研究会抄録

ウェブ鼎談シリーズ(第1回)「労働運動の昨日今日明日ー産別運動の現場からー」

講師:大福真由美氏、西原浩一郎氏

場所:電機連合会館4階

「政治と労働の接点」という視野において、特に労働サイドから労働運動の歴史を反芻し、今日時点での評価を議論する。たとえば連合結成30年を前に、統一運動の到達点であった官民統一が労働運動全体に与えた効果、あるいは未達成項目など、労働現場からの視点、産別運動からの視点、労働行政の視点から改めて振り返る。 連合結成からもうすぐ30年。組合員の多くは連合結成以降の加入者である。したがって彼ら彼女らの多くは労働四団体時代の記憶を持たない。またこの30年間の日本経済の変貌は著しく、特に経済のグローバル化は国内の産業立地や雇用構造を大きく変え、国内労使関係では解決策を見いだせない、極論すれば「対応不能」課題を多く生み出したと言える。企業別労使においては企業存続が、産業別労使においては産業政策が、中央レベルにおいては福祉政策を含め所得再配分政策が俎上に挙げられたが、政治との距離感が大きく変遷する中で議論は活発ではあったが、大きく結実するには至らなかったと言える。それぞれの役割の再整理についての議論が必要である。 また今日団塊の世代が古希を迎え、世代交代の流れが加速されており、経験知の喪失が懸念されている。経験知の継承は可能なのか。またその方法について忌憚のない意見交換が必要である。 加えて国際労働運動についての日本の報道機関の関心は極めて低い状況下で、この課題をどう喧伝していくのか。来年は国際労働機関(ILO)設立100週年である。国際労働組織がさまざまな課題に対し解決機関になりうるのか、日本の労働現場から同様な議論ができるのか。など自由闊達を胸に斯界のベテラン諸氏に語っていただく、ウェブ鼎談シリーズを複数回計画した。(インタビュー形式、文責研究会事務局)
20180302104619-368bc97bcab264a7ae2894f67bc64d2732df3735.jpg

一の橋政策研究会ウェブ鼎談(第1回)

大福真由美氏・西原浩一郎氏

2018年1月29日

【加藤】  本日はお集まりいただきありがとうございます。研究会のウェブ鼎談シリーズとして、第一線を退かれて、しかしいろいろと役割を持ってご活躍されている方々に、過去、現在、未来と、こういう時間軸の中で過去、昨日を振り返りながら、今日を語り、そして明日を望むということでお話をいただきたい。テーマは、それぞれ経験されたことだとか、労働運動、政治、社会、また、国際労働運動も含めて、お願いしたいと思います。

 それでは、西原さんお願いします。

「顔あわせ、心あわせ、力あわせ」をめざして

【西原】  私も、全民労協で民間連合結成までの1年間、山田精吾事務局長のもとで加藤さんと一緒に仕事をして、官民統一はその2年後ですが、民間連合結成までの1年間の経験の中で、当時の幹部の思いとしてあったのは、働く人の生活の質的向上をどのように達成していくのか。政策制度を前面に出す、いわゆる力と政策というベースの中で、勤労者の生活ということが一つキーワードになっていたと感じます。その中で、そうは言っても、それぞれの理念、考え方に基づいてやってきた4団体時代の、それぞれの考えや組織・活動を一つにまとめていく。顔合わせからスタートして、心合わせ、力合わせ、それが今どこまでいったのかというと、もちろん顔合わせはすぐにできるのですが、心合わせのところには間違いなく踏み込んだと思いますけども、真の意味の力合わせまでいったかというと、そこまでは到達してない部分があるという感じはします。

不十分な社会運動の分野

 確かに環境変化は、それまでもそうですけど、この30年間もすさまじく、ここまでの状況というのは、それぞれの時代ごとの課題が変化する中で、連合として統一感を持った活動、運動へと努力してきたことは間違いないし、一定の成果をあげてきたと思いますが、時代の中でやはり後手に回った部分とか、それは一つ大きいのは、社会運動的な面という、社会的な課題に対しての対応という部分でいくと、産別中心、あるいは企業別労働組合の運動という志向の中での活動推進のほうがどうしても前に出る中で、もう一つ横串を刺すような運動というものが部分的なところにとどまったと、自己反省を含めて、そんな感じがします。

 漠とした話ですが、特にこれからを考えたときに、もうこれだけ少子化なり、高齢化が進んでいく中で、働く環境が大きく変わってきているし、いわゆるAI(人工知能)も含めて、これから技術革新的な部分と働き方との整合性というものをどういう形で考えていくのかという部分、ドイツとか、北欧も含めてそういった海外の状況をみても、労働運動が少し先取り的な形で政策提言するという形ができているかというと、まだまだ国際的にも、あるいは組合員との関係でいっても、我々の発信力として、そういったところの問題提起が発信し切れていない、と思いますね。

異なる立場の政策の集約は難しい

 政策の部分でいくと、憲法問題もそうですが、私が、連合の政策委員長をやっていたときに、4団体時代以来くすぶっていた問題として原発問題があって、政策委員長という立場で一つだけやろうと思ったのは、原発政策については、連合としてより具体的なところに踏み込もうということでやりました。官民の中でも相当意見が分かれていましたが、相当時間をかけてそれぞれの考え方、思いというのを全部吐き出す形で、相当論議もしながら、ようやく一つにまとめたのですが、まとめた後、東日本大震災、あれで、結果的にその政策というのは棚上げという形になりました。多分これから現役が直面してくるのは、例えば憲法問題にしろ、安全保障の問題になってくると、官民さまざまな声がある中で、どういった形で論議を収斂させていくか。なかなかこれ、収斂って難しいのですが、どういう幅の中で提言するか。

