遅牛早牛
時事雑考「2025年10月後半の政局-高市総理、自維連立の誕生と行方-」
まえがき
[トランプ訪日団への接遇は予想以上にうまくいったといえる。では予想のラインはどの程度であったのかについては、今回の日米会談の位置づけや目的にもかかわることから、想定はできるが証拠を示しながらの断定はできない。ただし、従来の関税交渉での5500億ドルもの日本による対米投資の性格と概要が少し見えてきたのが、ある意味成果といえるのではないか。
筆者も「やらずぶったくり」ではないかという疑いを捨てきれていなかったのである。またその原因がトランプ大統領の独特の表現系にあったのだが(「利益の90%はアメリカのもの」がまだ引っかかっている)、意欲をもつ具体企業名もふくめ概要が報道されたことからすこし安心している。
また、故安倍晋三氏をいい意味で触媒に使いながら、かなり巧妙にトップの人間関係を構築しながら、即発信していくという通常ではありえないアクロバティックな手法で、今日の日米同盟の深化あるいは黄金時代を演出しえたのは、実務レベルにおいての日米の信頼関係がそうとうなレベルに達している証拠ではないかとさえ思う。
それは関税交渉時の、何かとドタバタとしていたものがすっかり洗われ、さらに新しいページがめくられた感じによって人びとに新鮮な驚きを与えてのではないか。
さらに、今回の2泊3日の訪日が東アジアにかぎらず世界に向けての両国のイメージ向上をもたらすような、やや大げさではあるが、結構な外交成果をあげたのではないかと思っている。
ほめ過ぎかもしれないが、高市氏には運を引き寄せる何かがある、あるいはこの訪問にかぎればトランプ大統領の評価も上がったように思えるのである。
これで高市政権が紙細工といっても段ボール製であることが証明されたということであろう。
10月も終わりに近づき、何かしら時代の変化を感じている。世界的な経済ショックへの予感はともかく、この2、3年のうちに終わるべきものが確実に終わり、新しい時代がはじまる的な感じがする、それもより困難な時代として。たぶん妄想なんだろうが。
さて私事ではあるが、今年になって網膜黄斑変性の治療をうけている。眼球への注射こそ慣れたものの、その治療費には閉口している。逆にいえば国民健康保険がとてもありがたいと感じている。
ところで、10年ちかく家庭の炊事係として複数のスーパーマーケットに毎日ではないが週に4日以上通っている。前半は小田急沿線、後半は阪神間である。食料品はやはり小田急沿線のほうが、2割はいい過ぎかもしれないがかなり高い。4年前からもともとの阪神間に帰ってきたのであるが、当初はスーパーマーケットでの支払いが安くなったことにウフフであった。それが今ではため息に変わっている。
日用品や食料品は9割がた固定している(献立に進歩がない!)ので物価が手にとるように分かる。豚肉はおよそ2倍、鶏卵は特売が激減した。キャベツも白菜も大根も1/2個売り(1/3、1/4も)が多くなった、でも値段は変わらず軽くなったのが楽なだけ。年寄りの二人口なのでまだ耐えられるが、これが子供3人の5人家族ともなれば家計は火の車ではないかと心配している。
というように日々の体験として物価上昇に追われていると、政治への不満が募るのである。日々の生活は待ってはくれない。また物価の番人である日銀が物価目標として2%を掲げているが、実質賃金が下がりつづけているのにどうしてそれが必要なのか、怒りをこめて疑問である。国の債務の減価をおもんぱかってのことであろうか。人びとには日銀のアキレス腱が見えているのだが、沈黙しているだけであろう。
筆者は「日銀は国民の敵」と表現していた。しかし、円安で潤っている人も多そうなので「日銀は庶民の敵」とゆるめたが、表現はともかくドルが150円を超え、ユーロにいたっては170円をはるかに超えている。このレベルを正常といえるのか。ただ放置しているだけではないか。といった疑問がのこる。とりあえず、物価の番人という看板は外したほうがいいと思うが。
といった歯ぎしりは措き、まずは、土台となる輸入物価を抑えなければ庶民の生活を支えることはできない。そこで玉突き論でいえば、円安は物価上昇の主な原因のひとつであり、物価上昇は生活の質を下げることから、生活苦をまねくもので、庶民の生活を考えれば円安にこだわる日銀は庶民に対していささかの同情心をも持たない非情な存在であるといえる。いな、ここまでしつこく円安にこだわるのはむしろ庶民に対し遺棄心をもっているからではないかと、まあいいたくなるではないか、というのは戯文であるが、利上げのタイミングを失ったのであれば、それは失政であろう。
