遅牛早牛
時事雑考「2024年の計、主要野党の対応について(その2)緊迫する現下の動き」
【はじめに 「岸田文雄首相は18日、自らが会長を務めていた自民党岸田派(宏池会)の解散を検討する意向を表明した。」(日経新聞電子版2024年1月18日19:29)暴走宰相の面目躍如であろうか。四囲の情勢から先手をうたざるをえなかった面があるにしても、局面を動かしたということであろう。もちろん党内に課題を残したものの対外的には先手を取ったことから1月29日の集中審議はすこしだけ楽になったといえる。それよりも、場合によっては年内解散それもわりと早い時期の可能性がにわかに上昇ということかもしれない。さらに、党内がこじれれば大再編にいたるかも。世界の動きをみればこの程度で驚くことはないと思う。
前回は、非自民非共産のゾーニングで野党協力あるいは連立については、立憲民主党(立民)が主要政策でそうとうな譲歩をする以外に成功の道がないことをしつこく述べた。憲法改正反対、安保法制破棄、原発廃止にこだわらなければという条件について、さっそく関係者に声をかけてみると、そんなこだわりをもっているのは少数であるとの話であった。立民の多数がそうであるのにその方向に動かないということであれば、よほどの制動力がはたらいているのか、それとも休眠しているのか、あるいは表裏を使いわけているのか、本当のところは分からない。
動かないということは熱量不足ということかもしれない。制動しているのが支持者であれば政策変更は難しいのではないか。よく高山では気圧が低すぎて沸点がさがりコメが炊きあがらないという。似ていると思う。
ところで、「ポスト岸田?」といった思わせぶりな記事がときどき顔をみせるが、いつの話なのか。また内容が「タラレバかもしれない」の大安売りで、筆者のものと大差がない。新しいようで実のところは陳腐なのである。】
「裏金事件」が政治的に終息するには、時間がかかる
◇ さて、9月までの総選挙については、「裏金事件」の終息がみえないかぎりリスクが大きすぎるというのが与党内の大多数の意見であろう。それでも窮地を打開するために総選挙をうつというのであれば、岸田氏のもとでの総選挙には大反対という党内世論を押しきってということであるから、党内バトルの可能性が高いと思われる。くわえて「宏池会解散」先行で不協和音が生じているのだから、なおさらである。
もちろん、窮地だから解散総選挙をうつというのは理屈にならない。しかし、バトルをともないながら「派閥解散」をひっさげての「政治刷新選挙」であるなら、いちおう恰好はつく。そうなれば、派閥自民党をぶっこわすことになるので、「自民党に灸をすえる」ひつようがなくなる。というような小細工が通用するとは思わないが、「郵政解散」の例もあって何をやるかは分からないということであろう。
窮地打開策としての解散総選挙は暴論ではあるが、18日の「派閥解散」発言から状況が変わりつつある。つまり、ポストキシダはキシダであると雄たけびをあげたということであろう。
◇ ということで、安倍派も解散するであろう。次回総選挙での再選が政治家としての生命線であるから、公認をえるためにも従容たる態度をとらざるをえないということである。ということで、岸田氏にとって後門のオオカミは飼い犬になったといえる。
それにしても「裏金議員」というレッテルはきついもので、収支報告書の事後訂正ぐらいで有権者が料簡(りょうけん)できるはずもなく、ひたすら野党乱立を願いながら、ただただ選挙を勝ち抜くということであろう。清和会(安倍派)が消えたということなら心情的虜囚が政治的虜囚になり、公認されれば40ちかい小選挙区が激戦区になることだけは確かであろう。
自民党の窮地(痛手)とはどの程度なのか、多面的で把握は難しい
◇ ところで、もう一つの論点である自民党のいわゆる窮地の程度については、テレビやネット空間を中心とするマスメディアあるいは著名コメンテーターの見立てはいろいろあるが、現時点では定説とはいえないであろう。ただ、有権者の気持ちが「ただちに岸田自公政権をぶっ潰せ」というレベルにあるのかどうかが判断の分かれるところである。内閣不支持率と総選挙での得票率との間に、どの程度の逆相関があるのかは不明というべきであり、またそれは選挙の都度変わるもので、簡単にはとらえられないものである。
もちろん、野党候補の魅力度も大きな要素であり、自公連立とはべつの政権の可能性が高まれば、そちらに相当な票がながれると思われる。しかし、野党候補が中途半端あるいは陣営が安普請だということであれば、ながれは棄権もふくめ消極的現状維持にとどまると思われる。