 一つ言えるのは、政策というのは、一つにまとめるということを強引にやると、結果的には、特に大きな課題だと、これはもう国民的議論を注視しながら、連合として対応しようという話で、まとめざるを得なくなる、議論を止めざるを得ない。ですから、多分働く者を代表して、あるいは生活者を代表していくとなると、連合の中にどんな論議があって、どういう政策があるのかということを社会に提示する、発信する。その中で国民の皆さんの議論に資する、ある面、職場も含めてそのことが社会全体に発信できるような、そういう機能に止どまってもいいのかなと。その中での選択というのは、国民、個々人の主体的なものに任せる。ですから、あまり無理にまとめるとか、収斂させるというのは、これはもう今の時代にはなかなか合わないかもしれない。

 ただ、経験知とか、それぞれの持っている論議の経過とか、そういったところは率直に言えるような、そういった形までいくかというと、そこもまだ十分踏み込めない部分があると思うわけで、その辺が大きな課題かなと。組織率にしろ、労働組合自身の存在感というのが、正直言って悪化してきている。これは一時期とは言いながらも、一端を担った私の反省も含めて、それはちょっと率直に言わざるを得ないなという感がします。

 【加藤】  多岐にわたる問題提起もあったと思いますし、特に、原発政策のあたりについては、もう少し詳しくお伺いしたいと思います。とりあえず、ここで大福さんにお願いいたします。

成熟した連合運動、反面サラリーマン化?

【大福】  私は、1994年に産別電機連合に出てきましたので、加藤さんや西原さんのように、連合というものの草創期からのかかわりということではなくて、ある程度初期の軌道に乗った状態での、連合の存在感という姿を見ることになりました。産別役員の立場で連合へ行きますと、さまざまな政策をほんとうに広範囲にやっていて、しかも、相当高いレベルでもあり、さすが官民統一の成果かなというふうに当時思っていました。

 そして、今日約30年を経た今、改めて連合という組織をふり返り見てみると、誰に寄り添ってこの組織が歩んできたのかという点で、当初の燃えていた意気込みに比べ、やや語弊があるかもしれませんが、サラリーマン的になったというか、いかなる責任認識のもとで活動しているのかはっきりしないというか、しっかりと働く人々を守るという、そもそもの立ち位置への思いが発信できてないというような状況に陥っているそんな感じがしますね。

【加藤】  90年代半ば頃と今日的な存在への変遷の見方ですね。

【大福】  はい。そんな見方ではありますが、やはり、連合はよりよい方向へと多くの働く弱い立場の人たちを救っていくというか、導いていくよすがとなるべきことは言うまでもありません。で、労働組合としての矜持をもつべき、その代表たる連合は改めてその役割を認識し、与えられた役目柄を果たしていかなければならないと思います。

 そこで、何が問題なのかという点にふれておきたいと思います。先ほどサラリーマン的と言ったのは、プロパーの人たちも含めて非常に高学歴の人が連合の中で、政策づくりに集約して活動していますが、ほんとうに自分たちで突き詰めて政策をつくっているのかというと、ちょっと懸念があるのです。それは、各省庁にまたがる広範な政策を各省庁の手の上で踊らされているのか、自分たちの手の上で各省庁との政策論議をやっているのかという点で、どっちかといえば、どうも各省庁の手の上に乗らされて、出される政策に、ある種のエンドースメントを与えるというような役割になってないかということです。ちょっと言い過ぎかもしれませんが、労働団体として働く側の立場から、この政策とこの政策は何が何でもやるというような気迫がどうも感じられないのです。

 確かに、お役人の方がたくさんいて、しかも、優秀な人たちが練り上げてくる政策は多く、それに全部対応することは、労働側として土台無理なことなのです。そうであればこそ、働く人たちにとって大事なここぞと思うところをキチッとにらんでいける能力というか、知見というか、そういったものを担当する人たちが持っていかなければならないということです。そのためには結局構成している産別役員のみなさんの知見レベルや能力レベルというのを上げていかなければならないということに行き着きます。改めて連合総体として自分たちの手のうちで政策をたたき上げて、それを実現までもっていくためのプロセスを再構築していかないと、働く人たちに寄り添うという言葉の実態が出てこないのではないかと感じます。ひどく辛口でもしかすると的はずれかもしれませんが、30年近くたった今、もう一度きちっとそのことを考えていく時ではないかと私は期待しています。

 政策づくりで、今一つ大事な点を提起しておきたいと思います。それは、歴史認識と構想力の大切さということです。歴史認識といえば言葉はかたいですが、要は将来に向けた政策策定には、今と過去の認識が欠かせないということです。つまり「そもそも」を総括しなければ、新たなものに命は吹き込めない、これが歴史認識ということだと思います。こうして「そもそも」を掘りおこし、現状を分析し、将来を考えるということこそ構想力とかマネッジメント力ということになるのだと思います。従って、そこのところは、連合の幹部の皆さん方に問われるところだと思います。産別役員の皆さんが片足を連合という桶に入れ、片足を自分の産別のほうにおいて、いざとなったら、さっと足抜けをはかるような対応はないと思いますが、改めて連合という固まりで統一して取り組んでいく重要性を認識し、やり切るだけの知見と実行力を持っていただきたいと思います。