なお本文における政党名については、自民党は自民、立憲民主党は立憲、日本維新の会は維新、国民民主党は国民民主、公明党は公明、れいわ新選組はれいわ、日本共産党は共産、参政党は参政、日本保守党は保守と略す。また、議席数などは2025年10月28日時点のものである。]
1、公明の連立離脱で新局面へ
公明が連立から抜け、その穴を埋めるように維新が加わり、自維連立政権となった。引きつづき少数与党ではあるが、衆議院では公明よりも維新のほうが少し大振りなので、採決における過半数確保(あと2議席)がより容易になった。
したがって、法案ごとの多数派工作が活発化すると予想される。それを悪いと決めつけることはなく、場合によっては1人でもキャスティングボートが握れるというレアなケースが起きるかもしれない。
また、採決の段階で小数会派(議会内でのグループの呼称)や無所属議員にスポットライトが当たるのは珍しいことなのだが、これからはそういったことが珍しくなくなり、大会派に有利な国会のしくみをのりこえて、小数会派や無所属議員の実質的な出番がふえれば、国会の景色も多少かわると思われる。国会で新しい景色が見られることはいいとしても、他方で多党化が進みすぎると、非効率が目立つようになり、政党の集約化を求める声が逆に高まると思われる。
2.伯仲に近い少数与党で、少数会派や無所属議員の出番が増えるのか?
ところで、党議拘束(会派の賛否の方針)が議会内の議事秩序を支えていることは確かではある。しかし、議事の内容や政府答弁あるいは付帯決議によって賛否が変わりうる柔軟性が、少数与党体勢では必要となるであろう。
また、キャスティングボートを握る会派からの法案修正が賛成の条件として提起される可能性も否定できない。たとえば、自維の合意文書は政策取引における約束手形のようなものであるから、少数会派や無所属議員がそれに倣いミクロな場面で少数与党に取引を持ちかけるかもしれない。賛成するための会派間の話合い(取引)が泥沼化するのはいただけないが、つねに活躍証明を求められる議員にしてみれば絶好の機会であるから、頑張る人もでてくるのではないか。
ということで委員会での駆引きが従来以上に活発化するのはいいが、議事の煩雑化や日程の長期化が避けられないと思われる。
委員会での賛否がギリギリまで見えてこないという、いわば駆引きによる緊迫感をも法案審議の成果物であると考え、場内議論をとりわけ重視する議員が増えるかも知れないが、議論において悪貨が良貨を駆逐するようではせっかくの活性化も長くは続かないと思われる。
いずれにせよ、自維連立は少数与党ではあるが伯仲に近いので、法案ごとの議論が緊迫化あるいは煩雑化することは避けられない。しかし、衆参両院が同時に少数化したことの影響については、まだまだ未経験のことなので今は論評できないが、衆議院を通過しても参議院で否決される可能性があることから、いずれかの野党の賛成が得られる確実な法案しか提出できないというのが当面の縛りになると思われる。
これでは、法案の捌きが悪くなるので、見切り発車すなわち提出してから多数派工作を始める法案もでてくると思われる。審議がすすみ、霧が晴れるように賛否が明らかになっていくとしても、最後の1議席で決まるとなると担当省庁のドキドキ感は高まり大臣はいら立ち、その周辺の苦労は並大抵のものではないと思われる。そういう意味ではワークライフバランスが変調をきたすリスクが高くなると思われる。
3.与党と国会の関係が変わり、委員会はじめ国会での審議日程に変化が
といったことがどれだけ大変であるのかは、従来と比較すると分かりやすい。たとえば、両院で過半数を制する政権であれば、提出法案ごとに政府(省庁)と与党が事前に協議する、いわゆる事前審査をおこなったうえで、多数派の数の力で法案成立を確約するのが常であったから、政府答弁などでの重大なミスがないかぎり99パーセント以上の確率で法案は成立しうる構造にあった、のである。
したがって、与党の事前審査こそが立法のクライマックスともいえたのである。見方によれば露骨な国会軽視ともいえるが、政府にとっては施政の安定性を担保する重要なしくみであり、法案成立の予見性の高さこそが統治能力そのものであるから、プロセスについて議論があるにしてもいい湯加減であったことは間違いないのである。
しかし、主権者に代わり議論をきわめるという国会の使命からいえば残念ながら民主政治の形骸化にいたる道でもあったともいえる。
ということで、事前審査による法案成立の確約がなくなった今日、衆参共に少数与党である自維連立政権としては、法案成立のために確たる手法をあらためて編みだす必要があるのだが、そこで、少数とはいえ伯仲状態にあることから、その都度与党の外に仲間をつくることで法案成立の確実性を高めることが可能であることに衆目が集まることになる。ということを考えれば、与野党の力関係が100パーセント野党に有利に傾いているとはいいきれないのである。あえていえば少数政党、会派あるいは無所属議員が有利になると、国会運営上はいえるのではないか。
