遅牛早牛

「2020年からの課題と予想 ④ 労働運動と組織率(2)」

各国の労働組合組織率の動向と労働協約適用率

 昨年、2019年のわが国の推定組織率は16.7%で、おおよそ雇用者6人に1人が労働組合に加入していることになる。時系列でみれば、1947年以来長らく30%以上(最高56%)であったが、1983年29.7%と30%を下回って以降、2008年から2010年を除き前年比下降を続けてきた。他の主要国もおおむね低下傾向にあるが、2018年の同組織率は、イギリス23.4%、日本17.1%、ドイツ16.5%、韓国11.8%、アメリカ10.5%、フランス8.8%となっている。(「労働政策研究・研修機構、諸外国の労働組合組織率の動向」から)

 また、イタリアは30%を超え、北欧3か国やデンマーク、ベルギーは50%から70%近くになっている。

 統計データの国際比較は、統計の定義や調査時期あるいは調査範囲などに違いがあり、完璧な比較は難しい。傾向を知るだけならOECDの資料が使いやすく、労働統計については各国の労働法制の違いが大きいことから、共通性を持つOECD諸国内での議論が中心になっている。

 OECD諸国の中では、わが国の組織率は低いグループに位置する。他に、フランスは8.8%と最下位グループではあるが、労働協約が適用される労働者の割合(労働協約カバー率)は90%台である。このように、組織率と労働協約カバー率はセットで議論されることが多く、とくに、ヨーロッパの主要国では組織率よりもカバー率の方がはるかに高く、産業別団体交渉の成果が広く波及する傾向にある。ドイツは組織率では近年日本とあまり変わらないがカバー率は50%を超えており、労働組合の社会的影響力はわが国よりはるかに高い。ちなみに、わが国のカバー率は、ほとんどの労働協約が企業別で締結されていることから交渉の成果が企業の枠を越えられず、また協約未締結ケースもあり、労働組合組織率よりも低くなっている。これは国際的には珍しいといえる。

 労働組合組織率と労働協約カバー率の比較は各国の労働法制、労働組合の歴史、社会からの認知、産業構造など多面的な分析が必要で、全体像をつかむのはなかなか難しい。

これからの組織率をめぐる議論の方向について

 さて、国際労働機関(ILO)設立から100年余が経過した今日、さまざまな振り返りと今後の課題を議論すべき好機にあると思われるが、わが国における労働運動の今後の進路を考えるうえで、とくに「組織率とカバー率」について一体のものとして議論をすすめることが重要である。従前から、わが国では組織拡大という限られた視点から労働組合の組織率が議論されることが多く、それに対し労働組合以外の人々は、それは自己勢力の拡大という労働界の都合の議論であり運動だと受けとめるであろう。それでは社会全体の理解あるいは協力が得られにくくなる、と思われる。

 ということで、社会全体からの理解を得るためには、労働者の利益を増進するために交渉の成果をどこまで波及させられるかというマクロな視点を提示しなければ、組織率についての議論が社会全体の議論とはならないであろう。マクロな視点とは、いわゆる公益の増進をはかるという行動目標をともなうということである。でなければ、矮小化された議論に陥るだけである。

 労働運動には、現在の組合員の利益の維持・向上という重要な使命がある。しかし、その使命を果たすためには、社会全体益の向上を図らなければ達成できない領域があることも事実であり、対企業交渉だけに埋没していたのでは、たとえば社会保障制度をはじめ多くの生活関連項目において組合員の期待を裏切ることになる。

政策・制度課題における代表性についての視点

 前回の論考では、政策・制度課題においては16.7%が代表しうる分野と範囲があることを示し、政策・制度課題への取り組みには、最終的に法律によって全労働者に利益をもたらすことができることから一定の社会的意義が認められることを述べた。もちろん、多くの労働法制では、企業規模による例外措置を認めており、いわば二重規範状況を許していることなど疑問点も多い。

 それでも、そういった疑問点を含んだ上で、国会での議論を経て法律として施行されることから、法律に対し労働組合の立場と意見を反映させながらも、結果として多くの人々に利益をもたらせる改善は、組織・非組織の別なく、多くの労働者を巻き込むことができるといえる。

