遅牛早牛
時事寸評「2025年3月の政局-予算案をめぐる攻防への感想-」
まえがき [ 昨年暮ごろから左眼が見えづらくなったので、2月にメガネ屋へ行って視力検査をうけたものの「こちらの器械では検査結果が安定しなかったので処方箋をもらってきてください」といわれ、眼科を訪れた。で、「左に網膜浮腫がみられます。治療が必要です」ということで2週間後に加齢黄斑変性の手術を受けた。目玉に注射一本。まあ改善されてはいるがいぜん歪曲部分は残っている。ということで作文はスローダウンしています。]
1.2025年度予算案衆院修正通過-少数与党としては合格-
2025年度予算案が衆議院を通過した。3月4日から数えて30日目の4月2日には自然成立するので、参議院の採決が意味をなすのは4月1日までといえる。衆議院では熟議にはほど遠いところもあったので、参議院での審議に期待したい。
なお、3月7日石破総理は「高額療養費制度」の見直しについて、今年8月の負担限度額の引きあげを見送る方針を表明した。今回の凍結で約100億円の支出増になるため予算案の再修正がひつようになり、手続きとして衆議院での議決がひつようとなる。めずらしい事である。
それはともかく、国会運営的には山場をこえたわけで、まずは合格ということであろう。少数与党がゆえに国政が混乱することはのぞましくないので、ここは野党の対応をふくめて「常識的な(大人の)国会」であったと受けとめている。
2.野党が予算案に賛成することの意味と責任-分かれた維新と国民民主-
さて、予算案については成立させた方がいいという前提で「維新が賛成にまわり、国民民主が反対する結末を」望んでいたので、筆者としては正直なところ胸をなでおろしている。これは予想通りということではない。予想通りなら胸をなでおろすことはもなかっただろう。経験なり直感からもたらされた予感のひとつである。
あまりうまくはいえないが、予算案への賛成を条件に目玉政策を与党につきつけ、周辺の問題などもあわせて浮かびあがらせるいわゆる「103万円の壁」作戦は人びとの切羽詰まった生活そのものをフレームアップさせ、今この国に必要なのは「手取り増」であるというきわめて具象性の高い主張を梃子にして、閉塞感のつよかった政治に新鮮な空気を吹きこんだという点においては国民民主はすでに成果をあげているといえる。
しかし、この作戦の弱点は予算案賛成という野党にとって最大のコストを支払うことにある。という意味でルビコン渡河なのである。中華のコース料理で杏仁豆腐を食べたいだけなのにコース全額を払うのが合理的なのかという疑問がつねについてまわるし、そうしなければ杏仁豆腐の欠片さえ口に入らないというジレンマからは逃れられないのである。もちろん、維新と国民民主は基本政策では自公政権と共通する部分が多いのでジレンマはゆるいのかもしれない。
という前説をおき、終盤において妥協してまで本予算賛成にはしることには慎重であってほしいということであった。さらにいえば、国民民主に人びとが期待している役割からいってそれは一部であって全体ではないということである。直截にいえば、そこまでして泥をかぶるというか玄人風をきどることもないのではないかと。
では、維新は泥をかぶってもいいのかという反論もでてくるとは思うが、そもそもそういう役回りは自公政権との交流歴とか距離感あるいは政党規模からいって、むしろ維新のほうがむいているという「世間一般の理解」を根拠としているもので、まあ筆者の勝手な発想なのである。だから、維新がやれば玄人風、国民民主がやれば泥かぶりと筆者的には区別しているわけで、これこそ政党の適材適所であると考えている。くわえて玉木氏が留守(3月3日まで役職停止)であったことを考えれば、半端な妥協に走らずにスジを通した今回の対応を是としたいということである。
また、なんといっても新人議員が過半をしめる若々しい政党にとって、2月7日の弊欄「2025年2月の政局①-熟議を実らせるには決断が必要-」で指摘した「野党としての予算案賛成はそれなりに骨の折れる仕事であるから、文字通り骨折しないための算段もひつようであろう。」あるいは「予算案には賛成したものの、個別事項への対応ではいささか異なった事態になりうることについて事前に広範な理解がえられるよう議論をこなしておくべきであろう。」ことなどを考えれば、ウンザリとか不器用といわれても安易な妥協に走ることもないのである。
さらに、中道政党の2党が与党をまじえ駆けひきで競りあう事態はさけるべきで、国民目線からいってもさすがに危なっかしいものであろう。結論的には予算案は維新の賛成だけで間にあうのだから連立や閣外協力を目指さない立場である以上限界がある。ゆえに「引き際」も大切であったと思っている。ということで感想は次のとおりである。