今回の、派閥から生まれた事件を自民党全体の問題にふくらませることには不整脈的な違和感がある。というのも、自民党の金権体質を安倍派の問題だけに矮小化してはならないという意識高い系の指摘には表だっての反論がでていないが、部分の問題を全体の問題と断定するにはすこし早すぎると思われる。刑事事件は個別事案ごとに処理されるもので、具体的には収支報告書単位の事件なのである。つまり、政党の体質などは抽象度が高すぎることもあり、そもそも検察の視野にはない。また、会計責任者と議員との共謀については、証拠的には限界線に達していることが報道では匂わされており、ほぼ(このほぼが曲者ではあるが)終息しつつあるということであろう。という観測気球があがっている。
人数あるいは規模においてもけっして軽い事件ではない。さらに政治不信がひろがっていることも確かである。このことに対し政治的に無策であってはならないことからも、通常国会でのきびしい議論はとうぜんであり、期待もしたいと思っている。
ではあるが、そのことと自民党の体質を俎上にあげることとは次元がちがうわけで、体質という抽象度の高い問題をいじればいじるほど、自民党を叩きながら育てるという贖罪効果がでてくると思われる。「お叱りをうけたことをしっかりと受けとめて改革を実行し、また国政に精進していくものです」というかたちで自民党は切り抜けていくし、今までもそうであった。
それとは逆に、独特の体質を喧伝される野党も少なくないわけで、多様性という舞台を広げたり狭めたりすることが政党規制に拍車をかけることは避けなければならない、という共通認識がひつようではないかと思っている。
「これでは国民の怒りは収まらない」という切り口上でバラエティ番組は次回につなげていくのであろう。しかし、このフレーズには巧妙な仕掛けがあり、焚きつけながら時間をかけて、またしゃぶりつくして鎮静化をはかるという、伝統的な手法なのである。
放送事業者が責任をもつかぎりテレビ番組が国民の真実の怒りを代表することはない。また誰かが怒っているとしても、国民という概念が怒ることはない。いつものことではあるが、収まらない、収まらないと呪文を唱えているうちに収まっていくのである。マスメディアも資本主義体制にそうとう素直に組みこまれているのであるから資本に対しては忖度的機関なのである。
というように、「裏金事件」は岸田政権にとって皮肉なことではあるが、神風のようなもので、低支持率地獄からの脱出の機会ともいえるかもしれない。
これで主要派閥が解散しなくても当分おとなしくなれば、内閣総理大臣の行く手を阻む者がいなくなる、つまり前門のトラを眠らせることになる、はずであろうが、現実感に欠けるところがこの説の難点といえる。
これで人事権と公認権を掌中におさめて、キシダ政権の力はますます増長することになるのであろう。このためにも、しばらくは派閥性悪論がつづくことを期待し、しかるべき工作をおこなうかもしれない。筆者は、政党統治論からいって派閥なき自民党はいずれ混乱すると考えているから、さらなる多党化を予測している。
刑事事件は法と証拠が基本であり、また時間の制約もある
◇ 野党が、最終ターゲットに一の矢、二の矢を打ちこむには論理力とあらたな証拠がひつようであるのだが、もともと捜査権をもたない野党としてはレトリックによる追求におわることが多かったといえる。派閥のおこした刑事事件にかかわる内閣総理大臣としての責任追及は無理としても、総裁の責任を追及するというリングと、政治不信への対応策としての政治改革というリングが考えられる。前者では言葉だけの回答におわると思われるが、実質的には幹事長の守備範囲である。後者は、野党もふくめて国会で議論をすすめることになるであろう。自民党内で派閥解散が大勢となれば野党国対にとっては打つ手がかぎられ、与党の壁を破ることはむつかしくなると思われる。
やはりというか、法と証拠をベースにするかぎり国会での追求も鎮静化にむかうであろう。
「裏金事件」への関心はやや厳しめの処分があれば時間とともに減衰していくと思われる。もっとも、政治資金規制法がさらに厳しくなることはまちがいないし、政治資金パーティーへの監視も強化され、透明度は向上すると思われる。そうすべきであることは論をまたない。しかし、出口が完璧とか完全という水準からはほど遠い内容であると推察すれば、人びとの不満はのこると思われる。この不満は選挙に向かうべきで、検察とか徴税が民意を背負うことはない。有権者が始末をつけるべきであろう。