 もちろん、法律制定過程においては、政党等による聴聞や国会での参考人質疑などで、さまざまな立場からの意見表明がなされるが、機会と時間に大きな制約があり十分ということにはならない。民主政治の原則からいえば、法律制定に向け、さまざまな意見あるいは動きが形をもって広く表明されることが求められることから、ことさら労働組合の代表性に焦点をあてた議論が起こるとは考えられない。国権の最高機関が処理することなので、当然のことながら労働組合も政治にかかわるアクターの一つでしかない。

 (16.7%の内訳をいえば、さらに系統別に細分化され、また政策・制度課題への対応についても賛否等が分かれる。ここでは組織労働者総体を抽象化し、記号として表現している。)

 要は、組織労働者が集団として政策・制度課題の改善に取り組む場合の代表性は、制度上の裏付けや組織率の水準によって規定されるという、固定化した硬い根拠ではなく、取り組みの結果がもたらす利益の評価からくる社会公益性に支えられる、多少あいまいではあるが柔軟なものと考えられる。

 

産別労使交渉の成果の波及と産業内での代表性について(労働条件)

 そのような、政策・制度課題の取り組みとは別に、労働協約の規範事項については、労働条件改善の取り組みの中で、産業別労働組合の統一闘争としての実績が積み重ねられている。産業別労働組合に対応する使用者側も最終決定は企業別という原則を堅持しながら、また産業代表的側面を持ちながら話し合いには応じ、実質的に産別交渉を形成している産業も多い。実態としての産別労使交渉ではあるが多くは慣例慣行上の扱いの範囲といえる。

 したがって、法律や制度の裏付けを欠く中で、産業内の労使の影響力の限界もあり、交渉結果の産業内組織化領域への波及においても多少の不徹底部分が残り、さらに産業内未組織化領域においては限界性と不確実性が見られる。したがって、それらの産業別の取り組みを糾合しながら全産業の組織化領域への波及を目指すナショナルセンターレベルの取り組みにも同様の限界がある。さらに、未組織化領域への波及は相場による波及効果を超えるものにいたってはいない。すなわち、未組織労働者への波及という視点だけでいえば、それを実現する波及力は不十分で、それを支える制度もないのが実情といえる。

 ここで、産業内の未組織化領域への波及を議論するにあたり産業内の現在の組織率は、電気・ガス・熱供給・水道業が59.3%、複合サービス業54.2%(厚労省の「労働組合基礎調査(2019年)」)と、二つの産業区分が50%を超えており、金融業・保険業45.0%、公益34.0%、製造業26.1%、運輸業・郵便業24.2%、建設業20.3%と続いている。

 確かに、どのような産業区分を設定するかは、その目的との関連で検討されるべきであるが、上述にあるように、過半を超えている分野、あるいは比較的高位にある分野での波及のあり方について、労組法17条の拡張適用基準である4分の3に捉われない議論もありうるのではないか、という問題提起も価値あるものと思われる。4分の3基準を決めた時代状況と現在とではいろいろな面において違いがあり、この際立法の趣旨に立ちかえり再考することがあってもおかしくはないと思う。このあたりの議論が「組織率とカバー率」を一体的に議論すべきという趣旨に合致するところである。

 とはいえ、労働協約の締結単位がすぐれて企業別であること、波及すべき労働条件の詳細がいわば企業ごとの言語で記述されていることから、拡張適用ではなく波及というやわらかい概念を使うとしても、ことは簡単ではない。

 また、現実に組織率の高い産業分野での労働協約の実態や交渉成果の影響の有無など詳しい調査が求められるが、そのような作業を踏まえて波及のあり方を模索していくとなると、10年単位の時間が必要となるが、推進主体が息切れするようでは話にならない。

 わが国は、複数組合を認めているが、それらの間で対立関係が生じている場合の対応は工夫といったレベルでは収まらないと誰しも思うところであろう。

 同様に、難問中の難問であった公務員の労働基本権については、所要の法案が2011年6月閣議決定されたが、審議、成立のめどはたっていない。それでも、閣議決定は一里塚である。

 産業内の交渉成果の波及については入り口を模索するレベルにすらなく、まさに五里霧中といえる。五里霧中のことをここであえて提起した理由は後述するが、そもそもは首相の賃上げ要請がきっかけとなっている。