3.はやい段階から維新本命
まず国民民主が先の総選挙において躍進したとはいえ28議席という「中の下」規模であったこと。つまり、野党では第3位にあることがベースコードであったといえる。なに事も政党間協議はとくべつな事情のないかぎり規模順におこなわれるもので、選挙における時の勢いはこのさい関係ないのである。
今回は、予算案賛成の可能性を表明したのが維新と国民民主の2党であったから、協議は維新、国民民主の順が妥当である。しかし、国民民主との協議が先行していたように見えたのは、前原誠司維新共同代表が就任したのが12月2日のことでいわゆる初動に時間がかかった分遅れたといえる。くわえて、与党としては国民民主のいわゆる「103万円の壁」の値引き限界の確認が維新との協議には必須であったと推測される。これは政府・与党側の都合といえる。
4.誤れば政権崩壊という緊迫感が石破政権を支えたということか
例年12月下旬におこなわれる「来年度予算案の閣議決定」は折衝の巨大遺跡のようなものであるから、「今さら修正なんて勘弁してよ」というのが担当者の本音であろう。もし総選挙後の首班指名が11月11日ではなく9月上旬であったならもう少し柔軟に対応できたかもしれない、とは部外者の独りごとである。もちろん、正論をいえばどんなに日程的に窮屈であったとしても、それでも民意をうけて原案をかえるのが政治主導ではないかと四角四面なこともいえるが、それだけでは事態を大きく動かすことはできなかったということであろう。つまり、歳出削減の全面展開は時期的にもむつかしすぎたのである。
それと石破政権の基礎体力からいって、しがらみの集成体ともいえる予算原案の大幅修正はあまりにも荷がおもかったということではないか。無理に背負うと圧迫骨折をおこし、政権崩壊もありえたかもしれない。つまり政権崩壊もありうるという緊迫感こそが、年度内自然成立には一日遅れではあったが、予算審議における地下水脈的な説得力を発揮したということかもしれない。
であれば、先の総選挙で大きく議席をのばした立憲が「石破氏の退陣を望んでいないのでは」という内実と野田代表の節度ある対応こそが、やや逆説的ではあるが隠れた功労者であったといえるかもしれない。「あらゆる戦術を駆使して成立を阻止する」とは聞いてないことから、予算委員会がはじまれば期限があることから、時間経過とともに修正できなくなる項目が増えていくなかで、ともかく修正にこぎつけたことは国会審議としては多とすべきであろう。小さなことでも評価すべきこともある。
また昔懐かしい「事業仕分け」の再現とも揶揄されていたが、踏み固められたものをあらためて修正(削減)するのは、じつに大変なことであることが再認識されたということであろう。
5.天秤にかかったわけではない、段違いに安かっただけである
明かされている交渉経過などから推察すれば(後知恵ではあるが)政府・与党としては予備費の範囲内でまとめるという肚づもりであったと思われる。それが石破政権の党内や政府内での腕力の限界であったともいえる。さらに、維新の条件がはるかに安かったわけだから、天秤にかけるまでもなく吉村・前原体制での全権さえ確認できればあとは迷うことのない一本道であったということであろう。維新は馬場前代表時代の後半でこそ野党性を高めたものの、いい意味でも「ゆ党」性が高く、人脈も豊富だったことは事実であろう。
また、維新とすれば大阪・関西万博を考えれば自ずとスタンスが決まってくるもので、いわゆる「103万円の壁」が123万円でフリーズに陥った時期あたり(くわしくはよく分からないが)から維新本命が定着していったのではないかと推察している。
6.話題の所得税法改正案は維新の賛成で衆院通過-評価と責任の重さ
とはいっても、国民民主の支持層に代表される有権者から反発されることの怖さもあって、とくに公明としてはそういった支持者の声には敏感であるから、粘り強く対応したということであろう。しかし、所得税法改正案では最大160万円の控除といってはいるが多段階所得制限下の2年限定というものでは、たしかに年収200万円以下では160万円というのはそのとおりではあるが、かなり包装紙が派手すぎるといえる。ということで全体的な減税効果(手取り増)は国民民主のいう178万円には遠くおよばないのは当然である。
