遅牛早牛
時事雑考2026年11月「反核兵器運動が甦るのか-NPT体制の矛盾と危機-」
まえがき
【◆食料品などの消費税廃止が「悲願」であったとか。それなら初めから恒久財源による恒久制度を目指したらいいじゃないですか、と言いたいところだが、ひょっとしてインフレによる大幅な税収増を見越しての「2年間限定減税」が本命だったかも。うっ、かなりの策士だな、これは。
しかし、制度として定着している消費税を手間と費用をかけて中途半端に改変しながら2年後には元に戻すというのは施策としてはとんでもない下策だと誰でも思うだろう。
そういえば、「2028年には消費税減税の延長を争点にした衆参ダブル選挙」と予想する向きも多い。他の条件において変わりがなければ「選択肢の一つ」と言える。アベ時代には、野党結集の芽を摘むために攻めの解散総選挙が強行され、2014年と2017年に限れば当時の民主党に追い打ちをかけた解散総選挙は、結果からいえば奏功し、安倍氏の長期政権の礎石を築いたと言える。
◆しかし、その一方で民主政治のあり方としては問題を残し、仕掛けられた野党側にも批判される面があったとしても、結果をみれば解散総選挙の非対称な攻撃性が際立っていた。もっとも、それも含めて「民意に委ねる」のが選挙であろう。
強い政党をさらに有利にする仕組みは、政権構造をむやみに変えることによって生じる不都合を予防する、政治における「慣性の法則」みたいなものだと理解しているが、それでも民意を越えて政権党が巨大化することの弊害も早晩出てくるだろうと予想している。現在の参議院が与党劣勢であることの価値を秋の夜長の暇潰しにしみじみと感じている。
◆たとえば政権交代に対する忌避感が事実を越えて反復連打される中で、政権交代へのリスク過敏症ともいえる政治土壌が造られたのも、その時代であった。
確かに変わることのリスクは半端なものとは言えない。しかし、変わらないことのリスクがいつも小さいとは限らない。例を引けば、今日のわが国が長期停滞状況にあることは各種統計数値の国際比較を見ても明白である。国の長期停滞と政権の長期安定とが因果関係にあるとは証明できないが、政権維持に精力を使い果たして、10年先を考える余力がなくなっているのではないかと感じている。
2026年2月の総選挙において示された民意の中に、そういった停滞感の打破を高市氏に期待した一面があったと受けとめている。変わり切れない「生煮え感」がいつも残り、どうしても現状追認に流されざるをえない政治への落胆が、逆に期待に反転し高市氏に向かったとしても不思議はないと言うのが筆者の解釈である。
◆という解釈に立てば、「議員定数の削減」が長年にわたって低迷を続けるわが国の立て直し策としての渾身の一手といえるのか、そうではないだろう。国会議員が増えても減っても、わが国の基本課題は未着手のまま残されている、それが問題なわけでこれをどう扱うのか。また参議院の議席数では国民民主党の方が価値が高いことからも、高市氏としては政策議論を国民生活に直結する課題へシフトすべき情勢と言えるのではないか。さらに、対中から始まり、ロ朝はもちろんのこと、対米でさえ油断ならない事情にあることから、何が優先されるべきかについては歴史的な判断があってしかるべきであろう。生活目線からははるかに遠い党固有の政策にこだわるから、急速に「維新は言い過ぎではないか」との声が高まりつつあるのが、直近の相場かもしれない。
◆多くの民主主義国の内政はさまざまな権力闘争の集積の上に置かれている。これは権威主義国においても同様であろう。内政の核心が権力闘争であるなら、外交がその手段と化すのは自然な流れと言える。とはいっても、内政の方法論としての外交と言い切ってしまうとこれはこれで「国を過つ」ことになる。
2026年が各国の内政に振り回される外交のピーク年だったと過去形で言うのは早計で、むしろ来年の方がひどくなる可能性があることから、油断はできない。そこは主要国の国政選挙の結果次第と思われる。
前回に引き続き核兵器の危険について触れてみた。核兵器と隣り合わせの時代が半世紀以上続き、もはや日常化している。とくに恐怖感覚のマヒが著しく、一部では核兵器の存在すら忘れ去られているように感じられる。核兵器保有のリスクについて楽観的すぎるのではないか。くわえて保有国と非保有国との間の本音の違いをもはや見過ごすことはできないと思っている。文中敬称略。】
