遅牛早牛
時事雑考「岸田総理にとってチャンスではあるが、空振りも心配な年末年始」
【2023年もそろそろ帰り支度で、何かしら寂しい気がする。日本国憲法前文には「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」とある。初めて目にしたときは「崇高な理想」があると思った。また諸国民は「平和を愛する」ものと思ったし、「諸国民の公正と信義」を信頼しようとも思った。
あれから60年、今さらそれらを否定しようとは思わない。しかし、「われらの安全と平和を保持」する前提としての「諸国民の公正と信義」に対する国民の認識がおおきく揺らいでいることも事実である。
一国平和主義が行きづまってから久しいが、さりとて集団的安全保障の議論がすすんでいるわけでもなく、なんとなくやむをえないと追認するばかりである。それで日々おさまっているのだから、波風をたてることもないと思う。それでもたまには侃々諤々の議論をしてもいいのではないかとも思うのである。というのは国防強化論もそろそろピークアウトしそうで、そうなると新たな平和論が求められるのではないかと感じている。現実を踏まえたうえでの平和構築のための立論がなければ国民は安心できないのではないか。これが政権交代の条件式であると思う。
さて今回は、政治資金パーティー売上金還流裏金事件について、思いつくままに書き流したが、平家物語の書きだしを思い浮かべた人も多かったと思う。しかし「奢れるもの久しからず」だけで終局させるわけにはいかない。出口はあくまで令和政治改革であり、衰退日本に歯止めをかけることであると思う。
そのためには「人を代えない」ことが一番で、いつも問題がおこるとヘッドを代えてごまかしてきたが、いまわが国が直面しているのは支持率問題ではなく政治システムそのものであるから、ヘッドではなく権力構造を変えなければ良くはならない。そういう意味では金権派閥にメスを入れるべきである。ではよいお年を。例によって文中敬称を略する場合あり。】
「天網恢恢疎にして漏らさず」なのか?
◇ ここ3週間近く(12月20日起点)、キックバックとか裏金といった言葉がとびかい、はては不記載があったと思しき閣僚が交代させられるなどそうとうに騒がしかった。こういった事態を政局のはじまりというのであろう。とはいっても、事実確認が不十分な段階での大臣・副大臣の更迭的交代には不満や疑問もあって、岸田政権の危機管理ではあるが、党内の反感は尾をひくと思われる。
しかし、内閣のスポークスマンである官房長官が原則平日2回開催される定例記者会見において、自身への質問をめぐって会見がヒートアップしていては、現実問題として仕事にならない、つまり政府としての行政全般にわたる説明責任が果たされないということになる。交代はやむをえないと思う。
ただ、ネット空間などでは内閣の低支持率を足場に、ことさら問題の拡大をはかるがごとき言説も散見されたが、捜査の推移すなわち事実の解明をまってからでも遅くはない話題も多かったといえる。とくに、ここ1週間の情報番組についていえば「空中遊泳」の度がすぎる話も少なからずあったと思う。
事実の解明を待ってからでもというのは、たとえば「疑いがある」ことがたしかに「事実」であると思われても、その「疑い」の中にはいくつかの錯誤が混じっていることもあり、さらにその錯誤によっては最終的に「(伝えた内容が)事実とはいいがたい」と判断されることも起こりうるわけで、ちなみに「Aさんが○○といったのは事実である」としても○○のすべてが正しいかどうかは分からない。もちろん報道にとってネタ元の秘匿は生命線であるが、中身の信憑性についても触れることが必要な場面もあったように思われる。過去の判例からいって採用されなかった証拠も多いのである。