このような目くらまし的な宥和策が有権者にどのように受けとめられるかは今のところ不明ではあるが、少なくとも与党支持層には言訳のとっかかりとなることは否定できない。いわく厳しい財政事情の中で最大限の配慮をつくした、ということであろう。さらにいえば、103万円の壁が原因で働き控えが人手不足に輪をかけているとの指摘には、123万円ではどうしても不足感が強いことから制限付きで160万円を打ちだしたもので、実務レベルでいえばなかなかの内容であったと受けとめている。少なくとも働き控えがそうとう緩和されることは間違いないのである。しかし、そもそも物価高に痛撃されている人びとの生活苦が根底にあるという世論に追われて2、3万円ほどのやった感を演出しただけという批判はあたっているうえに、その程度でどこまで生活の支えになるのかが行政ではなく政治としての重要課題であろう。
7.少数与党下の政策交渉が国会審議を変えたのか
さて、石破政権としての得点は少数与党でありながら来年度予算案の成立に道筋をつけた、また想定内の手直しでのりきった点において一定の評価を固めたということであろう。なかなかのサバイバーではある。しかし、与党にとっては逆風であることは変わらない。とくに、3月に入ってからの食品を中心とした値上げや実質賃金の息切れなどにみられるように所得中位以下の家計の痛みはヒドイままであるから、そういった苦しんでいる層へは焼け石に水、あるいはほぼゼロ回答だった(物価上昇分の消費税の回収ができていない)といえる。この先春の賃上げがいきわたるにはまだまだ時間がかかるので、7月までに家計が改善されるのは一部の世帯にかぎられることから、多くの家計は依然として火の車であり、与党の支持率の回復はおよそ困難と思われる。
所得税法改正案については、国民民主の賛成はえられなかったが、協議には不参加であった維新が態度保留から最終的に賛成にまわり、法案は衆議院を通過することができた。この維新の対応については賛否ともども議論がのこると思われる。しかし、本予算に賛成することは予算関連法案にも賛成していくことになり易いというか、ほぼ与党的になる傾向が強いといえる。条件闘争を否定することはないが、獲得した条件の質と量が賛成行動との関係において釣りあっているのかは慎重にみきわめるひつようがある。維新としては国民民主に代わって賛成したわけではないだろうが、維新の賛成なくして所得税法改正案は衆では成立しなかったという重たい構造からいっても、維新が反対する選択はなかったといえる(やれれば革命的ではあったが)。また国民民主も目標にくらべれば半端な結末であったとしても、予算案賛成というコストをはらうことなく多少なりとも成果がえられたのであるから、今回の交渉はけっして失敗ではなかった、むしろプラスといえるのではないか。あるいは前半で汗をかいたことへの配当かもしれない。今回の4党を中心とした活劇ともいえる交渉は少数与党下の賜物ではあるが、選挙における民意を背景に既存方式に挑戦したともいえる。これは新しい国会審議を予感させるといいたいのであるが、有権者の受け止めはさまざまであろう。
参考【所得税法改正案は、所得税について年収200万円以下の非課税枠を160万円まで引きあげ、年収200万円から850万円については3段階(200万~475万は30万円、~665万は10万円、~850万は5万円)で基礎控除を30万円から5万円を2年間の時限措置として上乗せするというもので、3月4日の衆議院本会議で自公維などの賛成により可決された。】
8.老朽政党の限界が新陳代謝を招く事態へ
報道では、立憲、維新、国民民主の3野党の三つ巴の駆け引きであったとか、また野党間の不協和さらには自民の交渉手腕などがことさら喧伝されていたりして、なにげにうざく感じている。たしかにそれも事実ではあるが、全体像として真実をうつしだしているとは思えない。ここでの真実とは実像である。つまり同じ現象に見えても根が違えば異なる現象として取りあつかうべきなのである。そういう意味では真実は自公政権の代替つまり政権の新陳代謝のプロセスにあるということではないか。自民も公明も老朽化しているから組織の持続に多大なエネルギーが必要になっている、と同時にムダも増えているので、大いに不効率なのである。そういう不効率が競争に負けていく原因であるというのが一般原理であって、その最たる現象が「政治とカネ」であり裏金事件であったと解釈している。
つまり、組織としてカネがかかるということは集票構造そのものにカネがかかるということであり、カネをかけなければ民意をまとめられないというのは今日の民主政治としては不公正、不透明であり不効率病にかかっているということであろう。