組織論から整理が必要と思うが、議論が不足している

 ちょっと飛びますが、産別と連合という関係性の中での連合の組織論について考えてみる必要が生じます。今、例えばUAゼンセンさんのように複合産別的にやっているところがあり、一方で単一産別での加盟があり、連合の構成組織のあり方も考えていかなければならないと思います。例えば金属だけで考えたら、90年代後半に大金属構想というのがあって、ひとつにまとまっていこうという考えが出されました。しかし、電機が先頭に立ってノー(No)といった経緯がありましたが、時代環境が大きく変化した今日、改めて大産別で構成する連合のあり方も模索する時期にきているかもしれません。

 しかし、そんなことはどうも構想したり、論議したりしている気配はないようです。こうした考えを仮に実現しようとしても、おそらく10年くらいかかるでしょう。形がどうあるにせよ、こうした新たな連合組織のあり方について、ふだんに、そして今から産別の役員の皆さんたちは取り組んでいく問題認識を持ってもらいたいものです。結成30年を前にしての統一連合に対するこれも私のあつい思いです。

労働運動をけん引する責任層は

【加藤】  なるほど。お話の中に連合幹部に対する期待もありましたが、ここでイメージをクリアにする意味で、連合幹部というのは、産別に籍があり連合本部に派遣されている方ですから、局長とか、総合局長とか、事務局長、もちろん三役の皆さんという意味が一つと。それから、もう一つは、当然のことながら、連合本部を構成する副会長は、産別の責任者でしょうから、この人たちも入ってくるし、イメージとしてはその辺のところを含めた方々ということでいいわけですね。

【大福】  司つかさに応じてその必要性があると思うのですが、今、大事なのは、副会長の皆さん方がどこまできちっとした認識を持つかというところにあると思います。

【加藤】  なるほど。

【大福】  やや具体的にいいますと、例えば連合にかかわる団体、労金もあれば、全労済もあればいろいろありますが、連合での役目柄はともかく、そこには副会長さんが理事として名を連ねています。

【加藤】  毎回同じ人がなっている。

【大福】  はい。連ねているわけです。そこでほんとうの論議というか、核心をついた論議がされているかというと、言い過ぎかもしれませんが、賛成議員でしかなく、事の本質をついて改革していくということに対する力が弱いと思います。誰がそれを考えるのかといったら、結局プロパーの人たちが考えたものを俎上に出して、いいですねと言っている姿であり、今の国会の論議と一緒じゃないかなと思ったりしてしまいます。安定した世の中のときはいいけれど、いったん何かがおこりそうなエポック、潮目と言ったらいいのでしょうか、この潮目を逃しちゃいけないのが、副会長さんを頂点とする、そこを担当する役割の人たちの責任、知見というのはすごく問われるなと思うのです。

力あわせに向けて今何が必要か

【加藤】  それで、今、大福さんからいただいた話を、今度は西原さんのほうに返しますが、顔合わせ、心合わせ、力合わせと、確かにその言葉がずいぶん連合では使われ、私はいい言葉だと思うし、私も使ってきました。先ほどのお話で西原さんのご指摘は、この力合わせという部分がどう見ても未完成というのか、未完成という言い方がまずければ、まだまだ開発途上であって、だから、この力合わせとは具体的にどんな状態になったら、一応力合わせができたということになるのかという、むしろそこのイメージのすり合わせすら、あまりできてなかったのではないかというご指摘については、私もそう言われると、この中では連合に一番足を突っ込んだ立場ですから、これは確かに痛いご指摘かなと思います。でそこのところを少し、西原さんも大金属の運動を背負って長い間主導的な立場で活躍されましたので、その運動などに照らしながら、今の話をもう少し進めていただきたいと思いますが。

【西原】  今の加藤さんの提起と、大福さんの話を聞いて思うのは、日本の労働組合は基本的にナショナルセンター連合、産業別組織、いわゆる企業別労働組合の三重構造です。もちろん労連あるいは企業連が絡みますが、基本は三重構造。で、本来であれば、その中で政策問題にしろ、例えば春闘での産別としての交渉なり、あるいは単組での個別の協議交渉にしろ、さまざまな役割分担の中で労働運動というのは成り立っていますが、ここの整理というのがまだついてないと思います。でそれが、大福さんが言われたことで、これは連合本部だけの責任というよりも、産別の責任もあるし、企業別労働組合の問題もある。結局政策といっても、ほんとうに実のなる形で、組合員がそれに参加する。例えば集会やるにしても、さまざまな政策上の、例えば署名集めにしろ、何らかのかかわりを持つ形での、そして理解を深めるとか。それが、ほんとうに十分できていたか。それがワンボイスというか、一つの方向に向いてできたかというところに、腹くくってやっているかという疑問が残ります。

