遅牛早牛

時事寸評「厳しくなる世界情勢にあって石破政権を揶揄するだけでいいのか」

1.箸の上げおろし云々の前に、政権の強化をはかることが全体益につながる(トランプ外交に対応できるのか)

 箸の上げおろしは些事である。そうではあるが、それが時の宰相(石破氏)のことであれば天下の些事となり、SNSなどで用事の合間に突(つつ)くのは息抜きにはもってこいなのであろう。まあ息抜きなので本人は気にすることもないと思うが。

 また、ウェブ上ではインプレッション稼ぎの投稿も多く、そういったアテンションエコノミーが世の中をざらつかせて不寛容にしている。という指摘もすでに陳腐化している。陳腐化したということはその害毒性が日常化したということであり、被害が蔓延しているということであろう。そこで政治家が格好のターゲットになるのは仕方のないことかもしれないが、「人の悪口をいえば小銭が入る」とか「嘘ついて儲ける」といった社会がまともでないことだけは確かである。

 ところで、今のわが国に宰相の箸の上げおろしを突いている暇があるのかといえば、そんな余裕などはないはずで、正面の外交にかかわる議論を急がなければならない。

 まず、アジアの大国(中国)を念頭に「法による支配」と大上段に構えていたわが国の「近過去」外交が、その大国の急接近をうけてすこし揺らいでいるようだ。外交的にはかなり剛性であったその「近過去」を急に変えるわけにはいかない。そこで変幻自在な相手を用心しつつもそれなりの荷捌きが求められるのだが、わが国単独では荷が重いから、同盟国や友好国と相談することになるはずなのに、年が改まれば米国の大統領はトランプ氏に代わるのであるからはたして話が通じるのか。たとえば「自由で開かれた」といったきれいごとも年内限りになるのかと不安がよぎる。

 米国抜きで「法による支配」とか「自由で開かれた」といってみても空念仏のようで、迫力不足であろう。で、その米国が世界に向けての不確実性の発信地となっているのだから、とりわけガラス細工の石破政権としては気が気でないということであるし、米国も軍事力抜きの関税だけで微妙な東アジアの今日的課題を解決できると本気で考えているのか、疑問である。そうであれば相手からは足元を見られ、結局のところ米国の地政学的勢力圏はどんどん縮小していくのではないかと危惧される。

 とくに、ロシアのウクライナ侵略は1950年代の朝鮮戦争を思いおこさせるというか、かなり相似な様相を呈しており、この70年あまり国際社会が進歩していないことの証明であるともいえる。つまり、武力による解決、核による脅しが有効であるというよりも、それ以外に解決手段をもたない悲惨な人類文明の欠陥が露呈したということであろう。関係ないようであるが、言葉こそうまく調整されていたリベラルがそういった発言のわりには実のところ無力、無能であったことがヨーロッパを中心に選挙での右派躍進につながっているのではないかというのが筆者の感想である。

2.東アジアの安全保障上の緊張の行方はトランプ外交の展開次第であろう

 そこでさらに飛躍するが、ここ何十年にわたりつづいてきた核拡散防止と核による拡大抑止戦略への関心あるいは執着が、大統領に就任するトランプ氏において希薄化していくとすれば、米国の対中戦略の橋頭保であるわが国の安全保障政策は錨をうしなった船になるのではないか。そうなればわが国の安全保障政策を中心的に担ってきた自民党の存在感は歴史的な評価もあわせ限りなく低下するわけで、こういった点においても日米安保に体重のほとんどをかけてきた自民党、とくに右派には少なくないダメージが生じるかもしれない。まだまだ対中強硬姿勢に説得力が残っているので、ただちにという話ではないが、中国の出方(外交)次第で風景がさま変わりする可能性も手元に残しておくべきであろう。中国の首脳が神がかり的に覚醒しなければ起こりえないと重ねて前置きしておくが、中国の国内事情によっては「まさか」の展開もあると思われる。