問題なのはその不効率性に対して疑いがないことである。疑いがないから党内の対応が遅れるのであろう。ともかく民主政治にはカネがかかるからとマジメ顔でいわれると日々の生活に苦労している人びととしてはむかつくだけであろう。だから、そういうのは政治活動にムダが多いつまり不効率であることの証明そのものであるから、いっそのこと政治家をおやめになったらと思われるだけであろう。
ただし、単に政権交代といってしまうと老朽政党間の老老交代に陥る危険があるのが困ったところであって、それを避けながらいかにして政治の新陳代謝をはかるのかというのが今日のわが国の政治課題であるといえるのであろう。
だから、立憲を中心とする政権交代が盛りあがらないのである。あえていえば、立憲はカネこそかからないものの、民意を集約しきれないでいる。つまり感性とか共感力においてこそ老朽化がすすんでいるように思われる。というあたりに国民民主、れいわ新撰組、参政党、日本保守党に票が寄っていく理由があるように思っている。
9.石破政権の命運は?参院選負けても連立工作でしのぎ、ガラスから強化ガラスへ
次に石破政権の命運であるが、今国会における最大の難所を維新の助けをかりながら乗りこえたことから、当面安定すると思われる。できれば安泰といってあげたいのであるが、ガラス細工特有の脆弱性、たとえば政権中枢の人的厚みに欠けるといった問題が残っていることから表現的にはランクを下げざるをえないということである。
さて、通常国会での野党による内閣不信任決議の見通しであるが、本予算に賛成した維新の立場をいえば特別の理由がなければ信任の方向であろう。特別の理由とは重大な醜聞などである。野党が本予算に賛成するということは基本的に年度中は不信任決議には賛成しないということになるであろう。立憲としては各党の政権との距離感を計るためのリトマス試験紙として提出する可能性があると思われる。
ということで、不信任決議の不発がほぼ確定していると考えれば少なくとも参議院選挙までは政権は安定的であるといえる。また、仮に参議院選挙で与党が敗北したとしても、もちろん負け方次第ではあるが、自民党内から倒閣運動が生じた結果新総裁が誕生したと仮定しても、両院で少数与党というノーカードでトランプ大統領との会談に初顔で臨むというそんな蛮勇が今の自民党内に残っているとは思えない。まあ本人事情であるなら仕方がないが、昨年の総選挙後の対応が前例になると思われるので即退陣という事態はきわめて低確率であろう。
そこで与党にとっての最悪の事態ともいえる衆参ともに少数与党となったところで、連立工作で凌ぐと予想するのが現時点では常識的であろう。また、参議院選挙で与党過半数が維持されれば選挙で示された民意を背景に、石破総理として強気で衆議院の過半数を目指し自公と第三の政党との連立交渉を本格化させると思われる。自公にとって足らざる議席の確保という難題を前にしたときに、今回の予算案をめぐる一連の動きが伏線として参議院選以降の政局のベースコードになることは間違いないと思われる。そういった伏線がしめす行先は鉄道がとりもつ多党連立ではないかと妄想している。
ということで、参議院選挙後の政局は維新の連立参加あるいは閣外協力が焦点となるが、円滑に事が運ぶかどうかは現時点では分からないというべきであろう。
ただし、そもそも今回の予算案賛成がきわめて連立色の濃いものであったことから、いいかえればそうしなければ維新としては政策実現の辻褄があわなくなるうえに、さらにそれ以上に従前からの自民と維新の親和性の高さがイオン結合を促進するだろうと考えている。
もちろん維新の党内事情と参議院選挙の結果が状況を大きく変える可能性があるとしても、今年の7月時点でいえば、衆は2028年10月、参は2028年7月までの任期が確保されている、いわゆる黄金の3年間をむかえることから、いよいよ石破政権の長期化の可能性が浮上するのである。そうなれば筆者の「ガラス細工」という表現も「強化ガラス細工」に変更しなければならない。政界は一寸先は闇であるが、同時に権力が求心力を生みだすことも事実であるから維新をのぞく野党は油断できないということで、野田代表は参議院選挙での与党過半数割れを目指していると聞くが、それだけでは倒閣には不十分であり、まして政権交代は困難といえる。
という政界物語はほどほどにして、石破氏に3年以上の時間を与えることの意義はなんであるのか。激動する世界情勢にあって石破氏でなければという何かしらがあるのかと沈思黙考のコーヒータイムとなった。いずれにせよ今年の7月下旬には石破政権の命運が決することになる。
10.立憲の基本政策が変われば政権が動く?
