研究会抄録

ウェブ鼎談シリーズ(第2回)「労働運動の昨日今日明日-官民合流、ILO-」

講師:長谷川真一氏、山本幸司氏

場所:電機連合会館4階

「政治と労働の接点」という視野において、特に労働サイドから労働運動の歴史を反芻し、今日時点での評価を議論する。たとえば連合結成30年を前に、統一運動の到達点であった官民統一が労働運動全体に与えた効果、あるいは未達成項目など、労働現場からの視点、産別運動からの視点、労働行政の視点から改めて振り返る。 連合結成からもうすぐ30年。組合員の多くは連合結成以降の加入者である。したがって彼ら彼女らの多くは労働四団体時代の記憶を持たない。またこの30年間の日本経済の変貌は著しく、特に経済のグローバル化は国内の産業立地や雇用構造を大きく変え、国内労使関係では解決策を見いだせない、極論すれば「対応不能」課題を多く生み出したと言える。企業別労使においては企業存続が、産業別労使においては産業政策が、中央レベルにおいては福祉政策を含め所得再配分政策が俎上に挙げられたが、政治との距離感が大きく変遷する中で議論は活発ではあったが、大きく結実するには至らなかったと言える。それぞれの役割の再整理についての議論が必要である。 また今日団塊の世代が古希を迎え、世代交代の流れが加速されており、経験知の喪失が懸念されている。経験知の継承は可能なのか。またその方法について忌憚のない意見交換が必要である。 加えて国際労働運動についての日本の報道機関の関心は極めて低い状況下で、この課題をどう喧伝していくのか。来年は国際労働機関(ILO)設立100週年である。国際労働組織がさまざまな課題に対し解決機関になりうるのか、日本の労働現場から同様な議論ができるのか。など自由闊達を胸に斯界のベテラン諸氏に語っていただく、ウェブ鼎談シリーズを複数回計画した。(インタビュー形式、文責研究会事務局)
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【加藤】  本日はお集まりいただきありがとうございます。研究会のウェブ鼎談シリーズとして、第一線を退かれて、しかしいろいろと役割を持ってご活躍されている方々に、過去、現在、未来と、こういう時間軸の中で過去を振り返りながら、今日を語り、そして明日を望むということでお話をいただきたい。テーマは、それぞれ経験されたことだとか、労働運動、政治、社会、また、国際労働運動も含めて、お願いしたいと思います。

 それでは、山本さんお願いします。

連合結成、高い志でスタート

【山本】  連合は結成30周年の節目を迎える訳ですが、私自身は、2007年、高木さんが連合会長、古賀さんが事務局長のときに副事務局長として運動に直接かかわって、2011年、古賀さんの連合会長2期目が終わったところで退任いたしました。

 連合結成は1989年11月21日ですが、当時78単産、800万人、で1,000万連合を目指そうということでした。結成大会で準備委員長の電機連合の竪山委員長は、「連合は力と政策をモットーにし、シンクタンクとして連合総研を設立し、中長期の政策策定と春季生活闘争を組織してきました。国際自由労連加盟や国際労働財団の設立をはじめ、国際労働運動にも布石を完了したと思います。教育財団、連合大学などの構想が新しい連合の検討課題になりましたが、連合総研、国際労働財団、連合大学は従来のナショナルセンターでは不足していたもので、これらの基盤が確立し、本格的に機能することになっていけば、これまでの運動とはさま変わりの新しい影響力を発揮できると考えています。」と挨拶されています。

 私、この挨拶を読ませていただいたときに、心に強く響くものを感じました。そこには働く者全体の要求をしっかり受けとめ、それを実現するための政策を具体的に提起する力を持ち、かつその提起した政策を実現できるだけの社会的、政治的力を日本の労働運動は持つのだ、という決意が生き生きと表明されていたからです。加えてそれらの事業をやっていくためには、系統的な人材の育成もしっかり目的意識的にやらなければいけないと。高い志を持って、東西冷戦が崩壊して、世界も新しい枠組みに進んでいく中で、さあ頑張るぞという、意気込みが非常に感じられますね。その意味では、総評、同盟、中立労連、新産別という、それぞれ異なる歴史、政治路線や運動論を持っていて、それらの違いを超えて、新しい時代に働く者が人として誇りを持って生きていける社会をつくるために、社会運動としての労働運動を展開するし、その中心になるのだという覚悟を強く感じて、ある種の息吹というか、そういうものを感じました。