 米中雪解けが簡単に生じることはないというのが常識ではあるが、ウクライナを横目に見ながら米中プチデタントでもって中ロ連携をゆさぶる戦術も選択肢として米国にはある。

 つまり、高い緊張関係というのはけっして持続的ではないのだから、中国もどこかで息継ぎが必要になるだろう。筆者は、中国の現状は軍事から民政への資源の転用といった大胆な方針転換がなければ民心をたもてない、つまり共産党政権をささえることが難しくなっていると考えている。もちろん、政治的には軍部の強い反発が予想されるだけに軍備縮小は一番難しいといわれている。たとえば軍のリストラとは将軍の退役など職業軍人の失業をともなうもので、権威主義国や独裁国家では最も危険なものといわれている。中国は超巨大なタンカーに似て、急に止まることも曲がることも難しいのであろう。あまりの巨大さゆえに変わることが難しい国である。とはいっても、持続的発展を望むのであればまた息継ぎのためにも外交姿勢を転換していく必要があると思われる。

 ということで、トランプ政権によるディール外交が本格化すれば中国共産党政権にとっては「外因による路線変更が可能になる」といったビッグチャンスの到来とも考えられるのであるから、ハイブリッド戦争(超限戦)から調略外交戦へと戦略軸の転換が図られる可能性が生じるかもしれない。ということで、とりあえず対日攻勢(軟攻)がはじまり、ポカポカとした雰囲気がかもしだされるであろう。それにつれて、国内では呼応すべく親中派が台頭してくるのが歴史の必然というもので、2025年の言論空間はひどく騒がしくなると思われるし、政治的背景も多少変化すると思われる。

 たとえ偽装的であったとしても、世論としては緊張緩和は歓迎されるもので有権者の国防意識も少なからず後退するのではないか。7月はともかく秋口には右よりから若干左よりに戻すだろうが、選挙の結果にそれが影響するかは微妙なところである。

3.たとえ調略であったとしても日中友好シーンは増加するであろう

 さて、どう考えても関税ですべての課題が解決できるとは思えないが、見方をかえればそういった単純でありながら破天荒ともいえるトランプ流に不可解ではあるが斬新さを感じる向きが声をだしはじめるであろう。さらに、安全保障を大きな議論だけで進めてきたことへの反動というか、理由なき反転否定というか、今までのやり方への単純な反発などが対中政策の見直し論として日中間の緊張緩和とともに芽吹くであろう。(このような世論形成こそがハイブリッド戦争の狙いである)

 筆者はそういうのは筋の悪い怪しいことと受けとめている。ようするに、さまざまな問題は中国側の事情によって発生しているのであるから、それに対する防御ネットをわが国があらかじめ準備するのは無理であろう。つまり、わが国の世論として、たとえそれが中国側の調略に満ちたものであったとしても、そういった中国からの秋波を拒(こば)む体質にはないので、嘘も百回聞けば本当のことと思えるという一般論に則って、近々にも日中友好シーンが多数生じるものと思われる。それもこれも、操作された世論が偽りの友好関係を生みだし、その結果として強固な日米同盟が浸潤されるならば、そのことで利益を得る国こそが世論操作の首謀者であるというのが推理小説的解法である。

4.東アジアの安全保障体制をどうするのかが喫緊の課題である

 ところで、わが国が鳴りもの入りで拵(こしら)えた経済安保という理念的危機管理と、来年になれば頭をもたげてくる関税至上主義(トランプ流リアリズム)とが妙にからむと頭が痛くなる。すなわち「自由で開かれた市場経済において関税が戦術化されるのはなぜなのか」と問われても答えられないし、重ねて「この場合の法による支配とは何を意味するのか」と問われれば議論を強制終了するしか手がないのではないか。米国ならそれでの通用するかもしれないが、わが国の場合は理屈の整理が求められるであろう。

 バイデン氏からトランプ氏へと、米国は分断クレバスを渡っていけるのであろうが、同盟国であるわが国が渡れるクレバスには限界がある。わたり損ねるリスクがあるのなら立ち止まることも必要であろう。懸念するのは少数与党では立ち止まることすらできないかもしれないということで、外交においては支えることも野党の矜持ではないかと思っているのだが、どうなることやら。