また、空中遊泳というのは、仮定の二段とびで、「○○であれば△△となるであろうし、△△となれば□□となる」ということが、「○○であれば□□となる」ことに直結するものではない。そうなれば、そうなればと重ねることはストーリーを展開する手法としては面白いが、政局予想に活用しすぎると「決して間違っているとはいえないが、確率はきわめて低い」事象の確率を根拠もなく桁上げする(確率変更)もので、報道の立場としては注意がひつようである。報道するなら確率変更していることを伝えるべきであろう。
さらに、捜査の焦点が政治資金規正法における不記載であり、主役が会計責任者になっているという法律の建付けを踏まえたうえで番組内では議論をすべきである。この点についての当初の報道の印象をいえば、巨額の還流をうけた議員がそれを裏金化していることが処罰対象であるといったニュアンスがにじみでていた感じがあって、どちらかといえば裏金に軸足をおいているようであった。これは回を重ねるごとに軌道修正され、家宅捜査時点までには、共謀の立証がむつかしいところに話題が移っていったが、報道全体の中での捜査対象の位置づけをめぐり、ちょっとした違いがあったのではないか、ひと言でいえば政治家の逮捕に気が向き過ぎていたのか、まあいずれにせよニュアンスの問題ではある。
この先捜査の結果として、どういうことになるのかわからないが、世間の期待ほどには政治家が対象となる可能性は低いのではないか、と思っている。それでは「国民の怒りはおさまらない」といわれても、刑事告発の出口については法治国家だから無理なことは無理だというしかないのである。現状はむしろ「煽った」という批判が生じるかもしれないと思う。まあ、「国民の怒り」は選挙で表現するということに、理屈としてはならざるをえないと思う。
捜査対象の主役は会計責任者であるがケースによっては議員も
◇ そこで、一部の報道あるいは政治評論家の言説によれば、この問題は自民党の体質に原因があることから自民党全体にひろがる可能性が高く、そうなれば岸田氏の総裁としての責任が問われるのではないかということで、内閣支持率のさらなる低下をともないながら政局化するとの見通しも指摘されていた。
そういうことが起こりうることを否定する気はさらさらないが、しかし冷静に考えれば、本人(総理)がかかわらない政治資金規正法違反(不記載・虚偽記載)だけで政権崩壊にいたることはないというのが大方の判断ではないか。
とくに、政治団体の会計責任者(多くの場合職員、秘書)が主役であり、また当該議員の関与については実証がむつかしいという現実もあり、件のネット空間の一部が期待しているような捜査結果にいたるのかどうかについてはこれからの進展次第ではあるが、ふつうの不記載なのかあるいは共謀性のある不記載なのかというあたりが焦点になると思われる。さらに、不記載であったからといって関係者がただちに法違反の責任を問われるかどうかは個別に判断されるもので、過去の事案からいっても事例はすくない。
また、還流問題の発現地はあくまで安倍派であって、しかも派閥による指導があったということであれば、派閥の組織的行為であるといえることから、安倍派が責任を負うべき不祥事であるといえる。それについての責任を総裁に投げかける理屈が正直よく分からない。まして、行政府の責任機関である内閣に立法府内の不祥事の責任を求めることは、筆者の論法でいえばそれこそ憲法違反ではないかといいたくなるのである。議員のことは議会で始末すべきではないか。
さらに、共謀に現職の国会議員がかかわっているのかどうかは今のところ不詳であるのだから、写真付きパネルの扱いは抑制的であるべしと思うが、そこは見解の相違の領域かもしれない。筆者的にはやや神経質な取りあつかいに傾いているが、疑わしいだけでどこまで報道していいのか、について整理がひつようではないかと思う。報道の自由が第一であることは論をまたない。政治家のなり手がいなくなることについてもすこしは気になるのだが、こういう問題は時間がかかるのであろう。
来年の通常国会に先だって、政府の対応策をしめすべきではないか
