遅牛早牛

2020年からの課題と予想 ④ 労働運動と組織率(1)

労働組合組織率は低下傾向にあるが、屋根も壁も取っ払えば 

21世紀に入って早くも20年が過ぎた。しかし、労働を取り巻く環境はあいかわらず厳しく、その運動は停滞気味といわれている。仮に、1897年の労働組合期成会の結成をわが国労働運動の起点と考えるなら約120年の齢を重ねたことになる。

 この間、苦節苦渋の歴史ではあったが、1989年の連合結成は戦後の労働運動にとっての金字塔といっても差つかえないであろう。

 その連合結成から30年余、すでに多くの組合員の脳裏には労働4団体の言葉はなく、彼ら彼女たちにとって組合加入時からナショナルセンターは連合中心であった。

 しかし、30年を超える歴史を重ねても依然として組織率の低下が止まらない。厚生労働省「令和元年労働組合基礎調査」(2019630日現在)によれば推定組織率は16.7%で前年比0.3%ポイント減である。もちろん組織率の動向と連合運動が直結しているわけではない。つまり、連合だけの責任ではないだろう。しかし、キャッチフレーズ的精神論は横においても、歯止めのかからない組織率の低下が運動全体にマイナス効果をもたらしていることは間違いない、だから、何とかならないものかと関係者が思い悩んでいると推察しているが、考えてみればこれこそ難問中の難問ではないかと思う。

労働現場は、組織化領域と非組織化領域に分断されている

 それというのも今日の労働現場は、「労組加入がごく当たり前になっている少数派領域」と、「労組加入を望むべくもないその他多数派領域」とに見事に分断されていることから、その他多数派領域に足掛かりを持たない現役の活動家に特段の働きを求めても、構造上それは難しいといわざるをえないのである、残念ながら。

 もちろん、日々組織化に取り組む現場の努力がさまざまな成果を上げていることは事実であり、毎年の基礎調査の数字にはそういった努力の痕跡が見られるし、もちろん多とすべきであるが、たとえば近いうちに推定組織率が30%を超えることが期待できるのかといえば現実は極めて厳しい。ということで、ここでは組織化ではなく、16.7%の組織労働者が全労働者を、あるいは非組織労働者を代表できるのかという問いかけについて掘り下げてみる。

さて、先ほどの推定組織率が16.7%であるということは、推定非組織率が83.3%であるということであり、この数字をどう受け止めればいいのか、また16.7%と83.3%との関係において、とくに政策・制度課題への取り組みにあたり83.3%を巻き込むことができるのかなど、今後の労働運動にとって決して軽くない、また避けることのできない課題が見いだされる。

 さらに、非組織化領域において日常的に発生している、働く側にとっての「不十分、不利、不満などのことがら」が労働運動全体の課題として本来俎上にのせられるべきであり、またそれらの「ことがら」が発生している領域こそが今日の労働運動の主戦場として認識されなければならない。

しかし、残念ながら既存の労働組合が直截にそれらの領域に乗り込み直接問題解決にあたる体制になっていない。あえていえば、漸進的な組織化や公的機関などを通じての解決などの間接的な手だて以外に選択肢がない状況下にあることから、意欲のある活動家にとっては隔靴掻痒、本意ならざる状況といえる。

16.7%が83.3%を代表できるのか(労働者代表性について)

 今日の労働現場が、概念上組織化領域と非組織化領域に分断されているという問題意識に基づき、労働者代表について少し考えてみたい。それは、やや形式的であるが、83.3%を16.7%が代表できるのかという問題と、仮に代表するとして、いかなる条件あるいは機能を持つべきかという具体問題として、ここでは考えていく。

 まず、前問であるが、これは通常ありうる話ではなく、当然のことながら83.3%を16.7%が代表することはできない。しかし、16.7%が100%を代表しうることは可能である。多少強引な論法ではあるが、労働者性を有しかつ特殊でない労働環境下で組織化された16.7%の声を全労働者の声と受けとめることは可能であるし、政府や政党への要請項目についても、それをまとめた団体だけのものとしてではなく労働者全体の声として受け止めることは十分可能である。そして、現に政策・制度などへの要望意見の取入れにあたっては初出の団体にこだわらず、全体の要望意見として受け止められている現実こそがその証明ともいえる。

 このような状況は、ある程度問題の共有化と普遍化が図られているいわゆる「善き」社会的関係が形成されている条件のもとで成り立っていると考えられるが、当然扱うべきテーマにも強く依拠されているといえる。

