遅牛早牛

時事雑考「令和元年を振り返る、あの麦わら帽子はどこへ行くの?」

◇令和元年が過ぎていく。この年は皇室と憲法と国民の関わりについて少しく考える機会があたえられたのに、改元行事に目を奪われているうちに暮れようとしている。

 世界は、米中経済闘争、ブレグジットだけでなく複雑にして難解な多くの課題に直面している。残念ながらシリア難民、ロヒンギャ難民の苦難は続きそうだし、南米では強権政治が跋扈しはじめ、中国は香港・ウイグルをじわりじわりと扼しつつある。人権思想発祥の地を誇る欧州では移民流入をめぐり社会が揺らいでいる。東アジアでは、3回の首脳会談を経た米朝協議が頓挫し、この先の見通しが立っていない。

地球温暖化は確実に自然災害の規模を大きくし、人々の生活を破壊している。地球は水浸しで乾いていて燃えている。

振りかえるには手元の時間が足りないほど難題多発の一年であったし、なんとかしなければとの焦燥の一年でもあったといえる。反面、金余り株高に市場は沸き、富裕層への富の集積が加速し、経済格差が拡大している。

◇年の瀬を迎え、安倍一強が冴えない。永田町の事情通は、「桜問題」はずい分筋が悪いという。とくに、慌てて名簿をシュレッダーにかけたのがよくなかった、つまり黒い証拠を消すつもりが、白い証拠まで消してしまったので怪しさが膨らみ、疑いがいつまでも残ることになった。むしろ黒塗りの方がましだったということらしい。

 個人情報保護を盾にしたことや、反社の定義を「困難」とまっ白にしたのも逆効果であった。臨時国会を閉めて逃げきりをはかったが、これで終わりとはならない。桜は来年も咲くし、政権のダメージは徐々に大きくなるだろう。傷は浅そうだが心臓に近い、あるいは感染症併発ということか。みじめなことにならなければいいが。

 安倍一強 終幕に散る 桜かな

今年は節季ごとに解散風が吹いた。やり過ぎである。与党も野党も意図をもって解散を吹聴し、手前勝手な利用に励んだ。国民の都合など少しも眼中にない、永田町は病んでいるのではないか。

 そんな中、総選挙のうわさに怯え野党議員が右往左往している。見ていられない、選良としての矜持を大切にしてほしい。もちろん、当選後の目標は次の当選だから、解散風に敏感なのはわかるが、応援団にしてみればさみしい限りである。時にはやせ我慢も必要ではないか、しっかりせよといいたい。

◇そんなムードに押されて野党の合流話が進められている。大きなかたまりを作ることは結構なことである。しかし、政策が二の次では団体推薦の意味がなくなる。というと、「理屈は後から貨車でやってくる」とうそぶく人がいるが、行き先不明の列車にだれが乗るのか、不安と疑問は尽きない。

また、合流の目的が政権交代を目指すことにあるのなら、空論ではダメで、しっかりした方法論を示さなければあぶくと同じで、瞬く間に消えてしまう。

 さらに、旧民進党プラスアルファの合流だけではとても政権に届かないとみんなが思っているから、ここは与党の一部を巻き込んだ再編でなければ迫力に欠ける、面白みに欠ける、わくわく感に欠けるということになる。

◇「合流に消極的な党代表はリコールしてでも」なんて物騒な話もあったそうだが、リコールする力と暇があるなら通常論議で決めたらいいではないか。いったい何様のつもりかしら。第一、党は一部の議員の持ち物ではない。党は党員・サポーターはじめ多くの人に支えられた公的組織である。だから政党助成金を受けられるのではないか。国民民主党は議員個人の思惑が前に出すぎている。これでは応援はできないという声が出てきても仕方がない。詳しくはいえないが、支援団体には不快感が広がっている。

政策を二の次とした合流がどんな結末をもたらすのか、もう何回も学習したはずなのに、まったく懲りない人たちだ。

◇安倍長期政権の功罪が問われはじめているが、長く続いていることは功績である。安定を求める国民の思いが内閣支持率を支えていることは間違いない。また、国際会議などでは席次が上がり、役割も重くなり、納まりの良い映像を目にすることは悪いことではない。

 総じて海外滞在が多い首相であった。その分、国会での議論が浅く深掘りに欠けたのは残念なことであるが、これは安倍首相一人の責任ではない。与党議員が議会をどう考えるかということに尽きる。いくら嫌がっても議院運営委員会が決めればいいわけだから、与党議員の覚悟の問題であろう。

 首相の権限が強化されるのと同様に党総裁の権限も強化され、また官邸の官僚に対する支配力も強化されたことが権力の一極集中をもたらし一強態勢を作り上げたといえる。憲政史上最強の官邸ができあがったが、最強ゆえのマイナスも多かった。その最たるものが不祥事への対応であった。モリカケサクラ、普通に対応すれば時間がかかってもそれなりに処理できたと思うが、忖度をふくめ姑息な対応に走ったために傷口を広げた。国会運営を自在にできる力が墓穴を掘っている。その力が議会を劣化させ、与党議員をスポイルし、与党の体質を弱めている。驕った生活が高脂質、高血圧、高血糖をもたらせているのに似て、治療は簡単ではない。

 

 これは自民党だけに起こっている症状ではない。権力構造にはよくあることで、問題は崩れる前に対処できるかで、多くは敗れないと対処できない。だから、知恵者がいれば次の選挙は看板をかえることを提言するだろうが、これが至難の業で、たぶん採用されないと思う。崩れるのは一瞬、それも突然。これから先は新春の話題である。