 中国の軍備拡張も地政学的拡大も当面の現実問題であることは間違いない。また中国が近隣諸国に対し軍事力や経済力を背景に強圧的な外交を展開していることも事実である。という状況への対抗策として日米印豪などが連携を強化しているのも事実である。さらに、北朝鮮の核と長距離ミサイルの保有が東アジアの戦力バランスを著しく毀損することも紛れのない事実である。

 北朝鮮の核化という安全保障における最大の危機にさいして、関税という通商政策が機能すると考える者がいるとは思えない。現実問題として北朝鮮に対する経済制裁がロシアによって減殺されているが、これらの問題に対しこれからどう対処していくのかという大きな課題がある中で、トランプ氏の東アジアにおける安全保障戦略の総論と各論に注目が集まることになるのだが、このあたりについてのトランプ氏のバイデン大統領への批判は分からなくもないが、しかしトランプ氏とて大統領としては金正恩氏と握手をしただけではないかともいえる。ディールという言葉は聞こえてくるが、東アジアの安全保障体制という言葉は聞こえてこない。

5.関税の引き上げは米国消費者の利益とぶつかるのではないか

 一方で、米中貿易と日中貿易の世界に占める割合はきわめて高い。また経済安保の視点から貿易構造への指摘もさまざまあると思われるが、中国経済が崩壊してなお日米にとっての利益があるのか、という点でいえばもともと実効的なデカップリングが困難であることから、全面的な経済戦争までは想定できない、つまり限定的な制裁に止めるのが現実的対応ということであろう。しかも政策的にその限界点をこまかく設定することはたやすいことではない。いいかえれば、関税をいくらにすればどういう効果が期待できるのかということさえ不明なのである。

 また、関税による制裁がたやすいことではない最大の理由は関税の相当部分が最終的に消費者負担となることから、消費者とは利益において背反するという反面の不利益が厳然と存在してからである。

 いずれにせよ、政権がかわる来年も対中強硬姿勢に変化がないとしても、議会はともかくトランプ氏が大統領として米中関係を操作的に扱おうとすることは容易に想像できる。みずからを支援してくれた人々に成果を誇りたいとの一念から危険なカジノに足を踏みいれるかもしれない。そこでひと言つけくわえるべきは、交渉における中国の底力を侮ってはいけないということであろう。ディールに持ちこめば五分と五分であるから交渉の行方は分からない。というリスクを回避するためには、獲物の大小をいう前に交渉を決裂させるほうが安全であるという原則を守ることであり、さらにいえば同盟国の利益を毀損する交渉はさけるべきである。

6.対中ディールにはいる前にウクライナ問題に目途をつけるべきなのか?

 ところでトランプ氏が中国とディールをしたがっている具体中身とは何なのか、というのが最新の問いかけであるが、中国とのディールの前にプーチン氏と話しをつけることができるのかが二面作戦を回避する意味で重要な課題となっている。もし、ウクライナとロシアの紛争(ウクライナ侵略)はヨーロッパの問題であるから、米国として支援はしても直接かかわることはないと勝手に結論づければ、どのような理屈をつけたとしても、それは責任転嫁であり退却であると世界は判断するであろうし、反米国家は欣喜するし、その他の国は米国を信用しなくなるであろう。

 「今さら逃げるのか」と簡単には足抜けできない事態にすでにいたっているというか、根源はクリミヤ半島をロシアが併合した2014年以前にさかのぼるのであるから、わが国をふくめて先進国G7の対応があらためて問われるということであろう。

