遅牛早牛
時事寸評「トランプ氏再び大統領に、歓声と悲嘆からの離陸」
1.帰ってきた「アメリカファースト」、渦巻く期待と不安
「アメリカファースト」が帰ってくると世界が身構えている。米国内は期待と不安が入り混じったまるで分離したドレッシングのように見える。たった一人の政治家に対してこれほどの反応が地球規模で起きるのは稀なことであろう。もちろん期待よりも不安のほうが大きいと思いながらも、1月15日イスラエルとハマスがガザ地区での停戦と段階的な人質解放で合意したと聞けば、大統領就任式の前というタイミングに意味があるのか気にはなる。そんなことよりも今は「よかった」と言葉をかみしめている。
「アメリカファースト」と聞いた瞬間こそきわめて鮮明な印象を受けたが、すぐさま焦点がぼやけた。分かったようで分からないのがキャッチコピー(とても気を引くいいまわし)の宿命である。
ところで、何でもかんでもいつでも「アメリカファースト」であるし、「アメリカセカンド」というのはついぞ聞いたことがない。おそらく声援や囃子詞(はやしことば)の類であるから深い意味などはないのであろう。
というのも自国利益第一というのはごく当然の原則であり、どの国もそうなのであるが声に出すことはない。いわゆる「いわずもがな」であるのだが、この人が言えば求心性が高まるのが不思議である。人気アーティストのライブでの決まり連呼と同じなのであろうか。ちなみに、わが国の首相が「ジャパンファースト」と言えれば空気が冷える。
2.安全保障のパラダイムシフトに踏み込むのか、それとも金目の問題なのか
さて、同盟国の防衛費の引き上げを要請するのはいいとしても、強要するのは下策であろう。まして防衛負担が低いままであればいざというときには守ってやらないとは全く子どもの言い草のようで呆れている。しかし、米国人の多くの本音はそういうことであろう。
そういえばここ20年来米軍の新たな大規模展開はなかったし、どちらかといえば非戦闘手段での解決を選好しているようにみえる。できるだけ平和的にといえば歓迎100パーセントであるが、そういった対応が何をもたらせるのか、たとえばロシアのウクライナ侵略の端緒を思いかえしても複雑な思いで黙考せざるをえない。つまり、米軍兵士の犠牲にいつまでも寄りかかるのも勝手な理屈なのであって、地球規模で部隊を配備している米国の論理と、その受益との関係について持続性をも視野にいれながら関係国においても議論をすすめる時期にあることは間違いないといえる。
視点をかえれば、脈々とつづいてきた命(いのち)をかけた同盟から、技術と経済に支えられた金(かね)の同盟へと移っているのではないか、そういう質的転換の時代ではないか、とかいろいろ考えてしまうのである。よく言われるパラダイムチェンジかもしれない。
ウクライナを見てもガザを見ても、胸がつまるほど凄惨な情景(それでも選択され抑制されている)が写し出されているが、できればそういうところにわが兵士を送り出したくないと言えば、ポピュリズムだと批判されながらも誰しも素で言えばそういうことであろう。
そこにトランプ氏の原点があるのであれば、それはそれで政治信条としては立派に成立するといえるが、その路線を急げば多くの混乱を引き起こすかもしれない。たとえば、「防衛費比率が低い、それでは面倒みられない」というロジックは、(本当のところは)防衛予算をあげても面倒みられないから自分たちでやりなさいということであり、いざというときにはいい戦車を売ってあげるからという対応へ移る伏線ではないかという、同盟国においてはそうとうに疑り深い話に解される可能性も高いのである。果たして共同防衛が担保されるのか、とくに信じられるのかという点において微妙な議論を残すと思われる。
そう言えば、ウクライナのようなことになってはいけないからという動機が各国の安全保障意識を高めているし、NATOなどの強力な同盟の吸引力となっていることも事実であろう。
しかし、トランプ氏の発言を吟味すればするほどに「第二のウクライナ侵略は起こらないから、もういいよね」と心底においては達観しているのではないかという小さな疑いが湧いてくるのである。さらに氏の独白は「それにしてもNATOには金がかかりすぎるから何とかしたいものだ」とつづいているようなので、「マネーファースト」ではないかと勘ぐるのである。
