような感じがする。

 つまり、この程度の引上げ目標では国際的な順位は変わらないので、あいかわらず賃金後進国をつづけるという宣言にほかならないから、まあ国内だけの「うちむきの目標」といえる。

 もっとも支払う側にとってはそれでも負担が大きいということであろう。それは理解できるが、しかしこの岸田方針だけでわが国の賃金、最賃の比較劣位が改善されることにはならないと思われる。それでも「負担が大きい」と抵抗しているだけでは、個人消費がじり貧の収縮経済をつづけることになり、失われた30年のくり返しではないかということである。

 よくよく考えれば、数値目標を方針化することには、メリットだけではなくいくつかの弊害があり、状況によっては裏目がでる場合があるのではないか。たとえば物価上昇が5%を超える場合では、1004円に対し50円以上の引きあげがひつようとなる。また、賃上げがベアで2%をこえれば、さらに20円以上の上積みがひつようで、この場合70円以上の引きあげを受けいれられるのか、使用者側の判断が注目される。

 くわえて、物価上昇率が低位の1%程度であっても、方針の年額50円ちかい増額ペースを維持するのか、意見は分かれるであろう。つまり、1500円という水準が実質なのか名目なのかで性格の違った議論になるのであって、通常は名目であるが、デフレならいざ知らずインフレ傾向がつよまるケースでは、年次の引きあげ額に物価上昇分を混ぜこむことには労働側の抵抗がつよまると思われる。おそらく、物価上昇分は別立てで加算ということに落ちつかざるをえないであろう。

 さらに、秋の最賃は春の賃上げを踏まえての議論であるから、ベアが大幅にあがれば目標とのマージンが窮屈になる。そうなると、目標とは何なのかという批判が生じると思われる。今は、妥当な感じの1500円であっても、経済状況によっては頻繁な見なおしがひつようとなるだろう。

 「最賃を長期にわたって上げていきます」というメッセージは評価される。しかし、各論においてもっとも重要なのは平均的な賃金水準との整合性をどのようにとっていくのかということである。具体的には、改定前において最賃額を下まわっている労働者割合、すなわち未満率がたとえば10%をこえはじめると、最賃のもつ公正競争基準としての役割が粗鬆化し、同時に違反が急増し最賃制度そのものに赤信号が点滅することになる。

 また、改定した後に、改定後の最賃額を下まわることになる労働者割合、すなわち影響率がたとえば20%をこえはじめると、春の賃金改定に引きつづき秋の賃金改定がひつようになり、じつに煩瑣である。さらに賃金改定時期を最賃改定後にはじめるという遅延現象も発生し、それが最賃水準の議論へマイナスの影響をおよぼす怖れが生じることになる。(10%、20%は筆者の経験にもとづく私見である。ちなみに筆者は1090年代半ばに連合で最賃を担当していた。未満率、影響率については注を参照。)

 現在、審議のなかで未満率や影響率についても精細な議論がおこなわれていると聞くが、政治的意志をもった大幅な改定は現行の最賃決定システムにとって過重負荷(オーバーロード)となり、システムそのものを損傷するリスクもあることから、岸田方針を貫徹する気があるなら、物価上昇率の反映もふくめ最賃制度の再定義がひつようであるといえる。

ところで、2023年代半ばの賃金水準はどうなの?政治主導でやりますか。

◇ 最賃を予定調和的にではなく、政治的意志をもって大きく引きあげることは、わが国の長年の課題である付加価値の分配構造にメスをいれることにつながるので、副作用との関係を思料してからの実行となるが、あくまで政治がリスクを負うべきであり、そのかぎりにおいて反対することはないと思う。

 もちろん、いくつかのリスクが想定されるが、問題は想定外といわれる偶発性のもので、多くは後発性である。とくに政治パフォーマンスをともなう引きあげには、政治的対立から生じる反対運動が生じるのは通常のことで、そこで生みだされる争点は反対を目的として組みあげられるものであるから、多くの場合、解決は困難といえる。