 産別の役割でいくと、金属の関係で見ても、実はJC議長のときに、いわゆる特定最賃の問題と、それから、例えば春闘で集中回答日にJCでホワイトボードに書いて、それがある面非常に象徴的な春闘の風物詩ですが、あれを実は連合にもっていこうとしたのですが、逆に連合から断られる。要するに金属だけというわけにいかないと。だけど、要するに、いわゆるメディアからの発信というのは、あの日のJCのホワイトボードに書くというのは一つの象徴的な春闘のイベントでして、それを、本来であれば部門別連絡会にして、連合金属部門として連合の中でやるという形で、結果的には、ホワイトボードに書くというのは連合が個別にやるという形で結局整理がつきましたが、本来であれば、JCの役割にしろ、ほんとうはJCも活動を、国際労働運動の部分と、金属固有の政策というところにもう少し集約をして連合との役割分担を整理したい。

 で、本来ほかの部門も多分連合との関係でいろいろあると思うのです。そういったところの踏み込んだ論議というところになってくると、それぞれのセクターごとの考え方とか、その思いとか、理念というところがまだほんとうに腹を割ってそこまで踏み込んで論議するところまでいっていない。だからそういう面では、責任と役割という部分の自覚が、それぞれの単位でどこまでできているのかというところで、もう一皮むけない。どうすればいいのかというのは私もそこまでの知恵はありませんが、もう一歩踏み込んで論議していく必要があるなという感じがします。

 それと、ナショナルセンターとして、従来、4団体時代以上にさまざまな政策に対して連合がナショナルセンターの重みを受けとめて、ありとあらゆる発信と参加、審議会での対応にしろ、それこそ、世の中に何か起こったというと、事務局長談話などをぼんぼん発信しながら、もうこれは中執会議の資料を見たって、多分全部読み込める人なんていないぐらいのボリュームで、それだけのある面役割の重さはあると思いますが、ではそこまでの役割を期待されているのかという話になってくると、もっと活動自体も集約的な部分で、もちろん生活者という話になると、一気に範囲が広がって、働くという場だけじゃなくて、ありとあらゆる生活分野という話になり、それに対する政策という話になると、これはもう正直相当プロ化しなければいけないということで、職場との乖離というか、職場に落とし切れない。そうなると、ほんとうの力にはつながっていかない部分が出るかなという感じが率直にします。

労働条件改善における連合の役割

【加藤】  なるほど、力合わせの前に整理すべき事柄がまだまだたくさん残っているし、その整理ができないと、本格的な力合わせということもなかなか進められないのではないかというご指摘もあったと思います。

 先ほど思い出しましたが、1987年民間連合を結成し、89年官民の統一ということですが、最初の民間時代に連合と産別との役割整理を「労働条件は産別自決」、自ら決する。では連合は何をするのかというと、「政策制度課題は連合の責任」としました。つまり発足当初から、例えば協約単位で締結する賃金を中心とした労働条件に連合本部がかかわってくるということについては、もともと無理な部分があったと思います。

 私も、労働政策局長をやりました。そのときにマスメディアは、ある意味何でもかんでも連合本部ということで、期待感の空回りがありましたが、それを連合本部は払いのけるつもりでしたが、そこはメディアのほうが一言いってくださいということで、労働条件も連合会長がリーダーシップを持っているというイメージがつくり上げられてきて、その極みが、安倍首相が経団連会長と連合会長に賃上げよろしくという、これは私にしたら、ちょっとちんぷんかんぷんというのか、何か方向が違うのではないかと思います。

【西原】  おっしゃるとおり。

【加藤】  当然労働条件は、要するに協約締結単位であるし、少し広げても、産別までの取り組みというのが的確な認識ではないかと思います。そこで、西原さんのお話を聞いていると、連合本部も不本意ではあるが社会的に、あるいはメディアから求められている役割と現実とのギャップにある種悩みもあったのではないかなと思って申し上げました。

【西原】  おっしゃるとおりです。

【加藤】  それを解決せずに、まあ、ずるずるとは言いませんが、何となく年を重ねてきて、今日、むしろ社会的役割を問われるということになって、案外連合本部の立場でいうと、政党との関係も含めて何となく宙ぶらりんになっているような部分があり、多少気の毒だなという気はしますね。

産別の責任、連合の調整

【西原】  そうですね。私が連合の副会長、JC議長のときに、そのときも連合に対するそういった、ある面、メディアだけじゃなくて、社会からの見方がある中で、労働条件というのは、基本的に、加藤さんが言われたように産別の責任、連合の調整。だけれども、連合として要求基準を出すかどうかということで、三役会議でも相当議論になって、結果として、そもそも政策制度の部分と労働条件のところの整理に基づいてやるべきで、現実にその労働条件の最後は責任持てるのか、連合として。これはもう産別のという形で落ちつきましたが、そういう論議というのは内部でもまだすっきりしない部分で残っていまして、ナショナルセンターへの見方というか、そことの関係で、まあ連合も苦しんできたことは間違いないという気がします。

【加藤】  そうですね。安倍首相の出現によって、社会的に連合に強く要求するというのが後追いで追いかけてきた、ちょっとやめてほしいというのに、追いつかれそうになって、なかなかこの矛盾というのは、30年を迎えた連合にとっても、今後重荷になるのではないかなという気がします。