◇ そこで、今回の騒動の要点をまとめれば、まずは自民党の派閥である安倍派と二階派の「政治と金」にまつわる不祥事であって、当面は捜査の行方を見守ることになると思う。つまり刑事告発された案件については、法違反は法違反として捜査の結果をまつということであろう。
しかしながらそうはいっても、一月後には通常国会がはじまるわけであるから、法違反とはべつに政治責任として、「政治と金」の問題への対応が求められていることから、通常国会開催にさきだって岸田総理から対応策の概要を提示することになると思われる。
ではその対応策とはいかなるものかは、不祥事をうけての対応策であることから普通にいって「そうとうに前向き」のものでなければならないということだけはいえる。しかし、他党とくに野党をまきこんでの新法提案あるいは抜本的な法律改正におよぶ大がかりなものにはなりえないと思われる。理由は時間不足である。とくに、政党法とか政治資金審査機関の設置といった大仕掛けなものは1年や2年では無理である。となると、大きな方向性をしめすだけに終始するといった従来パターンにおちいる可能性が考えられるが、その程度であれば与党は選挙では勝てないので、ここは革新性の高いアイデアを生みだすべく岸田派の踏んばりが注目されると思っている。
という立法にかかわる流れと、岸田総裁としての戦略的党内改革論の二本立てになる可能性が濃厚である。日ごろ選挙の顔としては弱いといわれている岸田氏にとって千載一遇の好機とも思われるが、フルスイングしてもミートしなければ空振りに終わる。だからここは、逆に「自民党をぶっこわす」といった小泉流に倣えばいいのではないか、という考えもでてくると期待している。
つまり、派閥が金権体質を強めたところにまちがいの原因があるとの仮説にたてば、方策としては「金権派閥解散」を総裁として宣言し「政策派閥」化を提案すればいいのである。筆者は派閥が存在悪であるとは考えていない、どちらかといえば現実的活用論者であって「理念や政策の方向」にもとづく政策集団の存在は大いに有用であると考えている。
かつての民主党にはグループはあったが派閥はなかった。グループは緩やかな理念的傾向を共有していたのであるが、残念ながら金と権力がなかったので凝集力や継続力に弱さがあり、民主党全体としてはレジリエンスに欠けていたと思っている。やはり、党内中間団体が党のレジリエンスをささえなければ危機には弱いといえる。しかし、金と権力が前にでて、理念や政策が後ろにまわると現在の自民党的状態になって締まりのないものになるのである。
ということから「金権派閥」から「政策派閥」への改造を打ちだせばいいのではないかと考えている。これは外野からの無責任な発言であるが、政権政党の健全化は国民にとっても重大事であるので、いってみたということである。
「金権派閥」から「政策派閥」へ、誰が旗をふるのか
◇ 内閣支持率がひどく低いのは岸田総理ひとりの責任ではない。もちろん過半の責任は岸田氏にある。しかし、党や内閣に覇気がないのは誰のせいであるのか。それは覇気のないそれぞれの責任であろう。今の自民党は歴史的にまれにみる低覇気状態にある。それで、「岸田降ろし」をやれるのか。現王を廃し新王をたてられるのか。評論はいってみれば笹の音で、笹の音は風が起こすのであるが、いまだ風をつかんだ者を見ない。いちいち評論を気にすることはない。それよりも風を把握することが先決であろう。
危機・緊急時においてはじめて「金権派閥」の解消が総裁の掌中に入りそうになるので、ここでこそ「暴走宰相」を地でやればいいのではないかと思う。筆者は岸田氏の応援団ではない。ただ、(岸田氏を)代えて世の中がよくなるとは思えないのである。代えても代えても良くはならないことを経験しすぎたのかもしれない。巷間、名前があがっている面々はたしかに魅力的ではあるが、現状のままでは金権派閥の支配に屈するだけであろう。それでは意味がないから、今権力を有しているまた本質的に頑固である現総裁がまず「金権派閥」の解消を断行すべきであり、その手順のほうが現実的であると筆者は勝手にそろばんを弾いているのである。