 ある意味ばかばかしいことではあるが、反対のための反対や問題のための問題が状況を複雑にすると思われる。そして、その解決にあたっては政治的妥協しかないので、こうなると合理的解決ではないことが、結果として良かったのか悪かったのか分からなくなる。たとえば「最低賃金なんか上げるからこんなことになる」といった怨嗟の声が一定程度ひろがると最賃制度は大きなダメージをうけることになるが、真相は政治的妥協が効果を台なしにしていることが原因であるにもかかわらず、いってみれば濡れ衣に似た「最賃原因説」がでっち上げられることもあるといえる。そういった紛争の渦巻きに引きこまれたら、実務家レベルでいえば一巻の終わりといった雰囲気がひろがるであろう。一般論として最賃が政争の具になることは避けるべきであるが、さりとて波風たたない改定では意味がないわけで、野党もびっくりという内容であれば与党内が大もめになるであろう。最賃はそういう性格のテーマである。

 したがって、現行システム下において1500円を達成することは可能であるといえる。ただし、そもそも「2030年代半ばに1500円」程度では付加価値の分配構造への影響は軽微ではないか、つまり新しい資本主義という議論の中でどういう文脈でもちだされた方針なのか、部外者にはいまいち分からない。ここでも正体あるいは本心が見えてこない岸田流が感じられる。現時点で経営者団体から異論がないことは意味深であるといえるのかもしれない。

 他方、現行システムを超越し、政治意志で断行する道をえらぶならば、なんといっても賃金あっての最賃であることは変わらないのであるから、2030年半ばの雇用者所得(賃金)の全体像についてどのようにイメージしているのか、明確にするひつようがあるだろう。これに成功すれば、薄れつつある所得倍増策とか、新しい資本主義といった「いうだけの政策」と受けとめられている、わりと中途半端なポリシーがいきいきとしてくるのではないかと筆者はひそかに思っている。期待をして裏切られるのが民主主義だから、すこしは期待してもいいかもしれない。もちろん現実は厳しいものであるが。

 ただ、すべてがずっこけたとしても、何かは残るであろう。それが、たとえ菓子箱や包装紙であったとしても、それはそれで役にたつという計算が労働側にはあるということかもしれない。

先進国の中の低賃金国になったのは賃上げ不足か!小企業の賃上げが肝である

◇ 最賃額の国際比較における、わが国の劣位の克服に無関心であってはならない。もちろん、大企業あるいは中企業がこの論争にくわわることはめったにないことから、すぐれて小企業を中心とする議論と思われている。小企業については製造業・その他では20人以下、商業・サービス業では5人以下と中小企業基本法では定義されている。ここでは「小企業」と、零細をふくみ込んだ表現とした。議論のターゲットとしては、経済センサス(注)の「1~4人」「5~9人」「10~19人」の従業者数(2021年)が順に599万5千人、647万4千人、861万1千人であり、その合計である2108万人(36.7%)を想定している。全従業者数の約37%というボリュームはきわめて大きく、戦略性の高いゾーンといえる。

 しかし、最賃が小企業を中心とした課題であるという見方はいよいよ時代遅れとなりつつある。ポストデフレがはじまるとすれば、2%程度のかるいインフレと高めの有効求人倍率が並走することから、最低賃金の引きあげ圧力が高まることになる。物価と賃上げの好循環を考えれば悪いことではない。とくに、賃金水準が低い小企業においては、労働組合加盟率がきわめて低いことから、連合などの春の賃上げに直に連動することよりも、地域や業種の相場あるいは発注元の意向をふまえて賃上げ額が決まっていく傾向がきわめてつよいといえる。

 先ほどの好循環をささえるうえで、いわゆる低賃金層の賃上げが果たす役割が大きことを考えれば、小企業の経営者に間断のない賃上げの実施をせまる仕組みとして最賃制度は存在感にあふれているといえる。

