遅牛早牛

時事寸評「2026年1月の政局-2月総選挙を前にしての所感、解散総選挙なんでやねん、大阪ダブル選挙なんやねん-」

まえがき 前回はトランプ現象について少し思うところを述べてみた。以前からトランプ取説が必要と冗談半分で指摘してきたが、各国ともそのように対応しているような感じで、まあ当然のことであろう。要は傾向と対策が肝心であって、あいまいさも技のうちである。

 1月19日に開幕された世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)は会費制だという。今回参加のトランプ大統領は期間中にパレスチナ自治区ガザの暫定統治機関「平和評議会」の設立式典に臨んだ。参加国が30か国を超えたのか微妙であるという。報道によると参加費が10億ドルとか、またトランプ氏が任期無期限の議長とか、さらに第二組合ならぬ第二国連を目指しているという話も聞こえてくる。へぇーそうなんだ、と思う。

 だから、とりわけその動機には興味が湧くけれども真相は分からない。たしかに国連にはがっかりさせられることも多い。といっても安保理常任理事国が国連の手柄を阻止しているようで、その筆頭が代替機関の設立を目論むというのだから、なんともいいようがない。カナダの首相は抵抗している?のではなくきっと保険をかけ始めたのであろう。わが国はカナダと同じことはできない、またしてはならない。しかし、さまざまな事態に備えるひつようはある。

 今回は、政局シリーズで総選挙についての所感を掲載した。もともと解散は総理大臣の専権事項というのが気にいらないのだ。今回はその理不尽さを年寄り風にさんざん述べてみた。2月の総選挙は今回が最後になると思う。そのぐらい過酷なのである。次回は2月14日の予定。】

第一部

1.解散総選挙断行、高市ブームではあるが落し穴もあり

 いよいよ総選挙である。2月選挙は雪中の地域も多く、異例の事態である。しかも重要な予算審議を横においての解散については、その理由や意義づけはきびしく問われなければならない。しかし現実はそういった原則論を置きざりにした「やったもの勝ち」流が横行しているようでとても感じが悪い。

 議院内閣制の本旨にそえば、そもそも「高市早苗を信任するのか」を問うべきは衆参両院の本会議における首班指名選挙あるいは衆院での内閣不信任(信任)決議であるべきなのに、自らの信任を総選挙に求めての解散のいいわけ(弁明)としては、19日の会見は不十分であった。決意とか情緒的な提起よりも、具体的かつ論理的に、また論証を交えながらの説明でなければ「今解散すること」の意味を人びとが理解することは難しいであろう。

 また、立候補者が「高市早苗を信任するなら私に投票して」と有権者に求めるのは、選挙制度からいってもかなり勇み足であると思う。なぜなら、選挙区の有権者は多岐にわたる項目を総合して判断するもので、もちろん高市氏のことは争点のひとつではあるがすべてではない。総選挙はそういった抽象的な信任よりも個々の議員選出が優先されるのである。

 今回の唐突な対応はむしろ与党議員をしばるための選挙なのかという疑問もあながち的外れとはいえないと思う。もっと言えば、党内権力基盤の確立とかあるいは閣僚を出さない維新へのしばりなのかもしれない、もちろんこれは推測であって証拠はない。

2.やはり2月の総選挙には無理があり、政治空白のつけは大きい

 今回の解散総選挙の強行そのものに対する評価と、その説明に紛れこんでいる高市氏自身の権力構築への思惑などについては同意はできないものの、全面否定はしない。そういう権力欲といったものがなければ為政者は務まらないのであろう。また、状況によっては目的のために手段をえらばないこともありうると思っている。しかし、程度の問題がある。どこかで抑制しないと際限がなくなる。筆者は、最高権力者の第一の資質は最後に抑制できることだと考えているので、どうしても辛口になる。

 今回のことで高市氏に対してはおそらく警戒的な雰囲気が生じると思われるが、それが自民党内での軋轢の原因になるリスクが存外に高いのではないかと予想している。

さて、高い内閣支持率には初めての女性総理へのエールや何とか実績を残し次につないでほしいといった祈りに近いものもあると推察している。筆者にもそういう思いがあることは否定しない。しかし、だからといって今回の強行策には賛成できない。少数与党ではあっても、また野党の御用聞きといわれても、野党との丁寧な折衝を重ねることへの人びとの理解と評価は石破時代からつづいていると受けとめている。しかし、それに耐えられないというところに動機があっての解散総選挙の強行であるなら、選挙結果によっては前言と行動を覆す可能性が残るであろう。これはリスクである。

