遅牛早牛

時事雑考 「束ね法案とおとり効果」

◇5月22日、東京高検の黒川弘務検事長の辞職が承認された。賭けマージャン、産経新聞社記者が手配したハイヤーへの同乗などに加え緊急事態宣言下での軽率な行動にも激しい批判が寄せられ、一連の問題行動に対し訓告を受けた。処分の軽重をめぐり異論があがっているが、すでに辞職しているので処分は変わらないだろう。また、森雅子法務大臣が安倍晋三首相に進退伺を提出したが、慰留を受け、引き続き法相の立場で検察の信頼回復に努めることになった。

 この場合、検察の信頼回復の前に、首相の信頼回復が必要ではないか。

◇そもそも、国家公務員の定年を60歳から65歳へ段階的に引き上げることは与野党においてもおおむね理解をえていたと思われる。また、国家公務員である検察官、自衛官においても均衡処置をとるため、それぞれの法律の改正を「束ね法案」として提案、審議を一本化することについては十分理解できるところである。

 もともと、対決法案ではないと思われていたのが、検察庁関係部分に、「内閣の判断による、定年延長と役職延長を認める」との内容が追加されたことから、当時の、黒川検事長の定年延長問題と連結し、内閣での既決案件にもかかわらず、提案の動機を事後正当化するためではないかと疑われたことから、国会での答弁の迷走が始まったといえる。

◇最初(本年1月17日以前)の検察庁法改正案は「検察官は、年齢が65年に達したときに退官する。次長検事および検事長は、年齢が63年に達したときは、年齢が63年に達した日の翌日に、検事に任命されるものとする。」という簡潔なものであった。それが、内閣の判断による延長うんぬんが付加されたことにより、検察権への官邸権力の介入の意図を疑われるなど、にわかにきな臭くなった。

 ことの真相は分からないが、ここでいえることは完全な説明不足である。一部に、検察の暴走をけん制するためという立法上の必要性の指摘があり、その指摘は当然ありうるものと思うが、それならそれで、独立性とのバランスなどをふくめ十分議論すればよいのであって、「束ね」を利用し力技で中央突破を狙っていると世間から疑いを持たれたことが躓きの始まりと思う。

 恣意的な運用はしないと繰り返しても、「黒川検事長定年延長」がそもそも恣意的で、重大かつ複雑困難な事件の捜査・公判に対応するため、だけでは説得力に欠けるし、内閣のこの手の答弁を真に受ける人はもはや数えるほどもいないであろう。晩秋落日の風情なり。

 かかるものが与党の事前審査を通過できたことに、ある種の危機を覚える。

◇他方、野党の対応にも微妙な何かがあったように思われる。ここは、部外者が立ち入れない領域ではあるが、野党として定年延長法案の成立にどこまでコミットしていたのか、法案に対する淡白さとか冷たさを感じていたので、少なからず疑問に思っている。

 たしかに、内閣提出法案であるから、また安倍内閣として労働分野での成果を示すことで、中間層の支持を拡大するという狙いもあるだろうから、相当無理してでも成立に驀進するだろうと、野党の立場で予想することには合理性はある。正しかったかどうかは別問題だが。

 問題は、検察庁改正法での、内閣の判断で延長うんぬん部分の評価であるが、相当に毒性が強いことから、今の安倍政権の実力で本当に法案を上げられるのか、無理すると、そうでなくとも支持率に陰りが出てきている現状では致命傷になるかもしれないとの状況判断を野党として持っていたのか、持っていなかったのか。持っていたとして、であるなら逆に強行採決に追い込むという術策だったのか、興味深いところではある。

 さらにつけ加えれば、日ごろ支持率に神経質な官邸の中に、無理すべきものなのかどうかという機微に触れる判断が出てくるかも知れない、と相手の事情への洞察をどうしたのか、ここらは本当に分からないところである。

 世間では、内閣が検察官の定年を延長できることへの反発が予想以上に強く、とくに、SNSハッシュタグは驚愕もので、連休明けからこれはなんだ現象が広がったが、単純な陰謀説では収まらない何かを感じた人も多かったと思う。当然、野党としても大いに気になったと思うが、どうだろうか。

