遅牛早牛

時事雑考「2025年9月の政局②-この程度ならフルスペックでなくてもよかった総裁選-」

1.ようやく決まる自民党総裁

 10月4日には新しい自民党の総裁が決まる。では誰なのかについては、およそ91万人の党員党友と295人の国会議員に決める権利がある。で、ここまでは一政党の代表者の話で完結するのだが、首班指名にむけて立憲民主党からの野党糾合の呼びかけが不調におわる公算が高まっていることから、自民党の総裁が内閣総理大臣に指名される確率が急上昇している。ちょうど11か月前の衆院少数与党に転落したときの石破氏のケースと同じである。

 つまるところ比較第一党ではあるが単なる一政党の、その代表者が行政の最高責任者に成りあがるという舞台が整いつつある。そこで、5人の立候補者のうち内閣総理大臣の指名をうける者(総裁)を仮にX氏として、そのX氏をとりまく気になる点を少し述べる。

2.決選投票が本番か、国民と党員のちがいと議員とのズレ

 まず、国民全体とはズレている。党員と国会議員は政党構成員であるから政治的には相当なバイアスをもつ集団であり、当然のことながら平均的ではない。党友については程度に差があるとしても同様の傾向にあると思われるので、文脈としては党員にふくめることにする。 

 そこで、単独ではなく連立であっても過半数を制してさえいれば、思いきって自民党らしい総裁を選べばいいのである。それでこそズレを活かしながら新たな局面に挑戦できる生きた政治といえるし、政党政治のダイナミズムともいえるのである。

 しかし、その国民全体とのズレが選挙敗北の主因であったと議員の多くが思いこんでいるので、次の選挙での当選を確実にするためには、政策はもちろん政治理念ですら迎合的に変えざるをえないと、多くの議員がこれまた思いこんでいるのではないか。

 しかし、党員の多くはそういったズレを問題とは感じていない、あるいは感じていても自分たちが正しいと考えているので、国会議員ほどは迎合的になることはないと思われる。ということで、党員と国会議員との間にも状況認識からもたらされるズレが存在するのである。

 また、党員と議員とのこれらのズレは報道によっていく分かは増幅されているのであろうが、とくに決選投票において顕著になることは前回の結果のしめすところであり、その主な原因は国会議員各自の思惑にあるといえる。そのぐらい決選投票は思惑の積分であり、民意とか党員の思いとは距離のあるものであることは理外の真理かもしれない。

 つまり、総裁選は党員票を最大限尊重しているようで、誰を選ぶかという結果に対しては党員票は決定的な役割をはたすものではない。決選投票を制するのは議員票なのである。議員の意向がおおよそ総裁を決めるのである。

 という理解の上での筆者の結論は、結局AかBかの決選投票が総裁を決めるのであるから、であるのなら早い段階で議員票プラス地方代表票で決めてもよかったのではないか。つまり、フルスペックを選択したのは自民党の都合そのものであるから、政治空白の責任の一端は総裁選にかこつけフルスペックに走った自民党にあると考えている。

 したがって、連立拡大もふくめて国民への責任という視点でいえば、9月半ばにも総裁を決定すべきであったと考えている。もちろん、49日間の石破氏の懊悩も長すぎたわけで(まるまる2週間分は余分であった)、国政ということでいえば総裁選で2週間、石破氏の進退で2週間、あわせて約1か月が短縮できたのではないかということである。

 こういうのは運動神経と外向き感覚の問題であるから、という文脈でいえば選挙に敗れた自民党の内向き過ぎる鬱々をはやく治してもらわないと、政治がどんどん遅れていくではないかという指摘なのである。

 

3.連立拡大への瀬踏みが総裁選を歪める?

 今回、伏流している連立拡大への瀬踏みが、各候補の主張を矯正したりあるいは丸めたりといった自民党支持層からは芳しくないと思われそうな立ち居振る舞いを誘発していることにくわえ、さらに一部の野党との親和性が評価的にささやかれるなど、従来にない総裁選が進行しているのである。

 ところで、少数与党であることの困難さや苦しみを肌身で感じているのは政権幹部あるいは党執行部にかぎられるというか、その経験については295名が均一ということではないのである。まして、党員であれば自民党らしさに、より価値を感じると思われるので、政権の座にあることの価値と、より自民党らしくあることの価値との間で党員のジレンマは高まるものと思われる。

 さらに、不支持の人びとは、自民党による選挙民意の迎合的な受け入れには「それ見たことか」的な蔑みの感覚をもつかもしれない。ということで候補者の発言が、7月の参議院選挙の反省の焼き直しに聞こえるのはやむをえないと思われるし、たとえ意欲をこめて政策を語っても、その実現性は野党次第ということであるから、まったくのところ訴求力に欠けるといわざるをえないのである。