つまりひと言でいえば、派閥の武装解除からはじめなければ、同じことの繰り返しとなるから、まず「金権派閥」の電源を落とすことが先決といえる。
それをやらずに岸田氏を降ろしてから、新総裁選出という舞台をまわしはじめるならば、寝たふりをしていた「金権派閥」が水面下で暗躍しはじめるのではないかと危惧している。逆説的にいえば、時代に即した新しい総裁選出の仕組みが確立していない段階で古い方式を廃却するのは愚策であるということである。さらにいえば、システム的には新バージョンに不具合が発生したときには、直ちに旧バージョンに復帰する必要があるが、その時点で旧バージョンが廃却されていると何もできない、決められない空白が発生することになる。改革とはシステム移行に似ていて、一番気を遣うのは新システムのバグだしで、これには相当の時間がかかるし、本番テストが重要である。思わぬトラブル発生への対応策はとりあえず旧バージョンへの復帰ということにならざるをえないのである。こういったシステムものの移行と自民党の総裁選出の改革とを同じテーブルの上で議論するのは異例のことであるが、成功した改革には秀逸な移行プランが付随しているものである。
そういった移行プランが実際にありえるのか、つまり策定可能なのかという根本的な問いかけと同時に、今回の不祥事が「人を代えて」済ませられる問題ではないのに「人を代える」ことにとくにマスメディア空間は固執しているように感じられるが、政権を保持しつづける便法として「人を代える」イベントにはしる癖が自民党にはあるので、いつまでも騙されつづけてはいけないということである。
しかし、自民党にとってリアルにいって党内権力構造そのものである金権派閥の存在を消し去り、それに代わる自浄的民主的権力構造を構築できるのか、さらにその新システムが国政選挙において過半の支持をえることが可能であるのか、正直いって書いているだけで虚しくなるのである。政治における政治集団の自己改革は事例的に分析すればするほど不可能ではないかといった思いさえ去来するのである。
そういったことを踏まえて、複数政党による政権交代のモデルが構想されたと理解しているのであるが、2012年の当時の民主党政権の崩壊によって政権交代モデルそのものが崩れたと筆者は考えている。
という悲観状況にあって、公明党を含めた与党体制が抜本的改革に着手する動機がありうるのか、衝動ではなく長期にわたる困難をのりこえるだけの意志をともなう強力な動機がありうるのか、というあたりが議論の肝であるといえるが、問題は国民のほうにもあるということかもしれない。
ということで、そういった環境の中で「小石河」連合が成立したとしても、できることは戦術的な機先を制する類の作戦ぐらいであって、たとえば寝たふりの金権派閥が起きあがるまえに、ドアにクギを打って閉じこめてしまう程度の策であったとしても、そういった具体的な策こそが最低限ひつようであると思われる。逆にいえばできることはその程度なのである。が、やるべきであろう。ところで、「小石河」連合の内実は空であるから、竜巻のような現象が起こるかもしれない。
といった混乱に乗じて、もし派閥の合従連衡で次の次の総裁が選ばれるという従来方式が復活するのであれば、米粒ほどの改革にもならなかったということであろう。
今日世間で喧伝され、また人びとが蝟集している「なんでもかんでも派閥が悪い論」を総覧すればそういう議論になると思われる。
「政治の世界に難しいことはない。なんせ立法権も行政権もにぎっているのだからできないことを探すほうがむつかしいのである。問題はやるかやらないかである。」とはいってみても混乱のつけはすべて国民のクレジット払いになるのであるから、危険を察した国民はつまらないとは思いながらも、現状維持をえらぶというのがこの国の真実ではなかろうか。
やはり本音は安倍派処分か?それでは政治として小さすぎる!