 連合初代会長を務めた山岸さんが退任されるとき、中央委員会の挨拶でこういうふうに言っているのです。労働組合の任務は、第1が労使間の課題の解決、第2に政策制度要求実現のための政治への取り組み、第3が労働者の共済活動であると。つまり、労働運動というのは、労働組合運動だけじゃないと。労使関係だけで解決できない課題が山ほどあるぞと。そうしたものを解決していくためには、労働運動というのは、労働組合運動、それから、協同組合運動、そして、政治的な影響力を持ち得る政治運動、この3つが相互に有機的に結び合って初めて社会的、政治的影響力を労働運動は持てるのだということを改めて再確認して、今後の連合の発展を期して頑張ってほしいという退任の挨拶をされています。当時の幹部の皆さんたちの思いがよくあらわれていると思います。

現在も注目に値する連合評価委員会報告

 その次に大きなエポックになっているのは、連合評価委員会だと思います。連合評価委員会を立ち上げて、客観的に今の連合は世間からはどう見られているかということについて、しっかり耳を傾けようと取り組みました。中坊さんが委員長になられた訳ですが、何回か断られましたが、再三再四、笹森会長がお願いに行かれた。受けるかわりに、出したもの(報告書)は神棚に置いておくようなことはせずに、ちゃんとやってくれるのだろうねと。そういう言質をとられたという話を聞きました。この評価委員会の報告の中身の幾つかを示せば、まず第1は、高い志を持て。それから、2つ目に、弱者に寄り添うのが労働運動だ。それから、3つ目に、不条理に対してきちんと物を申す。そういうことをやらないと、連合はマンモスの道をたどるぞ。こういうふうなことも含めて言われている。それを受けて、私、これ、すばらしいなと思うのですが、その後の大会で提起したスローガンが「組合が変わる、社会を変える」というスローガンでした。

 聞くところによると、内部の議論では、当初は「社会を変える。組合が変わる」みたいなことだったらしいが、それではあまりにもおこがましいので、我々自身をどうするかという議論をしたようです。今の世の中は働く者にとって決してハッピーな社会じゃない。みんながハッピーになるためには、我々が目指す社会をつくろうではないか。しかし、その目指す社会をつくるために必要な力を連合はもっているのか。今の連合にはそんな力はない。社会を変えられるような力を持つために、連合はこれから何をやったらいいのか。今までの運動の中から引き継ぐべきもの、見直すべきもの、新たにやるべきことを明らかにし、社会を変えることのできる連合をつくる。そのために自分たち自身も変わるのだ、という思いが非常によく出ていると思います。

 その後、連合が目指すべき社会像、「労働を中心とした福祉型社会」を提起し、取り組みが進められました。2008年リーマンショックが起こり、急速に格差社会が進む。非正規センターを立ち上げて、ストップ・ザ・格差社会キャンペーンを行い、その後、「働くことを軸とする安心社会」という、新しい社会像に発展させていくというような経過です。そういう中で、志は一貫していますが、残念なことに昭和25年、6年ころが日本の労働組合の組織率のピークであり、ついぞ反転することなく、組織率は下がり続けています。組合員数も残念ながら大きく減少しています。ここでもう一度、少子化・高齢化・生産年齢人口の減少というような人口動態の劇的な変化、あるいは家族類型が変化し3世代同居という家族は極めて少なくて、一人家族、一人所帯がごく近い将来は4割を占めるということ、人生100年時代に突入するということ、あるいは格差と貧困がおそらく社会的に許容できる範囲を超えて、拡大固定化してしまっていること。加えてグローバリズムの進展、AIをはじめとした科学技術の第4次産業革命と言われるような、経験したことがない時代に入る中で、もう一度労働運動の原点に立ち返って、改めて世の中に対して目指すべきことをきちっと言うと同時に、それを実現するために日本の労働者たちは今こそ大きくまとまろうではないか。そのために何をやったらいいのか。率直な忌憚のない、批判を含め衆知を寄せ合おうというようなことを、社会運動として、連合運動として展開してほしいと思うし、それが求められているのではないのかなと思っております。

【加藤】  連合設立20年という時期から、運動に直接かかわられた。それまでは、いわば産別運動を通じて労働運動にかかわっておられたし、ご出身が教育、教職員ということですから、日本の労働組合の中では非常に専門家集団というインテリジェンスの高い集団ということで、そういう立場から参加されていたということで、ある意味でお話を聞いていると、やはりロマンというのでしょうか、ある種の労働運動、連合運動にロマンを求めるという、これは私も含めて同じ世代として、そういうふうな味のある世代ではないかなと、入り口として総括的な、歴史的な流れも踏まえて言っていただいたのですが、一方、外からというか、日本の行政機構の立場から、労働組合を全般的に窓口として対応される、そういう立場で長谷川さんはずっと仕事をされてきましたし、当然労働省の中で枢要の地位におつきなられましたが、連合結成前後から直接的な窓口をされたということで、シンパシーもあるのではないかとは思いつつ、批判者としても、私は、長谷川さんなら何を言ってもいいのではないかなと、いろいろと貢献をされてきたわけですが、ちょっと言い過ぎかもわかりませんけれども、どうでしょうか。