 で、連立拡大を見る党員のまなざしは区区(くく)であるとしても、政権の座にあることの価値と、より自民党らしくあることの価値が連立拡大によって相克関係におちいるのであれば、一般的には内部対立をまねくと思われる。自民党の場合については予想しかねるのであるが、政権の安定性という視点でいえばまだまだ試練ぶくみといえる。X氏に求められるものは多い。

4.迎合的対応に走る候補者を民主的といっていいのか、あるいはご都合主義か

 さて、筆者には比較第一党の理念や政策が、流行にそぐわないとの短慮から地下室に仕舞いこまれているように見えるし、それはそれで議論を棚上げすることになるので政策論からは大いに気になるのである。選挙で示される民意といっても一過性であったり、多少の誤解がふくまれていたりするから、内容においてかなり不確かなところがあるなど実にさまざまであるから、やはり慎重な検討に付さなければという面があることは確かである。

 もっとも、こういった迎合的対処は民主政治からいえば悪いことではないと評すべきであろう。実際、今生じていることは、給付付き税額控除などでも分かるように、従来一顧だにされなかった民政にかかわる重要政策が次々と俎上にあがっているわけで、実現はともかくそれは「伯仲から逆転」への政治転換の賜物であると受けとめれば、まずまずの成果であるといえるのである。

 もっといえば、一連の与野党逆転が物価高に苦しむ人々の生活について、あまりにも無関心すぎた政権や与党への有権者の与罰であったと考えれば、ここは素直に民意に沿うべきであると自民党自身がそのように考えるのはけっして悪い傾向ではないといえる。

 しかし、そういった政治家の豹変ぶりにはとても付きあってはいられない、あるいはご都合主義ではないかといった批判も起こるであろう。

 さらに迎合の裏にはかならず墨守があるもので、たとえば「政治とカネ」とか「旧統一教会」については、解党的出直しからはおよそかけ離れた対応にとどまっており、いつまでフタをしたままなのかと有権者の多くは疑問に思っているのである。この点については自民党の党員や支持者の感覚は他の有権者とは多少なりとも異なっているように思われる。

 つまり、いわゆる自民党的なゆるい処置への評価は支持政党の色分けに応じてさまざまであるが、このあたりのズレの存在が自民党の支持が今ひとつ膨らまなかった原因のひとつであったとも考えられるのである。

 ともかく、ケジメをつけられないと思われているところをいかに払拭していくのか、そこを明確にするための総裁選であったはずなのに、あいかわらず問題先送りの体質は変わっていない、変える気がないということであろう。

まあ煽る気はないが、比較第一党としての矜持はどこにいったのかということである。

 また、たとえば財政規律を盾にして減税封じに術数をつくしていた税調インナーはどこにおわすのかなどといってはいるが、原理主義的な方々よりもむしろ候補者達の「都合のいい変節」の方を批判したくなるのである。

 ポピュリズムとは当事者である住民の意思にゆだねる趣旨において民主政治の基本であると考えられるが、財政規律といった課題は全体像でしか判断がつかないのに、個々の住民の意思にゆだねることがはたして妥当であるのか、といった問いかけには未だに結論がだされていないのである。

 したがって、せめて歳入歳出構造についての方向性ぐらいは議論してもらわないと、多党連立あるいは少数与党体制下では予算規模が際限なく膨らむばかりで、それでは金融市場が動揺することになるのではと危惧しているのである。

 ズレを埋めようとして新たなズレを生んでいるのではないか。

5.過半数をこえてこその信認ではないか

 つぎに、議会の過半の信認をえられるのかであるが、これは不信任決議案を封殺する意味でも重要である。もちろん出席議員数ではない有効投票数の過半では安定的な封殺はできない、といった議会運営上の不安もあるが、そもそも内閣総理大臣の権能は正当な選挙で選ばれた国会議員の過半数の支持に由来するものであるから、その意味でも連立拡大に取りくむべきといえる。

 しかし、少数与党であっても政策ごとに協議していけば道が拓けるという部分連合も考えられるが、それでは時間がかかりすぎるうえに、水面下での折衝のウェートが高くなり有権者からは見えにくいという欠点がある。

 したがって、X氏の当選直後の任務は安定的な政権を目指すことにつきるということで、早急に連立工作に取りくむべきであろう。前回の総裁選とは環境というか足場が変化しているので、各候補とも発言のエッジがゆるくなっている。また、5人の候補者の政策への言及は「連立へのまき餌」に聞こえるのだが、今はそれを批判する気はない。そういう事態にいたっているのであるから、そうすべきであろう。