先ほど、立憲、維新、国民民主の三つ巴論にふれたが、憲法改正、安全保障、エネルギー政策に関しては維新と国民民主は親和的である。で、自民党もそうである。しかし、公明党は少し差があるようで、欧州の防衛力強化の流れが4党の関係に微妙な影響を与えるのか、ウクライナ停戦の動向もふくめデリケートな状況がつづくと予想している。という視点でみれば立憲が異色なのであろう。
もし、米国の対中政策がさらに「硬化」にむかえばわが国の安全保障政策も少なからず影響をうけると思われる。ということに連動して立憲のスタンスに変化が生じるのか、けっこう気になるところである。もちろん「台湾有事は日本有事」という定義があるわけではない。中東あるいはウクライナでの停戦と和平がすすめば米国は対中国に専念すると予想されるので、きな臭いことにはならないと思ってはいるが、野党としてもより深い対米チャンネルがひつようになると思われる。という環境を考えればますます政権交代が遠のいていく気がするのである。
11.7月の参議院選挙の情勢と争点
さて、昨年の総選挙の結果をみるかぎり自民、維新、公明、共産のいずれも斜陽のおもむきを醸している。また、立憲は大幅な議席増ではあったが不思議な停滞感にとらわれている。他方、小規模政党の伸長がいちじるしく、国民民主、れいわ新選組、参政党、日本保守党の4党で合計33議席もの増であった。
問題はこの傾向が参議院選挙においてもつづくのかであるが、流れ的には自民の「政治とカネ」から吹きだされる逆風は都議選でピークに達し、その後はスローダウンするのではないかと自民周辺では楽観的に予想しているのかもしれない。そういった楽観の根拠には、有権者の怒りは時間減衰する傾向があること、また仕置きには飽和域があることなどが考えられるが、科学的とはいえない。さらに、政治資金問題が対策の浸透もあってかなり改善されるだろうとの期待予測などが楽観をまねいていると思われる。はたしてどうなるのかは不明である。
ただし一般論として、世間の耳目が国外にむかい、早い話が朝から晩まで一日中トランプをやっているのだから、そちらにいくのはとうぜんであり、気になるのはトランプ対策のほうであるから「政治とカネ」問題はどうしても薄められることになるのは否定できない。
そこで、人びとの国内政治への関心は賃上げと物価上昇すなわち生活課題に集中すると予想される。とりわけ輸入物価を押しあげてきた為替については超円安がこの先解消されるといわれている。また、「ロシアVSウクライナ紛争」が停戦にむかえば原油をはじめ穀物などの市況価格が大きく下がることから、わが国でも輸入物価の低下が期待できる。しかしトランプ関税がわが国の経済活動にとってはどう考えてもマイナス要因であることは間違いない。
つまり、トランプ+(プラス)とトランプ-(マイナス)が並走することから関係者にとってはヒヤヒヤものであるが、政府としてはプラスマイナスのバランスをどうとるかということであろう。
したがって、参議院選挙を前にした各党の政策競争は、かぎりなく悪化してしまった人びとの生活をとりもどすところに軸足がおかれるだろう。野党的には「生活奪還闘争」としてリアルに直接的な政策を提起する方向に動くと思われる。
一方、与党としては為替(超円安)などの交易条件の改善や国際価格の値下がりなどに着目し、経済環境の改善の方向を指摘しながら、最悪期は脱したと宣言すると思われる。さらに、賃上げへの政府の関与を印象づけるため、賃金については企業規模間や男女間格差あるいは最低賃金などの改善策を前面にだしながら、若年労働者寄りの姿勢と政策をPRしていくと思われる。
石破総理が講演で「受けることばかりやると国は滅ぶ」と格調たかく述べたと聞きその精神には賛同するものの「受けないことばかりやると党は滅ぶ」ことも眼前の真実ではないかと思う。現実は「選挙の前は受けないことはやらない」とばかりに難問が先送りされている。生活者の気持ちをいえば値上げも先送りしてほしいということであろう。
◇ 待ちわびて 見上ぐる人の 桜かな
加藤敏幸
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