1987年民間連合結成、官邸の期待も高かった記憶が

【長谷川】  私自身は労働省の役人だったわけですが、直接的に労働組合の仕事というのは、パリのOECDの代表部の書記官から帰ってきて、本省の労働組合課の調査官に任命されたときが初めてでした。それが1987年なので、連合の前身の民間連合ができたときです。秋だったと思います。今の連合の2年前ですね。

【加藤】  11月の20日です。

【長谷川】  当時は竹下政権でしたが、担当をやっていて官邸が非常に連合に期待していたという印象が強くて、どうしてこんなに労働組合のナショナルセンターに官邸が期待をするのかというのが、直接それまであまりかかわっていなかったので、非常に印象を強く持っていました。後で、自分で考えた話ですが、4団体時代は、それはそれで組合同士の競争もあって、いい部分ももちろんあったのでしょうが、やはり政権なり、政府なりの側からしても、いわば力のある非政府団体NGOとして日本の社会全体を考えてこうあるべきだという意見を言える団体が日本の社会においてあまりない。信頼できる団体が少ない。そういう中で新しくできた労働者全体をカバーする連合に対しての期待があるのではないか、と私なりに思いました。

 そのころ幾つか印象的なことがあったのですが、当時官民統一に向けての動きもあり、総評の中でいろいろな議論がありましたが、総評大会を聞いていると、いわゆる当時、統一労組懇という、共産党系の方々などが統一に反対する議論を出す。それに対して、当時の事務局長は真柄さんでしたが、ものすごくうまく答弁される。この議論をいろいろ聞いていて、労働組合では非常にストレートに率直な議論が展開されていて、それに真正面から答えをだしていて、これはすばらしいなというのが印象深かった。

ILOの三者構成を支えるナショナルセンターへの期待

 その後私はILO関係の仕事をやりましたが、そもそもなぜ1919年にILOができたときに三者構成の組織をつくったのか。今の通常の国際機関は、ご承知のとおり政府がそれぞれの国を代表して意思決定をやるわけですが、ILOだけは労使の代表が政府と並んで意思決定に参加をする。それがなぜできるのかとなると、やはり労働者代表が未組織労働者も含めた労働者全体の代表である。そういう立場で行動をすることが制度として期待されている。また、それが国際的にはナショナルセンターに期待されていることです。連合としても、そういうことも踏まえてやろうということだというのが私の理解です。

構造的な課題を抱えつつ、苦労していたのでは

 ところが、ここに実は本質的な難しい問題があり、労働組合というのは、制度的に言えば、組合員の利益を推進すべき組織なのであって、組合員以外の人のことを考えることは制度的に予定されてない企業別組合とか、単位組合からすれば、自分の組合員の労働条件をどうするか。自分の組合員のために一生懸命やることが、自分たちのリーダーとして期待されていることであるとなると、ナショナルセンターの運動とちょっと違いがあるわけですね。連合の幹部の人たち、あるいは産別の幹部の人たちとつき合っていると、そこで苦労している人たちがすごく多いなというのが、私の立場からすると見えまして、やや同情的になってしまう。特に企業別組合から出てきている方々からすれば、今まで企業の中で一生懸命やって、それなりにやってきた運動と、また、連合の中でやる運動というのがすこしいろいろ違うし、企業なり、それを受けた産業別からの議論を全体の社会運動としてどうするかという話の中で消化していかなければいけない。ここが難しい部分でいろいろ苦労されている。

 で、私なんかは、山本さん的な気分が大いにあるほうで、まあ、そうは言っても、連合に頑張ってほしいなという気分があって、いろいろそういう意味では、ナショナルセンターのことも応援したいという姿勢できていた感じです。

 ただ、そこの矛盾がどうしても全体の構造の中であるので、やはり社会一般の側から、連合は未組織の非正規労働者の代表をしていないのではないか、労働者の中ではエリートである大企業の労働者の利益を代表しているのではないかという議論が出てきて、それが社会的にかなり力を持ってしまう。それに対して、いや、そうではないと言いつつも、有効に反論し切れていないというか、運動としてそういう形がどうしても出てきて、連合の歴代の幹部の人たちも、それを何とかしようということで一生懸命いろいろなことをやってこられたということだろうなと思います。