1.疑心暗鬼の中で揺れる核保有
さて、核兵器の縮減から廃絶へと向かうべきではあるが、現下の情勢は逆向きという困った事態にある。そこで、どの国がどの程度困るのかが今日的な国際政治の核心といえる。同時に、「大事な課題ほど隠蔽される」ことから、まだまだ霧の中である。霧の中ではあるが、インド・パキスタンのケースからの連想で、安直ではあるが歴史的対立関係にある隣国間においては核保有競争が生じることを想像するのは容易であろう。当座の議論としてはいくつかの国が想定されるが、想定で終わることを願うのみである。また、独自開発が難しい国であっても、国際的な取引があれば保有は可能になるかもしれない。もちろん、国際的な監視がある中で、保有だけでは脅威とは言えない。保有宣言をしたところで国際的には失笑を買うだけで、逆に制裁を課せられると相当なダメージを受けることになる。
ところで、中東イランの核開発がホルムズ海峡問題を機に新たな危険段階にいたるリスク(たとえば国策化)がまだまだ残っていることから、周辺諸国が対抗上核保有を意識し始める惧れはある。この地域では米国の存在感がなお強いが、対イラン対応において各国がどこまで米国を信頼するのかという不確定な要素があって、少なからず揺らいでいるというのが実態ではないか。
くわえて、ウクライナ-ロシア紛争での戦術核使用が噂話であったとしても人びとの言葉にあらわれるようになると、当事国よりも周辺国のほうが不安を覚えることで、核兵器保有がそれぞれの事情において静かに浮上すると思われる。まあ、話だけに終わって欲しいと思うが。
こういった現象はおそらく跛行的に広がっていくと考えるべきであるが、現在のところNPT体制は保持されているし、イランの核施設への米軍の激しい攻撃のすさまじい映像が眼の底に残っている限り、核保有への意欲があったとしてもその実行にはブレーキがかかると思われる。
そういう意味では米軍が健在なかぎり核保有への抑止力は効くと思われる。もっとも、そのことを裏返せば米国の方針転換あるいは米軍に問題が起これば、核兵器の拡散が歯止めを失うことになる可能性が高いといえる。つまり、米国に代わり残りの核兵器国(英仏ロ中)が仕置きに走るだろうか、と考えれば「米国ほどの腕力はない」ということで、数多の議論を重ねても英仏ロ中からは、核保有を目論む国へ施設破壊のために出撃することはないと筆者は予想している。米国がやらないのにどうしてわが国がやらなければならないのか、ということであろう。
結局のところ、米国が「核拡散防止」への関心を失えば、拡散阻止のための実力部隊派遣は幻に終わるのであるから、核保有を目指す国にとっては目の前の大きな障壁がパッと消えたように感じるであろう。さらに、「北朝鮮方式」という忌まわしい事例が核拡散の歯止めを外すことにならないためには「北朝鮮方式」が失敗に終わるという結末を実現させるしかないと言える。
条約上の核兵器保有国の定義時期は1967年であるから、今日までの60年間において核軍縮は進展したのかと問われれば「不合格」と答えるしかない。だから、核軍縮の約束を守らない核兵器国に他国の核関連施設を破壊する資格があるのかという過激かつ初歩的な質問に4か国はおそらく答えに窮すると思われる。
つまり、米国以外に核拡散のストッパーは存在しないのである。とくに、中ロが口先とは違って北朝鮮の核保有に寛容であることはきわめて問題であって、このことは将来にわたって忘れてはならないことである。よく「法の支配」と言われるが、もちろんそのことに反対する理由を筆者は持たない。とはいっても「法の支配」を最終局面まで支えるためには「圧倒的な力」が必要であることは自明といえる。力を伴わない正義が正義たりうるのかといえば、それは喜劇として始まり悲劇に終わるのが通り相場であって、「法の支配」を確立するためには力の糾合が必要不可欠なのである。
忌々しいかぎりであるが、今日なお「北朝鮮方式」という核兵器にかかわる人類にとっての深刻な危機に対して、結局のところ核兵器国はリスクを引き受けなかったのであるから、NPT体制が揺らいでも仕方ないと思う。NPT体制は北朝鮮によって空洞化されつつあるが、その責任は北朝鮮と核兵器国あるいは常任理事国にあるといえる。