 問題はプーチン氏のロシアがどういう国であるのかという本質にかかわる議論であるし、さらに現在のロシアの国家観や価値観などが簡単に変わるものではないということであろう。今回の特別作戦(侵略)が成功したと彼らが認識すれば(侵略とはいわないと思うが)、1989年に崩壊したはずのソビエト連邦の領域回復の一環となり、いいたくはないがレコンキスタ(国土回復運動)によるプーチン氏の皇帝化ととらえることもできる。広大な空間は資源であり、資源国家の強靭さは資源のあるかぎり不滅であるから、資源帝国の威圧は当面つづくと思われる。

7.仏独はEUの結束を固めウクライナ支援を強化するしか道がないといえる

 すなわち既にまずいことになっているのであるが、仏独が中心になりEU崩壊を防止するという戦略目標を共有化するためには、ウクライナへの支援を強化する道しか残されていないように思える。

 ここでウクライナ侵略に成功すれば、ロシアによる隣接国への侵略をすべて正当化できるとロシアの指導者は考えるであろうから、事態によってはNATOとの衝突は時間の問題といえる。といえば極論に走りすぎると思われる向きも多いと思うが、独裁者は独裁者であることによってしか存在証明できないのであるから、突き進まざるをえないのである。ということにくわえ、仏独ともに国内の政治状況がかなり悪化しており対ロシア政策をまとめられるのかという足元の懸念もあることから事態はかなり深刻であるといえる。ロシアもギリギリであるが、ウクライナ支援側もギリギリであると思われる。経済制裁でロシアの自制、自壊を待つには時間がなさすぎるということであろう。

8.ウクライナをとりまく情勢とトランプ氏の文脈にずれがある

 ここまで話をすすめてきて多少くっきりしてきたのは、もし米国が対中交渉に入りたいのであれば、ウクライナ問題に目途をつけなければならないが、短兵急に進めればウクライナやEU諸国からの信頼を失うであろう。さらにいえば、EU諸国の信頼を失った米国が中国との関係において交渉上の優位を保つことは難しいのではないか。もちろん何を交渉するのかにもよるので、それがはっきりしない現状で四の五のいうこともないのであるが、ともかく、日韓比豪にEU印を仲間にしたうえで「法による支配」や「自由で開かれた」といわなければ中国を動かすことはできないであろう。そのためにはウクライナ問題への積極的関与が必須条件である。しかし、トランプ氏は違う文脈で語っている。

 という構図を別の視点でいえば、米国をウクライナ問題で足止めできればそれは中国の利益であり、また米国を中国対処へ焦燥させればウクライナ問題への関与を希薄化できるという意味でロシアの利益であるから、中ロは利益構造を共有しているといえる。さらに、おまけのような話であるが、その中ロ枢軸に北朝鮮が加わろうとしているのである。狙いは半島の緊張の亢進であろう。これで3方面、中東を加えれば4方面で火がついていることになる。

 ゆゆしき事態であるが、つまるところ米国の弱体化こそが3国プラスの共通利益となっているところが肝なのである。という文脈において、ウクライナ問題が米国にとっては巧妙な罠になってしまったのではなかろうか。ここのところがバイデン大統領の評価にからむ機微な論点であって、筆者の心情からいえば米国の分断クレバスにウクライナが落ち込んでしまうとは思いたくないのであるが、問題はこれからのことではある。

9.中ロ連携は中国にとって長期的には負債になると思われる

 すでに3国はそのことに気づいているから、暗黙のうちに連携作戦にはいる機会をうかがっているのではないかと筆者は疑っている。という意味ではすでにハイブリッド戦争(非軍事分野での破壊妨害工作)に突入していると考えるべきである。ここで、中国には多少の躊躇があることは特別に指摘しておかなければならない。中国といえども米国との対立が固定化する中で、あえてロシアを味方とすべき理由はない。むしろそうすることのリスクが大きすぎて話にならないということであろう。 

 中国がロシアをささえることは簡単ではあるが、ロシアが中国をささえることは難しい。という構造にあって敵の敵は味方という論理はいずれ破綻する。中ロ連携は保有核兵器の合算効果ぐらいがメリットであって、長中期の視点でいえば中国にとって負債になる公算が強いのではないか。ということもあって、中国は深い憂慮にあると思われる。そこで、問題は憂慮から短慮への転換が意外と簡単におこなわれてきたのが歴史であるから、米中関係も日中関係も余裕のある状況ではないことだけは確かであろう。