 また、経営者あるいは使用者の利害から考えても、最賃額をできるだけ低く抑えることが経営者あるいは使用者にとって最大利益をもたらすとはいいきれない事情、たとえば採用が広域化していることから隣接県との差が大きいと求人に差し支えること、また公正競争基準であるから低い水準を温存せざるをえなくなり企業成長の阻害要因になること、対発注元との価格交渉での引下げ理由となること、さらに従業員のやる気に直結することなど考えれば、適正な水準がひつようであることは理解されていると思われる。

 そこで問題の核心は、小企業の付加価値生産であり、それが低水準にとどまるかぎり賃上げはもちろん、最賃の引きあげなどは論外であって、まずは付加価値生産性の向上をはかるべきであるというのが、学者や経営者団体の大方の意見であった。

 そのような論調が長年つづいてきたが、そういったワンパターンの主張が30年以上もつづくなかで、わが国が先進国の中の低賃金国という不名誉な地位を確定させていった現実に着目すれば、付加価値生産性の向上うんぬんといった主張は、残念ながら主張だけに終わっているといわざるをえないのである。つまり、議論はしたが重たく困難な課題についてはこの30年間手つかずであり、ほとんど解決されなかったといえる。ということで「生産性向上が先だ、先だ」と頑張っていたのは、やはり「反対のための反対」でしかなかったのではないかといいたくなるのである。

 と、嫌味をふくんでいることは否定しないが、同時に「で、これからどうするの」とマジメに聞きたいのである。とくに、「生産性向上が先である」といっておられた経済あるいは経営の学者・評論家の方々には、「生産性向上よりも、もともとの成果分配に問題があったのではないか」と申しあげたいのである。

 小企業の賃上げや最賃引きあげは、もともと一次分配をめぐる議論であったはずなのに、いつのまにか小企業の付加価値生産性問題つまりゼロ次分配問題にすりかえられていたのはないか。だから、時間当たりの生産数を2、3個増やさないと単価引きさげはカバーできませんよとか、来期はマイナス8%をスタートとしますといった、きびしさ漂うストーリーか喧伝されていったと思われる。

 こういった収奪型交渉では、はじめに奪いとって、後から付加価値生産に問題があるから改善しましょうといいつつ、新規格部品のために最新鋭の機械の導入がひつようとなれば、巨額の借金をさせる。しかし、新製品の企画がはずれると発注が激減し、補償もなく小企業のたくわえが消えていく事例も多く、そういったことがつづけば企業としてなかなか自立できずに、逆に発注元企業への依存が強まり、とてもじゃないが従業員の賃上げなどいいだせないという隷従の地位に押しこめられるのである。こういったところにわが国のデフレをささえた業界事情、または産業構造の不健全さがあったように思われる。

 とにかく、自民党などの保守政党には構造問題や基本問題を避けることが生きのこりの早道という認識があるように思えるのである。このような権力の保持に固執する政党を前提にするかぎり、二大政党的政権交代は土台無理ではないかと、感じている。

 そこで、権力の保持だけにこだわっていたのではいずれ国民の支持を失うし、現実問題としてわが国の衰退に歯止めをかけることが困難であることから、やはり構造問題に着手するべしというのが、新しい資本主義という発想であったと好意的に受けとめている。しかし、「新しいということは馬鹿らしいということですよ」という玄人の声が聞こえてきたが、しかしそのいい方は早すぎる。一度吟味してからでも遅くはないと思う。

 ということで、岸田首相の新しい資本主義のなかにそういった受発注関係における支配被支配の解消があるのかどうかわからないが、サプライチェーンシステムに組みこまれた付加価値収奪構造が小企業の低収益、低賃金体質を生んでいるというのが筆者の見立てであるから、そこに切りこまないかぎり、春の連合を中心とした賃上げ運動だけでは、めざしている物価と賃金の好循環には力不足といわざるをえないのである。

