遅牛早牛

時事雑考「総選挙を終えて-いくつかの感想-②」

まえがき

[ 局後の感想戦にしては遅いと思うが、気持ちをふくめて書き連ねた。流れが蛇行している。それで字数がオーバーしたのでつづきは次回に送った。ご容赦願いたい。

 ところでイラン情勢など、今世界はかき回されている。もう名前を書くのが嫌になったのでT氏とだけ記す。「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」とは吉田松陰のお馴染みの歌である。T氏の場合は「かくすればかくなるものとつい知らず無暗に進むいばら道」かしら。

 それでも3月19日は大過なく首脳会談がおわり、全国的にホッと感が流れたのは不思議といえば不思議であった。しかし、3月28日の米国とイスラエルのイラン攻撃は不気味である。案の定ホルムズ海峡は通行困難になり、世界経済に黄色信号が灯った。米国とイランの交渉は難航すると思われる。その間ホルムズ海峡は切り札に使われつづけるのであろうか、迷惑なことである。世界同時株安でも止まらない?

 それにしてもイスラエルの人々はどう感じているのかしら。世界経済が失速すれば苦しむ人びとが億人単位で増えていく。何が起こってもすべてイランのせいだ、といって済む問題ではないと思うが、如何に。友達が要らない国とは友達にはなれない。そういう日が近づいている。]

1.中長期目標としての中道改革連合という着想は理解できる

 1月15日にスタートした中道改革連合(中道)が立憲民主党の従来路線からはかなり公明党側に寄せたことについてはおおむね理解できる。弊欄での過去の主張も多少の違いはあるが、方向は合っていたと思う。とりわけ、設立時や2020年9月などの節目における立憲民主党の基本政策については、政権を目指すならこうすべきであるといった失礼な指摘も行ってきた。

 ということからも中道の基本政策については広範な中道域をカバーできる内容であると受けとめている。

 もちろんこれだけの大敗であるから、大論争になることは避けられない。議論が始まれば難しい事態になるかもしれない。それでも戦略の過ちなのかそれとも戦術のそれなのか、という争点整理ができるのであれば、かならず乗り越えられると思っている。

2.現行選挙制度では野党は候補者調整が必要だが、調整には組織力が必要

 さて、選挙前の1月25日と選挙後の2月16日の弊欄時事寸評でも触れたとおり、現行選挙制度においては、小選挙区では候補者の集約をはからなければ比較第1党(自民党)の壁を破ることは難しい。

 具体的には候補者調整しかない。しかし、その成功事例があまりにも少なく、とくに複数政党間の調整の難しさを考えれば、足がすくみ目をそむけたくなるであろう。という中でなお調整をすすめるということなら、最大野党が大きく譲らなければ協議はすすまないといえる。じつに損な立場である。

 この点においては、2025年までの26年間におよぶ自公の選挙協力は、数少ない成功事例といえる。自民党は、いくつかの小選挙区では立候補者を立てずに公明党候補を応援し、その代わりに公明党はその他の小選挙区では自民党候補を全面的に支援する。また詳細は不明であるが「比例は公明に」とも要請するというのであるから、政党レベルでいえば高い戦略性を有した選挙協力といえる。良い悪いという問題ではなく、目的のためには手段において柔軟に対応できなければ、この方式は成立しない。

 では、現在の野党間でこういった芸当が可能であるのか。この点が、2028年7月に予定される参議院選挙あるいは次回の総選挙の帰趨を占ううえでの最大の注目点といえる。

 他方で、今回の総選挙では与党(自維)の選挙協力が予定されなかったのは自公間に見られたような高度な協力関係が成立する素地がなかったということであろう。公明党を支える組織の強さと特性が他を圧している。

3.支援団体との関係の強化が可能なのか

 当面、衆議院に限定されているとはいえ中道の発足にあたって、「公明には創価学会、立憲には連合が」といった解説が報道番組で流れた。しかし、創価学会と連合とではそもそも団体の由来や特性が異なっていることから、両者を同列にあつかったことには違和感があった。

 さらに連合としては、立憲民主党あるいは国民民主党とは連携関係こそ確認されているものの、実際の選挙では候補者単位での推薦・支持(連合推薦候補一覧)にとどまり、政党丸がかえでの対応はないと聞いている。まして、中道の評価については入口の議論さえ始まっておらず、そういう意味では一部のテレビ報道などの解説には内容的に説明不足のところがあったといえる。

