遅牛早牛

時事雑考「感染症対策に政治の力量を見るー騒動を起こすなー」

◇忌々しいと思うが、敵はウイルスで正式な生物ではないそうだ。何が正式なのかよくわからないが、生物の細胞内でないと長らくは生き(?)られない。この「長らく」が時間単位なのか、日数単位なのか、またどんな環境下なのか、それらの内容によって対策が変わるのだろうから、研究成果が待たれる。

◇在宅が続くと食事どきにテレビを見る時間が長くなる。当初、新型コロナウイルス騒動と受け止めていたが、騒動にしては被害が深刻過ぎる。災厄である。この災厄には二つの面がある。一つは、感染症としての災厄である。死者は永遠に帰ってこない。二つは、災厄がもたらすさまざまな影響であり、二次災厄というべきものである。感染症対策の基本は隔離であるが、今回は無症状感染者の比率が高く、隔離策が厳重、広範囲に及ぶことから社会、経済への二次災厄がもたらす被害が計り知れない。二次災厄の被害が一時災厄の被害をはるかに超えることは間違いないと思われる。規模と期限の見当がつかないことの不安が政治に衝撃を与えている。その結果、政治が不安定化するのが三次災厄であろう。まさに、政治にとっての正念場であるが、その政治がさまざまな騒動を引き起こしている。

◇習近平主席の訪日と2020東京大会の処置に気をとられたために着手が遅れたのではないかと前回述べたが、その時の遅れが確実に尾をひいている。

 前工程のミスは後工程でカバーできない、と教えられた。それぞれの工程は真剣勝負でなければならない。でなければ、次工程がさらに難しくなるうえに、予算超過、納期遅れの原因となるからだ。また、構想段階の手抜きが致命症になるとも。

◇得手不得手でいえば、首相も都知事も構造的に問題をとらえるタイプではないのだろう。直観に頼ると失敗する典型が感染症対策なのか、今にして思えば。

◇いつものことながら、国民は協力的である。もともと、インフルエンザ予防のため、マスク、手洗い、消毒の普及率は高かったことから、初期段階ではずい分と時間稼ぎができていたのではないか。せっかくのリードタイムが無駄になったようだ。

◇新しい感染症への初動対応は国の責任である。水際作戦は中国あるいは欧州からの入国規制(禁止あるいは隔離)が遅すぎたうえに不徹底であった。

 次段のクラスター対策ではPCR検査を絞りすぎていたため、感染者の発見が遅れ封じ込めが緩くなったと思われる。感染経路の洗い出しには膨大な手間と感染者等の協力が不可欠である。遊興、歓楽施設が要注意であることは素人でも分かる。クルーズ船対応で人手を食ったともいわれているが、それはそれ、言い訳にもならない。司令塔不在が目につく。

◇すでに感染拡大期にある。注力すべきは医療崩壊の防止であると聞くが、そういうことなら、高齢者としては巣ごもりを徹底するしかない。不慮の感染に対しては祈るばかりで、後はアビガン頼りである。

◇いずれ解明されることだと思うし、少し早いようだが、胸の内には数多のモヤモヤがある。

 「なぜ新法が必要だったのか。そんな疑問を押し殺して、緊急事態宣言がだせるように新法を整えたのに、どうしてその発出に時間がかかったのか。小中高などの休校要請は拙速かつ強引にできたのに、外出抑制に腰が引けたのはなぜか。東京都と政府で休業要請の範囲をめぐり調整に何日もかかったのは何を揉めていたのか。法律のたてつけが悪いなどと今さら言うな。国会で議論し、答弁で整備しておけよと言いたい。遊興、歓楽施設が後回しになったのはなぜか。10万円が30万円になり、また10万円になったのはなぜか。結局緊急事態宣言は全国を対象にせざるをえなくなったが、初め二段階方式でいけると考えた根拠は何か。二週間様子を見て担当大臣は何をしたかったのか。それにしても、多くの専門家の危惧が的中しているではないか。政府は、官邸は、議会は何をやっているの。今まで結果責任だ、個人責任だと散々言ってきた人たちに聞きたいものだ。これは何責任でしょうか。

 これらの騒動はすべて政治が引き起こしたもので、ウイルスが引き起こしたものではないでしょう。国民の生活、健康、生命がかかっているのだから、しっかりやってよ。」と、今日のところはこの程度にとどめ、昼夜尽力している方々へ感謝と敬意を表して筆をおく。

◇花水木なまめかしくも楚々と咲き

加藤敏幸