遅牛早牛

時事雑考「悪夢ではない現実だった (リーマン・ショック、地震、津波、原発事故)」

◇ 「悪夢のような」という表現がお好きな方がいる。「悪夢のような」と「悪夢」は違う。悪夢であればうなされるだけで、覚めればなんてことはない。だから、民主党政権を支えた立場でいえば、正直なところ悪夢であって欲しかった。その一つは、リーマン・ショックによる景気の急激な減速であり、二つは、東日本大震災と原発事故である。夢なら早く覚めてほしいが、残念ながらそれらは現実であった。

◇ 起こったことすべてを書き留めることはできないが、急激な経済の不調は多くの国民を苦しめ、雇用の不安定化が派遣労働者を直撃した。また震災は多くの命を奪い、町や村を破壊した。原発事故は大規模な避難を人々に強いた。そして苦しみは今なお続いている上に、関連死も多い。もし当時の政権の対応が悪かったと非難したいのなら具体的にいえばいい。野党の批判は民主政治にとって必須のものである。

 しかしいま思えば、リーマン・ショックそのものは福田政権下で発生し、直後の924日に麻生政権に交代したことから、初動対応は麻生時代であった。

 また、わが国の原子力発電はすでに40年以上の歴史をもっており、その安全性の確保は歴代政権の任務であった。具体的には最大津波高さをどう想定するのか、過去の記録の検証が進むなかで、この点についてさえ反省すべきことは多い。そう反省すべきことは数えきれないのだが、どこまでこなし切れたかと思えば晴れ晴れとした気分にはなれない。

 「悪夢のようだったね」と慰められているとは思わないが、そう「悪夢のような」と揶揄するのは勝手だが、そんなレトリックなど寄せ付けないほどの極めて深刻な状況であったことは確かである。

◇ むしろ「悪夢のような」と修辞する人の立ち位置に、妙に距離をとるニュアンスが感じられてならない。それというのも当時の野党の方々からかけられた温かい言葉を覚えているだけに、この距離感、傍観者然とした空気感、あるいは当事者としての見当識の欠如、こういうのを狐につままれたというのかしらと本当に不思議な感じがする。

◇ 繰り返しになるが、20099月自公連立政権が倒れ民主党政権が誕生した。前月の総選挙の結果を受けた本格的な政権交代であった。

 しかしこの新政権の前に立ちはだかったのが、前年の2008915日に発生したリーマン・ショックとその後の景気後退であった。リーマン・ショック発生時の受け止め方は、当時の担当大臣(故与謝野馨氏)の「蜂に刺された程度」という言葉に集約される。確かにサブプライムローンなどの直接被害は数百億円程度であり、全体規模に比すれば僅少であった。しかし、翌2009年にかけ世界経済が急速に減速する中で、急激な円高(105円が一時80円を下回る)が対外輸出の大幅減少をもたらし、わが国経済を大きく揺るがす事態にいたった。蜂の一刺しがアナフィラキシー・ショックを引き起こしたようなものであった。ちなみに2008年度の一般会計税収は44.3兆円、また2009年度は38.7兆円となり、2007年度の51.0兆円からは、6.7兆円減、12.3兆円減と大幅な減収となった。(金額は財務省、税収に関する資料、一般会計税収の推移から引用、以下同様)

 この大幅な税収減は新政権の屋台骨を揺るがせた。それは積み重ねたマニフェストの議論を粉砕するに十分な税収の落ち込みであった。また雇用情勢の悪化もひどく、特に派遣労働者に対する契約打ち切りは彼らの生活を直撃し、たとえば年越し派遣村の設置など社会問題として報道され、改めて非正規雇用の脆弱性が問題視された。

 政権批判は甘んじて受けるべきものではあるが、なかなか厳しい状況ではあった。

 「マニフェストには条件をつけるべきではないか。経済恐慌に近い状況下では実現は難しいではないか。また、環境変化などを反映させる改訂条項など、柔軟な仕組みを工夫しなければ、結局マニフェストは根付かないのではないか。」などの意見も見られたが、多くは政権運営に精いっぱいで党内議論にはならなかった。

 一方、事業仕訳は新しい試みであり、成果は思いのほか少なかったが、それでも問題提起することができた。他のマニフェスト項目についても議論が尽くされればよかったのにと思う。何事も生煮えで、よかったのか悪かったのか、はっきりしないのが最も良くないことだ。

 といいつつ、一般会計税収推移のグラフを見るにつけ、長期視点に立った政策論議を許さなかった厳しい歳入環境に残念との思いを超える恨めしさを禁じ得ない。

◇ そんな中、2012年野田政権下での税と社会保障の抜本改革についての議論は民自公三党合意として結実し、2014年消費税引き上げの道を開いた。消費税引き上げは確かに景気にマイナスであることは間違いない。だから引き上げにあたっての政治の最終判断が重要であることはその通りであるが、先ほどの一般会計税収推移を見ると、2014年度、2015年度の消費税収入が2013年度(10.8兆円)に比べ5.2兆円、6.6兆円の伸びを見せている。国民の負担増が歳出を支えていることに改めて心が動かされるし、借金体質の政府にとって極めて貴重であることは間違いないことであろう。嫌味になるかもしれないが、「悪夢のような」ひどい政権からの遺贈にしてはいささか多過ぎるのではないか。 

◇ 20113111446分、東日本大震災に襲われた。時あたかも参議院決算委員会の最中だった。地震と津波による深刻な被害、生まれて初めて見る惨状に言葉を失った。

 政府としては被害への迅速な対応と速やかな復興に向け最大限力をつくすのみで、そのため政治資源の全てを投入する決意であった。阪神・淡路大震災も大変だったが、今回は被災地域が広く、また津波被害が尋常ではなく、とにかく厳しい状況にあった。加えて、津波の襲来を受け発生した原発事故は未経験の厳しいレベルのもので、政府ならびに関係者は当面の事故処理と住民避難誘導に専念せざるを得なかった。国内だけではなく国外からも注目され、多くの支援が寄せられた。

 ある意味無我夢中であり、野党の協力も得ながらひたすら前進したつもりであったが、足らなかったことも多かったと思う。

 特に原発事故への対処は果たして最善であったのかどうか、どうすべきであったのか、原発事故調査報告が複数出されている今日、想定を超える事態が発生した時の政治主導の在り方について、大きな課題が残されていると思う。

 来年は発災10年目を迎える。この間明らかになった事実を積み上げながら、後付け議論だといわれても、関係機関の適切な対処と政治主導の在り方について謙虚に顧みる必要があるのではないか。特に発災時の政権を構成した方々には強く要請したいものだ。

◇ リーマン・ショックも地震も津波も原発事故も民主党が引き起こしたものではないが、しかし、時の政権政党としてすべてを引き受けなければならない。当然のことである。そして最善を尽くしたのか、他に選択肢はなかったのか、真摯に自問し続けなければならない。今後も政権を目指すなら、晴れの日だけを語るのではなく、全天候に対応できる責任の在り方を身につけることが大切ではないか。力と政策を磨きあげれば「悪夢のような」といったレッテル貼りが白昼横行する事態は起りえないし、そうなることが支援者の望むところではなかろうか。「強くなれ!」ということだ。

◇ 照り返す光の圧に息をのむ 

加藤敏幸