付加価値生産性の向上は困難、むしろ小企業への分配を増やす方が先決である

◇ あらためて整理をすれば、この付加価値生産性というものが個別企業それも小企業にとって改善可能な「しろもの」であるのかという疑問がもともと存在しているのである。たとえばサプライチェーンが高度にシステム化されている現状は、受注から原価管理までを発注元に把握管理されているということであり、こういったほとんど「埋めこまれた」立場の小企業が自力で付加価値生産性を改善する余地があるとはとうてい思えないのである。というよりも、発注元の原価低減という仕組みによって、わずかな付加価値をもさらに刈りこまれるという逆むきの現象が生じているのが実情であるといえる。

 つまり表面上は、小企業の付加価値生産性の向上を主張しながら、実態は付加価値の刈りこみを平然とおこなってきたという、「いっていることとやっていることの矛盾」がどうどうと存在し、しかもそれをわれわれは見過ごしてきたのである。それが今ごろになって、わが国経済の不調の遠因であるのではないかといった反省まがいの声が、少しばかりではあるが世の中に広まりつつあるといえる。

 他方、サプライチェーンシステムに埋めこまれなくとも、発注元との力関係では圧倒的に不利である場合には、受注(小企業)側の付加価値の取り分はどうしても低く抑えられることになる。もちろん相対取引での付加価値のとりわけに行政が介入する余地などないということであるから、当然のこととして商取引以外のしくみをつかった、小企業への付加価値の分配増を工夫しなければならないということになる。

 この小企業への付加価値の分配増の必要性がしずかに芽吹きはじめる時期がくると思っていたが、残念なことに自己責任という風潮がその芽をつぶしてしまった。力関係において劣位にあるものをさらに不利な立場に追いこむ強迫観念が「自己責任」であったわけで、いわば小企業を劣位に閉じこめる呪いの言葉ではないかとも思う。尊厳があるので隷従とはいいたくないが少なくとも劣位の立場にあるものに対し、その立場こそが自己責任の結果であると決めつけることがどれほど酷いことであるのか、倫理観をうしなっている人間には分からないとしても、政治家は分からなければならない。そう思えることが政治家であることのあかしであり、まもるべき最後の倫理観ではなかろうか。

 これは同情論ではなく、れっきとした小企業の付加価値増大論であるといいたいが、何十年もかかってやれなかった難問であるから、普通の方法ではこの先もむつかしいといえる。現実問題として力を背景にした発注元の交渉圧力に対し、きれいごとでは1ミリも動かせない、ただ押しこまれるばかりである。まるで、某国の力による外交に似ている。そこで、重要なのは力の支配から法の支配へとルールを切りかえることである。

 となれば、小企業のつよみが数の多さである点に注目し、事業者の結集をはかり社会的、政治的影響力を強化するのが上策といえよう。

 もちろん、小企業のオーナーが保守系にかぎらず国会議員はじめ地方議員の有力な支援者になっていることは普通にありうることなので、すでに個別に強く要請していると思われるが、問題の核心が付加価値をめぐる発注元との壮絶な綱引きであることから、通常の方法では動かせないということであろう。

 考え方としては、交渉構造は労働者のそれと酷似しているので、しくみをそのまま活用すればいいのではないか。とにかく、団結し、要求に結集することである。また、安易に政治団体化しないことであろう。(政治団体になると介入されやすいのである)

 そのうえで、たとえば増えた付加価値の50パーセントは従業員の賃上げに、50パーセントは事業者の経営的取り分と、事前に決めておけば従業員の協力も得やすいであろう。政府が率先して賃上げに動くということは、経済政策としても雇用者所得が低いことが景気回復の障害になっているとのコンセンサスがあるからで、ざっといえば賃上げが時代の正義となっているのである。したがって、賃上げの原資となる付加価値の配分を高めるるように発注元にもとめることは一般的に理解が得られやすいし、成功しやすいといえる。