たとえば来年度予算案をさらに高市カラーに染めたい、また予算編成のルールを刷新したい。ということであれば、それは野党との合意に対してはちゃぶ台返しであるから、目的論は別にして方法論においては場当たり主義との非難が噴出すると思われる。立場が強くなれば約束を守る気持ちが萎えるかも。

 仮に過半数を確保しても、逆風下に身を置けば、さすがの高市氏の問題提起も状況によっては大きく後退せざるをえない可能性も現下のような激動の時代にはありうるのではないか。いったことができなくなれば、在任期間が一年余の時点で全衆議院議員を解任したことの政治的つけは今後の政局においては無視できないと思われる。

3.自意識過剰というか、反面の余裕のなさが支持者の中にも不安を生んでいる

 ところで、「高市早苗でいいのか」あるいは「自維連立でいいのか」を問いたいのであれば、国会冒頭で内閣信任決議案を提出すればはっきりすることではないかとも思っている。本来国会で決めるべきことを800億円もの税金をつかってやることなのかという不満は有権者にもある。さらに超短期での選挙戦は現職に有利であるから、新人や財政基盤の弱い政党にとっては競争条件において不公平である。むしろそこに狙いがあったのではないかとの勘繰りも否定できないであろう。

 そもそもの話であるが、選挙が公平性の担保のひとつとしてその競争条件の斉一性を求められていることは論を待たないと考えていたのであるが、衆議院465議席を一瞬のうちにクリアにする、いわゆる7条解散が憲法上許容されているのかはグレーであるにもかかわらず、今回のようなわざと意表を衝く奇襲的解散がもたらす競争条件の非対称化は民意を正確に問うべき選挙を大いに歪めるもので、民主政治の観点からは問題があると筆者は考えている。

 なぜなら、後段で指摘するが、もともと現行選挙制度には得票率と獲得議席数との間に非線形関係が生じるように設計されているのである。具体的には2021年の総選挙では小選挙区において自民党は48%の得票率で68%の議席を獲得している。逆にいえばかなり死票率が高いといえる。つまり選挙制度としては民意を切りすてる側面があることは否定できない。ということを踏まえるならば選挙における競争条件については相応の配慮が必須ではないかということである。

 さらに、このような解散があたりまえになればどうしても現職議員とくに世襲議員などにとっては有利な情勢が形成されることから、有権者の選択肢を逆に狭めることになり、選挙は形がい化し、新人の立候補が相対的に圧迫される。これは民意を聞きながら民意を反映させないということで、いずれ有権者からは不信感を投げつけられると思われる。

 という筋論があるにもかかわらず、さらにさまざまな不都合が散見されるのを無視しての解散総選挙の強行であるから、隠された狙いについての憶測が飛び交うのは仕方がないことであろう。

 もちろん高い内閣支持率を活かしたいという気持ちは分からなくもないが、過ぎたるは猶及ばざるが如しということで、いささかガッカリしている。何かしら人気投票を急かされているようで、議院内閣制における政治手法としては違和感を感じるのである。

4.唐突な信任要求には戸惑いが、予算の年度内不成立のマイナス効果は?

 それにしても、総選挙は衆議院議員を選ぶもので、この仕組みは高市早苗氏への信任とは直結しないもので、ここが間接代表制の重要なところである。

 現行憲法では内閣総理大臣を直接選挙で選ぶことにはなっていない。仮に信任投票であっても直接選挙を採用していないのは、国権の最高機関である国会の権能と葛藤しかねないということが危惧されるからである。

 これは二元的代表制をとる地方自治体でたまに起こる首長と議会の対立がどちらも選挙でえらばれていることから、対立が激化し容易に解消しないことなどを連想させる。

 もちろん内閣総理大臣が特別の地位にあることは間違いないが、首班指名という表現があるのは、あくまで内閣の統括者であり、その権能は国権の最高機関である国会が母体とならなければ統治構造にほころびが生じることになるということである。