 そういう構造自体は、今も引き続き変わっていない。しかし、一方で、単位組合の労働組合としての活動も、やはり労働組合としては基本なので、これはこれで大事にして、現場の声というのは大事にしなければいけない。そこをどうつなげていくかというのは、従来も課題であったが、今でも課題として大きいのではないか。現在の問題でいえば、非正規労働者の問題であり、働き方改革も含め、格差の問題などにどう取り組んでいくのかというのが、労働政策の課題でもあるけれども、労働組合の課題として大きいのではないかと思います。

 【加藤】  今、重要な問題提起といいましょうか、30年を迎えるに当たって、おそらくこの後の30年間も、その問題というのは結構継続していくだろうし、ミクロでという話とマクロでということだとか、あるいは私は、よく社会運動としての労働運動という、こういう切り口で話を進めたときもありますが、しかし現場で組合費払って厳しい労働環境で頑張っている人にすれば、いきなり社会運動だと言われても、それは何だろうということであって、その辺も含めて現実の問題として、それをどうこなしていくかというのは、非常に難しい側面もあるし、大事なことだと思います。

 また、亡くなられた鷲尾さんが会長時代に、企業別組合というものを否定はしないが、それが持つマイナス面を強く指摘されていました。この点についてはリレー的におそらくまた議論していただけると思います。

官民統一の効果

 そこで、山本さんには、実は大福、西原両氏の話の中で、先ほども出てきましたが、民間連合が87年にできて、わずか2年で89年の官民統一になりました。で、民間の立場から見ると、なだれ込んできた。それまでいろいろ理屈を言っていたのがあの2年間で合流したと。で、来たのはいいことだが、ウェルカムですが、しかし、そのときに克服すべき官民の肌合いの違いとか、認識された幾つかの点、真柄さんが必死になっていろいろ応答してきたことも含めて、総評労働運動が持っていた問題意識、センスと、それから、民間の持っていたものとの違いが連合運動の中で現実的に出てくるということもあったと思うのですが、それらはむしろ、今度は、20年たって見直し論があったときの連合におられた山本さんの立場で、すなわち、その時点においても、官民の労働運動というのは、連合官民統一を仕上げてよくなったところと、いやあまり融合してないなとか、理解し合ってないなとか、ありますか。

連合運動はどう見えるのか

【山本】  私、4年間ほど副事務局長として仕事させてもらいましたが、体験的に感じたことは、置かれているポジション・担当している分野と、人ですね。

【加藤】  あー、人。具体的な人によってと。

【山本】  ええ。旧総評の、旧同盟のというのは、オフィシャルなところでは出てきませんでした。誤解を恐れずに言うと、ちょっとまぜ返したような言い方になりますけども、連合というところは何を言っているかではなくて、誰が言っているかみたいなね......。(笑)その要素がありますね。

【加藤】  まあ、それは否定できないと思います。

【山本】  ええ。そういう意味では、旧村というのですか、旧村みたいなものの後遺症というか、作風というか、そういうものはないとは言えない。しかし、現場でやっていたときには、こういう運動が必要じゃないかという議論になったとき地方連合で地域の住民と近いところでやっている人の感覚と、それから、産別幹部の、例えば連合の執行委員会だとか、あるいは三役会議だとかの議論というのは、総評、同盟という話ではなくてね、その人の置かれている立場、かかわっている運動に起因する違いのような気がしました、すごく。

 間もなく連合30周年になりますけれども、かつては一億総中流という言葉に象徴されるように、労働者といったら、正社員で期間の定めのない雇用で、賃金カーブが決まっていてみたいな、そういう労働者だったですよね。その意味からすると、だんごになって一固まりみたいものだったものが、今や、正社員で期間の定めのない働き方をしている労働者層、それから、派遣だとか、非正規という形で非常に不安定な雇用状態に置かれている労働者層、それから、何らかの社会的保護を必要するような状況に置かれている層、この3層に格差づけられ固定化されてしまう。その結果それぞれの置かれている状況で要求も、困っていること、不安に思っていることは、極めて多様です。そうすると、労働者だからといって、一つの要求で大きくみんながまとまれるかというと容易ではない。要求や不安や困り事が多様化している。それを丁寧にたぐりよせながら一つの大きなまとまりに、まとまった平仄の合った要求にまで高めていって運動を組織するという、かなり困難な課題に直面しているというのが大きな特徴だと思います。

 そういう社会構造、あるいは労働者の格差構造化と相まってのことですが、連合が結成された当時は、主として政策実現が連合の主たる仕事だとされました。組織づくり、労働組合をつくるという仕事はナショナルセンターの仕事ではなく、基本的には、それは各産別がやってください。こういう整理です。政策の実現がメインだから、政策の質の問題と、あとは、それを実現する政治的、社会的力だ、となります。ところで、ナショナルセンター、あるいは労働運動の社会的代表制というのは、生産点と生活点の両方になければいけないわけで、ところが、連合を結成したときは、主として生産点における代表制については、相当力こぶを入れましたが、もう一方の生活点(地域社会)における社会的代表制というようなものをどう形成するかということは、地方連合会はつくったが、地方連合会は連合の下部組織という位置づけです。そういう中で、平たく言うと、地域から労働運動が事実上撤収していく。言えば、生産点というか、企業、職場に特化されていくような傾向があった気がするのです。

