遅牛早牛

三月十六日、即詰みの風景

 将棋ブームである。名人戦などでは別室に大盤が用意され、解説や予想でにぎわう。テレビ対局ではプロ棋士による解説が放映される。

 「詰んでますね。う~んと。」解説者がつぶやくと、見る側に緊張が走る。「いや、失礼しま~した。う、こうなるとわからないか。いやそうでもないか。」と独り言がつづく。どっちでもいいから、はっきりしろ。と内心いらだつ。

 一時間半の番組の中で、ここがもっとも面白い場面である。私のような素人には、5手先、7手先を読むのは難しい。詰将棋問題には正解があるからいいようなものだが、詰むのか詰まないのかが分からないと素人は途方に暮れる。ましてプロ棋士が読む何十手先の詰み手順の有無は素人には神がかりである。また詰み手順があると思えても完全に詰むかどうか短時間での検証は難しい。だから解説者もはっきりはいわないのだろう。

 また詰み手順があるにしても、対局者が間違えると詰まなくなる。手順が前後するだけで局面が変化する。よほどはっきりした手順でない限り解説者はいわない。即詰みがあるのにそれを見逃すことはプロ棋士の恥である。あからさまにいわないのは対局者への気遣いもあるのではないか。

 さて、現下の政局であるが、政権運営でいえば詰んでいるのではないか。理由は簡単。この一年間の国会でのやり取りを振り返れば、今までの答弁ラインを維持するのは無理である。では答弁ラインをどこまで後退させるのか、またそれにともないどのように「過去答弁」を修正するのか。今のところ見当がつかない。ということは国会でのやり取りができない。つまり「答弁不能」状態に陥る可能性が高い。政府が国会に対し答弁不能というのは瓦解しているということである。そのくらい書き換えの事実を認めたことは重大なことであった。

「無い」と強弁したものが出てきたときに、「まがい物だから意味がない」といい逃れはできない。「まがい物」で意味がないなら隠す必要がないからだ。一般に隠ぺい物の証拠性は高い。だから隠ぺいしたものが露見したときの対応にあたって、まず考えるべきはダメージコントロールで、露見したものの真偽や意味合いを四の五のいっても仕方がない。まして最高責任者が「知らなかった」ではすまされない。知っていれば同罪、知らなければ監督不行き届き。局長答弁も政府答弁である。内閣は国会に対して連帯して責任を負うのだから、国会における局長答弁は内閣の責任である。

 さて今回のダメージコントロールであるが、与党の一画がスルリと体をかわした。国交省に原本写しがある、と大臣が表明した。ぎりぎりの対応である(裾は引っかかっているかもしれないが)。それに比べ渦中の財務省は大臣辞任のタイミングを失った。「責任を痛感し辞任すべきものと考える。」このぐらいの一言が急場の一手なのに、あわてたのか、老練な政治家にしては残念な対応であった。

 「詰んでいる将棋」なんだから、どこで投了すればダメージの最小化がはかれるのか。今はこの一点であろう。野党の手順が間違ってひょっとしたらうまく切り抜けられるかもしれないので、ここは少しようすを見たらいかがでしょうか。こんなのは最悪の囁きである。何かあるとすぐようす見に走る。野党にも多いが、これは政治家として失格である。果断。このセンスを持たないものはいざという時に役に立たない。現下の焦点は投了の時期と形である。また早急に後継首班をまとめることである。そして後継首班は「非安倍」でなければならない。

 加えて、日米首脳会談を成功させること。これが形、花道だ。後のことはいいではないか。これで自民党は残る。残れる。どんな状況になっても執行権を持つ側に優位性がある。残念ながらこれが現実政治ではないだろうか。

 一方、詰みそうなのが国会である。虚偽答弁は国会に対し行われた。なめられている。「なめるなよ」と怒声を浴びせても、「いえ、とんでもございません」と平伏されても、なめられている事実に変わりはない。力がないことを見抜かれているのだ。野党は数が少ない上に分裂している。多すぎるぐらいに多い与党は官邸の顔色をうかがっている。媚びているのもいる。元気のいい役人をかくまうこともしない。これでは侮られても仕方がないではないか。加えて対応の遅さである。国民がなめられているわけだからもっと機敏に動けなかったのか、残念。

 昨年、平成29年秋、国会は何をしていたのか。「もり、かけ、スパ」とはいわないが、やることはなかったのか。国会は批判で成り立っている。与党であってもそうだ。批判がないから倦むのである。国民が選べるのは国会議員であって、政務三役ではない。

 最後に、与党がことの重大性に気がつき果断にことを運べば野党の動きは封じられる。安倍政治の行き過ぎをすみやかに改め、成果は継承する。歳入庁を新設し、対策を万全なものにするため、新首相のもと心改め出直し総選挙。あるかないかわからないが、このぐらいのことは想定すべきではないだろうか、野党の皆さん。それにしてももどかしいなぁ、ふるさと村は。

加藤敏幸