遅牛早牛

困ること(最近の半島情勢)

 困ることの第一は、北朝鮮が核兵器を保有することである。(すでに保有しているとの観測が大勢である。) 第二は大陸間ミサイルを保有することである。(現在、米国西海岸近くに到達する能力が推定されている。) 第三は第一と第二が合体することである。

 彼国がこれら三枚のカードを同時に保有することは、東アジア地域を超える広域の安全保障状況を大きく変えることになる。北の指導者の得意が手に取るようにわかるが事態は単純ではない。まず東アジアの安全保障構造の土台を揺るがす。米・中・ロが保有、日・南・北が非保有で取れていた均衡が崩れる。半島は休戦中である。休戦とは脆弱な均衡にあるということで、核保有は目盛りを大きく動かし均衡崩壊を導き、開戦のリスクを高める。

 また北朝鮮が大陸間弾道弾付きの核保有国になった時、保有に見合う配当を要求するのか。すなわち現在のいびつな国家体制の存続承認を米国に認めさせることに止まらず、半島における新たな均衡点を求め秤の目盛を変えるのか。それは具体的に何を意味するのであろうか。またそのことについて米朝の折り合いがつく可能性があるのだろうか。どう考えても米国が受け入れるとは思えないが、とんでもない難題が表出することになる。最近、米国には北朝鮮の核保有を前提とした新たな枠組みについて話し合う可能性があるのではといった観測が流れているが、日米韓連携(同盟)を土台にした安全保障体制をほったらかしにしてかかる話し合いが可能であるはずがない。先ず「核保有を前提」などどこをどう捻っても出てくるものではない。核拡散防止条約(NPT)の脱退国が保有国になるなど冗談にもならない。むしろ北朝鮮保有の核兵器がテロ組織に流出することをいかに防止するか、これが現実的課題である。

 次に中朝関係である。「とんでもなく目障り」だと感じているだろうが、現在中国の反応は鈍い。10月の党大会までは何事も無いようにとの気持ちはわかるが、遅くはないか。外交巧者の中国にしては手抜かりではないのか。それとも党大会以後でも十分間に合う秘策があるのだろうか。このままでは中国外交の汚点になる懸念が高い。特に暴れる北朝鮮の存在が対米を中心とした外交上中国にとって何かと好都合であることから、寛容な対応が本心との推察があるが、それが事実なら中国外交とは底に穴の開いた瓶のようなものだ。災いがもたらす被害の全貌を洞察できていない。北朝鮮は中国の属国ではない。意のままに操れるとの思いが、重大時点でコントロールできるから今は泳がせているのだと考える根拠であるなら、そのこと自体国際社会に対する裏切りではないのか。本当に操れるのなら、今でしょう、となる。小さな成功であっても、一度味をしめたオオカミは二度目を試す。本当にオオカミを手なずけられると思っているのか、隠された手の内は見えないが、根拠のない自信と事態への侮りが重なったときボヤが大火になる。中国の責任は重大である。

 続いて南北関係である。韓国は耐えられるのか。今ある、喩えようのないゆるさは日米共に歯がゆいことであろう。北朝鮮は核弾頭と大陸間ミサイルの保有を最大限活用すると思われる。とりわけ韓国を手玉に取り、そして自らの優位性を際立たせる政治ショーに活用するためにはギリギリの状況を作るであろう。ギリギリとは悲惨な状況をきたすリスクを持つことである。この緊張状況こそ北の狙いである。ここ数年北における戦略作成能力の向上が見られる。料理でいえば包丁のキレが鋭く、味付けが際立っている感じである。側近粛清がもたらした現象だろうか。老から壮にステージが移行した感がある。ブレーキの利きが相当悪くなっていることが気がかりではある。

 民主国家と専制国家が対峙し合ったとき、まぎれもなく専制国家の方が優位である。失うものが多い国、何かと統制が難しい国。激情の人々が選ぶ道筋は融和か対向か。議論の結末は米日韓のスクラム強化で対処せざるを得ないとなるであろうが、休戦とは開戦までの休憩時間でしかないとの事実を国民が直視できるのか。特に対抗戦術核の配備については賛否相容れぬ激烈な議論がおこると思われる。簡単には答えが出ない困難な政治状況が続くであろう。強北弱南から南北均衡へ日本の役割を巡りこれまた大きな議論が列島に巻き起こることは必至である。

 これからの日朝関係は特に日本の政治に歴史的変革をもたらす恐れがある。まず仮想敵という概念の扱いである。我が国の憲法は平和主義を基軸にしている。この平和主義は一般的に仮想敵概念を持たない。侵略ありせばこれを撃退する。いわば侵略発生主義である。国際紛争を解決する手段として戦争、武力威嚇、武力行使を放棄しているのが憲法9条である。だから数弾のミサイルが領海に着弾したとき予防措置として次の発射を阻止する武力行使はできない。また領土に着弾し被害が発生したとき、「座して死を待つことはできない」として敵基地攻撃を多くの国民が容認したとしてもそれはできない。敵基地攻撃とは国権の発動たる戦争である。いろいろな考えがあると思うが、そのためには憲法改正が必要であると考える。想定ではなく現実に直面したうえでの議論である。かつて日露戦争終結にあたり、すなわちポーツマス条約をめぐり日比谷焼打事件が発生した。時代も環境も国民の意識も違う。しかし「何もしないのか」との糾弾に政治家は弱い。何かをしなければとの思いから、長期視点を欠く判断が生まれる。事態にあたりどれだけ冷静でいられるのか。平和主義の試練だと思う。

 防衛予算を効果的に運用するためには仮想敵を概念化する必要がある。侵略に結びつく仮想敵を想定することにより資源の効果的活用が可能になる。また具体運用は日米連携が深化していることから、外から見れば日米一体と映る。仮想敵概念は簡単にはこなれない課題であり、中ロの反発も予想され、答えは出そうもない。日米安保体制が迎える新しい領域、少なくとも国民から見ればそう映る。

 特に日韓に対抗戦術核を配備することは中ロにとって受け入れられることではない。だったら北の核化を阻止せよと言いたいが、核保有を前提の議論はまず無理である。我が国の非核を前提に、北朝鮮の核を無力化(廃棄が最善だが)する米中ロの枠組みと半島の軍事的政治的均衡の確保、およびこれが最も重要であるが、北の挑発的暴挙の封じ込めについて核大国の現実的合意ができなければ東アジアに安定はない。日本は残念ながら主役ではない。脇役ではあるが助演賞もある。平和と繁栄を求め真摯な汗をかくべきではないか。

 去る8月5日国連安全保障理事会は北朝鮮への制裁強化の決議を採択した。制裁としては前進であるが、完全ではない。「窮鼠猫を噛む」の喩えもあるが残された時間は余りない。 すごく憂鬱な気分だが中長期の時間軸における被害の最小化を図るべく21世紀の国家指導者にはなすべきことがあると思う。

2017年8月10日

加藤敏幸