 連合は、産業別労働組合を加盟単位(団体加盟)とする連合体であって、民主的運営にもとづく温厚な運動体であるから、近年の政党間の忙(せわ)しない離合集散や新党結成に対しての組織的対応には時間がかかり、とても政党側の時計にあわせて自在に応答できるものではないというのが、筆者の経験にもとづく感想である。

4.公明党は議席的には成果を上げたが、責任が問われることになる 

 公明党側の事情としては、単独で衆院小選挙区を勝ちぬくことは至難の業であり、仮に比例代表に特化するにしても小選挙区での投票先を空にすることはできない。そういう意味では選挙協力先としてはより多くの小選挙区で候補者を立てている政党(野党)が最適であり、その考え方において立憲民主党が第一候補になったのはきわめて自然なことであった。まして、基本政策を公明党側に寄せるというのであるから、まさに渡りに船、乗らない手はなかったと思われる。

 したがって、公明党としては厳しい情勢にありながも、最低でも現有議席が維持できることにくわえて政策的にも従来路線からは大きくは外れないことなど、中道に結集することはけだし最善策に思えたのであろう。

 さらに、政権与党に代わる新たな選択肢を有権者に示すということであったから、大義においてもまた戦略としても間違っていたとはいえない。したがって、両党ともに方向性としては妥当であったと、筆者もそのように受けとめていた。

 しかし、たとえ戦略としては妥当であったとしても、情勢判断が間違っていれば目的を達成するのは困難である、いわゆる「天の時」問題である。今回は、今がその時かという観点において難があった。高市人気という大雨で増水し、流れが速すぎて渡河に失敗し、仲間(立憲民主党系)の多くが対岸にたどり着けなかったという悲劇を招いてしまった。誰彼の責任ということではなく、それぞれの役割を果たしていくということであろう。

 

5.重なる情勢判断のミスが命取りに

 つまり、今回のことは情勢の見誤りによる失敗であり、初歩的な判断ミスといえる。そういえば2012年(野田氏)の総選挙では自民党(安倍総裁)に負けても最低120議席は残る、それも筋肉質なので捲土重来は可能であるとの目論見を当時の官邸で聞いた記憶がよみがえる。結果は60議席にもおよばなかった。

 2回も情勢判断を誤ったのは、生きた選挙には知識だけでは到達できない技芸ともいうべき何かがあることを知らないわけがないから、それを軽んじたかあるいは大事な場面で理想主義にはしる癖があったのであろう。野田さんは負けることを前提に悪行のかぎりをつくすヒールにはなれない。

 今回も、負ける選挙という点に早く気づいておれば、あと20から30議席は歩留まったかもしれない。これは実証できないことなので感想に終わるのだが、参考になるかどうかは別として、すこし考察をすすめてみる。

 たとえば今回の選挙は公示前の世論調査よりも投票結果のほうが推定で300~400万票ほど自民党側に上振れした感じであった。年初における自民党の調査は、高い内閣支持率を背景に推定で260議席(以上)を示すものであったと伝えられている。それについては最大値ではないかというのが筆者などの評価であった。というのも、政治とカネや旧統一教会などの絡みがまだまだ残っていることから与党の過半数確保は確実であるとしても、自民党単独では220プラスマイナス20程度の幅であろうという判断であった。

解散時期をめぐる与野党の攻防

 野党にとって解散時期の読みまちがいは深刻なダメージをもたらす。しかし、解散権が総理の掌中にあるかぎり、野党は不利なポジションを克服することはできない。また、対抗策としての「常在戦場」を日常化するためには膨大な人手と莫大な資金が必要である。それでなくとも財政力の弱い野党にとっては「常在戦場」はスローガンでしかない。

 政権による解散権の随意行使が民主政治にとって害を為すという主張はまさに正論である。しかし、相手は端からズルをやる気でいるのだから馬の耳に念仏である。もともとが野党側にとっての最悪のタイミングを狙い、野党側の対抗策とくに選挙協力を封じることを目的とする以上、野党側にとってはきわめて不公平な選挙になるといえる。

 余談ではあるが、2009年からの民主党政権時代に憲法改正は無理としても、国会法あるいは憲法解釈などで解散権の制限を措置すればよかったのである。しかし、その時代は自分たちも有利な時に解散をという思惑に支配されていたからか、そういう話にはならなかった。