10.ハイブリッド戦争やサイバー攻撃は大戦の引き金になるほど危険である

 サイバー攻撃が効果的なのはその秘匿性にあるといわれているが、秘匿性は完ぺきではない。ハイブリッド戦争も同様である。いずれ秘匿性が破られる日がくるであろうから、仕掛けている側には覚悟がいる。バレなきゃいいんだということであるなら、それは大バカ者である。

 たとえば、中国系企業がサイバー技術を使って世論操作をおこなった事例が浮上しているといわれている。また、それだけではなくバルト海での海底通信ケーブルの切断に中国船が不関与であったという証明はなされていない。関与したという証明がないかぎり不関与であると主張してもいいのである。疑わしいというだけでは罰することができないのは人権の基本原則である。しかし、国家関係では疑いが晴れるまでは疑いつづけるのが鉄則であり、さらに100件の疑いがあっても100件の証明は不要で、1件だけでも証明できれば有罪と指弾できるから、残りの99件の証明は不要である。国の安全を守るためにはどうしてもそういう理屈になるのである。

 筆者の心配は、世界大戦の勃発は自然発火的で、何とかなると思っていても、結局どうにもならなかったという歴史経験から、もちろん現在は核というオプション(抑止)があるにしても、事態は予想をこえて悪化することを否定することはできないのである。 

 とくに、今日的にいえばウクライナへの他国からの派兵が政治的に不可避となっていることが心配の種といえよう。すでにウクライナの地は戦場であり、その地への派兵についてのハードルはさほど高くはないのであって、過去には戦争終結のための他国への派兵は多数おこなわれてきたわけで、とくだん変わったこととはいえないのである。

 とくにEU加盟国の多くが支援を2年あまりつづけてきたことが、「すでに投下した資本が先々の制約になる」こともあり、出口が見えるまでは継続か拡大策をつづけざるを得ないという心的膠着に陥っているのではないだろうか。それが間違っているという指摘ではなく、思考回路として狭隘化するのはやむをえないことであり、ロシアも同じ状況にあると思われる。ともかく、意味のある均衡状態を作りだすためにも派兵が必須条件であると関係国が考えはじめたようだが、いよいよ複雑な駆けひきがはじまるのであろう。これは国家間の正義と正義が激突し、多くの犠牲者が生じている現状を何とかしなければという思いがあるにしても、止めるのは軍事力でしかないというジレンマに襲われながら、80年前と同じことを繰りかえすのかと思うと、暗澹たる思いにおちいるのである。

11.深刻な核使用の脅しがもたらすものは?核保有を容認する意識の闇

 さて問題は核使用である。人類の歴史上兵器としての3回(発)目の使用が今日の深刻なテーマとなっている。容認できないことではあるが、顔をそむけることのできないテーマである。

 考え方として、使用を命じた者、命令を実行した者は国際的に戦争犯罪人となすというラインがある。そうなると、国際手配されるから自国以外に居所はないのである。さらに自国であっても事実が知られればおそらくきびしい処置をふくむ非難の対象になる可能性が高いと筆者は考えている。

 核兵器を使用することが、使用国の人びとにとって許容しがたいものであるという比較的簡単な規範が確立できるのかどうか、またそれを担保できるのか、と逆に問いたい。この問いは現在の保有国の人びとへの問いである。そのうえで、状況において使用やむなしと考えうるのかについても聞きたいのである。

 このようなまわりくどい聞き方をしているのは、先ほどの質問は3回目の使用についてであるが、では1回目(広島)、2回目(長崎)についてどう考えるのかということがこのテーマの場合きわめて重要であり、とくに否と答える場合には、1回目から3回目までを通して同じ理由でなければ、普遍的とはいえないといいたいからである。