くわえて下世話にいえば、世界はアメリカの巨大な軍事力によって守られているのだから、用心棒代をとりたてればいい収入になるから、国民の受けもよくなるし、人気沸騰となるだろう。とまさかそんなソロバンを弾いているとは考えられないが、あんがい氏の独特の政治感覚では何年か後に「期せずして」訪れる灰色の平和を予感しているのかもしれない。と言えば、筆者の妄想において最大級の荒唐無稽ぶりに自分で笑ってしまいそうになるが、期せずして訪れる平和というのはありうるのである。
プーチン氏もゼレンスキー氏もネタニヤフ氏もいい加減疲れた感じで、そろそろ休暇が欲しいと思う気持ちが反動の始まりなのである。灰色の平和とは反動によって生じる戦間期のことである。
歴史の中で「反動」が占める割合は一般に考えられているよりはるかに大きいもので、歴史の半分は反動ではないかとさえ思っている。だから、ロシアにとって第二の侵略はこのあと20年は気分的に無理ではないか。民心はさすがに許さないだろうとロシアの首脳部も内心はそう思っているであろう。イスラエルにしても勝てば勝つほどに不安が募るもので、自分たちがやっていることは、自分たちがよく知っているから、報復へのおそれもあるだろうし、そういった気持ちから永遠に攻撃をつづけなければと自らを脅迫している側面もあると思われる。
だから、勝利した後のイスラエルが国として統一的にやっていけるのか、とくに平和国家として落ち着くことができるのかというきわめて重要なイッシュについても、さらにイスラエルの人びとの心の底にたまっている、他人を攻撃したことから生じる心的障害が安易な英雄譚などでは癒されるはずがないと考えているので、よけいなことかもしれないが社会全体の戦後期を心配している。
また、ユダヤ人脈をつうじて米国は天秤を傾けてもなおイスラエルの肩をもち軍事援助を続けてきたが、当座の軍事的成功が必須であったとしても、それだけでよかったのかと思索は愁いをおびてくる。バイデン氏の苦言とトランプ氏の叱咤の二本が揃っての15日の合意なのであろう。素直によかったと思っているのであるが、そうは言ってもさらに大きな困難が待ち受けているのも事実である。
それにしても、ウクライナとイスラエルを見くらべながら、両国が受けた支援というかアメリカからの処遇を吟味するならば、とくに同盟国においては揺らぐところがでてくるであろう。まあ「アメリカファースト」の歴史的必然といえるのであるが、仮に負担額によって処遇が変わるにしても、ではどこまで担保されるのかという疑問は消えないし、そもそも米国にとって不必要との烙印が押されれば機能しないわけであるから、あんがい答えは簡単なのであろう。そういう意味でも、中東地域においてこそパラダイムシフトが求められていると思う。
3.防衛費負担をつきつめれば安全保障体制の議論にいきつくのだが
さて、各国の防衛費負担については表玄関から堂々と要請したほうが合理的な議論ができるし、安全保障戦略の基礎部分である持続性のある平和構築についても意見交換ができるではないか。
今日、世界の各地で安全保障の最前線に立つ米軍にとって、真摯な任務なのに経済問題として天秤にかけられることはあまり愉快なこととはいえないであろう。また、同盟国あるいは米軍基地を受けいれている国や地域にとっても、基地提供や便宜供与の根本が瞬間的であったとしても「金で買われたもの」と一方的に決めつけられれば、冗談ではすませられないし、ひょっとして政変さえも招きかねないほどの政治問題化するかもしれないのである。という文脈は国際常識を前提にしての話である。
なぜここで常識を持ちだすのか。理由は簡単なことで、常識は説明不要であるからあらためて議論する必要がない。いいかえれば、相手の解釈を検分する必要がないので迅速かつ円滑な対話が成立するのである。この効用は国家間においてはきわめて大きいといえる。と考えれば、トランプ氏の場合は必ずしも対話を成立させることを目的にはしていない、言ってみれば交渉上の掴みやぶちかましのような話であって、目的というか隠された目標がべつにあると推察すべきであろう。
良くいえば、衝撃的なフレーズの真意を相手方に斟酌させる驚きと戸惑いの玄関から、自然にアジェンダを形成していく応接の間へと、そしてさらに仕留めた獲物を料理し味わうキッチンダイニングへと導く饗応システムなのであろう。こういうのは世界の権力中心であるからこそ可能な「トランプ話法」といえるが、それに翻弄される日がはじまると思えば憂鬱なことである。しかし、日々生死の淵に追いやられている人びとのことを思えばそれも贅沢なことといえるかもしれない。
4.経済政策の限界を感じた日からラストベルトの離脱がはじまるのか?