 高市氏の気負いは分からないわけではない。また、現実問題として選挙が信任不信任の機能をもっていることも事実である。しかしそれは二次的効果であって自動的に高市氏が指名される仕組みではなく、両院の本会議における投票を経て指名されるものである。国会で決したものであるから、その解任も国会で決するという簡単な理屈なのである。

 今回の総選挙もいつも通りの政権選択選挙であることから、高市氏にとっての信任あるいは不信任に直結することはそのとおりであり、いつもそうなのである。今回が特別ではなく、総選挙は結果として政権担当政党を決めるもので、ことさら首班指名者を選択するという論理を振りかざすこともない。多数派の意向により首班指名者の変更は国会で決することになっている。つまり、首班指名者の交代のたびに総選挙をひつようとするものではない。

 という議論の中で、いわずもがなではあるが、与党が過半数を確保すれば、簡単には起こらないと思うが、総理の交代は可能であり、少数与党の場合よりも代えやすいかもしれない。

 ここらあたりで面倒な理屈はやめ視点を変えて、「高市早苗はどうよ、はっきりして」と本人に求められても、判断するほどの実績もないということもあるが、だいいち高市早苗氏のすべてが明らかになっているわけではない。さらに重要なのは氏の過去の発言がかなり変化していることを考えれば、この先の発言に確証を持ちえないのである。つまり信任にいたる内実が希薄なのである。近未来において、本人にすればあたりまえの状況への適応がいわゆる発言のブレと受けとめられるリスクがかなりあって、たとえ今日の高市早苗氏を信任する気があったとしても、それが将来のブレた高市早苗氏をも信任することにはならないという当たり前のことが理解されているのであろうか。ここはサナエ押しの人びとには不快かもしれないが、オールドメディアに登場するコメンテーターの多くがひとしく懸念しているところであり、それは当たっていると思う。

 

5.どうであれ、お手並み拝見は変わらないが金融市場の反応が責任ある積極財政の隘路となる

 そういえば故中曾根康弘氏が総理大臣の権限の強化を公選制とあわせて問題提起をしたことが思いだされる。その後実質的にはかなり強化されたといわれている。しかし、強化はされたものの、少子高齢化はじめ低賃金などの構造問題の解決には非力であったと思われる。いくら権限を強化しても知恵と馬力は補えないということであろう。

 たとえば、小泉純一郎氏の郵政改革は何をもたらしたのか。故安倍晋三氏のアベノミクスは持続的であったのか。異次元の金融緩和が負の遺産になっているのではないか。などなど長期政権を確立した大物政治家においても毀誉褒貶は相半ばするもので、いわんや新築の政権にあってはお手並み拝見という段階をこえるものではないというのが一般の受けとめであると思う。

 私見ではあるが、今さらながら強いとか豊かだとか立派なフレーズを掲げてみても、借金をあてにするかぎり大風呂敷だと酷評されるのは避けられないと思う。できないことはできないという冷厳な事実に公約は冷凍保存される可能性が高いわけで、そうなるとせっかくの高市氏への期待が後退するのではないか、あるいは民意の動向よりも金融市場の反応に気をつかわなければならないという現実が、責任ある積極財政の弱点ではないかと考えている。

 悲観はしないが楽観もできない中で、金融市場はどちらかといえば悲観に傾いていると筆者は認識している。とくに来年度予算案の成立が遅れれば遅れるほどに市場の不安定化が止められなくなる。有権者が支持しても金融市場が信認しなければ政権は行きづまり、その後に起こりうる民意の漂流が心配である。

6.内閣支持率イコール高市支持率ノットイコール自民党支持率

 ところで、内閣支持率イコール高市支持率という強引な解釈が大手を振って歩いているが、アンケートに応じた人びとの思いはさまざまであろう。

 国政選挙は、為政者の国民的人気を競う場ではないのだが、そこは米国の大統領選挙のような盛り上がりを求める向きもあるようだが、それは無理筋である。

 現実は多数派工作により衆議院ではギリギリとはいえ、すでに過半数に達しているうえに、閣議で承認された来年度予算案は水面下での与野党の折衝過程を踏まえていると聞いている。とくに野党である国民民主党はすでに賛成の意向を表明していることから、来年度予算案の年度内成立の確率はそうとうに高かったといえる。であるのに、なぜそれを捨てたのか。国会対策に弱い官邸の判断と思われるが甘いような気がする。