核兵器大国であるロ中が北朝鮮の核保有に対して曖昧な態度を取りつづけていることが、核保有には曖昧なステージがありうるとミスリードされてしまうのではないか。さらに、そのような理解がNPT体制にとってどれほどのマイナスであるのか、またそのことがどのような事態を招くのかについても、米英仏ロ中の5か国は既に核兵器を保有しているがゆえに鈍感なのであろうと推察している。ここでどんな理屈を並べてみても、現実は「北朝鮮方式」の消去が時間経過とともにますます困難になるということである。
という程に、NPT体制にとっては重大事態と言えるが、核兵器国がこぞって北朝鮮に対し積極的に核廃棄を求め厳しく迫らないかぎり、核拡散防止の歯止めが事実上機能しなくなる日が近づいているということであろう。
2.北朝鮮をイランがどのように見ているのか
確かに、米国への厳しい非難は間違ってはいない。とくに、2025年6月、2026年2月の対イラン攻撃の戦略上の位置づけ(正当性も含めて)が国際社会からは不透明で、また形式上は交渉継続中にもかかわらず、爆撃は「100%破壊した」ほどの規模であったと報道されている。しかし、結果を言えばイランの最高指導者の殺害とイランによるホルムズ海峡の閉塞という残念かつ厄介な事態を引き起こしただけであって、問題解決には繋がらなかったといえる。このあたりについては、国際世論からの非判が消えることはないと思われる。
そこで、とくに2月28日のイラン爆撃で米国として得たものは何だったのかと改めて問いを立てれば、本当のところは軍事行動の目的のあいまいさが目に余るというか、緻密さに欠けていたと思われる。とくにイラン国内の反政府勢力の蜂起とはどういう情報から導かれたのか、「イラクの大量破壊兵器」によく似た話ではないかと思う。これでは米国に対する忌避感情が強まるのもやむを得ないというか、残念なことである。
とはいっても、その忌避感情も半分は観測気球的で、観測まではする、さらに非難もする。しかし、手は出さないのであるから、言い換えれば、自らの手を汚さずに非難だけで国際社会における正義を貫くという姿勢に徹底するということであろう。ともかく、各国の忌避感情の裏側には米国とトランプ氏に対する畏怖心がへばりついているように思えるのである。
感想的で申し訳ないが、米国は手を出して、表現はどうであれ結局は行き詰っている。ここで、核問題に限定して論じるならば、イランが濃縮度の高いウランを保有しつづければ、いずれ核実験に挑戦するだろうと筆者も考えているし、おそらく北朝鮮方式を念頭においていると思われる。という推測がまちがっているということであれば、これほどの攻撃を受けてなお核資源(60%と言われている高濃縮ウラン)を守ろうとする理由が見えてこない、つまり説明がつかないではないか。
ところで、イランは爆撃によって破壊されたが、北朝鮮は免れたということについて両者の明暗を分けたのは何か。2017年1月新しく就任するトランプ氏が早々に北朝鮮の核関連施設を爆撃するのではという観測が流れたが、そうはならずに、今でも米朝蜜月と誇張して言われる中で、北朝鮮はロ朝関係を急速に軍事協力にまで引き上げている。中ロ朝の連携強化は日韓にとって看過できない事態である。はたして、米国はこの状況に無関心でいられるのか、わが国にとっても重大関心事であるが、先走った対応は避けるべきであろう。
そこで、中国が北朝鮮の核を認めるのかどうか、ロシアがどう考えるのか。両国とも表だっては認めはしないだろうが、曖昧な態度をとるのではないかという見方が増えている。
さらに、ウクライナ情勢にからみ戦術核の使用を示唆していると受けとめられかねないプーチン氏の発言などは、心理的効果を狙ったものであろうが、NPT体制からいえば条約に対する信頼性を失わせる重大なものといえる。
そこで、イランの崩壊を望まない国々が存在するかぎり、イランは存続するであろう。問題はイランにとって北朝鮮の航跡から何を読み取るのかということで、中東におけるトランプ-ネタニヤフ路線がそれぞれの国政選挙においてかなり後退するであろうことを見越して、何を仕掛けるかという段階であると思われるが、イランとしても苦しさの中でさほど選択肢が残っているとは思えない。筆者は痛々しい被害者を演じる可能性が高いと予想しているが、国民レベルで言えば「痛々しい被害者」であることは紛れもない事実といえる。
