遅牛早牛

閉会してはならない、結論が出るまでは

 けだるくて感じが悪い。国会を中心とした政治状況が、である。何かの病のようで、確たる病ではない。これが「未病」なのかと思いつつ、新聞に目を落とすと私大アメフト部の悪質タックルをめぐる騒動が長引いている。大学の運動部は華やかで、ニュース価値も高い。だから枠からはみ出た部分は何かと騒がれるものだが、今回のケースは「監督の指示による反則タックル」の疑いを起源とする連鎖反応型騒動である。

 反則タックルは審判がフィールドにおいて処理する。通常はここで完結するものだが、監督の指示があったとなると、処理はフィールドの外に持ち出される。起こるはずがないと考えていたことなのでいろいろ手間取るうちに、加害選手の記者会見がマスメディアに大きく取り上げられ世論の着目を浴び、いわゆる大ごとになった。この間、誰が当事者として責任ある対応をすべきなのかが不明(中途半端)なまま迷走状態に陥り、関東学生連盟の処分が決まり、当該大学にとって抜き差しならない状況にいたった。

 これは連鎖反応といえる。ある原因が事象を引き起こし、その事象が原因となりさらに新たな事象を引き起こす。また対応の後手現象といって、やることなすことがタイミング的に間に合っていないから、鎮静効果がなく、むしろ火に油状態になる。残念ながら介入のタイミングを間違えた(遅れた)ために必要以上に騒動が大きくなり、収拾が困難になっている。特に部活動を超えて全学の体質までがやり玉に挙げられる必要があるのか、はなはだ疑問である。過剰反応であり、過剰報道であると思うが、その原因の一つは当該大学の対応にあるのでマスメディア批判はステージを変えた方が賢明と思われる。

 さて報道が過激になればなるほど、洗いざらい、あることないこと、余計なことまでかき回されていると当事者は感じているのではないか。これは被害者意識からくるもので、状況をコントロールできていないときに多くみられる。またこの意識は「自分は悪くない」との自己認識の上に乗っかっているもので、どうして非難されているのか見当がつかない。あるいは「あいつのせい」で余分な苦労をさせられているとか、何らかの悪意つまり陰謀ごときが存在し、それがあれこれと仕向けてくるのではとか思っているのではなかろうか。それらは疑心である。また、どうして自分たちだけが責められるのか。おそらく不公平だと感じているのではないか。そういった心的状況が適切な処理の展開を遅らせていると思う。つまり当事者として言い訳と繕いにこだわるあまり、内心の整理がおろそかになっていたのであろう。内心の整理ができないと思い切りのよい行動はできないものだ。

 加えて学内二位の実力者が当事者であったことが問題を難しくしている。常務理事が運動部の監督やってどうするのよ。不祥事が発生したときに、火消しにあたる上位機関がフリーハンドでなければ消火はできないでしょう。

 また発端の事象への反省がないから、連鎖反応が起こっているのだ。真摯に反省する、またそれを表現できる、責任ある人が記者会見をすべきであった。かえすがえすも残念な対応であったと思う。ところでこの騒動はいつまで続くのかしら。報道対象が教育の場であることへの配慮はやはり必要だと思う。

 さて、ナンバーツウが当事者だと解決が難しくなること、発端の事象への反省がないから連鎖反応が起こることなど、けだるくて感じの悪い政治状況の原因と共通しているようだ。しかしこちら(政治)のほうはまだまだ時間が掛かるでしょう。ナンバーツウ以上にナンバーワンがかかわっているのだから、答弁を変えることは土台無理かもしれない。おまけに内心の整理が政権の帰趨に直結しているのだからますます不可能に近いと思う。だとすれば国会が示しをつけなきゃ、「けだるくて感じの悪い」状況は終わらないのではないか。与野党を超えて国会議員が本気で国民が納得できる結論を出さない限り、閉会することは許されない。

加藤敏幸