 というよりも、2012年8月8日に開かれた社会保障・税の一体改革関連法案についての3党首(自民党谷垣禎一総裁、公明党山口那津男代表)会談での野田総理の「法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」発言を皮切りに解散論議に火がつき、内閣不信任決議案は否決したものの、8月29日には参議院での8党提出による問責決議案が可決されたことにより、国会は機能マヒに陥った。いくつかの重要法案が宙に浮いたが、とりわけ赤字国債の発行が措置できなくなり、年度末には政府資金が枯渇する事態が想定されるにいたり、打開のため10月に臨時国会を開催したが、解散問題がおさまらず11月14日の党首討論での、9月に自民党総裁に就任した安倍氏とのやりとりで定数削減を条件に11月16日解散が決まった。 

 吃驚の展開ではあったが、野党が求める解散に条件つきで応じるという珍しい事例となった。討論では野田氏が圧倒したが、選挙では安倍氏が圧倒し政権を取り戻した。昔話である。

6.新党効果を過大視したメディアや政治評論家の反省

 ところで、1月15日には立憲民主党と公明党による衆議院新党の結成が示され、この新党効果の評価をプラスとするのかマイナスとするのかが、今回の選挙予想における焦点であった。とくに、時間がない中で新党をどこまで浸透させられるのか、また高市人気との綱引きになるというのが一般的な認識であった。しかし、そういった見通しや数量的な判断には過去例あるいは固定観念にとらわれる面があったというのが後からの反省である。

 とくに新党である中道への評価には、中期的な方向性としては時代への適応という意味で妥当であるというバイアスが強く、ゆえに有権者も評価するであろうと予想した点が余分であった。

 ということで、中長期的な評価はあるにしても、新党への理解をえるには時間がなさすぎるという肝心な点を軽んじたところが、評論サイドも甘かったといえる。そうでなくとも高市人気という強烈な逆風の中で、中長期の戦略目標を超短期間でこなすことは、立憲プラス公明の身体能力をはるかに超える使命であったということであろう。

立憲民主党の判断の元は

 ところで、情勢判断にあたって立憲民主党はどういうデータを手元において話をすすめたのか、まともなデータであればそれなりの厳しさが現れていたと思われるので、それを精神力で突破しようとしたのかなど細かなことがとても気になるのである。

 さらに、立憲民主党支援の連合加盟産別にはいつ、どのように伝えたのか。また、伝えただけでは駄目でしょうということもある。

 ちなみに、いくつかの出口調査では直近の参院選で立憲民主党に投じた有権者の中で、今回中道に投票したのは60%程度といわれている。通常80%前後を期待しているから周知不足であったことは否めない。他方、公明党支持層については70%を超える数字が示されている。筆者は50~70%と予想していたので、昨日の今日のことであることを考えれば、公明党としてはそれなりの成果といえる。

 余計なことであるが、他の調査では中道に入れなかった立憲民主党支持者約40%の内、20%(全体の8%)ほどが自民党へ、10%ほどが国民民主党へ投票したとも。参議院比例区でいえば立憲民主党は700万票を優に超えた得票なので、約300万票が離脱したと推定される。

政治家には狡さもいるぜ

 ところで、準備が整わないのに、やむなく動かざるをえなかった、ということは相手が一枚も二枚も上手であったといえる。情報活動において不備があったということかもしれない。結果からいえば相手には知られ、味方には最後まで知らせなかったことになる。これでは勝てるはずがない。

 もちろん、民主政治における選挙のあり方という観点からは、今回の解散総選挙は大きな禍根を残したと主張できるものの、現実的な政略論からいえば中道は政治的狡知性に欠けていたといわざるをえない。敵はずるく味方は純朴である。狡くないのは美徳ではあるが、政治家としては物足りないということであろう。

7.恣意的な解散を許せば公正な選挙は難しいのは分かっているが

 今回の1月23日解散2月8日投票という日程は、野党間の選挙協力の妨害を目的としたと考える以外の理由を見いだすことはできない。とくに日程の予見性を遮蔽し、まるで野党の裏をかくための奇襲解散のようで、そういう意味ではむしろ戦国時代にふさわしい手口というべきであろう。

 さらに、有権者にも判断の余裕を与えないところに民主政治からいえば深刻な疑義があるといえる。したがって、選挙の公平性あるいは有権者との信頼関係をいちじるしく毀損するものといえる。しかし、結果がすべてであるから、それを変えることはほぼ不可能といえる。解散事例はほぼ自民党の総理によるもので、自民党が政権の主体であるかぎり解散権の野放し状態は変えられないであろう。

8.2026年総選挙をふり返り、何が明暗を分けたのか

 高市政権としては、歴代に比して相当に高い内閣支持率が失速しないうちに解散をというアイデアも自然な流れであり、野党第一党の立憲民主党としては直近の参院選の不調を踏まえ、本来ならば不退転の総選挙対策に着手すべきであった。また、調査によっては多少の差があるものの70%を超える内閣支持率の選挙への影響(破壊力)についても、もっと真剣に計数的に検討すべきであったと、外からはそう思えたのである。