3.乱暴だったイラン爆撃ではあったが、ある種の抑止効果はある
イラン攻撃に限って言えば、一般的な政治学や戦略論からはよい評価をもらえそうもないが、当事者はすばらしい作戦であり決断であり、さらには無欠の遂行能力であったと自画自賛している。
筆者はこういうのは聞き流すことにしているし、そういった文脈には同調しない。ただ、少し視点を変えて、トランプ氏の「ケガの功名」的評価について指摘してみたい。もちろん奇矯なことであることは分かっている。
そこで、トランプ氏の言語空間はほとんど論理にかかわらない世界であるとの認識がスタートラインすなわち前提であることをまず確認しておきたい。つまり、現実はトランプ氏の言語空間が論理的でないがゆえに、核保有に対する抑止力が高まっているというのが筆者の理解なのである。どういうことか、それはトランプ政権2.0がトランプ氏の忠実な組織になりきっていることから、トランプ政権1.0のときよりも内部牽制機能すなわちブレーキの効きが悪くなっていると国際社会は受けとめている。
まったくのところ、問題によってはブレーキが無いに等しい。2025年の関税騒ぎはその事例の一つであった。ブレーキの効きが悪いダンプカーのようで、直前を走ることだけは止めたほうがよい、追突されても「前を走るのが悪い」と言って逆に弁償させられることになる。というほどに法外なことが多いので、内心核保有を模索する国々はより慎重になるであろう。
くわえて、長らく先制攻撃を禁止していた国際的な重要規範も、あるいは国連での事前決議の必要性についても、忘れている者はいないはずなのに、不思議なことに国際社会ではほぼ無視されているのである。要するに外部からの侵略を防ぐのは自国軍隊の任務であって、国際世論が盾となることは期待できないのである。つまり是非にかかわらず、外部からの侵略を受けて理不尽にも酷い目に合うことがまま起こりうるとは、全く怪しからんことではあるが、その怪しからんことが日常化しているのが現実なのである。
とにかく「えっ、まさか」と思わせるような脈絡のないランダムアタックへの防衛意識が理屈抜きで「核保有への意欲」を委縮させる効用から、「危なくって、核保有なんて冗談にも口に出せない」となるのであれば、それはそれで筆者としては少しは評価してもいい話だと思っている。もちろん、逆に「やっぱり核は要るぜ」となる危険の方が大きいかも知れないが。
さて、論理よりも直感を重視するスタイルが、トランプ政権2.0への傾向と対策とくに政権の戦略目標の解読への熱意を打ち砕いていると思われる。とりわけ、2月28日のイスラエルと組んだイラン攻撃の理由(わけ)が外部からは「見えない」というか、「分からない」のである。もともと、論理性を欠いた表現系なので「why reason?」に繋がるようには構成されていない。ほとんどが思いつきと大げさな語彙による散文のようであり、また時系列で言えば、昨日・今日・明日の時空に閉じこもっている。トランプ構文は、論理よりも感覚を重視する散文あるいは詩文に近く、聞いていて楽で心地よいだけではないか。
ということで、予見できないことが多いので対策を立てたることは「とりあえず、やめておこう」となりやすい。そういった行動パターンをもつ権力者はとてもマキャベリ的であるから、他国が綿密な作戦を立てる動機をも相当に溶解させるのであろう。さらに、過去の発言との辻褄をあわせようという気持ちがないようで、また「忘れたことは無かった」ことであるという思い切りの良さとその場限りの取り繕いの名手と言える。実に天才的であり「君臨する王」にふさわしいとマジで思っている。
これはトランプ氏を礼賛しているのではない。ただ現実を述べているだけである。理性が感情に優越しているだなんて、間違っても言ってはならない。今日の米国においては感情が主旋律を奏でていて、論理の出番はないに等しい。米国では分断の溝が深すぎて、論理的対話が成立しないのではないかと心配している。
もちろん、反インテリ気分が強く諺や名言といった修辞にたよる演説は敬遠されているのであろう。だから、ずい分と分かりやすくなったが反面訳が分からなくなったといえる。分かりやすいが訳が分からない、2016年からの12年間を後世の歴史家は何と呼ぶであろうか。とりあえず筆者としては「専制民主政治」あるいは「情動政治」と言うか、はたまた「経済貴族社会」の到来と言うべきかもしれない。