長年の賃金決定プロセス(春闘など)を振りかえる

 ここでやや解説的になるが、1955年から始まったとされる「春闘」は、同時期に交渉を集中させることによって、産業内のみならず産業を超えて使用者に競争条件の円滑な調整という動機を提供することにより実質交渉を成立させ、内容的には交渉力のある組織労働者の交渉結果を賃金相場として、交渉力の弱い組織労働者へ、さらに未組織労働者へと広がりをもって波及させたが、考えてみればこれは実質的な拡張適用といっても差し支えない現象であり、この点においてわが国の労働運動は成功したといっても過言ではないだろう。これは、日本経済の高度成長に乗っかった、まさに追い風に乗る運動であったともいえる。

 しかし、時機をとらえたうまい戦術も、やがて高度成長が終息し、石油ショックや超円高に見舞われ、とくに国際競争の波に洗われていた電機・自動車・機械などの金属産業労使の危機意識が高まり、またマクロ経済としても早急に安定成長へ向けて軟着陸をはからざるをえない中で、多くの労働組合にとって企業存続が最優先の課題となり、結果、賃上げよりも雇用維持に傾いた路線への転換が企業別労働組合を中心に急速に広まっていった。風は追い風から向かい風に変わり、労働運動は逆風にさらされ、春の賃上げは徐々に高さを失いながら、同時に波及力を弱め、いつの間にか、組織労働者を中心とする領域に収縮していった、1980年代におけるいわゆる春闘終焉である。

 1989年に結成された連合は、「労働条件は産別自決、連合調整。政策・制度は連合責任、産別参加」と役割を整理したが、内外の理解がこの通りとなっているかは疑問である。

わが国の賃金水準を大きく改善するには、労使自治を原則にしながらも法制上の支え(跳躍台)が必要

 わが国の労働組合は、60年以上にわたって春季に、一斉に賃金交渉を行い、賃上げを実現してきたが、その成果である賃上げ率を国全体の数字として表すことは難しい。理由は統計処理を前提に国全体のデータ収集が行われていないからである。

 ということで、連合、経団連など団体限りの集計データが速報としていくつか公表され、時系列傾向の把握や相場観の理解に役立てられている。もちろん、後続の交渉への影響を意識してのことである。

 夏には、厚労省の「民間主要企業における春季賃上げ要求・妥結状況」が公表されるが、集計対象は従業員1000人以上の労働組合がある企業などで、昨年の集計企業数は341社であった。

 もともと、厚労省は「賃金構造基本統計調査」「毎月勤労統計調査」を公表しており、賃金構造の実態、賃金、労働時間及び雇用の変動などについて継続性の高いデータを提供していることから、毎年の賃上げ状況の把握はいい意味での余芸といえるかもしれない。

 要は、波及すべき賃上げ率・額の確定版がない現状の中で、具体数字を使いながらも議論の中身は定性的で、かつ多様な解釈も可能という意味で玉虫色といえる。

 

 その賃上げ率が、1990年の約6%をピークに下降し、2000年前後で2%水準に落ち着き、今日まで続いている。この数字は全体の傾向を示す値であり、労働者個々において実現する賃上げ率とは異なっている。個別企業の賃金制度の違いから、属人要素、年功要素、職能要素、職務要素などの組み合わせや重みづけさらに個々人への評価など数多い変数がありうるが、どんなにバラエティーに富んでいても、最終的には前年度比6000円とか7000円あるいはそれ以上の増額が明細書によって知ることになる。

 もともと、賃金比較は簡単ではあるが難しい。何のためにという用途を明確にしてデータを扱わないと、無駄な作業が増えるだけである。

 交渉に用いる数字は、交渉単位ごとに組織内部においては批准されており、入口と出口は正確に比較できる。これには集団交渉として使われる象徴的数字と、個別の系統、資格、属級あるいは評価など、いわゆるプロセスを経て決定される具体数字とがある。