 そういえば右方面の動きが鈍くなっている。よくよく考えれば右寄りの首相であるはずなのに右にとって良いことはなかった。北方領土はどこに行ったのか。尖閣は民主党時代よりも良くなったのか。日韓は右にとっても戦後最悪。くわえて、軍備はどんどん米国製に移り、自主防衛からは大きくかけ離れ、米軍との一体化が進んでいる。男系男子を守るためにどんな努力をしたのか。少子化が国力の低下をもたらすことは自明なのに、やっていることは弥縫策ではないか。

 よくは分からないが、昔の右翼なら連日官邸前で叱咤激励に勤しむのでないか、往年の彼らは今長期休暇に入っているのかしらと首をかしげたくなる。

憲法改正の旗が大きく振られたが事態は動かなかった。その原因の一つが、わが国を取り巻く安全保障環境の変化についての議論が生煮えに終始していることにある。たとえば、集団的自衛権行使についての憲法解釈に関する内閣法制局見解の変更を長官答弁で済ませてしまった。これでは議会は要らない。また、安保法制を束ね法案にし、一括処理それも強行採決で済ませた。何本かに仕分けて提案すれば野党の賛否が割れたかもしれない。少なくとも安全保障環境の変化については認識の共有化ができたかもしれない。このあたりを丁寧にやっておけば、改憲議論の道が開けたのではないか。野党の中にもさまざまな考え方があるのだから、やはり、議論の場を工夫すべきであった。

現実的な当座の対応の必要性は理解するが性急、稚拙の感は否めない。それにしても大魚を逃したと思う。首相にとっての大魚ではない、国にとっての大魚である。国民の前で真摯な議論を野党とともに進める。終始反対の党もあるが、結構かみ合った議論ができたと思う。旧来のステレオタイプの議論から生きた現実感のある議論へ飛躍できたのではと口惜しくもある。

機微に触れるが、今述べた前段階を単純な賛成反対の二分構造に落とし込み、仕方ないから強行採決というのでは、そのときの答弁は楽になったかもしれないが、長い目で見れば停滞を作っただけといえる。特に9条にかかわる議論については、野党は対立姿勢を維持せざるをえない。

憲法改正を目指すなら十分な議論が必須で、間違っても強行採決との批判を受けるようでは民主政治とはいえない。

ところで、9条関係では3項(自衛隊設置)を新設するという安倍案があるようだが、とってつけた感が否めない。やるのなら2項削除、石破案の方が明快である。

◇米朝協議が埋もれ火になって久しいが、「クリスマスプレゼント」が幻になりつつある。北の首領が年内と一方的に期限を切ったのは戦術ミスというより自傷行為に近い。独り相撲の後始末をどうつけるのか、ぎりぎりまで翻弄するつもりだろうが、舞台裏が見えている。北には北の事情があると思うが、つまらない挑発でトランプ大統領の立場を危うくしてどうするの。口だけにとどめておくがいい。なぜなら、かの大統領は信じられないぐらい、まるで甥っ子のように北の首領をかわいがっているのだから。直感でいえば、「非核化に向けて、他の施設の査察も受け入れる」といった譲歩がなければ事態は動かないのではないか。米朝、五分と五分の交渉はどだい無理なのだから、あまり欲張らずに、実利があれば納める勇気も必要ではないか。戦略的後退が上策だと思う。偉大な祖父も父親も成し遂げられなかった米大統領との直接会見(交渉)を実現しただけでも偉業ではないか、そろそろ着地しないと危ないよ。何が危ないのか、どんな風に危ないのか。それは、いくらライオンの機嫌が良いからといっていつまでもじゃれていては危ないということである。弱小国にとって核保有は身を滅ぼすもので、これも簡単な真理である。

 核保有すれば強国というのは短絡論理でそうはいかない。たとえば、保有に伴うコストとリスクを乗り越えられるのか、とか地政学的に無理ではないかとか、考えれば困難の大行列である。その中で一番怖いのは後ろから飛んでくる玉で、後ろとはもちろん中ロである。前門の米日、後門の中ロ、難しい構造ではないか。米中対立が厳しくなる中でどんな立ち位置を選ぶのか、究極の選択をする必要はないが、当面の選択の時期は来ている。

米中経済闘争は小康状態を保っている。貿易赤字の解消は表面上のことで、経済をめぐる覇権争いが軍事覇権につながっている実態を考えれば、内実は容易なことではない。おまけに人権が絡むと解決がさらに難しくなる。経済制裁など経済力あるいは経済規模を使った政治行為が有効な時代にあって、現下の米中の争いは深刻といえる。しかも進行不可避である。新年の朝、米中の首脳は改めてことの重大さを認識し、そして、決して譲ってはならないと決意を新たにするだろうし、その瞬間から、世界は新冷戦に突入する。まことに迷惑な話であるが、わが国は米を選ぶ道しかない。理由は、米国は国家として法の支配の元にあるが、中国は国家として党の支配の元にある。例えればガラス箱と暗箱であり、見えないものを信用することはできない。

しかし、中国共産党は何ら変わっていないにもかかわらず、世界は暗箱に慣れ中国への信頼を増している。経済力を土台にことば巧みな外交を進めているが、信に値しない。巧言令色少なし仁とはよくいったものだ。疑心の解消が先であろう。

米中膠着のもと、世界の株価は来年11月の米大統領選挙まで受信計の針のように激しく振れると思われるが、高値圏であることは間違いない。中国も不良債権が不良だと認識された途端何かが起こるだろう。脆弱性に慣れることが健康の証ではない。異変への備えが2020年世界経済の隠れたテーマであろう。

◇街角に虫食い葉もない今日日(きょうび)かな

加藤敏幸