という個別法案ごとの駈引きとは別に、主要野党が厳しく対峙するのか、ほどほどに止めるのか、また野党連携の締まりをどの程度にするのかによっても国会運営の難度が違ってくることから、国民民主と公明の出方次第という側面がある、と考えている。
ということは、与党としては多数派工作の努力、野党第一党の立憲としては野党全体の歩調をそろえる努力、この二つの努力の競争という図式が想定されるのである。
通常、切羽つまった方が勝るといわれている。政権のほうが切羽つまっているので、結果は半分以上見えているが、焦点は立憲の政権への意欲である。そのために立憲として基本政策を軟化させる気があるのであれば、決然と発信するべきであろう。大胆にやらなければサナエブームに呑みこまれる、というか自民が右回りで一周先行している中で、政権をめざす野党としての存在感を高めなければ、埋没するおそれがあるのではないか。という不安への対処が立憲の今日的課題であろう。
4.仮に小泉総裁であれば、連立合意文書の内容は12項目とは違っていたのか
さてすこし政策論からは離れるが、前述した国会運営上のモード(様相)の変化は、維新と国民を背反的な連立相手とする場合における、政権(自民)側のメリットの違いから生じるもので、早い話が衆議院における11議席の差が維新と国民民主との価値の差であったといえるのではないか。
という論法でいえば、維新>国民民主>公明である。参議院では国民民主>維新>公明であり、維新よりも国民民主のほうが会派規模で6議席ほど多く、さらに自民+国民民主で過半数に達することは大いに魅力的であったといえる。しかし、そうはならなかったのは国会はそもそもが衆議院優先なのであるからであろう。
いずれにせよこれらが数合わせの机上論であることは、「自民党と日本維新の会の連立政権合意書(要旨)」(以下合意文書)にある12項目を正面から論じれば、はたして国民民主が自維連立にからむ余地があったのかとの疑問もあるわけで、たしかに違いにこだわれば自維国連立はなかなかに困難なものであったと思われる。これは筆者の感想でもある。
さらにいえば、今となっては幻となったが、仮に小泉総裁による政権において、あくまで仮説にもとづく想像ではあるが、先ほどの合意文書の12項目的なものが本当に合意されうるのか、という疑問を消し去ることはできないのである。
だから、この12項目をつらつら眺めれば高市氏首班だからこその産物であり、逆にいえば小泉総裁なら違う12項目になっていたと思われるし、当然公明をふくめ3党協議になった可能性も残るであろう。つまり、公明が離脱することもなかったのではないかという反証すら浮かんでくるのである。もちろん、公明の離脱表明は10月10日であったから、12項目については時系列においては逆順である。
自維連立について結論的にいえば、複雑な経路をたどり今日では互いに水をえた魚のような関係に見えるのであるが、件の12項目から透けて見える高市政権の本旨に照らせば、主要野党はもちろん国民民主とも連立関係を形成できる可能性があったとは、前述のとおりとても思えないのである。というか、維新の連立合意には2パターンあるのか、いや相手によって変わらないということであれば、水面下で先行していた小泉総裁と維新の連立構想がどんな模様であったのか、あれば知りたいと思うのは筆者だけではないと思う。
5.公明の連立離脱の瞬間をとらえ、俊敏に動いたのは見事ではあるが、12項目には難点がある
このことを逆から見れば、これからの国会において立憲を主力とする野党からの質問がきわめて鋭角に刺さってくるであろうことは容易に想像できるし、またターゲットにされるほどの傷をかかえこんだということであろう。
まして衆議院での1割を目標とする「国会議員定数の削減」が、個別政党の党是ともいえる「身を切る改革」の実現といかなる因果関係を有するのか、とくに比例を中心にというのでは維新の身は切らないことになるのではないか。また連立参加の条件としては脇道に逸れすぎではないか、つまり過半数を割った自民党の弱みに付けこむにもほどがある、といった感情的な反発も起こるであろうし、「副首都構想」もふくめ、そこまで条件をつけるのであれば担当大臣をおくるべきではないかとか、強行採決を考えているのかとか、はたまた3か月もの政治空白の後のそうでなくとも輻輳している審議日程に割りこむ大義があるのかなどなど、国会対策的に自民党も突っこまれどころ満載といえる。