「春闘はもう曲がったよ、これからは総合闘争だ」

【西原】  しますね。経団連も同じ立場です。経団連会長が言ったから、経営側がそれに応えるかといったら、そういうことができるわけがない。

【大福】  ところが、私なんかの認識だと、笹森さんが改めて連合の役割について言われたときに、いわゆる春闘はもう曲がったよと。道を曲がって、これからは総合闘争だという言い方をされました。でも、その後、また連合は中小に軸足を移すように、賃金のことについてやや具体的にかかわりを提示するようになってきています。曲がったというその方向がちょっと揺れているというか、連合のスタンスを改めて考えてみる必要があるのではないかと思います。少し大胆ないい方ですが、毎年毎年、賃金改定を求める、ベアだとずうっと言い続ける、そうした長い期間やってきたやり方にメスを入れていくという議論にも着手していくことを考えていく時期にきているのではないかと。

【加藤】  具体的に連合会長の名前が出ましたが、たしか笹森会長時代に中坊さん、何か連合......。

【西原】  ええ、連合評価委員会ですね。

【加藤】  評価委員会。

【大福】  評価委員会。

【西原】  評価委員会答申。

【加藤】  答申としては相当大胆な提起がされて、今、大福さんが言われたことの議論でいうと、いわゆるそういう労働条件、賃金を中心とした労働条件については、ある種の卒業感というのはあの当時あったかと思います。それはそれで正しかったのですが、ただ、私、今日的に少し振り返ってみて、そうは言いつつも、例えば連合組合員の、いわゆる平均所得、これは1年間の年収で表示しているのも、下がってきましたよね。

【西原】  特に97年から下がっています。

【加藤】  97年から、これはもう全体傾向としても下がってきて、実は卒業したはずの賃金が下がっていて、これ赤点ではないかという、卒業資格ないのではないかという状況に入って、特に安倍首相は持続可能な、いわゆる成長スパイラルに日本経済が入れない理由として労使の賃上げ努力が足りないという、少し方向が違うと思いますが、責任転嫁的な、しかし、それは雇用者所得が下がっているという、マクロ経済からくる問題意識であって、だから、個別の賃金決定だとか、例えばトヨタの賃金をまだ上げるのかとかいう議論と、日本全体として雇用者所得をどう底上げしていくのか、この改善ということと、ちょっとジャンルの違うテーマが何か混在していることが問題をややこしくしているのではないかという気がして、だから、マクロ経済で雇用者所得を上げるという努力は当然やるべきだけども、それを最後は企業別の労使交渉に求めても、これは経団連も、少し姿勢が弱いと思いますが、それはもう別のことであって、もっと違った方式で雇用者所得を改善する政策、例えばベーシック・インカムとか、あるいは最低賃金だとかということを含めて、むしろ政策制度課題としての雇用者所得の改善というふうに問題のつくり方を変えれば、これは連合本部の役割としては復活するのではないかという感想を持っているのですが。

【大福】  全く同感ですね。

理解されてない政労の役割

【西原】  最初に安倍政権ができたころ、私、JC議長の最後のときで、すこし記者会見で言ったのは、これ、政府の役割と民間が責任持つ部分と完全に政府は理解していないという話をして、政府がやるべきは、まず最賃。あとは、非正規を重視した労働政策のところを含めて、いわゆる所得が上がるような環境改善の部分を、非正規、中小、そういったところへ特化すべきで、我々が個別に自律的にできるようなところまでは、これは我々の責任でやるにしても、政府の役割と労働組合の役割というところ、全く理解しないし、混同しているという話で、ご指摘のとおりだと思います。

【加藤】  いや、私どもOB会として、そういう一致点があるということは、共通体験の中でそういう整理があると思いますが。

【大福】  賃金でいうと、曲がりなりにも成長を果たしているときの方程式としては、連合のような大きな組合が加盟しているところがリーディングセクターでいけば、それが動くことによって波及効果を及ぼすという、その方程式が成り立っていたと思います。しかし、だんだんその賃金も年功制が薄れて、付加価値の問題だとか、成果の問題だとかいうふうになったときに、ややフラット化していく賃金カーブになっていて、所与の条件が変わってきているのにもかかわらず、同じようなやり方は有効なのかどうかと思ってしまいます。今日の春闘が、確かに連合を構成する組織された労働組合の皆さんの闘いではありますが、未組織の、非正規の、と言われる人も含めた改善にビビッドにつながるかというと、そうではない構図になっているのでは。

【加藤】  ない、そうそう。

【大福】  だから、連合の役割をもう一回見直してみると、そういう連合を構成して会費を出してくれる構成組織に対する活動のほかに、いわゆる弱い立場の人たちをどうやってすくい上げるかという活動を強力にしないといけないはずなのです。しかし、そうした組織外の弱い立場の人たちのところを見過ごしてきた、と言ったら語弊がありますが。

【加藤】  いやいや。まあ......。

【大福】  ほんとうにここをやってこなかったというのが。

【加藤】  言うとおりだと思います。はい。

【西原】  連合もいわゆる標準労働者賃金、業種別、産業別のセクターごとの、賃金水準をオープンにしているのですが、これは社会に発信し切れていない。本来であれば、働き方の中で今、どういう状況かというところと、中小を含めて参考になるということが発信できれば。やってはいるのだけども、社会に落とし込めてないというところが、ある面力の部分かなという感じ。全く努力してないわけではないと思いますが。

【大福】  そうですね。やっていると思いますが。

非正規・未組織の方への働きかけ

【西原】  やっているのだけども、なかなかそれがうまく現実の生活改善のところにつながっているかというと、そこは残念ながら。

【加藤】  なるほど。

【大福】  この膨大にいるここの層の人たちをなんとかしなくては......。

【加藤】  4,000万人ぐらいいる?