 つまり一般論として核兵器には反対ではあるが、正義の名の下で核兵器であっても状況におうじて適切な使い方があると、また場合によってはその使用もやむを得ないと考える人びとは結局容認派であるというべきであって、1回目も2回目もやむをえなかったと答えることは、3回目の使用においてもそうであるつまりやむをえないので容認しうるということであり、逆に3回目の使用を否とする場合は当然1回目も2回目も否と答えると考えられるのである。

 もっと簡単にいえば、核使用の1回目と2回目を否と答えない者が3回目を否とする理屈はないだろうということである。プーチン氏の核に関する思わせぶりな発言の裏には、明らかに1回目、2回目の米国による核兵器の使用と同列に位置づけたいという思惑があるように思える。

 人類にとって3回目の使用を邪悪であるというならば1回目も2回目も邪悪であったはずではないか、つまり米国の前例があるといいたいのかもしれない。だから1回目も2回目も米国によって正当化されているのであれば、3回目も正当化されうると。

 したがって、こういった理屈を背景に「使うかもしれない」という確率の世界へウクライナ支援国を引きこんだことは確かであったと思う。何事もそうであるが、二の足を踏んだほうが不利になる。という意味ではその後のウクライナの戦況をみればロシアの作戦は奏功していると思われる。これが第一幕である。

 さて第二幕であるが、核の脅しが奏功した第一幕を顧みて、では使った場合に生じる世界の反応を想像するならば、使用によって得られる利益よりも失う利益のほうがはるかに大きいということが明確であるから、とても比較にならないといえる。

 さらに、その3回目の使用を契機に、核兵器全面廃棄の運動が地球規模で発生し、おそらく保有国は政治的危機に遭遇するであろう、というのが筆者のシナリオである。例によって妄想性の高いものではあるが、プーチン氏が、核兵器は使えると匂わせた時から、使えないものになった、正確にいえば使えるのは3回目だけであり、使用による後発負債は莫大な数値となり、その責任は未来永劫つづくと思われる。いいかえれば、仮に核使用について「やむをえない」場合の使用をたとえ容認する立場であったとしても、現に第3回目の使用すなわち地獄の再現を目の当たりにすれば「やむをえなかった」とは思えないであろう。やはり被害を実感することなしに核使用を防止することは人類にとっては困難なことのように思えるのである。被団協がノーベル平和賞を授賞した理由もここにあると筆者は思っている。

 すなわち、3回目の使用は地球を猛烈に反核、核兵器廃絶の方向にまわしはじめるであろうから、4回目の使用、たとえば報復使用は不要であるといえる。つまり、報復だけをいえば核以外武力以外で十分可能であると筆者は考えている。

 3回目の使用国は、この不名誉あるいは人類への犯罪を償うためには、すすんで当事者の処罰をおこなうしか方法はないと考えるであろう。もちろんそれで収まりはしないし、その後何が起こるかは想像をはるかに超えていて、言葉にすらならない。

 また、通常兵力を核兵器で迎え撃つことが戦術として成り立つのか、さらに戦術核なら容認されるのかなど、さまざまに検討されていると思うが、一番の肝は自国民に被害がおよばないという戦域管理である。中世には、味方にあたる矢は敵にも当たるはずだから構わず撃てという話もあったようであるが、さすがに現代では無理がある。

 ということで、使わないことのメリットが勝っていると筆者は考えているが、国連の安保理常任理事国によるありえない所業を目の当たりにして、起こりえないということに自信を持てないでいる。過去もふくめて核兵器の使用が犯罪であると国際社会が一致して弾劾できないかぎり、また拡大抑止論に未練を残すかぎり、使用リスクを滅却することはできない。残念ながら啓蒙思想や民主政治のおよばない世界があるというのが人類の実相であるということである。

12.トランプ氏の世界観を前提に各国は対応をすすめるであろう

 さて、トランプ氏の外交策は米国内での評価はともかく国際的にはとくに同盟関係にある国々にとっては、気象学でいう擾乱そのものであるから、少なくとも要注意と映るし、各国ともそういった米国を友好的とは思わないであろう。