現代においても、自国の利益を国益と称してその保全と最大化を図るのが国家としての常識である。しかし、経済力であれ軍事力であれ、はたまた○○力であっても一位はおろか二位でさえ遠くにあり、しかもそれが霞んでいるわが国にしてみれば「何を今さら」であって「ジャパンファースト」と言う環境にはない。
しかし、トランプ氏にとっては「アメリカファースト」は言うべき必須のフレーズといえる。同様に言わなければならないものとして、「メイクアメリカグレートアゲイン(MAGA)」があるが、これも同じことであろう。外から見れば、そもそもグレートなのがいつの時代のものなのかが不明なのであって、そこは集会の参加者がそれぞれに栄光の復活を叫んでいるのであるから、むしろ勝手に思い描き叫ぶところに意義があるのであろう。そういう意味では何をガンバルのかが不明な「ガンバロウ三唱!」に似ている。労働組合の場合は「団結ガンバロウ!」なので、ここまで来たら足並みを乱すなという組織統制つまり守りなのであるが、トランプ氏の場合はシンプルにアメリカが一番でなければならないということであろう。
ともかく、米国においてなぜ国民の多くが腹立たしく思っているのかについては、肝心な点をはぐらかし、ことの本質には触れていない。そのかわり、すべての不都合はバイデンから生じているとか、米国の貿易赤字は他国の搾取の結果であるとか、あるいは民主党のせいであったと強烈に断定しながら、だからこの先はすべてが良くなると単純明快に宣言している。というプロパガンダの構成は政治土壌的にも完ぺきなロジックであると思う。もちろん、期限付きのロジックなので、いつまでも通用するものではないのである。
とくに、最大の課題はバイデン氏のコロナ対策がめちゃくちゃにした(という)経済とりわけインフレが終息するかどうかである。さらに、2018年からのいわゆるトランプ減税(の中の個人税制の多くは2025年末に失効)を継続させるとなれば財政赤字がさらに膨らみ、何かと副作用が生じて財政政策的には両足を縛られたアヒルにたとえられるであろう。予算は議会主導であって、それに党議拘束もゆるいことから、かならずしも大統領の意図通りになるとはいえない。また、米国債の動向をめぐり投資家グループの監視も強まることから状況は複雑である。それにしてもトランプ減税では標準控除額が単身者で2018年が12,000ドルであったのが、2024年は14,600ドル(約225万円)とインフレ調整で2600ドル増額されている。普通にインフレ調整するのが政治の常識だと思うが、わが国はどうだろうか。
ということで、発言は威勢がいいし、それなりに理屈もあるのであるが、関税で同盟国を威圧することはできるが、経済自体を恫喝することはできない。そのうえ関税についてはすでに警告灯が点いている。それは、輸入関税の引き上げが輸入物価を確実に押し上げ、さらに外国人労働者の流入阻止あるいは強制送還は人手不足を加速し人件費の高騰を招く可能性が残っていることである。つまり、インフレ要因である。したがって、日用品などの生活必需品については関税をかけたり引きあげることは消費税効果となるので安易に採用することはできない。つまり関税は両刃の剣なのである。
そもそも、関税(引き上げ)がどの程度に効果的なのかはその目的によって語るべきであるが、代替調達が不可能な品目にまで関税をかける、あるいは引き上げることが何に対してどれほど効果的なのか、さらに輸入税として国内の輸入業者から徴税するのか、あるいは国外の輸出業者から徴税することが可能なのか、などについて整理がすすんでいないが、たとえば「対外歳入庁」構想にしても実務的に無駄なことになると思われるから筆者には理解できないことである。
また、自国産業の保護育成や税収の確保などであれば分かりやすいのであるが、安全保障上のリスクへの対応となると判断基準があいまい過ぎて話にならないといえる。微視的に見れば法適用の恣意性において米国の中国化がすすむのではないかと思われる。
ということで、とても整合性のとれた政策群とは思えないし、完遂できるとも思えないのである。筆者の過剰反応かもしれないが、怒れるまた怯える人びとへの鎮魂文に聞こえて仕方がないのである。よくは分からないのであるがこの国の人びとには周期的に情緒不安におちいる傾向があるのかもしれない。つまり、コアな人びとには襲われるとか搾取されるといった潜在的不安や被害意識が心の深部に実装されているのかもしれない。実態は逆、つまり米国の超富裕層が海外から搾取しているのではないかと他国民は思っているのだが、認識における彼我のギャップはすさまじいといえる。