ところで、「企業団体献金の規制・厳格化」がうまくいきそうもないので補償行動的に「衆議院議員定数の削減」を持ちだすのは筋違いのもので、議員定数は独立の課題として分けて扱わないと何かしらゲリマンダー的になるのではないかと思う。
もちろん、なにごとも存在感を示すためであると割り切れば、立憲、国民民主との3党協議を早々と切り上げて逃げ出し、公明の後釜に照準をあわせたのは小局における判断としては上々であったと思う。
6.12項目が飾りにおわるリスクはないのか
10月21日に発足した高市政権はとりわけ問題を抱えているとか、閣僚らのレベルが低いといった政権ではないことは確かであろう。しかし、問題は石破時代にくらべ参議院も劣勢になったことであり、さらにこの議席構造は2028年7月までは変えられないのである。だから、すでに議論がすすんでいるガソリン税の暫定税率廃止などの既存政策などをのぞいた合意文書の内容を参議院において担保するには、決選投票で高市氏の名前を書いた保守の北村晴男氏、百田尚樹氏あるいは無所属の寺田静氏、平山佐知子氏、望月良男氏らの参加もしくは、首班指名選挙で高市氏とは書かなかった各会派の協力が不可欠といえよう。ともかく骨の折れることであり、補正あるいは本予算案や重要法案などのすき間で合意文書の項目にどれほどの時間を投下できるのかなどを考えれば旗がたなびいているだけではないかと、皮肉の一つもいいたくなるのである。
また、12項目すべてではないが、その一部でも強烈なニオイを発すれば主要な野党の協力が得られなくなると思われるので、高市政権としては外交や予算案あるいは重要法案に集中しなければ党内からの反発も起こりえることから、いずれ構っていられないことになるのではないか、と予想する向きが多いのである。
本当にいつでも引き揚げられるのか、どうぞご勝手にといわれたらどうするのか
連立といいながら遠藤総理大臣補佐官しかおくらない。大臣のポストが欲しいわけではない。といった説明は反面の本音をふくみながらも、維新の立ち位置と向きをよく表している。「いつでも引き揚げる」と離脱を連想させるいいぶりは誰に向けてのことであろうか。過去には「第二自民党でいい」とまでいい切った幹部もいたが、おそらくは党内外に対し緊張を演出し、釈明しているのであろう。ただし「いつでも引き揚げる」とはいっても、対象が補佐官1名であるから高市政権がただちに行きづまることにはならないし、本当のところは首班指名さえ通過できればいつでもどうぞとはいわないまでも、去る者は追わないことになりそうな、感じもするのである。もちろんサナエ人気が髙ければの話ではあるが。
旧来の、日本社会党などの反対のための反対路線(常態化していたわけではないが)は、今日の中道に位置する政党の採用するところではなく、ほぼ是々非々路線なので、野党の意見をとりいれることにより理解がえられのであれば、単独少数与党であっても法案を成立させることは可能である。理屈上はそういうことであろう。
閣僚をださないことで連立関係を寸止めしているのは、維新としては重層的な危機管理を考えてのことであろうが、選挙協力の図面が引けない以上、いずれ政権との距離感を整理することになると思われる。12項目の成否は自民だけではなく野党が握っているのだから、そう簡単に維新に功を為さしめるというわけにはいかないであろう。もともと反対意見の多い案件もある。
考えてみれば、自公になくて自維にあるのは「潮時」であって、自維のいずれにも解消の利益がありうるところがいってみればスリリングであり、政界通には見どころなのであろう。まあどうでもいいとも思うが。
7.初の女性総理、高い支持率に支えられる高市政権
いわずもがなではあるが、新しい内閣の支持率は高くでる。まして憲政史上初めての女性総理であるから、普通にいっても高支持率となる。という表向きの評価は素直に受けとめるとして、現実問題として当面の政局への対処には大いに気をつかわざるをえないと思われる
といっても、おのれの弱さを自覚すれば何とかなるもので、ガラス細工の石破政権は強い衝撃を極力避けることで1年余の在任をえられた。(段ボール製)紙細工の高市政権は水に弱いから無理をしないことである。つまり、水を避けるとは強い右派意識を抑制することである。自己抑制ではなく抑制せざるを得ない環境にあることを誰かに客観的に説明してもらうのが望ましい。
もちろん国会は熟議にはなるが、手続きなどで手間どると低速かつ低能率な国会との批判を受けることになりかねないので、与野党ともに協力すべきところがでてくると確信している。また、いたずらに悲観論におちいることもないと思っているが、衆参ともに少数与党という立場からみる景色はけっこう殺伐としているものであろう。
8.立憲の戦略目標は倒閣なのかあるいは分断狙いか?