◇ 今日段階をいえば、検察当局としては安倍派、二階派における収支報告書への不記載の解明であるが、キックバックとか裏金を生みだした動機の解明も重要になっていることは論をまたない。とくに還流をうけた議員にとってそれを不記載にすることに不安を感じたことも少なからずあったと聞いているが、結果からいえば記載しておけばよかったということで、うら返していえば派閥の指導は裏目にでたわけで、議員サイドにすれば迷惑しごくなものであったといえる。では、それほどのリスクを冒してまで不記載を求めた動機とは一体何だったのかという点について、自民党が明らかのする気があるのかないのか、たしかに捜査中なので余計なことはやらない、いわないという理屈は分かるが、この問題は本質的に自民党の名誉にかかわるもので、いいかえれば派閥にコケにされている党本部という図式に見られているのである。
ということから、捜査過程において他の派閥にかかわる新たな疑惑がうかんでくれば話がちがってくるが、派閥ぐるみで(共謀して)不記載におよんだというところに核心があると仮定すれば、おそらくこの問題はいずれ党による安倍派処分に収斂されことになるであろう。だから、今回関係する大臣・副大臣を交代させたのは当然の処置であって、怨みごとを吐くような事ではないのである。つまり、不記載である安倍派議員は怨みごとをいえる立場にはないのであって、そんな事よりも派閥としての存続をはかるためには、動機をふくめ不祥事の実態の解明に全力を挙げるか、あるいは捜査に全面協力すべきであろう。といいつつ読者において、やはりというか何やら釈然としない疑問がうかんでいると思われる。
それは、政党と派閥の法的関係である。今まではあまり気にならなかったことであるが、今回のような法違反それも長年にわたって行われていたとなると、たちが悪い、悪質であるということになるであろう。法律をつくる者がこんなありさまとはじつに嘆かわしいことである。と思う中で、この派閥に対して政党には管理・監督義務があるのかないのか、といったところも政治問題化すると思われる。
方向としては、党内に聖域をつくってはならない、派閥をのこすなら、党内政策団体への管理・監督の強化をはかるべきということになると思われる。
次の総選挙は与党にとっても安倍派にとっても厳しいものになるかもしれない
◇ もっとも、どのような手だてをつくしたとしても集団としての安倍派の存続はむつかしいといわざるをえない。とくに、次回総選挙が試練となるが、それは自民党にとっても同じことであろう、いやさらに厳しい立場に立たされるかしれない。派閥解消とはいわないが、確とした対応策をださないかぎり自民党自身がもたないということで、すでに正月はふっとんでいるのである。
また、次回総選挙での公認がえられたとしても、不記載とした議員の再選には暗雲がおおっていると思われる。強力な派閥に属したことを幸運と単純に喜んでいたのであろうが、いまではおそらく「ほぞをかむ」思いではないか。中には事情がよく呑みこめていない議員がいるかもしれない。個々の議員でいえば派閥のおかげで実力以上に政治的影響力を発揮できていたかもしれないが、それはもう昔の話であって、今では国民からは大義を忘れた利己的集団に過ぎないと思われているのである。
「裏金」あるいは「裏金疑惑」だけで、有力議員であっても落選させることができるのだ。猫に追いつめられたネズミ、川に落ちた犬と表現は数えきれないほどあるが、どんな表現も現実の惨めさを超えることはないであろう。そこで猫とは具体的に誰なのかという問いにぶつかるが、これこそいわずもがなではないか。単純に、安倍派の崩壊から岸田退陣の見取り図をしめす向きも多いが、それは分かったうえでの行為(ミスリード)であって、もちろんある条件のもとでのことではあるが、先に窮地にあった者が逆転勝利するというドラマチックなシナリオが考えられるし、今のところそれが最有力といえるのである。
安倍派にすべてを押しつけて結着をはかるのは、やはり卑怯ではないか?