 ということで、来年はどうやってトランプ政権からの要求をやり過ごすかが外交上の主題となる。もっといえば、米国第一主義が国内対策のために考えだされた方便であって、本当は対ロシア、対中国あるいは対北朝鮮では同盟強化の方策がブリーフケースに隠されていると期待したいのであるが、どうもブリーフケースは空のようで、それではせっかくの同盟も立ち枯れるかもしれない。

 そういう意味で米国が遭遇する問題は、多く得られると思っていたのに失うものの方が多かったというパラドックス的事態であって、とくに同盟国あるいは友好国が米国に裏切られたと思った瞬間から米国の権威は失墜し、さらに今まで手にしていた有形無形の恩恵がどんどん失われていくことになるであろう。  

 トランプ氏のいう、米国は他国によって損をしているというのはひどい思いこみであって、そういった間違った思いこみが政策のベースを形成していることが異常なのである。どういう経緯でそういう事実誤認ともいうべき被害妄想が形成されたのか理解に苦しむのであるが、いまさらウジウジいってもしょうがないので、トランプ氏の世界観を前提に各国は対応をすすめると思われる。

13.自国第一主義は合成の誤謬となる 

 どの国にとっても自国第一主義というのは魅力的であるからどうしてもその方向に流れるものだが、関税による交易の疎外には経済恐慌をもたらせるリスクがある。そもそも自国第一主義は合成の誤謬をもたらすもので、その端緒を米国が自慢げに切って落とすわけだから、バカバカしいかぎりである。逆にいえば、世界を相手に関税で外交をもてあそぶことは許されないし、とどのつまり米国の利益になることではない。

 ところで、関税と移民の強制送還あるいは政府機関の大幅削減など、なにかしら自陣ゴールを敵陣ゴールに見間違えてオウンゴールを積み上げる奇怪な景色に、どう考えてもそんなことは到底できることではないのだから、さすがに2年はもたないと勝手に思っている。さらに、再度パリ協定から離脱することになれば何が起こるのか見当すらつかない。 

 そこで、わが国の宰相の出番となるが、なにしろガラス細工であるから気遅れがちにならざるを得ないであろう。筆者は、「討ち死に覚悟」で立ちむかえば石破政権として生き残る道がひらけると記したが、困難な道であることには変わりはない。

 

14.少数与党の石破政権が誠心誠意、必死の思いで事にあたれば情も湧くであろう

 11月28日臨時国会が召集された。13兆円をこえる補正予算案が審議されているが、国民民主党(国民民主)が賛成の方針なので成立の方向にある。そういえば2022年2月の同党による次年度予算案賛成に世間の評価はわかれ大騒動になった。予算に賛成ならそれは野党ではないとテレビ・新聞は大いに非難し、後日玉木代表の稚拙さを嗤った。他の野党もここぞとばかりに非を打ち鳴らし、まるで異端のごとく処した。もちろん、トリガー条項の発動について岸田総理(当時)が検討すると約したことを受けたもので、国民民主にも理屈はあったのであるが、結果として空手形におわったのである。

 この時は、衆参ともに自公で過半数をこえる議席があったし、いわゆる「裏金事件」も発覚していなかったから、国民民主の協力を必要とする情勢ではなかった。だから老獪な岸田氏に玉木氏が踊らされたという解釈も成りたつ状況であった。ただ、その解釈では「そんな不要なことをわざわざすることはない」という常識論からいっても説得力に欠けるといえる。

 やはり、見えない潮流があったと解すべきではないか。もちろん憲法改正が岸田氏の頭をよぎったのかもしれない。とはいえ、弱小政党である国民民主にとっては恥ずかしい局面であったといえる。