野党の方針如何ではあるが、少数与党を追及する野党の矛先がきわめて鋭く苛烈であることは民主党政権時代に経験ずみのことである。もっとも時代が違うので報復のごとき対応を想定する必要はないと思うが、石破時代が日本の冬の厳しさとすると、高市時代はアラスカの厳しさかもしれない。
もし、立憲に戦略家がいるとすれば、当面の戦略目標をいかに設定するのであろうか。おそらく、高市総理の退陣よりも自民党の分断に照準をあわせると思われる。なぜなら、参議院では立国公あわせても88議席であり、過半数には36議席も足りないのである。いくら衆議院で過半数を獲得しても参議院が劣勢であれば国会運営はきわめて難しくなる。
自民党は総裁選をつうじて次の総裁を周知しているのであるから、高市氏が退陣しても小泉氏あるいは林氏が控えている、茂木氏も手をあげるであろう。単なる頭数ではなく総裁候補、総理候補としての存在を世に知らせしめているのである。このあたりが巧妙というか狡知なところで、他党にはなかなか真似のできないところであり、衆で200弱、参で100という規模は当然ながら人材(総理大臣)の供給源としても強力なのである。
だから、国会闘争は早い話が自民の新陳代謝を手助けするだけのことなので、そろそろ発想の転換をはかるべきであろう。
という文脈において、今回の「玉木総理」という騒動は、陽動の一部であって、どう考えても確率ゼロとはいわないが土台のある話ではなかったというべきであろう。
議院内閣制における首班を、比較第一党以外からだす、それも衆議院で50議席にとてもとどかない中小政党であればなおさらに自明のことではないか。というよりも、衆参合わせて300近くの大政党にとって総理大臣の椅子を譲るべき理由があるはずがない、もっといえば解散権を掌中におくことが最重要事項なのである。
ということで自民党には譲る理屈はなかったというべきであるが、自公+国民民主で衆参ともに安定政権が可能になるという文脈において、瞬間的に「玉木総理」が触媒的効果をねらって浮上したのであろう。しかし、これには致命的欠陥があった。
そのひとつは、自民の長年の友人として選挙でも多大な貢献をしてきた公明にとって、連立政権においては新参者となる国民民主の党首を総理に仰ぐことが理屈のうえでも感情に照らしてもはたして納得できるものなのか。また、得られる利益は十分なのか。といったハードルは実のとこら背丈よりも高かったと思われる。
ふたつは、立憲と対立する分野において玉木国民民主を長らく支えてきた民間労組の意向である。連合は現在二党併走状態にあるが、そうなったいきさつには込みいったところもあり、簡単には説明し難くまた差しさわりもある。
さらに現場を支える組合員の思いもあって、自民党との連立については戸口にすら立っていないのが実際のところであった。という状況の中でたとえ噂話であったとしても、支援団体である民間労組の受けとめは複雑であったと推察している。「人事ではなく政策です」という労組幹部の言葉が耳に残っている。
9.高市総裁と野田代表の綱引きは公明の離脱により複雑化
さて、10月4日午後遅く高市総裁が誕生し、あいさつ回りが始まりテレビ報道でもさかんに流されたが、連立拡大をいかに実現するのかが新総裁の高市氏のみならず多くの関係者の一番の関心事であった。この段階での細かな動きなどは筆者の知りえるところではない。些事は重要ではあるが、焦点となった公明の連立離脱の予玲はこの時には静かに響いていたようである。
この瞬間は、国民民主の決断が待たれていたという場面であったのか、これも後づけの解釈ではあるが、まあそういった瞬間があったことは否定できなかったと思う。
しかし、何かしら自公国連立へ空気が動き始めた時にこそ、さまざまな抵抗力が働くのであろう。さらに、かなりの観測気球的なまたフェイク的な情報や風評が流されたようである。
そういった虚軸の世界ではなく実軸の世界では、たとえば連合会長においては立憲と国民民主が政権をはさんで両岸に分かれることにはひどく不快感を表すなど、かなり厳しい牽制を発していた。