4.核兵器を保有することで安全と安心が得られるのか
さて、平等原則などの理屈を立てれば成立するはずのない条約(NPT)が、力による支配を背景に現に成立しているのである。1960年代の国際情勢へのとりあえずの現実的対応ということではあったが、次世代を担う子供たちには説得性をもたない条約であると筆者は考えている。
極端なことをいえば、NPT体制が世界の子どもたちを、核で守られている子供たちと核に晒されている子供たちとに二分しているという、まことに理不尽な差別を生んでいるのである。この差別的状況はとりあえずの方策として作られたが、おそらく世代を超えても連綿と続いていくと思われる。
もし、「(保有国であっても)核兵器の時代にあっては核兵器保有の有無にかかわらずいずれの国も完全に安全とは言えないから危険度は同じで差別はない」と主張するのであれば、それは核抑止が実態としては機能していないと主張するに等しいといえる。
しかし、今日時点で核抑止が機能していないと立証するのは困難である。とくに持っていても持っていなくとも同じだから、君たちは持たなくともいいのではないかと言った瞬間に、では全面的に廃止しようということになるが、現に保有国である国々はそれには決して賛同しないことだけは確かである。ということで、条約でいう核兵器国(保有国)と非核兵器国(非保有国)とは本質的に立場が違うといえる。すなわち、両者は構造的対立関係にある。
ということで、これほどの不平等条約は珍しく、まさに不平等の極みというべきではあるが、しかしこれ以外の現実的な核兵器拡散防止策が思いつかなかったのだから、仕方がなかったと言うべきであろう。
くわえて、廃絶を理想とする以上は「一時的にしろ保有する」ことは、規範心理からいえば後退である。また核兵器に対する根源的な抵抗感もあって、わが国などでは保有を国論としてまとめることは難しいと思われる。同時に、その難しさと同じくらいの程度で「保有しないことの不安」も語られると思われるので、いずれにせよ国論は分裂の方向にあるといえる。
とはいっても、わが国は米国という第一等の核兵器国との軍事同盟によって核保有と同程度の効果が期待される「拡大核抑止」を国防の正面に据えているのであるから、いくらNPT体制の不平等性を衝いたとしても、立脚点をいえば右足を核保有側に、左足を非保有側に乗せているのである。
ところで、核保有国が不誠実な対応を続けるのであれば早晩NPT体制への批判が強まるという主張には一定の説得性があるが、体制を変える力とはならないと思われる。つまり、批判が多少強まったからと言っても「何がどう揺らぐのか」まではリアルに説明できないのである。
しかし、NPT体制が危機に陥る前の段階においては保有国への不信が強まり、それが連鎖するであろうことは容易に想像できる上に、この不信の連鎖こそが非核兵器国が核兵器保有へむけての動機を形成する土壌になりうると考えれば、非核兵器国の協力があってはじめて核兵器国の核保有が条約上は成立するのだから、間違っても5か国に本源的な優位性が保証されていると考えてはならない、とは理想論的な言い分であるが、そのぐらい強く言わないと5か国の傲慢さは変わらないと思う。
もとから、5か国の立ち居振る舞いは日ごろにおいて、無意識にも本源的な優位性をちらつかせているように思えるが、これでは核保有による差別構造を歴史的与件であると解釈していると批判されても仕方がないであろう。
国際社会において特権国家があることの象徴が、拒否権と核兵器保有であり、これを無条件で受け入れているのは少なくとも啓蒙思想からは外れているといえる。国連憲章は啓蒙思想をベースにしてはいるものの、常任理事国という特権国家を認めたことから啓蒙思想とは剥離部分が生じ、辻褄があわなくなっている。1945年の情勢を言えば拒否権なしに国連の発足は難しかったことは事実である。しかし、2026年の今日をいえば拒否権のあるかぎり国連に期待することはさらに難しいと言える。
5.核兵器保有の理屈は「相手が保有する(惧れ)」からが多い
筆者は、核について保有に走ることも、非保有を維持することも、いずれも政策的評価ができない、またその立証が難しいことから、おそらく議論は進まず結論が得られることはないと考えている。理屈では答えが出ないのである。