 ということで、76日間の政治空白には目をつむり、フルスペックの総裁選を展開した割にはなんともいえない不足感が漂っていることから、どのような意味や価値があったのかという疑問が膨らんでいる。

 総裁選はイベントであるから、全国的に注目をあびるなかで党としての求心力を高め、さらに連立拡大の下ごしらえをはかるという一石二鳥の作戦のつもりであったと思われるが、昨年よりも緊張感に欠ける二番煎じとの批判すら否定できずに立ち尽くすばかりで、くわえて10月1日からは3024品目もの飲食料品で値上げがあるということで、5人の候補もさぞかし無力感に苛まれたと思われる。

 さらに、ガソリン暫定税率の廃止はいつまでも未定であるから「きっと嫌々なんだろう」と疑われるだけである。ここは堂々と「生活者の味方に非ず」との看板を掲げたほうがいいのではないか。

 また、連立の先に何も見あたらなさそうで、いってみれば「その場主義」の談合ではないかという批判もあながち外れてはいないということではないか。

 76日間もの政治空白を生みだした今回の総裁選は、どう考えても自民党としては値打ち半分のイベントであったといえるのではないか。

6.少数与党の石破政権はまずまずの評価か?

 さてX氏であるが、冷たくいえば有権者との関係で失敗した自民党の後継者であるから、負の遺産を抱えてのスタートにならざるをえない。前任の石破氏の場合は引きついだ時は過半数であったのに、急いで解散総選挙を決行した結果、少数与党に転落したのであるから100パーセント自己責任であった。にもかかわらず8カ月余りの政権運営をふりかえれば、ガラス細工政権のわりには思いのほか成果を上げたと評すべきであろう。

 もっとも、石破氏は野党に恵まれたというか、日本維新の会や国民民主党をはじめ立憲民主党にも代償は払ったものの大局的には助けられたと筆者は受けとめている。

 もちろん、まとまらない野党の情勢こそが最大の助っ人であったといえるが、石破氏が長らく自民党内野党であったことや政局不得手感がどちらかといえばプラスに働いたように見えるのである。怪我の功名ということではない。むしろ、野田氏や前原氏の作風なのであろうか、彼らの悠揚迫らない姿勢に感謝すべきであろう。このようなわが国の政治実態を反芻すれば、世界各地で生じているいわゆる分断からはけっこう距離のある状況と受けとめていいのではないかと思っている。

 というように、野党との人間関係でいえば前任の石破氏の存在感は存外に大きく、X氏にとっては味方に引きいれるべき人物であり、そうしなければなかなか道は拓けないと思われる。

 とくに対野党対策を視野にいれれば、立憲民主党の野田氏との関係がもっとも重要となることから、X氏が接応するのか、介在者を置くのかは機微にふれるが、少数与党にとどまるのであればなおさらに必要であろう。

 ここらあたりはX氏の個性によるところが大きいので、すべては総裁が確定してからの話ではある。くりかえしになるが、最善は連立拡大であり、次善は主要野党との熟議国会になるというのが常識的なシナリオであろう。逆に、ドラマチックな展開は既存政党の崩壊につながることから忌避すべきかもしれない。

7.自民党の理屈だけで決めてどうする

 今回の総裁選は、はっきりしない連立相手の視線を感じながらの総裁選びという仮想性をふくむもので、そのためか自民党的価値観はひかえ目にという傾向が生じている。同時に、わが国をとりまく国際情勢への対応も重要であることから、従来になく外交センスが問われている。もちろん最大の課題はトランプ米大統領との相性であるが、こればかりは今の段階ではなんともいえない。あえていえば、国際電話の回数もひと桁上げなければということで総合的なコミュニケーション能力が求められるということであろう。

 といった時代要請に自民党としてどこまで応えられるのかということであろう。つまり、首班指名を視野にいれるのであれば、野党が内心納得できる候補者を、自民党らしさを求めるなら保守傾向の強い候補者を、総選挙が頭から離れないのであれば知名度の高い候補者を選ぶということに整理できると思う。

 自律的に党の価値観に沿った人を総裁に選ぶのが自然であるが、首班指名の可能性が高いことから一筋縄では対応できない事態になっている。また、政治的バイアスの強い人びとに選挙権があたえられていることから、X氏が国民待望の人ということには構造的になっていない。つまり、構造的にズレているのである。そのうえ、議会では劣勢であるから政権運営は不如意なること甚だしいといえる。

 ということであれば、安定性あるいは宥和性などに注目することが合理的であると思うのだが、はたしてどういう答えがでてくるのか。

◇ 松松に 影濃く付きて 涼秋に

  

注)下線部分は追記 (2025年10月1日7:00) 

加藤敏幸