ただし、わが国もそうであったのだが、国内の製造業を海外へとくに中国に流出させたことのマイナス面を暴風雨のようにうけている人びとにすれば、トランプ氏の主張はみごとに腑に落ちるもので、じつに分かりやすいといえる。しかし問題の本質は、グローバリゼーションのもとでの中国への展開によって巨万の富を得た超富裕層と、逆に雇用を失い低所得に追いこまれた層との国内での利害対立関係を全面的に対中国関係に転嫁しているだけのことであるから、来年後半あたりからラストベルトのトランプ支持者の認識にも変化がでてくるのではないかと予想している。軽々にトランプ離れなどというべくもないが、関税で中国をたたいてみても状況は改善されず、むしろ不景気を招くだけであるから、次の中間選挙はいずれの党にとっても視界ゼロと思われる。
ということで、いきなりの乱気流の出現(予想)に同盟国においても対策に余念がないようだが、冷静に考えればトランプ流にも限界があるし、政府スタッフや議会からの合理的規制がはたらくことを期待すべきであろう。もちろん、トランプ氏の感情を逆なでするのは愚の骨頂であるが、かといって媚びへつらうこともないのである。蔑まれるリスクのほうが多いのではないか。
5.合理性よりも感情に動かされる政治が前に出てくる
1月14日(日本時間)に報道された米国鉄鋼会社クリーブランド・クリフスのCEOローレンソ・ゴンカルベス氏の記者会見は表現においても象徴的であった。大統領就任前の昂揚感の影響かどうかはともかく「日本政府ごときが口出しするな」ということであろう。歴史を自己利益にそっていいように引用するのは世の常であるから、言い過ぎとは思うが別に驚くことではない。
しかし、気になるのは大企業の経営首脳においてさえトランプ流の表現が一般化しているのかということであろう。たしかに中国の鉄鋼産業へのわが国からの支援がビジネスをこえて親切過ぎた印象は筆者も有しているし、いくら後発といえども竜は竜であるから後世に災いを招くことへの配慮を欠いていたのではないかという指摘も分からないではない。しかし、それは巻き添えをくらったとの被害意識を持つ米国の鉄鋼人としての固陋な言い分であって、原因と結果あるいは事実関係の錯誤による独善的解釈を超えるものではないというべきであろう。
そもそもビジネスは合理的判断を基盤にした対話にもとづく取引であるから、情動よりも利益性や合理性を重視することで国際的にも信頼関係が構築されているのであるから、感情表現は抑制されねばならないという常識が当然のごとく確立しているのである。
問題は、今回はそういう文脈ではないことであろう。わが国の世論の一部にある、同盟国への対応としてのバイデン大統領の判断に大いに不満な気持ちは分かるが、氏は日本の大統領ではない。また、同盟国云々との指摘も東アジアで生起している事案であれば同盟関係を強調することは妥当性をもっているが、米国内の事案であるかぎり日米安保関係が顔出しできる場面ではない。ましてこの同盟関係では米国の領土を守る構造にはないわけで、アメリカ大陸に居住する米国民からいえば日米安保は目にすることのないものでゼロ価値に等しいのである。
さらに、USSが熱望しているのに何故との主張は米国の安全保障の観点からいえばこの際私企業の判断は関係ないといえる。問題は経済合理性ではなく国民の情動(感情)にあるわけで、国民の一部であってもゴンカルベスCEOの発言に多くの支持があつまることが問題であり重要なことなのであって、CEOの狙いもそこにあるのだろうが、国民感情にも着目することが安全保障上の配慮といえる。ということで、米国内の政治それも執行にかかわる事項にわが国政府が口出す根拠はないし、コメントすべきではない。もちろん、日米間のほとんどの取引は経済合理性にもとづき日々処理されているが、時に例外が発生する。例外であるというのは政治的に優先されるということなので、どこまでいっても米国内のまたUSSの問題といえる。
さて、コアなトランプ氏支持層の鬱屈感情が投票行動をつうじて強い政治力を発揮していると思われるが、その政治力を制御することがなければ米国の政治システムへの信頼が損なわれるということであろう。という視点が民主主義を標榜する国家群の一角として重要ではあるが、「それで迷惑をかけたのか」と開き直られたら言葉がないことも事実である。