 ということからこのタイミングを生かし、集団交渉だけでも実績として固めておくことは先にも希望がのこると思われる。もともと、小企業のなかでも発注元が寡占化している場合は資本主義経済の基本単位としての資本とよんでいいのかどうかについては、自営ではあるが資本が稼いでいるというよりも、自家労働で稼いでいると思えるので、もちろん厳密な区分はひつようではあるが、みずからが使用者でありまた労働者であるという二面性も強いと考えている。

 ということで、発注元への付加価値増要求とは労働組合の賃上げ要求に類似しており、業種ごとに対発注者全体への要求としてまとまれば集団的労使交渉、今でいう産別交渉の枠組みとその手法が生かせるのではないか。ようは交渉をへて単価を決定することは、力を背景にした現行の決定方式よりもすこぶる合理的でまた説明性に富んでいるといえる。結果的に単価が上がり、関係する労働者の賃金が改善されるのであるならば、付加価値の均霑分配が実現できるわけで、経済政策としても上々であるといえる。そうなれば、岸田賃金政策は成功したといえるのである。(賃金政策との自覚はないようにみえるが)

小企業の付加価値増大のための方策は、集団交渉が可能か?

◇ さて、「小企業の付加価値は少なくとも1割以上は改善されていたであろう」という文章を成立させるための主題には何が適切であるのかと小むつかしい設問に自分で勝手に悩んでいる。つまり、何をすればということである。もちろん、小企業への付加価値分配が増えたとしても、そのまま労働者の賃金が上がることになるかどうかは分からない。場合によってはゼロかもしれない。しかし、小企業への付加価値分配が増えないことには、労働者の賃上げはまずむつかしいということで、順序をいえばそういうことなので、まずは小企業の付加価値増をめざすことになる。

 では見方をかえて、政治アクターが前述の主題(何をすれば付加価値増を実現できるのか)を用意しているのかといえば、各党とも中小企業対策そのものは手厚いが、その内容は総花的であり対処療法的であって、もっとも大事な構造問題については手つかずといえる。とくに、小企業の付加価値確保という視点については支持者間での葛藤を招くことが予想されるので避けていると思われる。

 小企業事業者の多くは一般的にいって労働者よりも政治への参加には熱心であると思われる。しかし、みずからの事業をしばっている構造問題について、本格的に問題を抽出し解決をはかるというレベルにはいたっていないようで、政権政党の支持者も多いというのに、また集会などには積極的に参加してはいるものの、そのことが問題解決の推進力とはなっていないと思われる。こういった支持者の要求に正対しないという政党のビヘイビアは、与党においてもしばしばみられるもので、主権者には拝むがごとく対応しながらも本心は正対していないというのはあんがい一般的なのかもしれない。

 ようは、小企業の付加価値の取り分が低すぎるところに、わが国の各産別労使がまとめた賃上げが波及していかない原因があると筆者は考えている。こういった小企業が十分な付加価値の分配をえられていないのは取引における力関係が反映しすぎているところに原因があると考えるならば、まず取引の力関係を補正するひつようがあり、そのためにはまず小事業者がそういう問題であることを正しく認識するひつようがあるといえる。

 取引の力関係を補正するということを分かりやすくいえば、「付加価値奪回をめざす集団行動」を構えるということに帰結するわけで、そのためには小企業の事業者による「政策・制度実現行動」を企画することであり、全国規模で組織化することを意味するものである。 

 過激だと思われることを承知のうえでつづければ、取引や交渉において劣位あるいは不利な立場にあるものが、その力を回復させ力の均衡をはかるために合法的にとれる手段はかぎられている。労働者が使用者に対して対等な交渉者としての地位を獲得するにあたって、憲法や労働法規が味方しているといえるが、小企業の事業者が発注元に対し対等な交渉上の地位を獲得することにかぎれば、労働関係とはちがう枠組みの中でよりきびしい立場におかれていると思われるが、ここは自力で政治的影響力を確保していくしかないということであろう。