見逃された生活点での活動

 そういう意味では、30年たったときに、出発点における整理のし方を、(それでもある面では一定の合理性があったかもしれないが)状況変化のもとで、そこをきちんと見直して、もう一度しっかりナショナルセンターが先頭になって全国津々浦々に、働く者が結集する多様な労働組合をつくるぞというような音頭をとってもいいのではないかと私は思います、これが一つ。

 それから、2つ目は、地域運動、地域に出ていくと。私は、労福協運動を並行してやっていた経歴もあるものですから、労福協運動というのは企業の枠を超えた地域運動であります。地区労福協があっていろいろな人が結集できるような労働運動が、地域で顔の見える労働運動が大切だ、と評価委員会は言いましたが、そのことをもう一度今日的な状況のもとでどういうやり方で、どういう切り口で取り組んでいけばそれが可能になるのかということをしっかり考える必要があるのではないかと思っています。

官民の運動の融合をどう作るのか

【加藤】  私は、全民労協時代から12年間中央組織にいた立場で、官民の運動については、評論家的に今でも旧村だとかいう形で組織風土が違うとか何とか、やや冷やかし半分の論調もありますが、むしろ、当時の気分からいけば、民間の労働運動が持っているよさと官が持っている、官公労が持っているよさ、そういうところの融合というものとして何があるのだろうかと、期待感もありました。ただ、それが現実の成果物として何かあったかというと、そこは今、山本さんが言われた、例えば地域において力と政策で、政策はいいのですが、力をある程度発揮するようなそういう局面をつくることができたのかという視点でいくと、まだまだ、ここはまだ途上にあると。

 それで、2013年ですか、生活困窮者自立支援法が......。

【山本】  自立支援法ですね。

【加藤】  自立支援法ができた。あの後、労福協事務局長が大塚さんにかわられたころですか。

【山本】  はい。

【加藤】  だから、大体山本さんがやられていたころにそういう雰囲気もあって、それで、私は、党の立場で各県連に対して地域で連合の地方組織、労福協と、それから、県連もそういう政治的な側面から行政への取り組みなどを含めた支援をやる。それから、地域のユニオン、地方議員さんたちが集まって、また労金、全労済の力もかりて、そこでは支援活動を現実的にやっていこうではないかということを進めて、10カ所ぐらいは進展していたと思います。ただ、続かないですね。そういうふうなメニューはあると思いますので、これ、具体的にどうやっていけばいいのかという現実の問題として、ほんとうに連合が力をつけるというのは、単に動員力だとか、何万人集めたとかいう、そういうふうなことだけじゃなくて、地域で何か結構よくやっているねという、そういう評価が蓄積される中からつくられる力もあるのではないかと見ていましたが、それはそれとしてまた次のチームに引き継ぎたいと思います。

官公労組は統一に何を求めたのか

 さて、今度は、長谷川さんにご意見をお伺いしたいのは、官という部隊が、実は87年に民間連合ができて、2年間で官民統一という大事業を達成したし、その間、統一労組懇対策とか、大会で決議せよとか、結構厳しい条件を進めていく。あのときは胆力があるな、さすが総評ブロックというのは、いざとなると結構胆力があるなという、先ほどの真柄さんの答弁等含めて思っていましたが、しかし、見方によると、連合に官が統合して、そういうふうな運動の中で、私は、官は、損得ということでいうと、結構それはそれなりに意味があった。つまり、得することなり、統一へのニーズがあったのではないかという面について、どうですか。

【長谷川】  私自身、民間連合のときは担当でしたが、2年でいったん離れたので、官民統一の最後のところは担当していないので、やや自信がない部分がありますが、官のことを言うと、これは別に労働組合だけの問題ではない。まあ、官のトップのほうのいろいろの問題もあったかもしれませんが、従来官主導というか、日本の社会の中で官が全体を仕切っていた時代から、その後は高度成長の中で民間企業が力を持って日本経済を発展させてきたではないかという中で、なかなか官自体の運動も含めて非常に難しい部分があったという気がします。

 ご承知のとおり、賃金問題も民間準拠という考え方できているわけだし、労働運動も、昔は官が主導したかもしれないが、だんだん民間が主導するようになってきて、おそらく官の組合も、もう全体として一緒にやっていくというところでしか活路がないというふうに思ったのだろうと、よくわかりませんが、総論としてはそんな感じで受けとめていたと思います。