まして、軍事的には片務性の高い日米同盟をもって同盟国と声高にいうのは、相手からいえば片腹痛いということであろう。その相手はNATOですら離脱しかねないということのようで、安全保障の分野でも新奇の論理を構築しつつあるのかもしれない。結果はそうはならないと思うが。
米国は同盟国との関係において大損をしているというトランプ氏特有のドグマが一連の震源となっているのであれば、早い話が同盟国はしばらく越冬するしか手がないであろう。見方をかえればトランプ氏にみられる変わった認識を奇貨として緊張緩和(デタント)への手がかりを模索するのも有意義であると思われる。案外こちらの方が本線かもしれない。
先ほどのCEOの発言は横におくとして、アメリカ大陸に暮らす人びとの多くが、日本と中国とを区別することのない地理的認識にあるのだから、まして日米安保の意義などはニッチもニッチ相当にレアな話題であるといえる。ということはわが国で語られる日米の安全保障についての議論などは彼ら彼女らにとっては異次元の理屈としか思えないのであろうから、太平洋を越えて持ちこむべきかは相当に悩ましいものといえるのである。そういう点でいえば、わが国の報道や評論は上滑りではないかと思う。
6.トランプ政権2.0の閣僚級人事はその内落ち着く
トランプ政権2.0での人事が注目されたが、トランプ氏好みが前回よりも際立っているという点に批判が集中しているようである。そうなるのは人情というもので、それを止めることはできない。いつの時代にあっても最高権力者は居心地の良い人的環境づくりに精をだすものである。一般的論ではあるが「お気に入り人事」のいき過ぎは組織論的には退行現象といえるもので、多くの事例において非生産的人間関係あるいは内部対立関係を生みだしやすいとして避けられている。また権力機構としては自壊的であるとさえ認識されているのである。
トランプ政権2.0においても、たとえば反中国姿勢を加速する方向での人事が批判されているが、たしかにいくら鉛筆の芯を尖らせても文章の力が増すものではなかろう。強硬な芯は脆(もろ)いからよく折れる。違う才を用いなければならないところでカーボンコピーをあてがっていては事態は動かない。つまるところいい仕事ができないと思われるのであるが、そういう類の問題については当の本人自身どうも関心が薄いように見える。
憂いはともかく、次々と芯が折れていけば最後は適当なものが残るはずであるから、初期故障と割り切ればいいだけの話といえる。
それよりも、自身の関心事項への執着が異常に強まれば執務に偏りがみられ、往々にして政治的バランスを欠くことになり、そのことが原因で他国への影響もふくめて慮外のトラブルに見舞われることを懸念すべきであろう。
さらに、3期目がないことが逆に歯止めを無くしているとの指摘が近い将来生じると思われる。バイデン氏を襲った高齢批判が妥当であったのかについて語る立場にはないが、個人差があるにしても加齢現象は万人の課題であるから、トランプ氏だけが逃れ得るものではなかろう。
くわえて、周りにイエスマンしかいない権力者はやがて見当識を失い考えられないような失策を招いてしまうものであるが、これはあくまで可能性の問題であるから、必ずそうなるというものではない。
前回つまり1.0の時はたとえば故安倍晋三氏が友人としてサポートしていたので、外交においてとりわけ東アジアへの対応はかなりうまくいったといえる。しかし、残念ながら今日彼シンゾウにかわる存在は見あたらないのである。トップ同士の信頼関係が早くできあがることを祈るばかりである。
7.わが国の報道はリベラルな世界観に依存しすぎで米国の現状を伝えきっていないのではないか
さて一般論であるが、部下を参謀あるいは軍師として扱えない者はインテリジェンスにおいて孤独であり、的確なアドバイスがえられないという点で危険に囲まれているといえる。首脳外交は国のトップの独断場であるがゆえに失敗は許されない。ともかく、あまり心配はしてはいないが国際場裏においては話を聞くだけでは事の真偽が分からないので、スタッフとの信頼関係がなければ自分の直感に頼るしかないということで、習氏プーチン氏金氏の言葉が清かに聞こえるという同盟国にすれば望ましくない事態にいたるかもしれないのである。もちろんそれがホームランにつながる可能性も否定できないが。