【大福】  そう。4,000万の人、全部とは言わないけど、その中で働く意識を持ちながら、しかし、恵まれてない人たちが、もっと連合という組織に目を向けるだけのものが連合にないといけないのに、それが見出されないままずうっときているのではないでしょうか。連合のあり様は、一定のレベルに柵を高くして、メンバーズシップで、これクリアしないところはだめよといった対応でした。むしろその柵をもっと低くする、そうすることによってもっとかかわりをもってくれるような人たちをすくい上げていくという役割をこれからもう一度やり直さないといけませんね。

【西原】  連合の実態がまだ社会につながってないのは、例えば自動車では中小が7割以上ですよ、企業単位で。UAゼンゼンも、多分電機連合も、相当中小が多い......。

【大福】  電機はもう90%近く大手組合が構成しています。

  これはね、非常に、私、異型だと思います。

【西原】  でも、連合全体で見たら中小がやっぱり多いですよね。

【大福】  多いです。

【加藤】  連合全体も、日本全体も中小の比重が高い。

【大福】  圧倒的にそうですね。

【西原】  だから、連合というと大手企業の正社員の男性中心の労働組合というような見方だけで、まずイメージができているというところが、払拭し切れていない。

原子力発電を巡る議論、事故発生との因果

【加藤】  まあ、そうですよね。日本の労働運動自体が自己認識、自己イメージとして、今、西原さんが言われたように、まだ変わってないところもあります。

 話が変わりますが、今度は政策の方面です。先ほど労働条件のほうで少し話が進みましたが、原発政策について西原さんが政策委員長として、それは2010年ぐらいですか。

【西原】  2010年ですね。

【加藤】  2000年代に入って主要なテーマとして、連合の中で原子力政策をめぐる議論がいろいろな角度からでてきました。

【西原】  2年間ですか。2009年から2010年にかけて。

【加藤】  2年間ですか。9年から、はい、わかりました。で、それが2011年の3.11。

【西原】  そうですね。

【加藤】  の、地震、津波、原発事故という流れの中でということですが、実は、全民労協時代、1986年ですか、それまでに全民労協の政策要求と提言の中に、原子力発電という言葉を入れるということを初めて担当の笹森さん、後の会長ですけれども、笹森さんが山田精吾事務局長に、いよいよ、いろいろ反対のあった産別も、そういう項目というか、言葉を入れることについては理解が得られるようになりましたという報告をして、でその年でしたか、4月の終わりに電機連合の若手訪ソ団の団長でソ連に行きました。で、ソ連に行っているときに、4月26日、チェルノブイリ原発が事故を起こして、それで、5月の3日に日本に帰ったのですが、そのいきさつはともかく。帰ってきて、全民労協の政策の提言の中に原子力発電という言葉は、そのチェルノブイリの事故で掲載することができなくなったということがありました。

【西原】  なるほど。

【大福】  それは何年でしたか。

【加藤】  1986年、全民労協ですから、チェルノブイリのときですよ。

【大福】  あ、1986年ですね。

【加藤】  だから、で、今のお話を聞いてね、これも歴史かなと思います。

【大福】  だから、そのちょうど間の1995年だったかな、ナトリウム漏えい事故が起こったのですよ。

【加藤】  もんじゅでしたか。

【大福】  ええ。それで、そのときに連合の政策の中には、もう既に文書として入り込んでいたものを、そういう事故が起こったので、やっぱり官公労の人たちはものすごく反発しまして、その研究開発はいいけれど、それを、実際にものを作るライン作業はいけないということですごくもめました。あのとき、誰が政策委員長だったかな、草野さんだったか、得本さんだったか。確か鷲尾さんが会長のときで、決着がつかずに翌朝まで持ち越して、研究開発とライン作業は一体化していると熱心な説明により何とかおさめたということを思い出しました。

【加藤】  それは鷲尾会長時代ですか。

【大福】  鷲尾さんのときです。

【加藤】  そうすると、事故によって連合の中における原子力発電をめぐるエネルギー問題については常に頓挫していたと、3つの事例だということですね。

【西原】  そうですね。だから、エネルギー政策の観点、いわゆる地球環境問題の中で、日本の今後のエネルギー政策をどう考えるのか。もちろん安全第一の中で、今、計画されているものについてはどういう形で考えるのか。かなり前進したと思います、当時。ただ、事故の関係は、今加藤さん言われたこととの関係でいくと、87年、全民労協時代に、いわゆる原発反対の人たちも入れて全民労協で原発見学というのが......。

【大福】  やりました。

【西原】  やりました、やった記憶があります。

【加藤】  あ、そうですね。

【西原】  そのときに幾つかの産別の方と一緒に行った記憶があって、そのときはすさまじい意見が出ましたが、今、考えると結構先駆的な意見があったなという気がしないでもない。