確かに、自公の過半数割れであるから、立憲の衆議院148議席に野党票を積みあげれば過半数はともかく決選投票ではひょっとして上まわるのではないか、という状況において野党第一党の立憲としては無策では許されないのであるから、しかじかに「玉木も候補者」「玉木と書いてもいい」といった最高レベルの癖球を投じさせたのは、まさに時のなせる業といえるかもしれない。
ともかくも、表面的には両サイドから玉木総理的な綱引きが時系をまたぐ形ではあったがおこなわれていたことは事実と思われる。さらに、立憲、維新、国民民主の3党協議なども呼びかけられたが、すべては10月10日の公明の連立離脱宣言で振出しに戻ったといえる。
振出しではあるが、公明が高市氏との距離を微妙に広げていたのである。たとえば離脱した以上は「高市早苗」とは書かないのは当然として、決選投票はどうなのか、そういった組合せ論だけでも頭の体操になるのであるから、そうとうに輻輳した状況にいたっていたのである。
このあとの展開は風の速さで自維連立が成立したということで、衆議院の首班指名では一回目投票で過半数を獲得し、筆者的にいえば維新の38議席がよく効いたということであろう。しかも、決選投票にいたらずに決まったことは自維にとっては安堵であったし、くわえて事後に余韻を残すことにもなったのである。
10.憲政史上初めての女性総理を阻止することは本人にもできない
ところで、若干の感想であるが、高市総裁が総総分離により総理大臣を譲る可能性があったのかという設問は、歴史文脈からいって「ない」ということであろう。さまざまな意見や見方があったとしても、憲政史上初めての女性総理の誕生を当の本人が消しさることは考えられない。という視点からも、また総理になることにもっとも執着していた高市氏自身が総裁に当選した時点から、自民支持による他党の総理の線はしずかに消えていったということであろう。
他方、立憲からの「玉木と書いてもいい」との誘いは、衆議院で148議席をかかえる大政党にとって並々ならぬ決意の証だったということかもしれないが、同じルーツをもつ両党の流れはいつもの基本政策の不一致で堰き止められる。今回もまたかという堂々巡り感は否めなかった。
ある政治学者はテレビ番組で「(国民民主は)少し違いにこだわりすぎていたのでは」と好機逸失の不本意さを滲ませていたが、ここは国民民主だけに振るのではなく、立憲が「憲法改正、安保法制、エネルギー政策」を変えれば政権交代への道が拓けるのだから、廻っているすし皿をつかみ損ねたのは立憲もおなじではないかという見方も間違っているといえないのである。
故村山富市氏は総理になってから社会党の方針を自衛隊合憲に変えたが、立憲が基本政策を変えれば「野田佳彦」と書いてもらえたのではないか。というのは永遠の謎かもしれないが、「玉木総理」のほうは内実からいっても明らかに騒がれすぎだったと思う。
11.維新は保守政党なのか、「身を切る改革」「副首都構想」の評価は未知数だ
現状を改革する姿勢に着目すれば、維新は保守とはいえない。それは合意文書の12項目を概観すればよく分かるもので、政治的立ち位置は明確に改革右派であり、リベラルではないことだけは確かであろう。くわえて、皇室あるいは家族観は伝統への回帰であるから、一面では右翼と見まがうのである。離脱前の公明党を政権内ブレーキというならば、維新はターボ付きのアクセルに近いと思う。
維新にとっての10年に満たない比較的短い歴史は、党運営や課題設定もふくめて山あり谷ありというべきものであり、それへの対応についてもさまざまな評価がつきまとっている。それは大阪地方での府政と市政の連携が評価されているのに、都構想が広く受け入れられていない点に注目すれば、府市政の具体執行と構造改革とがいまだ融合していないという意味で、未評価であると考えている。
その考えは、大阪地方では衆議院小選挙区での圧倒的な議員占有から推察される政治的凝集力と、民意としての都構想への賛否とがまだまだ流動しているという筆者の勝手な評価が下敷きになっている。
という認識であったが、直近の参院選では有権者からは自民、立憲などと同じ既存政党として扱われているようで、そういったところにも維新としての焦燥感があったのかもしれない。