 さらに疑問なのは、閣議決定された予算案の扱いである。同じものを出すのであれば解散したことの意味が厳しく問われるであろう。というよりも、選挙日程の影響を受け、予算の成立時期が大幅に遅れることから、さまざまな不都合が発生すると思われる。この負の影響の政治的責任は為政者としてはきわめて甚大であるといわざるをえない。

 などなど、くどくどしくも後期高齢者としては予想外の事態に半ば呆れながらも半分は刮目しているのである。多少のおそれを感じながら新たな地平が拓かれるとか綺麗ごとをいいつつ、内心ではハチャメチャな事態がおこることを期待しているのかもしれない。高市早苗氏に期待するというよりも氏が引きおこした政治状況が生みだすシャッフル効果に期待するしかないという、賽は投げられた気分をポジティブに受けとめるしかないという感じである。

7.立憲民主党プラス公明党イコール新党ウイズアウトザウインドウズ

 やはり歴史的必然というべきであろう。衆議院政党である「中道改革連合(中道)」が新党として1月22日に結成された。2017年には民進党衆議院が希望の党、立憲民主党および無所属グループに三分された。この時は、民進党代表であった前原誠司氏が東京都の小池百合子知事が主導する希望の党への合流をまとめたことに危機感をもった当時の安倍総理による解散総選挙という政治的急襲(と筆者は認識している)をうけての民進党内の狼狽が原因の一つであったと考えている。この一連の経過は結果として見れば、民進党分裂劇であり、さらに2009年から3年3か月にわたり政権をも担当した民主党の幕引きであったと考えられる。

 今回は分裂ではなく融合であるから、展開によっては政界再編の発火点になるかもしれない。というのも、結成時では172議席の勢力であり、基本政策と政策メニューでは大きく公明党寄りのスタンスなので、選挙戦術次第では野党領域における主力を形成できるからである。 

 現行の選挙制度は、民意の集約に重心をおく仕組みになっており、とくに小選挙区では中小規模政党ならびに後発政党には大いに不利な構造といえる。つまり、政権交代の可能性をデフォルメ的に高めたいびつな構造なのである。したがって、政党数が収れんする方向にむかうのは構造上自然なことといえる。

 たとえば、2024年10月の総選挙においては、自民党は小選挙区では38%の得票率で48%の議席を、おなじく立憲民主党は29%で38%を、日本維新の会は11%で8%を、公明党は1.4%で1.4%を、日本共産党は6.8%で0.4%を、国民民主党は4.3%で4.0%を獲得している。日本共産党は全小選挙区での立候補を方針としていることからどうしても死票が多くなる(比例代表議席の底支えといえる)。逆に自民党と立憲民主党は10%ポイントほどのスケールメリットを享受している。つまり、スケールメリットは第一党と第二党に集中するのである。

 さらに、2021年の総選挙では、自民党は48%の得票率で68%の議席を、対する立憲民主党は30%で21%を得ている。立憲民主党でいえば2024年比では得票率がほとんど変わらないのに議席率では17%ポイントほど低く、さらに自民党との議席率の比較では47%ポイントもの大差がついた。これは自民党とは1000万余票の得票差(選挙区あたり約3.5万票)があったからで、選挙では限界効用は低減せずにむしろ増大しているのである。

 ということから、あたりまえのことではあるが、選挙戦術的には大規模化をめざす集約のほうが分裂よりもはるかに有用であるといえる。すなわち、他の条件において変わりがなければ集約的大規模政党の結成は大いにプラスといえる。という理屈で、中道の結成は歴史的必然であると受けとめている。

 にもかかわらず、2017年を越えてから大規模集約化、とりわけ国民民主党との合流が、連合などがつよく期待していたにもかかわらず一向に進まなかったのは政策課題(安全保障政策、エネルギー政策、憲法改正、消費税など)における重大な差異をかかえていたからであった。それが今回公明党との間において分野によってはほとんど180度に近い方針転回にいたったことは、経過を知る立場からいえば驚愕至極のことといえるのである。