◇ 一強といわれていた安倍派が今や心情的には虜囚の身となっているが、不記載を指示した「誰か」がすべて悪いという構図でこのピンチを切りぬけることはできないのである。状況的には心情的虜囚から政治的生贄への道という選択しか残っていないのかしら、とも思う。
ここから先は妄想の世界であるが、次回の総選挙は「政治と金」のあり方を清浄化するのがとりあえずのテーマになるであろう。そういう意味では「令和の政治改革」選挙であって、ついでにいえば言ったもの勝ちなのであるから、いう言葉をもたない「旧安倍派(選挙時点では派閥が解消あるいは改編されていると予想しての表記である)」の候補は判官びいきの同情票にすがるしかないであろう。あるいは公認なしの無所属として選挙に臨むしかないのかもしれない。余分なことであるが、心を鬼にして記すればそれは残存率二割、三割の世界であって、それでも健闘したということになるであろう。
そこで前述したとおり、派閥としての核心(領袖)を欠いているのであるから、傷の浅い議員には脱会をすすめる声も後援会あたりからはでてくると思われるが、それではいかにも便宜主義がひどいことから、それはそれで嘲笑の的になると思われる。すなわち出るも地獄残るも地獄のたとえに近い状況においこまれることになりかねないのである。
そこで、そのような心的状況にあって、たとえば「悪夢の民主党政権を忘れるな」といったかなり烙印度の高いフレーズについてあらためて考えてほしいと思うのである。また、たとえば「増税メガネ」や「五人衆」が状況次第でたちの悪いいわゆるさりげなく悪意をふくむ烙印表現として定着することの悪弊を受けとめてほしいとも思うのである。そういったところから、政治の劣化がはじまるのではないかと感じている。
ここで「安倍派」とか「旧安倍派」といった表記を「清和政策研究会」とすれば、少なくとも故安倍晋三氏をこよなく尊敬していた人びとに余計な不快感を与えなくともいいわけで、書き手としては利口な選択であると思うのであるが、安倍派が安倍派であることの本質のなかに安倍氏が主導する派閥であったという意味というか要素が厳然としてあるわけで、そこを曖昧にすることは、たとえ安倍氏が凶弾に倒れてすでに年余の時間が経過しているとしても、政治評論としてはレンズが曇るだけのことで意味のあることではないと考えている。だから、今さら清和政策研究会と空々しく唱えてみても、たぶん論点逸らしと受けとめられるだけであろう。ウザイと感じる人もいるとは思うが、そういう趣旨で当面安倍派を使うことにしている。
「裏金」をレッテルにしてはならない、政治家予備軍は意外と少ないのである
◇ さて、たとえば「裏金議員」といったレッテル貼りが、いかなる本人の努力をもってしても解消できない汚名の固定化となり、それが原因で多くの議員の政治生命が絶たれることをおおいに危惧しているのであるが、筆者の経歴からいってそのような惻隠の情のごときゆるやかで湿潤な反応がでてくるとは読者にとっても予想外のことであろう。
さらに、マスメディアが容赦のない追及に明け暮れることを非難することはないのであるが、報道の過程でまき散らされる「政治家の替えは無尽蔵」的なニュアンスは実態にあっていないもので、実態は苗木のうちに刈りこめば林は荒廃するばかりであるというべきであろう。それでなくとも新人議員の再選率はかなり低い。世襲でもない、組織系でもない者が何回も当選をえることは奇蹟とはいわないが、簡単なことではないのである。もちろん当人に帰すべき責めを指弾することに手心は不要ではあるが、五人衆といった派閥の指導層はともかくも、疑問をもちながらも指導に従わざるをえなかった人たちをも、なんだかんだとレッテルをもって追いつめることがはたして民主政治の本道といえるのかどうか、人生を賭して政界に船出する者が背負うリスクは、巷間の想像をはるかに越えるもので、百人の議員がいれば百の動機と各論としての事情があるのである。いずれにせよ、志は貴重であり、そういった立候補者なしでは民主選挙はなりたたないのだから、また選ぶ側に寛容心がなければ育つものも育たないので、時には失敗をも受けとめながら政治家を育成することも大切であると思う。