ただし、近隣国との歴史的経緯などが国民の情動に影響を与えている場合には、核兵器保有の議論に特別な条件付けがなされていると考えるべきであり、仮に国民の中で過半の人びとが気にかけなくとも、いく割かの人びとがそういった歴史的な特別な感情を脇に置くことによって、「対抗上やむをえない核保有」に転化されていく免罪的な経路を提供することになると思われる。
核保有国のほとんどが「対抗的核保有」という理屈を心理的な自己弁護に使っているから、どの国も他国に先駆けて核兵器の廃絶はやらないと思う。他国の廃絶が完全確実に確認できた場合にのみ、自国の核兵器の廃絶にとりかかるというスタンスを変えない限り、核廃絶は永遠に実現することはないと思う。
この議論は、そのような近隣国に対する険悪な情動の存在が仮に観測できたとしても、そのことと核保有とは本来無関係なので、これ以上議論を前に進めることはない。
ともかく、政治家や政党にとっては近隣国との関係はまま扇動的な大道具といえるが、近隣国との歴史経緯が持ちだされる局面では、えてして内政上の事情が隠されていることが多い。内政上の事情と言ってもさまざまであるから、このあたりについては有権者は注意深く為政者(政治家)の意図を測る必要がある。隣国との関係悪化は形を変えて人びとの不利益となって跳ね返ってくることが多いと言える。
こういった「対抗勢力(対抗国)が保有するのであればわれわれも保有しなければならない」といった単純な動機や情動が、国民的合意を形成していく過程においては、一部の政治家に「大衆の声」として悪用されるのが常である。また、「大衆の声」を政治家が良いの悪いのと注文をつけながらコントロールすることができるのかと言えば、筆者の結論は否定的であって、とくに選挙を前にした政治家はほぼ迎合的に振舞うことが多いので、聞く側の期待に沿って「大衆の声」を「それは正しいが、実態はもっと酷い」と増幅伸長することが多いのである。演説を重ねるごとに話が膨らんでいくケースが多いと感じている。
この場合、政治家が迎合的に振舞うというのは、ただ大衆の意向に流されるということではなく、流れをさらに加速することであり、具体的には聞いた話を一層大袈裟にあるいはデフォルメする傾向が強いのである。そうでなければ、あえて迎合的と言う必要はないと言える。事実の部分曲解から始まり、さらに加飾反復しながら、迎合した事項の影響を拡大してこそ迎合的と言えるのである。こういった場面では、同じレベルや同じトーンでのおうむ返しは普通のことである。分かりやすくいえば、大衆の期待に乗って(話を)盛らなければ大衆の関心を持続させられないのである。だからリップサービスとか憶測話あるいは虚偽の生成や誹謗中傷に繋がるわけで、政治家の失言のほとんどがこのタイプである。
6.迎合性は民主政治の本質なのか、為政者はどこかで大衆に媚びるものである
同様に、たとえば政治家の反戦平和に関連する言辞にもそういう傾向が見られる。反戦運動を主導しているわけでもなく、また政権を担当する立場からの物言いではないことから、目の前の集団の「ものの見方、考え方」にうまく同調する傾向が出てくるのは左派系政治家の性癖といえるかもしれない。厳しいようだが、米国による揺るがぬ安全保障体制下でこそ「反米反戦運動」の場が与えられたのであって、現在のように米国が内を向き国際機関が機能しなくなった事態において、複数の核保有国を隣国に抱えるわが国で「反米反戦運動」が広く支持される理由はないと考えている。
ということで、右左の区別なく選挙があるから大衆迎合が意味をもつのであり、さらによく踏み外すということである。
この迎合競争でもっとも気をつけなければならないところは、ひとたび生じた「情動の波(感情の嵐)」を後から理屈で抑制することは難しいという点であろう。
たとえば消費税減税を煽った者が、煽りの結果生じた「情動の波」を後から財源を理由に消波することができるのかと言えば「できない相談である」というのが一般的な事情と言える。高市政権の今日を言えば、財源の議論がどうなろうとも提案を取り下げることは無理であろう。もっとも、政治家としての悲願であるのならそもそも期限をつけることが不思議なことであって、今回の消費税減税は、総理自ら発案し主導しているように見えてはいるが、もちろんそうなのであるが、一方でどことなく流れに乗っかっている風情が感じられるのである。とくに、財源問題はどちらの言い分にも理屈があると言えるもので、従来からインフレ効果が最大限に膨らむのが税収増ということであるから、恒久財源という意味では無理があるとしても、期間限定であれば調達できる可能性は高いと思われる。