 「善き」社会的関係が形成されているとは、たとえば、育児休業者への休業給付が、育児休業法成立過程などと同様に労働組合が職場の要求を組織化し、最終的に制度として確立せしめた事例にみられる政治、行政、労使などの各アクターが建設的に連携しあえる関係が成立している状況をいうもので、このように、協約の適用拡張とも通底する制度の普遍化は、はじめに声を上げたグループだけに適用されるものではなく、当然のこととして該当するすべての労働者に適用されるという意味において共有され、ゆえに16.7%が100%を代表することができているといえる。

つまり、少数の組織化された労働者グループが政策あるいは制度の創設や改善に対し先駆的努力を重ねた結果、普遍的成果を獲得していく経路を少数グループの独善だと白眼視することは妥当ではなく、さらに、現状のような低い組織化実態を直視したうえで、労働者の生活あるいは福祉などの改善を進める具体策が他にありうるのかと考えれば、たとえ16.7%という低い組織率であっても、成果が広く行き渡る限りにおいて社会的意義を持ちうるといえるのではないか。

 一方、どう考えても無理と思われるのが、83.3%と16.7%との間にある利益背反事項や靖国神社参拝に代表される政治や宗教に依拠する事項については当然難しいといえる。利益背反事項とは、たとえば非正規をふくむ雇用形態にかかわる事項などで、これらについて組織化されている16.7%の労働者が83.3%の労働者を代表する立場をとることは難しいだろう。つまり、雇用形態から生まれる各種の差異について16.7%側がたとえ善意であっても、あれこれ口を出すことは限定されるべきである。ここで限定というのは、当該職域を組織化できていないのに、つまり、意見聴取の仕組みもないのに一般論として労働組合だからという表札のみの立場だけで雇用形態など労使関係の基礎部分から生じている問題にあたることには慎重でなければならないということで、とくに協約上ユニオンショップ条項で守られている立場には微妙な色合いがあって、そうでない立場にすれば気に障るという感情はどうしてもぬぐい切れないことからも大きな壁があるといえる。

 といいながらも、非組織化領域であっても適切な意見聴取の方法を講じるなら、その範囲で発言することはそれなりの意義を持つと考えられる。また、たとえば労働者派遣業などは、対象となる労働者の組織率は極めて低いが、それでも大手派遣業では派遣元において少なからず組織化され、また産業別労働組合に加盟している労働組合も存在する。彼らが派遣現場で日常的に経験しているさまざまな課題を基盤に、派遣業での非組織領域に発生していると思われる問題群を類例化し、その解決策を模索することは当然のことであろう。が、はたして賛同を得られるのか不確かであり、現実は質疑応答すら難しく、確認の取りようもない、いわば遮断状態にある。

 ここで、16.7%が努力すべきは、83.3%との交流である。交流の最終形は組織化であり、既存の労働運動への参加であろうが、道のりは遠く困難も多い。そこで、当面の活動として政策・制度課題にかかわるコメントを募集することもありうるのではないか。いわゆる、労働版パブリックコメントの83.3%への開放である。先ほど、適切な意見聴取の方法と述べたが、83.3%とは5000万人規模であり、考えようによっては「適切」の程度とあり方の難しさに目がくらむかもしれないが、小さくとも一歩を進めることが大切ではないか。

 思えば、連合の政策・制度課題の取り組みは長い時間と組織内討議の結晶体である。決して、組織内に閉じこめてはいけない。自信をもって開放し社会的な正当性を獲得していくことが、新しい分野を切り開くことにつながるのではなかろうか。

推定組織率は企業規模との相関が高く、99人以下では0.8

 こういった議論をさらに進めるにあたり、83.3%と16.7%を分け隔てている要因が一体何であるのか、ある程度体系的な分析が必要である。たとえば、労働組合基礎調査に対し、「企業規模別に見ると、1千人以上の企業では568万人であり、推定組織率は40.8%となった。100999人の企業では11.4%、99人以下は0.8%であり、中小企業の推定組織率は依然として低い。」(連合事務局長談話20191219日)とあるように、企業規模が着目されるのであるが、簡単にいえば99人以下では残念ながら労働組合はほとんど見あたらないに等しい。また、1千人以上の規模でさえも40.8%に止まり過半を制していない。