またまた先走りの議論ではあるが、政治にかぎれば「老に甘く若に辛すぎる」ところがあって、それはあるべき政治の姿からはズレているように思えてならないのである。
ようするに、主導した立場と追随させられた立場によって罪と罰は変わるものと筆者は考えている。ところで不記載を咎められないことになったとしても、適切な処置をしなければ政治家という役割をつづけることは難しいと思われる。
で、自民党は何をするの?管理・監督責任はないのか
◇ 政治資金規正法の根幹をむしばむ悪質な不記載を犯した派閥なるものについて、自民党はあらためてその詳細を説明しなければならないと思うが、おそらくできないと思う。たぶん、曰くいいがたいものということであるのだろうが、であればあるほど派閥が法違反の主導者になってはいけないわけで、まったくのところ後戻りのできない失態をおかしたといわざるをえない。さらに、党内党として殷賑をきわめ国政に多大な影響を与えていた立場であるにもかかわらず、いままでは直接的な批判をうけることがなかったのである。つまりは甘やかされた分、傲慢心がふくらんだのではないか。ともかく世間は、弾劾あってしかるべしということであろう。
とくに、政策集団としての位置づけについては、たとえば世界平和統一家庭連合(旧統一協会)との関係において、どういう政策の議論や主張があったのか、自民党の右側の支持・支援を掘りおこしたのが安倍派の功績であるとの評価が妥当であるなら、わが国を属国存在に貶めてやまない団体といつまでも懇ろであることのいいわけをどうするのか。とくに誰がいいわけをするのか、またできるのかなど宿題も山積み状態にある。通称の変更もふくめ、政策集団としての声明が求められているのではないか。
課題は山積、やる気はゼロ?問題は誰が旗をふるのかである
◇ さて、直面する課題は政治資金規正法の見直し、党内政策集団(派閥)のあり方、政治資金パーティーの是非あるいは政党助成金をふくめ政治献金の見直しなどであると思われるが、自民党内だけで結論がだせる状況にはない。つまり自浄力も危機感もほとんどないと思われているところに危機がひそんでいると思う。であれば、そこは与党として政権を支える公明党こそが離脱覚悟で問題提起しなければという世論も起こってあたりまえであろう。
ということで、公明党にそれができるのか。というよりもやる気があるのかということである。さすがに同じムジナと考えている人はすくないと思うが、連立関係においてはいささか緊張感を欠いていたのではないかと思われる。もっといえば、利害得失を吟味してからということであろうが、今こそ与党でなければならない理由というか事情をどう考えているのか、平和と福祉、公明正大な政治をめざす政党としてはいわゆる胸突き八丁ともいえる重大局面ではなかろうか。
まあ慌てることはないという雰囲気だと思うが、来年の通常国会は政治と金とりわけ政治資金パーティーをめぐり野党の攻勢が熾烈になることは確実であるから、その対応準備で大変であろう。時間もあまりないと思われるので、与党としては逆に思いきった対策がひつようとなるであろう。
また、中途半端な対応だと、公明党自身が「連立責任をはたしていない」との強烈な批判を受けかねない。同舟状態にあることが従来とはちがう雰囲気をうんでいるように感じられるが、連立を前提に次の総選挙にのぞむのであれば、強力な対策を求めないと議席減の危機に見まわれることも起こりうるといえる。
有権者心理からいって、公明党には連立している以上自民党の補導役を期待しているのかもしれない。
◇ さて、主要野党の対応であるが倒閣だけでは時代状況において物足りないというのが今日の相場観であろう。当面「打倒岸田」に絞りこむのか、「政界大再編」を念頭に長期戦略を構築するのか、道はいろいろ考えられるが、選択肢が多い時ほど、人は間違えるといわれている。(ここで、すでに字数超過となったので失礼ではありますが、続きは次回年明けとします)
◇喪の葉書メメント・モリの師走かな
注)2023年12月23日10時25分、「てにをは」を中心に修文。
加藤敏幸
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