さて、大局をいえば自民党右派を中心に維新、参政、保守などが愛国改憲伝統の旗を掲げ、その分野にかぎれば保守系右派勢力としてのグループ化がすすむ可能性が、今後さかんに喧伝されるのではないかと思っている。しかし、どう考えても際物感が強く持続性に問題があると思われるのである。際物とはたとえば夏が盛りを過ぎたころに売りに出される麻シャツのことで、週が変われば売れなくなる。これらの保守系右派勢力の弱点は生活実感の欠落にある。分かりやすくいえば、現下の課題は麻のシャツではなくコメが要るのに高すぎることであるのに、追随できていないと思う。
さて、10月12日の週は維新の週であった。政局としてはすこぶる劇的であったし、高市氏と吉村氏、藤田氏の政治決断を称賛する声は今なおつづいている。しかし、政権をとりまく情勢はさほど改善されたとは思えない。とくに、7月20日の参院選の結果から10月21日の首班指名までの3か月間の政治空白つまり遅れが、重要な物価対策などの遅れとしてこれからも重くのしかかってくると思われる。
12.改善されない生活苦と責任ある財政政策との関係はどうなのか
有権者も日々の政治ドラマに一喜一憂しているわけではなく、多くは物価高騰の直撃を受けている生活を何とかしてほしいと切望しているのである。暦は週内にも11月入りとなる。昨年の自公国の三党幹事長合意はどうなったのか、財政規律を梃子になお反対の声もあるが、国政選挙を経ての民意を受けとめるならば、すみやかな執行をはかるべきであろう。
財政規律をないがしろにする気はない。しかし、選挙の結果を無視することはエリートによる専制主義との批判に根拠を与えることになり、場合によっては世論の暴走につながりかねないのである。だから、せめてガソリン税の暫定税率廃止だけでも早急に政治決断しないと新たな不信を生むことになると大いに危惧している。
今のところ政府は補正予算案の準備に慌ただしいと思われるが、さらに来年度予算案のとりまとめが追いかけてくる。自公による石破政権は主要野党とはかなりの親和性をもっていたことから、何とか乗りきれたといえる。その点、自維による高市政権は保守系野党との親和性はあるものの、中道野党との親和性をいえば石破政権のそれには及ばないといえる。優しい野党から厳しい野党への豹変となるのか分からないが、手はじめに新任大臣の事実上の審査が注目されるであろう。
9月の全国消費者物価指数(生鮮食料品を除く)が+2.9%であった。また、残念ながら生活者にとっては不都合な円安がつづいている。人びとの間には利上げ先送りが癖となっている日銀への落胆が広がっている。また、高市総理の為替への姿勢も影響しているのか、円安がすすんでいる。
年内にも実質賃金の低下が止まらなければ、物価と賃金の好循環は絵空事となり、経済政策への不信はさらに深まると思われる。アベノミクスの継承をいうのであれば2013年来の金融政策の振りかえりが必須であり、アベ時代の礼賛だけでは為政者としては失格であって、負の遺産の始末を終えてこその継承者ではないか。いいとこ取りは許されない。
新政権の発足、とりわけ女性総理の誕生を寿ぎたいのであるが、生活者の実感をいえばさらに悪化しており、過半の国民は苦しんでいる。そう、光の当たらない人びとが増えているのであるから、この問題への対処が先決である。
13.政権の立ち上がりは順調であり、内閣支持率も高いが問題は維新の動向
高市政権が発足し、目白押しの外交日程の中、自転車で軽快に疾走する姿は悪くはない。ただし、国内では11月からは上り坂が多く、何かと苦労すると思われる。高い支持率は追い風である。しかし風だけでは心もとないから、確かなエンジンを求める思いが強まるだろうし、そうこうしているうちに解散総選挙が現実化する可能性が高くなると筆者は考えている。例によって根拠はない、ただの妄想である。
妄想ではあるが、維新からの入閣がゼロというのは、ある種の政治状況を示唆するもので、それはあくまで可能性の話として解散しやすいということであり、維新の離脱と解散が同期する可能性が高いと考えるべきであろう。ことに臨んで高市氏は逡巡しないのではないか。