 なので、これは別に労働運動だけの話ではない。民間の会社とか、運動だと、やったことがそのままストレートに成果にはね返るというところがあるわけですが、官の場合、なかなかそういうわけにいかなくて、どうしてもそこが甘くなってしまう。そこである意味で、労使関係の中でも率直な、積極的な、前向きな議論というのがなかなか出にくいので、中には労使関係が乱れてしまうような組織も出ていたということがあって、そこは、例えば真柄さんにしても、連合になって一緒になって、そこを変えていきたいなという気分があったし、おそらく、それが官の組合員なり、運動にとってもよかったのではないかと私は思います。

官民違いはあるが、双方に利点があるのでは

【加藤】  実は、この質問をつくったときに、私も同じように、一つは、民からいくと、これはもうご存じのとおり、旧同盟の首脳あたりは、最低でも4年以上民間だけでやるべきと。それを何とか。ここがちょっといまだに言及することのできない、そういう人的な関係も含めて、非常に大きな89年の統一ができたのですが、私は、官にとってよかったと思っているので。今、長谷川さんが言われたことに集約しますが、あのまま官民分離で走っていたら、おそらく、そう簡単には合流できなかったと思います。官は官で、そこまで譲歩するということにはならない部分ができてきて、つまり、おそらく並走状態で、あとはブリッジをかけるというぐらいになってきたときに、なかなか国民からの公務員バッシングだとか、そういうふうなところを含めて、いわゆる新自由主義的な小さな、それでなくたって、世界でも小さな政府なのに、さらに小さくせよとかいう攻撃に、小泉改革だとかいうものの矢面に立つことになると大変だったな。そういうような意味では、一つの包摂された労働団体という、この枠の中でそれをクッションとして受けとめることができることは、非常によかったと思います。

 しかしながら、今言われたように、そうはいっても、官の労使は、あえていいますが、もっと民間の持つ厳しさも含めて、そういう自分たちを取り巻く環境を直視する、そういう努力も必要ではないのかという指摘が実はあって、ではその努力をどのぐらいしたのかというときに、私は、橋下徹大阪府知事、大阪市長が労働組合攻撃をしたときの何か根拠みたいな、エビデンスを与えてしまったところが、非常にその後も、維新という政党の果たしている役割というのは、連合全体にとって連合が主導した政治路線についても、マイナスの側面もあったと、したがって、30年を迎えるに当たって、今、山本さんも言われたように、過去を踏まえながら、官民の立場が違う、それから、地方と中央との立場が違う、産別と企業連の立場が違うという、そのオープンショップと、ユニオンショップの違いも含めて、ポジションが違うことを、お互いに違うところを理解し、乗り越えていくという、そういう努力を、私は30年を迎えた時期にやっていくという。どちらかというと、内向きになるかもわかりませんが、あえてそれをやらないと、大きく力を発揮するという局面にはならないのではないかという、感想を持っているものですから、どうですか。

官民統一は、時代の求めだったと思う

【山本】  共産党は政党支持の自由を掲げ、党の方針に従う別働隊として統一労組懇をつくりました。そして、彼ら自ら自治労や日教組から離脱していきました。もし、彼らが出ていかずに頑張り続けたら、これは大変だっただろうなと思いますが、出ていったものですから......。

【加藤】  いなくなった。

【山本】  いなくなったのです。統一労組懇系が自治労、日教組等から離脱していくことを契機に、私は、労働運動の世界に直接身を投じるようになったわけです。つまり、埼玉で埼玉県教職員組合というのは、共産党系が執行部をとっていたものですから、彼らが抜けて、日教組からもう我々は組織的に離脱しますと。それはおかしいのではないのと。全国の教職員がまとまって初めて力になるのだから、埼玉でもそこで結集する組織をつくろうということで再建をしましてね、その初代の事務局長と書記長を私、やって、ここに入ってきたものですから、その前のいきさつがどうなのかというのは、当事者ではないので、推測というかな、その域を出ませんが。

 官民統一の話ですが、総評の中の主流は官公労だったわけです。だけど、総評の中には民間もいたわけです。しかし、総評の中にあった私鉄だとか、運輸労連だとか、そういう民間の労働組合は民間先行でもう一つになっているわけです。そうすると、大きな流れとしては、労働運動の統一という大義のもとでは、官公労だけが独立して、ミニナショナルセンターみたいなものをつくってやっていくという選択肢はもうはなかったと思います。