 自維連立政権がスタートしてから、立憲と公明の国会での連携がその都度紙面などに流れるようになり、それなりの努力がうかがえた。当然公明党の動きが気になる自民党にとって、公明党がフル回転で野党側につくことがもっとも警戒すべきことであったから、おそらく注意深く探査していたと思われる。

 探りを入れることと油断させることは戦術の両輪である。高市政権は11月には補正予算案を審議する臨時国会をまとめるなかで、次年度予算への協力を一部野党(国民民主党)から得たという、つまり次年度予算への道筋がついたことは結構な成果といえることから、この時点で早期解散の必要性が溶けはじめた、少なくともそういう雰囲気であった。

 さらに、通常国会の召集日が1月23日と確度をもって想定される中で、予算案審議との関係から1月解散が遠のき、早くて予算案成立後すなわち4月以降との見通しが大勢となった。という空気の中で、通常国会での冒頭解散という奇策がしずかに練られていたと思われる。

 明らかに、立憲と公明との選挙協力潰しを狙ったもので、立憲・公明チームが油断していたとはいえないが、情勢認識と解散への警戒についてはかなりイージーであったことは否めない。

解散日程をめぐる駆け引き

 たしかに、来年度予算案成立の道筋がついたとはいえ、いわゆる「政治とカネ」あるいはTM特別報告書などの問題が残っている。また、国際情勢も流動的で日中関係も打開の見通しがたたず、くわえて維新との連立関係は閣外協力であり、性急な維新の動きからいつ破綻するか分からないなど、政権運営を考えれば高市氏への支持が高いうちに解散総選挙をというのは大いにありえたと(後からであるが)いえたのである。

 問題は厳冬期あるいは降雪期という時期であり、さらに予算案審議日程への影響であった。しかし、そういった常識的配慮よりも政権(高市氏)にとっての切迫性のほうが圧倒的に重かったということであろう。

 この切迫性への認識が立憲・公明チームでは生煮えであったと、つまり筆者的にはそれは覚悟の差であったと受けとめている。

 くどいようだが、そういった厳しさと緩さの対峙では常に厳しさのほうが有権者に刺さると今風の表現ではいえるのではないか。

 その緩さを象徴しているのが共同代表制であろう。重要役職がほとんど二枚看板で、これでは選挙が終わればいつでも元の鞘に納まる感が強く、たとえ中道軸の結集と懸命に説明してみても、単なる選挙対策ではないかといった疑念を払拭することができなかったといえる。

 さらに、新党の理念と政策をくわしく説明する暇もないという状態では勝負にはならなかったということであろう。

 時間的に消化できないことが分かっていたのに、もっとも困難でリスクの高い新党結成を選択したことの責任は歴史に残るであろう。ともあれ、中道域に大きな塊をつくるという中長期戦略は妥当であるから、これからはその達成に向けて着実に石垣を積みあげられるかが鍵といえる。ということで、参議院に残る立憲民主党の決断が注目されるのである。とりわけ主軸となる連合系産別の出身議員と擁立産別の判断が大勢を決めるということであろう。

 まとまれば、次回参院選での比例代表区での中道票は1300万票をはるかに超えると予想できる。グズグズしていると覚悟が足らないということで有権者の期待は萎えてしまうであろう。

9.この先にむけての支援組織の動き  

 さて、連合系産別が中道への合流に不同意であるなら、他の選択肢を模索することになる。現下の情勢の流動化あるいは不確実性が連合系産別の統一的な意思決定の妨げになっていることは否定できない。揺れ動く船上では照準を定めることは難しい。さらに決めるためには情報が要るが、その情報収集が十分ではないのだ。

 もともと産別としての政治参加のひとつとして、連携あるいは支持・支援関係にある政党から、たとえば比例区候補擁立の要請を受けての活動であるから、ここは産別の主体的判断が中心となる。

 中道結成後もその前提に変わりがないと思われる。では、労働組合の全国中央組織である連合との関係はどうなのか。連合本部は立憲民主党および国民民主党とは連携関係にあると方針で述べている。これは綱領あるいは綱領的文章ではない。

 ここでの留意点は、報道などで「連合」と触れられたときに、それが連合本部を指すのか、主要な産別をも念頭においた集まりとしての連合を指すのか、都道府県別にまとめられている地方連合を指すのか、内容に応じて意味するものが微妙に違っていることである。