 筆者なども、安全保障・エネルギー・憲法改正の3点での立憲側の譲歩があれば、合流の完成度を高められるとの提起をコラムなどではおこなった。そこは譲れないとする立憲内部の声がそうとうに強かったことから、永遠の平行線のように感じていたのである。また、立憲民主党と国民民主党との溝は政策論だけでは片が付かない別次元の要素もあるようで、これらについては選挙の結果次第かもしれない。近づけば近づくほどに違いが気になるということか。

 その平行線が、立憲民主党と公明党の間ではあっけなく片が付いたというから不思議な感じがしたのである。些事には激論で応じ、大事には沈黙で処すという議員心理が働いたようで、このあたりの事情は、いずれ明らかにされると思われる。

 それにしても、立憲民主党の支持層の動きは不透明といえる。議論なき方針転回はリベラル色の強い支持層にとっては無視された感が強く戸惑いがあるのだろう。

 ところで、過日新華社通信が新党への期待をにじませた記事を掲載したようで、贔屓の引き倒しにならないかと心配している人もいると思う。

8.自民党+日本維新の会VS立憲民主党+公明党

 前回(2024年)の議席は自民党の「政治とカネ」問題によるいわゆる自損事故によるもので、相対関係において立憲の自力でいえば30から40議席ほどがオーバーシュート、すなわち自民のオウンゴールであったと思われる。その実力以上と揶揄されていた議席が公明党票でどのくらいキープできるのか。また反転攻勢となるのか、そのカギはむしろ自民党側にあると思われる。

 年初の予想でいえば、自民党的には復調傾向であり、それに高市人気の上乗せ効果を見込み260議席という数字も流れたが、状況はそれほど甘くはないという見方が増えている。

 その理由は「政治とカネ」問題が完全に消え去ったとはいえないこと。関係議員の公認復帰などが高市効果に便乗している感も否めず、再度の問題化すなわち「政治とカネ」問題バージョンⅡの可能性があること。党内調査をへてすでに決着済みと思われていた旧統一教会との関係では、昨年の韓国での「TM特別報告書」の開示の影響がじわじわと広がりつつあること。などが争点化されれば予想をこえる影響を受けると思われる。ふたたびの自損事故となるのか、封じこめられるのか、予断を許さない状況にあるといえる。

 公明党が連立離脱を表明したのが昨年10月10日で自民党の「政治とカネ」問題への対処に不満を持ったことが主因と伝えられている。というようにやはり「政治とカネ」あるいは「TM特別報告書」さらには「国保逃れ」などがボディブロー的に効きそうな問題として高市氏の前途に黒雲を呼びよせつつあるというのが選挙直前の情景であろう。

 当初低すぎると思われた「与党で過半数確保」との勝敗ラインもけだし低すぎるとはいえない事態が生じる、あくまで可能性ではあるが、かもしれない。

 ということで、中道が結成時議席を確保できれば与党は苦しくなるであろう。

それにしても、大阪府市ダブル首長選挙は「なんやねん」である。「二人のために世界はあるの」ということか。

第二部(参考)

9.政治家(議員)の価値序列と行動様式についての私見 

 有権者の視線を浴びている面は、国のため国民のために理念や政策にもとづき日夜働いて働いている政治家というイメージであり、ままそれは当たっていると思う。他方で視線を浴びていない面あるいは内心はそれほど簡単ではない。もちろんそれは人間として普通の姿であり、どちらも正しいのである。

 光があたれば表面であり、当たらなければ裏面である。表面だけでは立体像を把握することができないように、政治家を理解するには視線を浴びていない面や内心を把握するひつようがある。

 ということで、経験から見いだした政治家(議員)の一面を述べてみたい。これはそういう面もあるということで、批判はあるにしても受容的に理解してほしいと勝手な願いを込めての話である。 

 それは略して「一再二金三組四理五政(いっさいにきんさんそしりごせい)」というもので、多くの議員の判断序列というか価値体系ではないかというのが筆者の私見である。もちろんそうでない人もいる。判断序列の項目が入れかわっている場合もある。しかし、時として顕れる議員の不可解な行動の理由を聞かれたときに、そう答えるのが理解のためには親切であると考えたからである。