【大福】  あれは三労連というのがあって、原発を設計したり作くったりというところと、それを実際に動かす電力とで構成する組織がありました。より原子力発電への理解を深める活動をしていました。それから、そういうことを考える会とかもあり、反対する人も含めて巻き込んでやっていきましょうと、取り組んでいましたね。ただその頃は、まだ絶対安全って言っていたと記憶しています。

【加藤】  だから、歴史のある......。

【大福】  はい。やはりエネルギーはミックスでやっていかなければいけないし、その中の一つに原子力も有力なものとしてあるというふうにだんだん方向性が変わっていきました。反対する人たちにも、どれだけ安全かというのを見てくださいというような対応に切りかわってきましたね。私たち電機産業は多くの組合員が原子力発電に関わっていたわけですから、安全に最大限作業に取り組んでいることをアピールもしました。

官民の温度差は乗り越えられる

【加藤】  そこで、残された時間、官公労の皆さん方の気持ちとか、情動というのですか、感情とかいうことが、原発政策については極めて表に出てきて、まあ、炎上するというのでしょうか。で、官民統一して連合をつくって、結果として、今、言った原子力発電の問題、それから、もう一つは、日米安保をベースとした安全保障という問題、それから、国民運動という、これは特に北方領土の問題を中心に、それから、基地の問題、で、こういうふうな課題について、正直言って、距離を埋めることは結果的にできなかった。 プロセスはいろいろあったと思いますが、1987年の民間連合を含めて運動方針、私、担当でした、一人しかいなかったもので。そのとき非常に困ったのが、国民運動というタイトルで中身の書きようがなかったのです。山田事務局長も、まあ、適当にとは言いませんけど、後は頼むという感じで、ということでこの国民運動の内容について、まあ、イベントはこなしてきたけれども、結果的にほんとうの意味で距離をお互いに埋め合って、新たな連合方針として一つのステートメントをつくることは、結果としてできなかった項目が幾つか残されていると。この残されたものが結果として、いわゆる政党における政策の集約というのでしょうか、それが結局映し鏡のように、だから、連合の中にある距離感のある政策については、民主党時代における民主党の中における政策の右派左派と言いませんけれども、距離感というものが映し鏡のようにあったのではないか。そのことが結果として、今日、結局党を分かってすっきりさせようという一つの遠心力につながって、そのことを私は悪いとかいいとかいう立場じゃないのですが、ただ、現実にあった、それは28年経過してもなかなか難しい問題であったということで、そこで、そういうことも含めながら、官民の運動の温度差というものをお二人自身、すこし経験とかありましたら、また今後こういうふうにしたらいいという提言も含めてお話をしていただきたいと思います。

【西原】  連合ができて30年の中で、少なくとも話し合えるようになったということは大きな前進だと思っています。全部現場レベルまでそうかというと、そこまではいかないけれど、少なくとも連合という一つの土俵の中で率直に状況を話し合えるというところまではきている。ただ、そこから先、ここで踏み込んだら、なかなか連合全体の統一にとっていかがなものかというようなことが頭をよぎるということで、少しそこでちゅうちょする部分というのがあるのかないのかと言ったら、気持ちの部分では、ここはちょっと踏み込めないという、お互いそこのところは瀬踏みしながら見ているところがあると思います、正直言って。

【加藤】  なるほど。

【西原】  ですから、本来で言えば、政党支持の問題も含めて、民主党結成を含めて、状況ごとに違いますけども、かなり幅寄せした努力というのは間違いなくあったのですが、最後の土壇場までいくと、ある程度政権をとろうという政党を支援するということは、その政党というのは、ある程度国民政党的にならざるを得ないので、当然幅を持つわけで、その幅の中に入ったときに、最後のぎりぎりのところで何かそれが表に出たときには、連合の中でもまだ亀裂が入る部分というのは、これはやはり認めざるを得ない。これは、しかし、その幅というのがほんとうに最終組織を割ってまでも、そして、また、国民的な働く者の統一というのを割ってでもやるところまでの踏み込む課題なのかというところをもう少し幅広く見ていかないと、ちょっとこの先の発信力なり、連合ができたときから目指してきた緊張感ある政治体制をつくるための二大政党体制の中での政権選択というものをベースにする。それはどっちがどっちということじゃなくて、どこか問題が起これば、政権変わることによって、政治なり民主主義が前進するというところに到達できない。そこは官との関係をどういう形で今後、特に憲法問題が今後出てくるので、そうなったときに、現役は相当汗をかかざるを得ないという感じはします。どういう帰結になるか、それは私も想像つかないことでありますが。

【加藤】  今の西原さんのお話を聞きながら、私も「政治と労働の接点」という難しいテーマを抱えていますが、いや、これは簡単に言い切れないことで、いろいろな、要素があり過ぎる。しかし、今言われた、最初のお話の中にも出た部分がありましたが、じゃあ、政党でない連合がどこまで話を突き詰めるのだと。それこそ匕首をのんでやることに意味があるのか。またどういう意味があるのか。政治結社ならどこかで乗り越えなきゃならないとしても、政治結社ではない労働結社だから。労働団体としては言われたように、森羅万象にわたる事柄に全てコメント出す必要があるのかということを含めてあると思います。

 ただ、国際労働運動という面を考えると、少し違った視点も出てきますが、連合傘下の組合自身、国際労働運動という認識は浅いですね。その辺のところもこれから先、またテーマとして残ってくると思います。