 もちろん、連合本部の指導性は各面にわたり確立されているが、その源泉は三役会議や執行委員会での付議と決議である。いわゆる機関主義であり、この方式では機関決定事項のみを構成組織をしばる行動指針とするもので、機関決定は組織構成に即して階層的に議論を積みあげていくものである。したがって、最終的な意思決定にはかなりの月日を要する。

 今回の中道結成にあたって、連合内での議論がどのようなものであったのかは筆者の知るところではないが、日程的にはそうとうに無理な話であったと受けとめている。

10.希望の党と民進党の合流騒動の3つの伏線とは

 さて、2017年9月の希望の党(小池氏)と民進党(前原氏)をめぐる再編騒動にはいくつかの伏線があったと筆者は受けとめている。

簡単な流れ

 それらの伏線にふれる前に、民進党の党史を民主党時代もふくめて簡単にふりかえれば、2012年12月の総選挙(野田氏)においての大敗北の後、民主党はかなりひどい低迷状態から抜けだせなかった。2014年12月の総選挙(安倍氏)でも20議席ほど増やせたものの与党には遠くおよばなかった。くわえて海江田代表が比例代表区においても落選し代表辞任にいたった。後任には2015年1月に岡田氏が就任した。

 その後、2016年3月には岡田代表が維新の党(江田憲司代表)との合流による民進党の旗あげなどの刷新策を講じたものの、同年7月10日の参院選では32議席と振るわず、改選議席の45を13議席も下まわる敗北となった。さらに、7月下旬の都知事選では擁立した鳥越氏が小池氏に大きく差をつけられ3位落選となった。その投票前日には岡田代表が政権交代に向けた新しい人を代表にという理由で9月の代表選への不出馬を表明するといった、分かりにくい行動への批判もあり、党としての凝集性が揺らいでいるように思われた。

 岡田氏の後任には参議院議員の蓮舫氏が選ばれたが、幹事長に野田前総理を指名するなどの不協和音を残しながら、2017年7月の都議選では小池知事を支える都民ファーストの会と自民党との激戦に埋れ、過去最低の5議席(2議席減)に終わった。

 都議選の結果をうけ蓮舫代表は辞意を表明し、9月1日前原氏が代表に選ばれた。12年ぶりの代表職についた前原氏ではあったが、幹事長人事でのつまづきや多数の離党者をだすなど党内体制の弱体化を止められず、また後述する希望の党への合流問題の責任をとり、10月27日辞任にいたった。

第一の伏線(組織疲労)

 という4年半の経緯からも分るように、党内の実情は代表者の不本意な交代とそれに伴う代表選挙によって人間関係もふくめ組織疲労が大いに蓄積していたというのが第一の伏線である。

第二の伏線(都知事選、都議選)

 伏線の第二は、2016年都知事選において連合東京が小池氏を支援し、さらに2017年の都議選でも都民ファーストの会を支援したことである。従来から連合は民進党の主要な支援団体であった。にもかかわらず、地方選挙とはいえ首都においては連合とのチェーンが切れているという事実が党全体に与えた衝撃は大きく、さらに解散総選挙の靴音が高まる中で、民進党議員とくに衆議院議員の「何とかしなければ」という切迫した心理がさらに煽られていったと思われる。

第三の伏線(安全保障の路線の違い)

 伏線の第三は、2014年の安倍政権による、具体的には内閣法制局の集団的自衛権の行使についての(憲法の)解釈変更、すなわち綾取りのような合憲判断とそのことに連動した2015年平和安全法制にかかわる議論であった。当時の民進党としては、いくつか賛成できる内容があったものの束ねられた法案については反対であったことから、共産党、維新の党、生活の党と山本太郎となかまたち、社民党と連携し、とくに院外での集会などでは反対行動を共同展開していたのである。たとえば国会前では8月30日、岡田・小沢・志位・福島氏の4人が街宣車上に並んだが、そのシーンを目にしたときには筆者などは「あらら」といった複雑な思いにとらわれたのであった。何が複雑なのかは後にして、法案は2015年9月参議院を通過し、半年後の2016年3月施行された。

 時として共同行動が連帯心を育むことがある。たとえば、教条主義の壁につきあたり難航していた労働戦線統一を切り開いたのは共同行動の積み重ねによる組織間の信頼の醸成であった、と筆者は先輩に教わった。