 以下に「一再選、二資金、三組織、四理念、五政策」についてダイジェスト的に述べる。まず現職の議員にとって再選を上まわる価値(目標)はなく、またそのためには資金需要を満たさなければならない。さらに、所属政党や支援組織こそが再選のためのエンジンであるから、自己の理念や政策よりもそれらが上位にあると思われる。

 また、たとえば立憲民主党の綱領にある原発ゼロ社会のような非現実的ではあっても、政策理念としては一丁目一番地であったことは、筆者には不賛同ではあるがそれなりに理解できるものであった。であるが、中道の政策にはそうは書かれていない。新党結成のためにはやむなくギアをリバースに入れた感じがするが、いきなり現実路線を採用するとか、あるいは消費税のように有権者との関係で政策を変えるとか、まあ見事なぐらいの豹変ぶりである。といっても、けっして悪くいうつもりはなく、議席があっての議員であるというのは事実であるから、議席をえるためにはあらゆる妥協を尽くすことも重要であるということであろう。ここは豹変してこその政党なのである。もちろん、有権者の判断とは別の話である。

 さて、立憲民主党のあの鉄壁の守りであった安全保障政策や原発政策が信じがたいほどの短期間で大きく動いたのは、筆者的にいえば理念や政策は再選の下位価値である証左なのであるが、ここでは軽く触れる程度に止めるべきであろう。

 という話を耳にすれば少なくない有権者が嫌な気分になるかもしれない。しかし、この傾向を企業に当てはめると、再選は持続可能性(サステイナビリティ)であり、資金は企業存続の基本であり、組織は経営体とそのガバナンスあるいは役員と従業員であり、理念は経営目的あるいは社会貢献であり、政策は経営方針や戦略といえる。

 資本主義体制下の政党はその存在や運営においても資本主義的でなければ成り立たないといえる。もちろんそうではない原理で政治に対応しようと試みる政党もあるが、子細にみれば理念や政策が体制に適応しているわけで、そういう意味では現実的なのである。

 ただし、有権者の価値序列は明確に違っており、理念や政策に大きく傾斜しているのは当然のことである。むしろ、資金や組織に対しては厳しく、ネガティブとさえ感じさせられる時もある。筆者は票のために政策を捨てたとは思わない、しかし立憲民主党の支持者からは丁寧な説明が求められるであろう。このあたりが新党中道にとってのアキレス腱であると思う。

 さて、再選という議員の持続可能性についてはさまざまであるが、競合相手を落選させて勝利すれば小選挙区では安定化できるケースが多い。自民党の傾向として、強力な後援会組織を前提に世襲議員が出現している。背景には予算配分と支援関係が伝統的ともいえる仕組みで結びついている実態がある。しかし、これも人口減少や財政難では燃料や潤滑油を欠いたエンジンのようで、早晩出力低下にいたると思われる。

 有権者としてのメリットが薄れるなかで、外部脅威などを材料にナショナリズムに関心を移さなければ訴求できない、つまりやっていけないということであろうが、政治としては筋が悪い。

 理念に排他主義を挿入するのは世界的な傾向ではある。わが国の場合は騒がれるほどの実態が少ないので、気分としての日本人ファーストにならざるをえない。これは攘夷、攘夷と叫びながら政権を奪い政策としては開国していった大昔の事例と似ているのではないか。

10.とくに立憲民主党の見事な豹変に対する簡単な考察

 政権を目指す政党ならば基本政策には現実的なところ、いわゆるプラグインの部分をもたなければ政権政党としては通用しないということで、7月の参議院選挙の結果をうけて党内世論が現実路線へと傾いていったと推察している。これで離れていく票がどの程度あるのかが注目されるが予測を立てるにあたってはプラスマイナスゼロあたりが妥当であると思う。そこで、現実路線を評価する非自民の支持政党なし層が好感する可能性もあり、ともかく新党効果はそれなりにあると思われるので、高市効果とは背比べだが、今のところかなり劣勢にあるといえる。

 思えば、立憲民主党も公明党もどちらも半減というきびしい見通しの中で、しばらく対応に苦慮していたと思われる。とくに立憲民主党は自らが変わることによって道を切り開こうと模索していた中で、公明党が小選挙区から撤退し比例代表に徹するならば無理なく補完関係が構築できることから両党の連携関係が急速に固まっていったと思われる。