小企業の生産性の向上には時間がかかる、経営者団体の責任が増大している

◇ ところで、経済関係における力の支配となると新自由主義まるだしであり、それでは社会全体が円滑にまわらないことは経験的に分かっていることなので、力関係を調整するためにも法律による競争関係あるいは取引関係の整理がひつようであるし、すでにもろもろ設置されている。そういった仕組みのなかで、小企業の付加価値確保を実現していくことが可能であるのか、などについての経営者全体の意識改革も重要であるのだが、ここ30年の間に「企業の社会的責任論」が否定形の議論に終始し、すこしも前をむいたポジティブなものになっていないあたりが、社会にむけての規範性の提起にいたっていないわが国経済界の大変残念な状況があるように思える。

 今ではすこし影がさしている感じがするが、やはりSDGsの結界ははずせないし、とくに気候変動はじめ米中対立や国家間紛争、クーデターによる民主政治の破壊など国際環境も急速にあるいは急激に悪化しつつあることから、経済界としても一定の見解をまとめるひつようがあるといえるであろう。

 幸いにも、先進国を中心に政労使の三者構成の枠組みが既存システムとして機能していることから、わが国においても三者の対話による合意形成がいっそう重要視されると思われる。

 そういった率直な対話からみいだされた国内の課題が、そとにむかって発散していくことは避けるべきではある。とはいえ、各国とも経済と政治の相克にはじまり格差拡大などが気候変動問題と相乗し、なかなか手に負えない巨魁課題として立ちはだかりつつあり、建前や見栄えばかりを気にしている場合ではないように思われる。とくに格差問題が先進国の共通課題となりつつあることから、協働して立ちむかうべきとも思われるが、現実はなかなかむつかしいようにみえる。

 という国際的なマクロな視点にたてば、賃金や最賃問題はとりわけミクロな課題ではあるが、細部を放置したままでは全体解決の扉は開かれないようなので、当面は小企業の付加価値の増大に汗を流すことが重要であると思われる。

 

◇ さて、岸田首相の突然の最賃目標の提示にやや冷たい反応を示してみたが、決して否定するものではない。大きな風呂敷である「新しい資本主義」にどのように包み込まれるのかといった視点に軸足をおいただけである。さらに、労働者への分配は国民経済の中心課題であるから、今までが無関心すぎたのであって、ようやくまともな議論がはじまったといえる。評価するにやぶさかではないが、遅きに失する感なきにしも非ずという気もする。

 感想はさておき、小企業の付加価値の増大が衰退日本としての数すくない起死回生策のひとつのような気がするのであるが、強欲になれきったわが国経済界がどれほど覚醒してくれるのか、ひとり一人は立派な経営者であっても十人百人と数を増すうちに集団として劣化していくのが人間というものであるから、余分な期待も世辞もない。ただ衰退日本にしてしまったことへの反省ぐらいは聞きたいと思っている。

受発注関係にひそむ付加価値収奪構造の改善を急ぐべし

◇ 今の小企業は、たとえてみれば非正規労働者と同じような境遇におかれているともいえるのではないか。たしかにさまざまな助成制度が行政(中央・地方)によって工夫されてはきたが、本線の分配構造の正常化を迂回した形での工夫では限界があったといわざるをえないのである。

 小泉政権時代にさんざ喧伝された「改革なくして○○なし」とのフレーズが残したものは、本格的な構造改革や付加価値の分配構造にはいっさい手をつけない、そのかわりにたとえば公営事業のいびつな民営化とか、規制緩和を口実にした弱い立場の労働者あるいは零細な事業者への付加価値分配の絞りこみといった弱いものいじめの改革であった。それらは体のいい収奪強化策といっても過言ではないのである。今日、非正規労働者が2000万人をこえている現実こそが、論をこえた証拠ではないか。まして、資産はおろか所得においても二極化がいちじるしい格差拡大の実態を前に、経営者でさえこれでは「経世済民にあらず」との慨嘆を覚えているのではないかと推察するのである。