 全体の推定組織率が16.7%という低い水準、つまり6人に1人であることを前提に、組織化領域は相対的に大手企業の比率が高く、非組織化領域は小規模企業の比率が圧倒的に高いといえる。

 産業別では、電気・ガス・熱供給・水道業が59.3%、複合サービス事業が52.3%、金融業・保険業が45.0%と上位を占めている。以下、公務が34.0%、製造業が26.1%、運輸業・郵便業が24.2%、建設業が20.3%と続いている。

 雇用形態別では、パートタイムで働く組合員は133万人を超え、推定組織率は8.1%となっている。であれば、約1500万人のパートタイム労働者が非組織領域に居ることになる。

16.7%が83.3%を代表するには、テーマの普遍性、利益共通性、労働者性が大切であるが、経営問題、安保政策、消費増税などはそぐわない

 前述において、16.7%が83.3%を代表できるか、できるとすればどのような条件を満たすべきなのか、またどのような機能を持つべきか、という設問をおこなったが、これは現実の課題としては、既存の労働組合あるいは上部団体への注文事項として位置づけられるもので、たとえばわが国の唯一ではないが圧倒的な存在感を持つ連合の発言が「だれ」を代表するのか、という問いかけと対を為すものである。

 ここで、簡単に整理すれば、全労働者におよぶ普遍性を有し、また、できる限り全労働者内に利益背反を生じさせないテーマで、もっぱら労働者性を基盤とする問題領域の範囲ということであれば、にわかにその代表性に関する火花を散らすような議論が発生するとは思えない。

しかし、たとえば経営問題は確かに労働者に直接・間接の影響を与えるものではあるが、直接の労働問題ではないうえに、議論の展開によっては労働者内部に利害対立を生み出す恐れがあり、さらに全労働者におよぶという普遍性にはほど遠い、ということで対象外とすべきであろう。

 また、国の安全保障や政治家(公職者)の靖国神社参拝など、個人の政治信条や宗教心に根ざす課題についても対象外であろう。

 では、消費増税などの税制にかかわるテーマはどうであろうか。税制の前に、たとえば為替政策は、産業、業種さらには個別企業によって円高差益、円安差益を享受できるポジションが明確であり、そのうえ労働者性よりも消費者、生活者としての立場が前面にだされるので、対象外であろう。

 同様に、消費増税も財政規律、世代間負担の均衡、社会保障制度の安定など複雑で大掛かりな政策議論をこなしたうえでの対応が求められることから、既存の労働団体においても簡単ではない議論をこなさなければ前には進めない。したがって、課題としては対象といえるが、はたして複雑な論議経過や総合判断の中身を十分伝えきれるのか、つまり政策・制度にかかわる説明責任を果たせるのかという手続き論において、困難かつ複雑なるがゆえに対象外とすべきであろう。組織内で困難な議論をこなしたからといって直ちに全労働者を代表しうることにはならない。もちろん、困難な議論そのものは貴重な参考となるもので、評価すべきではあるが。

労働組合への加入が労働者意識を涵養している

 パートタイム労働者のうち1500万人(非組織)は数として存在しているが、相互に労働組合的連絡あるいは対話ができる関係にはない。また、問われれば自らをパートタイム労働者と述べることがあるとしても、連帯しあえるパートタイム労働者との意識は希薄であろうし、ましてや、政治的、経済的グループを形成すべき、あるいはすることができる属性を有しているとは思ってもいないであろう。

 仕事に向き合うシーンでは労働者であるが、時間単価の引き上げや政策・制度の改善に関与するような能動性を有する労働者という認識は、非組織領域に居る限り持ちえないのではないか。(たとえ認識を持ったとしても動きようがない現実を痛切に感じていると思われる。)

 つまり、1500万人のパートタイム労働者が非組織領域にいる限り、政策・制度課題の要求づくりに参画し、自らが直面している生活上の問題解決にあたれる立場あるいは権利あるいは力をもっていると自覚する契機がないと思われる。

 少し飛躍するが、パートタイムという言葉がニュアンスにおいて労働者性を排除する側面を持ち、あるいはその言葉が有する多少の気楽さを感じていても、気楽とはいっても日々の仕事は結構厳しいし、ましてや品質責任は強く問われるケースも多く、多様とはいっても家計責任を有する以上、現実は賃金労働者そのものであり、それならば労働運動の最前線に立つべきではないか、という気分、認識を持ちうるのはやはり、組織的運動に参加してのことではないだろうか。