バレなければ口をつぐんでいた連中が、バレたからといって、今度は開かれた議論をやっている風を装いにわかに「派閥解消」を叫びだしているのだから、まことに天下の奇観といえる。それにマスメディアとネット空間がここぞとばかりに反応する。数が稼げるからといって。
もし、岸田氏のいう「派閥解散」が今回の不祥事の出口であり、政治刷新の自浄作用であるというのであるなら、党内のことであるのだからさっさとやればいいのである。しかし、派閥が何をしていたから解散しなければならないのか、について正直に語るべきであろう。それをやらずに解散するというのはつまるところ「偽装解散」を誘導しているということかもしれない。そうであれば、どこまで舐めれば気がすむのかとなる。舐められる方も問題だが。
「派閥は悪」というだけでは、わが国の民主政治は良くならない
◇ 派閥というのは便宜的呼称であって、その役割の中には合理性の高いものもあることから、今回みられるような不適切な金の流れを中心に規制すればよいとの意見も当然でてくるであろう。だから、党内政策集団としての意義を認めないとの姿勢は極端すぎるといえる。ようは、政治活動への不当な介入との反撃が待ちかまえているのであるから、「派閥は悪」といった粗雑な論理だけにたよると、いずれ行きづまるであろう。
他方、派閥の総裁推薦機能については、同党の総裁選挙が公開され公正に行われているかぎり外から口をはさむ余地はないというべきであろう。政権政党であるから甘んじて批判を受けている側面もあって、では他の政党ではどうなのかという政党規制へ溢流することが野党にとっていいのか悪いのかという視点を忘れてはならない。政党活動を規制しすぎることは民主政治の呼吸不全に通じるというべきであろう。
派閥にはさまざまな機能があり、それを全否定することは合理性を欠くといえる。だから、現に思想系統や基本政策あるいは部分政策、また施行法の考え方などの細分化された課題に対し、政党の階層性をもった部分集団による詳細な検討を歓迎しない理屈が通るとは思えないのであって、また支持・非支持にかかわらず外部との交流を通じてさらなる深耕がなされることは、民主政治にとってひつような過程といっても過言ではない。
さらに、政権政党内に批判構造を包含することが、議会で多数を制する権力への緊張創出という意味で必須の機能であると考えるが、そういった機能まで圧迫すると「集権政治」がさらに強まるということになるであろう。これ以上の集権化がひつようとは思わない。
だが、現行の派閥がそういった必要性の議論においてあまり評価されていないという点が最大の問題であることはまちがいないのである。という大きな問題が政治刷新会議に対するいわゆる国民の要請ではないかと思う。
状況適応としての派閥解散であろうが、政党活動の自由についても議論すべき
◇ 仮に自民党が派閥解散にはしるとしても、その議論の中にはおそらく政党活動の自由をうばう過度な規制が生じる可能性もあるであろう。とくに野党にとって政党活動の自由はまさに生命線であるから、そういった議論の真意をたしかめねばならないと思う。
人びとの膺懲(ようちょう)感情がつよまれば、検察機関だけではなく徴税機関に対しても圧力が加わることになるかもしれない。正直にいって、そのような大衆感情を制御できる仕組みを民主政治が入手することには憚(はばか)りがあることから、議会が安易にそういった感情に迎合することは避けるべきである。民主主義の最後の砦は議会であると考えるなら、また今を新しい戦前がはじまったと定義するなら、民主政治の防御にも細心の意を配るべきであろう。
その意味でも、議会がそっせんして政治改革の議論をすすめるべきである。
◇ ということで、このあと新証言などがでないかぎり告発された刑事事件は起訴、公判へと一直線にむかうと思われる。さらに、その過程を待ちながら告発側は検察審査会へと歩みをすすめると予想している。
未来予測としていえば、世論的には不満をのこしたと論評されるであろう「裏金事件」の検察的始末に対して内閣支持率がどのように反応するのかに注目が集まるのであろうが、おそらくすでに不支持率はピークアウトしていて肌触りは滑らかになっていると思われる。とはいえ、低支持率内閣であることは変わらないということであろう。焦点は、その低支持率が政権運営に支障をもたらすのかということであるが、皮肉にも日常化していることから直接的支障にはならないと思われる。