 そういう意味では、新自由主義が結果としてもたらしたものは、人びとの自由闊達な経済活動による大きな繁栄ではなく、相対的感覚で表現するなら多数の窮乏化と超少数への富の極端な集中であり、さらにくわえれば19世紀啓蒙思想の論争なき破壊であったといえる。啓蒙思想のことはともかく、新自由主義の自由とは資本だけの自由であり、新とは資本主義の暴走をおさえていた倫理観のスウィッチオフのことである。つまるところ資本が王座につき、あらゆる理屈と手段を駆使して生身の人びとを駒として酷使することを許す思想なのである。いや、思想ではなく、資本の幻術なのである。少なくとも、まともな人がショック・ドクトリンを思想とよぶことはないであろう。

小企業の対受注元との単価交渉に制度的助力を、対等でなければ交渉とはいえない

◇ ということで、小企業の付加価値生産性の向上なくして賃上げも最賃引きあげもないと強硬に主張する側と、まずは小企業への付加価値分配を引きあげることを強制的に前置することで、賃上げも最賃引きあげも同時に先行させるという側の、「鶏と卵のどちらが先か論争」が生じているわけで、既述のとおり前者の方法では百年まっても進まない。すでに30年待っているのに少しも改善されないではないか、というのが筆者の主張である。

 そこで、強制的に何を構築するのかという各論が重要になってくるが、強制というのは法の介入であるから、現状では最賃制度が有力な支えといえる。もちろん現行の最賃水準のままでは低すぎて直に使うことは副作用をともなうこともあって、むつかしいといえよう。

 しかし、相対で価格交渉を展開するうえで、双方の力関係を均衡させることが、市場機能を発揮させるためにも必須であると考えるならば、事業者による集団交渉という方式や委任交渉などの採用が考えられる。しかし現状は、発注者である大企業などがことごとく交渉を支配しているというべきで、これでは市場機能の発揮という点においても説得力を欠いていると思われる。さらに、発注元が付加価値の多くをとることから、サプライチェーンでの付加価値の偏在を生み、たとえば資金の循環がとどこおるなどさまざまな経済的不都合が発生し、それらが経済全体にも悪影響をおよぼしているといえる。

 また、小企業の労働組合結成率あるいは従業員の労組加盟率は全体の推定組織率である16.5%に比べて圧倒的に低いと思われるので、小企業の賃上げを労使交渉方式にもとめることはむつかしいといえる。つまり、大企業・組織労働者モデルが適用できないケースが大半であることから、その分野(小企業)については新しい方式をつくらなければ、付加価値の分配をとおして賃金と物価の好循環をめざすことにはならないといえる。ということで、岸田首相が最賃をかたるのであれば、当然雇用者所得の全体像を俯瞰しながら、とくに小企業の賃上げと最賃の関係を戦略的に連関させていくことが肝要であると思われる。

 また、今年の賃上げの取りくみで、おいてきぼりを食らっている人びとをどうするのか、くわえて来年の賃上げならびに最賃引きあげをどの程度目標化するのか、などの基本的な論議について、少なくとも政労使の合意形成は早めに行う必要があるのではないか。とくに賃金については今年、来年が勝負であって、賃上げの持続化が好循環の前提条件であることを政府の認識として徹底するひつようがあると思われる。

 ということから、賃金についての重要な議論がおこなわれる段階で、最賃水準の長期方針をしめすと、逆に何やら手じまい感がうまれるもので、その方針が驚天動地レベルでないかぎりせっかくのいい感じが萎んでいきそうである。