 そのことと直接つながるものではないが、野党共闘が民主党(民進党)内のとくに共産党との協調(民共)路線に力を与えたことは確かであったし、さらに市民連合といった草の根的組織との連帯の可能性を示唆したことは間違いのないことであった。しかし、連合からは違和感があるとの厳しい指摘もあり、党内的にはミシン目があるような雰囲気にあったといわれている。

 という状況下であらわになったのが、現行憲法では集団的自衛権の行使は違憲だとしながらも、現下の安全保障環境から考えて、集団的自衛権を基軸とした同盟関係が必要不可欠であると判断するならば、道は憲法改正へとつづくというのが合理的といえる。しかし、わが国の野党の主流は護憲すなわち改正を許さないというもので、これに固執すれば現実的な国防についての議論は閉塞してしまうことになる。

 つまり第三の伏線とは、平和安全法制の議論の中でわが国の安全保障を現実化させるために憲法改正を目指すのか、それとも解釈改憲路線で目先を糊塗するのか、あるいは憲法規定を土台に安全保障においては抑制主義をとるのか、党の進路はおおむね3択になっていることが明らかになっていったと、少なくとも筆者はそう捉えているのである。

 さて、「あらら」といった複雑な思いとは、表現はともかく日米安保体制に反対である共産党と社民党を相手にいつまでつきあうのかということであり、この関係を続ければつづけるほどに左派あるいは中道左派空間に閉じこめられる、つまり自民党(安倍氏)の術中に嵌まってしまうのではないかといったものであった。

11.(参考)希望の党騒動の経過について

 ここで、2017年9月の民進党の迷走にかかわる事象を時系列的に追ってみる。

・9月25日、小池氏は記者会見で「希望の党」の設立を発表し、同日届け出た。

・9月26日夜、小池氏と前原氏(民進党代表)に神津氏(連合会長)が加わり、民進党と希望の党との合流について秘密裏に話し合った。

・9月27日午前、小池氏と国会議員14人が記者会見し、「希望の党」の結成、綱領および基本政策を発表し、小池代表以外の役職については選挙後に決めると述べた。

・9月27日夜、BSフジの報道番組「プライムニュース」で小池氏は希望の党への参加条件について、憲法改正と安保法制への姿勢を重視する考えを示した。

・9月28日午前、民進党常任幹事会において、「今回の総選挙における民進党の公認内定は取り消す」「民進党の立候補予定者は『希望の党』に公認を申請することとし『希望の党』との交渉及び当分の間の党務については代表に一任する」「民進党は今回の総選挙に候補者を擁立せず、『希望の党』を全力で支援する」ことを提案し了承された。

・同日午後の両院議員総会において、合流案は全会一致で承認され、民進党参議院と地方組織は総選挙の結果を見守るということで、そのまま存続することになった。

・同日夜、BSフジの報道番組「プライムニュース」で細野氏は希望の党からの出馬について「三権の長を経験した人は遠慮してもらいたい」と述べた。

・9月29日午前、小池氏と前原氏が会談し、候補者調整については若狭勝氏(設立時メンバー)と玄葉光一郎氏(民進党総合選対本部長代行)が実務的な話し合いを進めることを確認した。小池氏は、会談後記者団に、さまざまな観点から絞り込みをしていきたい、全員を受けいれることはさらさらないと述べた。

・同日午後2時、小池氏は定例記者会見の場で、前原代表は公認申請すれば排除されないと発言しているが、小池氏は安全保障、憲法改正で一致した人のみ公認すると明言している。両者の発言に違いがあるとのフロアーからの質問に対し、小池氏は「排除されないということはございませんで、排除いたします、安全保障や憲法観という根幹部分で一致していくことが政党の構成員として必要最低限のことではないかと思っています」と応答した。いわゆる排除発言として、この発言への批判が全国的に広がり、結果的に希望の党の勢いをそぎ落としたといわれている。

12.9月28日の常任幹事会と両院議員総会で決めたこと-一任決議の罠- 

 2016年7月に参議院議員を退任した筆者にとっては驚天動地の展開であった。とくに、9月28日の常任幹事会を経て両院議員総会では満場一致で承認されたというから、正直なところ直ぐには信じられなかった。

 そもそもが小池氏の政治姿勢に対する反感や不信感が党内には散在していたと当時は思っていたので、それを乗り越えられたのが不思議であった。それについては、党勢への危機感と安倍一強への対抗心があったとの説明を後日受けたものの、それでも理解の枠を超えていた。