そこで議論が、わが国のインフレと景気後退の同時進行あるいは世界規模での景気後退や国債の値下がりが政権にとっての伏兵になるのではといった将来予測に向くと予想される。さらに、野党の足場が難しいのは、財政規律やその関連事項が選挙の争点にはなりにくいということであり、仮に正論であっても得票的ではないということであろう。
2年限定利用の運河の開削が合理的な政策とは思えないが、そうなることの原因は、民主的にやればやるほど迎合性が高まり政策の効率性が脱落するということであろうか、少し言い過ぎではあるが。
開削した運河を再び埋め直す時のことを考えれば何をかいわんや、である。
このように政策論争のようで、そのじつ選挙戦略としての様相が強まっているのが今世紀(2000年代)に入ってからの政策論争の特徴と言える。
ここでは民主政治にひそむ迎合性に触れたが、権威主義国と言われているたとえばロシアにしても中国にしても筆者にはずい分と迎合的に映るのである。両国とも民意に対しては神経質なぐらい気にしているのである。プーチン氏も習氏も大衆の情動が最高権力者の死命を決すると考えているからこそ、厳しい監視網を築いたのであろう。正当な選挙で選ばれていないという弱点が権力者の脆弱性の原点と言えるかも。この点、高市氏は支持率を気にはするが、民意には案外と冷淡である。選挙が氏を守っているのであろうか。
一見強そうに見える専制的権力者が状況によっては迎合的な意思決定をする確率が決して低くはないと考えている。もともと迎合プロセスは単純で、たとえば「偉大な指導者だ」と大衆に認めて欲しいがために「なんでもできる」ことを見せたい衝動を抑えきれずに、何となく核の封印を破るかもしれない。ということになれば、何重もの安全装置があるといわれても、それだけでは安心はできないと言いたいだけである。
7.核保有国の国民は「核兵器保有」は必要であり、誇らしいことだと思っているのか?
さて本論に帰って、今日における問題は「核保有こそが優れた国(常任理事国)の証であり核保有は誇らしいことだ、とは公的な場でも教育の場でも語られることはない」はずなのに、現状は核廃絶はもとより核軍縮についてさえ情勢はひどく後退している、ことであろう。
核軍縮意識の後退は現状放置を意味するから、事故も含め核兵器による危険は思いのほか高まると考えられる。残念なのは、そういった危険な状況に置かれているのに、5か国の危機回避力が果たしてうまく発揮されるのかという低確率ではあるが起こればシリアスな事態への不安を消しえないことであり、世界レベルでの核兵器にかかわる信頼性が数段低下していることである。
そこで5カ国政府ではなく、5か国の人びとに対して、「核軍縮」「不拡散」「平和利用」の3点がNPT体制の柱であるのに「あなた方は誠実な核軍縮への取り組みを怠っているのではないか」という疑問を投げかけたくなる。というのは、5か国の政府においては安全保障上の観点から消極的にならざるを得ない事情もあるだろうと百歩譲った上で、しかし国民までもがNPTの約束である核軍縮を無視するということであれば、少なくともNPTの不平等性についての考え方を非核兵器国の人びとに対して釈明すべきではないか。さらに「核兵器に対する基本姿勢」を改めて問いかけたいのである。21世紀にはいって四半世紀という年月を過ごす中でNPT体制がひどく後退している現状は決して受け入れないものである。
そこで、核兵器国の国民でありながら「政府の責任」ということで核兵器保有の倫理的責任から逃げるのであれば、政府間ではなく国民間にこそ本質的な立場の違いが現れているということで、その点にこそNPT体制の真の課題があるということではないか、というのが筆者の視点である。NPT体制外のインド・パキスタンの国民が自国の核保有についてどのように考えているのか。この点は核軍縮を進めるうえで重要な視点であると思う。
8.核兵器国と非核兵器国、国民レベルでの対話が可能か?