 もっといえば、今年の賃上げはまだ終わっていないのである。少なくとも小企業域あるいは未組織域では未実施も多く、賃上げがおこなわれたとしても連合水準の○掛けという実態にあるのではないか。厚労省の毎月勤労統計調査では、7月も実質賃金が2.5%減となっている。6月が1.6%減であったから、このまま8月9月も減がつづくとなれば、ますます個人消費の腰折れとなり悲惨な状態をまねくと思われる。

 実質賃金のプラスがつづかないと個人消費の回復の心証がえられない。賃金が物価に負けつづけることになれば、春の賃上げは不発だったといえるわけで、岸田首相の評価に直結するであろう。

 とにかく、粘り強く仕掛けていくことが肝要である。本来なら秋に小企業を中心としたの賃上げフォーラムを展開するぐらいの根性を発揮しなければ、人びとは岸田首相が本気であるとは思わないであろう。賃上げはまだ終わっていないのである。こういった不徹底なところに、おそらく人びとの不満があるのではないか。

7月の実質賃金が2.5%減で、完全な賃上げ不足である、秋に賃金交渉を

◇ 世の木鐸は大きく鳴らして小さくまとめるもので、それを知性といっていいのかもしれない。筆者は労働への分配増を中心に賃金改定し、それに連動するかたちで価格体系を改定していけばいいと考えている。もちろん、経過的にインフレを引きおこすおそれが考えられるが、新しい資本主義というのであれば、その程度のことは射程に入れるべきであろう。その程度とはインフレを侮ったいい方になるが、価格体系の改定にはインフレがひつようであるし、その覚悟がなければこの課題を解決することは永遠にできないと思う。

 今年の春の賃金交渉は連合レベルでは一定の評価をえているようであるが、7月の実質賃金が2.5%減という厳しいものとなっている。この結果から当初の政労使の主張が十分に活かされたと読みとることはできない。ひいき目にみても、めざしたものとの乖離が大きすぎるといわざるをえない。 

 これは賃上げ不足であり、深刻な事態であると思われる。であればさらなる労働への分配を増大させるためにはどうすればいいのかについて、各セクターが協働し、知恵をしぼりさらに汗を流すべきである。

◇ アベリアがサルスベリ呼ぶ残暑かな

注1)朝日新聞が、「岸田文雄首相は31日、『2030年代半ばまでに全国加重平均が1500円となることをめざす』と表明した。今秋の引き上げで、これまで政府が目標としてきた1千円を超えることを受け、つぎの目標を示した形だ。」(2023年9月1日朝刊)と報じている。

注2)最低賃金の未満率とは、改定する前に、最低賃金額を下まわっている労働者割合をいう。

注3)最低賃金の影響率とは、改定した後に、改定後の最低賃金額を下まわることになる労働者割合をいう。

注4)中小企業基本法では、小企業を製造業では従業員20人以下、商業・サービス業では従業員5人以下としている。

注5)経済センサス基礎調査では、純付加価値総額=売上高-(費用総額(売上原価+販売費及び一般管理費))+給与総額+租税公課 としている。

注6)経済センサス基礎調査では、2021年6月1日時点における従業者規模別事業所数及び従業者数「1~4人」が285万6千事業所(事業所全体の56.2%)、599万5千人(全従業者の10.4%)で、「5~9人」が98万4千事業所(同19.4%)、647万4千人(同11.3%)で、「10~19人」が63万7千事業所(同12.5%)、861万1千人(同15.0%)でえあった。(令和4年5月1日総務省・経済産業省)

注7)地域別最低賃金額の平成23年度から令和2年度までの10年間における未満率及び影響率については、未満率は1.6%~2.7%に、影響率は3.4%~16.3%にそれぞれ分布している。(「最低賃金に関する基礎調査」厚生労働省)本文中の筆者見解の未満率10%、影響率20%についてはあくまで議論上の方便というべきものである。

加藤敏幸