◇これも、あと知恵のひとつだが、「5月1日の賭けマージャン情報が握られてしまったかもしれない」と、感触情報として普通はしかるべきところに入るはずと思うが、18日の成立断念表明前には確実に官邸に入っていたはずだから、さらに、13日にも2回目賭けマージャンがあったということなら、14日、15日あたりは、野党国対の生物的勘(?)が働くのが通常だが、今回はどうだったのだろうか。同じ事が、与党国対にもいえそうである。与党国対天ぷら屋説の落ちは、揚げるのが仕事だそうで、お気楽なことをいってはいるが、内心は相当に悔しいのではないか、下働きが無駄になるいきなりのキャンセルなんだから。また、束ねの副作用が効き始めた。

◇その後の急展開がスゴイ。19日の世耕参院自民幹事長の「公務員だけ延長されていいのか、立ち止まってしっかり議論することが重要」発言が引き金となり、22日の安倍首相の同趣旨答弁が「廃案」の流れを加速したが、官公労組の支持が厚い立憲への脅し、嫌がらせなどの解釈もあるが、それよりも政権サイドの危機意識が臨界点に達していたと解釈する方が適切だと思う。状況からいって、今さら立憲でもないでしょう、世論ですよ。

◇つまり、6月には雇用情勢がさらに悪化する、それはもう2か月以上休業しているんだから、運転資金が持たない、現金も資金も枯渇、宣言が解除されても客足の見込みもなしで、廃業、解雇に踏み切るところが激増するとの予想が大勢で、公務員だけ定年延長というのはあくまで連休までの議論、賭けマージャン記事がなくても5月後半には、与野党問わず異論続出になった可能性が強い。嵐の前の静寂の中で、船を出すのは愚かであるから、今思えば、法案成立はワンチャンスだったと。

◇結果的に、問題法案を廃案にできそうなので、安住国対の大勝利に見えるものの、公務員の定年延長は取りこぼしとなり、ひとたび廃案になると次が難しい。だから、野党としては継続で合意して秋の臨時国会で修正成立を目指すことになるのだろうが、そのためには譲るべきものを求められるのかもしれない。野党に、「公務員の定年延長」に燃えるような熱意がなければ事は成就しないだろう。さて、どうするのか難しい局面となった。それと、臨時国会が開かれないこともあったし、まことに一寸先は闇である。

◇となりの中国経済が2回目の激震を受けている。1回目は自国の封鎖から、2回目は海外の封鎖から、である。中国では経済の不調、不振が長引けば人心は揺れる。また、激震が引き起こす余波が再び世界に伝播し、都市封鎖解除、経済活動再開にかすかな光明を見出そうとする国々の希望に暗雲をもたらすと思われる。

◇さて、関係者の苦労を思えば、廃案はとても残念なことである。今回、廃案となれば、次は原点からの議論が求められるであろうし、民間準拠に立脚するなら、3年先の民間のあり方を参照しなければならない。

 3年先のわが国を取り巻く環境は大きく変化し、わが国自身も、経済、社会、政治すべての分野においてわが目を疑うような変革に直面しているだろう。これが、大袈裟だと思う人は黙って寝ていればいいわけで、迷惑をかける気はない。

 とくに、経営と労働、政治と労働の2軸が地殻変動する。変動しなければ崩壊するので、変動によって崩壊を押し止めるしかないのである。

 その意味で、世耕参院自民幹事長の言は、流れからいえば支離滅裂であるが、指し示した方向の先は、当たっているようで、偶然なのかどうかは次の発言と行動で明らかになると思うが、とはいっても政府、与党は提出法案には責任をもって対応すべきで、状況が変わったからガラガラポンにしたいというのなら、政権を放棄してからにしてもらいたい。それが、矜持というものでしょう。

 野党として立派に仕事をされていると思うが、こういう状況になると、個別の追求すなわち戦術事項よりも全体構想すなわち政権戦略を提示しないと、平たくいえば「お呼びじゃない」立場に追いやられ、世論から無視されるので、注意した方がよいと思う。秀才よりもあえて鈍才を勧めたい。

◇すでに政局、大政局である。日本列島が地響きをあげて揺らぐような変動が起きつつある。その前夜に、昨日の落書きをごまかすために今日さらに大きな落書きをする浅知恵が「束ね法案」であるなら、それはけしからんと国民を覚醒させた「おとり効果」を立派に果たしたといえる。小さな落書きなら気にしなかったが、大きな落書きに怒った人々が町内清掃に動き始めたわけだから、大きな落書きはずい分貢献したのではないか。

◇今回は、「天網恢恢疎にして漏らさず」というか、「天の配剤」というか、とても不思議な感覚に耽溺したことから、論理が今一つもの足りない、古希すぎて握る刀も鈍りおる、といったところです。

◇ 鈍刀は刃こぼれもせず錆びるのみ

加藤敏幸