一般論として、核保有が核の脅威にたいする防波堤の役割をはたしていると考えるのであれば、NPT体制における非核兵器国の核への防波堤は一体どのように考えればいいのかが問われることになる。
もっとも同盟関係で対抗する拡大核抑止があるが、そういう方法を地球規模で進めることが正しい選択であるのかについては直接否定はしないが、冷静に判断すべきである。つまり、すべての非核兵器国がいわゆる核の傘に入ることは現実的とは言えない。また、そういう道は核兵器に居場所を与えるようで、廃絶を目指す立場からはとても気持ちの悪いことであろう。
NPTはもともとが典型的な不平等条約であり、それを承知のうえで作りあげたNPT体制であるから、ところどころに矛盾が出てきてもやむをえないといえる。それでも、時間をかけて多くの課題を解消していくことが重要なコンセンサスであったと受けとめている。しかし、それにしても5か国がこぞって核軍縮に不熱心というのは本性が現れたというか、それとも欺瞞というべきなのか、大変残念なことである。これでは5か国が率先してNPT体制にたいする異端者になってしまうから、核兵器問題の解決は日々遠ざかっていく感じである。
それ以上に個人的に納得できないのは、たとえば保有国(条約では核兵器国という)の国民が「核(抑止力)があってよかった」あるいは「保有国が増えなくて安心だ」という考えを隠し持っているのではないか、という点である。そうであれば、保有国と非保有国にまたがる差別感覚というべきで、それが深刻であるのは、かつての欧州には自由、平等、人権をめぐる輝かしい争いがあった、しかし植民地支配は別の理屈で正当化されたことから、二重基準として非難されたが、それに近いと感じている。
また、核兵器はいずれは廃棄されなければならない存在ではあるが、今がその時かと問われれば、保有国サイドとしては「そうではない」と答えるであろう。もちろん、その強気の姿勢は事故を含め次の核爆発が起こるまでの期限付きであって、たとえば悪意あるサーバー攻撃による陽動が厳重な核兵器管理の壁を破り、核兵器システムを起動させる可能性がゼロとは言えないのであれば、従来からの「核兵器を保有して当然」という態度は改めざるをえないのではないか、という意味での期限付きなのである。言い換えれば、ひどい事態が起こらないかぎり核保有国の態度は変わらないということである。
だから、主権国家を中心とする国際社会が核爆発をともなう事態が起こる前に、核軍縮などの問題解決ができるのかについてはきわめて悲観的と言える。現時点では、核保有の差別性を声高に唱える論調には座るべき椅子がなく、それとは別に通常兵器によるウクライナやイランあるいは中東ガザ地区への攻撃と反撃が断続的に行われているが、現地の状況は悲惨である。
今なお核兵器が必要な理由については、政府間ではすでに議論が膠着しているので、これからはむしろ主権者レベルでの対話が状況打開のきっかけになるのではないか。と、恰好をつけて言ってみても、権威主義国の国民とはいかなる対話が可能なのか、と考えただけでも途方に暮れる。
日暮れて道遠し。核廃絶と核軍縮、いずれも困難な状況にあるが諦めることはできない。
-了-
加藤敏幸
【遅牛早牛】バックナンバー
- 【】時事雑考2026年11月「反核兵器運動が甦るのか-NPT体制の矛盾と危機-」
- 【】時事雑考「2026年10月 民主主義の危機-民主政治と核兵器保有、核兵器への憎悪と依存-①」
- 【】時事雑考「2026年8月-民主主義が危機なのは啓蒙思想のおよばない国があるから-③核拡散防止条約(NPT)界隈のため口」
- 【】時事雑考「2026年6月-民主主義が危機なのは啓蒙思想がおよばない国があるから-②」
- 【】時事雑考「2026年6月-民主主義の危機は啓蒙思想のおよばない国が多いから-①」
- 【】時事寸評「2026年5月の政局-行先不明のトランプ外交と宿題山積の高市内政-②」
- 【】時事寸評「2026年5月の政局-行先不明のトランプ外交と宿題山積の高市内政-」
- 【】時事寸評「2026年4月の政局-変化する世界と政党の閉塞-」
- 【】時事雑考「総選挙を終えて-いくつかの感想-②」
- 【】時事雑考「あの総選挙からひと月余-これは悪夢ではない現実だ-①」