 くわえて、27日夜の報道番組では小池氏自身が憲法改正や安保法制への姿勢を重視すると明言していたことから、路線問題がすでに見えているのに、それでも希望の党へ行くのか、と素朴に首をひねっていたのである。「民進党所属だから排除されることはない」とか「新しい器で民進党の理念や政策を実現する」という発言が真であるなら、その後の希望の党の対応や結果からみて、前原氏の説明には誤解を生む世間でいう方便が混ざっていたというべきであろう。

 それにしても「合流」という用語が適切であったのか、今でも疑問に思っている。この場合の合流は集団としての対応を思いうかべるが、希望の党への参加は基準をもって選別されるということであれば、「個別入党」でしかないわけで民進党は単なる推薦人という位置づけでしかなかったことになる。

 それに、好ましからざる人物(ペルソナ・ノン・グラータ)を連想させる「排除リスト」や踏み絵のような「政策協定書」の存在が、小池氏と希望の党側の悪辣さというか狡猾さを有権者に強く印象付けたのであるが、そのことを2026年の時点で振りかえった場合、なぜか見え方が変わってくるように思われるのである。

13.振りかえれば景色も違って見える

 というのも、2017年9月の前原代表が取りうる道は限られていた。離党者予備軍をかかえたままで10月の総選挙をむかえるのであれば、共産党、社民党、自由党との選挙協力をどうするのか。岡田氏や蓮舫氏が代表であった時代には野党選挙協力に積極的に取りくんだものの、2016年から2017年前半にかけての主要な選挙においてはその成果には確信がもてない、つまり限界が見えてきたということで、悩ましい状況にあったといえる。

 先々の展望が見いだせない中で、2016年の都知事選に無所属で立候補し、政党の支援を受ける他の主要な候補者らにぶっちぎりで勝利した小池氏に目が向くのは自然なことであったと思われる。また都議選では都民ファーストの会が自民党をおさえて小池与党として第一党に躍り出たのを目の当たりにすれば、気持ちが動くのは当たり前のことで、そうこうしている内に、新党「希望の党」構想が現実味をおびてきたことは、前原氏にとっては渡りに船と感じたに違いなかったと思っている。何もせずに普通に選挙戦に臨むことができない、という心境であったのであろう。このあとの流れは云々のとおりである。

 それでも、「民進党の立候補予定者は『希望の党』に公認を申請することとし、『希望の党』との交渉及び当分の間の党務は代表に一任する」とは、何回読んでも白紙委任以外の何物でもない。だから、28日の常任幹事会と両院議員総会で決めたのは民進党衆議院の自主解散であるから、前原代表に一任しただけでは終わらない、ドラマ的にいえば悪人に身を委ねたといえる、とは当時の一番辛らつないい方であったと記憶している。もっとも筆者は悪人説は取らない。 

 いずれにしても小池、前原の両氏はもちろんのこと、関係者の多くは「あわよくば」と何かしら思うところがあったと推察している。希望の党が100ほどの議席を得ておれば、もちろんそういう事態が予想されれば小池氏も立候補した可能性はゼロではないであろう。あるいは与党を巻きこんでの政界再編が起きていたかもしれない。しかし、初の女性総理の出現が早まっていたかもしれないといえばこれはいい過ぎであろう。もっとも政界再編と政界混乱は紙一重ではある。

 という文脈でいえば、なんで「選別」ではなく「排除」だったのかというのが筆者の偽らざる感想であった。初めから排除にアクセントがあったということであれば代表としての誠実性が問われることになる。

労働界にとっての選別排除の歴史性

 用語法が違うと思ったのは、労働戦線統一のキーワードが「選別排除」であったことからの着想である。

 ここで『ユニオンヒストリー 連合結成秘話[後編] 「天の時」「地の利」「人の和」』(執筆 落合けい)から一部を引用する。文中の統一労組懇とは共産党系労組の集まり(懇談会)で、統一には反対の姿勢であった。

引用開始

(省略)

 直面する最大の課題は、統一労組懇への対応だった。

 当時、総評官公労内では統一労組懇が反対運動を活発化させていたが、総評は全的統一をめざす立場から「選別排除」を警戒し、同盟は統一労組懇の「なだれ込み」を警戒していた。

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 真柄栄吉総評事務局長(当時)は「右か左ではなく、前へ」と決断し、「進路と役割の承認、国際自由労連加盟」とあわせて「総評は統一労組懇を認知していない。毅然たる態度をとる」との見解を表明。統一労組懇は自ら統一不参加を表明し、「独自のナショナルセンターをつくる」と総評を脱退した。

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 ということで、1989年11月に民間連合と官公労組とが合流し、労働戦線統一が達成されたのである。労働界とは少し事情が違うと思われるが、希望の党が基本政策の違う人たちの「なだれ込み」を警戒して、「選別排除」に走ったのか、本当のところは分からない。