 では、大福さんのお話を。

【大福】  結論からいいますと、官民の温度差はあるにせよ、その差は乗り越えなくてはいけないし、乗り越えるべきだというのが基本的な考え方です。なぜかというと、一般の国民レベルで見たときに、与党政権がいろいろなことをやっているが、腑に落ちないとか、ちょっとひっかかるというようなことがあったときに、それを誰が指摘し改めさせるかという点で、その役割を果たしてくれるウィングに期待を寄せます。しかし、今のように野党がバラバラになっているときにどこをみて、思いをたくしたらいいのか、目線が定まらないわけです。だから、Aという大きな固まりがあったら、Bという大きな固まりをやっぱり形成し、目にみえてわかるような体制をつくっていかなければいけないと思うのです。そのためには各野党の差を乗り越えさせるために、連合がその役割を果たさなければなりません。考えてみれば、冒頭に話があったように、官民統一の前に民間連合ができて、官民統一がされたといっても、簡単な話ではなかったと思います。中ではさまざまな葛藤があったけれども、なぜ統一へ踏み切ったのかということを歴史認識としてきちっと思い起こすべきだと思いますね。

 それで、現状、憲法の問題にせよ、原発の問題にせよ、考え方に違いはあるかもしれませんが、今、政権側に立ってないとするならば、やりにくいことはやはり連合というところが逆に火をつけてやっていくということをしない限り、改革は進まないと思います。そうしたことを考えれば、官民統一した連合は、その構成の質的変革をめざし、その差を乗り越えていく努力を内部でしていかなければなりません。とはいえ、それぞれが、それぞれの論理で動いている訳で一筋縄ではいきませんが、外から見たときには、そうした姿は非常に陳腐に映るわけです。だから、ポピュリズム・大衆迎合ではありませんが、一般国民の目線を見逃さずにいくことが求められていると思います。

 もうちょっと付け加えると、連合は政党ではないということなんですが、私は、連合が直接関わる政党をつくるべきだと思っています。

【西原】  連合参議院かな。

【大福】  はい。しかし、私が思うのは、あのかつての連合参議院ではありません。連合の政策に賛同してくれる人たちを労働組合の役員の中から出すのもいいけども、働く人の代表という立場で企業からも出してもらっていいんです。働く人たちを守る連合とタイアップする政党を一つ起こしていく。それが触媒になって一つの大きな政権与党に対する対抗軸につくり上げていくといったことに、汗をかくべきではというのが思いです。

支援する政党が政権についたとき、労働組合はたいへん(世界の常識)

【加藤】  なかなか壮大なアイデアではありますが、そろそろ何か最後に一言ずつ。

【西原】  今の提起は大変重要だと思うのですが、相互に不介入といいますか、そういった政党との一定の距離感をベースに置くべきではないか。状況的に見ると、細川政権のときは連合もすごく汗かいたし、それから、当然民主党政権の......。

【加藤】  2009年。

【西原】  極めて大きな役割を果たした。でも、あのとき思ったのは、連合が経験したのは、我々が支持する政党が政権をとったときの、いわゆる政策制度のあり方、それから、あのときに国の政策決定がどうなっているかということは、もちろん当時の民主党も改めて学んだ部分もあると思いますが、連合自身も学んだと思います。

 あの政権交代とき、スウェーデンの労働組合から、労働組合が支持する政党が政権をとったときのほうが大変なのだと、労働組合がたいへんだと。その彼がスウェーデンの労組の代表で今首相やっているのですが。IMFの執行委員やっていて。そういうことは感覚的にそうかなと思っていたけども、実際そうだったので腑に落ちてわかったのは、日本で政権交代を経験したときでした。これをどういう形で今後の中でその政治とのかかわり、あるいはさまざまな政策決定に対しての労働組合の発信の仕方と、運動としてそういったものにどう対峙するのかということの一つの経験というものをどう次に生かすのかという。今後非常に問われている部分だと感じます。

【加藤】  はい。現役あってのOBですので、支えることが大切ですね。では今のお話も含めて、次のチームに橋渡しをしていきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

【西原】  どうもありがとうございました。

【大福】  ありがとうございました。

20180302105027-42b3e745fad11d173320ff30b06af8ce749d804b.jpg
20180302105134-74a0476b831251ff1f1673c07288ac9b9d3f5200.jpg

【講師】大福真由美氏、西原浩一郎氏

大福真由美氏
1949年生、1972年4月三菱電機(株)入社、中津川製作所にて国内ライン営業、マーケティング・調査など担当、1984年7月三菱電機労働組合中津川支部専従役員、1988年7月同本部役員、1994年7月電機連合本部役員(局長4年、書記長8年、副委員長2年)、2008年7月電機連合福祉共済センター理事長(2013年11月退任)、2015年4月国際労働財団プロジェクトアドバイザー(現)
西原浩一郎氏
1976年4月日産自動車(株)入社、1985年9月全日産労組専従、1986年8月全日本民間労働組合協議会事務局次長、1994年10月全日産労組中央執行委員長、2000年9月日産労連会長、2008年9月自動車総連会長、全日本金属産業労働組合協議会(IMF-JC)議長、2008年10月連合副会長、2014年3月日本労働文化財団理事(現)、連帯社会研究交流センター運営委員長(現)

【研究会抄録】バックナンバー