遅牛早牛

時事雑論「立憲民主党が政権を射程に入れるための要件」

◇ 立憲民主党が政権を射程に入れるためには何が必要であるのか、もちろん論点は多くそれらの全てを論考することはできないので、とりあえず三つの分野について考えてみる。一つは、近隣外交。二つは、人材。三つは、政策である。

◇ 近隣外交とは何か。それは、連立を組む相手との良好な関係づくりである。昨日までの立憲民主党は「近攻遠攻」であった。遠い自民党と近い国民民主党を攻めた。よくいわれる遠くとむすび近くを攻める「近攻遠交」は戦国時代の戦略であり、連立時代にはふさわしくない。近くとむすび遠くを攻める「近交遠攻」が正しいといえる。

 同党は、夏の参議院選挙の結果を受けてすこし軌道修正し、共同会派ができた。行政監視機能を高めることは長期政権がもたらすマイナスを国民視点からチェックするためにも有意義である。また、共同作業を通じて「近交」が深まる効果もあろう。衆議院においては雰囲気がずいぶん良くなったようである。しかし、参議院には木枯らしが吹いている。

 つまり、向こう三軒両隣と誼(よしみ)を通じあえないものがどうして天下を語ることができようかということである。また、「与えることは取ること」が理解できなければ外交を担うことは難しいであろう。立憲民主党が連立の盟主になるには、まず約定を整え、それを明らかにし、堂々たる近隣外交を展開すべきである。ただし、外交は主権国家同士の交わりであるから、「参院選で国民民主を解体し、総選挙に臨む」などといってはいけない。

◇ 近隣外交の対象は政党に限らない。各団体、とくに支援団体との関係を円滑にすることも近隣外交の目的である。ここでは、労働団体である連合との関係を指摘したい。もともと、ザラザラした面があって、何かと物議をかもす間柄ではあったが、それでも選挙支援は連合本部、加盟産別、地域組織までふくめ高い水準にあったといえる。もちろん、それは民進党時代までであるが。

 問題は、2017年10月の総選挙を控え、民進党衆議院が希望の党、立憲民主党、無所属グループに3分されたことから、当座の選挙は連合の立場でいえば民進党時代に推薦していた候補は引き続き推薦するということで乗り切ったが、衆議院3グループと参議院民進党の4体の関係が複合的かつダイナミックな動きを見せる中で、参議院において民進党から立憲民主党への離脱が発生したことであった。この動きは参議院が二分されることを意味するもので、連合としては最悪のケースとして政治的分裂を覚悟しなければならないゆゆしき事態ではあったが、残念ながらそれがもたらす被害についての議論が深まった形跡は見られなかった。2019年夏以降の時点から振りかえると、この時期での参議院の二分状況をいかに回避するかが後の参議院選挙の成果、すなわち両党合わせても2016年参議院の成果(32)にも及ばないという惨めな事態からのがれる重要戦略項目であったとよく分かるものであるが、当時の関係者において本格的に対応するには至らなかった。ゆゆしき事態との認識と多少の作為はあったものの、いわば、だらだらと状況だけが動いていった。

 この時(当分の間続いたが)の議員ら多数の問題意識はマクロ情勢や分裂選挙の負の効果といった戦略的視点にはなく、議員の引っこ抜きや個別選挙区の陣取り合戦にも似た小競り合いに対するミクロ事象に集中していたと思われる。まことに大局を失ったが故の失敗であり、ある意味無作為の罪に該当する事態であったといわざるをえない。(局地戦闘の達人が大戦を扱う時に起こる誤謬に近いと思う。)

 2017年10月政局のような緊急突発事態への対応は民主的手続きを基本とする労働団体にはむつかしい面があることは自明のことではあるが、広く理解されているとはいいがたい。はたして理解される日が来るのかという問いかけの方が現実ではないだろうか。

 また、何のためにとか何を目指してといった政治目標にかかわる議論が未消化の中で、実態として推薦だけが先行したことは民主的組織運営を旨とする団体にとってきわめて寝覚めの悪いものとなったし、連合の立場でいえば多々問題含みということであった。いいかえれば、職場は置いてきぼりということで、組織運営の経験者ならこの始末がどれだけ大変であるかよく分かると思うが、おそらく長期間にわたり尾を引くであろう。