14.騒動の結末は、2017年の分裂した118議席と、2026年の交わらない49議席

 このあと、「枝野立て!」との声に押されてか、10月はじめには旧立憲民主党(2021年9月まで)が結成され、同党が55議席を得て野党第1党に躍りでたが、一方の希望の党は50議席で野党第2党にとどまった。この時、岡田氏や野田氏をはじめ少なくないベテラン議員が無所属(党籍は民進党のまま)で当選をはたし、13人で無所属の会(岡田会長)として会派を構成した。つまり、民進党は希望の党結成を契機に、立憲民主党、希望の党、無所属の会に分裂していったのである。

 さて、この騒動を2026年時点から振りかえった場合の見え方つまり清算であるが、2017年5月31日時点では民進党・無所属として95議席あったのが、同年9月28日の解散時点では離党などで87議席に減少し、10月22日投開票後には、立憲民主党55議席、希望の党50議席、無所属の会13議席で合計すれば118議席となった。これを「増えている」といってしまえば、そういう問題ではないということであろう。

 しかし、民進党のままで選挙に臨んだ場合、95議席を確保しさらに上積みを図ることができたであろうか。上積みの程度にもよるが、筆者は難しかったと考えている。どう考えても、「排除」発言が立憲民主党には追い風になったというべきで、小池氏がもう少し柔らかく表現しておれば希望の党には、10議席ほどのプラスがあった可能性はあったと思っている。しかもそのプラス分の多くは立憲民主党からの戻りであるとすれば、野党第一党をめぐる希望の党と立憲民主党との立場が入れ替わっていたであろう。しかし総議席数は変わらない、コップの中の争いだったともいえる。

15.排除の論理で逆に立憲民主党が盛り上がり、希望の党は解体プロセスに

 また、「排除」発言の報道上の扱いによっては、さらに議席が動いていた可能性は当然ありうる。しかし、その程度については知ることが難しいことから、議論にはなりえない。ともかく報道としては興味深い、いわゆる面白味のある選挙だったといえる。それは小池・前原両氏が見事(?)にヒール役を果たしたからであって、ここが2026年と異なる点といえるのではないか。

 ところで、小池氏が都知事を辞任して衆院選に出馬することはゼロではないにせよ相当な無理筋であったと思う。「辞めて当って辞めて当る」ことを一年あまりのうちに繰りかえすのは非常識である。

 それと、政策面での取って付けた感が支持の固定化を妨げたと思う。そういう意味では、民進党解体プロセスでの触媒役を果たしたともいえるのではないか。もちろん、希望の党も解体プロセスにあったことはその後の動きを見れば明らかであろう。

 ということで2018年5月の国民民主党の発足をもって、立憲民主党との2党体制にいたったが、その道筋はそうとうに複雑で、また一人単位での出入りもはげしく、俯瞰して語るのは可能であるが、詳細をもって語るのは難しい。ただ、本気で党を支えなかった議員に僥倖が訪れるはずのないことは真実のような気がするのである。

 さて、2012年12月の大敗からおよそ8年後の2020年9月の新しい立憲民主党の設立によって民進(民主)党解体もいよいよ最終章と思っていた。ところが、今回の中道改革連合の躓きによって立憲民主党でさえ発展的解消とならなかったとなれば、何かしら嫌な気分に陥るのである。

 今回、衆議院では中道改革連合は49議席であったが、このうちの21が立憲民主党系議員であり、国民民主党の28議席をあわせても49で50議席におよばないのである。

16.しめくくり(中間)

 つまり、2017年の希望の党騒動も酷かったが、今回の中道騒動は議席的にはさらに酷かったと、古くからの支持者は受けとめていると思う。2017年の事例を長々と述べたのはそういう理由によるもので、決して懐古趣味などではない。天の時、地の利、人の和という手垢のついた教えのすべてにおいて欠けていたというのがとりあえずの感想である、

 

[ 今回の総選挙は2017年(安倍氏)総選挙の焼き直しともいえる。とくに①背景に醜聞がある ②野党再編の動きがある ③奇襲解散と超短期の選挙期間が組合わせられた ④奇襲解散を受けた野党が乱れた ⑤結果として与党の大勝に終わったなどが類似点として挙げられる。

 ただし、2017年は骨肉の争いを生んだ分裂現象であったが、2026年は楽観的融合現象であったところが異なっている。]

(つづく)

◇ 子等歩む 桜散る日の 赤芽かな

加藤敏幸