という妄想を前提にさらに話をすすめれば、立憲の危機が鮮明化することは不可避であるといえる。もちろん小選挙区であるから主たる対抗者である自民の動向次第ともいえるが、具体をいえばサナエブームと公明勢力との拮抗如何により小選挙区の勝敗がうごくということであれば、公明と対立関係をもつ維新にとって自民の協力がえられなければ、全国政党としての展開が難しくなる。
もちろん、選挙協力の図面が引けない連立が珍しいということではなく、多党連立が通常化すれば競合的連立関係は頻繁に起こりえるし、直前に離脱をしても選挙そのものは難しいものになり、その後の関係もギクシャクすることは避けられない。
やはり、自公の連立開始からの26年間の両党関係は特別なもので、公明以外では難しかったであろう。それというのも公明を支える強固な組織力の賜物であるのだが、それほどの一糸乱れぬ組織力は他には共産ぐらいではないかしら。などなど、多党連立時代と選挙協力の在り方についてはこれからも盛んに論じられると思われる。
さて、連立関係の新たなバージョンとしての自維連立ではあるが、高市氏よりも維新側のほうに課題が多く、それは大阪に閉じこもるのか、閉じこめられるのかといった組織上のことではなく、12項目の履行がむしろ維新自身を苦しめるというのが、業界における辛口の見方である。
ということで、首班指名の後をいえば、指名を受ければこっちのものとは下品すぎるかもしれないが、冷静に考えれば時間がたてばたつほど離脱できなくなる。つまり差し押さえができないのだから、債権をもつ維新のほうが、債務を抱える自民よりも不利になるという「返したいけど返せない」借りた側の強みが際立ってくるということではないか。
政界における約束手形は容易には落とせない。たとえば昨年の自公国3党合意にみられるように構造的にも簡単には清算できないという事実を見逃してはいけない。そこは維新側も分ったうえでの対応であったと推察している。
つまり、決然と離脱する見せ場がありうるとの採算があってのことか、あるいは異次元の計算があってのことなのか。という説に乗っかるならば、薄くなったようでなかなか濃い味が消えない自維関係が残っていると思われる。
14.日米関係は新局面へ
10月27日からのトランプ大統領の訪日が日米両国にとってまずまずの出来栄えであったことは、高市総理にとってはもちろん、主要野党にとっても喜ぶべきことであろう。外交を政争の具にはしないという大原則が改めて確認できたと受けとめている。
と同時に、一定の制限があるにせよできるだけ自由な討論を前提に、知見を高めさらなる戦略性を研ぎすますべく議論の場を用意してもいいのではないかと思う。
というのも、2009年9月からの民主党政権の経験から、外交防衛政策には党派を超えた継続性が求められること、またその保証がないかぎり政権交代の障害になりうることなどが痛感された。これは常識ではあったが、いざ実践となると現実は厳しく、ひと言でいえば遮断と独善の競演となったのである。これではうまくいくはずがないのである。
すべての政党あるいは会派が無所属議員もふくめてひとつの土俵に上がれないかもしれない。しかし、政権をめざすのであればその土俵に上がるべきである。というこの考え方には、国会議員がもつ本来的自由をかなり制限する枷(かせ)が付いているところが残念なのだが、経済事象と安全保障事象とが一体化している今日的な高圧緊張下では、政権を担うグループの交代が予期せぬ過誤を生むリスクもありうることから、やや翼賛的ではあるが現実対応として提起するものである。
この数週間の成り行きによっては政権主体が変わりえたかもしれないわけで、そうなっていたなら、その時の政権はトランプ大統領をどのように接遇できたのであろうか。機内通過はないだろうが儀礼的立ち寄りに終始する可能性もあったであろう。
ということで、首班指名の駆引きも重要な政治過程ではあるが、政治空白が実害を生む事実をあらためて噛みしめてほしいものである。今回はうまくいった。わが国の外交を支える総合力の成果ともいえるが、いつもうまくいくとは限らないのである。
◇ 夙川に サギ鳴く暇の 寒露かな
注)下線部は ① のひとつ を追記。 ② 敵性、敵意から遺棄心に変更。2025.10.30 19:55
加藤敏幸
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