◇ ここで、後知恵との批判は覚悟のうえでいえば、連合としてのベスト体勢は「参議院一体」で参議院選挙に臨むことであったといえる。その意味で、2017年9月末の民進党両院議員総会の結論は、参議院についてはそのまま民進党として待機するというもので、情勢を見定めてからその後を決めることはそれなりに合理的であったといえる。しかし、総選挙(2017年10月)の結果が立憲民主党優位に流れたことから、衆議院において民進党由来の3グループの糾合あるいは再編論議がランダムに展開される中、参議院での立憲民主党への流入が激しくなり、参議院民進党に残るものが衆議院希望の党との新党結成、すなわち2018年5月の国民民主党誕生時点においてすでに「立憲民主党vs国民民主党」の構図が残念ながら固定化され、結果として連合にとって最も不本意な形となってしまった。敵対性を含む対立構造が連合への求心力を毀損し、参議院選挙結果も両党合わせても23プラス無所属となり、2016年の32を大きく下まわった。

◇ この結果は、衝撃波となって関係団体を襲い、沈鬱な空気を生み出した。とにもかくにも、参議院選挙への取り組みは失敗に終わったといえる。その結果、立憲民主党と国民民主党の二流が労働界、わけても連合内に不協和音を持ちこむ危険な状況が生まれたが、それに対する方策の一環として統一会派あるいはその先の党レベルの統合・合流が取りざたされたが、基本政策のすり合わせでさえ生煮え状態では、共同会派への期待感は残るものの、さらなる先々の展望が開けるとは思えない。

連合あるいは加盟産別はどのタイミングにおいても現場に対し状況説明どころかいい訳すらも発信できなかったのである。だから、「何の恨みがあって(連合に)こんなひどい仕打ちをするのか。」と、意図せざることとは思うが、旧民進党由来の立憲民主党、国民民主党、無所属グループあるいは希望の党などは、顔つきと口先は別にして内容においては「連合の立場がどんどん悪くなる」ことを率先して展開していったと連合OBである私としては受け止めている。むろん、多少の怒りを覚えながらであるが、だから、連合はもっと怒りを爆発させても良かったのではないかとも思っている。

◇ このようにざっくりと振り返ってみても、連合を中心とする労働界にとって、まことに不本意極まる事態が続いていたことが理解されると思う。

 「自分の都合のいい時だけやってきて、都合のいいことだけしゃべって帰っていく」人たちが、昔、自民党がやっていた永田町ゲームをやっている。と現場は思っている。決してそれだけではないのだが、そう思われても仕方がない現実を前に、ただただ、現場レベルでの信頼関係の再構築に苦労を重ねる連合、産別、地方組織について、立憲民主党の皆さんはどう思っているのだろうか。

◇ もし、立憲民主党が政権を目指すのなら、連合が一体となって力を発揮できる態勢が必要ではないのか。連合、産別を単なる集票機関のひとつと位置づけることが本当に妥当なのか、徐々に分断状況が深刻化する事態を対岸から眺めているだけでいいのか、表面上の対応はともかく本心ではどう考えているのだろうか、この点が急所といえよう。

 また、連合の影響力が強まることが政権獲得に大いにプラスになると単純に思っているが、そうでない論点があるなら正直に提起してほしいものだ。真実を語れなければ信頼は成り立たないし、信頼がなければ真実を語ることはできない。このことを今一度お互いにかみしめたいものである。

 残された時間は多くない。立憲民主党は、連合、産別、地方組織への近隣外交を強めるべきである。問題は現場で起きているし、選挙は現場がたたかうのだから、礼を尽くすべきであろう。でないと、いちど飛び立った鳥は帰ってはこない。