というのが、大まかなトランプ政権2.0にまつわる悲観論である。この悲観論がもつ致命的な欠陥はリベラルなる価値観をベースに組みたてられていることであって、ストーリーとしては辻褄があっているものの、現実社会という視点でみれば真実の半分にしか光をあてていないといえるもので、いいかえれば認識において欠落があるということであろう。
筆者がリベラル世界観の認識に欠落があると感じたのは、2020年の大統領選に敗北したトランプ氏は多くの訴追をかかえたまま醜聞にまみれていた。リベラルなる価値観にもとづくかぎり2024年の大統領選挙に出られるはずがなかったのに、まして当選するなどとは思いもしなかったであろう。それがあれよあれよという間に成功をかさね、ついに明日20日には就任式に臨もうとしているではないか。つまり、わが国に伝搬しているリベラルなる推測は現実とはかなりかけ離れていた(全然違うではないか)といえる。
政治的にリベラルな世界観が常に成功しているとは限らない、というよりも適度に失敗していると言ったほうがあたっていると思われる。だからというわけではないが、トランプ氏にまつわる悲観論についてもリベラルサイドの言説であるかぎり的を外していないとは言い切れないのである。
8.まさに傍若無人のいいたい放題ではあるが、意味はある
今年に入って、トランプ発言が冴えわたっている。そのように思わない人も多いが、グリーンランド買収とパナマ運河の管理権奪還である。さらにカナダを51番目の州にするとか、またメキシコ湾をアメリカ湾に改名するとか、傍若無人のいいたい放題である。
まだ就任しているわけではない。またマナーの悪さはあいかわらずではあるが、発言を無視できない立場にある周囲国の弱みを見据えてのもの言いであろう。思いつきのように見せてはいるが、それでいて何やら意図がありそうな見事なトランプ話法である。
勝手な予想ではあるが、自治領に留まることができなくなったグリーンランドは独立を加速すると思われる。同時にNATOの延長線上において米国との同盟関係を強化するかもしれない。経済的に自立できるまではデンマークに依存するつもりであろう。植民地時代のツケを払わせる狙いも含んでのことであろう。
それで鉱物資源の開発権を米国企業に与えれば安心安全ではあるが、北極海の覇権をめぐる米加、中国、ロシアの争いに巻きこまれたくないというのが本音であろう。ともかく住民の直接投票がすべてである。一夜にして世界のグリーンランドになったのはトランプ話法のおかげであろう。
それにしても軍事行動もありうると解釈されかねない表現が物議を醸すことは自明であったが、筆者は触れないよりも触れることの効果をつよく感じている。というのは、今はいき過ぎた表現であったとしてもいつでも訂正可能であるから、そういう武張った言い方が醸しだす威嚇効果は対抗勢力には存外に有効なのである。こういうのは行儀の問題ではない。言葉のパンチ力の問題であるから言ったもの勝ちということである。そういうのはわが国では評判が悪くなるだけのことである。
もちろん、本心ではNATO内で事を荒立てるつもりでないことはあきらかであるが、さりとてこの文脈で攻撃対象国に中国、ロシアの名をあげることは不適切であるし意味不明となるから、国名を言わずに威嚇するなかなかの表現であったような気がする。大統領就任後は控えるのではないか。
ところで、パナマ運河は歴史の産物である。今でこそ莫大な使用料収入で政治的にも安定しているが、いつも安定していたわけではない。近年中国が通行船舶数の急増などを背景に急速に存在感を高め、パナマ国への影響を強めているが、わがもの顔で利用することにトランプ氏は警戒感や不快感を覚えているということであろう。これは当然の反応である。国際共有財としての性格は尊重されねばならないが、歴史をふりかえればその前提はアメリカファーストであって、チャイナファーストではないということであろう。関税にくわえて米国東海岸へのアクセスを制限することを匂わせる婉曲な警告だと理解している。それにしても、料金がバカ高いことはたしかである。
9.米加の団結は重要であり、安全保障の要である