 二つの数字に対応するべく、賃金交渉には二つの側面がある。一つは、相場として世の中に伝播されることが予定されている「賃上げ率・額」につながる相場数字を作り上げる交渉と、もう一つは、一人ひとりの労働者の明細表に表記される数字につながる交渉である。二つの内容・中身は一体であるが、タイミングとステージが違っていて、相場形成の交渉は先に、引き続き配分交渉に入るが、対象となる原資総額は概略決定している。個々の労働者につながる詳細な交渉では系統、職務、資格、その他など賃金項目の細部を決定する、というのが一般的である。

 公式な賃上げの悉皆調査もなく、個別の配分交渉には立ち入らず、賃上げの検証手段もない中で、個人消費の拡大につながる雇用者所得の伸長を実現する交渉を一体どのように作りあげればよいのやら。要請や激励は結構なことだが、日暮れて道なお遠し、である。

政治が本当に賃上げが必要であると考えるなら、やることがあるだろう 

 ここ何年か、時の首相が経団連と連合に賃上げを要請するのが風物詩になっているようだが、複雑な気分を醸す珍風景ではないだろうか。いくら要請されても連合と経団連に交渉権はない。あくまで見解の披歴、意見交換の場である。もちろん、この場で交わされる見解は意味深くかつ味わい深いもので、日本的労使関係の特産物だと思うが、残念ながら外国からの買い手はいない。もし首相が、この場がわが国の賃金決定に何らかの影響を与えるだけの力を有する、否有すべきだと考えるなら、直ちに官邸に帰り、内閣提出法案の作成を命じるべきである。

 一つは、労使交渉代表の構成と効力に関する調整法案ともう一つは、企業間競争における公正条件の確保と不正競争防止並びに労働者等の待遇確保にかかわる法案である。これらは架空のもので、むろん法学的裏付けはない。憲法違反事項を有するかもしれない、まさに題目だけの空想物である。しかし、首相が賃上げを要請しなければならないとする事態認識を是とするならば、当然のこととして要請先にその権能と責任を付与すべきであり、そのための法律等を準備すべきではないか。現実的に考えるなら、労組法第17条18条の労働協約の拡張適用の拡大あるいは機能強化が俎上に乗るが、目指すものとのギャップが大きく、現行規整を下敷きにする限り方向性すらまとめることは難しいと思われる。

 とくに、使用者における利益形成の面でこの三十年間あまり議論が進んでいない公正競争の視点が浮かび上がるが、新自由主義的考えに基づくなんでも規制改革の風潮がバランスの取れた議論を阻害していたと、勝手な感想だが、そう思う。軟調な労働市場に胡坐かいていたとまではいわないが、ある意味努力を怠った感じがしなくもない、その間、社内での人材育成が後退し、能力開発を労働市場などに求めざるをえない、あるいは経営方針としてその方向を選択したということであるなら、労働市場の再生・整備と公正競争の再定義を図るべきではなかったか。人口動態統計から当然視されていた労働者不足への国レベルでの政策がどう見ても貧弱に思えてならない。

 他方、首相がかような賃上げ要請することを非難し、「官製春闘」などと揶揄する向きもあるが、ここでの問題認識はわが国において長年にわたり賃金上昇が大いに不足してきたことから、経済を支える個人消費が伸び悩み、結果として国民経済に不調をきたしているという極めて的を射た認識に対し、その是非を問いながらも、解決策を模索しようという結構まじめな議論であるから、揶揄などでこの議論から逃れることは許されない。

 かかる首相の要請が、その場を取り繕うポーズであるなら当方も揶揄などで済ませるのだが、本当に賃上げが必要だと考えるのであれば、さっそうわが国の賃金決定構造に一工夫を、いや一の矢、二の矢を射るべきではなかろうか。低賃金とはいわないが、決して高いとはいえないわが国の賃金事情を見過ごすことはできない。

 政治家は口で仕事するものとは思うが、法律制定にかかわる特別の地位にあるわけだから、口にしたことについては法律をもって担保してほしいものである。とくに、最高権力者といわれる首相においては。

 

◇春なのにしわぶきもない電車かな

 

 注)雇用者数に占める労働組合員数の比率を組織率というが、雇用者数は総務省「労働力調査」の雇用者数(毎年6月分)用い、労働組合員数は厚生労働省の「労使関係総合調査(労働組合基礎調査)」の労働組合員数を用いて計算するが、この場合、推定組織率という。

加藤敏幸