◇ 人材とは突きつめれば人間力の集成である。たとえば、先ほどの近隣外交を担う多種多様な人材がそろっているのかが問われている。

 余談になるが、今の立憲民主党の幹部の皆さん方の顔を思い浮かべるに、正直外交に向いた人は少ないと思う。まあ、いわゆる口のうまい人は見かけるが、その人の存在が信頼を裏づけるといった感じの人は少ない。こちらが困るほど律儀な人も少ない。外交の妙は「あの人がいっているのなら」という不思議な説得性にある。そして、それは一朝一夕には形成できない。つまり年季がいるのである。この点、立憲の皆さんは頭が勝ちすぎている。聰明才弁なのはいいが、ちともの足りない。

◇ また、薄情そうである。人情紙風船という言葉があるが、民主党時代からそんな雰囲気があった。連立を為すに紙風船では頼りない、困るのだ。幾重にも厚情を重ねていく。だから、裏切らない、裏切れない関係になっていくのだ。この確信がなければ連立の盟約は脆いものとなるだろう。

 立憲民主党に投げかけられる人々のまなざしの中に、この国の風土に培われた人間観に立脚した「この人たちで大丈夫かしら」という問いかけがあるような気がする。これは私だけではないであろう。やっぱり普通の苦労が足りないのかな。

◇ ところで、政策は信用である。また、政権を手中に収めた瞬間からその実現に全力をあげなければならない。これは、苦しいことである。「最低でも県外」、方向性は正しいがこの言葉にどれほど苦しんだか、忘れてはいけない。

政権取得後5年以内に原発ゼロ、を実現するのか、目指すのかいずれにせよそれで国民生活の安心安定が達成されるのか。ゼロの具体的方法論があるのか。その確信があるのなら膨大な安全投資に反対すべきではないか。といった声に答えなければならない。ということで、連立の盟主に求められるのは、政権取得後に実現可能な政策をまとめる統合力であって、夢を語る空想力ではない。

◇ とくに、安全保障政策については、○○に反対だけでは通用しない。また、願望を念じるだけの政策では話にならない。今日の東アジアの現実は歴史的不連続性を抱えており、従来の対応だけでは十分とはいえない。野党の立場にあっても本格的な構想を提起しなければ有権者の歓心をかえない状況にある。

◇ 事例をあげるならば、核抑止力は現実のものか、日米同盟の限界が顕在化する条件は、朝鮮半島の非核化・和平プロセスが失敗した場合の事態をどう考えるのか、エネルギーの安定確保をどうするのか、米中対立の諸相にどのように対応するのか、米国一辺倒ではない多様な選択肢をもてるのか、また、世界の主要なプレイヤーが交替していく中でわが国も同様だが、反安倍だけではどうにもならない、実際誰が良いのか、具体的に語らなければならない。また、変化する各国政治の実相を的確にとらえ間違いのない進路を取らなければならない。エラそうな建前ばかりでは有権者は振り向いてくれない。まさに、時代も舞台も衣装も様変わりである。変わらないのは役者と演技ということでは本当につまんない、のである。

 

◇ 以上のように多くの課題を抱える中、国民は現政権の対応が不十分であると感じている。野党にとってはとんでもなく骨の折れるテーマではあるが、時代のページはすでにめくられている。ようやく主権国家100パーセントの構想を示すべき時期が来たと思うが、このあたりがこれからの時代、政権を射程に収めるための肝になるような気がする。

 もちろん、政権を取らないのならそういった面倒なことは考えなくともいいわけであるが、そうなると野党第一党である必要はなく、むしろ邪魔となるであろう。

◇ さて、参議院はまだまだといわれているが、無理に統合する必要はあるまい、それよりも本来参議院はどうあるべきかについて国民に分かりやすく説明してほしいものだ。今こそカーボンコピーを脱する良いチャンスではないか。そんな議論や努力をせずに衆議院に連動し同じ風向きに流れているようでは国民の支持はえられないのではないか、といったあるべき論とは遠くかけ離れたレベルにおいても参議院野党の惨状はまったく理解できない。(参議院与党はさらにひどいと思うが)

よほどのことがあるのかもしれないが、民意からかけ離れたところに原因があるのなら、白色クーデターを勧めるしか手はないのだろうか。政権は落日である。放っておいても落ちるのだから、今は次の事態に備えるべきである。

 枯れ葉落ち過ぎる赤さをつと踏まん

加藤敏幸