【加藤】  なるほど。

【山本】  総評の中にいた民間の人たちは、大きな統一の大義のもとに先行して結集していく。そのときには、総評がけんか別れしてそうなったわけではなくて、総評の中でも多分議論したと思いますが、その段階論で大きく大同団結に至ろうと、こういうことだったろうし、他方に、皮肉なことに統一労組懇がみずから抜けていったことで、切ってこいというようなことがね......。

【加藤】  そうそう。

【山本】  切ってこいというふうなことを......。

【加藤】  切ろうとしたら、もういなかった。

影響力からいえば分裂はマイナス

【山本】  切る前に、彼ら自身がみずから抜けていったという。そういう経過がありましたから、こういうふうな経過をたどったのだろうと思いますが。私が思うには、日教組について言えば、やっぱり組織分裂というのはものすごく大きな負の影響がありましたね。というのは、官の組合はクローズショップではないですから、ユニオンショップ協定を結べません。オープンショップですから、自由参加です。現場の教職員は、あなたはどっちを選ぶのって言われたときに、いや、私はどちらも共鳴できるところがあるけども、片方に肩入れするつもりありませんとか何とかいって、組合に入らないわけです。つまり、組合に入らない人が多数派になってしまうわけです、分裂したところでは。両方とも力を落とす。そういう意味では、やはり大衆組織は何があっても、内部に対立を持ち続けても組織はまとまっていなければいけないということが非常に大きな教訓だと考えています。

 国公部隊についていうと、これは、行革、小さな政府論、この嵐のもとで定員削減が猛烈に進む。気がつくと、労働組合員数そのものが激減していく、アウトソーシングされる、民営化されるという中で。そういう政治に翻弄されるというかな、政治の動きに対して、働く者の連帯という立場から、しなやかに、したたかにそれに対応していくということについては、残念ながら必ずしも成功せずに今日に至っているのかなというふうな感想を持っています。

【加藤】  今の感想は某政党の皆さん方に......。(笑)と思いますけが、確かにね、やはり内部対立をどうやって養っていくかという......。

【山本】  それはエネルギーですから。

【加藤】  そうそう。

 さて、長谷川さんのほうから、ILO設立100周年を迎えるということで、日本はオリジナルメンバーであって、珍しく国際的につき合ってきた。今後のILO運動と日本の国内、そして、それを支える連合の皆さん方、当然のことながら、企業連の企業組合からいうと、ILOって何?という、むしろそういうふうな状況の中で、どう考えても、国際労働基準の持つ重要性があると思いますので、その辺どうですか。

大切な国際労働運動との連携

【長谷川】  日本に限った話ではないですが、世界全体が内向きになっているところがありますが、これはもう誰でもいう話だけど、日本はひとり日本だけでは生きていけない国ですから、国際的な動きをいつも意識していかなければならない。言葉の問題等々もこれあり、どうしても国際的な感覚と日本の感覚というのは、意識していないとずれてくるところがある。だから、そういう意味では、連合について言えば、国際労働運動の中でいろいろな議論をして一緒にやっていくということは、これからもますます大事だと思います。

 ILOは、実は、私は10年もやっていたから、中のいろいろな難しい問題もわかりますが、ILO自体も100年たってかなり古い組織なので、いろいろ課題があることもまた間違いない。例えばこれは特に使用者側の話ではありますけれども、もう一つの国という感じでない企業が世界の中で非常に力を持っているわけです。いわゆる多国籍企業。ところが、代表制からすれば、それぞれの国の多くの使用者側団体が......。

【加藤】  各国のですね。

【長谷川】  そういう組織構造になっているわけですね。労働組合のほうは、そうはいってもまだまだそれぞれの国のナショナルセンターが一定の政治的力も持っているという構造は変わってないのですが、企業側のほうはそうではない。ということになってくると、果たして国単位で、政労使は政労使だけど、国単位でいいのかという議論も出てくるし、組合も先進国はまだいいけれど、途上国の組合になると、ほんとうにこれでいいのかというところもあるし、実際は労働組合ではなくNGOが活躍している国もあるということで、そういう意味では、ILO自体もそういった世界の労働の現状を今の組織構造で受けとめていいのかという問題はあります。ただ、そういう問題について、日本としても一緒になって取り組んでいくという、実際は連合が中心に組合としてはやるわけですが、やっていってほしい。

 国際労働基準については、それはいろいろな議論の中でつくり上げてきた基準なので、できるだけ日本としても批准数を増やしていく努力というのは、今後も続けていくべきだし、日本の立場からすると、制度とか、文化の細かいところの違いがあって、批准ができないという条約もありますが、それは国際的にも誤解されないように、どうして批准ができないのかということはきちんと整理をしていくことは今後もやっていかなければならないと思います。