事件はいずれ鎮静化、しかし政局は波乱ぶくみ
◇ 鎮静化の流れとはいっても、政治資金パーティー売上金還流裏金事件のてん末と有権者の反応次第で政局は千々に変化していくであろう。検察審査会では、金額の多寡をもって区分することが通用するのかどうか。また、収支報告書の訂正でゆるされるとなれば、発覚すれば「訂正すればいいんでしょう」という風潮を加速することになりはしないか、といった新たな怒りをふくむ疑問を生むことになりかねない。
そのような疑問が渦巻くタイミングでの総選挙はまずいといった程度のことは議論ずみかもしれない。ということで、自民党が逆風にあるかぎり岸田氏優勢という不思議な状況が生まれていることも事実であり、くわえて「派閥解散」で指導力を発揮すれば基盤は強化されることになるであろう。
さて、液状化にも似た自民党のゆるゆる地盤であるが、時間経過とともに復旧する可能性が高い。そこで自民党としてもっとも警戒すべきは「立維国」を中核とする非自民非共産連合の成立であろう。立民がまるごとブレーキだった時代はさすがに過去のものになりつつあるといえる。しかし、ふつうに加速のきかない政党であるから、「3項目白紙化」のウルトラ技を使わないかぎり、このままでは自民に逆転される確率が高いともいえるのである。
ということで時間との競争ではあるが、順番からいえばつぎは「非自民」政権ということなので、「立維国」連合への協議を促進させなければということであろう。この協議が本格化すれば、天下の耳目はここに集まるから、ミスがなければ政権交代のチャンス到来ということになる。そうならない場合にそなえ、次の手を用意すべきではないかという声もあるが、物事は順を追ってこなしていかなければ躓くおそれがあるということである。
資本主義体制下の政治体制も政党も資本主義的である
◇ 「裏金事件」が刑事事件としては想定の範囲内(幅があるが)での起訴をもって終結するとして、そのことが自民党にとってどのような負の影響となるのか、くわしい分析はまだまだであろう。政党が自己刷新できた例はないと思う。選挙で大敗すれば反省して多少なりとも心をいれ替えてくれるのではないかと期待し、「抜本的改革を」「解党的出直しを」と激励するだけでは甘い。成功体験を与えなければ再生できないのである。大敗すれば体質はさらに悪化する。自民党も民主党もそうであったと思っている。
ところで、資本主義体制下では政治体制も資本主義原理にしたがうものであることに何の不思議もない。ゆえに、政党も資本主義なのである。法内で間接的に権力を金で獲得するというのは一般的であって、米国を見ればよく分かるであろう。
しかし、人びとの政治倫理観は共同体原理のほうに傾いているので、金づくしには抵抗感が強く、清廉潔癖を政治家に求める性癖がのこっているのである。だから契約原理よりも共感あるいは共同体原理のほうがよほど強く働いていると思われる。という状況下にあっても、資金の多寡が政治力をささえている現実は変わらないのである。選挙もおなじで、個別選挙ではさまざまであるとしても、全体の統計的相貌は陣営の資金にくわえ支援団体等の総資金の影響力の有効性を示唆していると思われる。
という現実にあって、「金のかからない選挙」が理想視されている理由が分からないのである。そんなのはとうてい無理ではないか。新しい政党を立ちあげるにはまずそうとうな資金がいる。また、選挙は動員におおきく依存しているのであり、動員は共鳴と資金に依存しているといえる。
だから、政党が資金流入を閉ざすことに本気になれるのか、現状のままでは無理ではないかと思う。かりに、派閥をなくしても資金に依存する政治の本質がかわるとも思えない。資本主義に内包される政治の悪弊をのぞくには表層的な議論だけでは力不足であろう。よほど有権者の側に確固とした評価基準を装備しなければ資金に依存する選挙がますますはびこると思われる。ここで、いきなり社会主義をもちだすことはないが、せめて社会民主主義への共感があれば今生じているおかしな話あるいは不都合について、矯正すべきとの声があちこちからでてくると思う。今は感情論はあるが規範となるべき理念がないということではないか。
◇雲割りの朝日見ゆるもまだ寒し
注)権力を資本に変更(2024年1月19日17:30)
加藤敏幸
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