 しかし、比例区の統一名簿方式については今までもさまざまに議論がされてきたものの名簿だけ一緒というのでは理屈がとおらない、受理されないことから実現にいたっていない。結局、同一政党であることが最も簡単であり選挙戦術上も説得性が高いということで、新党結成にたどり着いたと思われる。

 といったプロセスの中で、参議院を残したのは2017年の希望の党の事例と同じ道筋であった。違うのは、2017年が分裂の道であったのに、今回の2026年は融合の道であるところであろう。

 以上は筆者の勝手な推察である。窮すれば通じるとはいっても、基本政策のすり合わせは難事であるから、党内の反応を聞くかぎりにおいては、多少の下地があったあるいはそのような工作があったということではないか。

 立憲民主党については、そこまで変貌できるのであれば同様の作業が国民民主党との間でも可能であったのではないかとの感慨を抱くシニア層も多いと思われる。しかし、時系列からいってもそれほど単純な関係ではなかったということであろう。時間は戻せないということであり、2020年9月までが勝負所であったというのが、大方の見方のように思われる。 

 

 なにやら選挙互助会と謗(そし)られているようだが、自公もスタート時点では政権互助会であり、選挙区は自民、比例は公明との選挙戦術に支えられた26年間であったのではないか。

 また、中道では選挙後に左派系議員の先祖返りがあるのではないかとの指摘もみられるが、小選挙区における組織体としての公明党の集票力が当選を支えるかぎり、指摘はあたらないのではないか。とにかく理念も大切であるが、再選はもっと大切なのは左派系といえども変わりはないということであろう。

 ところで、「政治とカネ」問題にしても、私費への流用は言語道断だが、一般論としては再選に向けての後援会活動に資するものであり、そのための私設秘書の増員あるいはその活動費や事務所経費などの需要があるということで、その需要に応じていたのが、党よりも派閥が面倒見がよかったところに「政治とカネ」問題が生じたという点ではやはり「二金」が重要なのである。

 また旧統一協会との関係は、強力な組織からの一般的な支援は理念や政策にかかわりなく有難いという点で「三組」という位置づけに当てはまる。具体的な内容は報道の範囲にかぎられるもので、詳しくは分からない。

 残念ながら貧すれば鈍するということだったのか。自民党という歴とした保守政党が伝えられているあの反日教義に賛同できるはずがないのに、本当にわが耳を疑うというほかに言葉はない。

11.選挙協力の出来栄えが勝敗に大きな影響を与える

 今回の選挙については選挙協力が結果を左右するポイントであると思う。選挙区と代表代表のブロック区における補完関係が自民党と公明党の連立関係を26年間も持続させたことは前述のとおりである。この自公の選挙協力はかなり精密にできている、また高い確率で履行されている。

 公明党は絞りこんだ小選挙区に集中し、そこには候補者を立てない自民党の協力を得るなかで小選挙区当選あるいは比例復活といわれているブロック比例代表での当選を目指していた。ちなみに2024年10月の総選挙では、小選挙区4名、比例代表20名の当選者を確保している。

 この自公の連立関係が解消され、あらたに自民党と日本維新の会との連立に変わったのである。この自維間では選挙協力が予定されていないため競合する80を超える小選挙区では、自維のどちらでもない候補者の当選がありうるので、与党にとってはマイナスサムゲームとなる。熱戦による盛り上がりを踏み台に自維いずれかの候補の当選を狙っていると思われるが、マイクを握っての舌戦をふくめて思惑通りにいくのか、なかなか難しいところであろう。

 今のところいささか甘い感じがするが、基本政策は公明党寄りにまとめられていることから公明党支持層のうち50%から70%が中道候補に投票すると予想している。そうなれば自維競合区においては中道候補は強敵となる。おそらく自維ともに早い段階でいずれかの候補に集約することを余儀なくされるのではないか。

 自維競合区の采配を誤れば、与党にとって連立関係もふくめて取りかえしのつかないことになる可能性を否定することはできない。

 

◇目を病みて 打鍵止め聞く もがり笛

注)タイトルに「解散総選挙なんでやねん、大阪ダブル選挙なんやねん」を追加(2016年1月26日9:00)

注)8.タイトルにを追加。ちなみに「窓がない」という意味。(2026年1月26日9:30)

加藤敏幸