 内向きになる中で、ILOから国際的に何を言われようが、日本は日本でやればいいという議論が、これは別に日本に限りません。アメリカとか、ほかの国でもそういう議論は出てきていますが、これがあまり強くならないことが、日本の将来にとっては非常に重要だと思っています。

【加藤】  はい。ありがとうございました。これもまた大きな課題であります。

 最後に、山本さんのほうから、生活点とか、いろいろな今の連合としては、少しまだまだ射程に入っていない、そういうふうな活動領域というのですかね。

【山本】  いや、そんなおこがましいことはとてもとても。

【加藤】  ああ、そうですか。

今後とも役割は大きいILO、大切なディーセント・ワーク

【山本】  ただ、今、長谷川さんがおっしゃったILOとの絡みでいいますと、公務員の労働基本権問題では、今もさまざまな働きかけを、連携しながら取り組んでいますが、私が思うには、一部の貧困は全体の繁栄にとって危険であると。要するに出発点は、戦争の悲惨さみたいな、戦争というものが理屈を超えていかに深刻で、絶対やってはいけないのだという世界的規模での反省を共有してできているわけじゃないですか。で、フィラデルフィア宣言もそうですよね。その原点、その原点が労働運動のベースなのだということについては、一つしっかり我々は歴史に学んでおく必要があるのかなというのが一つ。

【加藤】  なるほど、そうですね。

【山本】  それから、2つ目は、ILOというと、専ら労働組合の、労働組合員に関することばかりやっているような感じを受けがちですが、そうではなくて、ILOは、協同組合運動についても、非常に重視しているし、それへの積極的なかかわり、あるいは促進にとりくんでいます。2012年を国際協同組合年とする総会決議を採択するに当たっても、ILOが非常に大きな力を、貢献を果たしているわけです。そういう意味では、2030・SDGとの絡みにおいても、ILOが国際的に果たしている役割、あるいはそれと連携したそれぞれの国内における豊かな取り組み、有機的な取り組みの大事さを折に触れて共有していく働きかけをやっていく必要があるのかなと思います。

 わけても、今、働き方改革って言われていますが、ソマビア事務局長のときに、ディーセント・ワークということを早くも、要するに、グローバリズムというものの光と影ではないですが、国際的な部分での影がもう歴然としている中で、いやいや、やっぱり人間らしい働き方ということが軸に据えられないとだめではないかということをメッセージとして発信しているわけですよね。そういう意味では、もう一度人が働くというのはどういうことなのかということをかなり本質的、哲学的なレベルにまで踏み込んで問題を発信し、そういう役割を果たしてきているということについては、しっかり我々は受けとめて、連合がまさに国内でそういう取り組みも一方で豊かにやってほしいと思います。

 もう一つ、最後に評価委員会ではないですが、みんなの困り事、心配事、不安なことが闊達に言えて、それを解決するために何とかしようというものが労働運動の原点だろうと思います。現役の皆さん方はそこに意を用いて頑張ってくれていると思いますが、なお一層重視して頂きたいと思います。最後に労働運動について、我々が勘違いしていけないことですが、行政は権力を持っていますから、権力を背景にいろいろなことができます。多少なりとも、我々が世の中に影響を与えられるとすれば、労働運動の力は高い志と、それに対する現場一人一人の組合員の共感と納得によって動いたとき、一人一人が行動したときにだけ社会的、政治的力が発揮できるのであって、だから、それが労働運動の力の源泉なのだということは片時も忘れずに、みんなで頑張っていく必要があるのだろうと思います。

【加藤】  ありがとうございました。十人十色の幸せ探しというのがスタートにあったわけで、もう一度その原点に返るということだと思います。

 では、今日はありがとうございました。

2018年2月1日

―― 了 ――

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【講師】長谷川真一氏、山本幸司氏

長谷川真一氏:日本ILO協議会専務理事、ものつくり大学理事長
1950年東京都生、1972年労働省入省、労政局労働法規課長、労働組合課長、労働基準局監督課長など歴任、厚生労働省総括審議官(国際担当)を経て、2005年ILOアジア太平洋総局長(バンコク)、2006年ILO駐日代表、2012年日本ILO協議会専務理事、2015年ものつくり大学理事長
山本幸司氏:労働者福祉中央協議会 アドバイザー、日本労働者協同組合連合会 顧問(副理事長)
1990年再建埼玉教職員組合書記長、1998年日本公務員共闘会議事務局長、2003年公務公共サービス労働組合協議会事務局長、2007年連合副事務局長、労福協副会長、2011年(公財)日本労働文化財団専務理事(2015年退任)、2015年労福協専従副会長退任、同参与。法制審議会民法成年年齢部会委員、国家公務員労使関係制度検討委員会委員他

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