米国はカナダとメキシコとは陸続きであるから、何かと問題を抱えているのであろう。細部は分からないが、関税の切れ味を試しているのかどうか。それにしても51番目の州とはよくぞ言ったもので口がすべったというよりも、思索が混線していたのかもしれない。今年の1月6日、カナダのジャスティン・トルドー首相が辞任を表明した。2015年11月から9年余にわたる長期政権を維持してきたが2019年以降は少数与党に甘んじてきた。支持率の低下あるいは少数与党としての行き詰まりにくわえ、自由党内での支持を失ったことが理由のようである。何よりも2018年5月の鉄鋼とアルミニウム製品に対する米国(トランプ大統領)の追加関税措置やその後のG7でのトランプ大統領(当時)との対立は顕著であった。失脚する者への追い打ちとは考えたくないが、難民問題でも2人の考えは相いれないものであったが、反難民の潮流はトルドー氏の足元をすくい、失脚の遠因となったと思われる。
北極圏を跨いでカナダとロシアは隣接しにらみ合っている。とうぜん米国にとって対ロシアを意識すれば防衛においてもカナダは最重要国でありともに北米航空宇宙防衛司令部を運用している。もちろんNATOの構成国である。東アジアからみれば「犬も食わぬ」ことではないかと思っている。
10、SNSプラットホームは試練の時代に
さて、トランプ政権2.0の発足にあたっての象徴的な出来事のひとつがSNSプラットホームでのファクトチェックの後退であろう。Xはイーロンマスク氏の私物化がひどく、とうの昔に公共性を失っていると批判されているが、政府の要職に就任すれば偏向的といわれないように整理をする必要があるだろう。
つづいてメタが米国での運用においてはファクトチェック機能を外し、投稿者らによる注記(コミュニティノート)方式にかえる方向だと聞くが、反リベラルの潮流の影響もあるようで、「ブルータスお前もか」ということであろう。
光り輝いていたSNSもまるで闇市のようで、まずい商品は自分たちで取り除けといわんばかりの言い草に、バカバカしくなって早速立ち去る人もでてくると思われる。嘘や偽それに危害情報を野放しにしておく情報空間は参加する意味がないどころか逆に有害である。とくに、公職の選挙では早い者勝ち、嘘でも言った者勝ちの悪用が目だち、ファクトチェックがあったとしてもファクトチェックのファクトチェックが必要であるとの陰口もあり、そうなるとこのサービスは一体何のためにあるのかという根本疑念が湧出してくるではないか。筆者などは、使う方の責任でもあると考えているのであるが、確かにそうもいっておれない現状にあるということであろう。
ところで、これは皮肉な予想であるが、おそらくトランプ政権2.0のサイドから嘘や偽それに危害情報のチェックと排除を表現の自由をさしおいて求めてくるのではないか。今回はそれへの先行措置であるのかもしれない。というのも、たとえば反トランプ系の人びとがXとメタを最大限活用(悪用)して政府攻撃を展開することが起こらないとは思うが、そうなればの話として、荒れまくった土地に小麦が実ることはないので、ソーシャルといいながら社会から離れた、ネットワーキングといいながら交流のないいわば情報分断電網体になると思われる。筆者としては最後は利用者がきめることだと達観している。
2025年からは、正しくとも正しいと認識されなくなるから、無類の拡散力を誇ったSNSもゴミや芥(あくた)を大量に拡散するだけとなれば、その社会的効用はゼロ以下であるから、いよいよ終焉ということであろう。
科学技術が急速に発達した結果が、残念なことに20世紀よりも悪い情報環境に転落してしまうのである。天動説と地動説の争いすら起こりえない状態になるといってしまえば身も蓋もないが。いい方を変えれば、民主主義を支える土台や根太が腐食しているも同然ではないか。
こういった、ソーシャルメディアの退行ともいえる転向は政治権力におもねた結果であるとのもっぱらの悪評であるが、そういった批判にも何かしらの政治バイアスがかかっていると思う。SNSには社会的効用があることは認めるにしても弊害も大きいわけで、いくら難しいからといってその対策を放棄するようでは無責任との謗りを免れることはできまい。稀代の天才たちも金儲けだけだったと思うととても寂しくなるのだが、奥の手があるのか興味深いものである。
◇ 朝酒や大寒鷺の心意気
◇ 大寒に祈りが灯る長田かな(1月17日)
加藤敏幸
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