この点、133万人の組織化パートタイム労働者と1500万人の非組織化パートタイム労働者との比較研究が待たれる。

 以前から、パートタイム労働者が労働者意識を持つことにはさまざまな壁があることは指摘されていたが、考えてみればその労働者性を否定するものはみじんもないわけで、さらに労働条件において劣位にある現実を考えれば、少なくとも1500万人への経路は早急に開発されてしかるべきではないか。

 既存の労働組合側の意識変革が必要ではないか。

二つの領域を隔てる語彙、認知、問題意識の差

 

 現在の労働組合の一部に、憲法、基地問題など政治色の強いスローガンを前面に立てた活動を展開しているグループが存在するが、そのことの是非は別にして、83.3%にすればほとんどつながっていない世界と感じているのではなかろうか。

 同様に、「格差是正」を訴えても自らの身に降りかかる具体事象としての格差を感じなければ、街角で耳にする単なるスローガンの一種としか思わないであろう。つまり、身に覚えのないことがらは届かない、正確にいえば受け手の認知機能に作用しない・できないメッセージは無いも等しいといえる。これには、知覚できる周辺との比較においてあまり格差を感じてない日常も強く影響していると思われる。

 ここで、大胆な仮説を立てれば、先ほどから分別記述している「労組加入がごく当たり前になっている少数派領域」と「労組加入を望むべくもないその他多数派領域」とでは、労働に関する言葉遣いが大きく異なっている、極論すれば語彙体系が違うのである。とくに、前者ではナショナルセンターと呼ばれる全国中央組織が掘り起こした情報宣伝言語が、近年読まれなくなったとはいえ、数段にわたる階層ごとの機関紙等の媒体を通して縦横に流通している。また、時に集会では役員・委員などの活動家の話しを通して職場組合員に達しているので、社会、経済、政治に関する言葉遣いの共通認識は完全ではないが一定の水準にあると思われる。

 一方、後者においては、与件的に既存の労働運動からは遮断されている状況にあり、であるからとくに問題意識を表す語彙については日常触れることが極めて少ないといえる。もっといえば、わが国の義務教育および中等教育において労働に関する授業そのものが少ないうえに省略されることが多く、さらに、高等教育においても労働に関する専門課目を選択しない学生にしてみれば、将来も役に立つものとは思っていないことからも、関心は極めて低いといえる。いわゆる軽んじているのである。

 結果、労働基準法の存在さえ知らないとか、労働組合の機能についても全く無知であるといった、先進国とは思われない惨状にあるといっても過言ではなかろう。もちろん、社会生活とりわけ就業してから徐々にその方面の知識などを身に着けていくと思われるが、その必要性からいえば遅々としたペースであることは免れない。

 結論的にいえば、提起した二つの領域には、労組加入の有無以上に、労働にかかわる語彙だけではなく、問題の構造や認知、あるいは労働組合の役割についての批判をふくむ評価など知識量、経験量ともに大きな違いがあると思われる。もちろん、非組織化領域には自発的に労組加入を選ばなかった意識層も存在するが、多くは職域に労働組合が存在しないことが非組合員であることの主たる理由になっている、いわゆる非自発的非組織化労働者といえる。

わが国の近代史は労働運動を忌避してきたし、今も続いている

 ここまで述べてきた問題状況は、わが国の近代史において現に形作られた現実であり、今を生きる労働運動の活動家にとって負の遺産として背中にのしかかっているのではないか。だから、宰相として最長記録を更新する安倍首相が賃上げなどを経団連や連合に強く要請する姿を見るにつけ、120年の歴史を紡ぐわが国の労働運動にとって今なお桎梏となっている社会全体を蓋う無理解、非協力の現実を、与野党の区分けは別にして政治家としてどう考えているのか、本当に困っている領域の実相を把握する気があるのかなど聞いてみたいと思うが、それ以上に、首相の要請は83.3%に対応する事業主らへの働きかけなくして完全には成就しないことを改めて指摘しておきたい。

 労働組合の支援を受ける政治家は多い。しかし、労働運動の歴史や本質、さらに三者構成主義を通じ、労働と労働者をまっとうに受け入れることによって今日の近代社会が成り立っている事実を正しく理解している政治家は少ないのではないか。とくに、理解しているはずの野党議員の中にエアーポケットのような非理解が漫然と存在する不快な現実をどう考えればいいのか、これも生きた労働問題であろう。

(続く)

◇カトレアが埋めし君は寒空へ

加藤敏幸