 それが、今年の10月27日の衆議院選挙の結果をうけて取るに足りないと思われていた国民民主に絶好のチャンスが訪れた。少数与党となった石破政権に対して生殺与奪ともいうべき交渉力をえた国民民主は前代未聞の交渉カードを切ったのである。筆者には自己証明とも思われる今回の政策取引は有権者の支持のあるかぎり効果的であるし、さらに党勢の拡大にも寄与しうる可能性があると思えるのである。それに、2年余り前のトリガー条項での蹉跌が下敷きになっていることは間違いないし、そういう意味ではリベンジなのかもしれない。

 前回分で筆者は、石破政権としては「大盤回答」しか手がないと記したが、自民党内あるいは省庁幹部の中には事態の深刻さがいまだに呑みこめずに、財源論を対抗的にぶつけるといった危険な冒険に走る雰囲気が感じられる。国民民主は無責任だと理屈でやりこめても、本予算審議で協議不成立となれば石破政権は崩壊するのであるから、与党にあって対国民民主に対して値切りを強行することは裏で石破氏失脚を目論んでいるのではないかとの疑念をよぶであろう。この点は国民民主もリスクをかかえているのであるが、3月3日まで代表職務停止処分の影響もあり、国民民主にゆずる理由がないことから、有権者との関係においても、今の時点で本予算への賛否を見通すことはできない。ということから筆者はガラス細工と表現しているのである。

15.最終的には来年1月2月の内閣支持率が決め手になるであろう

 そこで、現下の厳しい国際情勢を前にして、石破総理に過半数を与え政権の安定化をはかることが、民意としてまた有権者において理解されるのかという重大な問いかけが横たわっている。今のところ、石破総理の外交における立居振舞が話題になっているが、真の外交的課題は外国から政権の安定性に疑いを持たせないことであって、ガラス細工であると思われるかぎり国民が期待する外交成果は難しいというべきであろう。

 来年の通常国会は石破総理にとって消耗戦となるであろうが、細いとはいえ一本の命綱が残されている。さらにつけ加えれば、内閣支持率が反転する可能性がゼロとはいえない、誠心誠意必死の思いで国政にあたる政治家をヤユし嘲笑するだけでは主権者としては不十分であり、薄情の極みといえる。ということで、この先連立拡大を過半の有権者が受けいれるのかどうかという大きな分かれ道がひかえているが、連立拡大の対象は国民民主とはかぎらないし、参議院選挙前にそのタイミングがあるとも思えないのである。

 つまり、来年夏までにウクライナ、ガザなどの紛争解決に対しトランプ外交がうまく機能するのか、また米中関係などわが国にとっての外因の動向を見定めなければ、いかなる政党も石破政権への参加を決断することはできまい。わが国においての政治トラブルの多くは外因によってもたらされたといえる。だから、ある程度国際政情が安定化しないと政権参加の意義なり成果を享受することができないことから、政権参加は小政党にとってハイリスクローリターンと思われる。

 さらに、そもそもガラス細工というのはひとりの閣僚の不祥事によって政権が動揺するほど脆弱であるという意味であり、石破氏自身の適性もふくめ慎重に確認する必要もあるので、何事もやはり来年7月の参議院選挙を経てからのことであろう。ということは、前々から述べているように与党内からの「石破おろし」には利益がないということである。

 世間には緒論があふれている。中には国民民主の政策協議に刺激されたのか、立憲民主党(立憲)こそ国民民主のお株をうばい与党との政策協議をつうじて政策実現をはかるべきであるといった「お薦め」があったりして、永田町もさまがわりである。個別法案においては従前から与野党の修正協議は活発であった。しかし本予算に関して野党第一党が賛成にまわることは平時ではきわめて困難なことである。件(くだん)の国民民主の振るまいは賛否のキャスティングボートを握っているからできるもので、賛成するから要求を呑めという図式が常に成立するとはいえない。もっといえば、立憲は野党の中核であるし、支持者の意識も反与党であるから、さすがに野田氏の柔軟性をもってしてもその方向で党内をまとめることは至難といえよう。そもそも野党第一党の考えることではない。良策のようであるが、成立しないといえる。

◇ 鴨群れる 冬はじまりの 川辺かな

 

加藤敏幸